方向音痴の人は気づいてないだろうが、迷わない人とでは地図や道順の確認の方法が両者では異なる。実のところ私の母も大の方向音痴で、よく迷う。そんな母の道順確認のし方を見ていたら、私との相違があることに気がついた。
そこで、方向音痴とそうでない人とでは何が違うのか比べてみる。
方向音痴の人は、目印が大好き
母の地図の見方を観察していると、とかく目印にこだわっている。テレビの実験での被験者なんかを見ていても、やはり目印が重要と思っている方向音痴の人は多い。酷いと外車が停まっている角を曲がって・・・とか言う人もいる(いやいや、車は移動しちゃうでしょうよ)。
なぜかわからないが、方向音痴の人は目印こそが重要と思うらしい。しかし、初めていく土地ではそもそも目印がどんな物かもわからないのに、それを当てにしても合ってるかどうか確認をしようがない。そう、一度着たことある人しか知りえない情報を、初見の人が知るはずもないので無理がある。
その矛盾を指摘したことがあるが、未だに目印が絶対だと頑なに信じている。う~ん、謎の思考・・・。
その矛盾を指摘したことがあるが、未だに目印が絶対だと頑なに信じている。う~ん、謎の思考・・・。
何度も間違えているのに、なぜか自分の勘を信じる
これも見かける。テレビの実験で方向音痴の人の動向を見たが、周辺の路地をロンダリングしていて迷っているのに、なぜか確認しないで勘でこっちの道と決断していた。それは迷うだろ!
そもそも地図を見ても当てにならないという思い込みがあるようで、勘で判断するしかないという判断軸があるらしい。いやいや、そのやり方で迷い続けているんですけど。自分が判断ミスしていることには、どうやら無頓着らしい。
そもそも地図をどう活用するかわからない
ここが根本の原因だと思うが、地図の使い方がわかっていない。地図には目印など描いていないから、目印に価値観を置いてしまうと使い物にならない。その点でも、目印基準では上手くいかない。
では地図はどう見ればいいのか?それは道路の形を見るのだ。地図には道路の形だけは隙間なく詳細に描かれている。どうカーブしているのか?道幅は?国道?交差点は〇差路?ロータリがあるか?線路沿い?など、さまざまな形状が描かれている。方向音痴の人は、こういう情報を結構見逃す。でも、出発地から目的地まで初見の人が明確にわかるのはこれだけである。ならば道路の形を見ないでどうするのか?
自分の信じたいものを信じるスタンスでは方向音痴は治らない
方向音痴の人を見ていて思うのが、基本自分の信じたいものを信じるスタンスを採っている人が多いことだ。だから、間違いを指摘しても素直に受け入れないので、修正されない。いつまで経っても「自分にはこれが合っている。だから正しい。」と頑なに信じていて、間違うやり方に固執する。
しかも、この方法論のおかしいのは、道順が合っているかどうかではなく、自分が受け入れられるかどうかという感情に判断基準を置いていることだ。感情で判断されても、道順の正解は導き出せないのに・・・。この自己中心性を緩和させないことには、どうにも改善の糸口すらつかめないだろう。


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