その一方で、自分を振り返ったり、反面教師にしたり、改善点を探ったりする人は皆無に近い。自分はこのタイミングで失敗したとか、勉強しなかったからこうなってしまったとか、一歩を踏み出す勇気が無くて人生を棒に振ってしまったとかいうように、自分落ち度をさらけ出す人をまず見たことがない。
ルサンチマンに侵される弱者
こういう弱者(この用語は大嫌いだが)が、強者や社会へ抱く嫉妬や怨念をルサンチマンという。このルサンチマンを公開の場で口にする弱者がいかに多いことか。自分より恵まれている人を見るや不満を募らせ、口汚く攻撃し、あらぬうわさを流し、悪者に仕立て上げ、足を引っ張ろうとする。その労力があるなら、少しでも良いことに使えばいいものを。
時には卑怯な手を使ってでも相手に汚名を着せることに必死で、幻想の「弱者は善」「強者は悪」の構図を作り上げようとする。傍から見れば、その卑しい行為は決して善ではないし、だからこそあなたを不幸足らしめているのが明白なのだが。
自分で自分をダメにしてしまう
ルサンチマンを抱くということは、そのくらい自分の内面から目を背けたいということの表れでもある。その内面というのが「ダメな自分」だ。
人生には上手くいかないことなど誰にもあるのだが、弱者はそれをルサンチマンで誤魔化してきた。しかし、ルサンチマンは逆恨みでしかないのでそれ自体悪であるし、その不満を強者への八つ当たりで発散するので、余計に悪事に手を染めてしまう。そもそも今弱者がターゲットにしている強者は、自分に何か危害を加えているわけではない全く無関係な人物であろう。それはただの言いがかりでしかないし、ウソまみれであるし、そんな弱者は誰がどう見てもダメ人間である。
そんな自分のダメさは当人も内心わかっているから、自分で自分を評価することができない。それは自分の内面から目を背けずにはいられないし、自分を正当化したくてしかたなくなる。だからまたルサンチマンに頼りたくなるし、承認欲求も強くなるし、どんどんモンスター化してしまう。
ルサンチマンがある限り、何も変わらない
こうやってダメな自分から目を逸らし続けているから、自分をとり巻く状況は何も変わることがない。もちろん自分自身も変わらない。しかし、世間は刻一刻と変化を続けているから、自分だけどんどん取り残されてしまう。その結果落ちこぼれる。だからルサンチマンは自分の人生をダメにしてしまうのだ。
自分の人生を好転させたいならルサンチマンを止めなければならない。そして自分にできることは何か、変えるべきところはどこかを見たほうが余程実りがある。ルサンチマンに浸って強者を悪く言っても、自分のためには1㎜も良くならない。

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