2024年12月20日金曜日

ユダヤ人のお金に関する格言

 ユダヤ人といえば良くも悪くもいろいろと言われがちですが、割と金融業で成功している人が多いと言われています。そんなユダヤ人のお金に関する格言の中で、私が心に留めているものを紹介します。

資産を増やす3つの方法

 多くの方は日々どうやったらお金や資産が増えるのか悩んでいると思います。生活費や養育費、老後の生活など、支出には際限が無いです。そのためにどうにか収入が増えないか思いを巡らしていることでしょう。

 そんな方に考えて欲しいのが、ユダヤ人のお金に関する考え方です。それは、「資産を増やすには3つの方法がある。一つ目は報酬。二つ目は貯蓄。三つ目は投資だ。この中で最も重要なのが投資だ。」というものです。これだけ聞いても、う~んという感じでしょう。なので、その一つ一つを具体的に見ていきます。

報酬の場合

 まずは一つ目の報酬について見ていきます。この報酬というのは、給与や売上のことを言います。別の言い方をすると、労働や事業の対価として得るお金のことです。これは入ってくるお金があるので、堅実なお金と言えます。

 ただし、多くの場合労働が伴いますし、そのために時間や体力を切り売りせざるを得ないため限界があります。特に年を取ったら働けないので、おのずと収入減が断たれることになります。家賃収入などの不労収入が無いと永続的に報酬でお金を得るのは難しいでしょう。

 そして給与を得ている一般の労働者の場合、一定の給与が保障され会社や団体が責任を負ってくれる分リスクを取っていないので、収入が低いまま上がらないのは当然の結果です。なので昇給するには出世して責任を負う管理職になるか、もしくはいっそ経営者になるかしないと難しいでしょう。

 つまり、リスクや責任をとらないと一向に増えず、しかも限界があるのが報酬なのだということです。

貯蓄の場合

 では貯蓄の場合はどうでしょうか?報酬から生活費や遊興費などをまかない、残ったお金を貯めたのが貯蓄です。このことから、まず報酬が無いと始まらないのがわかりますし、セットで考えなければなりません。さらに、生活費などのコストがどれだけかかったかによって残額が決まるため、コスト削減を迫られることになります。

 しかも、貯蓄は現金という形で貯めているので額面以上の価値を持たず、利子が入ったとしても金利が安いので大して増えず、単利なので資産増加の効果が極めて薄いです。このことから、かなり効率悪いやり方と言えます。

投資の場合

 そして三つ目の投資です。これは手元のお金を、株、投資信託、為替、債券、不動産、先物などの金融商品に交換する方法です。これらの金融商品に投資し、代わりに投資先の経営者やファンドマネージャー、役人、住人らに働いてもらい、その上がりを頂くわけです。これだと自分自身は働いていないので不労収入になりますし、勤めをしながらでもできます。

 さらに利益は資金提供をした投資家に優先的に配られますので、立場上もかなり優位です。しかも投資する以上、責任とリスクを負うわけですから、その分手にするお金も多くなりますし、複利が付くので一定額を超えると圧倒的な差で資産が増えていきます。

 だからこそ、ユダヤ人は投資や資産運用を重視するのです。

収入はリスクの大きさに比例する

 そもそも収入はどのようにして決まるのでしょうか?仕事量や難易度で決まると思う方が多いのではないでしょうか。

 しかし多くの仕事をこなすには時間や体力に余裕がないと出来ないですし、難易度が高い仕事であっても給与がそれほどでもない職種も多く存在します。実際、同じ医師でも勤務医の場合は一般的な会社員と給与は変わりません。開業医の報酬が高いのは医師だからではなく、医療法人のオーナーとしての役員報酬があるためです。大学教授もそこまでではなく、定年退職したらギリギリの生活になったという人も普通にいます。なので、難易度でもないことがわかります。

 では何で決まるのか。それは「リスク」の大きさです。先ほどの意思の例を見ましょう。勤務医の場合は雇われの身ですから役員報酬は入りません。だから会社員と同じです。しかし開業医の場合は、経営者としての側面もあり経営責任というリスクを負っています。そのリスクがあるので収入も高くなるのです。

 ということは私たち一般人も経営のリスクを負う立場になることができれば、収入を劇的に上げることができます。その方法が投資なのです。投資に身分や所属は関係なく、等しく門戸が開いています。つまり投資は唯一一般人が立場逆転でき、経営層に潜り込める手段なのです。

2024年12月6日金曜日

他責思考の罠

  ここ最近、特にSNSにてなんでも他責思考をしている人を見かける。自宅で自分一人で他責するならまだしも、他人に向けてしまうとあっという間に人間関係が悪化して、社会からの反撃にあったり相手から非難されたりとろくな結果にならない。最終的により孤立を深めてしまい、求めていたのとは真逆の事態になり、精神状態も悪化し、極端な思考に凝り固まったまま不幸のどん底に落ちてしまう。今回はそんなデメリットの多い他責思考について考察します。

他責思考とは

 まずは他責思考とはどんな状態なのかについて見ていきます。何か物事が起こった時にその原因が自分にあると考えるのが自責なのに対して、自分以外のものに原因があると考えることを他責と言います。

 ただ現実世界において物事と言うのは単純ではなく、複数の要因が重なって起こるものなので、一つの物事の中に自責の部分と他責の部分が混在しています。なので自責と他責双方の考え方が必要で、どこからが自責でどこまでが他責なのかを見極め線引きをする能力と、自責については引き受ける度量が必要です。

 しかし中には(多くの人がそうかもしれないが)自責の部分を見極められない、もしくは引き受けたくないばかりに、全て他責として判断する人がいます。一般的にはこれを他責思考と言います。

他責思考の問題点

 では他責思考に陥ると、どんな問題が発生するでしょうか。

対人トラブルの連続

 他責思考は自分の責任も相手に押し付けるわけですから、相手からしたら言いがかりを付けられていることになるので、たまったものではありません。当然相手から怒られたり縁を切られたりするでしょう。となれば、いつもケンカや争いが絶えない人生になります。酷い人の場合、警察沙汰や裁判にまでなることもあります。

失うものが多い

 このような人物を好む人はいないので、友達は真っ先に失います。度が過ぎれば、家族すら相手にしなくなるでしょう。人が寄ってこなくなるので、確実に孤立します。

 さらに自分の責任を認めないので、信用を失います。世の中は多くの信用で成り立っているので、信用が無いと仕事もお客さんも得られないし、金融機関もお金を貸してくれません。

 その上、お金も失いやすいです。それはそうですよね、仕事やお客さんが無ければ収入が得られないですし、争ってばかりだと訴訟費用や賠償金などを支払わねばならず、出費もかさみます。

困った時に助けを得られない

 他責思考の人は他人から好かれませんから、助けが欲しくても応じてもらえません。信用が無く見放されるので、助けを求めても自業自得と思われて放置されてしまいます。思いやりが無いと相手を罵ったところで後の祭り。

 そもそも責任を丸々押し付けることで自分が先に相手をぞんざいに扱ったのですから、思いやりが無いなどと言う資格は無いのです。人間は相手と対等の関係を望むので、ギブアンドテイクが成り立たない場合、一方的な享受を求められたと判断されると手を切られます。

精神疾患の発症と悪化

 対人関係が悪くなるので、精神を蝕む確率も上がります。これに伴って精神疾患を発症したり悪化したりすることも多いでしょう。そうなれば入退院を繰り返すことにもつながりますし、増々孤立を深めることにもなりかねません。最悪人生に絶望して自殺念慮や自死に至るケースもなくはありません。

自立・自活する力がつかない

 他責思考をしていると他人に依存し続けることになります。というのも自分の責任ではないから他人が何とかすべきという判断になるからです。そしていつまでも何の経験もトレーニングも積めないので、生活に必要な能力が身につかず自立や自活ができません。それ故に増々他人へ依存せざるを得なくなります。

 しかしそんな人にいつまでも付き合ってくれるお人好しはいないので、いつかは見限られて捨てられます。結果依存したいのに依存先が無いという八方塞がりな状況に陥ります。そうなれば生きるか死ぬかの選択をしなければならなくなります。

他責思考の人の特徴

 そもそもなぜ他責思考に陥る人がいるのでしょうか。

自分を絶対視している

 他責思考をする人の根底には、自分の考えを絶対視している傾向が強いです。つまり「自分に間違いはない」「自分が思ったから正しい」「自分が感じたから真実のはずだ」という思考プロセスを共通して持っています。それが科学や統計などのエビデンスに基づいているのなら納得できますが、基本的にこういった人は落ち着いて考えることもなく、「思ったから」とか「感じたから」とか、とてもエビデンスとは言えない主観や先入観を理由に、自分を疑うこともなく拙速に判断します。

責任感が無い

 しかし自分を絶対視する割には責任感がありません。むしろ責任感がないからこそ責任を押し付けるべく他責すると言ってもいいでしょう。なんとしてでも責任は取りたくないので、たとえ自分に誤りがあったとしてもなりふり構わず、時には卑怯な手段を使ってでも抵抗します。

 しかし正当でないものを正当化するのでエビデンスがあるはずもなく、「思ったから」「感じたから」といった主観的な感想しか出せません。

 それも効かずいよいよ切羽詰まるとどうなるか。逃げます。それも捨て台詞を吐いて。立つ鳥跡を濁します(笑)潔さが無いですね。大体責任というものを過大評価していて、とても自分には責任をとれないという恐れがあります。これが無責任さに繋がっています。

 でも、大人になったら自分の責任については負わなくてはなりません。

自己評価が低い

 それと他責思考を持つ人に多いのが自己評価の低さです。自分には実力が無いと思っており、自分で人生を切り開く自信がありません。自分には才能が無いとか何も経験が無いとか(最初から持っている人はいないし、これから育めばいいだけなのだが)思っており、やりもしないで自分にはできないと決めてかかっている人が多いと感じます。

 だからトラブルや困難が発生した際に、自分には対処できなかったんだと判断します。よって他者へ原因を求めることになります。

恐怖心が強く勇気が無い

 自分の責任や過ちを認めることへの恐怖心が強く、認める勇気をなかなか持てない人も多く見かけます。例えば自分にも過失があった場合はその点を認めて改善すれば同じ目に合わなくて済むので、良いように考えることもできるはずです。

 しかし他責思考の人は1%でも自分の責任を認めることが恐ろしく躊躇します。自分の良くなかったところだけを認めればよいにもかかわらず、それすらも地に落ちるくらいに感じるようで、一歩も先に進まなくなります。結果として意固地で融通が利かない、大人げないわからず屋という評価を受けてしまいます。

固定マインド

 他責思考の人の特徴として固定マインドの傾向もよく見られます。固定マインドとは、自分自身は基本的に変えられないし変わらないと考えることを言います。反対に自分を変えることはできるし変わりたいと思って行動に移せる心持ち(マインド)のことは、成長マインドと言います。

 他責するということは裏を返せば自分にはどうすることもできなかった、手の打ちようがなかったと考えているということで、自分の運命を変えることができないと考えているということになります。それは固定マインドの思考に他なりません。

他責思考を手放すには

 では他責思考を手放して健全な人生を歩むには、どうしたらよいのでしょうか。

少しずつ自分でできることを増やす

 家事にしても仕事にしても一つ一つ挑戦し継続することで、次第にできることが増えてきます。そうすることで何もできない自分から脱することに繋がり、自分で人生をやり繰りできることがわかってきます。

 そうすることで何かアクシデントが起こっても自分で対処できるようになり、余裕が生まれて安心感を得られます。すると自責を認めても恐怖が湧かなくなり、大げさに捉えなくなります。

人間関係にゼロ百が成り立つことは無いと理解する

 自分一人では人間関係は成り立たない以上、何か対人トラブルがあった時に責任が0:100になることはありません。なぜかというと、要因なく起こることは無いからで、それが双方合致した時にトラブルが発生します。なので自分には責任が無いというのは起こりえません。にもかかわらず自責を認めなければ責任転嫁をすることになるので、どんな人も怒るでしょう。

 反対に自分の落ち度を素直に認めれば相手も態度を軟化しやすくなるので、人間関係を修復することができます。結果人が離れるのを防ぐことができて、助けも得られます。

今楽をすれば、将来もっと大きな苦がくると心得る

 他責思考の癖を持っていると、目の前のトラブルから目を逸らし早く楽になることを求めがちです。しかし社会や人生は必ず帳尻合わせをしようとするので、後になってしっぺ返しとしてその何倍もの苦難と恐怖心を背負うことになります。そうなればそれこそ自分では抱えきれなくなり、精神の安定を失い自滅する以外になくなります。

 反対に先に苦を受け入れれば、まだ小さいので乗り越えるのが容易です。しかも早めに解決することができるので恐怖心を持ち続けなくて済みます。結果精神が安定し、穏やかに暮らすことができます。

 さらにそういった行いが他人から誠実に見え、信頼が得られ、良い人間関係を作ることができます。すると困った時に助けが得られやすくなり、多くの貴重なものを手にすることができます。

自分を変えられるし、変えないと上手くいかない

 自分を変えられないと思っているうちは、現状維持をしているだけなので何も変わらないし、何も手に入りません。何かを手にしたかったら自分を変えるしかありません。

 それに自分を変えられない人はいません。赤ちゃんの頃から比べて何も変化していない人はいないでしょう。心理学者アドラーは、「何も変えられない人はいない。それは変えられないのではなく、『変わらないという選択』をしているだけだ。」と言っています。正しくその通りで、その根底には変わらないことのメリットがあるからそれを手放せず変えないのです。そのメリットが無くなれば損しか残らないから、人は自ずと変わることを選びます。

 しかし目先のメリットを得たまま将来の希望を叶えることは不可能です。そんな勝手で欲張りな話はないからです。世の中は必ず交換条件で成り立っています。目先のメリットを差し出すことで、将来の望みが叶うのです。