態度とは裏腹に、悪事を好む人は幸福感が低い
というのも、真っ当ではないやましい手段でしか自分の願望を通せない、キチンと義務や勤めを果たす相互的な方法ではなく、人から力尽くで奪ったり施しに頼ったりという一方的な方法でしか欲しいものを手に入れられない自分に、本人も内心嫌気がさしているからだ。
しかも、そういった行為は人から嫌われるし、警戒されるし、非難される。そのことにまた腹を立て人に噛みつき、それどころかその自身の悪行のもみ消しを図らんと、相手をおとしめたり、脅したりしようものなら対人関係は絶望的になり孤立するしかなくなる。
そうなると、欲しいものなんか何一つとして手に入らないばかりか、不幸の積み重ねしか生まない。例え手に入れたとしてもそれ以上の代償を払うことになり、自身の心の中は満足感を得るどころか喪失感でいっぱいになる。まあ、自業自得と言えば自業自得である。
悪行を選ぶのは自己否定があるから
それならそもそも悪行をしなければ良いではないかとも思うが、彼らはそれをしない。なぜなら、自己否定感が強いからだ。
この自己否定があるために、真っ当な方法だと自分は上手くいかないという思いが強いのだ。どうせ正攻法でやっても失敗する、地道なことは絶対に挫折するという確信的な思考があるのと、自分の願望や感情の折り合いをつけない我の強さが相まって、悪行という誘惑に負けてしまう。
常に偽らないといけない自分
ただ、そんな悪行を好む人を受け入れる社会は、極まれである。せいぜい一部のアンダーグラウンドだけである。世間一般の日の当たる世界では、到底受け入れられないし、受け入れることは絶対の禁忌である。
ゆえにこういう性質を持った人が一般社会でやっていくには、常に自分を偽らざるをえない。自由でオープンな自分らしい生き方はさせられないし、許されないから、いつも仮面を被らなくてはならない。当然息苦しいだろう。かといって爆発させるわけにもいかず、袋小路にかならない。
こういう悪行に走りやすい黒い性質を持った人間が生きやすくなることは、一生ないだろう。社会もそれは決して許さないし、どこかで本人が諦めて悟らない限り、不幸は続く。

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