LINE STORE

ラベル ビジネス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ビジネス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年11月3日火曜日

苦労と利益、どちらを先にとるべきか? 結果に対して働くレバレッジ



 「苦労は買ってでもしろ」という言葉がある。先に苦労をしておけば、後で見返りがあるということを示唆している人生訓だ。いきった成功者や頑固な老害が言いそうなフレーズだなと思って、反感を抱く人も少なくないだろう。

 反対に、世の中には先に利益を得るべきだという人もいる。目の前にお得なものがあるのに、今手に入れないでいつ手に入れるんだ?苦労なんてするべきじゃないという人もいる。かなり好みが二分するテーマだろう。それだけに、このテーマを扱うのは深掘りし甲斐があって、面白そうだ。

 果たしてどちらが正解なのだろうか?そして、それぞれのグループで何か特徴や背景はあるのだろうか?


 世の中の前提条件として・・・


 まず知っておかなくてはならないこととして、世の中には前提条件があるということだ。それは何かというと、世の中はギブアンドテイクで回っているということだ。商売の世界では損して得取れと言われるし、近年では返報性の定理とも言い、仏教では因果応報とも言われる(※仏教でいう因果応報は、世間一般での使われ方とは少々異なることに留意)。

 これはどういうことかというと、先に布施、奉仕、勉学、善行など、良いとされることに労を惜しまなければ、良い結果になるということだ。ということは逆パターンもあって、労を惜しむ者には悪い結果が待っているということになる。

 なので打算的な人がよく言う「先に利益をとっても、ワンチャン苦労しなくて済むかもしれない」というケースは、ほぼない。勉強をせずに遊んでいたら知恵が身につかないし、挑戦するのを恐れて安パイなことばかりしていたら低賃金のままだし、人に施しをしなければ好感を持ってもらえない。何らかの代償を払わない限り、望みは叶わない。

 ただ、この理屈だと良い結果も悪い結果も等しくやってくることになる。どちらも総合的には一緒で、苦労を先にするメリットの説明にはならない。


 結果にはレバレッジがかかる


 もう1つの定理として、レバレッジがある。レバレッジとは元々金融の世界でよく使われているワードなのだが、結果に対して生じる振れ幅のことである。こと人生においては、時がたてばたつほどレバレッジが生じて、今の損得よりも結果のほうが大きくなる傾向が強い。

 これが返報性の定理と連動して、勉強すると高学歴、しないと低学歴みたいなことにつながる。

 資格取得→安定・高収入→資産増   無資格→不安定・低収入→資産0
 規則正しい生活→健康維持→活動量増 不規則な生活→不健康→体調悪化
 節約→貯蓄増→将来不安解消     散財→貯蓄0→貧困

 こういった形で表れて、老後の生活にまで影響する。

 これらの法則により、今の苦労<将来の利益、今の利益<将来の苦労という式が成り立つ。だからこそ「苦労は買ってでもしろ」と言われるのだ。


 苦労には2種類ある


 これに対して、こういう反論もあるだろう。「先に苦労をしたはいいが、見返りがあるとは限らない」というものだ。確かにそうだ。「取り越し苦労のくたびれもうけ」という言葉があるように、苦労しただけで何の見返りもなかったということは少なくない。

 しかし、このフレーズをよく口にする人は、見返り=こなした量という1基準だけで苦労や努力を考えている。他人が受けていない苦労まで背負ったとか、不利な環境の中でもがいてきたとかだ。ここにこの手の人の解像度の低さがある。

 「努力しても実らない人は、努力するところを間違えている」でも言ったが、苦労には2種類ある。見返りや成果がある苦労と、無い苦労だ。見返りがなかったという人は、後者のほうしかしなかった人だ。同僚から押しつけられた雑用とか、自立しない家族の世話とか、ご近所さんへのご機嫌伺いとか、公益性の低い民間資格取得とか、時間や手間はかかっただろうが、こういったものはいくらやってもまず見返りがない。所詮、レバレッジの低い苦労なのだ。

 これに対してレバレッジの高い苦労もある。プロジェクトマネジメントとか、一家団欒のための時間作りとか、無用な飲み会に不参加とか、スキルアップのための勉強とか、こういったものはやった後で貴重な見返りが見込める。出世・昇給、家族と過ごす時間、自分時間の確保、収入増などだ。これを見極め選別する審美眼は欲しいところだろう。


 それでも先に利益をとるほうが賢明と考える人の闇


 ここまで説明した通り、レバレッジによって見返りが大きくなるので、先に(適切な)苦労をしたほうが得策である。そしてこれは富裕層や成功者の間では当たり前の考えで、豊かで幸福な人生を歩む上で必須要件である。

 しかし、ここまで言ってもまだ先に利益をとるべきだという人もいる。そういう人は、実は幼少期に経験した生育環境の問題からその価値観に至っている。利益先取の価値観が強い人は、幼少期に過度の競争や不適切な養育にさらされてきた人が多い。兄弟間での比較や奪い合い、養育虐待、不良グループとの関わりなど、いつ自分におこぼれがくるかわからない状況で育ってきた人にとっては、後で得られる見返りなんぞ不確定要素にしか思えない。一旦お預けにして、そのままお流れになったのでは損だから、今確実に手に入る利益をとるほうが賢明と考えるのだ。

 これは有名なマシュマロ実験でも明らかになっている。マシュマロ実験とは、1960年代末から1970年代初頭にかけてスタンフォード大学の心理学者ウォルター・ミシェル(Walter Mischel)らが行った、子どもの「満足遅延(目先の欲求を抑えて将来のより大きな報酬を待つ能力)」に関する心理学実験なのだが、その後の調査でマシュマロを食べるのを我慢できなかったグループには、家庭環境や親に問題をもっている子が多かったことがわかっている。つまり我慢ができなかったというより、今マシュマロを食べないと損だと考えたのだ。


 利益先取の人にとって、将来は運にしか見えない


 そしてこれがもう1つの思考を生む。それは、「所詮人生なんて運次第でしかない」というものだ。利益先取の人からしたら、富裕層や成功者が採った手段は不確実なものである。その不確実な手段で成果を得ているのだから、運でしかないというロジックなのだ。

 このレバレッジの考え方の違いを、表にするとわかりやすい。レバレッジを変数として捉えるとこうなる。


レバレッジの変数 現在の変数 自分の将来予測 実際の変数
富裕層・成功者 1 2 2
貧困層 1 0 2


 同一の条件を与えられている場合、最初に提示されている利益は双方とも同じなので、変数はどちらも1である。そして将来レバレッジは実際に発生するので、こちらは双方ともに2である(実際にはケースバイケースで、それ以上の振れ幅があるが)。

 で、問題なのは真ん中の自分の将来予測である。富裕層や成功者は後でレバレッジが働くのを納得しているので、こちらも2で実際のレバレッジと相違がないから、想定した通りという認識になる。だから将来を信頼して苦労を先に採ることができ、レバレッジによって大成する。

 しかし、貧困層などの利益先取の考えの人は違う。将来を信用していないから、将来予測のレバレッジは0と判断する。だから今の利益のほうが得に見え、先取りを選ぶ。そして成功者を目の当たりにすると、レバレッジ0の危険な賭けに挑んだように見えるので、運がよかったからだという認識になってしまう。

 この将来予測と現実の結果に差異があるか否かで判断基準が変わり、それが運命まで変えてしまうのだ。


 結果の伴う苦労か?将来を信頼できるか?


 ここまで見てきて、「苦労は買ってでもしろ」という言葉に倣うには、2つの要素が必要だということがわかった。1つは結果が伴うか否か。その判断力をつけられるかどうかが、運命の分かれ道になることがわかった。2つ目は将来を信頼できるかどうか。1つ目がわかっても、将来を信頼できなければ確実な今の利益をとるほうが妥当な判断になってしまう。わかりやすく車の運転で例えるなら、1つ目が道路標識で、2つ目がハンドルなのだ。

 この2つを手に入れることができた人は適切な方向転換ができるようになるから、大惨事にはならない。そのためには漠然と考えるのではなく、具体的に解像度を上げて将来を見る必要がある。そうなれば苦労に対する見返りを得られるだろう。




2026年10月23日金曜日

成功率↑=逆○○できるかどうか



 この世の中には極少数の成功者と大多数の失敗者が存在する。そして成功の秘訣を聞かれても大抵は固有の特殊性が絡んで、なかなか再現性がない場合が多い。プロ野球の野村克也監督の言葉でも「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という名言があるように、絶対の成功法はなく、むしろ負けにこそ明確な基準があると言われる。

 かの有名な投資家であるウォーレン・バフェット氏も投資で成功するには「とにかく退場しないこと。そして、失敗しないこと」と言っていて、失敗への対処にフォーカスしていて成功法にはあまり着目されない。だが、成功のためにどう攻めたらいいのかわからない。

 しかし私は、複数の挑戦をしてきて一つだけ成功に必要と言えることが見つかった。それを紹介したい。


 成功率を上げるのは、逆○○


 さて、成功するのに必要な要素を上げろと言われて、思い浮かべることは何だろうか?挑戦もあるだろう。努力という人もいるだろう。勉強こそ大事だという人もいるだろう。継続というパターンもあるだろう。どれも重要な要素で、なるべくならやったほうがいいが、絶対的かと言われると違う気もする。というか、前提条件がないと成り立たないものである。

 そう、もっと前提の時点で重要な要素があるのだ。それに私は気づいたのだ。では、その前提条件とは何か?それは・・・

 「逆ハリ」

である。これがないと、いくら挑戦や努力、継続、勉強をしても決して実を結ばない。それはなぜか?


 みんなと同じ=結果の縮小


 多くの人は安心安全のために、みんなと同じ方法を選ぶ。人間はみんなと同じ行動をとると、無意識に安心することが心理学でわかっている。これは損失回避の本能からくるもので、その方が安全である可能性が高いと脳が判断するからだ。しかし、この無意識の判断は間違っている。この脳の判断は心理的安全性に基づいたものであって、成功率に基づいたものではないからだ。

 その上みんなと同じということは、そのみんなが全員ライバルになるということでもある。これはレッドオーシャンで、苛烈な競争の中で勝ち抜かなければならなくなる。何とか勝ち抜いたとしても、勝ち抜いた人数分で分け前を分配しなくてはならないので、一人当たりの取り分が少なくなる。

 だから心理的安全を採っている限りレッドオーシャンに居続けることになるので、成功はできない。つまりその逆、「逆ハリ」こそが必要な要素なのだ。


 どういう場面で逆ハリが功を奏すのか?


 では、具体的に逆ハリが功を奏す場面とは、どういったものがあるのだろうか?


 投資

 みんなが売り注文を出して株価下落をしている中で自分だけ買い注文を出せば、購入単価を安く抑えられ、その後反発した時に利益を出しやすくなる。


 勉強

 みんなが夏休みや冬休みで遊んでいる中、自分はせっせと勉強していれば、出し抜くことができる。その分、上位の学校への合格率も上がる。


 仕事

 多くの人が就けない特殊な職種で、尚且つ継続すれば、固有のスキルが身についたり、ポジションアップの確率も上がったりしてくる。そうなると、希少性から引く手あまたとなって、自ずと年収も上がって家計に余裕ができる。


 トレーニング

 多くの人が苦しさから挫折するが、トレーニングを続けた人は身体づくりがなされて、健康につながったり、スポーツが上達したりする。その度合いによってはプロになったり、賞を獲得したりにつながる。


 多くの人は恐怖心に負けて安心安全を採ってしまう


 このように、成功するには逆ハリできるかどうかが決め手となるが、多くの人はしない。というのも、逆ハリ=みんなと違う道であることから、心細さや恐怖心を感じて不安になるからだ。

 だが、これは心理トラップで、これに流されたり躊躇したりすると、せっかくの機会を逃すことになる。信じていいのは成功率のような数字やデータであって、感情ではない。というのも、感情は必ずしも正しい判断をしてくれるとはいえないからだ。実際、不安や怒りといった強い感情を持っている時はかなり脳のリソースを使うので、IQが下がり冷静かつ賢い判断ができなくなることがわかっている。

 感情は事実を隠すということをよく理解し、みんなとは逆の判断ができるかどうかが、成功の前提条件なのだ。




2026年9月18日金曜日

給与が上がっても、生活は楽にならない理由



 多くの庶民が生活困窮になるのではないかと不安になっている昨今、大きく給与アップを求める声が多くなっている。給与は一応例年を越える上昇幅にはなっているものの、税金や社会保障費の負担のために手取りが伸び悩んでいる。そこにインフレや円安が重なって、実質賃金はもっと苦しいものになっている。

 そこで叫ばれているのが、大幅な賃上げだ。今の税金、社会保障費、インフレに見合うだけの賃金を出せるかどうかを問うている。

 だが、本当に賃上げすれば生活は楽になるのだろうか?


 社会は皆、連動している


 多くの庶民は賃上げを望んでいるわけだが、果たしてそれで生活は楽になるのだろうか?実際にどういう反応が起きるのかシミュレーションしてみる。

 そもそも経済にしても、金融にしても、単体で動くことはない。何かが変更になれば、それに応じて他のことも連動する。例えば、ベースアップが国全体で起きれば、それを当てにして商売人は値上げをする。税金だって比率で徴収するから、納税額は増える。

 このように、給与が上がった分、満額余剰金が発生するなんてことにはならない。そして今度はそれが基本スタイルになる。なので、多少手取りは増えるものの、周りも連動するので買えるものの総量はさして増えない。結局、豊かにはなれない。


 一度上げた生活水準を下げれない問題


 もう1つ生活が楽にならない経済的な理由として、散財がある。人間はどうしてもお金に余裕が生まれると、慢心から出費を増やす習性がある。贅沢品に手が出たり、生活水準を上げてしまったりして、余計なものにお金を使ってしまうのだ。そのため残金が変わらず、またじり貧になってしまう。

 さらに問題なのは、人間一度上げた生活水準を下げる勇気をもてないということだ。恥や屈辱感、喪失感などにどうしても抗えなくて、一度上げた高い生活水準に居続けようとしてしまう。そうなると高い出費を払い続けなくてはならなくなるので、いつまで経ってもお金が残らない。


 膨れ上がる社会保障費


 他にも問題はある。公金や社会保険を当てにする人が増えていることだ。若い頃にちゃんと十分な年金を納めていなかったり、万が一を想定してなくて貯蓄がなかったり、生命保険に入っていなかったりして、老後になってお金が足らなくて困窮している人が多い。その結果、生活保護や健康保険を当てにするようになり、この支出が膨れ上がっている。

 他にも、社会へ出るのが不安で生活保護をもらい続ける人、精神障害の発症数の増加、少子高齢化による納税者の減少もあって、足りない分を補てんするために、税率、年金納付額、健康保険料が軒並み上がっている。これでは給与が上がっても、手取りなんて増えるわけがない。


 根本の要因は?


 ただ、ここまで3つの要因を見てきたが、最初の事例に関しては外部要因なので制御しようがない。しかも、経済の拡大と継続的な収入増には欠かせないので、デフレスパイラルに陥らないためにも必要なものだ。

 問題は2つ目と3つ目である。多くに共通するのは、お金の管理ができていないのが要因である点だ。生活水準を上げてしまうのも、貯蓄をしていないのも、任意の年金や保険に加入していないのも、自分の判断ミスによるものだ。余計なものにお金を使ってしまって、先々のためのお金をとっておかないから起きた問題である。これをやっていると自分がお金に困るばかりか他人のお金にも手を出すことになるので、社会問題になってしまう。


 余裕ある生活を得るためには


 では、どうしたらお金の余裕が生まれるのだろうか?


 ① 支出の把握とコントロール

 まずは、支出のコントロールである。家計の見直しが必要だが、そのためにはちゃんと数字を把握するのが必須だ。どんぶり勘定では現実逃避ができてしまい、いつまで経っても支出が減らない。家計簿をつけることによって数字が明確になり、言い逃れができなくなるので、支出削減の糸口が見えてくる。

 あとは生活に必要のないものは買うのを延期すればいいので、次第に出費を減らせる。ここでポイントは、買わないのではなく、延期するという点である。買わないとすると、我慢勝負になるのでフラストレーションが溜まって、ある日爆発して衝動買いに走ってしまう。しかし、延期とすれば買わないわけではないし、本当に余裕が生まれたらその時は買っても大丈夫なのでフラストレーションを下げられる。


 ② 将来の保険として貯蓄する

 これも大切な要素だ。とにかく老後はお金がかかる。食は次第に細くなっていくので食費は減っていくものの、その代わり医療費がかかるので貯蓄や資産がものを言うようになる。そのためには、できる限り若い内から資産形成をしておく必要がある。

 ここで重要なのは、どれだけ安定して貯蓄できるかだ。大抵の人は自己コントロールができないので、自力でお金を貯めるのは難しい。そこで利用したいのが、各種サービスだ。社保に入っていないのであれば、基礎年金だけでなく国民年金基金や付加年金にも加入することで自動で積立額を増やすことができる。

 もっと効率を求めるのであれば、iDeCoやNISAを利用してインデックス投資をすることで、より多くの資産を増やすことができる。実際に私もNISAを利用していて、何倍にも資産が増えているので、同世代の中央値よりもかなり多くの資産を持っている。

 あと、個人的には純金積立も悪くないと思っている。金の消費量が増え続けていて下がり様がないので、値上がりする一方だからだ。


 ③ 健康の維持

 何気にこれはかなり重要である。やはりいざ病気になると、大きな出費になるからだ。特に年を取ると入院する機会も出てくるので、差額ベッド代も発生する。医療費とは別に、万単位の出費となるので懐が痛む。

 さらに医療費がかさめば保険料も上がるので、国民負担も増えてしまう。そうなると消費が冷え込み、景気後退にもつながるので経済的ダメージがある。そうならないためにも、健康維持は必要である。




2026年9月15日火曜日

日本の格差拡大の真実!?



 今、世界において格差拡大が懸念されている。国連でも指摘していて、格差解消を課題として挙げている。この点は日本においても例外ではなく、国会や選挙でも必ずと言っていいほど議題として上がる。

 ただ正直な話、格差拡大は本当なのだろうか?マスコミによる偏向報道やエコーチェンバーではないのか?


 資産額による階層ピラミッド


 よく社会はピラミッド型になっていると言われる。各階層ごとに分かれていて、上へ行くほど割合が少なくなるためだ。日本では概ね下の図のように、保有資産額に応じて階層化されている。




 最も多いのが最下層に位置する一般人で、上へ行くほど極少数になる。この図ではピラミッド型になっているが、実際には東京タワーのように末端のほうがより広がる構造になっている。

 よく槍玉に上げられる富裕層は1億円以上となっており、なかなかの大台であることがわかる。それより下は庶民ということになるが、その中でも4つに分かれていて、階層化されている。大体パーセンテージにすると、

 超富裕層   :0.1%以下
 富裕層    :約2~3%
 準富裕層   :約6~8%
 アッパーマス層:約15~20%
 マス層    :約35~40%
 一般     :約30~40%

となっている。最も多いマス層と一般だけで65~80%を占めているのに対して、富裕層以上となると多く見積もっても3%にしか満たない。これが富の偏在と言われるゆえんである。


 格差拡大の論拠


 で、この偏りがさらに拡大しているのではないかと言われているのである。その証拠とされるのが、ジニ係数の変化だ。厚生労働省の調査に基づくと、1981年は0.3491だったのが2023年には0.5855に拡大し、アメリカ並みの水準に近づいている。(ジニ係数:0に近づくほど平等、1に近づくほど貧富の差が激しいとされる)

 もう1つ挙げられるのが、若年層(特に20代以下)の資産格差の開きだ。野村総合研究所によると、この若年層において有価証券の有無による二極化が進んでいると指摘している。将来の生活の不安と、新NISA開始にともなって投資に手を出す若年層が増えており、さらに近年株高の状況も相まって持てる者と持たざる者とで資産格差が広がっているというのだ。

 さらにもう1つ挙げているのが、富裕層・超富裕層の増加だ。2023年の富裕層・超富裕層の推計は合計で165.3万世帯で過去最多だった。たった2年前の2021年と比べて11.3%も増加している。この理由として、株、債券、投資信託などの流動資産を多く保有しており、それが高騰したことにあるとしている。


 不可解な変化


 その一方で不可解なデータもある。日本経済新聞では格差拡大の論拠として世帯所得の中央値の変化を挙げている。

 1995年:550万円
 2023年:410万円

となっており、28年で140万円減ったことを示している。このことから中流階層が没落していると言っているが、はたしてその解釈は正しいのだろうか?

 先ほど富裕層・超富裕層の世帯数が増えている件を挙げたが、いくら富裕層の世帯数が増えても、超富裕層の世帯数が減ったら世帯所得は下がる。また既存の富裕層の没落があれば世帯所得も下がるので、このデータだけでは格差拡大しているとは言いがたい。

 実は超富裕層の没落を示すデータがある。「点検・日本の格差(中)機械の平等政策の軸足に:森口千晶著」によると、2014~2020年にかけての上位1%を対象にした調査で、フランス、アメリカは順調に資産を増やしている中、日本は一度も上昇することなく一貫して下降していた。つまり、上位の富裕層が本当に没落していたのだ。

 さらに下のグラフを見ていただきたい。


※ 「点検・日本の格差(中)機械の平等政策の軸足に」より


 このグラフは、上位1%と上位10%、それと中央値(庶民に近い数値)の給与の変化を表したものだ。見ての通り上位1%は多少上下動はあるものの、どの層もそれほど格差は広がっていない。

 それどころかいずれの層も少しずつ右下がりになっている。ということは、格差が広がっているというより、貧富の差に関係なく日本全体が貧しくなってきているということなのだ。


 所得が落ちている原因


 では、なぜ所得が減っているのだろうか。1つの大きな原因は、少子高齢化だ。高齢化し年金暮らしの人口比率が増えれば、それだけ平均所得も下がる。特に後期高齢者となれば労働に従事している人は極少数になるので、給与収入はほぼ皆無、ほぼ年金になる。

 さらにこれが商社や小売業の給与にも影響する。顧客の高齢化も進むから、お客の買い渋りが増える。そうなれば業績は低迷するので、給与アップどころか人件費カットに転ずることになる。医療・介護・福祉においてはこの影響はさらに深刻で、閉院・閉業が相次いでいるため失業者まで増やしている。

 そしてこの高齢者の年金には、大きな問題をはらんでいる。それは納付額の格差だ。実は年金制度ができたばかりの昭和36年~41年までの納付額は、35歳以上で月150円、35歳未満では100円という激安だった。これでは老後の資金など溜まるはずもない。反対に現在は月17950円と約120倍に跳ね上がっている。これでは現役世代も消費に回すお金がないから、物が売れにくくなる。当然、給与は増えないだろう。


 痛みなき改革を避けたのが現在


 結局なぜこうなったかというと、大枠でいえば痛みを伴う改革を先延ばしにし続けたからだ。これを抜本的に改革しようとすると、絶対に犠牲者が出る。となれば対象者は反対する。するとそれが選挙の得票数に影響するから、どの政治家も避けざるをえなかった。

 しかし、それが限界を迎えようとしている。となれば誰かがその痛みを受けなくてはならない。取れそうなところから取るではなく、このような状況におちいらせた人にその報いを受けさせる時ではないだろうか?自分の始末をちゃんとつけてこなかった層にこそ、ちゃんと責任を負わせるべきだ。




2026年9月8日火曜日

金持ち=悪人というレッテルを貼らずにいられない人


 街頭演説にしても、メディアにしても、SNSにしても、日々金持ちへの根拠のない誹謗中傷や決めつけによる暴言を目にしている。大金を稼ぐからには何か悪いことをやっているに違いないとか、非正規労働者を安くこき使っているとか、株で楽して儲けたくせに分け前をよこさないとか、高い報酬を得ていながら税金を払わないとか、下手したら刑法に引っかかるような酷いこき下ろしをする人も少なくない。その暴言たるや常軌を逸しており、正気を失っているとすら思える。

 そういうことをするのは、どんな人なのか?なぜしてしまうのか?実際に目にしたことをもとに、解明する。


 レッテル貼りをする人


 そういう人の素性やプロフィール、経歴を見てみると、一般的に不遇といわれる部類に入る人が結構いる。雇用関係だと、長年の非正規労働者、氷河期世代、過剰な転職回数、過重労働の職種など。精神関連だと、うつ病で休職中とか、双極性障害で社会に居場所がないとか、長年にわたって引きこもり中などというのが割と目につく。これによって望まぬ結果に至っている人たちといえる。

 確かに非正規労働にしても氷河期世代にしても不利な条件ではあろう。特に世代は自分で決めたわけではないからどうにもならないし、過重労働も需給バランスの悪さが原因としてあるので本人の責任とは言いがたい。精神に関しても療養期間はどうしてもブランクになってしまうし、体力やモチベーション、ポテンシャルが低下してしまうのはハンデとなろう。


 金持ち・・・羨望の対象から憎しみの対象へ


 だからこういった不遇に遭っている人は、そのハンデに対して大きな悔しさと無力感を抱いていることが多い。この精神状態で金持ちを見ると余計羨ましさが増すだろう。自分の不幸で苦しい境遇に対して、金持ちは資産を転がすだけで楽してお金を増やしているように見えるから。その上、企業の取締役になれば自分の報酬を自分で決められる(本当はそうではない)となれば、お金を独占されている気分になるだろう。

 そういった金持ちに対するネガティブなイメージが膨らんだ状態で、たまたま一人が不正を働いたとなれば、「あ~、やっぱり!」となって金持ち=悪人という方程式が自分の中に出来上がってしまう。ちなみに、こういう心理現象のことを、確証バイアスという。この段階で金持ちは、自分の中で憎しみの対象に変化する。


 本当の問題点は何か?


 しかし、実はこの手の思考にとらわれる人たちには問題点がある。それに気づかない限り現状を打開することはできないし、誹謗中傷やこき下ろしを手放すことができない。それは何か?


 ① リスクマネジメントをしてこなかった

 まず重要なのはリスクへの予防、いわゆるリスクマネジメントをしてこなかったことだ。雇用や世代、病気、生育環境など、様々なバックグラウンドは確かにあろう。しかし、それだけが100%運命を決めているということはありえない。なぜなら、自分で対策できるものも必ずあるからだ。

 例えば、ちゃんと勉強していればいい学校へは入れて、正社員採用されたかもしれない。完璧主義を捨てていれば対人関係が悪化せず、転職せずに済んだかもしれない。夜更かし不摂生せずにしっかり睡眠時間を確保していれば、うつ病にならなかったかもしれない。衝動買いをやめていれば、お金が手元に残ったかもしれない。

 こういった自分の選択次第でリスクを回避することは可能だし、例えアクシデントが発生してもその影響を低減させることができる。

 しかし、こき下ろしをする人は大丈夫だろうと高をくくって、リスクマネジメントをしてこなかった。それどころかリスクが眼中になかった。だから、不慮の事故のように感じて、自分の運が悪いように見えてしまう。

 ちなみに金持ちにとってこういったリスクは織り込み済みで、想定の範囲内である。


 ② 日々の何気ない選択を軽視している

 不遇にあえぐ人たちは、日々の小さな選択を軽視する傾向にある。先ほども言ったように彼らは高をくくるので、小さな選択は誤差の範囲内で、人生に影響しないと甘く考えているのだ。

 例えば貯金をするかしないか、そのために節約をするかしないか、さらにそのために酒やたばこを止めるかどうか・・・。こういったことは健康で特に困っていない時には問題にならないので、見てみぬ振りしがちである。

 しかし年を取り長年の不摂生が祟って、体調を崩すことになる。そうなると治療費がかかるし、その間の生活費を捻出しなくてはならなくなる。でも節約しなかったから貯蓄がないとなると病院にかかれないし、食べることすらできない。こういった小さな選択は、巡りめぐって大きなツケとしてやってくるのだ。

 金持ちがお金にシビアで健康オタクであるのは、このためである。


 ③ 変化を嫌い、現状維持を望む

 もうひとつ挙げるとすれば、変化への対応だろう。不遇になる人というのは、とかく変化が嫌いな人が多いのではないだろうか。変化を受け入れるとそれに合わせて対応を変えなくてはならないので、手間がかかり、面倒である。現状維持であれば手間がかからないので楽だから、抵抗したいという衝動に駆られてしまう。

 だが残念ながら変化しないものはない。仏教でも言われるように、この世の全ては諸行無常である。つまり、いかなる物事も今の状態を維持することはできないと説いている。家は老朽化するし、家電製品はいつか壊れるし、会社の人員は入れ替わるし、いつも体調がいいということはないし、そもそも自分自身が必ず老いて衰えていく。

 よって変化せざるをえないのだ。若い頃は体力勝負できるかもしれないが、中年になってくるとだんだん辛くなってくる。そうなると働き方やポジションも変化させないと、体力や家計に対応できなくなる。そのことを想定して若い内から布石を打っておくと、年を取った時に困らなくて済むのだ。

 だから金持ちは変化をすすんで受け入れる。


 みんながあぐらをかいている間でも、金持ちは見えないところで動いている


 そもそも多くの庶民は、金持ちが何をしているかなんて真偽不明のうわさを聞くだけで、実際に見たことはないだろう。現実の金持ちなんて非常に用心深いので、油断禁物とばかりにストイックな選択を採る人が多い。庶民があぐらかいて寝そべっている時も、万が一を考えてあの手この手を尽くしている。

 だから、庶民が災難に遭って困窮している時も、金持ちは慌てることなくスマートに順応する。それは普段の仕込みこそが重要で、平時にどれだけのことができるかあらかじめ考えていたからだ。

 しかし、庶民はその時の姿を見ていないから、初めからお金を持っていたとか、悪いことをやって不正に得たというように思えてしまう。金持ちこそがアリとキリギリスのアリなのである。




2026年9月4日金曜日

#6666運動 6時間労働の末路


 今SNSのXで「#6666運動」というのがバズっている。これは何かというと、

  • 6時間仕事
  • 6時間睡眠(もっといっぱい寝てもいい)
  • 6時間趣味(もっといっぱい遊んでもいい)
  • 6時間家事(もっと少なくサボってもいい)

 というものである。簡単に言うと、勤務時間を6時間にして、もっと睡眠と趣味に割り振りたいというものだ。健康に良く、好きなことに割く時間も増える。単純に考えるとハッピーで、いいことのように思える。

 だが、そんな上手いこと行くだろうか?そこでシミュレートして、末路はどうなるか検証してみる。


 6時間勤務で起こること


 では実際に勤務時間を6時間にした場合で想定されることを挙げていく。果たして6666運動を提唱している者たちの思惑通りにいくだろうか?


 ① 時間給労働者の給与が減る

 まず必ず起こるのが、時間給労働者(アルバイト・パートタイマーなど)の給与減だ。勤務時間が減るのだから、その減った時間分給与も減る仕組みだ。この人たちはより困窮することになるのは必至だ。


 ② 労働力が減り、仕事が終わらなくなる

 勤務時間が減った分だけ労働力も減る。人口減もあるから従業員の補充も難しく、その穴を埋められない。

 しかもブルーワーカーだと業務が現場作業なので、ITやAIへの置き換えができない。だから、ただでさえ終わらない仕事がもっと終わらなくなる。


 ③ 残業代がかさみ、会社の採算が合わなくなる

 そうなると残業で回すことになるので、当然超過した分は残業代として1.25倍の人件費がかかってしまう。そうなると元々収益率の低い業種は増々採算の合わなくなり、倒産する事業所が増加するだろう。


 ④ インフラの削減や不備、倒産が加速する

 そうなった時に最も悪影響がでるのが、インフラだ。交通であれば不採算路線が増え、廃線せざるをえなくなる。これは都市部でも起こりうる。

 病院の場合はもっと深刻で、既に8割が赤字経営に陥っているのに、さらに人手不足と人件費の増加が起これば、もはやほぼ全てが閉鎖せざるをえなくなる。そうなると、急患の受け入れ場所がなく救急救命は不可能になるし、入院治療や手術もできなくなる。

 この他、老朽化に伴う水道の交換もただでさえ後手に回っているのに、もっと手が回らなくなるから水道管の破裂や漏水が増える。ケースワーカーやケアワーカー不足もより深刻化して、対象者の放置や孤独死も増えざるをえない。


 ⑤ 物価上昇が加速する

 6時間に減った中でも売上や利益を確保しなくてはならなくなるので、コストプッシュインフレが加速する。今よりももっと物価が上がり、手取りは増えてないのに生活費が増える状況に拍車がかかる。


 ⑥ 国民全員が貧しくなる

 手取りは増えないのに生活費が上がるということは、買えるものの総量が減るので貧しくなる。これは貧富に関係なく国民全員に降りかかるので、国全体として貧しくなる。


 ⑦ 社会保障への依存度が高くなる

 多くの人は資産など持たないから、この物価上昇を吸収できず生活苦になる。そうなると頼るのが社会保障だ。

 社会保障の給付額がどんどん増し、資金不足が加速する。実際、健康保険組合の半数以上がすでに赤字経営におちいっており、いつ破綻してもおかしくない。生活保護の申請数も増加しておりその費用が増している。


 ⑧ 税率や納付額がさらに上昇する

 当然、社会保障の赤字を食い止めないとライフラインを維持できなくなってしまう。それを回避するために、今よりももっと税率や納付額を引き上げなければならなくなるだろう。ただでさえコストプッシュインフレで家計が火の車だというのに、さらに社会保障費が圧迫するのだ。


 ⑨ 6時間勤務で喜ぶのは最初の内だけで、また不満を抱く

 身も蓋もないことを言うが、こういう都合のいいことには人間すぐに慣れて当たり前に感じてしまうという習性がある。そうなると幸福感も薄れ、6時間勤務に対してもまた不満を抱くようになる。

 文句を言う人というのはどんなに好条件になっても不満を抱くので、キリがない。本当のところは勤務時間の問題ではなく、妥協を知らない、欲と理想のしもべになっていることが問題なのだ。


 6時間勤務だと全員が貧しくなる


 結局のところ、6時間勤務にしたところで豊かにはなれない。むしろ様々なものの不足を招き、生活苦にしかならない。それは国民全員の貧困化であり、もう社会やインフラを支え、維持することすら叶わなくなる。

 大体、そんな甘い話が通用するほど社会は都合よくできていない。そんなのは怠惰な人間のたわごとでしかない。

 それに、そんな勤務形態が許されたとしても、そういう美味しいポストは有能な人間から占めていく。だから、普段から勤務形態に文句を言っているだけの無能な人間には回ってこない。そういう人間はいつだって後手に回るから、ハードワークにしか就けないのだ。

 結局、良い職場、良い雇用条件を得たいなら、自分のレベルを上げ、市場価値を高める苦労をしなければ不可能なのだ。




2026年8月29日土曜日

医師=金持ちといまだに言われるが・・・?


 日本の経済力が減速している中、庶民の生活が段々と逼迫してきている。特にエッセンシャルワーカーである看護師の給与が上がらないにもかかわらず、職務は過酷さを増している。その際槍玉に上がりがちなの医師だ。長くお金持ちの代名詞とされてきたからだ。

 だが、現代において本当に医師は、いうほどお金持ちなのだろうか?そもそも医師になるのにどれだけお金がかかるのか、考えたことがあるだろうか?


 医大の学費


 さて長年金持ちの象徴とされてきた医師だが、その一方で医師の登竜門である医大は学費が高いことで知られる。実際どれだけ高いのだろうか?

国公立 私立
文系(4年間総額) 約240万~260万円 約410万~470万円
理工学部(4年間総額) 約240万〜250万円 約540万〜600万円
医学部(6年間総額) 約350万~414万円 約1,850万〜4,725万円
※参照:マネープラザONLINE ベネッセ教育情報 駿台予備学校 医学部予備校メディカルラボ 医学部進学予備校メビオ

 医学部のみ6年間の通学となっているので期間が長いが、このように開きがある。特に私立医学部の学費の高さが顕著で、私立文系と比べたら5~7倍、国公立と比べると10倍以上にもなりうる。さらに、近年は国公立医学部においても値上げが検討されており、東京大学でも414万円にする案が出されていて、他大学もこれに続く動きがある。

 加えて、私立大学では学校ごとに学費が異なる点にも留意する必要がある。特に医学部は開きが大きく、2026年時点で最も安いのが国際医療福祉大学で1857万円、最も高いのが川崎医科大学の4725万円である。実家が億万長者ならこの額を出せるかもしれないが、会社員の家庭だと部長クラスでもキツイだろう。

 それと、今いる医師の全員が2世であるとは限らないので、一般家庭の出の医師だと自ずと奨学金や学資ローンを組むことになるだろう。ここ最近は奨学金の申請件数が増加傾向にあるから、医学部はなおのことだろう。そうなると、就職して給与を得てもローンの返済に充てざるをえないから、贅沢はまず無理だろう。

 ちなみに、防衛医科大学の場合はむしろお金をもらいながら学べるが、その代わり卒業後も一定期間の任官が課される。もしこの期間内に退官した場合は学費の支払いが課されるので、注意が必要である。


 医師の報酬


 よく医師は高給取りだと言われるが、その多くは開業医か美容整形医が占める。その報酬の内訳はというと、開業医のほうは経営者であることから役員報酬が、美容整形医の場合は自由診療から最も多い。ある程度青天井のところからお金を得ているというわけだ。

 これに対して勤務医はというと、役員報酬もなければ自由診療もない。保険診療からくるお金だけが頼りである。しかも、保険診療は国で価格統制されており、病院側で決めることができない。2026年に価格改定されたが、設備の維持管理に充てる分だけにとどまっており、給与に転嫁できるほどではない。つまり、勤務医の給与は未だ横ばいだ。

 さらに、勤務医こそ専門性が問われるから学会に所属したり、研修を受けたりする必要もある。その会費や研修費用は自腹なので、この出費も痛い。


 実は開業医だって楽じゃない


 よく開業医は金持ちといわれ揶揄されるが、本当にそうだろうか?こういう揶揄をする人は特定の報酬額や所有物しか見ておらず、経費を度外視しているから当てにならない。

 実際に開業するとなると、各種医療機器を取り揃えねばならない。診療科にもよるが、検体やワクチンの保存用冷蔵庫、電子カルテ用サーバーなんぞはまだかわいいものだが、レントゲン撮影機(約1,500万〜2,300万円)、CTスキャナー(約8,000万円)、MRI(約1億〜1億5,000万円)、心電図モニター(約50万〜100万円)、超音波死んだ装置エコー(約800万円)、内視鏡システム(約2,000万円)などの機器はいずれも高額で、MRIにいたっては1億円(設置費別)を超える。

 当然、貯えだけでは払いきれないから銀行からお金を借りる必要が出てくる。となれば毎月返済が発生するので、その分お金に余裕はなくなる。開業しても借金があるうちは、報酬なんてたかが知れてるのだ。


 医師だって大半はカツカツ


 結局のところ、医師だって楽でないのだ。美容外科は華やかで目立つが、大半は目立たない保険診療医である。しかも、その中には勤務医も大勢いるし、開業医だって設備投資でお金がかかる。正直、テレビで見ているレアな医者と近所のどこにでもいそうな医者では生活実態が違うのだ。

 医師は金持ちというのは作り上げられたイメージで、現実を反映していない。子供の頃から受験勉強の毎日だし、医師だってカツカツで楽ではないのだ。




2026年8月28日金曜日

”ノーリスク=ノーリターン” 1つの仕事にしがみついて没落する人


 非正規労働者や氷河期世代、基礎年金のみの受給者など、収入が足りないことを口にする人が次第に増えている。給与が上がらない、正社員登用されない、使い捨てにされている、年金だけでは暮らせない・・・。まあ、出るわ出るわで、各々自分がどれだけ不遇かを競い合うように不満を吐露している。

 だがこういう人たちの境遇をよくよく見てみると、なるべくしてなったと言わざるを得ないところが見つかる。それは、「1つのことしかやってない」「長年同じことしかやってない」「最小限のことしかやってない」というところだ。


 実は努力の方向性には、2種類ある


 それでもこの人たちはこう言うだろう。「今まで頼まれた仕事を一生懸命やってきた」「嫌な仕事も引き受けてきた」「残業もした」「クタクタになるまで仕事をした」と。そう感じる部分はあるだろうし、実際仕事は大変だっただろう。それは本人からしたら、相当努力したと思っていることだろう。だから、努力が足りない、怠けていると言われると腹が立つし、虚しくもなる。

 だが、この人たちはある重要なことを見落としている。それは、「努力の方向性には、2種類ある」ということだ。それはどういうことか?

 よく見ると、彼らのした仕事と努力は、今の自分を維持するための努力だ。頼まれた仕事をやるのも、嫌な仕事を引き受けるのも、残業をするのも、今の自分の生活水準を落とさないようにするため、もしくは社会から取り残されないようにするためにしたものだ。その姿勢は受け身であり、守りの努力である。

 だが努力にはもう1つある。それは攻めの努力だ。新しいビジネスを始める、キャリアアップのために勉強をする、複数の制度を活用する、生活や家計の見直しをするなど、新しい展開につなげるものがそうだ。不満を漏らす人たちは、この攻めの努力はしない。ただただ今やっている”1つの仕事にしがみつく努力だけ”している。


 今の仕事にしがみつくのは、今はノーリスクだが・・・


 もちろん今ある生活や収入を失うのは心配だから、しがみつきたくなるのは無理はない。やはり無一文になるのは生命にかかわるから、できればノーリスクでいたいものだ。しかも、その方が楽だし、ムダな体力を使わなくて済むし、何より毎日クタクタでやる気も湧かないし。

 だが残念ながらそこには発展はない。彼らが選択している努力は守りのためだし、今の生活においてノーリスク=ノーリターンだからだ。ノーリスクなものは安心安全ではあるが、世の中上手い話はないのでノーリターンである。リスクをとらないものに、見返りはないのだ。


 今のリスク < 将来のリスク


 しかも見返りがないということは、今のノーリスク=将来のリスクであることを意味している。さらに、今のリスクと将来のリスクの大きさを比較すると、今のリスク<将来のリスクという法則が社会にはある。今リスクを採ればコストが小さくて済むが、それを先延ばしにするとツケがドンドン溜まるから、将来払うコストが大きくなってしまうのだ。

 実例を挙げれば、収入源を増やさないと低収入のままなので、もし病気やケガになった時に生活費をまかなえず困窮する。貯蓄をしていないと、家のボイラーやガスコンロが壊れた時に買い替えできなくなる。普段から健康を疎かにしていると、生活習慣病から大きな病に進行し、一生多大な医療費を支払わねばならなくなる。

 このように社会は今のリスク<将来のリスクになるようにできているが、人間にはバイアスがあって将来のリスクを過小評価してしまう習性から、今を優先してしまいやすい。それは所詮バイアスであって現実ではないから、自分の感覚を信じてはならない。


 攻撃は最大の防御


 先人たちも攻めの姿勢や早めの行動が大事なことに気づいていた。孫子は「攻撃こそ最大の防御なり」と言ってきたし、「鉄は熱いうちに打て」ということわざもある。攻めの姿勢こそが将来のリスクを払い除ける最良の選択であるし、やるなら早いうちにやらないと効果は得られないということを教えてくれている。

 そして、成功者はこういう先人たちの教訓や名言をよく好み、肝に銘じている人が多い。自分の人生でそれを体験してきたという裏打ちがあるからだろう。


 1%でもリスクをとれば、状況は変わる


 だから、今の仕事だけやっていても、状況は良くならない。なので、自分から何か新しいことを始めないと、お金は増えない。

 特に没落する人は、臆病で、物ぐさで、受け身で、無気力で、自己保身的な人が多い。自分の人生を自分で変える、自分で作る、自分でコントロールする気概がない。自分のことなのに他人事に感じていて、他人事だから他責になる。

 しかし、自分のライフプランを他人が作ってくれることはない。自分と他人は入れ替われないからだ。である以上、他人が何とかしてくれると思っているのは大間違いだ。だからこそちゃんと自分でリスクをとって、能動的に変化をすることが必須である。そうなれば10年後は今までの自分とは見違えることだろう。




2026年8月7日金曜日

なぜ多くの人は、ゲームチェンジを拒絶して没落していくのか?



 ここ近年、数十年前よりも社会変化が早くなっている。多様化による複雑化と、技術革新による高度化が同時並行で起こっているため、この流れが止まらなくなっている。そして社会変化が早くなるのに伴って、二極化するようになった。変化に合わせる人と、拒絶する人だ。


 真逆の運命をたどる二人


 この両者では末路は正反対だ。変化に合わせる人は市場のゲームチェンジに即座に反応して、先行者の優位性もあって早くから利益を享受する。ライバルが少ない内から動いているので、競争が少なく楽にビジネスができる。市場が成熟したころには寡占状態が完成していて、その地位や利益は不動のものになっている。

 これに対して拒絶する人は、真逆の運命をたどる。縮小する市場に居座り続けているので、利益は下がる一方だ。いよいよ切羽詰まってきてようやく重い腰を上げるが、その時にはすでに新たな市場には入り込むすきはなくなっている。

 これはビジネスに限ったことではない。行政手続きなんかもそうで、人手不足解消のためデジタル化を進めているが、変化を受け入れている人は早くからそれに慣れて使いこなしている。職員とのやりとりはスムーズだ。

 対して拒絶している人は、いつまで経ってもアナログや手書きにこだわるため、手続きが煩雑なままで職員の手間をかけさせる。それは働き方改革の足を引っ張るだけでなく、二重行政になるので財政にまで悪影響を及ぼす。


 それでもほとんどの人はゲームチェンジを拒絶する


 それがわかっていても、多くの人はゲームチェンジに対して消極的になる。年金の納入者数と受給額が年々先細ることがわかっているのに、ほとんどの人は自身で何も手を打とうとしない。それはまるで、ゆでガエルだ。変化を受け入れる人は、早くにこのままでは身がもたないと察知して、サッサと資産運用や不労収入を作っているというのに。気がついた時にはこの差は大きなものとなって、真逆の運命をたどっているということを嫌というほど見せつけられる。でもこの時には後の祭りだ。

 ではなぜ多くの人は変化を拒絶してしまうのだろうか?


 ① 面倒くさい

 まず最も頭をもたげるのは、面倒だということだろう。長年習慣化した生活サイクルをわざわざ自分から変えるというのは、とても億劫なものだ。その分手間やコストがかかるし、休憩時間を奪われることになるから嫌悪感が湧いてきてしまう。

 特にスタートアップの時期は特にやることが多く、煩雑になるため、高い障壁に感じられやすい。これは人間の本能でもあるので、ぬぐえない感情ではある。


 ② 恐怖心・損失回避

 何かを始めるには必ずコストがかかる。お金に限らず、時間、労力、精神も費やすことになる。こういう必ずかかって取り戻せないコストのことをサンクコストというが、最初の内は売り上げが立つかわからないので、人間はこのサンクコストを丸々損失として想像してしまう。

 そしてもし本当に売れなかったらと考えると、ムダにするものの大きさから失望感や後悔の念にさいなまれるのを恐れて、損失回避のために止めておこうと考えてしまう。


 ③ 未練・現状への執着

 今の生活スタイルを手放すのが惜しくなるのもあるだろう。例えば貯蓄をするためには節約は欠かせないが、そのためには生活ランクを落としたり、ムダな課金をやめたりする必要がある。

 しかし人間というものは、一度手に入れた生活習慣やランクを手放すことに強い抵抗を示す。どうしても、手放した際に空虚感が湧いてしまい、ネガティブな感情へ引っ張られてしまうからだ。


 これらの作用により人間はネガティブな感情を抱き、本能的にゲームチェンジを拒絶してしまう。結果、現状維持を選んでしまい、時代の変化に取り残され、割を食ってしまう。


 それでもゲームチェンジは止まらない


 ここまで話してきて、「じゃあ、ゲームチェンジを止めてしまえばいいじゃないか」という人は、重傷である。なぜかというと、ゲームチェンジは止められないからだ。

 例えば、エンジニアの技術開発は好奇心に突き動かされているので、自発的に行われていて他人には止めようがない。好奇心も人間の欲望の一種であり、衝動的に動いてしまう側面があるから、どうしても我慢比べになってしまう。そもそも技術開発自体は素晴らしいこととされているから、誰にも止める権利はない。

 特にここ近年の変化は早く、かつては現代人が生きている間には実現しないと思われていたものがドンドン存在している。スマートフォン、AI(電子頭脳)、自動運転、3Dプリンター、クローン、コード決済などなど・・・。それどころか完成不可能とまで言われていたバルセロナのシンボル、サグラダファミリアですらメインタワーがすでに完成していて、あとは周辺部の設備を造るのみとなっている(この建設スピードのアップに3Dプリンターが大いに活躍している)。

 こうしてドンドン加速度的にゲームチェンジが繰り返されていて、もはや誰にも止められない状況である。もはやついていくか否かの選択肢は残っておらず、どこまでついていくかの勝負の時代に突入してしまったのだ。




2026年7月30日木曜日

資生堂の失敗に見る、理想と現実の違いを知らない人間が落ちる罠



 化粧品大手として有名な資生堂。ちょっと前まで女性活躍のフラッグシップカンパニーとして表彰までされたが、ここにきてさんさんたる凋落ぶりを見せている。2024年には美容部員など1477人の早期退職を実施、翌2025年にも257人退職したものの、2025年12月期には過去最大となる約520億円の最終赤字を計上。米国でも300人削減し、中国の不採算店舗を閉めるなど、全社的に業績不振が続いている。

 この原因として資生堂は、中国市場での価格競争の激化や買収した米国ブランドの販売低迷を挙げているが、これだけでは国内市場の説明がつかない。実はここに深い闇が隠されているのだ。


 理想的な建前を追い求めた経営陣


 冒頭で触れたように、資生堂は女性活躍を目指していた。化粧品という業界柄女性職員が多い会社であるためその力の入れようは半端なく、日本一を目指していた。その方針で育児休業や育児時間制度の導入、事業所内保育所の開設、女性管理職育成のための研修など、様々な福利厚生やサービスを多数導入し、その甲斐あって内閣府による「女性が輝く先進企業表彰」で「内閣総理大臣賞」を受賞した。


 負担増の職員からの不満


 だが、これが現場で大きな軋轢を生んだ。というのも、育休を取りやすくなったことが問題となった。イメージ先行型の人からしたらいいことのように聞こえるだろうが、現場からしたら大迷惑になった。産休だけでなく育休もたっぷり取れるとなると、それだけ長い期間職員が離脱することになる。その職員の仕事は残ったメンバーに割り振られることになったので、一人頭の仕事量が増えた。

 しかも、この負担増がみんなに均等に振り分けられるならまだよいが、出産は計画的にはいかないから育休取得にバラつきが出るし、未婚の職員にいたっては毎回受け皿にされるため仕事量の不均衡が生じてしまった。これによって職員の怒りが爆発し、退職や業務停滞につながってしまった。業績低迷に転じてしまっては新しい人員の補充などできないから、福利厚生を縮小しない限りこの状態は収まらないだろう。

 このような職場環境では、日々の仕事をこなすことで精いっぱいになってしまう。そうなると、売上向上という本来一番取り組まなくてはならない課題が疎かになる。しかも、疲れが溜まる一方ではモチベーションも上がらない。売り上げ低迷は必定だろう。


 休暇とキャリアアップのジレンマ


 さらにもうひとつ矛盾点があるのが、キャリアアップだ。それだけ休暇を取りやすいということは現場を離れている期間が長くなるから、キャリアを積む期間も削がれる。その状況で女性管理職の増加といわれても、実績と肩書きが見合わないものになりかねない。

 さらに他人の肩代わりによって一人当たりの仕事量が増えている状況で、研修まで受けるのはさすがに残業必須の無理ゲーだ。これでは反って働き方改革に逆行しており、職場のブラック化といえる。こんなこと職員は誰もやろうとは思わないだろう。


 現場を知らぬ者がおちいる失敗


 では、この失敗の本質は何だろうか?それは、

 「現場を知らぬ者が、聞こえの良い理想だけを夢見て、リスクを無視したこと」

である。当時社長だったのは長谷川氏だったのだが、彼はいわゆる「プロ経営者」だった。プロ経営者というのは、大雑把にいうと外部から招聘された経営者のことで、生え抜きや創業家とは異なり外部の人間であることが特徴だ。

 となるとどうしても、現場感覚が生え抜きや創業家よりも乏しくなりがちで、職員にどういう負担がかかり、どういうトラブルに発展し、どういう不利益を被るかへの想像力が足りなくなる。

 しかも経営者自身がスポークスマンを兼ねていると、どうしても外からどう見られるかに神経を奪われて、リップサービスに走りやすい心理が生まれる。そうなると企業イメージの向上のために、視聴者受けの良い非現実的な理想を掲げるハードルが下がってしまう。その非現実性のしわ寄せは自ずと現場の負担となってしまう。職員からしたらとんだ災難にしかならない。

 結局現場を回しているのは職員なわけで、職員の負担増加や気持ちが載らないことをやるとモチベーションとポテンシャルが下がって、上手くいかない。やはり経営者であっても、現場感覚のないのは致命的だ。




2026年7月11日土曜日

答えだけを求めたがる人 ○○を学ぶ賢者






 何かを教わる際に、必ず答えだけを知りたがる人がいる。学校の勉強にしても、投資の判断にしても、仕事のやるにしても、答えにしか興味がなく、いつまで経っても上達しない。私も何人かそういう人に出会ったことがあり、その浅はかさにほとほと幻滅させられた。同じパターンは以前にもあったのに、また聞いてくるのかと呆れてしまう。

 今回はこの答えだけを知りたがるバカについてと、賢者ならどうするのかについて解説する。


 答えだけ知るのは、なぜ悪いのか?


 その前に、答えだけを知るのがなぜ良くないのか説明せねばなるまい。というのも、バカはこれが正解であると勘違いしたままになってしまうからだ。そして不正解の選択ばかり続けていくと、思わない方向へドンドン人生が進んでしまい、最悪取り返しがつかないこともあるのだ。

 では、なぜ答えだけを知るのがなぜ良くないのか?それは、

 「自立できなくなる」「物事が進まない」「他人から拒絶される」

からだ。どういうことかというと、

答えだけを聞く
▼
やり方を学ばない
▼
判断を他人に頼るしかない
▼
他者依存
▼
自立できない


答えだけを聞く
▼
やり方を学ばない
▼
頻繁に他人に聞く必要がある
▼
その度に時間がかかる
▼
物事が進まない


他者依存 + 時間がかかる
▼
他人の手間と時間を頻繁に奪う
▼
負担がキャパオーバーになる
▼
疲弊してドロップアウト
▼
他人から拒絶される

というわけだ。


 なぜバカは、答えだけ求めるのか?


 このように答えだけ知ろうとするのは、長期的には関係破綻を起こすので、まず破滅にしかならない。にもかかわらず、なぜバカは毎回答えだけを求めるのだろうか?

 ① 手軽でインスタントだから
 ② 自分で解くのが面倒だから
 ③ 将来の見通しができず、場当たりだから
 ④ 人間関係に関心がないから
 ⑤ 相手がどういう気持ちになるか考えていないから
 ⑥ そもそも自分のメリットしか目に入っていないから
 ⑦ 自分に自信がなく、自分では解けないと思っているから

 と言ったところだろうか?これらの内のどれかというのではなく、これらがケースバイケースで複数絡んで複合的に作用していると考えるのが妥当だろう。

 さらにこれらの傾向からうかがえるのは、かれらには人間的「未熟さ」があることだ。人間関係や社会性の成長が滞っており、子供時代の判断行動に未だ準拠している。


 賢者は「解き方」を学ぶ


 これに対し、世の中を上手く渡り歩いている賢者はどうだろうか?賢者が知りたがるもの、それは・・・

 「解き方」

である。解き方がわかれば、問題やシチュエーションが変わっても応用が利くので、解くことができる。自分でできることが増えるので早いし、周りの手を煩わせることもない。その結果として人間関係も改善し、良好な関係を維持することもできる。

 さらに、ワンランク上のことをも扱うことができるようになるので、自分の社会的評価や価値が上がり、収入アップや昇進も可能になる。自分で解く力をつけることは、将来を大きく左右する要素なのだ。

 だから、答えではなく「解き方」を身につけなければならない。




2026年5月28日木曜日

人間の不完全さが視野にない、共産主義の無能






 ベルリンの壁崩壊やソ連・東欧の共産党支配終焉に始まり、中国の資本主義経済導入などを経て、現在共産主義は縮小の一途をたどり、虫の息となっている。そんな中でありながら、ここ最近、マルクス主義や共産主義を志向する人を目にする機会が増えた。東京大学の教授、准教授にも何人か標榜してしている人がいるし、京都大学でもそういう一団がいることをメディアを通じて目にしている。

 だが過去の歴史を見て、共産主義を志向して成功した国は1ヵ国もないどころか、全て悲惨な結果に終わっている。その悲惨さも、経済的に失敗して貧困におちいっただけでなく、何百万、何千万単位で死者を出すというありえない規模での被害を複数の国で出している。

 なぜ彼らの理想はことごとく外れ、悲惨な結果になるのだろうか?共産主義者に共通する盲点を明らかにする。


 共産主義者の理想とスタイル


 共産主義者というのは理想を追いかけることを目標としている。そのため現実に対して否定的で、受け入れたくないという思いが強い。というのも、現実は理不尽で、不平等で、苦労がばかりさせられ、恵まれることはなく、利益は絞りとられ、自分にとって損で苦しく面倒で困難なものと思っているからだ。

 だから、どこかにそうではない楽園のような場所があるべきだと考える。この考えをベースに理想を描くのだから、自分にとって相当都合がよく、大甘な青写真(彼らはこれを完璧な高い理想という)になってしまう。

 しかも、格差は彼らの自尊心を強烈に刺激するので、悪と見做して絶対に否定する。だから、きっちり平等にすることへ固執し、それに従うことを他人にも要求する。これが共産主義が計画経済を志向する理由で、そこから上がった利益は「どんな人にも」平等に分配されるべきとする。


 聖人レベルの人間ばかりでないと成り立たないシステム


 ただ、彼らの思い描く理想のシステムにはある重大な欠陥がある。それは、全ての人間が聖人レベル、何なら神様レベルの高い人間性を兼ね備えていないと上手く機能しないという点だ。そんなのは誰がどう見ても不可能である。

 そもそも人間はどこまでいっても全員完全にはなりえないし、個体差や地域差、能力差など、変えられない差も存在する。その中にはズルい人間も存在し、手を抜いたり、抜け駆けしたりする者も必ず出てくる。そうなると、真面目に計画に従った人ほど馬鹿を見ることになる。

 しかも共産主義は大きな政府を志向し手厚い社会保障を求めるが、これもズルい人間にとっては格好のターゲットで、自分だけ楽して利益を得る手段として悪用してしまう。これでは真面目に従うのが馬鹿らしくなるので、そういった人まで腐らせ全体のモチベーションを落とし、生産力の低下と国民全員の貧困を招いてしまう。

 それにもっと身近なところでも、人間誰でもちょっとした誘惑に負けてしまうなんてのは日常茶飯事で、それが重なって皆が皆やってしまい、大騒動に発展するなんてのは度々発生している。どうしても人間には感情や欲求があるので、そこに流されてしまって計画外の行動に出てしまうなんてことを繰り返してしまう。

 人間が不完全である以上、思い通りにいきようがないのだ。


 出る杭を打つ共産主義


 さらにもうひとつ問題点がある。先ほどの人間の不完全さの話はどちらかというと下振れの話だが、逆に上振れする人間もいるだろう。意欲があってバリバリ働く人、頭が良くてハイレベルな仕事ができる人、技術があってイノベーションを起こせる人なんかがそうだ。こういう人は上に突き抜けられる人材だが、共産主義の下では非難の対象になりやすい。いわゆる出る杭だからだ。

 先ほど言ったように、共産主義は平等を基本の価値観とするので、出る杭はこれにそぐわない。だから必ず出る杭を打ちにくる。そのためこれら出る杭の足を引っ張って、何としてでも引きずりおろそうとする。もうそれは、嫉妬の対象でしかない。そのせいで発展が止まり、どんどん様々な製品が時代遅れになってしまうという弊害も共産主義国では散々起こってきた。


 不完全なものが作る以上、どんなものも不完全でしかない


 所詮完璧ではない生き物が作り出したものである以上、共産主義ですら不完全で上手くはいかない。つまり何をやっても不完全にしかなりえないのだから、完璧を求めることはナンセンスなのだ。むしろ不完全で不平等で理不尽であるのを承知し、その上でどう立ち回るかを考えたほうが現実的であり、即効性もあり、成功率も高い。

 少なくとも怠惰な者やズルい者にとって得となるシステム、優れた者に損させるシステムは破綻にしかならないから、誰にとっても不幸である。だからこそ共産主義は、最も忌避すべきものである。




2026年5月15日金曜日

富の再分配と、責任・リスクの再分配






 左派および共産主義者は、富の再分配に異を唱えることが多い。一部の人間が富を独占するのは許せないからと、資本家に対し批判を繰り返す。

 ただこの共産主義者の議論は意図的に報酬額のみに限定しているので、他の部分の不平等や公平性を無視している。そのため、経済全体、仕事全体というマクロの視点で見た時に、本当に平等なのかは甚だ疑わしい。実際にはこの点を無視したがゆえに反って不公平が強まり、全ての共産主義国が失敗し、そのほとんどが共産主義経済を廃止せざるをえなかった。

 そこで今回はこの再分配について、富だけではなく労働や責任、リスクといった総合的に、もっとマクロな視点で公平性を見ていく。


 立場による職務内容とプレッシャーの違い


 よく労働者というか左派の人たちは富は労働者が生み出しているというが、それは正確ではない。実際には、経営者が編み出したノウハウと資本家が出した資金がベースにあり、そのモデルと資金を借用して労働者が稼いでいる。

 なので労働者が全ての苦労を負っているというのは間違いだし、経営者や資本家がそれを横取りしているというのも間違いだ。労働者も労働者で経営者や資本家に背負ってもらっているものがあるし、何よりそのお陰で飯を食わせてもらっている部分も多分にある。

 それにそこまで文句を言うのであれば、経営者の代わりに経営を担ってはどうだろう?恐らくほとんどの人が、他の従業員の雇用維持や倒産へのプレッシャーを感じて、尻込みするに違いない。いざ経営となると、怖すぎてできないと大半の人は思うはずだ。

 そう、経営の仕事は責任が重すぎてプレッシャーは労働者の比ではない。それゆえ皆やりたがらないので、報酬を上げないと担い手がいない。にもかかわらず、報酬の均衡化をしたらどうだろう。額面の平等は叶っても、仕事内容と責任の重さの不均衡は生じるので、経営者や資本家はやってられないだろう。


 富を再分配するなら、責任とリスクも分配しないと崩壊する


 なので、富の再分配もするなら、責任やリスクも応分負担にしないと不公平になるので、やがて皆やってられないからと職務放棄をするのが見えている。裏を返せば、責任とリスクを他人へ押し付けられる立場にいるから、報酬が低いとも言える。

 富だけを再分配しても、職務の不均衡を是正しない限り、その表面上だけの平等は維持できない。そうさせないため、組織を崩壊させないためという側面が格差にはあることも知っておかなくてはならない。

 それに経営を続け高い報酬を得るためには、常にアイデアを出し続ける必要もある。果たして労働者にそれができるだろうか?多くの人はそんなの無理だと思うに違いない。多くは言われたことだけをやっている方が楽だと思うことだろう。そう、経営者や資本家と比べて、労働者のほうが精神的には圧倒的に楽なのだ。


 額面の平等だけ考えていたのでは解決しない


 よって、左派の言うような報酬額のみに絞った平等・再分配は、余計不公平が増し、崩壊につながる。実際、多くの共産主義国が潰れたのもこれが原因で、痛み無き平等なんて成立しない。富の再分配をするならその加算分の責任とリスクが発生するというのをわきまえておかないと、組織は簡単に自滅するのだ。

 それに、何も責任を負わないで金だけとっていく人なんぞ、誰が信用するだろうか?少し考えればわかりそうなものだが?富の再分配なんぞ、そう単純な話ではないのだ。報酬を上げるのであれば、労働者側も改革しなくてはならないのだ。