過誤があった時に責任をとらないのか?
責任というのは、平時には発生しない。では、いつ生じるのか。それは間違いや損害を与えた時だ。自分が自由に振る舞ったことで過誤が生じ、相手に損害を与えた場合に責任を問われる。
もし彼らが言うように自由であるならば責任はとらないならば、過誤で相手に損害を与えた場合も責任をとらずトンズラするのがまかり通ることになる。危険運転で事故死させても罪には問われないし、詐欺を働いてもだまされる方が悪いということになる。つまり犯罪を正当化するということだ。
そんなことは許されないし、あってはならない。こんなことを主張すること自体が無責任であり、キチガイでしかない。当然だが、責任の伴わない自由などあり得ないのだ。
責任をとってこそ大人
大体、大人と子供を別けるのは何かといったら、責任を負うか負わないかである。責任を負うのが大人、まだ負わないのが子供である。成人して法的に大人とされた以上、責任を負うことを法律上も義務付けられている。自由に責任は伴わないということ自体、法律上許されていないのだ。
これがおかしいというなら、そいつは子供ということに他ならない。子供気分が抜けていないということだし、不良少年や暴走族の子と何ら変わりがない。責任をとるからこそ大人なのである。
大人になると自分で選んでよい→結果は自分の選択によるもの
さらにもっと大事なことがある。それは、大人になると自分に決定権があるということだ。一部資本関係や主従関係、法規によって制限されるものがあるが、多くのことは決定権が自分に委ねられる。親が何を言おうと、上司が口出ししようと、社会の風潮があろうと、決定権は自分にしかない。
ということは、大人になって以降の結果や運命は自分の選択によって決まったものということになる。それを決定したのが自分自身である以上、結果や運命は自分のせいである。他人にはあなたの決定に関わる権利がないので、無関係である他人に責任を負わせることはできない。だから大人になってからは、自分のことは自分しか責任をとれない。
責任をとらないと、不利益が増える
それに責任をとらないことで不利益が増えるということも知っておく必要がある。例えば信用だ。精神的に幼い人間は信用を軽視するが、信用は重要な場面でものを言う。お金のやり取りや雇用、給与、契約、職務など、生活に必要な様々なところで要求される。責任をとらないとなると信用を置けないので、相手は用心して忌避せざるをえなくなる。
人間関係でも嫌な思いをしたくないから、誰もが責任をとらない人とは付き合わない。選挙では票が集まらないし、ビジネスでは取引させてもらえなくなる。
責任をとるからこそ、社会が回る
このことからわかる通り、責任をとることを条件に享受できるものが多い。しかもその多くが生活や社会参加において重要なものだ。反対に責任をとらない人間には、制限せざるをえない。相手も生活や安全がかかっているからだ。
これが自由をはき違えて皆が責任をとらなくてよくなったらどうなるだろうか?全員自分の意のままに勝手な振る舞いをして、横暴が日常化するだろう。「責任をとるのはおかしい」などというのはとんでもない話で、まともではない。当たり前だが、自分のやることにキチンと責任をとる。そういう世の中こそ健全で、成熟しているといえるだろう。


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