特にここ近年、左派系活動家に対する反発や左派系政党の支持率急落が顕著になっており、投票結果や世論調査でも数字に表れている。左派がよく口にする「差別反対」「みんな仲良く」「貧困撲滅」「思いやり」「寄り添い」といったワードは誰も異論がなく同意できることであるので、支持率が上がらないとおかしい。
しかし結果は惨敗で、社民党に至っては国政政党となるのに必要な当選者数を満たせなかったばかりか離党者も出る始末で、存続の危機に立たされている。
ということは、人間の賛否は主義主張によって動かされているわけではないというのがわかる。では、実際には何を理由に賛否を決めているのだろうか?
自分の素行と態度 → 評価 → 賛否
実は人間というのは相手の主義主張など、あまり聞いていない。よほどその件に関心がある人なら主義主張を聞くが、多くの人にとっては無関係なので対して興味がない。それどころか、難しい複雑な問題になればなるほど、ややこしくなるので避けてしまうのが人間の性というものだ。
それよりも、本能的に人間が評価を下してしまうのが、素行や態度だ。それは当然で、生存本能に関わるからだ。暴力的な行動や暴言、TPOに相応しくない行動、不誠実な態度などは、余程の異常者でない限りは迷惑だし不快感を覚えるので、一気に賛同を失う。
特にここ近年の左派の発言や行動は目に余るものがあり、それがSNSによって拡散されたことで多くの人々が目にし、実態を知ることとなった。とりわけしばき隊と呼ばれる素行の悪い一団による騒動や、しばき隊とのツーショットを載せるという政治家の自爆的行為が波紋を広げ、支持を失ったのは当然の成り行きだ。素行の悪い人物と関わるのは、傍から見ていて普通はいい気しないからだ。
さらに問題なのは、そんな最低限のモラルすらないのが他人に見られたらという客観的視点が無いことと、これをしたら自分の評価が下がるというのがわからないことである。明らかに逸脱している自分の行動に気付かないというのは狂気でしかない。
さらに問題なのは、そんな最低限のモラルすらないのが他人に見られたらという客観的視点が無いことと、これをしたら自分の評価が下がるというのがわからないことである。明らかに逸脱している自分の行動に気付かないというのは狂気でしかない。
左派コミュニティを見ていると非常に閉鎖的で、外部との関わりをシャットダウンしたがるため、外からの目が入りにくい。しかも、同類だけで集まる性質をもつため同調圧力があり、外へ目を向けることもなく、内輪に興味が集中してしまう。そのため、一種鎖国をしているかのような心理になり、外からの評価に鈍感になってしまう。そうなると、支持を失うほどに大衆との乖離が生まれていることに気付かない。
自分自身の改革ができないと消えるしかなくなる
このままでは一生危険分子のイメージしか持たれないから、今の路線で左派が生き残るのは不可能であろう。これまでの在り方を刷新して全くの別人にならない限り、わずかな可能性すら作れない。特に一度ついたネガティブなイメージほど、覆すのが困難なものはない。あまりに人間関係をお粗末にしてきたツケがここで来ているのだ。
ここで自分を徹底的に内省して、自己改革と左派コミュニティの解体をしないと生存すらないだろう。

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