2025年10月7日火曜日

9割の買い物は不要なのか?

 かつてヒットした本に、「9割の買い物は不要である」というものがある。なかなか意外性を持たせつつも、現代人の消費行動を断罪するかのような強いインパクトを持ったタイトルだ。一方で非常に興味深く、お金の使い方を改めるきっかけとなりそうで、意義深さを匂わせるところもある。

 そこで、この「9割の買い物は不要」というテーマをもとに、お金の使い方についてどう考えたらいいのか、いかに資金や貯蓄、老後の生活費をまかなうことにつなげるのか、掘り下げていく。


本当にそんなに不要な買い物はあるのだろうか?


 本のタイトルにある9割という数字についてだが、恐らくは著者による誇張であろうとは思う。正直、家計アドバイザーやファイナンシャルプランナーが集計して選別したとしても、そこまで無駄を見つけるのは至難の業だし、ミニマリストでもそこまで無駄を省けるとは到底思えない。なので、真意はそこでなないだろう。 むしろ著者が言いたいことは、それくらいの感覚で意外と自分では気づかないほど無駄使いをしているということではないだろうか。

 実際、これだけスマホが普及しているのに、未だに実家に家電があるという家庭はないだろうか?我が実家もかつてそうで、無駄だし、耳が遠くて着信に気付かないんだから解約すればと言って撤去した(しかも、FAX付だった)。

 私自身は神社仏閣へ行くのが趣味なのだが、その際にご当地御守を買うのを楽しみにしていたのを止めた(単純にかさ張るからというのもあった)し、趣味系の雑誌やムックも今となっては全く買っていない。

 もっと生活に密着したものだと、お掃除シートなんかはトイレ用とキッチン用の2種類しか買わない。特にキッチン用は何にでも使うので(電子レンジも洗面台もテーブルもこれで済ます)、他のシートを買わない。

 市販品の基礎化粧品なんかは薬事法で医薬部外品に分類されている関係上、効能が規制されているから実はどれも効果に差異がなく、オールインワンか最も安いもの以外はお金の無駄でしかない。なので、コストパフォーマンスで選ぶのが正解なのだ。(日焼け止めだけは効果のレベルに違いがある)

 ギャンブルやお酒、タバコなんかは言うまでもないが、そうでなくても結構日常生活の中にも気付かない無駄にあふれていいるのがわかるだろう。実は人間は気づかないところで多くの無駄使いをしてしまっているのだ。それの比喩として、9割の買い物は不要と言っているのだろう。


なぜ不要な買い物を防げないのか?


 人間は自分の失敗を正当化して見ぬふりをする


 まず問題点から見ていき、改善すべきポイントを洗い出す。

 人間というものは、なかなか自分の汚点を直視できないものだ。自分のメンタルを守るために防衛機制が働くためだ。なので、自分の失敗や不手際を認めることがなかなかできない。その結果、無駄使いや衝動買いといった失敗にも防衛機制が働き、失敗ではない、必要なものだと強引に正当化して思い込もうとしてしまう。これが無駄使いを直視できず、出費が増え続けてしまう理由だ。


 人間はトータルを把握するのが苦手


 もう一つ人間が忘れがちな点としては、トータルの把握だ。個別の出費は体験を経ているので覚えているが、それが全体でどれくらいあるのかは計算してみないと可視化できないので想像できない。

 しかも、人間はストレスや後悔などのネガティブな感情によって落ち込むのを防ぐために正常性バイアスを働かせるので、暗算だと合計額を小さく見積もってしまう。これでは事の重大さにつまで経っても気づくことができず、無駄な出費を認識できないからお金の垂れ流しが止まらなくなる。


 全て思い通りにしたい→ストレス過多→浪費で発散のルーティン


 さらに、これは買い物依存レベルにまでおちいっている人に多いパターンだが、この世の全てを自分の思い通りでないと気が済まない、都合通りいかないと許せないというネガティブな完璧主義を持っている人は、無駄使いを加速させてしまう。

 この世の中は思い通りにいかないことは日常的にあるもので(その中には自分の生活に影響しないものも山ほどあるが)、自分の思いと違ったというだけで許せないと単純に感情だけで憤ってしまう人がいる。こういう人は否が応にもストレスが溜まりやすい。しかも本当は自分でストレスの種を生んでいるにもかかわらず、周りの人が悪い環境が悪いといつもの他責思考のルーティンに入るから、さらに対人関係を悪化させて自分でストレスを増やしてしまう。

 そうなると、自分を止められなくなるので、衝動的に金遣いが荒くなってしまい散在してしまう。しかも、自分のストレス発散の手段になっているから生活必需という認識になってしまっていて、ルーティン化してしまっている。





不要な買い物を防ぐには?


 では、このステルス無駄使いともいうべき出費を防ぐためにはどうしたらいいのだろうか。具体的な手段なども含めて例を挙げていく。


 ちゃんと失敗を認めて、ちゃんと後悔する


 まず必要なのが、ちゃんと失敗を認める勇気を持つことと、もう一つが後悔をちゃんとするということ。

 人間の意識を自分で変えるのは至難の業なので、ちょっとやそっとのことでは変わらない。むしろ、ストレス回避をするために正当化しようと脳が仕向けてくるので、これに惑わされないようにしないとまた同じ失敗の繰り返しになる。そこで重要になるのが、ちゃんと後悔するということなのだ。

 ここでしっかりと後悔することによって、同じ失敗を繰り返すことが損であるという刷り込みをするのだ。人間は成功よりも失敗のほうが、命の危険に関わるので忘れにくいし、大きく見積もる習性がある。これを逆手にとって後悔を心底することによって、同じ失敗は命取りであると脳に認識させ、危機意識を植え付けるのだ。


 帳簿をつける


 これは全体把握、トータルの意識を持たせるためのツールだ。トータルというのは計算しないとわからないし、頭の中ではどうしても小さく見積もる癖があるがゆえに自己認識は必ず間違っているので、決して自分を信じてはならない。

 自分に嘘をつかないために必須のアイテムが、「帳簿」なのだ。私も日々のお金の動きや資産の増減など、いくつかの金額を帳簿につけて管理している。だから、ちゃんと実際の金額を把握でき、いち早く正確にタイミングや限度などを量ることができているので、間違いが起きなくなっている。


 自分も不完全なのだから、他人に完璧を求めない


 人生上手くいかない、生きづらいという人ほど他人に完璧を求める。しかし、人間完璧にできる人はいないので、それは絶対に叶わない。にもかかわらず、そこに固執すると当然対人トラブルになり、自分はクレーマーに成り下がってしまう。結果、余計なトラブルを抱え、よりストレスを増大させることになる。そうおなると、人間はストレス発散のためにより衝動的な行動に出やすくなり、散財のリスクを負う。

 そもそも、他人に完璧を求める以前に自分が完璧ではないのだから、人のことは言えないという意識がないのも問題である(要は自分のことを棚に上げている)。

 それに、技術がない、まだ未解明、お金がない、時間が合わないなど、自分の都合通りにいかないのは自然なことである。むしろ、自分の思い通りになるなんてのは相当確率が低く、奇跡でしかない。これがわかっていれば、思い通りにならなくても何らおかしいことと思わなくなるので、ストレスやトラブルを減らせるし、その分発散やうっぷん晴らししなくてよくなる。


 お金をかけなくてもできることを探す


 とはいえ、ストレスが全くかからないというのも無理があるので、たまに発散する必要があるだろう。そんな時にこれまでと同じ方法に頼っていたら、元の木阿弥である。

 なので、発散方法も変える必要があろう。散歩やジョギングなんかは体も動かすので健康に良いし、そこからさらに体力がついて一人でできる歩き仕事なんかに転職すれば、経費削減どころか収入を得ながらストレス発散ができる。

 他にも家庭菜園なんかだと、野菜や果物が得られるのでお得だ。


本質的に大事なのは自分をカスタムすること


 ただ、何においても言えるのは、自分を変えること。カスタマイズすることが重要である。これをしないことには始まらないからだ。人生は困難の連続ではあるものの、人間には工夫することで乗り切ってきた歴史があるので、それをしさえすればほとんどのことは対処できてしまう。

 反対に何も変えない内は何も変化が起きないから、いつまで経っても不本意のままなのでお金は増えない。時代が変わっても、変え続けられたものだけが未来を手にするのだ。




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