2025年8月13日水曜日

努力しても実らない人は、努力するところを間違えている

 よく巷で、「努力してきたのに何も得られなかった」とか、「俺だって努力してきたんだよ。努力してないって言うな!」といった台詞をよく目にする。「努力したからって、必ずしも目が出るわけではないんだよ!」というのもあるだろう。こういった努力を否定する人たちをつぶさに見ていくと、面白いことに共通点が浮かび上がってくる。それは・・・

 「努力するところを間違えている」

という点だ。どうもこの手の人は導入の時点で、何でも思いつきで手当たり次第に努力しても結果が出ると勘違いしている。下手すると、勘だけを頼りに物事に取り組んでも結果が出ると、安易に判断している。正直、

 そんなわけあるかい!

 それだったら全ての人が億万長者になっていないと、おかしいではないか。結局、この手の人の問題点は努力する能力がないのではなくて、取捨選択をする能力に欠けているのだ。別の言い方をすると。努力の量や質ではなく、努力の方向を間違えているのだ。

 例えば、社会保障と財政逼迫の問題で、間違う人は一生懸命財政破綻しない理屈(それも決まってMMTや通貨発行権の話ばかり)を探してしまう。そんなのは金融全体から見たらほんの一部分のシステムでしかないし、現実世界で実証されていないから憶測の域を出ないので絶対そうなるとは言えないし、何よりその通り行ったからといってそのお金が自分にまで分配されるという約束は誰もしていないのに、ひたすらこの分野だけ聞きかじって知った風な口を利く。自分のお金は一切増えないのに。

 自分の生活や収入の保障が目的なのに、小利口になるだけで自分の生活の足しにならないことに貴重な時間を使ってしまうのは、目的適っていないので時間の無駄使いあり、完全に努力の方向を間違っている。その間にも物価上昇が続き、永遠に自分の生活は苦しくなる一方で、その努力は失敗にしかならない。この場合の正解は、自分の収入を増やす方法を見つけてチャレンジすることだ。

 もっとシンプルで身近な例を挙げると、勉強でいったら英会話のレッスンのために英単語帳を見て覚えるとか(発音記号通りにネイティブは発音するわけではないので、リスニングには全く役立たないから)、会社で評価されるために1人でたくさんの業務を抱えるとか(体力や健康に限界があるので、業務の量にも限度があるから)もよくありがちだ。こういった成果の出ない努力を重ねている時点で、方向を間違えているのだ。

 さらにこういったことに時間を使ってしまうと、成果の出ることに使う時間が無くなってしまうという、更なる悪影響も生じる。しかもその成果の出ることに時間を使っていないことで、他人から努力していない、行動していない、チャレンジしていないと見られてしまうのだ。これはせっかく努力ができるのにその能力を適切に使えていないので、実にもったいない。

 このことから、この手の人の欠点は何かというと、

 最終目的を見失うこと

である。これをいつもやっているから、無駄な努力で終わって結果に結びつかないのだ。これを防ぐために、定期的にそもそもの目的は何だったか立ち返る必要がある。そのために必要となるのが、

 自分のやることを疑う癖をつける

ことだ。そしてその判断基準として重要なのが、

 間違いがないかではなく、実りがあるかどうか

である。これを間違うと方向がくるってしまい、せっかくの努力が水の泡になってしまう。なので、常日頃から自分のやることに疑いの目を持ち、それがやるだけの成果が得られるのかを検討する癖をつけることが生存に欠かせないのだ。




0 件のコメント:

コメントを投稿