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2025年10月31日金曜日

行政手続きはなぜ複雑なのか?

 年末調整の時期になって、年が明けたら確定申告の時期になる。非常に複雑で、どこの項目に何を書いたらいいのかわからないなんてことが頻発する。これは申告だけに限らず、健康保険、住民票、税務、年金などなど、様々な場所で発生する。

 そこでよく多くの人が言うのが、

 「なんで行政手続きはいつも面倒なんだ!」

というセリフだ。まあ、言いたくなる気持ちは重々わかる。わかりづらく、量も多く、複雑だから。

 そして次に出てくるセリフはこれだろう。

 「なんでシンプルにしないんだ!」

何十年経っても簡素化しない。行政の怠慢ではないかという意見もよく聞く。そうなれば都合がいいから。

 もちろん簡素化できた方がいいに決まっている。行政だって業務の効率化になって仕事がはかどるし、人員不足を解消できるし、経費も削減できる。なので、行政だってしたくてあんなに煩雑にしている訳ではない。

 中には複雑化して役人が国民からお金を巻き上げるためだとか、お金の流れをわかりにくくして使用目的をブラックボックスにするためだという陰謀論にはまっている人も、チラホラ見かけるがそれは荒唐無稽である。あんな書類でブラックボックスにはできないし、むしろ市民が手続きをすることによって証拠が残るのだから、むしろ不正ができない。

 では、なぜ煩雑なのか?それは・・・

 市民が無作為にサービスを望んだから

である。

 例えば確定申告なんかは税額を割り出すために行っているのだが、全員に同じ税率を課せばシンプルになるところを、貧富の差の軽減のために所得税の累進課税を導入したり、保険やローンの控除を適用したり、配当収入は別途計算したり、相続は条件の範囲内で非課税にしたりと、それぞれ要望に従って多種多様なオプションを付け足している。その付け足したオプションの分だけ手続きが複雑になっているのだ。

 そしてその要望を出したのは、他でもない

 市民

である。中には俺は出した覚えはないという人もいるが、古今の他の誰かが複数人出しているのである。なので、市民が各々己の都合で要求を続ける限り、行政手続きは複雑化の一途をたどらざるをえない。

 よって行政手続きの単純化を進めるなら、行政サービスの削減は不可避である。果たしてこれを受け入れられる市民はいるだろうか?




2025年10月24日金曜日

今の生活保護制度では就労意欲がなくなる

 何かと生活保護は問題化されることが多い。ここ数年生活保護の受給者数が上がっており、自治体によってはかなりの財政負担になっているところも出てきている。生活保護受給者は生産活動をしていないため消費しかしない層なのでお金を生み出さず、経済の縮小に拍車をかけることになる。ただでさえ人口減少に伴う生産人口の減少という問題を抱えているのに、生活保護受給者が増え続けるのは衰退の加速につながる。

 なので、生活保護受給者(特に若年の)を減らすのが急務であるが、どうもこの制度の中身が給与所得者との関係で就職に不安を与え、足を引っ張る原因を作っている。

 そこでここでは生活保護と就労意欲を焦点に、問題点を洗い出す。


 受給ライン≧生活必要最低限ライン


 無期限に働く必要がなくなってしまう給付額

 生活保護の受給額であるが、基本的に各都道府県の最低限必要とされる生活費ないしは所得に合わせて決定される。なので、生活保護受給者は最低限生活に必要なお金を「満額」給付されることになる。この「満額」というところが、一つ目の問題点である。というのも「満額」もらえるがゆえに一切働かなくても生活できてしまうため、労働の必要性がなくなってしまうのだ。

 しかも、期限が決められていないため、受給者の言い様で無期限に受給できてしまう。


 行政が全額肩代わりする医療費

 問題二つ目は、医療費である。というのも生活保護受給者の場合、医療費は「全額」行政が負担しているため自己負担がない。しかも、「無制限」に。

 なぜこうなっているかというと、現在の制度では生活保護受給者は所得がないので(生活保護費は給付なので、法的には所得にあたらない)、所得がある人のみが対象となる健康保険には加入できない(国保ですら打ち切られる)。代わりに社会保険事務所が医療券を発行し、かかりつけ医に送付することで、全額国費で医療を受けている。なので、本人は無料なのだ。しかも、回数に制限がない。

 そうなると、働いて健康保険で受診すると自己負担が生じて生活費が減ってしまうが、生活保護ならその心配がなくなるので、生活保護のほうが裕福になるのだ。

 医療に関してはもう一つ問題がある。一部の受給者はこの制度を悪用して多くの薬を処方してもらい、それを闇で転売して違法に稼いでいるのだ。その違法取引で有名になっている場所が、釜ヶ崎と呼ばれる阪堺電軌新今宮電停近くのエリアだ。

 なぜこれが違法かというと、まず処方薬は医師にしか販売の権限がなく、個人の販売が禁止されているからだ(医薬品医療機器等法違反)。さらに、生活保護受給者は10万円までしか貯蓄を認められていないので、それ以上のお金を隠し持っていることも違法である(生活保護法違反)。

 生活保護はこの犯罪の温床になっているのだ。


 負担なき手取り

 問題三つ目は、保険料の支払いや医療費の自己負担がないばかりか、税負担までもがないこと。給与の場合は健康保険料や年金保険料、それに税金が課されるが、生活保護の場合はこれらが課されないので給付金を丸々手取りにすることができる。つまり、手取り額は生活保護費のほうが高くなるのだ。これでは就職すると生活を切り詰めなくてはならなくなるので、生活保護を選ばざるをえない。


 年金の補てんに充てられる

 それと就労意欲の問題からは少し遠いが、年金の受給額不足を補うために生活保護が代用されている問題にも触れておく。

 現役時代にしっかり働いてより良い報酬をもらい、厚生年金や国民年金基金、付加年金などの二階建ての年金を払っていた人はある程度まとまった金額を受給することができる。しかし、国民基礎年金しか払っていない、それどころか未納がある人の場合はどうしても生活に必要な額に達しない。その足らない分の穴埋めに生活保護が充てられている。

 これでは納付しなくても生活保護で代替できるから支払しなくていいし、なんなら一生就労しないで暮らせてしまうので、就労に意義を見出せなくなる。


 解決策は


 期限の設定

 問題なのは無制限の部分が多すぎるので、まず受給期限を設けることだ。精神疾患をベースに考えると5年が一つの区切りで、長期療養か否か、自ら自立に踏み出せるかどうかの分かれ道となる。5年を過ぎると疾患よりも勇気のなさからくる依存が理由となるので、自立を促す意味でも打ち切ることが必要だ。


 健康保険への加入

 これは給与所得者との均衡を図るためと、過剰な受診を防ぐために必要だ。自己負担分を作ることで生活費との兼ね合いが発生するから、無制限な受診を控えざるをえなくなる。その結果、無節操な処方も防げるし、ドクターショッピングも阻止できるので、薬の転売やオーバードーズもできにくくなるだろう。

 さらに、保険料の徴収が増えるので赤字問題で揺れる健康保険の助けにもなる。


 年金と一体化

 今現在は税収から生活保護費が給付されているのを、年金からの給付に変えるのだ。あらかじめ年金として年金機構へ納めておいて、必要になったら自分の納付金の中から給付を受けるのだ。これなら他人が納めた税金を使うことがないので文句が出ないし、年金なので所得として扱われるから課税され、国保に加入できるので給与所得者と条件が同じになる。

 しかも生活保護費として年金に納める代わりに税率を引き下げれば、±0円で給与所得者の場合は手取り額が変わらないから負担は増えない。

 その上、あらかじめ生活保護費の分のお金も工面しなくてはならなくなるから、就労する必要性が生じるので自立につながる。




自分を卑下しているからこそ特例を欲しがる -フェアプレーを恐れる人たち-

 数日前に、高市早苗氏が史上初めて女性として自民党総裁に当選した。女性枠などが作られることなく、男性と同じルールの中で実力とフェアプレーで当選を決めた。これは政治家として当然かつ立派な姿勢であり、褒めたたえるべき結果である。

 しかし、これに祝意を示すどころかケチをつける政治家や活動家が多くいるのは、非常に幼稚で残念で他ならない。しかも、このケチをつけている者たちに共通しているのが、以前から女性やマイノリティに下駄を履かせることを求めていたという点だ。つまり、女性やマイノリティだけは違うルールで戦わせろというアンフェアな考えを持っているということだ。

 ところが、今回高市氏は下駄を履かないで正々堂々当選してしまった。優遇や特例措置がなくても当選できるということを身をもって証明してしまったのだ。このことから、自民党内で女性が阻害されていると言えないばかりか、実力さえあれば総裁になれるということを示した。その結果、下駄を求める正当性がなくなってしまったので、自分の言い分や立場がなくなってしまった。下駄なんてなくてもできるよねと。


 自分の劣等感を認められない


 ここまで強く特別扱いに固執する人の根底には、絶対に何かがあるはずだ。大抵の人ならアンフェアな条件をつけろなんてことは、良心の呵責にさいなまれるので拒否するし、そんな方法で何かを手にしても評価につながらないし、実力を認められたわけではないからお飾りとしてしか扱われないことが容易に想像つくからだ。絶対自分のためにならないのがわかっているにもかかわらず、それでも特別扱いに執着するのは、彼女らの根底に

 「劣等感」

があるからに他ならない。女性は劣るもの、マイノリティは卑下されるものという固定観念が最初からあるのだ。だから彼女らは実績やスキルの話は決してせず、劣等グループというポジショントークしか展開しない。それはひいては女性=無能と自分で言っているようなもので、自らを卑下している。

 そして、そういうネガティブポジションをとる者を人間は本能的に拒絶する。いい印象を受けないし、他人にすがって生きようとする姿勢に未熟さ自立心のなさを見出すからだ。さらに、そういう人間は束縛が強いことも感じ取るので、身の危険を察知するのも避ける要因となる。

 よって、このネガティブポジションを採る限り、彼女らの心が満たされ平穏になることは永遠にない。


 可哀そうな自分を止めないと何も変わらない


 この手の者たちは、とかく自分の力では何もできないと過小評価している。だから特例や人の手を借りないと生きていけないと主張し、他人へすがらざるをえなくなる。

 だが、その姿は物乞いそのものであるし、後ろ向きの姿勢に人々は嫌気がさすので必ず捨てられる。結果、欲しいものは何一つ手に入らないし、幸せになることもない。それどころか、負の連鎖におちいり、社会との溝を深め、孤立して行き場を無くしてしまうだろう。

 ここから抜け出すには、

 「自分の力による実績を積み重ねる」

ことが欠かせない。

 とにかくいつまでも他力本願過ぎるのが問題でこれを止めなければ始まらないし、自分にもできるかもしれないという確証がないことには足を踏み出せないだろう。そのために、小さいものから少しずつ自分の実績を作ることが必要だ。実績を作ることによって自信や能力に証拠ができるので、自分に対して不信感を抱かなくて済む。

 さらに、実績が増えることによって実力がつくので、社会的にも劣等ではなくなる。その成れの果てが、高市早苗氏だ。彼女の能力は持って生まれたものではなく、そうやって積み上げられてきたものだろう。経歴を見るとかなりの苦労人であることがうかがえるが、そこにめげず前に進む姿は好感をもてる。

 そして、そういうフェアなやり方を守れる誠実な人間が活躍できるクリーンな社会ができることを願わんばかりだ。




投資をやらない人が言いがちなこと

 ここ近年、物価の上昇や老後資金の対策として投資の重要性が高まっている。日本政府もその重要性と景気刺激策の一環として投資への税制優遇を行っており、NISAやiDeCoの制度を創設した。この制度は既存の投資家にも適用されるので、そういう人たちは早々に反応して活用している。

 その一方で、新規参入をする人たちは一応増えてはいるものの、人口比で見た場合の投資比率は未だ欧米並みには及ばず伸び悩んでいるのが現状だ。正直、年々物価上昇についてこれる金融資産の種類が減っているにもかかわらず、やらないという選択をするのはリスクにしかなりえない。しかも、大手ネット証券を中心に小額投資サービスを行っているところも今はあるので、初期投資を低額から始められるようになってきた。今や庶民の小遣いでもできる時代なのに、それでもやらないという人のほうが多いのだ。

 そういった人たちの話を聞くと、出てくる台詞は面白いことにいつも決まっている。そこで、そういった投資をやらない人の台詞とその背後にある心理を読み解いていく。


 お金がない


 一番聞かれがちな理由はこれだろう。だが、先ほど言った小額投資があるし、中流家庭であれば生活費ですら捻出できないというほど資金難なわけではないので、お金がないというのは真実ではないだろう。

 考えられるのは、無駄使いが多くて本当にお金がないか、失敗を恐れているのを隠すための詭弁のどちらかであろう。大抵の人は後者で、無一文になる怖さが先立って踏み出せないというのが本音だろう。

 ただ本当にお金がないのだとしたら、まず考えねばならないことがある。家計の見直しだ。生活になくてはならないものしか買ってないのにお金がないのなら仕方がないが、嗜好品や遊興費、食べ過ぎ飲み過ぎ、多数の100円グッズがあるのなら、それらは無駄使いなので節約することで資金を作ることが容易に可能だ。


 怖い


 これは正直な感情だと思う。それはすごくわかるし、私も最初怖かった。特に人間は得ることよりも失うことのほうを多く見積もるバイアスがあるので、尚のこと当然の反応だと思う。

 私自身も最初口座を作るのも、初めて注文を入れるのも、かなり怖くて躊躇した。だが、やらないと始まらないのでそこは勇気を出してやっているうちに、段々と当たり前になって、今はむしろワクワクしている。その恐怖心の半分はバイアスであるとわかれば、ハードルが低くなるのではなかろうか。


 難しそう


 これもよく聞くワードだ。もちろん無勉強で挑むのは無謀なので、決してやってはならない。特に投資は自己責任が絶対のルールなので、ある程度の勉強はあらかじめしておかなくてはならない。

 とはいえ、難易度の低いインデックス投資であれば基本的なことさえわかっていれば十分なので、そんなに覚えることはない。投資詐欺に引っかからないように手口を知ることと、投資信託の仕組みと手数料、金融機関の営業マンの口車に乗らないことさえ知っていれば、それなりに利益は出せる。難しい経済用語とか英文字の略語とかは余程のプロでないと使い処がないので、覚えても仕方がない。


 自分で責任をとれない


 投資の世界では口が酸っぱくなるほど、「投資は自己責任で」と言われる(テレビ東京のビジネス系ニュース番組では毎日言っている)。日本人は臆病で責任逃れをしたがる傾向が、世界で最も高いゆえ、自分の責任すらとりたがらない人が実に多い。そのため、全て自分の責任ですと言われると、尻込みしてしまう。

 だが、そもそも自分の人生は自分で切り開くものなので、大人になった時点でありとあらゆることが最初から自己責任である。自分では気づいていないが、普段から多くのことに自己責任を負っている。投資もその一つに他ならず、将来人のすねをかじる生き方にならないようにするための対策だと考えれば、むしろ危機感が芽生えるだろう。


 政府がおススメしているものは信用ならない


 この感情を持っている人は、一定数いる。日本政府がおススメしているものは、最初から全て悪い物とレッテルを貼っているタイプだ。かなりの偏見持ちだし、よく考えず感情だけで決めつけている。

 大体こういう人は、物事を0か100で考える人が多い(ネガティブな完璧主義)。ぼちぼちというのがなく、100%思い通りになるよう勝手に期待する(しかも相手は100%保証しますなんて言ってない)。

 しかし、世の中100%上手くいくなんてことは絶対にないから、1%でも気に入らないことがあると裏切られた、ダマされたと言って罪なき相手を一方的に悪者に仕立ててしまう。そして勝手に不信感を抱いて、心を閉ざす。まあ、まともな人間関係を作れない子供おじさんタイプだ。

 そしてこのタイプの矛先が政府に向くことはよくある。政府は国民の面倒を見るためにあると勝手に決めつけているから、自分の代わりに尻を拭いてくれないとへそを曲げる。でも、いい大人だから代わりに尻を拭くれるなんてことはないので、自分の言うことを聞かない政府に対しても身勝手な反感を持っている。

 こういうタイプはどうしようもない。




2025年10月17日金曜日

生きづらいという人は、問題の細分化が苦手

 ここのところ「生きづらい」という言葉が一般化してきている。特に、精神障害、発達障害、貧困、引きこもり、素行不良、家出、依存、機能不全家族、孤立など、社会の暗部とされている人たちの間で頻繁に使われている。こういった人たちは、結構問題が重複していることが多く、共通点も多く見られる。

 その本人たちの共通点はいくつかあると思うが、その中で一つ挙げられるのが、

問題の細分化が苦手

というのがある。本当は複数の問題が重複していたり、別々の問題が同時発生していたりするのが理解できておらず、漠然と一つの大きな問題として誤認してしまうことが多い。あとよくあるのが、複数のタスクを一度にやろうとしてキャパオーバーになって潰れるとか。どうも、細かく見るという視点そのものが欠落しているのだ。

 原因を探る時にもワンパターンで社会のせいとか、政治のせいなどという大きな括りで片付けてしまう人が多く、具体的なところまで探れている人を見たことがない。


 生きづらい人はイメージ先行が多い


 生きづらいという人の反応やコメントなんかを見ていると、先入観や印象といった漠然としたイメージで捉える人が多いように思う。ただイメージはあくまで感想でしかなく、ボヤッとしたものでしかないから掴みどころがない。我々は現実世界に生きており、現実は具体で成り立っているから、具体的でないと判断や実行ができない。ボヤッとしたままでは何をしていいかわからないからだ。

 この具体化をするために細分化が必要である。


 細分化しないとタスクが大きすぎて難易度を下げられない


 それに生きづらいという人は、世界を180度一斉に変えようとか、いきなりダイレクトにゴールしようとか、欲しいもの全部一度に手に入れようとかしたがるが、それは土台不可能で案の定失敗する。なぜなら、タスクがあまりに大きすぎて自分のキャパを越えているからだ。

 これを自分はキャパが小さく弱いからだと思い込んでいるがとんだ勘違いで、本当はタスクが大きいまま立ち向かうからだ。そんなのは誰がやっても無理に決まっているのに。それは例えば小学生が東京大学を受験するようなものだ。当然落ちるに決まっているのに、それを社会が悪い仕組みが悪いとほざくので質が悪い。

 こういう大きいことは、細分化して一つ当たりの難易度を下げないと一向に実現しない。東京大学の例で言うなら、小学校→中学校→高校と学年順に細かく段階を踏んでいかないと、学習を積み上げられないので永遠に合格できない。

 細分化して難易度を下げないと、一向にできるようにはならないのだ。


 細分化しないと解像度が低くて、何も見えてこない


 それとビジョンという点においても、細分化は必須のスキルである。先ほども言った通り、どうしても生きづらいという人はボヤッとした印象で物事を語りがちだ。それはまるでモザイク処理の入った映像のようで、ハッキリとしていない。そのため現実味が薄く、リアリティが乏しいゆえに、絵に描いた餅になりやすい。

 しかし、解決しない限り悩みは終わらないわけで、そのためには問題をはっきりさせる必要がある。つまり解像度を上げるということ。解像度を上げるためにはドットを小さくしなければならないので、ここでも細分化が必須スキルである。

 ビジョンをクリアにさせるのにも、細分化が欠かせない。

 細分化はハードルを下げる必須スキル


 このことから、細分化は生きること問題を乗り越えることの難易度や解像度を上げるために欠かせないスキルである。ちまちましたことは面倒でしゃらくさいという人もいようが、それを言ってるうちは一歩も前に進めない。

 しかし、ちまちましていようが小さかろうが難易度が低いほうが踏み出しやすいし、失敗もしにくく成功を積み上げられるから、結果として前に進んでいける。そのために、細分化することを一つの手段として用いるのが得策である。




2025年10月14日火曜日

貧富も学力も精神も、若い内の仕込みで決まる

 どんな世界に行っても格差や成否がある。生まれたばかりの赤ん坊の頃はみんな真っ裸で何も持っていない状態なのに、時がたつにつれて明暗が生じてくる。そこそこ裕福な家に生まれたにもかかわらず親のすねをかじり続けて没落しニートになる者がいれば、低所得層であったにもかかわらず試行錯誤の末に飛躍して富を築く者もいる。そうかといえば、貧困家庭に生まれてそのまま親と同じ運命をたどった者もいれば、エリートの両親に支えられて自身も高い地位に就く者もいる。

 どんな人間も裸一貫からスタートしているにもかかわらず、どうして明暗が分かれてしまうのだろうか?


 後悔先に立たず


 昔からある格言として、「後悔先に立たず」というのがある。何か失敗をして不利益を被ったり、あらかじめやっておけば良かったのにやらずに万事休すになったりしないように、教訓として言われるのがこの言葉である。後悔は失敗をした後にしか起こらないから、そうならないために前もって考えろ、対策しろというわけだ。

 このことからいい結果も悪い結果も、それまでにしてきた自分の行いがもたらしたものだということになる。


 これまでの日々の積み重ねが結果をもたらす


 例えば子供の学力なんかはよく親の年収で決まるなどと言われるが、いくら親の年収が高くても子供自身が勉強に打ち込まなければ落ちこぼれにしかならない。スポーツ選手になりたいと思っても、練習をしなければ補欠にすらなれない。収入だってそうで、高収入のポジションへ行くにはそれにふさわしいスキルを磨かなくてはならない。どんなことでも、全く労力なしに手に入るものなどないのだ。

 しかもその多くは、若い内にしたことが巡り巡って結果に反映されている。


 アクシデントが起こった時も結果に差が出る


 そうなると、いかに若い内に準備していたかがその後の結果を左右するかわかるだろう。しかも、体力や頭脳を考えると最もタフなのは30才前半くらいまでで、それ以降は徐々に衰えていくから、それまでの期間にどれだけのことができるかがその後の結果に大きな影響を与える。

 もちろん人生の途中で挫折を経験することもあろうが、若い内から取り組んできた人はアドバンテージがあるからリカバリーできて、立ち直ることもできる。しかし、何もしてこなかった人は手の打ちようがないから、没落するしかなくなる。


 やらない・先延ばしは失敗の元


 だからやらない、もしくはその内やるという考えは命取りである。林修先生ではないが、「いつやるの?今でしょ!」は正にそうで、若い内から仕込んでおかないと望む生活は手に入らない。勉強にしても、スポーツにしても、お金にしても、どれをとってもかけた時間がものをいう。そしてそれが一番効果的で効率のいい時期が若い時なのだ。

 明るい未来を見たいなら、若い内に様々なことに取り組んで種を蒔いておくことが肝要である。




2025年10月7日火曜日

【祝】 流動資産、大台の1000万円達成!

 遂についに、私の流動資産の総額が大台の

 1000万円💴

を達成しました!🎊

 時間はそれなりにかかりましたが、ついにこの日がやってきました。

 本格的に投資を始めてから、転職も何度か経験し、給与収入も減ったこともありました。コロナやインフルエンザにかかって、数日間自宅待機した時も何度かありました。

 しかし、トランプ大統領就任による株価高騰を経て、トランプ関税ショックによる株価下落で安く買い増しすることに成功し、順調に資産増加しました。そして今回、高市早苗氏の自民党総裁当選にともなって株価と金先物価格高騰があって、また一気に上昇。ついに大台突破となりました。

 裸一貫で挑戦しましたが、なんとか成功しました。

 これに当たって日本の偉人の和歌を思い出したので、ご紹介します。


なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり」
米沢藩主 上杉鷹山

なせばなる なさねばならぬ なる業を ならぬと捨つる 人のはかなさ」
甲斐国守護 武田信玄


 いずれも偉業を成し遂げた名門君主として有名ですが、二人とも言いたいのは、「何かを成し遂げようと思ったら、踏み出さないことには始まらないし、たどり着けない」ということです。とりあえず、言い訳はいいから始めなさいと。まさにこれに尽きるなと思います。

 そして、この富をもたらしてくれた方々と神仏に感謝申し上げます。

9割の買い物は不要なのか?

 かつてヒットした本に、「9割の買い物は不要である」というものがある。なかなか意外性を持たせつつも、現代人の消費行動を断罪するかのような強いインパクトを持ったタイトルだ。一方で非常に興味深く、お金の使い方を改めるきっかけとなりそうで、意義深さを匂わせるところもある。

 そこで、この「9割の買い物は不要」というテーマをもとに、お金の使い方についてどう考えたらいいのか、いかに資金や貯蓄、老後の生活費をまかなうことにつなげるのか、掘り下げていく。


本当にそんなに不要な買い物はあるのだろうか?


 本のタイトルにある9割という数字についてだが、恐らくは著者による誇張であろうとは思う。正直、家計アドバイザーやファイナンシャルプランナーが集計して選別したとしても、そこまで無駄を見つけるのは至難の業だし、ミニマリストでもそこまで無駄を省けるとは到底思えない。なので、真意はそこでなないだろう。 むしろ著者が言いたいことは、それくらいの感覚で意外と自分では気づかないほど無駄使いをしているということではないだろうか。

 実際、これだけスマホが普及しているのに、未だに実家に家電があるという家庭はないだろうか?我が実家もかつてそうで、無駄だし、耳が遠くて着信に気付かないんだから解約すればと言って撤去した(しかも、FAX付だった)。

 私自身は神社仏閣へ行くのが趣味なのだが、その際にご当地御守を買うのを楽しみにしていたのを止めた(単純にかさ張るからというのもあった)し、趣味系の雑誌やムックも今となっては全く買っていない。

 もっと生活に密着したものだと、お掃除シートなんかはトイレ用とキッチン用の2種類しか買わない。特にキッチン用は何にでも使うので(電子レンジも洗面台もテーブルもこれで済ます)、他のシートを買わない。

 市販品の基礎化粧品なんかは薬事法で医薬部外品に分類されている関係上、効能が規制されているから実はどれも効果に差異がなく、オールインワンか最も安いもの以外はお金の無駄でしかない。なので、コストパフォーマンスで選ぶのが正解なのだ。(日焼け止めだけは効果のレベルに違いがある)

 ギャンブルやお酒、タバコなんかは言うまでもないが、そうでなくても結構日常生活の中にも気付かない無駄にあふれていいるのがわかるだろう。実は人間は気づかないところで多くの無駄使いをしてしまっているのだ。それの比喩として、9割の買い物は不要と言っているのだろう。


なぜ不要な買い物を防げないのか?


 人間は自分の失敗を正当化して見ぬふりをする


 まず問題点から見ていき、改善すべきポイントを洗い出す。

 人間というものは、なかなか自分の汚点を直視できないものだ。自分のメンタルを守るために防衛機制が働くためだ。なので、自分の失敗や不手際を認めることがなかなかできない。その結果、無駄使いや衝動買いといった失敗にも防衛機制が働き、失敗ではない、必要なものだと強引に正当化して思い込もうとしてしまう。これが無駄使いを直視できず、出費が増え続けてしまう理由だ。


 人間はトータルを把握するのが苦手


 もう一つ人間が忘れがちな点としては、トータルの把握だ。個別の出費は体験を経ているので覚えているが、それが全体でどれくらいあるのかは計算してみないと可視化できないので想像できない。

 しかも、人間はストレスや後悔などのネガティブな感情によって落ち込むのを防ぐために正常性バイアスを働かせるので、暗算だと合計額を小さく見積もってしまう。これでは事の重大さにつまで経っても気づくことができず、無駄な出費を認識できないからお金の垂れ流しが止まらなくなる。


 全て思い通りにしたい→ストレス過多→浪費で発散のルーティン


 さらに、これは買い物依存レベルにまでおちいっている人に多いパターンだが、この世の全てを自分の思い通りでないと気が済まない、都合通りいかないと許せないというネガティブな完璧主義を持っている人は、無駄使いを加速させてしまう。

 この世の中は思い通りにいかないことは日常的にあるもので(その中には自分の生活に影響しないものも山ほどあるが)、自分の思いと違ったというだけで許せないと単純に感情だけで憤ってしまう人がいる。こういう人は否が応にもストレスが溜まりやすい。しかも本当は自分でストレスの種を生んでいるにもかかわらず、周りの人が悪い環境が悪いといつもの他責思考のルーティンに入るから、さらに対人関係を悪化させて自分でストレスを増やしてしまう。

 そうなると、自分を止められなくなるので、衝動的に金遣いが荒くなってしまい散在してしまう。しかも、自分のストレス発散の手段になっているから生活必需という認識になってしまっていて、ルーティン化してしまっている。





不要な買い物を防ぐには?


 では、このステルス無駄使いともいうべき出費を防ぐためにはどうしたらいいのだろうか。具体的な手段なども含めて例を挙げていく。


 ちゃんと失敗を認めて、ちゃんと後悔する


 まず必要なのが、ちゃんと失敗を認める勇気を持つことと、もう一つが後悔をちゃんとするということ。

 人間の意識を自分で変えるのは至難の業なので、ちょっとやそっとのことでは変わらない。むしろ、ストレス回避をするために正当化しようと脳が仕向けてくるので、これに惑わされないようにしないとまた同じ失敗の繰り返しになる。そこで重要になるのが、ちゃんと後悔するということなのだ。

 ここでしっかりと後悔することによって、同じ失敗を繰り返すことが損であるという刷り込みをするのだ。人間は成功よりも失敗のほうが、命の危険に関わるので忘れにくいし、大きく見積もる習性がある。これを逆手にとって後悔を心底することによって、同じ失敗は命取りであると脳に認識させ、危機意識を植え付けるのだ。


 帳簿をつける


 これは全体把握、トータルの意識を持たせるためのツールだ。トータルというのは計算しないとわからないし、頭の中ではどうしても小さく見積もる癖があるがゆえに自己認識は必ず間違っているので、決して自分を信じてはならない。

 自分に嘘をつかないために必須のアイテムが、「帳簿」なのだ。私も日々のお金の動きや資産の増減など、いくつかの金額を帳簿につけて管理している。だから、ちゃんと実際の金額を把握でき、いち早く正確にタイミングや限度などを量ることができているので、間違いが起きなくなっている。


 自分も不完全なのだから、他人に完璧を求めない


 人生上手くいかない、生きづらいという人ほど他人に完璧を求める。しかし、人間完璧にできる人はいないので、それは絶対に叶わない。にもかかわらず、そこに固執すると当然対人トラブルになり、自分はクレーマーに成り下がってしまう。結果、余計なトラブルを抱え、よりストレスを増大させることになる。そうおなると、人間はストレス発散のためにより衝動的な行動に出やすくなり、散財のリスクを負う。

 そもそも、他人に完璧を求める以前に自分が完璧ではないのだから、人のことは言えないという意識がないのも問題である(要は自分のことを棚に上げている)。

 それに、技術がない、まだ未解明、お金がない、時間が合わないなど、自分の都合通りにいかないのは自然なことである。むしろ、自分の思い通りになるなんてのは相当確率が低く、奇跡でしかない。これがわかっていれば、思い通りにならなくても何らおかしいことと思わなくなるので、ストレスやトラブルを減らせるし、その分発散やうっぷん晴らししなくてよくなる。


 お金をかけなくてもできることを探す


 とはいえ、ストレスが全くかからないというのも無理があるので、たまに発散する必要があるだろう。そんな時にこれまでと同じ方法に頼っていたら、元の木阿弥である。

 なので、発散方法も変える必要があろう。散歩やジョギングなんかは体も動かすので健康に良いし、そこからさらに体力がついて一人でできる歩き仕事なんかに転職すれば、経費削減どころか収入を得ながらストレス発散ができる。

 他にも家庭菜園なんかだと、野菜や果物が得られるのでお得だ。


本質的に大事なのは自分をカスタムすること


 ただ、何においても言えるのは、自分を変えること。カスタマイズすることが重要である。これをしないことには始まらないからだ。人生は困難の連続ではあるものの、人間には工夫することで乗り切ってきた歴史があるので、それをしさえすればほとんどのことは対処できてしまう。

 反対に何も変えない内は何も変化が起きないから、いつまで経っても不本意のままなのでお金は増えない。時代が変わっても、変え続けられたものだけが未来を手にするのだ。




結局、学歴以外に文字化・数値化できるものがまず無い

 左翼のよく言う主張の一つに、「学歴採用反対」というのがある。左翼からしたら、それは格差社会につながるから良くないという考えだ。Fラン大卒とか高卒、中卒とかが割を食うのが許せないと感じるようだ。


 自分の頭の中は相手には見えないのがわからない左翼


 じゃあ、学歴の代わりに何で評価するのかと問うと、決まって能力とか適性とか、ボヤッとした回答しか返ってこない。実際には、能力や適性なものなんて目に見えないし、初対面の人のことなんて何の知識もないからわからんというのが、面接官の本音だろう。

 どうも、人は他人の頭の中を見ることができないという極々当たり前のことを、左翼の連中は理解できないようだ。というのも、左翼の中には自閉的な特性を持っているものが多く、自他の区別や境界、視点の違いがわからない傾向にある。そのため、自分の頭の中は他人にも見えると本気で思っている人が普通にいるのだ。

 しかし、能力や得意というのは数値化できないのでそれ単体で主張されても、どれほどのものかは他人からはわからない。加えて、口では何とでも言えるので、それだけでは主観でしかなく、話半分で聞くしかない。せめて、比較対象がないと客観的に評価しずらいのだが、先の通り物事の違いがわからない連中なので、主観と客観の違いも理解できていないから、主観的な自己主張に終始して、相手がわかってくれないと他責する。


 結局、学歴などの肩書きにしか目に見える評価基準を作れない


 このように自分の頭の中は他人からは見えないし、しばらく付き合ってみないとわからないようなことを一度会っただけで見抜くのは神様ではない人間には不可能なので、面接で能力や適性を判断するのは誰にもできない。

 なので、面接時点で判明していて視覚化できるものは、結局学歴や資格くらいしかない。採用枠があるから全員を採用するわけにもいかないので、学歴でふるいに落とすしか方法がない。まして新卒学生となると職歴もないから、余計に学歴以外に他人によって証明されたものがない。

 人間は神様のようにはなれない以上、学歴でしか判断せざるをえないのだ。




2025年10月4日土曜日

人間は誰しも怠惰なので、やる気の問題ではない

 弱者を標榜する人の中で、障害や境界知能、生活困窮者などを理由にやる気が湧かない、行動できないという人をよく見るようになった。それどころかやれないのは当たり前、やる気がないのは当然と、開き直っている人も多い。でも、欲だけはあるのでそれを叶えるために他人に丸投げすることになり、対人トラブルを招く。

 しかし、彼らは大きな認識違いを二つ犯している。


 怠惰でない人なんていない


 意欲が湧かないという人は、一般的な人は意欲があって行動力があると思っている。しかし、これは間違いだ。なぜなら、サボったことが全くない人なんていないからだ。それにどんな人も怠ける誘惑に駆られることは数えきれないほどある。それは東大生でも一緒で、学習塾で東大合格者にアンケートを取ると、決まって自分は怠惰で面倒くさがりだと答えるという。

 このことから、どんなに有能な人間でも怠惰なところを持ち合わせているので、自分だけではないのだ。


 最初からやる気のある人もいない


 実は近年の心理学研究から、最初からやる気を持てる人はほとんどいないという。多くはやっている過程で現状維持バイアスが働き、それがやる気に転化しているのだとのことだ。

 ということは、一般的には「やる気→行動」と考えられているが、実際には「行動→やる気」の順番で働くということだ。なので、何事もやらないことには始まらず、継続にもつながらないのだ。


 自分が動かないのは、やる気の問題ではない


 ということは、やる気のあるように見える人も、本当は始めやる気がないところからスタートしている。やる気がないのは皆同じなのだ。だから、やる気がないのは理由にならない。

 むしろ、最初からやる気に頼っていると一向に実行に移せないので、人生が停滞してしまう。なので、何も理由をつけず、まずは一つだけやるというのが正解なのだ。それが次第に現状維持バイアスが働いて継続し、結果として気づいたら根気につながる。まずは第一歩だけを踏み出すことが、人生を前進させる秘訣だ。




2025年10月1日水曜日

貯蓄を増やすには収入アップより、出費の管理が重要

 ここ近年、日本人の平均貯蓄額が下がっているという。その一方で、平均貯蓄額1億円以上を意味する富裕層の人数も増えている。この両者の差異は、何によって発生したのだろうか?考え方の違いはあるのだろうか?


 収入が上がっても、大抵貯蓄ができない


 多くの庶民は、貯蓄が少ないのは収入の低さをその原因に挙げるが、実は収入が上がっても大抵の場合貯蓄は増えない。収入が増えることによって余剰金が発生するんだから貯蓄ができるはずという風に多くの人は考えるが、実際にはそうはならないのが現実なのだ。というのも、多くの人は収入が上がると大きな過ちを犯すことを理解していないのだ。それは、

 生活水準を上げてしまう

のだ。生活水準を変えなければ確かに貯蓄ができるのだが、多くの人は収入が増えると気が大きくなって生活水準を上げてしまう。その結果、出費が増えて余剰金を作れず、貯蓄ができないのだ。





 収入が高くても、貯蓄がない人もいる


 実際世の中には、収入が高くても宵越しの金は持たないかのごとく、貯蓄がないという人もいる。せっかく入ってきたお金を全て使い切ってしまい、貯められないのだ。このようなお金の使い方では一向に貯蓄ができず、年老いて体が動かず働けなくなった時に、一気に貧困になってしまう。

 このことから収入額の問題ではないことがわかる。


 出費をコントロールしないことには貯蓄できない


 このことから、貯蓄をするには収入を増やす前に、出費をコントロールして生活水準を抑えない限り不可能である。せっかく収入があっても、ギャンブルやお酒に使っていたらお金は増えないし、ボーナスや臨時収入が入ったとばかりに贅沢をして使い切ってしまっても、お金は貯まらない。

 お金は稼ぐのではなく、コントロールすること。この管理能力の有無こそが、貧富の差を作ると心得ることだ。