しかしここ最近、両者の考えに触れることによってエリート層と最下層では求めているいい人像が違うことに気がついた。それによって齟齬や対立、いがみ合いが発生しており、社会に悪影響を及ぼしていることも見えてきた。
そこで、今回は両者の思い描くいい人像を見ていき、そこから起こる問題について深掘りしていく。
最下層のいういい人
まず最下層についてだが、学力、貧富、精神障害の有無など、ここでは総合していうものとする。大体問題が共通していたり、並存していたりするためだ。
で、最下層のいういい人像だが、わかりやすく端的にいうと
「自分の代わりに、何でもやってくれる人」
だ。最下層というのは、とにかく自分の能力に対してコンプレックスを強く持っている。実際にできないとされている物事も少なくないし、彼らからすると生死にかかわると思っているため、それを代わりにやってくれる人物を好みがちだ。
加えて固定マインドを持っている人が多い傾向があるので、自身の能力は伸びない、育たない、面倒と思っており、自分の成長、学習、進歩に対して否定的である。それだけに自分は永遠に弱者であると位置づけており、助けてもらわないと生きていけないという思いが強い。
そしてその思いが「弱者は助けるもの」という世間一般の通念と結び付き、自分は助けてもらう側という思考に転化し、他者に対して非常に依存性が強くなって、何でもやってくれる人をいい人と考えるようになる。
エリート層のいういい人
反対にエリート層はどうだろうか?エリート層の場合、経験も豊富で難しいことにも挑んでいることもあって、かなり達観したものの見方をする人が多い。それゆえ、本質や先々を視野に入れているので、学びになる人や相互関係を作れる人をいい人と考える。言い換えると、
「生きる術を教えてくれる人」
である。エリート層は、自分のことは自分でやらなくてはならないという考えの人が多い。なぜなら、助けてもらってばかりだと相手の堪忍袋の緒が切れることを知っているし、お金に関しても限りがありタダより高い物はないことを悟っているので、いつかは自分で工面しなくてはならないと覚悟している。
そのため、今もらえるものよりも長年使える術に価値を見出す人が多い。何でもやってもらって生きる術が身につかずに困るよりも、術を身につけて自分でできるようにして困らない生き方を選ぼうとする。だから、その生きる術を教えてくれる人こそ真のいい人と判断するのだ。
いい人の判断基準が運命を決めている?
裏を返せば、この判断基準の差が人生の末路を決めているというふうにも言える。エリート層はその人選のお陰でよい学びができて、人生を豊かなものにしていると言えるし、最下層はその人選のせいで自ら自分の人生の可能性をつぶしてしまって、自滅しているとも言えるだろう。
だからこそ誰の助けを借りるか、その選択は重要で間違えてはならない。いい人選びには長期的な視点が重要である。


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