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2026年2月3日火曜日

結果を出す右派政権

 ここのところ右派が政権をとる国が増えてきている。例えば、先のポーランド大統領選挙では、そもそも立候補者7人中5人が右派で、当選したのが右派のナヴロツキ氏だった。その結果、EUの方針から一線を画し保守的な政策を展開し、移民受け入れ拒否を敢行。移民問題で西欧諸国が荒廃する中、平穏を手にしている。

 ハンガリーは結構前から右派のオルバン氏が首相を長く勤めているが、最近は汚職などの問題で人気が低迷。しかし、急浮上した新興勢力「ティサ(尊重と自由)」も保守系政党で、どちらが政権をとっても右派なのは変わらないだろう。

 そして有名どころとしては、アメリカのトランプ大統領だろう。引退を決めたバイデン大統領の後継候補として左派のハリス氏と争い、マスコミの下馬評を覆してトランプ氏が当選し政権を奪還した。

 こういった右派への傾倒の中でここ最近注目を集めているのが、イタリアのメローニ首相とアルゼンチンのミレイ大統領だろう。


 メローニ首相によるイタリアの再建


 メローニ首相だが、イタリア初の女性首相で右派政党「イタリアの同胞」の党首も務めている。年齢は現在49歳とまだ若い。支持率も高く、国民からの人気を集めている。

 肝心の実績だが、まず財政赤字の改善により、フィッチやムーディーズなどの格付け会社で1段階引き上げを成し遂げた。イタリアにとって財政問題は長年の懸案で、EUにも大きな影響を及ぼしかねない問題だっただけに、これが改善され格付け会社からの評価も得たのは大きい。

 他には若年層の失業率の大幅低下も挙げられる。これにより国民生活の安定につながるし、失業率は治安にも関係するので、改善したのは素晴らしい。しかもこれに関連して、GDP成長率も前政権であるドラギ政権を上回ると予想されており、経済面でも成果を上げている。

 その他にも不法移民対策として移民船の受け入れを拒否し、EUに規制強化させた。

 これらの実績から3年以上政権の座についており、第2次大戦後イタリアで5番目に長い長期政権を実現している。




 アルゼンチンを立て直すミレイ大統領


 もう一人、今見逃せないのがアルゼンチンの大統領であるミレイ氏だ。リバタリアン(個人と経済双方の自由を求める)を自称する人物で、「アルゼンチンのトランプ」とも言われている。元々は経済学の教授で、21年以上にわたり研究を重ね、50以上もの論文を書くなど、経済にめっぽう強い人物と言える。

 そんなミレイ大統領の実績はまず、省庁官庁を半減、公務員7000人削減令の公布、未着手の公共事業の停止などの公的経費の削減がある。数々の分野で削減や停止を行った結果、余剰資金を作ったのは大きい。前政権のペロン主義に基づくバラマキ政策から、脱却を図ったわけだ。

 さらにミレイ大統領は、ここで生まれた余剰資金を児童手当の倍増や学用品の購入、私立学校の授業料支援に回した。つまり未来を背負う子供たちのために使ったのだ。これは未来への投資であり、多くの子育て世代は助かることだろう。

 他に、失業率の半減などの成果も上げており、ミレイ大統領の支持率は高いどころか、うなぎ登りだそうだ。


 現実主義と成果主義が右派の強み


 では、なぜ右派はこんなにも実行力があり、実績を作れるのだろうか?その根底に現実主義と成果主義があるからだろう。

 どんなに理想的な目標や玉虫色の政策を掲げても、実現できなければ意味がない。そんな理想論など現実世界では通用しないと、右派は割り切っている。全ての人が100%満足するものなどないし、改革するには必ずどこかにしわ寄せや痛みが生じることを承知している。それでも実行しなければ成果は出ないから、理想を捨て現実に見合った政策を断行する。この決断ができるから、成果を出せるのだ。

 結局、政治は実行しなければ始まらないし、継続できなければ意味がない。そういう厳しい決断をできるのは、右派だけだ。ここ最近右派が政権をとる国が増えているだけに、変化が楽しみだ。




2026年1月30日金曜日

メンタル安定の秘訣は趣味 <生きがいがあると時間を消費し、悩む暇がなくなる>

 日本の人口が減っているにもかかわらず、精神障害を持つ人が年々増えている。その理由に、職場環境の悪化や仕事の高度化、人員不足やカスハラに伴う負担増などが主に挙げられている。

 が、よくよく考えると人口減による潜在的な障害者の減少や精神障害から回復する人もいるわけで、それだけでは増加には転じない。ということは、実際のところ回復せず何年も患ったままの人がどんどん蓄積しているということではなかろうか?

 となると、精神科病院の効果を疑問視せざるをえない。正直なところ薬剤で症状の低減をすることはできても、根治に関しては有効な手を打てていないのではないかと思われる。実際、精神障害はほとんどが未解明で、それぞれの障害の存在すらも立証できていないので、科学的には何もしようがないというのが本当のところではないだろうか?

 とはいえそんなことをツッコんだところで障害が良くなるわけではないし、根治ではないかもしれないが、もっと実用的な手を提案してみたいと思う。


 精神障害=脳の過活動=長い余暇


 そもそも精神障害というのは、科学的には脳の過活動から来ると考えられている。つまり、脳を使っている時間や負荷が大きいことに由来する。脳も臓器のひとつなので、オーバーワークすれば当然キャパオーバーになる。そうなるとパソコンと一緒で、強制シャットダウンやフリーズ、誤作動を起こし、障害という形で人間は表出する。

 特に現代、中でも日本人はスマホの依存率が高く、加えてSNSへのネガティブな投稿が多いという統計結果が出ているため、過活動やストレス増になりやすい環境が整っているといえる。しかも精神障害者はSNS依存度が高い傾向にあるため、健常者よりもより脳への負担を自分で増やしている。それでは良くなるものも一向に良くなるわけがない。


 過活動の時間を減らす動機が必要


 そもそもなぜSNS依存度が高いかというと、他に楽しみがないというのが共通する理由として挙げられている。特にスマホは端末が小さいため、手軽に触れアクセスできるという利点があり、そこに流されやすくなってしまうのだ。

 だが、いつまでも過活動の状態を続けていては精神は改善しない。だから、こういう過活動の時間を減らす、もしくは逸らす手立てが必要だ。そのためには、何か他にことに気を向けさせる動機があればいい。


 趣味こそ最強


 そこで効果的なのは「趣味」だ。趣味があるとそこに没頭するので他のことへ目が向かなくなるし、時間も消費するので余計なことに脳を使う時間を削減できる。これによって脳の過活動の時間を無くすことができるので脳の負荷や疲労も低下し、結果メンタルが改善する。

 しかも趣味は興味・好奇心を動機とするのでフットワークを軽くするし、我慢することなく継続できるのも良い点である。加えて継続することで深めることもできるので、一芸に秀でるようになる。そうなると新たな実りも得られる可能性が出てくる。

 「趣味」は最強の特効薬だ!




2026年1月27日火曜日

エリート層と最下層では、思い描いているいい人像が違う

 人間誰しもいい人と付き合いたいと思うものだ。友達にしても、パートナーにしても、福祉にしても、皆なにがしかの基準をもって、いい人かどうか判断しているものだ。

 しかしここ最近、両者の考えに触れることによってエリート層と最下層では求めているいい人像が違うことに気がついた。それによって齟齬や対立、いがみ合いが発生しており、社会に悪影響を及ぼしていることも見えてきた。

 そこで、今回は両者の思い描くいい人像を見ていき、そこから起こる問題について深掘りしていく。


 最下層のいういい人


 まず最下層についてだが、学力、貧富、精神障害の有無など、ここでは総合していうものとする。大体問題が共通していたり、並存していたりするためだ。

 で、最下層のいういい人像だが、わかりやすく端的にいうと

 「自分の代わりに、何でもやってくれる人」

だ。最下層というのは、とにかく自分の能力に対してコンプレックスを強く持っている。実際にできないとされている物事も少なくないし、彼らからすると生死にかかわると思っているため、それを代わりにやってくれる人物を好みがちだ。

 加えて固定マインドを持っている人が多い傾向があるので、自身の能力は伸びない、育たない、面倒と思っており、自分の成長、学習、進歩に対して否定的である。それだけに自分は永遠に弱者であると位置づけており、助けてもらわないと生きていけないという思いが強い。

 そしてその思いが「弱者は助けるもの」という世間一般の通念と結び付き、自分は助けてもらう側という思考に転化し、他者に対して非常に依存性が強くなって、何でもやってくれる人をいい人と考えるようになる。



 エリート層のいういい人


 反対にエリート層はどうだろうか?エリート層の場合、経験も豊富で難しいことにも挑んでいることもあって、かなり達観したものの見方をする人が多い。それゆえ、本質や先々を視野に入れているので、学びになる人や相互関係を作れる人をいい人と考える。言い換えると、

 「生きる術を教えてくれる人」

である。エリート層は、自分のことは自分でやらなくてはならないという考えの人が多い。なぜなら、助けてもらってばかりだと相手の堪忍袋の緒が切れることを知っているし、お金に関しても限りがありタダより高い物はないことを悟っているので、いつかは自分で工面しなくてはならないと覚悟している。

 そのため、今もらえるものよりも長年使える術に価値を見出す人が多い。何でもやってもらって生きる術が身につかずに困るよりも、術を身につけて自分でできるようにして困らない生き方を選ぼうとする。だから、その生きる術を教えてくれる人こそ真のいい人と判断するのだ。


 いい人の判断基準が運命を決めている?


 裏を返せば、この判断基準の差が人生の末路を決めているというふうにも言える。エリート層はその人選のお陰でよい学びができて、人生を豊かなものにしていると言えるし、最下層はその人選のせいで自ら自分の人生の可能性をつぶしてしまって、自滅しているとも言えるだろう。

 だからこそ誰の助けを借りるか、その選択は重要で間違えてはならない。いい人選びには長期的な視点が重要である。




2026年1月23日金曜日

投資で上手くいかない人・10選

 老後の生活や貧困に対する不安から、投資や資産運用を始める人が少しずつ増えている。年を取ったら中々体も言うことを効かなくなって働けなくなるし、年金だけでは老後の生活はまかなえないし、終身雇用が崩壊している現在いつ収入が断たれてもおかしくないしで、心配事は尽きない。その点で賢明な選択と言える。

 しかし、残念ながら投資で資産を増やせている人は多くはない。果敢にチャレンジしたものの上手くいかずに手を引く人が多くいる。ただ、上手くいかないのは大抵決まったパターンがあるものだ。そこで、ここではどういう人が上手くいかないのか、そのパターンや傾向を紹介する。


 ①感情的な人


 まず投資で重要なのが、自分の感情のコントロールだ。株式にしても金先物にしても相場による価格変動があるため、下落時に動揺しやすい。それゆえに損切りをしやすく、損失を確定してしまうことが多い。

 特に感情的な人はこの動揺や不安感が増幅しやすく、耐性も低いため、耐えられずに損切りする可能性が高くなりやすい。反対に買い注文においても価格下落が怖くて手を出せないというのもあり得る。

 投資はお金を扱うものではあるものの、実際にはメンタルを一定に保ち冷静でいられるかが問われるので、メンタルの勝負と言える。だから派手に一喜一憂する傾向を持っている人は、日々の値動きに振り回されるので、失敗しやすいだろう。


 ②自分の感覚を優先する人


 感情と被る部分があるが、自分の感覚を基に決断する人も失敗しやすい。先人が積み上げたノウハウや論理的に解き明かした選択肢があったとしても、それを信じ切れずに自分の感覚を優先してしまうから必然的に失敗する。投資は数字を取り扱う世界だから数字を基にして判断するのが確実なのだが、感覚優位の人はどんぶり勘定であるし、山勘に頼るのでどうしても外れる率も上がってしまう。

 しかもこのタイプは、杜撰な判断でも自分を疑わないから、自分のやり方が間違っていることを認めない。他人のアドバイスも素直に聞かないのもある。それゆえに方針転換を拒絶する性格を合わせ持つので、同じ失敗を重ねて散財する。


 ③自己否定が強い人


 自分のことを無能だと思っていたり、どうせ自分にはわからないと判断してしまう人も良くない。こういう人は決断が遅れたり、優柔不断で決められなかったりするからだ。学習意欲も少なくて事前に知っていなくてはならないことも知らなくて、闇雲な判断や危険な判断も気付かずにしてしまうリスクも持っている。結局何に対しても消極的になり、現状に留まって身動きが取れなくなる。

 そもそもこのタイプは、自己が確立していないために他人に評価を依存しており、周囲の言動に振り回される。そのために周りの一挙手一投足よって判断がブレてしまい、自信を持てずに上手くいかなくなってあきらめてしまう。


 ④どんぶり勘定の人


 投資において重要なのは、「管理」である。メンタル、出費、時間、欲など、どれだけ管理し余裕を持たせたかが資産となって返ってくる世界である。そのため自己管理ができない人はお金を貯められず、投資に回す資金も作れないため、最初から上手くいかない。

 特に投資は百戦錬磨の猛者たちを向こうに回して利益を得なければならないため、こちらもそれ相応のことやらないと難しい。戦略を考えたり、計画的に行動したりする力が必要だ。どんぶり勘定で自分のお金の全体像も把握していないと、チャンスが訪れても買付余力がないために機会喪失するし、散財もしかねない。

 さらにこういう人はリスクヘッジも考えないから、不用心で危機管理をしない。そのため、変化に対応できず損失を拡大しやすい。


 ⑤理屈がわからない人・方法論より答えを知りたがる人


 理屈がわからないのも、上手くいかない要素になる。というのも、失敗した原因を探したり、解決策を考案したり、相手の裏を読んだりするのに理屈が必要になるからだ。なので、理屈がわからないと原因究明ができなくて策を講じられないし、それ故同じ失敗を繰り返し損失が膨らむことになる。

 しかもこのタイプの人は、初めから理屈を排除しようとするので方法論には興味を示さず、答えだけを教えてもらおうとする。これではいつまで経ってもノウハウが身につかないので、上手くならない。だから、いつまでも他人に頼ってばかりになる。そうなれば相手はうざったくなるから縁や協力が断たれてしまう。




 ⑥探求心がない人


 決断の精度を上げるためには、日々の学習が不可欠である。その学習の原動力となるのが、探求心である。そのため、探求心がないと勉強しなくなるので、闇雲な決断をせざるをえなくなる。それは山勘に他ならず、余計な失敗、防げたはずの損失を招く。

 さらに探求心は知的好奇心でもあるので、継続力にもつながる。投資は時間をお金に変える側面があるため継続力が必要で、探求心がないと飽きて放棄する確率が高くなる。


 ⑦不確定要素を加味する人


 誤った判断をする原因の一つに、不確定要素の加味がある。担当者が優しく丁寧だったからとか、真面目でいい人そうだからという理由で決断する人がいるが、それは主観でしかないし、それと投資の成否は全く別の話である。

 占いを信じる人もそうだが、そうとは限らない要素や何とでも言える要素を加味してしまうと情報の精度が下がってしまうため、決断がブレたり間違ったりする要因になる。


 ⑧自分の責任をとれない人・人任せにする人


 経済専門ニュース番組でも再三言われていることだが、投資はあくまで自己責任が鉄則の世界である。自分で責任を負えない人は、痛い目を見る確率が上がってしまう。特に問題なのが人任せにするタイプだ。

 自分で資産管理をしないから他人にお金を預けることになり、そのまま持ち逃げされたり、詐欺の被害に遭ったりしてしまう。実際、お笑いコンビTKOの木本氏がこれをやってしまい、2度も被害に遭っている。自分で資産運用をやっていたらこんなことは起きないが、自分には投資はわからないからという理由で他人に丸投げしたせいで、まんまとお金を持ち逃げされたのだ。


 ⑨人の言うことを鵜呑みにする人・短絡的な人


 人の言うことを鵜呑みにする人も危険だ。なにせ他人の言いなりになるからだ。詐欺に引っかかりやすくなるし、金融機関の人から年利の悪い金融商品を売りつけられる可能性も出てくる。

 金融の世界はある意味魑魅魍魎でもあるので、素直すぎる人はカモにされやすい。一旦持ち帰って自分で調べて吟味するくらい慎重な人のほうが、失敗を防げるので結果として上手くいきやすい。


 ⑩面倒くさがりな人


 投資は計画性と根気が必要な世界である。情報の収集もある程度必要だし、失敗をカバーするためにリスクマネジメントも欠かせない。そのための手間はどうしても必要になるし、この業界に参入するにあたって最低限知っておかなくてはならないものもある。

 しかし面倒くさがる人はその手間や出費を惜しむ。その結果、基本を知らずに始めたり、リスクヘッジを取らなかったりして、墓穴を掘ることになりかねない。ある程度の面倒を許容する割り切りができないといけない。




2026年1月20日火曜日

数万円のために何カ月もかける生活保護受給者 大金を得るのに1アクションの富裕層

 今ニュースなどで生活保護費の減額の件で、受給者と行政の間でもめている。一応最高裁で結審して違憲判決が出たのだが、それでも行政側は減額分の満額支給を拒んでおり、更なる争いに発展しそうな状況である。

 私個人としては予算に限りがあるし、生活保護受給者が増加傾向にある中でこれ以上生活保護費がかさむと増税につながり、より国民生活を圧迫することになるので減額すべきだと思うが、今回はそこへの追求ではなく、別の面白い観点を見つけたので論じてみる。


 何カ月もかけて得るのが、たった数万円


 今回生活保護受給者は受給額をめぐって弁護士を雇い、交通費をかけ、何カ月にもわたって裁判を行った。それも一審だけでなく、二審、最終審まで、3ラウンドやった。そうなると結審するまで1ヵ月、2ヵ月では済まず、何カ月とか、場合によっては1年以上になるのかもしれない。

 ただ、それだけの経費と時間と労力をかけて得るのが月換算にして1、2万円ほどというのは、かなり割に合わないと思う。正直、効率が悪いし、採算も良くないし、時間をかけ過ぎだし、決して賢いとは言えない。それだったら別の手段を講じたほうが、余程お金を得られやすいし、もっと早く効率的に生活を豊かにできる。

 こういう経費計算ができていないところが生活保護を受ける遠因になるのだろうとも思うし、将来予測を立てられないところが判断を誤る原因なんだろうとも思う。こういう判断をしている限りお金はいつまでも入ってこないどころか、ただでさえ少ないお金がいろいろなところに使われてしまって常に金欠にならざるをえない。


 富裕層は大金を1アクションで得る


 その一方で富裕層はたった1アクションで大金を得てしまう。特に現代ではデジタル化されているので、自宅にいながら1クリックor1タップで大金を得ることができている。もちろんその前に何年、何十年もかけて仕込みをしているから膨大な時間を要しているといえばそうなのだが、労力自体はさほどかかっていない。明らかに富裕層のほうが圧倒的に効率良くお金を手にしている。

 こういうところにすかさず着目して手を出すところがさすがと言える。計算高いし、無駄を嫌う富裕層ならではの判断である。この判断の可否が、貧富の差を生んでいるのだろうと思われる。


 効率や採算ベースで判断できるか?


 生活保護受給者はこういう富裕層のことをズルいだことの、不公平だことの言うが、とんだ的外れである。富裕層の採っている手段は至って真っ当なものだし、何ならほとんどの人に開放されているものだからだ。つまりちゃんと機会の平等が与えられているフィールドで、富裕層はお金を得ている。よって富裕層への非難は嫉妬からくる逆恨みにしかならない。

 それはともかく、効率や採算を考えない判断は無駄を増やし、貧困をあえて自分から作り出す原因となる。その間違いを犯さないためにも、効率と採算は考えたいものだ。




2026年1月17日土曜日

精神科医は本当に疾患の真偽を見抜けるのか?(ローゼンハン実験)

 数ある診療科の中で、最もミステリアスな精神科。精神という一見ボヤッとしたものを扱うだけに、掴みどころがなく、半信半疑な人も多いことだろう。内科や外科と違って、ほぼ問診に頼らざるをえないところも疑念の目を向けられる要因となっている。

 実はこの疑念から、本当に精神科医は患者の精神疾患の真偽を見抜けるのか実験した人物がいる。それは、スタンフォード大学名誉教授のデイビッド・ローゼンハン(David L. Rosenhan、1929年11月22日 - 2012年2月6日)だ。彼は精神科医の診断が本当に正しいのか、健常者が偽装しても見抜けるのか疑問に思い、実際に実験を敢行したのだ。この実験は、1973年の科学雑誌サイエンスに掲載された。


 実験の内容


 では、ローゼンハンはどんな実験をしたのか?実は、2回に分けて別々の条件で行っていので、それぞれ見ていく。


 ①精神科医へ事前通告なしに、偽装した患者を送りこむ実験

 最初にやった実験は、女性3人男性5人(内、1人はローゼンハン本人)に幻聴があるふりを、複数の精神科医の前で訴え演技させるもの。精神科医にはそのことは一切知らせず黙って送り込んだ場合でも、ちゃんと偽者の患者と見抜けるのか実験した。ワシントンD.C.にあるセント・エリザベス病院などが対象。


 ②事前通告後、何人の偽装患者がいたか数を問う実験

 1回目の実験の後、不服を言ってきた精神科医からリベンジを申し込まれた。そこで今度は事前に偽装患者を送ることを伝えた後、その間に診察した患者の中に何人の偽装患者が含まれていたのかを問う実験をした。


 実験結果


 これらの実験によって、精神科医療を揺るがすかなり衝撃的で面白い結果が2つとも判明した。


 ①の実験

 まずは最初の実験だが、8人全員入院させられてしまった。つまり、100%の確率で精神疾患を患っていると誤診したのだ。幻聴がなくなったと訴えても平均19日間の入院を余儀なくされ、長い者では1ヶ月ほどにも及んだ。

 しかも退院するにあたって精神疾患(しかも8人中7人は統合失調症と誤診)を認めるよう条件が課され、抗精神薬を服用することを求められた。


 ②の実験

 後日行った実験で、事前通告してから新患193人の内、41人が偽装患者の可能性ありとの見方を示し、精神科医1名と職員1名によって19人が疑いありとして結論づけた。

 しかし実際には、ローゼンハンはただの1人も送り込んではおらず、またしても散々な結果に終わった。


 結論


 このことから精神科医も所詮人間であり、精神疾患など見抜けないということの証明になってしまった。もちろん一部の精神医学会からは反発もあり、疑似科学であるとの批判も出た。

 だがその後、2008年にBBCにて反証的な実験を行った。精神疾患の診断を受けたことのある人5人とそうでない人5人の計10人を用意。精神科の権威に精神疾患の診断を受けた5人を特定してもらう実験をしたところ、2人的中、3人誤診というまたしても散々な結果に終わった。

 結局、他人の頭の中をのぞけないし、医師も人間の端くれでしかないから、精神疾患を見抜くなど不可能なのだ。だから、精神疾患の診断および診断書なんぞなんの論拠にもならず、証明にはならないということだ。




2026年1月13日火曜日

無能な人は○○に相談するから進歩しない

 よく仕事において、報告、連絡、相談が重要だと昔から言われる。これを略して「ほうれんそう」などとも言われ、標語にもなっている。

 だが、その割には職場の問題は解決されないことが多いし、従業員が能力アップすることは少ない。というか、有能な人はどんどんスキルを身につけ能力が上がり続けるものの、無能な人は足踏みし続けるばかりで格差が広がっていく一方だ。この傾向は日本において特に顕著で、業務効率化や生産性向上の足かせになっている。

 こういう時に無能な人は、相談や質問を怠っているからだとよく言われてしまう。しかし過去の公的機関の調査から、相談や質問の回数自体はさほど大差がないことがわかっている。そう、相談や質問をしているにもかかわらず進歩をしていないのだ。


 本当の原因は、相談・質問の回数や内容ではない


 ちゃんと相談や質問をしているにもかかわらず、進歩が見られないというのは何とも不思議である。それなら上司や先輩、ベテランがキチンと指導できていないからと決めつける人もいようが、実はその前段階ですでに問題があるのだ。それは・・・

 無能な人ほど相談相手に”同類”を選ぶ

というところだ。そう、解を知っている人に質問すれば解決するのに、無能な人はわざわざ解を知らない人に相談するから解決せず、能力が上がらないのだ。

 有能な人はより優れた人を選んで相談するから、有用な手立てを得ることができて、進歩することができる。しかし、無能な人は自分と同じレベルの人を常に相談相手に選ぶから、そこから上へレベルアップすることができない。

 しかも、これによってもうひとつ面白い現象が起こる。それは、相談していることには変わりがないから、データ上では無能な人でも同じ相談回数がカウントされる。しかし、上司や先輩には接触していないから、上の立場から見たら相談回数が少なくカウントされるのだ。だから上司先輩からは、相談しない人という評価になってしまう。




 無能な人は抵抗感から、有能な人との接触を避けてしまう


 ではなぜ無能な人ほど相談相手に同類を選んでしまうのかだが、それは無能な人の深層心理が働いている。それは、上の立場や有能な人など、優れた人に対して抵抗感があるからだ。

 というのも、無能な人は自分自身に大なり小なりコンプレックスを抱えている。そのために自分の無能さを再確認させられる状況を改善の機会ととらえることができず、恐怖や屈辱にさいなまれるものと無意識にジャッジしてしまう。

 しかし、同類ならその危険性がないため安心できるという理由だけで、解決にならないにもかかわらず選んでしまうのだ。つまり、防衛機制という人間が元々持っている本能がそうさせているのだ。


 1回接触を持ってしまえば抵抗は薄まる


 だからといって、いつまでも同類とばかり関わっていても、何も進歩しない。そこには何も得るものはないからだ。そして抵抗感があるからと避けていては、永遠に無能から抜け出せない。

 実はこういう時の抵抗感は大抵思い過ごしのことが多く、実際に相談すると思いのほか何でもないということがよくある。しかも、何回も重ねるうちに慣れてくるのと、お互いの壁がなくなることで自然に抵抗感がなくなるものだ。

 だからこそ思い切って上の人に相談したほうがいいのだ。そうすることで評価も上がるし、信頼感も生まれて事態はどんどん好転する。自分の仕事、生活、収入、人生を良くしたいなら、より上の人とコミュニケーションとれるようになることだ。




2026年1月10日土曜日

自分の常識やマインドは、周りにいる人が作っている




 自分の常識、性格、価値観は、自分と親しい5人の平均になるという話がある。心理学実験を行った結果だそうで、そこそこ信憑性が高いようだ。昔から日本でも「朱に交われば赤くなる」ということわざもあって、周囲の人間次第で自分の思考も変化するというのを言われれてきた。

 だからこそ、どういうタイプの人を選ぶかが重要である。テイカーを選べば自分もクレクレ星人になるし、嘘つきが周りに多ければ自分も他人をだますことに抵抗がなくなる。精神的に幼い人が友達や家族にいれば自分も大人になれないし、自己中な人が取り巻きにいれば自分も身勝手な行為に罪悪感を感じなくなる。

 その逆もしかりで、成長マインドの人を選べば自分も自己改善に励むようになるし、計画性のある人がいれば自分も地道に歩むのが普通に感じる。勉強熱心な人が周りに多ければ自分も自然と勉強に励むようになるというのも、教育業界ではよく聞く話だ。

 だから誰と付き合うかというのは非常に重要である。それは自分のマインドまで決めてしまうから、人生そのものまで左右する。自分の望みがあるなら、それを手にした人と付き合わないと自分もその気になれない。その先駆者に影響されマネすることで、自分もその道へ行けるようになるのだ。逆に貧困層になりたくない、荒んだ人間関係を断ち切りたいなら、そういう人とは関係を断たないといつまで経っても影響を受け続けてしまう。

 人選は自分の人生で、最も重要な選択である。




2026年1月6日火曜日

丸暗記だけに頼るから知識が増えない 頭の良い人は○○で暗記の量を減らしている

 学校で試験をすると、当然成績の良い子から低い子までが明らかになる。そして、成績のランキングは卒業するまであまり変わらないことが多い(たまに中級クラスの子が本気を出すようになって上がってくることはある)。私なんかは小学校中学校の時は田舎の公立学校に通っていたのに対し、高校では県庁所在地の私立の進学校に通っていたから、中・下位層と上位層の両方を見てきた。

 その中で、頭の悪い人と頭の良い人では学習の仕方で決定的に異なる点があることに気がついた。そしてその相違点が学習効率に影響し、結果として成績に反映され、ひいてはその後の社会生活にもつながっているということがわかった。

 そこでこの学習方法の違いが及ぼす影響について解説する。


 頭の悪い人は丸暗記に全振りする


 では、頭の悪い人に特徴的な学習方法とは何なのか?それは「丸暗記」である。とにかくこの層は丸暗記という手段で何でも対処しようとする癖がある。確かに丸暗記は学習方法としては非常にシンプルなので、飛びつきやすいというのはある。

 ただ、丸暗記はむしろデメリットが多いということに、中・下位層は気づいていない。ではどんなデメリットがあるのか列挙していく。


 ①覚えるものの総量が増える

 まず挙げられるのが、覚えるものの総量が増えるということだ。それは、当然だろう。本来覚える以外の方法で解ける問題でも丸暗記という方法を用いるのだから、その分覚えなくてはならないことが増える。


 ②覚えるまでに時間がかかる

 そもそも論の話だが、一つの事を覚えて忘れないようにするには時間がかかるということだ。一回テキストを見ただけではすぐ忘れてしまうので、反復学習が必要になる。その期間は短い人で2週間、通常は1カ月くらいかかる。これを全ての分野でやるのだから、合計の学習時間は膨大になるのは簡単に想像つくだろう。


 ③時間が足らなくなる

 決められた期間の中でこれを丸暗記だけに頼っていては、あまりに学習時間が増えすぎて時間が足らなくなる。時間が足らない分、学習量も減ってしまうから、当然頭にほとんど入らない。結果、知識が増えない。


 ④飽きてやらなくなる

 先ほども触れたように、丸暗記という方法は非常にシンプルだ。しかし、それは裏を返せば単調な作業になるということでもある。しかも時間がかかるとなれば、人間はおのずと飽きてしまう。飽きると面倒くさくなるのでやらなくなるのは、誰しもが経験したことがあるだろう。


 ⑤面倒くさいし、成績が上がらないしで、勉強が嫌いになる

 最後に待ち受けているのが、勉強嫌いになるということだ。ここまで来ると勉強にメリットを見出せなくなるばかりか、デメリットしか感じなくなるので嫌いになってしまう。そうなると余計に勉強に向かわなくなるので、さらに学習量が減ってしまい、知識が増えなくなる。



 頭の良い人はパターンで解くから、いちいち覚えない


 では頭の良い人はどうしているのだろうか?それは、なるべく「パターン」で解くことを重視している。このパターンというのは、公式、論理、理屈、法則、本能、遺伝、傾向といったものがそうだ。あらかじめこれらのパターンを覚えておいて、当てはまりそうなものはこのパターンを応用して解いてしまうのだ。

 例題を挙げたほうがわかりやすいと思うので、こんな問題を出してみる。

 1・2→5 2・3→11 3・4→19 4・5→29 6・7→〇 〇に入る数は何?

という問題があるとする。頭の悪い人は1・2→5、2・3→11と書いてあるのを一個一個覚えようとする。4・5→29という問題の復習なら解けるが、5・6→〇という問題が出てきた時にわからない、また覚えなくてはならないものが増えたという判断をしてしまう。

 しかし頭の良い人は、ここで「パターン」を見出し、このパターンだけを覚えておく。ちなみに、この問題のパターン(公式)は

 x×(x+1)+x+(x+1)=
 x×(x+3)+1=

である。なので、頭の良い人なら6・7→の答えを覚える必要がなく、公式を当てはめるだけで「55」という答えを導き出せる。

 ここで見える違いは、頭の悪い人はこの数列を「無限」に覚えなくてはならないが、頭の良い人は公式「ひとつ」しか覚えていない。∞:1で、圧倒的に頭の良い人のほうが頭も手間も時間も使っていないのだ。

 そうすることで、意図的に覚えるものを減らしていているから労力がかからない。そのため学習効率が良く、時間もかからない。だから飽きることもない。

 さらに、余力が生じるのでより詳しいことや余計なことまで覚えることにリソースを割くことができるし、応用も効いて様々な問題を解くことができるから、結果的に博学に見えてしまうのだ。

 つまり頭のいい人は、

 パターン認識

の能力を高めているということだ。これは人によっては、抽象化とか、応用力とも言う。そしてこれは数学だけに言えることではない。日常生活でもこの差が生活のレベルや快適さ、ひいては健康や生きやすさにもつながってくる。

 パターン化と応用が、知識向上から生活の質まで与えてくれるのだ。




2026年1月4日日曜日

バトルになった時点で推進派活動家の失敗 バトルは誰にも好まれないから拒絶される   

 的外れな差別反対や独善的な権利主張、無計画な外国人受け入れなどを叫ぶ推進派活動家が2025年以降、世界各国で非難を浴び糾弾されている。これに対するカウンターデモも活発化し、勢いを増している。その影響は政治にも波及し、政権交代や政策転換にもつながっていて、まさにバックラッシュが起きている。この動きは日本でも起こりつつあり、これらの活動家に対する風当たりが段々と強まっている。

 ただ普通に考えたら、こういった残念な結果になるのは目に見えていた。というのも、バトルなった点で誰にも好まれなくなるのは誰でもわかることだからだ。だが活動家連中を見ていると、不思議なことにそのことを全く理解できていない。それどころか自分の考えに逆らったと曲解して逆上し、増々過激な発言や行動に出て余計に顰蹙を買い、自分の顔に自ら泥を塗っている。


 自身もコミュニティも閉鎖的ゆえ、認知の歪みが激しい


 以前書いた「賛否は主義主張よりも、素行や態度が決め手」でも触れたが、活動家連中は自身の主義主張にしか興味がないばかりか、そのことに執着していて周りに気を配れていない。周りがどう反応するか意識が向いていないので、自分の世界が全てになりやすい。非常に自閉的である。

 しかも、取り巻きたちも同様な性格を持っている上、他のグループとの接触を拒むため、非常に閉鎖的なコミュニティになりやすい。こういうコミュニティでは実社会との接点がないがゆえに実践経験が少ない反面、憶測が膨らみやすく、認知の歪みが大きくなる。それゆえ冷静に現実を見ることができず、主観しか持てないから自分を客観視することもできず、自分のすることがどういう結果を招くか想定できない。



 無自覚にバトルになる未来を選んでしまう


 想定力がないと、いざ社会運動をした際に主義主張にかかわらず反感を買うやり方を無自覚に選んでしまう。しかも自身は主義主張しか視野にないっていないから、相手が怒っている理由を読み誤ってしまう。それが余計に相手の気持ちや考えを無視することにつながり、失礼な行為となって火に油を注いでしまう。

 そうなれば自身の意図に反して、バトルになることは避けられない。そして人間はバトルになると相手そのものを嫌う。結果、主義主張も活動も政策も反対に回られてしまう。これでめでたく反対派の賛同者数アップである。


 バトルに勝っても賛同者は減る


 しかももう一つ活動家の失策は、バトルに勝つことへ執念を燃やしていることだ。バトルに勝って相手を屈服させるのは爽快だが、相手との関係は決裂し、修復不可能にしかならない。つまり、バトルに勝つことは賛同者を増やすことにつながらないばかりか、反対派へ流れることに他ならない。


 バトルでも、勧誘でもなく、相手のために何ができるか


 相手の賛同を得るには、相手に良い印象を持ってもらうことが肝要だ。数ある活動方法の中でバトルは最も下策である。勧誘という方法をとるものもいるが、カルト宗教やねずみ講と変わらない方法で単純な人間を釣ることはできても、有能な人間は勘づく能力が高いのでやすやすとは乗らない。しかも、化けの皮が剥がれた時の衝撃はすさまじく、これも相手の反感を買うのは必定だ。

 賛同を得たいなら、相手のためになることをするのが賢明だ。自分のためにしてくれる人ほど好意を寄せたいと思うものはないからだ。だから相手のために労を惜しまないこと、相手のためにできることをすること、これこそが真の活動ではないか?




2026年1月1日木曜日

マイノリティだから不利?いいえ、それでも上手くいった人はいくらでもいる

 ここ近年、マイノリティと呼ばれる人の社会運動が注目されることが多くなった。精神障害、LGBT、貧困、地域格差など、活動家を先頭に様々な人々が声を上げている。

 ただ、こういう人達を見ていると、そろいもそろって「声を聞いてほしい、支援がほしい、補助金がほしい」という要求に終始している。その理由を聞くと、「マイノリティは、弱者だから、不利だから、疎外されるから、ハードルがあるから、できるわけない。上手くいくわけない。何も得られない」と言う。私からすれば「そんなこともないだろう、いくらでもやればいい」と思うのだが、彼らは頑なに否定する。


 マイノリティのコンボの私


 この次に決まって出てくるのは「上手くいっているヤツは運がいいから。恵まれているから。マジョリティだから」というセリフだが、マイノリティであっても成し遂げた人はいっぱいいるし、何ならマイノリティの要素を全く持っていない人を探すほうのが難しいだろう。

 私も資産運用をやって一定額を超え、マス層から脱することができたが、果たしてマジョリティかというと全く違う。むしろマイノリティの要素を多く持つ一人だ。LGBT、大学中退、地方出身、氷河期世代、非正規雇用、父親が自由業、自分も転職も多い。

 しかも、生まれで決まってしまうものも多く、活動家から見たら最も運の悪い部類に入るだろう。特にLGBT、地方出身、氷河期世代、非正規雇用なんて今最もホットなワードで、それのコンボだから相当ついてない。

 にもかかわらず、それだけの資産を作り、それを更新し続けている。マイノリティは何も得られないのではなかったのか?


 マイノリティと成否は無関係


 大概マイノリティの要素を一つや二つ持っているものである以上、マイノリティ=不利の公式は成立しない。それが多数重なっていたとしても、それを参入や挑戦の制限として課してるものなどまずない。LGBTだから証券口座を作れないというのはないし、大学中退だから会社設立できないというのもない。氷河期世代だから副業できないもないし、非正規雇用だからキャリアアップのためのリスキリングできないということもない。全ては自分が決断できるか否かにかかっている。



 アドラー曰く、「やらない選択をしている」


 そもそも人間というものは、利益よりもリスクのほうを大きく見積もる習性がある。これは危機に瀕した時にちゃんと回避できるよう、生存本能から来ている。なので、人間はリスクのつきまとう行動をより危険視し、現状維持を選択するようにできている。そして自分を納得させるためそこに理由付けをし、「~だから、できない」「~だから、不利」と思うようできている。

 なので、実際には不利、できないというのは本能からくる自動思考によるもので、本当にできないか否かとは無関係に反応している。かの精神科医・心理学者のアルフレッド・アドラーの心理学においても、「できないのではなく、(失敗回避のために)やらない選択をしている」と説いている。真、的を射ていて、本当は失敗するのを承知でやる選択もあるのだが、大抵の場合は失敗を避けるためにやらない選択をするのが人間の常だ。

 だが、そんな臆病な自分を認めることもできないから、「できない」ということにしてしまうのだ。できない、不利という位置づけは、やらない選択をしてしまった自分を守るための防御反応ということだ。

 これがわかれば簡単で、不利だという考えが浮かんだら本能が過剰反応し自分を邪魔しているだけなので、そこまで難儀ではない大丈夫だということだ。あとはやる選択をするだけである。




2025年12月26日金曜日

発達障害者や精神障害者が多くの敵を作る訳 <自分の気分にしか関心がない人>

 友人関係であれ職場であれ、人付き合いをしていると対立することはままある。友達だったら、好みの違いやコミュニケーションの齟齬から発生しやすい。職場であれば、評価や負担、方針の違いから起きるだろう。

 ただ多くの場合は対立こそしても、ある程度関係は修復されるので元の鞘に収まる。しかし、発達障害や精神障害を持っている人だとそうはいかないことが多い。関係をこじらせて最悪なパターンを招き、完全に敵対関係にさせてしまう人が珍しくない。

 なぜ障害者はここまで対人問題になりやすく、自分にとってもデメリットでしかないのに敵を量産してしまうのだろうか。


 障害者の自閉性からくる問題


 よく障害者は、わがままとか自己中とかが敵を作ってしまう理由に挙げられる。自分の願望を是が非でも押し通そうとすることからこう言われるので、願望を持つことが悪いように思われがちだが、それは50%程度しか当たっていない。というのも、願望を持つのは定型発達も同じだからだ。もちろん不純な動機は論外なので、それは問題であるが。

 本質的な理由はそれ以外にあるというか、善悪の対立になった時に障害者の判断基準や視野の狭さが根本にある。というのも、障害者には特有かつ共通するシンプルな思考パターンをとるからだ。それは、

 「自分」の気分を害したものは、「全て」

という思考パターンだ。障害者はどんな状況であってもこの判断基準1本で全てを判断していることが多く、トラブルの原因となりやすい。結果として無駄に敵対関係を作ってしまい、最終的に敵認定されることになってしまう。

 これが定型発達だと状況に寄りけりなのと、相手あっての自分という前提条件を周知しているので、自分の前に相手の気分を考える。だから相手が全て悪いとは考えず、むしろ相手に気を使いながら自分が立ち回るので、対立そのものが起きにくい。

 どうしても障害者はその自閉性から相手との関係に関心を持ちずらいのと、自分の気分を害されること=悪とダイレクトに考えているために、他人を疎かにしやすく反感を買ってしまうのだ。


 障害者の善悪の判断基準に欠損がある


 では定型発達と障害者では、具体的にどこに視野の違いがあるのか見ていく。わかりやすいように、表にしてみた。

定型発達障害者
項目
 大切 ○
自分の気分
◎ 絶対
大切 ○
相手の気分
× 視界にない
応分負担 ○
自分の責任
× 逃避
応分負担 ○
相手の責任
◎ 他責傾向
譲歩も可 ○
自分の願望
◎ 妥協許さない
関係維持のため ○
相手の願望
× 無視

 これを見て明らかなように、定型発達の場合は相手の協力がないと願望が叶わないことを知っているから、相手のご機嫌をとる。そのため、五分五分になるよう努めているのがわかる。そうすることで相手が不満を抱くことを防ぎ、敵対しないようにしているのだ。

 これに対して障害者は、相手のことを何も気にかけていないのが見てとれる。明らかに自分しか視界に入っていないのだ。自分の気分が害され、不快になるのを避けることに重きを置いているから、自分のことに100%になってしまうのだ。

 その上、自分の生活に他人の協力が必要で、その他人も人間だから機嫌を取らないと協力してくれないというのがわかっていないのも、ここに表れている。

 このことから判断基準が定型発達と障害者では、

 【定型発達】 相手の気分を害した  ▶ だから悪
 【障害者】  自分の気分を害された ▶ だから悪

という、真逆になる。

 そうなると相手には一切のメリットがないばかりか損をさせてばかりになるので、怒りを抱かせてしまう。そればかりか定型発達は相手に媚びを売っていて卑怯ととって、余計に火に油を注ぐ障害者までいる。これは由々しき問題だ。


 対人関係の理屈を理解できない問題


 結局障害者の問題の大本は、対人関係の理屈を全く理解していないというところにある。特に対人関係は連鎖するというのがわかっていない。巡り巡ってやってくるとはよく言うが、どういうルートをたどって自分のところに結果が降りかかるのかをシミュレーションできていないのだ。だから、それをやると自分も困るというのがわからないのだ。

 こういうのをEQ(Emotional Intelligence Quotient)というが、これが著しく低いことから起こっている。そのために、自分の価値に対して相手の価値が低くなってしまい、相手をないがしろにしてしまう。これだと他人から嫌われるのは必定であるが、EQが低いからその原因が自分にあるということにも気づけないし、認められない。

 解決策なく、万事休すなのだろうか?




2025年12月23日火曜日

左派は絶対に罪を認めない ー統制の所在ー

 政治活動やSNSなどで炎上したり不適切な行為をしたりして、糾弾されることが最近は多くなった。

 その際に、左派の人達はそろいもそろって謝罪を拒否することが多い。稀に謝罪することもあるかもしれないが、それは大分後になって事が大きくなりすぎて、自分が窮地におちいり切羽詰まってからSOSのために行うのが本当のところだろう。実際にはそんな危機におちいっても白を切るばかりか被害者アピールをして、周囲を言いくるめることで火消しをしようとするのが大半だ。

 そんな態度はメリットがないばかりか損失にしかならないにもかかわらず、ここまで自分の罪を決して認めないのは異常である。なぜ、左派は罪を認めることをこれほどまでに抵抗するのだろうか?


 左派の思考パターン


 この左派の態度を解き明かす上で必要なのが、左派の思考だ。左派の思考のベースにあるのが理想主義である。この理想主義、目標に向かって精進・切磋琢磨して、高みを目指すポジティブタイプだと思われがちだが、左派のものは全く異なる。

 左派の理想主義はこれとは真逆で、自分は非の打ち所がなく完璧な存在でなければ許さない、別な言い方をすると自分を汚されたりケチをつけられたりするのが気に入らないという、ネガティブな理由からくるものだ。要はわずかでも自分が不快でブルーな気分にさせられるのが嫌いで、常に心地よい安心できる状態しか認められないがゆえに、不快にならない理想的な状態を目指すというのが目的なのだ。

 こういう心理をはらんでいるから、当然彼らは自己責任を一切認めない。自己責任を認めてしまったら不快になる要素を受け入れざるをえないからだ。よって彼らは必ず他責にするし、被害者ポジションを取ろうとする。何かあったら他人のせい、政治のせい、環境のせいと言って、自分にはどうすることもできなかったというストーリーを作り上げる。


 左派にとって謝罪は恐怖


 こういう人間にとって罪を認めるのは、あまりに屈辱的な状況に思えることから強烈に不快感を感じざるをえず、そのことへの恐怖感から忌避の対象となってしまう。つまり謝罪は最大の恐怖なのだ。

 恐怖を感じることをわざわざするのは自分の生死にかかわるので、当然人間は避ける。だから彼らは謝罪を拒んだり、隠ぺいに走ったり、責任転嫁してしまったりするのだ。


 謝罪拒否で逃げることはできても、損にしかならない


 だがこんな行為をとっていてメリットは何もない。あまりにも不誠実にしか映らないし、何より周囲の怒りを買い、関わった人全員から拒絶されてしまう。特に離れるのは善人で、利益をもたらしてくれる人だ。

 幸福にしても幸運にしてもお金にしても、人との良縁が運んでくるものだ。だから幸運という。しかし、自分が謝罪せず不誠実な態度を示せば人との関係は悪くなり、良縁ではなくなってしまう。だから運んでくるものも来なくなり、自分に運ばれてくるのは損だけになってしまう。それは悪運である。





 恥を恐れ、不完全さを認める勇気がない


 こういう話をすると言われがちなのが、ガラスのハートを持っているとか、精神が弱くて脆いとかといったことだ。だがこれは弱いのとは違うし、弱いと言ってしまうとそこから脱却しなくていい理由を与えることになるので、本人のためにならない。実際には自分もまた不完全な人間のひとりであるという事実を認める勇気がないのだ。

 彼らは恥を恐れる傾向が強い。恥をかくことの恥ずかしさや罰の悪さを過大に見積もり過ぎており、それゆえ高い壁があるように見えているのだ。


 左派に必要なのは「統制の所在」の理


 正直左派にとっても今の評判は好ましくないだろうし、今のスタンスのまま続けていても嫌われる一方でしかない。だから改善が必須だ。そのために左派がどうしても身につけなくてはならない社会の理屈は「統制の所在」だ。

 これは何かというと、その一件において自分で変えられる余地があったかどうか、自分に選択肢が複数あったかどうか、自分の決断によるものだったかどうかを検証するというものだ。

 例えば、引きこもりの人で40代で働き口が限られるという現状は確かにある。しかし、就職の可能性は0かと言われればそんなことは言い切れず、わずかとはいえ存在する。である以上、働き口がないせいでこうなったとは言い切れないし、数撃ちゃ当たるというのもあるので自分次第の部分も残されている。なので採用されにくいという点では外部に要因があるが、数をこなしていない、もしくは当たりやすくなるような工夫をしていないという点においては自分に非があるので、一部は自分の責任であると認めるのだ。

 どうしても左派は何か外部要因があると嫌なことから逃げたいがために、全ての責任をその一点に押し付けてしまうという欠点がある。しかし、全ての責任を丸投げされたら周囲からしたら責任転嫁にしかならないから、かえって集中砲火を浴びる。だからちゃんと自分の責任の部分と他人の責任の部分を分けて考えなくてはならない。

 さらにこれをできるようになるためには、100%完全無欠理想の自分ではなく、不完全なところがあっても大丈夫と考えを切り替えることだ。そもそも自然界が不完全なもので成り立っているのに、人間が完全であるなどありえない。だから100%のものなど存在しえないので、自分も他人も世の中も不完全にしかなりえないのだ。そういう不完全なものを受け入れる器こそが必要なのだ。