単純で曖昧なものを信じやすい人

スピリチュアルなものとか、非科学的な自己啓発本に傾倒する人がいます。こういう証明しようがない、嘘とも本当とも言えない曖昧なものを信じやすい人というのは、どういうものなのでしょうか。

いわゆるスピリチュアルとは

まずスピリチュアルや非科学的な自己啓発についてですが、人によって指しているものの幅がかなりあるので、一旦定義させていただきます。ここで言うスピリチュアルや自己啓発とは、波動であるとか、魂であるとか、太陽と月のパワーとかの話はもちろんそうですが、○○の法則とか○○力みたいな、科学的証拠を持って論理的に説明されたものではないものとさせていただきます。

一見論理的に見えてしまう現象

ただこういったスピリチュアルや自己啓発も、一定の説明の下に話をします。こういう法則があって、その元となっているのが波動でとか。文章としてはひとつながりになっているので、関連しているように聞こえるし、それ故に論理が成立しているように思う人もいるでしょう。

だがその関連性をちゃんと確認したのでしょうか?そもそも波動の存在をどうやって確認したのでしょうか?まず誰も確認してないでしょう。「いや、あるものはあるんだ」「私は信じてる」を連呼するだけで、その証拠を示せる人はいないでしょう。なぜなら、

「誰の目にも見えないから」

ただしこの誰の目にも見えないというところがポイントで、完全否定もできないわけです。なんとでも言えるので、押し切ることができてしまうのです。

そもそも説明は、聞き手が理解できないと論理が成り立っているとは認識されない。先ほどスピリチュアルな話は論理的に見えると言ったが、この手の話はシンプルなので万人受けしやすい。凡人でも通用するので、どちらとも言えない話であっても頭に入りやすいのだ。だから論理的に見え、納得させられてしまう。

単純でわかりやすいがゆえにうける

それに人間の脳は過剰に負担がかかるのを防ぐために、サボり癖があることが医学的にわかっている。なので脳をあまり使いたくない人にとっては、自然科学的な話は予備知識が必要な上、小難しくて抵抗を感じるだろう。だから心的ストレスもかかるから、科学的な話を拒否しやすい。

反対にスピリチュアルはそういった話はあまりしない。せいぜい箔をつけるために、量子力学などのそれっぽい用語だけを持ち出してくる(本当は関係ないことも多い)。「ここから先の話は専門家でないとわからないから、あなたは覚えなくていい」「あなたはこの流れさえ知ってればいいよ」とだけ言ってくれるから、勉強もさほどいらないし、頭を使わなくて済むので負担が軽くなる。凡人には持って来いだろう。

さっきの波動の話もそうだ。波動の存在だけ聞かされて、それが何なのかの説明まではほとんどされない(そもそも説明することが不可能だが)。それでも凡人なので雰囲気に飲まれやすいから、フワッとした説明でもそれっぽいことをシンプルに言われたら納得させられてしまう。

人間は自信のあるほうに惹かれる

さらにここに人間の習性が加わる。自然科学の研究者や非科学的なものを信じない人など、論理的なタイプの人はうかつなことを言わない傾向があるので、確認ができていないことに関しては正直に「わからない」と言います。これが聞く側からは弱腰に見えます。

反対にスピ系の人は、そういうまだ未解明なことであっても、はっきり「ある」と断言します。この自信たっぷりな姿に、聞き手は流されて信じてしまう習性が人間にはあります。なので証拠もなければ論理的でもないにもかかわらず、理屈が通っているように聞こえてしまうのです。

スピリチュアルや自己啓発に傾倒する人とは

以上のことからスピリチュアルや非科学的なものにはまる人とは、こんな人ではないでしょうか。

1.確認する癖がない人
相手の言っていることが本当なのか、確認しないとトラップにはまる可能性が出てきます。人を疑うのは良くないという話もありますが、全く疑わないのは危険を察知する能力を自ら手放す行為なので、多少疑っているほうが災難をふせげます。

2.頭を使わない人
頭を使わないでいると、いつまでも判断力が身につきません。普段から分析する癖を持っていたほうが、いろいろな角度で物を見れるので、客観的な視点を持てます。

3.面倒くさがりな人
面倒くさがっていては、何も始まりません。今の状況から抜け出したかったら、外に期待するのではなく、自分を変えるしかありません。

4.雰囲気で判断してしまう人
何かを企む人ほど、良い人を演じてきます。実際、自分自身も外面という仮面をかぶって生きているのだから、上辺の雰囲気では判断できません。中身を見る力が必要です。

5.思い込みが激しい人
こういう人は、良く考えずぱっと見で判断したものへ一途にのめり込みます。慎重さがない上、疑うことを知らず、人の制止も聞かないので落とし穴にはまります。

6.精神不安を抱えている人
これは恰好のターゲットになるタイプです。某新興宗教にインテリ系が多かった理由が、これです。学内での格差などで不安に感じたところに入り込んできたとのことで、普段ロジカルで頭脳明晰でもこういう時に傾倒することはあります。

7.依存的な人
他人が何とかしてくれると思っている人にとって、スピリチュアルや一部の自己啓発本は好都合です。自分の依存体質を正当化してくれるからです。さらに自分以外のせいにできるので、精神的に楽できます。しかし楽という利益を先に得るのと引き換えに、幸せを逃します。

8.一発逆転を考えている人
スピリチュアルの力で運気を上げて、楽に何か利益を得ようとしている人です。何か得たいなら、自らの力で獲得しないと自分のものにはならないので、自己研鑽は欠かせません。しかし一発逆転を狙う人は自分を磨くことを怠るので、他力本願で安易な手段を選びがちです。結果、スピリチュアルにはまる可能性が出てきます。

そもそも幸せな人はスピリチュアルにはまらない

こうしてみるとスピリチュアルや自己啓発にはまる人は、自身の人格や精神に問題がある人だということがわかります。他力本願で精神的に自立していなかったり、手間を惜しんですぐに楽なほうを選んでしまったり。こういう人は自分で道を切り開く意思がないため、安易にシンプルでわかりやすいものに飛びつきがちです。

しかし幸せや望みは、そんなに簡単に手に入るくらい価値の低いものでしょうか。むしろ簡単に手に入るものではないから、価値のあるものだと認識するのではないでしょうか。つまり幸せや望みは苦しみを乗り越えた先にあるのです。そして苦しみを乗り越えることができると、人間として一皮むけるので自立します。なので、幸せな人ほどスピリチュアルに頼らないのです。

よく考えてみてください。これだけ多くのスピリチュアルや自己啓発本が出回っていたら、普通みんな幸せになっていると思いませんか?しかし一向に幸せではないという人が絶えないばかりか、日本なんか幸せだという人が未だに半分にも満たないのです。如何にスピリチュアルや自己啓発が多くの人の役に立っていないかわかるでしょう。

スピリチュアルに頼っても、何も変わらないのです。幸せになりたかったら何かに頼ったり、すがったりするのを止め、自分の足と手で道を切り開くしかないのです。

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