自らチャレンジも努力もしないで手に入れられるものはない

 若い頃は特にそうでしょうが、多くの人が望みや憧れを持っていると思います。スポーツ選手になりたいとか、一軒家に住みたいとか、海外で仕事がしたいとか、人の数の分だけあるかと思います。しかし、それを本当に叶えた人はどれだけいるでしょうか。恐らくほとんどの人は、絵に描いた餅で終わらせているのではないでしょうか。

 ではなぜ多くの人は、叶えずに終わるのでしょうか。そして叶えた人は、何が違うのでしょうか。


叶えないことのうま味

子供の頃は多くの夢を描いていた
 小学生の頃、プロサッカー選手になって数億円という多額の年俸をもらい、高級マンションに住み、高級車を乗り回すなんてことを思い描いていた人は少なくないでしょう。他にも、ミュージシャンになって有名人になり、多くの人から注目を浴びる存在になりたいなんて思っていた人も。

 かくいう私も、若い頃はいろいろな夢や目標を思い描いていました。模試で1位を取るとか、絵画コンクールで受賞するとか、好きな職業に就くとか、性別を変えるとか、マンションを買うとか・・・。今思うと、なんと欲深い(苦笑)。

 そう、若かりし頃は誰しもいろいろな夢を持っていたものです。でも私は、ここに書かれたことを皆叶えました。

大抵の人は、スタート地点に立とうともしない
 他人が夢を叶えたのを見て、多くの人は運が良かったからだとか、才能があるからだと言います。それは果たして本当でしょうか。先ほど例に出した絵画コンクールで見ていきます。

 これは絵の世界ですから、特に才能がないと受賞できないと言われがちです。ただよく考えてみてください。その才能という言葉を口にした人は、コンクールに応募したのでしょうか。いいえ、していません。才能があろうがなかろうが、応募しない限りは受賞できません。

 実際、私は夏休み冬休みに学校から配られた絵画コンクールの一覧表にあったものへ応募しただけです。学校で配ったものですから、当然クラスメイトもそのプリントは手にしています。しかし応募したのは私くらいなもので、ほとんどの子は絵を描くことすらしていません。そう、才能うんぬん以前に参加すらしていないのです。これでは受賞できないのも当然ですし、競争相手が極端に少ないのですから受賞できる可能性も高まります。

 タレントになりたいと思っていた人もいるでしょうが、芸能事務所へ応募したかと言えばほとんどの人はしていないでしょう。結局ほとんどの人はできなかったのではなく、チャレンジすらしていないのです。

チャレンジしなければリスクを負わなくて済む
 何かを叶えようと思ったら、チャレンジするしかないし、そのためにはスタート地点に立たなければ仕様がありません。でも多くの人は、それをしません。なぜでしょう。それば、失敗や恥などのリスクを恐れるからです。

 失敗をしたり恥をかいたりすれば、心が傷つきます。人間にとってこれほどのリスクはありません。特に日本人はセロトニントランスポータの分泌量が遺伝的に少なく、楽観的になれず不安感が高まりやすいことがわかっています。そのためストレス耐性が低く、傷つくことを恐れ、消極的になりやすいのです。

 さらにチャレンジするとなると、それなりに苦労はつきものとなります。基本的に人間は脳疲労が溜まるのを防ぐために、怠ける習性を持っています。チャレンジしなければそのリスクを回避できるので、やらない選択をしがちになるのです。

努力の差
 ただ、スポーツや勉強の分野となると結構やっていたという人は多いものです。スポーツだと部活やユースチームなどがあり、所属していたなんて話はよく聞く話です。勉強に至っては学校でやりますし、学習塾へ行くのも珍しくないので、やっていなかった人を探す方が難しいでしょう。では、なぜそれでも差がつくのでしょうか。それは、努力の差があるからです。

 これを聞いて多くの人は「俺だって努力したんだ」というでしょう。ここに盲点があります。それは努力したしないの他に、どれだけ努力したかという分量の問題があるのです。

 考えてみてください。プロスポーツ選手が学生の頃、みんなと同じ練習メニューだけしていて果たしてプロになれたでしょうか。東大理Ⅲに合格した人が果たしてみんなと同じ勉強してたでしょうか。答えは、いいえです。

 なら同じだけ努力をすればいいのですが、多くの人はやりません。なぜでしょう。それは多く場合、続かないからです。継続は力なりという言葉がありますが、人よりも続ければその分実力が伸びます。しかし、人間は先の見えない努力に萎えてしまうので、長続きしないのです。

安易な手段に走る愚
 さらに人間は物臭な一面もあるので、面倒なことを嫌い手抜きをしてしまいがちです。野球で言えば、素振りの回数を減らしたり、全力で投球しなかったり。これでは、いくらチームに所属していても大会に出場すらさせてもらえないでしょう。

 仮に手抜きをして手に入れたとしても、得られる物は少ないし、自信など持てないし、賞賛に値しません。努力しないで手に入れたものは記憶に残りずらいということもわかっているので、すぐに忘れてしまいます。

 それに努力する人と手抜きをする人ではどちらが応援されるかといったら、間違いなく努力する人です。安易な行いは一時的な楽を手に入れているだけで、本来欲しかったものも人も手に入らなくなるのです。


根本的な問題

自分の人生は自分で作り、責任を負う意識の有無
 こういうチャレンジに一歩踏み出せない人に特徴的なのは、逃避癖があることです。なぜ逃げるのか。労力をかけたくないのと、責任をとりたくないから。

 そもそも自分の人生は自分にしか歩めないから、自分で行動するしかありません。周りの人は自分の手足ではないので思い通りには動いてくれないし、その人にはその人の人生があるのです。物事を成し遂げる人は相手の人生を尊重するので最初から当てにはせず、逃げずにまずは自分でやってみます。自分でやらないと欲しい未来が手に入らないことを、ちゃんとわかっているのです。

 しかし、それは同時に自分の労力を消費することも意味します。さらに自分で行動するということは、その責任を自分で負うということになります。これはリスキーなことであり、多くの人はそこから逃げてしまいます。辛い思いをするくらいなら、叶わなくても楽なほうがまだ安心を得られるからです。

 つまり、自分の人生は自分で作り責任を負う意識の有無が、未来を分けています。

依存的な関係
 まだチャレンジできない人には共通の傾向があります。それは、依存的な人間関係です。自分の人生を自分で作らない、でも生きているからには人生を作らないといけません。となれば必然的に、自分以外の誰かに作ってもらわなくてはなりません。これは常に依存する相手を求めているということです。

 こういった人のそばには、大抵それを許してしまう人達がいます。何でもやってあげることが優しさだと勘違いしているので、相手の求めに応じてやってあげてしまい、自分でやる機会が奪われ、いつまで経っても自分で生きる力が身につきません。結果自信もつかないから、余計に一歩が踏み出せなくなります。

 さらに問題なのは、この依存相手も依存しているというところです。そう、共依存なのです。お互いに依存し合っているため、いつまでも自立できません。しかも周りが依存関係ばかりなので、それが異常だと気づかなどころか当たり前だと思っていて、自立を促す真に自分のためになる人を冷遇してしまいます。そして仮にその内の一人が自立してコミュニティから抜け出そうものなら、裏切り者呼ばわりして全力で足を引っ張ってきます。

恥と完璧主義
 上記のことから自ら行動することがないため、失敗をした経験もありません。多くの人は失敗を経験しても生き続けているので、もし失敗しても立ち直れると思いから、スタートできます。しかしチャレンジできない人はそもそも失敗の経験すらないので、立ち直れる確証がなく、恥をかくことしかわかりません。結果、二の足を踏んでしまいます。

 こういう人が何か始めようとすると、恥を恐れるためにネガティブな要素をなくそうとします。そこで陥るのが、完璧主義です。失敗したくないために、失敗しないような体制を作ろうとします。しかし、そんなものこの世の中にあるでしょうか。いいえ、どこにもありませんよね。だから、失敗しそうなことは初めからやらないという選択に至るのです。


抜け出す秘訣は

他人や環境のせいにするのを止める
 天変地異ならともかく、自分の人生は自分の選択の積み重ねでできているので、あくまで自分で作り上げたものです。大なり小なり影響はあるものの、基本的に他人のせいでも、環境のせいでもありません。他人や環境に遭遇した時にとった、自分の選択の結果です。

 それに他人のせいにするということは、他人の人生を生きるということになります。いつも他人の選択に従わなくてはならないので、自分の人生なのに自由に行かず、フラストレーションがたまるのも当然です。そんな人生をあなたは送りたいですか。フラストレーションのない人生を歩みたいなら、周りのせいにするのを止めることです。

交友関係を見直す
 世に言う、友達を選べというものです。これはかなり重要ですが、多くの人が間違えています。特にチャレンジできない人は。

 友達を選ぶというと、多くの人は今自分にとって好きな人や身近な人、楽な人を選びがちです。いつも慰めてくれる人とか、いつも肩代わりしてくれる人とか。しかし、これだといつまでも自分でやる機会が得られないので、経験を積むことも、失敗をリカバリーする術も身に着けることができません。結果、今のぬるま湯の状況から抜け出せませず、自立できないのです。

 大体、そういう友達は一見自分のことを思ってくれているように感じますが、普段から当たり障りのないことを言っているだけで、窮地に陥った時には火の粉を被るのをさけて逃げます。本当に優しい人とは、間違った時にはきちんと叱ってくれて、一番の窮地に陥った時こそ助けてくれる人です。良薬は口に苦しです。
 ただし、ここで注意点があります。今の人間関係から抜け出す際に、いきなり抜けるのはアウトです。周囲の人が嫉妬心からあなたを激しく攻撃してきます。自分が置いてけぼりを食らい、惨めになるのが嫌だからです。なので、少しずつ接触頻度を減らし、気付かれぬようにするのがコツです。

勇気は不要、スモールステップを踏む
 とはいえ、大きな目標に向かっていきなり一歩を踏み出すのは、勇気がいるでしょう。さすがに私も過去に何度も躊躇して、引き換えそうになったことが何度もあります。

 そこでおすすめなのが、スモールステップを踏むことです。最初から大きな目標に挑もうとするから不可能に感じられ怖くなるので、そこに至るまでの段階を細かく分け、小さな一歩にするのです。するとステップが低くなるので、これなら自分でもできそうと思えるようになり、スタートする気になれます。

 さらに人は現状維持バイアスも持っているため、一度歩き始めると動きを止めたくなくなる心理が働きます。なので、最初の歩幅は関係ありません。踏み出せればいいのです。

完璧をあきらめ、妥協を覚える
 先ほども言いましたが、この世の中に完璧なものなどありません。完璧な状態を求めてたらキリがありませんので、永遠にスタートを切れません。つまりスタートするということは、不完全なままでトライするということです。そのためには妥協が欠かせません。ベストではなく、ベターな選択をしましょう。

 もちろんベストではないので、思い通りにならないことも多々あります。ベストを求めてい頃は、一つでも思い通りにならないと、腹を立てていたのではないでしょうか。もしかして、今も腹を立てているかもしれません。でも、完璧でない選択をするようになると、そもそもベストな選択をしてないから、織り込み済みです。なので、腹が立たなくなります。

 さらに完璧を求めていると全てを満たしたくて、逐一周囲へ要求するようになります。なので、怒るわ、要求が多いわで、わがままな人になってしまい、良い人ほどあなたから離れてしまいます。本当にあなたはそれでいいですか。完璧を止めれば、怒りも要求も減るので穏やかになり、人が寄ってきます。

失敗こそ宝
 完璧を目指したとしても、必ず失敗や不利益、理不尽な場面に遭遇します。でも、この経験が大切です。失敗を経験することによって、何かあっても時が過ぎればまた歩みを進められることに気がつきます。

 さらに失敗に対してリカバリーしたなら、その方法を身に着けることができたので、また似たような状況に陥っても冷静に対処できるようになります。そして失敗を経験してリカバリーのバリエーションが増えれば、何があっても対処できるようになり、自信もつき、より上のチャレンジができるようになります。

焦らないこと
 ただ、目標に早くたどり着きたくて、焦る気持ちが芽生えてくるでしょう。でも物事はそんな一朝一夕に身につくものでしょうか。むしろ焦れば焦るほど空回りして、望まない方向へ転がり落ちるのが人生ではないでしょうか。焦ったところで思い通りにはならないし、思い通りにならなくて苛立ち自暴自棄になったら、人間関係が壊れますし自分自身も精神にダメージを受けることになります。

 焦らずにコツコツとやったものは、自分の技としてしっかり使えるものになります。それは生きていく上で、強い武器となります。さらに磨けば、その技を買いたいという人も現れるでしょう。

 焦らずコツコツやるのは一見地味なので、これで合っているのか迷いが生じる時期があるかと思いますが、後々になって焦らずやったほうが信用も得られ、順調にいきやすいというのがわかります。

答えではなく、ヒントをもらう
 人はどうしても面倒なことを遠ざけがちです。チャレンジできない人や努力が続かない人は、なおのことではないでしょうか。なので何か困ったことがあった時に、安易に答えややり方のような結論だけを聞きがちです。

 しかし結論だけを聞いても、何のことだったかわからなくなりますし、その場しのぎにしかならないので、自分の経験やスキルとして身につきません。そしてなぜそれをするのかも無視しているので、その重要さにも気づかず、やることがぞんざいになります。

 なので賢い人は、答えを教えずヒントだけを与えます。すると自分の頭で考え、試行錯誤するので、大きな経験となります。さらに悩んだことで記憶に残りやすくなったり因果関係を理解したりするので、スキルが身につき、似たような事象が起きた時に応用が利きます。

 なのでヒントだけ出されたからといって、相手を意地悪だと思ってはいけません。自分のことを思ってのことだと考えましょう。


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