その際、出版賛成派から筋を通させるためにまず読むことを求められると、「読まなくてもわかる」というお前は神様か!?と言いたくなるような返しをすることが多々ある。傍から聞いていて非常に見苦しいのだが、そんなことを本人は全く意に介さず、周囲の冷ややかな目や冷笑も視界に入らないくらい否定することに必死だ。
そんな滑稽なことをどうしてしてしまうのか?この者たちの心理はどうなっているのか?今回はこれをテーマに考察する。
否定的な先入観と強烈な恐れ
まず読まないという選択をしている時点で、強烈に否定的な先入観を持っているとわかる。肯定的な先入観を持っている場合は積極的に読むし、中立的な考えだったら気分次第の判断になるのでそこまで強く拒絶はしない。
例え否定的な先入観を持ったとしても、不安に思う程度であれば筋を通すほうのが礼儀にかなうし、読まない限り真偽を語る資格はないので、読む選択をするだろう。そうまでして頑なに読みたくないということは、つまり強烈に否定的な先入観を持っているということに他ならないのだ。
ではなぜ彼らはそのような先入観を抱くのだろうか?それはその背後に、強い
「恐怖心」
があるからだ。読んだら自分にとって良からぬことが起きると思っている。それもただ良くないというレベルではなく、自分が崩壊するくらいに思っているのだ。
では実際に彼らはこの時、どんなことを想像しているのだろうか?可能性があるものを列挙する。
① 自分の主義主張の論破
彼らが恐れるものの一つに、自分が信じてすがっている主義主張が論破されることが挙げられる。彼らにとって主義主張は唯一の生存戦術でもあるので(戦略ではないのがポイント)、これを論破されると打つ手がなくなると思っていること(本当はいくらでも戦術はあるのだが)から、強い否定を抱くことが考えられる。
② 悪態の暴露
打つ手が少ないと思っている人間が何かを手にせんと思うと、よりブラックな手段への誘惑に負けてしまい、禁じ手を侵してしまいやすくなる。それが時に暴露本として不特定多数へ公開され、白日の下にさらされる危険性がある。当然それは責任問題になるため、必死に隠ぺいを図るだろう。
さらに自分が犯した罪を再確認させられるから、決して心中穏やかではいられず、目を背けるべく見ないでおこうと拒否をする。
③ 受け入れられない結末
現実というのは必ずしも自分に都合のいいようにはできていないし、他人も自分の都合に合わせて動いてはくれはしない。そのため現実の世界では、自分の思惑とは反対の結末や結論になることが多々ある。彼らにとってそれは望まないものであるため、直視したくないという衝動に駆られる。
こうならないためには
行為いう事態になると閉塞感から人生や生活に行き詰ってしまうし、下手すると無敵の人にもなりかねないため、軌道修正しなくてはならない。では具体的に何をしたら良いのだろうか?
① 複数の術を身につけておく
彼らはとかく一つの物事にこだわる習性がある。しかしそれでは、殊近年の変化の激しい社会の中ですぐに不適応を起こして、渡っていけなくなる。そうなれば窮鼠猫を嚙むの如く無敵の人にならざるをえなくなり、人生を一生棒に振ることにもなりかねない。
そのため人生の保険として、複数の生きる術を持つことが自分にとって助けとなる。というのも、もしプランAが論破されたとしてもプランBを持っていたら切り替えることができるので回避できる。そうすればプランAにしがみつく必要がないので執着を手放せるし、争いごとにも発展しない。すると精神面でも余裕が出てくるので、どんな内容であってもただの一例として受け止められるようになる。
そのため人生の保険として、複数の生きる術を持つことが自分にとって助けとなる。というのも、もしプランAが論破されたとしてもプランBを持っていたら切り替えることができるので回避できる。そうすればプランAにしがみつく必要がないので執着を手放せるし、争いごとにも発展しない。すると精神面でも余裕が出てくるので、どんな内容であってもただの一例として受け止められるようになる。
② 結果的に悪態が減少し、怯えることが減る
①を実践し余裕が出てくると、悪態をつく必要がなくなるので自然と素行改善へと向かう。そうなると暴露されたら困ることが減っていくので、自分の中の恐怖の種がなくなり、いちいち怯えなくて済むようになる。
そうなると嫌われ者でなくなるので強がる必要もなくなり、段々と良好な人間関係を築けるようになるし、敵味方の判断をしなくて済むようになる。それがさらなる平穏を与え、本に対しても恐怖心や敵愾心を抱かなくていいようになる。
まとめ
まあ、彼らにとっては自分を変えるという行為自体に抵抗感を強烈に持つので、この第一歩を踏み出すことがそもそも難しいといいかねないだろう。しかし、変わることを拒否し続けても今の状態をさらに悪化させるだけなので、決していい手立てではない。
自分を変えるというのは敗北でも隷属でもなく自分自身の進歩と成長だし、早ければ早いほどその効果は計り知れない。強烈に否定的な先入観を抱く癖を持ち続け、常に恐怖心にさいなまれる人生を止めたくはないのか?
自分を変えるというのは敗北でも隷属でもなく自分自身の進歩と成長だし、早ければ早いほどその効果は計り知れない。強烈に否定的な先入観を抱く癖を持ち続け、常に恐怖心にさいなまれる人生を止めたくはないのか?
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