2025年10月17日金曜日

生きづらいという人は、問題の細分化が苦手

 ここのところ「生きづらい」という言葉が一般化してきている。特に、精神障害、発達障害、貧困、引きこもり、素行不良、家出、依存、機能不全家族、孤立など、社会の暗部とされている人たちの間で頻繁に使われている。こういった人たちは、結構問題が重複していることが多く、共通点も多く見られる。

 その本人たちの共通点はいくつかあると思うが、その中で一つ挙げられるのが、

問題の細分化が苦手

というのがある。本当は複数の問題が重複していたり、別々の問題が同時発生していたりするのが理解できておらず、漠然と一つの大きな問題として誤認してしまうことが多い。あとよくあるのが、複数のタスクを一度にやろうとしてキャパオーバーになって潰れるとか。どうも、細かく見るという視点そのものが欠落しているのだ。

 原因を探る時にもワンパターンで社会のせいとか、政治のせいなどという大きな括りで片付けてしまう人が多く、具体的なところまで探れている人を見たことがない。


 生きづらい人はイメージ先行が多い


 生きづらいという人の反応やコメントなんかを見ていると、先入観や印象といった漠然としたイメージで捉える人が多いように思う。ただイメージはあくまで感想でしかなく、ボヤッとしたものでしかないから掴みどころがない。我々は現実世界に生きており、現実は具体で成り立っているから、具体的でないと判断や実行ができない。ボヤッとしたままでは何をしていいかわからないからだ。

 この具体化をするために細分化が必要である。


 細分化しないとタスクが大きすぎて難易度を下げられない


 それに生きづらいという人は、世界を180度一斉に変えようとか、いきなりダイレクトにゴールしようとか、欲しいもの全部一度に手に入れようとかしたがるが、それは土台不可能で案の定失敗する。なぜなら、タスクがあまりに大きすぎて自分のキャパを越えているからだ。

 これを自分はキャパが小さく弱いからだと思い込んでいるがとんだ勘違いで、本当はタスクが大きいまま立ち向かうからだ。そんなのは誰がやっても無理に決まっているのに。それは例えば小学生が東京大学を受験するようなものだ。当然落ちるに決まっているのに、それを社会が悪い仕組みが悪いとほざくので質が悪い。

 こういう大きいことは、細分化して一つ当たりの難易度を下げないと一向に実現しない。東京大学の例で言うなら、小学校→中学校→高校と学年順に細かく段階を踏んでいかないと、学習を積み上げられないので永遠に合格できない。

 細分化して難易度を下げないと、一向にできるようにはならないのだ。


 細分化しないと解像度が低くて、何も見えてこない


 それとビジョンという点においても、細分化は必須のスキルである。先ほども言った通り、どうしても生きづらいという人はボヤッとした印象で物事を語りがちだ。それはまるでモザイク処理の入った映像のようで、ハッキリとしていない。そのため現実味が薄く、リアリティが乏しいゆえに、絵に描いた餅になりやすい。

 しかし、解決しない限り悩みは終わらないわけで、そのためには問題をはっきりさせる必要がある。つまり解像度を上げるということ。解像度を上げるためにはドットを小さくしなければならないので、ここでも細分化が必須スキルである。

 ビジョンをクリアにさせるのにも、細分化が欠かせない。

 細分化はハードルを下げる必須スキル


 このことから、細分化は生きること問題を乗り越えることの難易度や解像度を上げるために欠かせないスキルである。ちまちましたことは面倒でしゃらくさいという人もいようが、それを言ってるうちは一歩も前に進めない。

 しかし、ちまちましていようが小さかろうが難易度が低いほうが踏み出しやすいし、失敗もしにくく成功を積み上げられるから、結果として前に進んでいける。そのために、細分化することを一つの手段として用いるのが得策である。




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