マイノリティが注目されるようになって以降、様々なマイノリティや弱者のコミュニティや団体、NPOが立ち上がるようになった。LGBTQ、精神障害者、知的障害、発達障害、フェミニズム、部落、在日外国人、貧困層、引きこもり、不登校、非行、非正規労働、氷河期世代など、数え始めたら枚挙にいとまがない。
そんな弱者コミュニティだが、そこに入るのはデメリットやリスクが多い。かなり自分の人生に悪影響を及ぼしかねないほどで、個人的にはこれらのコミュニティへ入るのはおススメできない。では、どんな理由があるのか?列挙していく。
閉鎖的であるために、社会との隔たりが大きくなる
こういった弱者コミュニティの特徴として、閉鎖的というのがある。同類同士集まりであるため自己防衛の要素が強く、タブーが多いため、保守的で異分子排除の性格を帯びているからだ。そのため社会から隔絶されていることが多く、一般社会の常識やルールが通用せず、独自の価値観や世界で動いている。
その結果、一般社会で通用しなくなっていくので、社会と上手くやっていくことが難しくなってしまう。こういうコミュニティやそのメンバーが孤立しやすいのは、この隔絶された環境が関係している。
一度入ると、簡単には抜けられない
これもありがちなトラブルだ。愛層が尽きたり、卒業しようと思ったりして抜けようとすると、途端に裏切り者として罵られる。「アイツは変わった」「アイツは俺らを見捨てた」「アイツは冷たい」などと言って、相手に罪悪感を抱かせて引きとめようとする。なぜなら、孤立感の強い人が多く集まっているので、見捨てられ不安を抱きやすい人が多いからだ。
このコミュニティに属する人たちは人生上手くいってないという思いが強く、無価値感を抱えており、誰かに依存したいという願望がある。なので仲間の脱退は依存先の喪失であると同時に、自分の中で無価値感の証明になってしまう。アイツは成長しようとしているのに自分はこんなところでまだくすぶっている、底辺のままでも大丈夫と思っていたのに不安にさせないでくれという見たくない現実を突きつけられるので、拒絶したくなるのだ。
このコミュニティに属する人たちは人生上手くいってないという思いが強く、無価値感を抱えており、誰かに依存したいという願望がある。なので仲間の脱退は依存先の喪失であると同時に、自分の中で無価値感の証明になってしまう。アイツは成長しようとしているのに自分はこんなところでまだくすぶっている、底辺のままでも大丈夫と思っていたのに不安にさせないでくれという見たくない現実を突きつけられるので、拒絶したくなるのだ。
さらにコミュニティは安心安全の場でもある。無価値の自分でいても差しさわりのない場所であり、現状維持が許される緩い場でもあるため、傷つく恐れが少なく心理的に楽な場所である。こういう場所は恐怖を感じることがなく居心地がいいため、人間はなかなか抜け出す決意ができない。
これらのことから、自分は自分で安住して抜け出す決意がなかなかできない、仲間の脱退を見ると自分は置いてかれた感覚になり引きとめたくなる、いざ抜け出す決意をすると足を引っ張られるという三重苦に晒されるのだ。
これらのことから、自分は自分で安住して抜け出す決意がなかなかできない、仲間の脱退を見ると自分は置いてかれた感覚になり引きとめたくなる、いざ抜け出す決意をすると足を引っ張られるという三重苦に晒されるのだ。
人格の成長が止まる
社会との関係性にも影響が出るものとして、人格の成長が止まる点が挙げられる。停滞している者同士のコミュニティだから、ここに入ると自分の人間性が磨かれない。それどころか自己変革を拒み、誰もが現状維持を堅持しているので、自分もその雰囲気にのまれて流されてしまう。
さらに弱者を標榜して名を売っている以上、弱者であり続けないと利益を得られないというのもある。成長したら弱者たりえなくなるので、どうしても成長するわけにはいかない。だから停滞、現状維持を選んでしまう。
さらに弱者を標榜して名を売っている以上、弱者であり続けないと利益を得られないというのもある。成長したら弱者たりえなくなるので、どうしても成長するわけにはいかない。だから停滞、現状維持を選んでしまう。
何でも被害者ポジションに逃げ、卑怯者になる
弱者という肩書は、結構使い勝手がいい。免罪符や印籠として利用価値が高く、自己正当化や脅しに使えてしまう。というのも、弱者への批判はぱっと見、いじめや差別に見えてしまうからだ。直観的な人や短絡的な人であれば鵜呑みにしてしまうだろうし、そうでなかったとしても心理的に罪悪感を抱かせ、躊躇させることができる。なので、弱者の肩書きは被害者ポジションへの誘惑が大きい。
しかもこの被害者ポジションが厄介で、罪悪感を抱かせたり、善悪の構図を偽装したりできるので、相手をコントロールするのに使えてしまう。さらには加害者と被害者の立場を逆転させ、罪をなすりつける道具としても利用できる。
この誘惑に負け被害者ポジションをとる人は、罪を認めない、責任をとらない、それどころか責任転嫁する卑怯な人間になる。
この誘惑に負け被害者ポジションをとる人は、罪を認めない、責任をとらない、それどころか責任転嫁する卑怯な人間になる。
歪んだ仲間意識から、自浄作用が働かない
あと、弱者コミュニティ特有の問題として、自浄作用が働かないという問題も近年浮き彫りになっている。メンバーないしは集団で不祥事を起こした場合に、誰も誠実な対応をとらないというのが当然のごとくに頻発する。
弱者コミュニティは歪んだ仲間意識とお気持ち優先の価値観で動くから、責任を果たすよりも”かばい合う”ほうをとってしまう。それどころか、責任を果たさせること=悪みたいな雰囲気にもなって、組織内でちゃんと苦言を言える人間がいなくなってしまう。
その結果、誤りを正せる人間がいなくなって、自浄作用が働かない。だから社会的に間違った対応をとり続けることになり、よけい批判を浴びることになる。
傍若無人になり、周りに問題児しかいなくなる
こういう卑怯な態度を続けると、当然周りからまともな人が離れていく。まともな人からしたら、被害を被りたくないし、付き合っていても損ばかりで得をしないからだ。
しかも昔から「悪事千里を走る」というように、悪い評判は瞬く間に拡散して、多くの人に共有される。特にSNSが普及して、誰もがメディアになれる時代になった今、その拡散力は計り知れない。中でも日本は識字率が99%と高く、底辺層であってもほとんどの人は読み書きができてしまうので、格段に他人の悪事は拡散されてしまう。
そうなると自分の周りには、まともな人は残らない。残るのは利害関係がある人と従属的な人、自分と同じように嫌われ者で行くところがない人だけだ。そこにあるのは欲と支配と依存の関係ばかりで、対等かつ健全な人間関係はないし、いつまで経っても世の中で通じる社会性は育まれない。
弱者のコミュニティは危険が多い
このように弱者コミュニティは、病み深い問題が多い。こういったコミュニティはよく多様性を叫ぶが、その建前とは裏腹に本音では同質性を強要する。取り繕った建前だけ見ていればまともなように聞こえるが、所詮は自分たちの安心安全と自己都合しか頭にない、社会から逸脱している人たちの集団である。
だから、マジョリティでは当然のルールやマナー、社会常識が欠落していることが多く、社会とどう上手く付き合っていくかとういう大人として必須の思考がない。それどころか、自分たちに”だけ”都合のいい、自分たち”だけ”で決めた勝手な解釈や基準を状況を考慮せず押し付けて、顰蹙を買う。それは嫌われて当然だ。
わかり合える仲間が欲しい、同じ境遇の同士に合いたい、支えが欲しいと思ってコミュニティを希望する人は多いだろうが、実際には沼にはまる危険性が多い。自身のコントロールが効かない人同士で集まってる弱者コミュニティでは、なおさら起こる。
それだったら、精神科医や心理士の監修を受けたほうがいいし、自立支援団体のほうがまだ健常者や指導員がついているので増しである。
自分の願望や安心だけを求めてリスクを省みないと、永遠に同じ失敗を繰り返す。依存傾向が強くて、自分の中にデッドラインを引けない人は、コミュニティにいいように使われるか場を荒らすかの末路になる危険性が高い。コミュニティはある程度精神が成熟して、大人になれた人でないと難しいのだ。
わかり合える仲間が欲しい、同じ境遇の同士に合いたい、支えが欲しいと思ってコミュニティを希望する人は多いだろうが、実際には沼にはまる危険性が多い。自身のコントロールが効かない人同士で集まってる弱者コミュニティでは、なおさら起こる。
それだったら、精神科医や心理士の監修を受けたほうがいいし、自立支援団体のほうがまだ健常者や指導員がついているので増しである。
自分の願望や安心だけを求めてリスクを省みないと、永遠に同じ失敗を繰り返す。依存傾向が強くて、自分の中にデッドラインを引けない人は、コミュニティにいいように使われるか場を荒らすかの末路になる危険性が高い。コミュニティはある程度精神が成熟して、大人になれた人でないと難しいのだ。























