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2026年9月22日火曜日

社会で両立できないこと対照表



 世の中には多種多様な願望を持った人がいる。社会保障費の負担が大きすぎるからどうにかならないかとか、出生率が伸びるようなことをやってくれないかとか、老後の生活資金の確保ができるようにしてくれとか、十人十色多種多様な願望が存在する。

 しかし、その中には相反関係になっていて両立できないものが多くある。最近こういうことがわからない者が目立つだけでなく、のさばるようになってきた。ないものねだりの願望をSNSに書き込んで炎上させたり、活動家として政治へ圧力をかけたりする者が、いいことではないが珍しくなくなった。酷いと学校にも押しかけ特別授業まで行わせる者までいて、狂気の沙汰となっている。

 そこで、ここでは両立できないもの、叶わないものを表にする。これらを求め、努力しても実現しないので、要チェックだ。これらを希求している限り自分の人生は決して改善しないし、下手すると拗らせて社会的トラブルを生み出すわがままな人にもなりかねない。点検の意味で確認していただきたい。


 両立しない物事


願望 対極 両立しない理由
昇給 物価安 物価安では昇給するための原資が得られないから
無資格・無スキル 上位転職 資格やスキルという希少性に対して市場価値がつくから
高収入 確実性 確実性が高いものは多くの人が群がって、一人当たりの取り分が減る
減税 高福祉 福祉の財源は公費だから
細やかなサービス 働き方改革 1人あたりの仕事量が増えるのに、時間がとれないから
学校での個別指導 教員の負担軽減 教員減と30人学級の状況では、子供1人当たりの時間は分散するしかないので矛盾する
低い年金納付額 高い給付額 当たり前だが、採算が合ってないから破綻する
平和・人権活動 暴力・暴言・誹謗中傷 言行不一致だから
傍若無人な行為 理解促進 他人が嫌がる行為をする人間に好感を持つ人はいないから
生活保護受給者・受給額増 労働者減 納税者が減る中で生活保護拡大は、増税か財政破綻の2択になる
健康保険適用拡大 健保組合の赤字解消 出費の拡大or削減という真逆の構造
安価な医療 病院の倒産危機 赤字経営を強いる診療報酬では存続できない
何でも公費頼り一辺倒 国民負担軽減 請求額は増、予算は減で矛盾がある
景気後退期の正社員登用維持 景気回復 景気に見合わない過剰な人件費のせいで、企業倒産の加速

 まとめ

 こういった事例は尽きることがないが、このように両立しないケースというのはたくさんある。正反対の関係にあるので、両方を求めても絶対に叶うことはない。実行に移すためには、どちらか一方を捨てることが必須だ。そして、このどちらか一方を捨てて確実に実現させることを”現実主義”とか”大人になる”という。

 両立しないものを求めている限りは絶対に実現しないし、無理に推し進めても他人を犠牲にするので反感を買い、わがままの烙印を押される。そしてそういう願望は心理学ではダブルバインドと呼ばれ、人生を棒に振ったり、メンタルの悪化を招いたりして悪い末路をたどることから、脱却すべしとしている。

 経済においても足を引っ張ることになり、国民の所得が下がり、貧困を招く要素でもある。こういう両立できないことは、求めてはならないのだ。




2026年9月18日金曜日

給与が上がっても、生活は楽にならない理由



 多くの庶民が生活困窮になるのではないかと不安になっている昨今、大きく給与アップを求める声が多くなっている。給与は一応例年を越える上昇幅にはなっているものの、税金や社会保障費の負担のために手取りが伸び悩んでいる。そこにインフレや円安が重なって、実質賃金はもっと苦しいものになっている。

 そこで叫ばれているのが、大幅な賃上げだ。今の税金、社会保障費、インフレに見合うだけの賃金を出せるかどうかを問うている。

 だが、本当に賃上げすれば生活は楽になるのだろうか?


 社会は皆、連動している


 多くの庶民は賃上げを望んでいるわけだが、果たしてそれで生活は楽になるのだろうか?実際にどういう反応が起きるのかシミュレーションしてみる。

 そもそも経済にしても、金融にしても、単体で動くことはない。何かが変更になれば、それに応じて他のことも連動する。例えば、ベースアップが国全体で起きれば、それを当てにして商売人は値上げをする。税金だって比率で徴収するから、納税額は増える。

 このように、給与が上がった分、満額余剰金が発生するなんてことにはならない。そして今度はそれが基本スタイルになる。なので、多少手取りは増えるものの、周りも連動するので買えるものの総量はさして増えない。結局、豊かにはなれない。


 一度上げた生活水準を下げれない問題


 もう1つ生活が楽にならない経済的な理由として、散財がある。人間はどうしてもお金に余裕が生まれると、慢心から出費を増やす習性がある。贅沢品に手が出たり、生活水準を上げてしまったりして、余計なものにお金を使ってしまうのだ。そのため残金が変わらず、またじり貧になってしまう。

 さらに問題なのは、人間一度上げた生活水準を下げる勇気をもてないということだ。恥や屈辱感、喪失感などにどうしても抗えなくて、一度上げた高い生活水準に居続けようとしてしまう。そうなると高い出費を払い続けなくてはならなくなるので、いつまで経ってもお金が残らない。


 膨れ上がる社会保障費


 他にも問題はある。公金や社会保険を当てにする人が増えていることだ。若い頃にちゃんと十分な年金を納めていなかったり、万が一を想定してなくて貯蓄がなかったり、生命保険に入っていなかったりして、老後になってお金が足らなくて困窮している人が多い。その結果、生活保護や健康保険を当てにするようになり、この支出が膨れ上がっている。

 他にも、社会へ出るのが不安で生活保護をもらい続ける人、精神障害の発症数の増加、少子高齢化による納税者の減少もあって、足りない分を補てんするために、税率、年金納付額、健康保険料が軒並み上がっている。これでは給与が上がっても、手取りなんて増えるわけがない。


 根本の要因は?


 ただ、ここまで3つの要因を見てきたが、最初の事例に関しては外部要因なので制御しようがない。しかも、経済の拡大と継続的な収入増には欠かせないので、デフレスパイラルに陥らないためにも必要なものだ。

 問題は2つ目と3つ目である。多くに共通するのは、お金の管理ができていないのが要因である点だ。生活水準を上げてしまうのも、貯蓄をしていないのも、任意の年金や保険に加入していないのも、自分の判断ミスによるものだ。余計なものにお金を使ってしまって、先々のためのお金をとっておかないから起きた問題である。これをやっていると自分がお金に困るばかりか他人のお金にも手を出すことになるので、社会問題になってしまう。


 余裕ある生活を得るためには


 では、どうしたらお金の余裕が生まれるのだろうか?


 ① 支出の把握とコントロール

 まずは、支出のコントロールである。家計の見直しが必要だが、そのためにはちゃんと数字を把握するのが必須だ。どんぶり勘定では現実逃避ができてしまい、いつまで経っても支出が減らない。家計簿をつけることによって数字が明確になり、言い逃れができなくなるので、支出削減の糸口が見えてくる。

 あとは生活に必要のないものは買うのを延期すればいいので、次第に出費を減らせる。ここでポイントは、買わないのではなく、延期するという点である。買わないとすると、我慢勝負になるのでフラストレーションが溜まって、ある日爆発して衝動買いに走ってしまう。しかし、延期とすれば買わないわけではないし、本当に余裕が生まれたらその時は買っても大丈夫なのでフラストレーションを下げられる。


 ② 将来の保険として貯蓄する

 これも大切な要素だ。とにかく老後はお金がかかる。食は次第に細くなっていくので食費は減っていくものの、その代わり医療費がかかるので貯蓄や資産がものを言うようになる。そのためには、できる限り若い内から資産形成をしておく必要がある。

 ここで重要なのは、どれだけ安定して貯蓄できるかだ。大抵の人は自己コントロールができないので、自力でお金を貯めるのは難しい。そこで利用したいのが、各種サービスだ。社保に入っていないのであれば、基礎年金だけでなく国民年金基金や付加年金にも加入することで自動で積立額を増やすことができる。

 もっと効率を求めるのであれば、iDeCoやNISAを利用してインデックス投資をすることで、より多くの資産を増やすことができる。実際に私もNISAを利用していて、何倍にも資産が増えているので、同世代の中央値よりもかなり多くの資産を持っている。

 あと、個人的には純金積立も悪くないと思っている。金の消費量が増え続けていて下がり様がないので、値上がりする一方だからだ。


 ③ 健康の維持

 何気にこれはかなり重要である。やはりいざ病気になると、大きな出費になるからだ。特に年を取ると入院する機会も出てくるので、差額ベッド代も発生する。医療費とは別に、万単位の出費となるので懐が痛む。

 さらに医療費がかさめば保険料も上がるので、国民負担も増えてしまう。そうなると消費が冷え込み、景気後退にもつながるので経済的ダメージがある。そうならないためにも、健康維持は必要である。




2026年9月15日火曜日

日本の格差拡大の真実!?



 今、世界において格差拡大が懸念されている。国連でも指摘していて、格差解消を課題として挙げている。この点は日本においても例外ではなく、国会や選挙でも必ずと言っていいほど議題として上がる。

 ただ正直な話、格差拡大は本当なのだろうか?マスコミによる偏向報道やエコーチェンバーではないのか?


 資産額による階層ピラミッド


 よく社会はピラミッド型になっていると言われる。各階層ごとに分かれていて、上へ行くほど割合が少なくなるためだ。日本では概ね下の図のように、保有資産額に応じて階層化されている。




 最も多いのが最下層に位置する一般人で、上へ行くほど極少数になる。この図ではピラミッド型になっているが、実際には東京タワーのように末端のほうがより広がる構造になっている。

 よく槍玉に上げられる富裕層は1億円以上となっており、なかなかの大台であることがわかる。それより下は庶民ということになるが、その中でも4つに分かれていて、階層化されている。大体パーセンテージにすると、

 超富裕層   :0.1%以下
 富裕層    :約2~3%
 準富裕層   :約6~8%
 アッパーマス層:約15~20%
 マス層    :約35~40%
 一般     :約30~40%

となっている。最も多いマス層と一般だけで65~80%を占めているのに対して、富裕層以上となると多く見積もっても3%にしか満たない。これが富の偏在と言われるゆえんである。


 格差拡大の論拠


 で、この偏りがさらに拡大しているのではないかと言われているのである。その証拠とされるのが、ジニ係数の変化だ。厚生労働省の調査に基づくと、1981年は0.3491だったのが2023年には0.5855に拡大し、アメリカ並みの水準に近づいている。(ジニ係数:0に近づくほど平等、1に近づくほど貧富の差が激しいとされる)

 もう1つ挙げられるのが、若年層(特に20代以下)の資産格差の開きだ。野村総合研究所によると、この若年層において有価証券の有無による二極化が進んでいると指摘している。将来の生活の不安と、新NISA開始にともなって投資に手を出す若年層が増えており、さらに近年株高の状況も相まって持てる者と持たざる者とで資産格差が広がっているというのだ。

 さらにもう1つ挙げているのが、富裕層・超富裕層の増加だ。2023年の富裕層・超富裕層の推計は合計で165.3万世帯で過去最多だった。たった2年前の2021年と比べて11.3%も増加している。この理由として、株、債券、投資信託などの流動資産を多く保有しており、それが高騰したことにあるとしている。


 不可解な変化


 その一方で不可解なデータもある。日本経済新聞では格差拡大の論拠として世帯所得の中央値の変化を挙げている。

 1995年:550万円
 2023年:410万円

となっており、28年で140万円減ったことを示している。このことから中流階層が没落していると言っているが、はたしてその解釈は正しいのだろうか?

 先ほど富裕層・超富裕層の世帯数が増えている件を挙げたが、いくら富裕層の世帯数が増えても、超富裕層の世帯数が減ったら世帯所得は下がる。また既存の富裕層の没落があれば世帯所得も下がるので、このデータだけでは格差拡大しているとは言いがたい。

 実は超富裕層の没落を示すデータがある。「点検・日本の格差(中)機械の平等政策の軸足に:森口千晶著」によると、2014~2020年にかけての上位1%を対象にした調査で、フランス、アメリカは順調に資産を増やしている中、日本は一度も上昇することなく一貫して下降していた。つまり、上位の富裕層が本当に没落していたのだ。

 さらに下のグラフを見ていただきたい。


※ 「点検・日本の格差(中)機械の平等政策の軸足に」より


 このグラフは、上位1%と上位10%、それと中央値(庶民に近い数値)の給与の変化を表したものだ。見ての通り上位1%は多少上下動はあるものの、どの層もそれほど格差は広がっていない。

 それどころかいずれの層も少しずつ右下がりになっている。ということは、格差が広がっているというより、貧富の差に関係なく日本全体が貧しくなってきているということなのだ。


 所得が落ちている原因


 では、なぜ所得が減っているのだろうか。1つの大きな原因は、少子高齢化だ。高齢化し年金暮らしの人口比率が増えれば、それだけ平均所得も下がる。特に後期高齢者となれば労働に従事している人は極少数になるので、給与収入はほぼ皆無、ほぼ年金になる。

 さらにこれが商社や小売業の給与にも影響する。顧客の高齢化も進むから、お客の買い渋りが増える。そうなれば業績は低迷するので、給与アップどころか人件費カットに転ずることになる。医療・介護・福祉においてはこの影響はさらに深刻で、閉院・閉業が相次いでいるため失業者まで増やしている。

 そしてこの高齢者の年金には、大きな問題をはらんでいる。それは納付額の格差だ。実は年金制度ができたばかりの昭和36年~41年までの納付額は、35歳以上で月150円、35歳未満では100円という激安だった。これでは老後の資金など溜まるはずもない。反対に現在は月17950円と約120倍に跳ね上がっている。これでは現役世代も消費に回すお金がないから、物が売れにくくなる。当然、給与は増えないだろう。


 痛みなき改革を避けたのが現在


 結局なぜこうなったかというと、大枠でいえば痛みを伴う改革を先延ばしにし続けたからだ。これを抜本的に改革しようとすると、絶対に犠牲者が出る。となれば対象者は反対する。するとそれが選挙の得票数に影響するから、どの政治家も避けざるをえなかった。

 しかし、それが限界を迎えようとしている。となれば誰かがその痛みを受けなくてはならない。取れそうなところから取るではなく、このような状況におちいらせた人にその報いを受けさせる時ではないだろうか?自分の始末をちゃんとつけてこなかった層にこそ、ちゃんと責任を負わせるべきだ。




2026年9月12日土曜日

弱者コミュニティに入ってはいけない理由


 マイノリティが注目されるようになって以降、様々なマイノリティや弱者のコミュニティや団体、NPOが立ち上がるようになった。LGBTQ、精神障害者、知的障害、発達障害、フェミニズム、部落、在日外国人、貧困層、引きこもり、不登校、非行、非正規労働、氷河期世代など、数え始めたら枚挙にいとまがない。

 そんな弱者コミュニティだが、そこに入るのはデメリットやリスクが多い。かなり自分の人生に悪影響を及ぼしかねないほどで、個人的にはこれらのコミュニティへ入るのはおススメできない。では、どんな理由があるのか?列挙していく。


 閉鎖的であるために、社会との隔たりが大きくなる


 こういった弱者コミュニティの特徴として、閉鎖的というのがある。同類同士集まりであるため自己防衛の要素が強く、タブーが多いため、保守的で異分子排除の性格を帯びているからだ。そのため社会から隔絶されていることが多く、一般社会の常識やルールが通用せず、独自の価値観や世界で動いている。

 その結果、一般社会で通用しなくなっていくので、社会と上手くやっていくことが難しくなってしまう。こういうコミュニティやそのメンバーが孤立しやすいのは、この隔絶された環境が関係している。


 一度入ると、簡単には抜けられない


 これもありがちなトラブルだ。愛層が尽きたり、卒業しようと思ったりして抜けようとすると、途端に裏切り者として罵られる。「アイツは変わった」「アイツは俺らを見捨てた」「アイツは冷たい」などと言って、相手に罪悪感を抱かせて引きとめようとする。なぜなら、孤立感の強い人が多く集まっているので、見捨てられ不安を抱きやすい人が多いからだ。

 このコミュニティに属する人たちは人生上手くいってないという思いが強く、無価値感を抱えており、誰かに依存したいという願望がある。なので仲間の脱退は依存先の喪失であると同時に、自分の中で無価値感の証明になってしまう。アイツは成長しようとしているのに自分はこんなところでまだくすぶっている、底辺のままでも大丈夫と思っていたのに不安にさせないでくれという見たくない現実を突きつけられるので、拒絶したくなるのだ。

 さらにコミュニティは安心安全の場でもある。無価値の自分でいても差しさわりのない場所であり、現状維持が許される緩い場でもあるため、傷つく恐れが少なく心理的に楽な場所である。こういう場所は恐怖を感じることがなく居心地がいいため、人間はなかなか抜け出す決意ができない。

 これらのことから、自分は自分で安住して抜け出す決意がなかなかできない、仲間の脱退を見ると
自分は置いてかれた感覚になり引きとめたくなる、いざ抜け出す決意をすると足を引っ張られるという三重苦に晒されるのだ。


 人格の成長が止まる


 社会との関係性にも影響が出るものとして、人格の成長が止まる点が挙げられる。停滞している者同士のコミュニティだから、ここに入ると自分の人間性が磨かれない。それどころか自己変革を拒み、誰もが現状維持を堅持しているので、自分もその雰囲気にのまれて流されてしまう。

 さらに弱者を標榜して名を売っている以上、弱者であり続けないと利益を得られないというのもある。成長したら弱者たりえなくなるので、どうしても成長するわけにはいかない。だから停滞、現状維持を選んでしまう。


 何でも被害者ポジションに逃げ、卑怯者になる


 弱者という肩書は、結構使い勝手がいい。免罪符や印籠として利用価値が高く、自己正当化や脅しに使えてしまう。というのも、弱者への批判はぱっと見、いじめや差別に見えてしまうからだ。直観的な人や短絡的な人であれば鵜呑みにしてしまうだろうし、そうでなかったとしても心理的に罪悪感を抱かせ、躊躇させることができる。なので、弱者の肩書きは被害者ポジションへの誘惑が大きい。

 しかもこの被害者ポジションが厄介で、罪悪感を抱かせたり、善悪の構図を偽装したりできるので、相手をコントロールするのに使えてしまう。さらには加害者と被害者の立場を逆転させ、罪をなすりつける道具としても利用できる。

 この誘惑に負け被害者ポジションをとる人は、罪を認めない、責任をとらない、それどころか責任転嫁する卑怯な人間になる。


 歪んだ仲間意識から、自浄作用が働かない


 あと、弱者コミュニティ特有の問題として、自浄作用が働かないという問題も近年浮き彫りになっている。メンバーないしは集団で不祥事を起こした場合に、誰も誠実な対応をとらないというのが当然のごとくに頻発する。

 弱者コミュニティは歪んだ仲間意識とお気持ち優先の価値観で動くから、責任を果たすよりも”かばい合う”ほうをとってしまう。それどころか、責任を果たさせること=悪みたいな雰囲気にもなって、組織内でちゃんと苦言を言える人間がいなくなってしまう。

 その結果、誤りを正せる人間がいなくなって、自浄作用が働かない。だから社会的に間違った対応をとり続けることになり、よけい批判を浴びることになる。


 傍若無人になり、周りに問題児しかいなくなる


 こういう卑怯な態度を続けると、当然周りからまともな人が離れていく。まともな人からしたら、被害を被りたくないし、付き合っていても損ばかりで得をしないからだ。

 しかも昔から「悪事千里を走る」というように、悪い評判は瞬く間に拡散して、多くの人に共有される。特にSNSが普及して、誰もがメディアになれる時代になった今、その拡散力は計り知れない。中でも日本は識字率が99%と高く、底辺層であってもほとんどの人は読み書きができてしまうので、格段に他人の悪事は拡散されてしまう。

 そうなると自分の周りには、まともな人は残らない。残るのは利害関係がある人と従属的な人、自分と同じように嫌われ者で行くところがない人だけだ。そこにあるのは欲と支配と依存の関係ばかりで、対等かつ健全な人間関係はないし、いつまで経っても世の中で通じる社会性は育まれない。


 弱者のコミュニティは危険が多い


 このように弱者コミュニティは、病み深い問題が多い。こういったコミュニティはよく多様性を叫ぶが、その建前とは裏腹に本音では同質性を強要する。取り繕った建前だけ見ていればまともなように聞こえるが、所詮は自分たちの安心安全と自己都合しか頭にない、社会から逸脱している人たちの集団である。

 だから、マジョリティでは当然のルールやマナー、社会常識が欠落していることが多く、社会とどう上手く付き合っていくかとういう大人として必須の思考がない。それどころか、自分たちに”だけ”都合のいい、自分たち”だけ”で決めた勝手な解釈や基準を状況を考慮せず押し付けて、顰蹙を買う。それは嫌われて当然だ。

 わかり合える仲間が欲しい、同じ境遇の同士に合いたい、支えが欲しいと思ってコミュニティを希望する人は多いだろうが、実際には沼にはまる危険性が多い。自身のコントロールが効かない人同士で集まってる弱者コミュニティでは、なおさら起こる。

 それだったら、精神科医や心理士の監修を受けたほうがいいし、自立支援団体のほうがまだ健常者や指導員がついているので増しである。

 自分の願望や安心だけを求めてリスクを省みないと、永遠に同じ失敗を繰り返す。依存傾向が強くて、自分の中にデッドラインを引けない人は、コミュニティにいいように使われるか場を荒らすかの末路になる危険性が高い。コミュニティはある程度精神が成熟して、大人になれた人でないと難しいのだ。




2026年9月11日金曜日

方向音痴の人がやりがちなこと3選



 いつも政治経済や心理のような堅い話ばかりしているので、たまにはもっと庶民的で身近な話題もいいかと思って、方向音痴について語る。まあ、誰の身近にも1人くらい方向音痴の人はいるだろう。地図を読めなくてどっちに向かっているのかわからないとか、目指す方向から逸れて立ち往生してしまう人とか、予定より大分時間が過ぎてようやく目的地に着く人とか。迷わない人からしたら、「なぜそうなる?😓」と言いたくなるだろうが、当人にとっては切実な悩みだ。

 方向音痴の人は気づいてないだろうが、迷わない人とでは地図や道順の確認の方法が両者では異なる。実のところ私の母も大の方向音痴で、よく迷う。そんな母の道順確認のし方を見ていたら、私との相違があることに気がついた。

 そこで、方向音痴とそうでない人とでは何が違うのか比べてみる。


 方向音痴の人は、目印が大好き


 母の地図の見方を観察していると、とかく目印にこだわっている。テレビの実験での被験者なんかを見ていても、やはり目印が重要と思っている方向音痴の人は多い。酷いと外車が停まっている角を曲がって・・・とか言う人もいる(いやいや、車は移動しちゃうでしょうよ)。

 なぜかわからないが、方向音痴の人は目印こそが重要と思うらしい。しかし、初めていく土地ではそもそも目印がどんな物かもわからないのに、それを当てにしても合ってるかどうか確認をしようがない。そう、一度着たことある人しか知りえない情報を、初見の人が知るはずもないので無理がある。

 その矛盾を指摘したことがあるが、未だに目印が絶対だと頑なに信じている。う~ん、謎の思考・・・。


 何度も間違えているのに、なぜか自分の勘を信じる


 これも見かける。テレビの実験で方向音痴の人の動向を見たが、周辺の路地をロンダリングしていて迷っているのに、なぜか確認しないで勘でこっちの道と決断していた。それは迷うだろ!

 そもそも地図を見ても当てにならないという思い込みがあるようで、勘で判断するしかないという判断軸があるらしい。いやいや、そのやり方で迷い続けているんですけど。自分が判断ミスしていることには、どうやら無頓着らしい。


 そもそも地図をどう活用するかわからない


 ここが根本の原因だと思うが、地図の使い方がわかっていない。地図には目印など描いていないから、目印に価値観を置いてしまうと使い物にならない。その点でも、目印基準では上手くいかない。

 では地図はどう見ればいいのか?それは道路の形を見るのだ。地図には道路の形だけは隙間なく詳細に描かれている。どうカーブしているのか?道幅は?国道?交差点は〇差路?ロータリがあるか?線路沿い?など、さまざまな形状が描かれている。方向音痴の人は、こういう情報を結構見逃す。でも、出発地から目的地まで初見の人が明確にわかるのはこれだけである。ならば道路の形を見ないでどうするのか?


 自分の信じたいものを信じるスタンスでは方向音痴は治らない


 方向音痴の人を見ていて思うのが、基本自分の信じたいものを信じるスタンスを採っている人が多いことだ。だから、間違いを指摘しても素直に受け入れないので、修正されない。いつまで経っても「自分にはこれが合っている。だから正しい。」と頑なに信じていて、間違うやり方に固執する。

 しかも、この方法論のおかしいのは、道順が合っているかどうかではなく、自分が受け入れられるかどうかという感情に判断基準を置いていることだ。感情で判断されても、道順の正解は導き出せないのに・・・。この自己中心性を緩和させないことには、どうにも改善の糸口すらつかめないだろう。




2026年9月8日火曜日

金持ち=悪人というレッテルを貼らずにいられない人


 街頭演説にしても、メディアにしても、SNSにしても、日々金持ちへの根拠のない誹謗中傷や決めつけによる暴言を目にしている。大金を稼ぐからには何か悪いことをやっているに違いないとか、非正規労働者を安くこき使っているとか、株で楽して儲けたくせに分け前をよこさないとか、高い報酬を得ていながら税金を払わないとか、下手したら刑法に引っかかるような酷いこき下ろしをする人も少なくない。その暴言たるや常軌を逸しており、正気を失っているとすら思える。

 そういうことをするのは、どんな人なのか?なぜしてしまうのか?実際に目にしたことをもとに、解明する。


 レッテル貼りをする人


 そういう人の素性やプロフィール、経歴を見てみると、一般的に不遇といわれる部類に入る人が結構いる。雇用関係だと、長年の非正規労働者、氷河期世代、過剰な転職回数、過重労働の職種など。精神関連だと、うつ病で休職中とか、双極性障害で社会に居場所がないとか、長年にわたって引きこもり中などというのが割と目につく。これによって望まぬ結果に至っている人たちといえる。

 確かに非正規労働にしても氷河期世代にしても不利な条件ではあろう。特に世代は自分で決めたわけではないからどうにもならないし、過重労働も需給バランスの悪さが原因としてあるので本人の責任とは言いがたい。精神に関しても療養期間はどうしてもブランクになってしまうし、体力やモチベーション、ポテンシャルが低下してしまうのはハンデとなろう。


 金持ち・・・羨望の対象から憎しみの対象へ


 だからこういった不遇に遭っている人は、そのハンデに対して大きな悔しさと無力感を抱いていることが多い。この精神状態で金持ちを見ると余計羨ましさが増すだろう。自分の不幸で苦しい境遇に対して、金持ちは資産を転がすだけで楽してお金を増やしているように見えるから。その上、企業の取締役になれば自分の報酬を自分で決められる(本当はそうではない)となれば、お金を独占されている気分になるだろう。

 そういった金持ちに対するネガティブなイメージが膨らんだ状態で、たまたま一人が不正を働いたとなれば、「あ~、やっぱり!」となって金持ち=悪人という方程式が自分の中に出来上がってしまう。ちなみに、こういう心理現象のことを、確証バイアスという。この段階で金持ちは、自分の中で憎しみの対象に変化する。


 本当の問題点は何か?


 しかし、実はこの手の思考にとらわれる人たちには問題点がある。それに気づかない限り現状を打開することはできないし、誹謗中傷やこき下ろしを手放すことができない。それは何か?


 ① リスクマネジメントをしてこなかった

 まず重要なのはリスクへの予防、いわゆるリスクマネジメントをしてこなかったことだ。雇用や世代、病気、生育環境など、様々なバックグラウンドは確かにあろう。しかし、それだけが100%運命を決めているということはありえない。なぜなら、自分で対策できるものも必ずあるからだ。

 例えば、ちゃんと勉強していればいい学校へは入れて、正社員採用されたかもしれない。完璧主義を捨てていれば対人関係が悪化せず、転職せずに済んだかもしれない。夜更かし不摂生せずにしっかり睡眠時間を確保していれば、うつ病にならなかったかもしれない。衝動買いをやめていれば、お金が手元に残ったかもしれない。

 こういった自分の選択次第でリスクを回避することは可能だし、例えアクシデントが発生してもその影響を低減させることができる。

 しかし、こき下ろしをする人は大丈夫だろうと高をくくって、リスクマネジメントをしてこなかった。それどころかリスクが眼中になかった。だから、不慮の事故のように感じて、自分の運が悪いように見えてしまう。

 ちなみに金持ちにとってこういったリスクは織り込み済みで、想定の範囲内である。


 ② 日々の何気ない選択を軽視している

 不遇にあえぐ人たちは、日々の小さな選択を軽視する傾向にある。先ほども言ったように彼らは高をくくるので、小さな選択は誤差の範囲内で、人生に影響しないと甘く考えているのだ。

 例えば貯金をするかしないか、そのために節約をするかしないか、さらにそのために酒やたばこを止めるかどうか・・・。こういったことは健康で特に困っていない時には問題にならないので、見てみぬ振りしがちである。

 しかし年を取り長年の不摂生が祟って、体調を崩すことになる。そうなると治療費がかかるし、その間の生活費を捻出しなくてはならなくなる。でも節約しなかったから貯蓄がないとなると病院にかかれないし、食べることすらできない。こういった小さな選択は、巡りめぐって大きなツケとしてやってくるのだ。

 金持ちがお金にシビアで健康オタクであるのは、このためである。


 ③ 変化を嫌い、現状維持を望む

 もうひとつ挙げるとすれば、変化への対応だろう。不遇になる人というのは、とかく変化が嫌いな人が多いのではないだろうか。変化を受け入れるとそれに合わせて対応を変えなくてはならないので、手間がかかり、面倒である。現状維持であれば手間がかからないので楽だから、抵抗したいという衝動に駆られてしまう。

 だが残念ながら変化しないものはない。仏教でも言われるように、この世の全ては諸行無常である。つまり、いかなる物事も今の状態を維持することはできないと説いている。家は老朽化するし、家電製品はいつか壊れるし、会社の人員は入れ替わるし、いつも体調がいいということはないし、そもそも自分自身が必ず老いて衰えていく。

 よって変化せざるをえないのだ。若い頃は体力勝負できるかもしれないが、中年になってくるとだんだん辛くなってくる。そうなると働き方やポジションも変化させないと、体力や家計に対応できなくなる。そのことを想定して若い内から布石を打っておくと、年を取った時に困らなくて済むのだ。

 だから金持ちは変化をすすんで受け入れる。


 みんながあぐらをかいている間でも、金持ちは見えないところで動いている


 そもそも多くの庶民は、金持ちが何をしているかなんて真偽不明のうわさを聞くだけで、実際に見たことはないだろう。現実の金持ちなんて非常に用心深いので、油断禁物とばかりにストイックな選択を採る人が多い。庶民があぐらかいて寝そべっている時も、万が一を考えてあの手この手を尽くしている。

 だから、庶民が災難に遭って困窮している時も、金持ちは慌てることなくスマートに順応する。それは普段の仕込みこそが重要で、平時にどれだけのことができるかあらかじめ考えていたからだ。

 しかし、庶民はその時の姿を見ていないから、初めからお金を持っていたとか、悪いことをやって不正に得たというように思えてしまう。金持ちこそがアリとキリギリスのアリなのである。




2026年9月4日金曜日

#6666運動 6時間労働の末路


 今SNSのXで「#6666運動」というのがバズっている。これは何かというと、

  • 6時間仕事
  • 6時間睡眠(もっといっぱい寝てもいい)
  • 6時間趣味(もっといっぱい遊んでもいい)
  • 6時間家事(もっと少なくサボってもいい)

 というものである。簡単に言うと、勤務時間を6時間にして、もっと睡眠と趣味に割り振りたいというものだ。健康に良く、好きなことに割く時間も増える。単純に考えるとハッピーで、いいことのように思える。

 だが、そんな上手いこと行くだろうか?そこでシミュレートして、末路はどうなるか検証してみる。


 6時間勤務で起こること


 では実際に勤務時間を6時間にした場合で想定されることを挙げていく。果たして6666運動を提唱している者たちの思惑通りにいくだろうか?


 ① 時間給労働者の給与が減る

 まず必ず起こるのが、時間給労働者(アルバイト・パートタイマーなど)の給与減だ。勤務時間が減るのだから、その減った時間分給与も減る仕組みだ。この人たちはより困窮することになるのは必至だ。


 ② 労働力が減り、仕事が終わらなくなる

 勤務時間が減った分だけ労働力も減る。人口減もあるから従業員の補充も難しく、その穴を埋められない。

 しかもブルーワーカーだと業務が現場作業なので、ITやAIへの置き換えができない。だから、ただでさえ終わらない仕事がもっと終わらなくなる。


 ③ 残業代がかさみ、会社の採算が合わなくなる

 そうなると残業で回すことになるので、当然超過した分は残業代として1.25倍の人件費がかかってしまう。そうなると元々収益率の低い業種は増々採算の合わなくなり、倒産する事業所が増加するだろう。


 ④ インフラの削減や不備、倒産が加速する

 そうなった時に最も悪影響がでるのが、インフラだ。交通であれば不採算路線が増え、廃線せざるをえなくなる。これは都市部でも起こりうる。

 病院の場合はもっと深刻で、既に8割が赤字経営に陥っているのに、さらに人手不足と人件費の増加が起これば、もはやほぼ全てが閉鎖せざるをえなくなる。そうなると、急患の受け入れ場所がなく救急救命は不可能になるし、入院治療や手術もできなくなる。

 この他、老朽化に伴う水道の交換もただでさえ後手に回っているのに、もっと手が回らなくなるから水道管の破裂や漏水が増える。ケースワーカーやケアワーカー不足もより深刻化して、対象者の放置や孤独死も増えざるをえない。


 ⑤ 物価上昇が加速する

 6時間に減った中でも売上や利益を確保しなくてはならなくなるので、コストプッシュインフレが加速する。今よりももっと物価が上がり、手取りは増えてないのに生活費が増える状況に拍車がかかる。


 ⑥ 国民全員が貧しくなる

 手取りは増えないのに生活費が上がるということは、買えるものの総量が減るので貧しくなる。これは貧富に関係なく国民全員に降りかかるので、国全体として貧しくなる。


 ⑦ 社会保障への依存度が高くなる

 多くの人は資産など持たないから、この物価上昇を吸収できず生活苦になる。そうなると頼るのが社会保障だ。

 社会保障の給付額がどんどん増し、資金不足が加速する。実際、健康保険組合の半数以上がすでに赤字経営におちいっており、いつ破綻してもおかしくない。生活保護の申請数も増加しておりその費用が増している。


 ⑧ 税率や納付額がさらに上昇する

 当然、社会保障の赤字を食い止めないとライフラインを維持できなくなってしまう。それを回避するために、今よりももっと税率や納付額を引き上げなければならなくなるだろう。ただでさえコストプッシュインフレで家計が火の車だというのに、さらに社会保障費が圧迫するのだ。


 ⑨ 6時間勤務で喜ぶのは最初の内だけで、また不満を抱く

 身も蓋もないことを言うが、こういう都合のいいことには人間すぐに慣れて当たり前に感じてしまうという習性がある。そうなると幸福感も薄れ、6時間勤務に対してもまた不満を抱くようになる。

 文句を言う人というのはどんなに好条件になっても不満を抱くので、キリがない。本当のところは勤務時間の問題ではなく、妥協を知らない、欲と理想のしもべになっていることが問題なのだ。


 6時間勤務だと全員が貧しくなる


 結局のところ、6時間勤務にしたところで豊かにはなれない。むしろ様々なものの不足を招き、生活苦にしかならない。それは国民全員の貧困化であり、もう社会やインフラを支え、維持することすら叶わなくなる。

 大体、そんな甘い話が通用するほど社会は都合よくできていない。そんなのは怠惰な人間のたわごとでしかない。

 それに、そんな勤務形態が許されたとしても、そういう美味しいポストは有能な人間から占めていく。だから、普段から勤務形態に文句を言っているだけの無能な人間には回ってこない。そういう人間はいつだって後手に回るから、ハードワークにしか就けないのだ。

 結局、良い職場、良い雇用条件を得たいなら、自分のレベルを上げ、市場価値を高める苦労をしなければ不可能なのだ。




2026年9月1日火曜日

植物を育てても精神が整うし、癒しになる



 よく巷では精神を癒したり、愛情を育んだりするのにアニマルセラピーをやる人も多い。特に愛玩動物なんかだと見た目の可愛らしさと、愛くるしい表情もあって、好む人が多いようで、それがペットとしての飼育につながることもある。

 しかし、ペットとして飼うにはかなりの負担がかかる。日々の餌代の他、トイレ用の砂の入れ替え、小屋や遊具などの購入費、爪や毛のカット、冬期と夏期のエアコン代など、何かと定期的に手間とコストがかかる。

 何より高額なのが、医療費だ。人間と違って健康保険がないので、全額自費で賄わなくてはならない。病気になれば数万~数十万円ほどかかるし、多頭飼いになるのを防ぐために避妊手術もしなくてはならない。そのためSNS上で、これらの費用を賄えるはずのない生活保護受給者のペット飼育がかなり問題になり、炎上までしてしまっている。


 植物の飼育がおススメ!


 そこで代替策としておススメしたいのが、植物だ。これも飼育には変わりがないし、植物も生き物であるからかわいさもある。日々の変化は乏しいが、数日経てば芽が出て、葉っぱが増えて、花が咲いて、実をつけるから、ちゃんと変化を実感することもできる。

 なのでここでは、生活保護受給者にこそ植物の飼育のほうがおおススメである理由を挙げていこうと思う。


 ① 圧倒的なコスパの良さ


 一番の理由はコスパだ。とにかく安く済む。

 動物の場合は飼育コストがことごとく高く、それも毎日なのでトータルで見てもコスト高になりやすい。医療費などの臨時の出費にいたっては万単位なので生活保護受給者にはとてもではないが払えないし、それによって動物に対するネグレクトにもつながるので、動物虐待になり刑事事件化することもある。生活保護受給者のペットは、決して推奨できない。

 これに対し植物は、基本毎日のコストは水やりだけである。水道水でいいので、コスパは最強である。しかも、冬場は2日に1回か、3日に1回の水やりでいいので、もっと安くできる。

 病気もあまり罹らないし、そもそも医師が必要ないので医療費は全く発生しない。エアコンをつけっぱなしにするほどの温度管理は必要なく、室内への出し入れで十分なので電気代もかからない。

 余計にかかる費用としては、培養土代、肥料代、鉢代、苗の代金で、どれも500円以内で収まるので、トータルでも1万円を超えることはない。

 しかも、野菜や果物の苗だったら、大きくなった時に収穫できて家計の足しにもできるので、むしろ元が取れる可能性もある。あと、スーパーで買って食べた果物の種を蒔くと発芽するものもあるので、そうなると苗代も節約できる。実際、枇杷なんかは蒔くと発芽するし、今私の家ではすくすくと大きくなっている。

 ちなみに今、私自身は枇杷の他に、青紫蘇、モミジ、ピーマン、万願寺唐辛子、シダ、グミなんかを育てている。かつては、モンステラ、苔玉、松、苺、姫桜桃、大根なんかも育てていた。


 ② 省力・管理のしやすさ


 これもメリットが大きい。歩き回ることは絶対にないし、糞をするわけではないし、散歩も必要ないので、圧倒的に楽である。労力といえば、水やりくらいか。これも、夏場だと1日2回やらねばならないが、気温が下がってくれば土の渇きが遅くなるので、2~3日に1回のペースで十分になる。

 時々日当たりや気温を考えて置き場を変えることはあるが、東向きの家や南向きの家であれば置きっぱなしでも問題は少ない。気温が低い冬場だと、夜間は室内に入れることはある。特に温暖地域の植物は。

 あとは、たまに肥料をやったり、植え替えしたり、剪定したりはあるが、そんなのは毎月ではないので動物と比べたら天と地の差である。むしろ野菜や果物の収穫作業は、楽しみでしかないし、今もピーマンや万願寺唐辛子が実り始めていて、今か今かと待ち遠しいばかりである。


 ③ 多くの植物は寿命が長い


 植物の種類にもよるが、多年草や樹木の場合は寿命が何十年にもなるので、育て方が悪くない限りそうそう死なない。愛玩動物が5年とか10年とかで亡くなるのとは、大きな違いだ。植物の場合は丁寧に育ててあげれば何十年何百年と生きるので、滅多に死ぬことはない。

 ただ、種類によっては一年草ないしは二年草なんかもあるので、これは1~2年で枯れてしまう。でも、種を採取して蒔けば発芽して大きくなるので、繰り返し育てることができる。青紫蘇なんかは一年草なので、その習性がある。(ピーマンも日本で育てると一年草になってしまうらしいが、うちのピーマンの木は2年目なので本来の多年草の威力を如何なく発揮している)


 ④ 盆栽であれば資産価値が生まれる


 これは盆栽限定の話だが、実は売値がつく場合がある。動物だと一度飼い始めたものを転売するのはご法度だし、ユーズド扱いになるので値段なんぞつかない。

 しかし盆栽に限っては、上手く育てて見事な形に整えることができると、商品価値が発生する。有名な盆栽作家の作品となると数百万円にもなるし、歴史上の人物が所有していた盆栽となるとさらに高い値段がつく。実際、徳川将軍が所有していた盆栽が未だに生きて保存されており、恐らくは値段がつかないほどになっている(3代将軍徳川家光所有、樹齢550年の五葉松の盆栽「三代将軍」は未だに生きて残っている)。ここまで来るともはや金融資産である。


 ⑤ とにかく大きくなる様が可愛いい&うれしい&癒し


 植物を育てる一番の魅力は、大きくなっていく様が愛らしくて、うれしくなるという点だろう。自分の育て方が上手くいっている証拠だし、植物自身も喜んでいるということだ。なんか自分の分身というか子供というか、それがすくすくと育っていくのはうれしいものだし、どんどん愛着が湧く。

 それに緑がある生活はリラックスを促すし、癒しを感じるものだ。殺風景な家に彩を添えるのでインテリアとしてもピッタリだし、運気を上げるとも言われる。

 光合成によって酸素を排出するので酸欠を防ぐし、空気をキレイにしてくれるので呼吸が楽になる。正に癒しそのものである。




2026年8月29日土曜日

医師=金持ちといまだに言われるが・・・?


 日本の経済力が減速している中、庶民の生活が段々と逼迫してきている。特にエッセンシャルワーカーである看護師の給与が上がらないにもかかわらず、職務は過酷さを増している。その際槍玉に上がりがちなの医師だ。長くお金持ちの代名詞とされてきたからだ。

 だが、現代において本当に医師は、いうほどお金持ちなのだろうか?そもそも医師になるのにどれだけお金がかかるのか、考えたことがあるだろうか?


 医大の学費


 さて長年金持ちの象徴とされてきた医師だが、その一方で医師の登竜門である医大は学費が高いことで知られる。実際どれだけ高いのだろうか?

国公立 私立
文系(4年間総額) 約240万~260万円 約410万~470万円
理工学部(4年間総額) 約240万〜250万円 約540万〜600万円
医学部(6年間総額) 約350万~414万円 約1,850万〜4,725万円
※参照:マネープラザONLINE ベネッセ教育情報 駿台予備学校 医学部予備校メディカルラボ 医学部進学予備校メビオ

 医学部のみ6年間の通学となっているので期間が長いが、このように開きがある。特に私立医学部の学費の高さが顕著で、私立文系と比べたら5~7倍、国公立と比べると10倍以上にもなりうる。さらに、近年は国公立医学部においても値上げが検討されており、東京大学でも414万円にする案が出されていて、他大学もこれに続く動きがある。

 加えて、私立大学では学校ごとに学費が異なる点にも留意する必要がある。特に医学部は開きが大きく、2026年時点で最も安いのが国際医療福祉大学で1857万円、最も高いのが川崎医科大学の4725万円である。実家が億万長者ならこの額を出せるかもしれないが、会社員の家庭だと部長クラスでもキツイだろう。

 それと、今いる医師の全員が2世であるとは限らないので、一般家庭の出の医師だと自ずと奨学金や学資ローンを組むことになるだろう。ここ最近は奨学金の申請件数が増加傾向にあるから、医学部はなおのことだろう。そうなると、就職して給与を得てもローンの返済に充てざるをえないから、贅沢はまず無理だろう。

 ちなみに、防衛医科大学の場合はむしろお金をもらいながら学べるが、その代わり卒業後も一定期間の任官が課される。もしこの期間内に退官した場合は学費の支払いが課されるので、注意が必要である。


 医師の報酬


 よく医師は高給取りだと言われるが、その多くは開業医か美容整形医が占める。その報酬の内訳はというと、開業医のほうは経営者であることから役員報酬が、美容整形医の場合は自由診療から最も多い。ある程度青天井のところからお金を得ているというわけだ。

 これに対して勤務医はというと、役員報酬もなければ自由診療もない。保険診療からくるお金だけが頼りである。しかも、保険診療は国で価格統制されており、病院側で決めることができない。2026年に価格改定されたが、設備の維持管理に充てる分だけにとどまっており、給与に転嫁できるほどではない。つまり、勤務医の給与は未だ横ばいだ。

 さらに、勤務医こそ専門性が問われるから学会に所属したり、研修を受けたりする必要もある。その会費や研修費用は自腹なので、この出費も痛い。


 実は開業医だって楽じゃない


 よく開業医は金持ちといわれ揶揄されるが、本当にそうだろうか?こういう揶揄をする人は特定の報酬額や所有物しか見ておらず、経費を度外視しているから当てにならない。

 実際に開業するとなると、各種医療機器を取り揃えねばならない。診療科にもよるが、検体やワクチンの保存用冷蔵庫、電子カルテ用サーバーなんぞはまだかわいいものだが、レントゲン撮影機(約1,500万〜2,300万円)、CTスキャナー(約8,000万円)、MRI(約1億〜1億5,000万円)、心電図モニター(約50万〜100万円)、超音波死んだ装置エコー(約800万円)、内視鏡システム(約2,000万円)などの機器はいずれも高額で、MRIにいたっては1億円(設置費別)を超える。

 当然、貯えだけでは払いきれないから銀行からお金を借りる必要が出てくる。となれば毎月返済が発生するので、その分お金に余裕はなくなる。開業しても借金があるうちは、報酬なんてたかが知れてるのだ。


 医師だって大半はカツカツ


 結局のところ、医師だって楽でないのだ。美容外科は華やかで目立つが、大半は目立たない保険診療医である。しかも、その中には勤務医も大勢いるし、開業医だって設備投資でお金がかかる。正直、テレビで見ているレアな医者と近所のどこにでもいそうな医者では生活実態が違うのだ。

 医師は金持ちというのは作り上げられたイメージで、現実を反映していない。子供の頃から受験勉強の毎日だし、医師だってカツカツで楽ではないのだ。




2026年8月28日金曜日

”ノーリスク=ノーリターン” 1つの仕事にしがみついて没落する人


 非正規労働者や氷河期世代、基礎年金のみの受給者など、収入が足りないことを口にする人が次第に増えている。給与が上がらない、正社員登用されない、使い捨てにされている、年金だけでは暮らせない・・・。まあ、出るわ出るわで、各々自分がどれだけ不遇かを競い合うように不満を吐露している。

 だがこういう人たちの境遇をよくよく見てみると、なるべくしてなったと言わざるを得ないところが見つかる。それは、「1つのことしかやってない」「長年同じことしかやってない」「最小限のことしかやってない」というところだ。


 実は努力の方向性には、2種類ある


 それでもこの人たちはこう言うだろう。「今まで頼まれた仕事を一生懸命やってきた」「嫌な仕事も引き受けてきた」「残業もした」「クタクタになるまで仕事をした」と。そう感じる部分はあるだろうし、実際仕事は大変だっただろう。それは本人からしたら、相当努力したと思っていることだろう。だから、努力が足りない、怠けていると言われると腹が立つし、虚しくもなる。

 だが、この人たちはある重要なことを見落としている。それは、「努力の方向性には、2種類ある」ということだ。それはどういうことか?

 よく見ると、彼らのした仕事と努力は、今の自分を維持するための努力だ。頼まれた仕事をやるのも、嫌な仕事を引き受けるのも、残業をするのも、今の自分の生活水準を落とさないようにするため、もしくは社会から取り残されないようにするためにしたものだ。その姿勢は受け身であり、守りの努力である。

 だが努力にはもう1つある。それは攻めの努力だ。新しいビジネスを始める、キャリアアップのために勉強をする、複数の制度を活用する、生活や家計の見直しをするなど、新しい展開につなげるものがそうだ。不満を漏らす人たちは、この攻めの努力はしない。ただただ今やっている”1つの仕事にしがみつく努力だけ”している。


 今の仕事にしがみつくのは、今はノーリスクだが・・・


 もちろん今ある生活や収入を失うのは心配だから、しがみつきたくなるのは無理はない。やはり無一文になるのは生命にかかわるから、できればノーリスクでいたいものだ。しかも、その方が楽だし、ムダな体力を使わなくて済むし、何より毎日クタクタでやる気も湧かないし。

 だが残念ながらそこには発展はない。彼らが選択している努力は守りのためだし、今の生活においてノーリスク=ノーリターンだからだ。ノーリスクなものは安心安全ではあるが、世の中上手い話はないのでノーリターンである。リスクをとらないものに、見返りはないのだ。


 今のリスク < 将来のリスク


 しかも見返りがないということは、今のノーリスク=将来のリスクであることを意味している。さらに、今のリスクと将来のリスクの大きさを比較すると、今のリスク<将来のリスクという法則が社会にはある。今リスクを採ればコストが小さくて済むが、それを先延ばしにするとツケがドンドン溜まるから、将来払うコストが大きくなってしまうのだ。

 実例を挙げれば、収入源を増やさないと低収入のままなので、もし病気やケガになった時に生活費をまかなえず困窮する。貯蓄をしていないと、家のボイラーやガスコンロが壊れた時に買い替えできなくなる。普段から健康を疎かにしていると、生活習慣病から大きな病に進行し、一生多大な医療費を支払わねばならなくなる。

 このように社会は今のリスク<将来のリスクになるようにできているが、人間にはバイアスがあって将来のリスクを過小評価してしまう習性から、今を優先してしまいやすい。それは所詮バイアスであって現実ではないから、自分の感覚を信じてはならない。


 攻撃は最大の防御


 先人たちも攻めの姿勢や早めの行動が大事なことに気づいていた。孫子は「攻撃こそ最大の防御なり」と言ってきたし、「鉄は熱いうちに打て」ということわざもある。攻めの姿勢こそが将来のリスクを払い除ける最良の選択であるし、やるなら早いうちにやらないと効果は得られないということを教えてくれている。

 そして、成功者はこういう先人たちの教訓や名言をよく好み、肝に銘じている人が多い。自分の人生でそれを体験してきたという裏打ちがあるからだろう。


 1%でもリスクをとれば、状況は変わる


 だから、今の仕事だけやっていても、状況は良くならない。なので、自分から何か新しいことを始めないと、お金は増えない。

 特に没落する人は、臆病で、物ぐさで、受け身で、無気力で、自己保身的な人が多い。自分の人生を自分で変える、自分で作る、自分でコントロールする気概がない。自分のことなのに他人事に感じていて、他人事だから他責になる。

 しかし、自分のライフプランを他人が作ってくれることはない。自分と他人は入れ替われないからだ。である以上、他人が何とかしてくれると思っているのは大間違いだ。だからこそちゃんと自分でリスクをとって、能動的に変化をすることが必須である。そうなれば10年後は今までの自分とは見違えることだろう。




2026年8月25日火曜日

「あの人、本当は優しいのよ」→斎藤一人さん「じゃあ、出し惜しみしなさんな」



 斎藤一人さんという人がいる。カウンセリングとか自己啓発とかの世界では結構有名な方だ。あるYouTuberの方がこの斎藤一人さんの言葉を取り上げていて、興味を持ったので論じる。

 その斎藤一人さんがどんなことを言っていたのかというと、

 よく世の中に「あの人、本当は優しいのよ」という人がいるますよね。まあ、近所のおばちゃんとかがよく言いそうなことですわ。”本当は”ってわざわざ言うということは、普段はそうではないということですよね。つまり、優しくない。ちょっと待って!なら、なんで普段から優しくしないのと。本当に優しんだったら、普段から優しくしたらいいじゃない。それって、本当に優しいの?優しさの出し惜しみしなんて意味ないじゃない?

と。言われてみれば、確かにそうだ。本当に優しい人だったら、普段からそうしているだろう。でも、そうしてないから良く思われてない。で、おばちゃんのあの言葉というわけだ。


 裏腹な態度をとる人


 世の中には本音と裏腹な態度をとってしまう人もいるだろう。その理由として、シャイだったり、嫉妬だったり、天邪鬼だったりといろいろある。いずれの理由もそうだが、共通するのが素直でないということだ。

 これは人間関係においてマイナスにしかならない。というのも、本音を上手く出せないときにとる人間の行動は、大抵相手にとって嫌がらせにつながるからだ。シャイなのを悟られたくなくて憎まれ口をたたく、嫉妬から相手のイメージダウンを図るべくデマを流す、人のいうことに従うのが癪で真逆の行動を採るとかはあるだろう。いずれも人から顰蹙を買う行為で、評判が落ちるのはむしろ自分のほうである。


 良く思われたいなら、まずは素直になること


 腹の内なんて外からは見えないから、本当は優しいかどうかなんて他人にはわからない。やられた行為でしか判断できないので、それが悪ければ自分の印象も悪くなる。やった行為をいくら正当化しても相手が受けた害はなかったことにはできないし、本当の自分を察してくれというのも神様ではないので人間には無理である。

 結局は素直になって、自分自身を変えない限り、自分の評判は悪いままだ。だったら普段から人に優しくすべきだし、悪態なんぞつくべきでない。

 そんなことを思わされる、斎藤一人さんの言葉だった。




2026年8月22日土曜日

氷河期は本当に存在したのか? バブルを基準に勘違いする人たち



 ここのところ。就職氷河期が話題に上ることが増えた。正社員になれず苦労したとか、そもそも採用されず200社落ちたとか、非正規雇用で食いつないで今もそこから抜け出せないとか、酷い場合には引きこもってしまったとかだ。そしてその矛先を政府、政治家、政党、竹中氏、官僚、会社、富裕層などのいわゆる強者へ向けることが多く、それがエスカレートして暴言にまでなる場合も見られる。

 だが、これが本当に強者のせいなのだろうか?そして、言うほど氷河期は厳しかったのだろうか?もっと言うと、イメージに流されてないか?


 データで見る氷河期


 これはデータで見ないと何とも言えないので、「就職氷河期世代論のウソ」(扶桑社)という本を参考にする。

 まず見たいのは大手企業に関してだが、実は求人はほとんど減らしてはいなかった。実際に大手に就職できた学生の数もほとんど減っていない。バブル期(1988~1992)の平均就職人数は11.67万人だったのに対して、氷河期(1993~2004)の平均は10.43万人なので、約10%減にしか過ぎない。

 さらに後期氷河期とポスト氷河期と比べても、就職者数の差は6万人程度、無職・フリーターも6万人程度だった。53~54万人の卒業者数の時代で6万人の差だったので、これまた11~12%の差に過ぎない。

 もう1つ面白いデータがある。大学卒業時点で無職・フリーターだった人のその後だ。30代前半までには75%が不安定雇用から脱し、40歳の時点となると85%にまで達していた。つまり、氷河期で正社員になれずそのまま非正規雇用から抜け出せなくなっている人が大勢いるというのは全くのデマで、多くは正社員登用になっていたのだ。


 デマのきっかけは、バブルのせい


 ではなぜこのデマが生じたかだ。それは恐らくバブル末期の時の異常な就職者数の高さが原因と捉えている。

 新卒求人数がバブル後期に840,400でピークを迎え、氷河期で390,700まで急落している。新卒で大手に就職した人数で見ても、バブル後期で一旦14.56万人になった後、氷河期で10万人前後で推移している。このギャップで激減したように感じたのだろう。

 ただバブルはかなり異常値で、それ以外の期間と比べると氷河期もなだらかな右肩上がりで推移しており、決して低いわけではない。つまり、バブルの頃が突出していて、それに惑わされているだけなのだ。


 非正規のままなのは氷河期のせいではない


 このことから非正規ままなのは極少数派だというのは明白で、皆あおりを受けたというのはデマである。それどころかバブル前と比べてもむしろ雇用状況は悪くなく、むしろやや良いくらいである。

 ということは、時代のせいにしている人が非正規のままなのは、本当は氷河期だったからではない。全く別の理由であるということだ。


 比較癖と不幸マインド


 では氷河期世代で非正規のままである理由は何だろうか?氷河期を理由に不満を訴える人の発言や書き込みを見ると、その傾向が見える。

 それは、比較癖だ。バブル期からの急落に着目していることから、比較をしていることがわかる。この比較癖を持っている人の特徴として、他人との比較と上位との比較という2つの悪癖がある。

 他人との比較がなぜ悪いかというと、自分の意志では変えられない相手との対比であるため、自分の人生も変えられないと思う原因を作ってしまうからだ。それと、相手に対して嫉妬心が生まれることで認知の歪みを生じさせたり、逆恨みや攻撃に転じたりすることもあるのが問題だ。そのせいでもっと惨めな自分を自ら作ってしまい、余計に没落させてしまう人も少なくない。

 上位との比較も悪い結果をもたらす。目標とするための対上位比較だったら前向きに進む原動力となるが、比較癖のある人の場合は自分が不幸であることを証明するためにやるので、悪い結果にしかならない。自分はこれだけ恵まれていない、こんなに運がないという理由を得るために比較しているので、自分の意欲を奪う。それどころか、不幸を盾にした揺すり、たかりをし、配慮を求めるような依存した生き方しかできなくなる。いわゆる、テイカーやクレクレ星人といわれる人だ。

 こういう比較癖を持つと、次第に不幸マインドが身についてしまう。何やっても上手くいかない、自分にはできるはずがないという無意識の前提を作ってしまい、そうなるように自分から仕向けてしまう。そう、不幸になるべくして不幸になるというサイクルにはまるのだ。


 自分の失敗を認めないために使われる氷河期


 結局、就職や収入が思い通りにいかない理由に氷河期をあげる人は、そういった自分の無意識のマインドに気づいていない。指摘して自分の失敗を目の当たりにさせても、多くは全力で否定するだろう。こういった人は自分の汚点から逃げることを処世術としているので、認めることは害としか認識しない。その口実として氷河期は最も都合がいいのだ。時代や他人のせいにできるので、自分のツケを払わない言い訳が立つからだ。

 しかし、そのツケからは逃れられない。嘆いているようでは何も変わらず、落ちこぼれていくばかりで、増々不遇になる。今不遇になっているのは、そのツケが回っているからだ。苦しいのはそれだけツケを残してきたからで、なるべくしてなったのだ。


 重い腰を上げないことには始まらない


 以上のことから、とにかく比較癖を止めること。できない理由を探すのではなく、できる限り早く決断することが何より重要である。自分の人生の責任を他人はとってくれないのだから、他人を当てにしていても何も変わらない。自分が動くしかなく、自分が変わらないことには未来は変化しない。

 何より、氷河期が終わってもう20年以上経つのだから、いつまでも氷河期を口にするのはお門違いだ。




2026年8月20日木曜日

貯蓄ができない人は国民年金基金も入るべき



 よくニュース番組の街頭インタビューで、年金について取り上げられる。その際にしばしば聞かれるのが、年金だけでは暮らせないという話だ。こういった話をするのは、大抵元自営業や元個人事業主、そしてその妻といった国民基礎年金しか納めてこなかった人々だ。しかも貯蓄もほとんどできておらず、月の生活費が7万円という人もざらである。

 ではなぜ国民基礎年金だけでは暮らせないのか?老後貧困を防ぐには、どうしたらいいのか?


 国民年金は、メインの収入にはなりえない


 国民基礎年金しか納めてこなかった人たちが最も勘違いしていたことは、国民基礎年金だけで全ての生活費をまかなえるはずと思っていたことだ。年金のシステムをよく理解しておらず、安易に全て依存しようとしたことに間違いがある。そのため数多くの誤算が生じた。

 そもそも国民基礎年金は、各種ある年金の一部に過ぎない。しかも当初平均寿命70歳の計算で運営していたので、自営業や個人事業であれば本業収入と合わせて生涯食っていける設計だった。医療の進歩により平均寿命が延びた。それもあって、多くが仕事を引退するようになった。そうなると、収入は国民基礎年金だけになる。貧しくなるのは当然だ。

 それに会社勤めをしてきた人ですら、国民基礎年金+厚生年金を受給しているとはいっても、何とか中流を維持している状況である。まして国民基礎年金だけだと、とても暮らせるはずはない。


 貯蓄がないのも問題


 加えて問題なのは、貯蓄できていないことだ。今年金を受け取っている世代は、社会保険料や税率が今ほど高くなかった時代に現役だった。現代人と比べて圧倒的に負担率が低いにもかかわらず、貯蓄がないというのもおかしい。お金の使い方がどんぶり勘定で、家計管理がずさんだった可能性がある。

 こういう人はお金に対して無頓着で、あればあるだけ使ってしまう癖がある。マネーリテラシーが低く、制度の知識も自分から集めようともしない。将来のことを考えるという発想もないし、端から自分には関係ないと思っているからだ。だからお金も貯められない。


 お金の管理ができない人ほど制度を活用すべし


 ではこうならないためには、どうしたらよいのだろうか?大抵の人は、お金に対してストイックにはなりきれないので、どうしてもルーズになりがちである。そうなると、年金が少ない、貯蓄もないという今の高齢者と同じ状況になるので、自力で何とかするのは挫折しやすい。

 そこで重要なのが、制度の活用である。国民基礎年金では足りないのは明白なので、これに追加する制度がいくつかある。その中でも最も大きいのが、国民年金基金だ。これは厚生年金に加入していない人が対象で、自営業や個人事業主なら加入できる。この国民年金基金に加入して追加で納めれば、厚生年金の代替となる。そうすれば貯蓄ができない人でも強制的に積み立てができるので、その分受け取れるお金を増やせる。

 さらにもうひとつお得な制度が、付加年金だ。これも厚生年金に加入していない人が対象となる制度だ。毎月400円だけ追加納入するだけなので、今の家計負担は小さい。しかも受け取る時には納入月数×200円給付されるので、受給開始2年以上長生きできれば元が取れる。かくいう私も、厚生年金に加入するまで付加年金を払っていた。だから余計に年金をもらえる。


 お金の管理は個人では難しい


 正直、個人の力でお金の管理をするのは、自制心やメンタルとの勝負になるので難しい。よほどストイックになれる変態でもない限り、不可能に近い。ずべの素人であれば、なおさらだ。なら、制度やシステム、サービスなど、他人が自動で管理してくれるものを利用しないと上手くいかない。

 そのためには知識が重要で、ちゃんとこういったことを自分から調べる癖をつけておかないと、将来大きな悔いが残る。近年は学校でも金融教育が盛り込まれているようだが、一素人に過ぎない教員が説得力を持って教えられるかは甚だ怪しい。

 だからこそ、他人を当てにしたり、運に身を任せたりするのではなく、自分で学び取る力が試されているのだ。