やったことに応じて得や報いが降りかかる
世の中にはいろいろな人がいるもので、幅広い知見と深い考察を持って、時には急がば回れに従い着実に何かを成し遂げる立派な人もいます。その一方で、いつも浅はかな考えをして周囲に迷惑をかけたり、安易な行動に出たせいで罰が当たったりして、多くのものを失ってばかりいる人もいます。この違いを考えます。 人は多くの誘惑にさらされている 同じゴールを目指すのであっても、いろいろな道や手段があるものです。一つは確実な道。王道とかセオリーとかと言われるものがこれにあたる。この確実な道というのは、なだらかで舗装されているから無難ではあるが、得てして遠回りになる事が多い。そのため、ゴールが遥か先にあると感じられてしまう。 ここで人間の浅はかさが見えてしまう。そう、安易な裏道がないか探してしまうのだ。そして、大概いくつかの裏道を発見するもので、その 「誘惑」 にさらされることになる。 目先の利益と遠くの利益 さらにもう一つ困った問題がある。人間は遠くの利益よりも、 目先の利益のほうが大きく見えてしまう という現象だ。先のことになればなるほど確実に手に入る保証がないと、捉えがちになる。そのため、目先の利益のほうが大きく確実と思ってしまうのだ。 これは海外の先行研究で有名になったので、知っている人も多いだろう。 だがその利益は、人間の習性によって作られた虚像を含んでいる。実際はもっと小さい。 しかし人間は欲深いものでそのことに気づかず、どうしても安易なほうに傾いてしまいがちになる。これがさらなる誘惑となってしまうのだ。 裏道は本当に利益なのか 裏道が安易だとしても、ゴールしさえすればいいではないかと言う人もいる。ならば問おう。陸上競技のマラソンで裏道を通ったとしても、ゴールしたと認められるだろうか?間違いなく「NO」だ。それは ルールで決められている 42.195kmに、走行距離が足らないからだ。さらに同じルートを通るのは、不公平を無くし、選手間での争いが起きないようにするためであるが、これにも違反しているからだ。 このマラソンの例でもわかる通り、 安易な手段をとると争いを招く 。さらに仮に一番先にゴールしたとしても正式なものとは認められないから、メダルや賞状はもらえない。それどころか 信用を失って 出場停止処分や資格はく奪となり、排除されることになるだろう。 結局、裏道を通って表面上ゴールしたと