荒井元秘書官の発言について思うこと

 荒井元秘書官の発言が物議を起こしている。LGBTの人達(一部だけかもしれないが・・・)の非難がヒートアップしていて、自民党が火消しを図らんと理解増進法案を提出する動きになっている。火消しのために法案提出するというのは本末転倒だと思うので、私は賛同いたしかねるし、焦って作ってもいいものはできないので、頭を冷ました上でしっかりと時間をかけて練り上げて欲しいと思うのだが。

 実は先の荒井元秘書官の発言に関しては、私自身はあまり不快には思わなかった。私は性別適合手術をし、戸籍変更までしたトランスジェンダーなので思いっきりLGBT側なのだが、荒井氏の発言はそもそも、「これも恋愛対象の話だから、そりゃあ、そういう趣向の人もいるでしょ」という話でしかない。「見るのも嫌だ」とも言ったそうだが、それも誰だって見たくもない物はあるのだから、人のことを言えた立場ではない。荒井氏の場合、それがたまたまLGBTだったというだけだし、「存在してはいけない」とは言っていないので、それ以上の意味はない。

 それを「自分の存在を全否定された」と取るのは、言ってもないことをさも言ったかのように発言する虚偽に他ならない。加えて個人的な解釈や憶測など不確かな要素持って話をするのは机上の空論でしかないし、客観的事実ではないのでそれを持って相手を非難するのも決めつけ・レッテル貼りでしかない。その点ではLGBT側も社会人としてのマナーが無いし、そこまで行くと言いがかりがでしかないので、倫理の観点からやっていいことではない。

 元来、存在とは自分が認めるもので、他人に認めてもらうものではない。他人が何を言おうとも、生まれた以上は存在しているわけで、その事実は変えようがない。なので、他人が何を言ったかなんて関係ない話で、「自分の存在を全否定された」と捉えることは論理の飛躍でしかない。そしてそこに他人へ依存していて精神的に自立と自律ができていない様子がうかがえ、健全な自我が形成されておらず、幼さを感じる。

 大体、LGBTだから正しいことを言っているという、所属グループを善悪の判断基準にしていることが、おかしいことにいい加減気付かないのだろうか。私の知人のLGBT運動家K氏はこんなことを言っていた。

「気持ちが全て。私が思ったものは、全部正しい」

 あまりの独善的かつ他責思考に極端なわがままさと無責任さが見え、人としての品性の無さに幻滅した。「人には言っていいことと悪いことがある」と本人が常々言っておきながら、それはLGBTにも言えることだというモラルはこの人にはないらしい。

 以前、私が医師の診断についてツイートした際に、「医者は患者の望み通り、その場で診断書をかけばそれでいい。検査なんて必要ない」と医者でもないのに豪語していたし、「それが誤診だったらどうするのか」「体まで変えた後だったら取り返しがつかないので、医師の責任だって発生する」と私が言うと、「誤診があっても構わない。医者の責任なんて関係ない」などと言っていた。余りにも医師の人権を無視した発言だ。しかし、所属グループを判断基準にすると、これも正しいことになる。

 実際には、多くの人は「自分の言うことは全て正しい」なんて言う人に賛同はしないし、主観的な人は好まれないし、自分は大事にされたいが他人は粗末に扱う人に好感を抱かない。そこにLGBTかどうかは関係ない。一人の人間として理性的かどうかが問われている。にもかかわらず、その己の素行の悪さに対する指摘まで差別だと言って責任を擦り付けてる様では、LGBTへの反感が増すばかりでいつまで経っても溝は埋まらない。

 今回法律が制定されようとしているが、そもそもモラルにかかわることなので一方にだけ要求するのはフェアでない。双方が守って初めて社会と法の下の平等が成り立つのだから、LGBT側にも規定を設けないと不公平が生じる。今の状況を見ているとLGBTばかりが要求を100%叶えようとしていて、リスクの分かち合いの姿勢が見られない。これではただの依怙贔屓だと言われるのは当然である。LGBTにも善悪の判断ができない人や被害妄想をする人がいるのだから、双方に適用されないと意味がないし、お互いに譲り合わないと話はまとまらない。お互い大人の視点で見れるようになってもらいたいものだ。

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