では、ここにきてなぜ一転反旗を翻すようになったのだろうか。
DEIとは?
その前にDEIについてわからないといけないので、解説しておきます。DEIとは、Diversity(ダイバーシティ、多様性)、Equity(エクイティ、公平性)、Inclusion(インクルージョン、包括性)の頭文字を採ったもので、これによって格差解消、機会平等を進めようとしたものです。
正直お題目としては良さげに見えますが、結果が伴うかどうかは別の話になるので、そう単純にはいきません。そもそもこれだけでは大雑把な姿勢を示しただけで具体的ではないため、どういった取り組みをするのかが重要です。その取り組みのことをアファーマティブアクションと言います。
トランプ大統領のせい?
で、よくトランプ氏が当選したからこれに媚びを売るために同調しているという見方をする人がいるが、それは表面的でしかない。あくまでトランプ氏は現状を見た後で述べているので、時系列からして原因とはなりえない。というのも、現状は現在を表しトランプ氏の政策は将来を表しているので、将来から現在に時間が逆行することは有り得ないからだ。
もっと言うなら、政策は現状を基にして立案されるものなので、現状に問題がないとこういった話は出てこない。つまり、トランプ氏に問題があるのではなく、現在のDEIの取り組みに問題があることを示しており、そのことにトランプ氏は言及しているにすぎないのだ。
もっと言うなら、政策は現状を基にして立案されるものなので、現状に問題がないとこういった話は出てこない。つまり、トランプ氏に問題があるのではなく、現在のDEIの取り組みに問題があることを示しており、そのことにトランプ氏は言及しているにすぎないのだ。
DEIの名の下で行われている取り組み
なら実際にDEI推進のためにどのようなアファーマティブアクションが行われているのだろうか?実例を見ていくとする。
大学入試の合格点
まず見ていきたいのは大学入試だ。アメリカは長らく黒人を労働力として使い、解放後も黒人差別が続いてきたとされている。そのため黒人は冷遇されており、入学を制限されているとの見方から、大学によっては黒人の合格点を下げて合格しやすくするという取り組みが行われている。
だがこれは矛盾している。この大学入試において、合格点を採れているにもかかわらず入学を拒絶されたのなら差別に当たるが、そもそも合格点を採れてない故に入学できないというのは本人の学力不足の問題だろう。そう、問題のすり替えが行われ、黒人が実力ではない方法で入学できるようになってしまっているのだ。
しかも、学力が伴わない状態で授業を受けても学習には繋がらないし、卒業できたとしてもその状態で就職されたら企業としては戦力として満足ではないだろう。結果として大学の名を毀損することにもなりかねない。
結局のところこの措置は、黒人であるというだけで有利となる特例を設けている訳で、DEIの柱の一つである公平性に真っ向から逆らっている。特権階級が白人から黒人に入れ替わっただけで、やっていることは前時代的で新たな差別を作ったに過ぎない。
だがこれは矛盾している。この大学入試において、合格点を採れているにもかかわらず入学を拒絶されたのなら差別に当たるが、そもそも合格点を採れてない故に入学できないというのは本人の学力不足の問題だろう。そう、問題のすり替えが行われ、黒人が実力ではない方法で入学できるようになってしまっているのだ。
しかも、学力が伴わない状態で授業を受けても学習には繋がらないし、卒業できたとしてもその状態で就職されたら企業としては戦力として満足ではないだろう。結果として大学の名を毀損することにもなりかねない。
結局のところこの措置は、黒人であるというだけで有利となる特例を設けている訳で、DEIの柱の一つである公平性に真っ向から逆らっている。特権階級が白人から黒人に入れ替わっただけで、やっていることは前時代的で新たな差別を作ったに過ぎない。
この場合、合格点は同じにすることが公平を意味する。合格点に格差をつけるのは掟破りだ。
会社での昇格人事
多くの企業が問題視しているのはここだろう。あらかじめ女性や黒人、LGBTQなどのマイノリティに枠をあてがってしまうことで起こる弊害だ。枠を作ることで是が非でもその枠を埋めなくてはならなくなり、実績に見合わない人事を下さなくてはならないリスクを負うからだ。
人間というのはロボットではないので、能力や実績に個人差がある。なので、いつも定期的に同じクオリティの人材が定数生まれるかというと、そんなことは有り得ないし不可能である。しかし、枠が決められているとそれを埋める義務が発生するので、昇格見送りができなくなる。結果、実力や実績に乏しい人でも昇格させなくてはならなくなる。
実力のない人物を管理職にした暁には、組織運営は大変なものになる。決断ができず先送りになる、判断がブレて部下が振り回される、後手後手に回って業務がはかどらないなどの弊害は、会社ではよくある話だ。正直これでは顧客からの信頼は得られないし、部下もついてこないから業績が上がらず、遅かれ早かれチームは崩壊する。これは経営者にとって最も望ましくない状況だ。だから経営者としては枠にとらわれず、その時の情勢に応じて人事を決定できるほうが望ましい。
人間というのはロボットではないので、能力や実績に個人差がある。なので、いつも定期的に同じクオリティの人材が定数生まれるかというと、そんなことは有り得ないし不可能である。しかし、枠が決められているとそれを埋める義務が発生するので、昇格見送りができなくなる。結果、実力や実績に乏しい人でも昇格させなくてはならなくなる。
実力のない人物を管理職にした暁には、組織運営は大変なものになる。決断ができず先送りになる、判断がブレて部下が振り回される、後手後手に回って業務がはかどらないなどの弊害は、会社ではよくある話だ。正直これでは顧客からの信頼は得られないし、部下もついてこないから業績が上がらず、遅かれ早かれチームは崩壊する。これは経営者にとって最も望ましくない状況だ。だから経営者としては枠にとらわれず、その時の情勢に応じて人事を決定できるほうが望ましい。
さらに複雑なのは枠内で昇進した本人の評価だ。枠がある以上実力で昇進したとは断言できないし、下駄を履いていることは否めないので不公平さが生まれる。そういう土壌の上で昇進しているから周りも良くは思わないだろう。こうなると当然だが、チームワークは生まれない。仕事とはチームで如何に成果を上げるかが勝負なのに、チームワークを築けない環境をわざわざ作ってしまっては成果は出ないし、本末転倒だ。
やはりここも枠ではなく、実績を基準にしないと誰も納得しないし、成果も出せない。
やはりここも枠ではなく、実績を基準にしないと誰も納得しないし、成果も出せない。
LGBTQの公式スポーツ参加
これに関しては企業との関係性はスポンサーになること以外あまりないが、DEIのイメージをかなり色濃く作ってしまっていて、企業がイメージ戦略上考慮せざるを得なくなっているので触れておきます。それは女子公式スポーツに元男性(MTF)のトランスジェンダーが参加する問題だ。
皆当然ご存じだと思いますが、男女では身体的能力や性質に差異があります。それは学生時代にやった体力測定でもよくわかることでしょう。しかも体力測定のデータは学校を通じて収集され平均値が算出されていますので、感覚ではなく数値でも立証されています。そんな生来の優位性をもって女子公式大会に参加するのは、公平性が何より必須条件となるスポーツにおいて相反するものです。
にもかかわらず医学エビデンスと倫理に反し、ルールの範囲内だから(大人だったら通常言われなくてもわかるから、単に規定を設けていないだけなのだが)と拡大解釈して参加する不届き者が後を絶たない。当然女子アスリートの何人かは公聴会にて非難声明を出したり、訴訟を起こしたりしているが、当のMTF本人は差別を盾にして逆に訴えるなどの傍若無人な振る舞いに出ている。
企業としてはイメージダウンになることは避けたいものだから、騒動となっていることには首を突っ込みたがらない。トランプ氏もこのスポーツの件に関してはかねてから言及しており、紛糾の的となっていたからイメージは相当悪い。企業としてはこれに賛同するのはリスキーと言わざるを得ない。
ただこれに関しては各競技団体や州によって規定変更が行われ、MTFの参加は公平性を欠くとして厳しい措置に変更されつつある。特に12歳まで(第二次性徴規定)に性別移行を終えることというMTFにはまず実現不可能な新ルールが導入され始めており、実質的には参加不可となっている。これに一部の活動家が人権を盾に訴訟を起こしたが、これまでのポリコレ偏重から一転して敗訴、新ルールを認める判決を出したことで、アメリカの裁判所もこの問題を抑制する方向へ舵を切った。
企業としてはイメージダウンになることは避けたいものだから、騒動となっていることには首を突っ込みたがらない。トランプ氏もこのスポーツの件に関してはかねてから言及しており、紛糾の的となっていたからイメージは相当悪い。企業としてはこれに賛同するのはリスキーと言わざるを得ない。
ただこれに関しては各競技団体や州によって規定変更が行われ、MTFの参加は公平性を欠くとして厳しい措置に変更されつつある。特に12歳まで(第二次性徴規定)に性別移行を終えることというMTFにはまず実現不可能な新ルールが導入され始めており、実質的には参加不可となっている。これに一部の活動家が人権を盾に訴訟を起こしたが、これまでのポリコレ偏重から一転して敗訴、新ルールを認める判決を出したことで、アメリカの裁判所もこの問題を抑制する方向へ舵を切った。
DEIによって生まれた問題点
ここまでいろいろな事例を紹介したが、本来理想的な社会の実現を目指して立ち上げたはずのDEIが、実際のところ何が敬遠され失敗に至ったのだろうか。
公平性の欠如
始めに述べた通り、DEIの要素として公平性というのがあります。この公平性を掲げながら、自ら毀損するという愚行に走ったことです。
DEI推進派は格差是正を掲げ、これを解消するためにアファーマティブアクションの導入を進めます。しかし、その中身が自分たちだけ合格ラインを下げたり、実績が乏しくても昇進できるようにしたりと、人から褒められないような不公平な行為に手を染めてしまった。当然これを快く思う人は自分だけなので、敬遠されてしまった訳です。
閉鎖的
実はDEIに賛同している人達のコミュニティは、閉鎖的傾向がしばしば見られる。本来人間というものは多種多様で、考えや指向、価値観、目的などは十人十色。当然重視するものや判断軸も人によって異なるものです。
しかし、DEIに賛同している人達には異論を認めない傾向が強い。多様性を自ら謳いながら多様な考えは一切認めず、むしろ攻撃して黙らせ、統制するという真逆の行為に出てしまっている。
排他性
そして、異論を認めたくないばかりかそれを聞きたくないばかりに彼らが採る手段が、排除だ。どんな人でも排除せず受け入れようというスローガンの元で始まったはずなのに、実際には気に入らないものを排除するという本末転倒な行為を行っている。
結局のところ多様性、公平性、包括性を謳いながら実際には真逆の行為を行っており、本音と建前の違いが出てしまっていて、二枚舌になっているのだ。これでは人からの信用は得られないし、むしろ自分も同類と思われたくない心理から手を引くのは当然の成り行きだろう。
独断と反社会性
さらに加えるなら、このDEI推進派の人の差別の見極めが独断でしかないということだ。つまり主観のみで判断されるという自分勝手で傲慢な基準なのだ。それは気に入る気に入らないの判断でしかなく、おおよそ大人の考え方とは言えない。
そしてこれを認めないとなると、是が非でも通そうとして手段を選ばない。素直に引き下がろうとせず、ルール違反や倫理違反もいとわない。多くの善良な市民は皆と上手くやっていくために、ルールや倫理が重要であり自分も守ろうとする。が、これを私利私欲のために侵す人から離れるのは人間の生存本能からして当たり前で、企業が手を引くのも自然な判断と言える。
民主主義の破壊
そしてここが大統領選に絡むところだが、彼らDEI推進派が常套手段として用いてきたのが圧力だ。政府や議会、企業などへ押しかけたり、ロビー活動などを通じて力で通すという手段は話し合いの場を設けていないし、恐怖心を与えることで支配的な立場を作って相手を操作しているので民主主義に最もふさわしくない行為だ。
これによって不遇を買ったと思っている層や民主主義を大切に思っている層はこれに真っ向から反発して、民主主義の最たるシステムである大統領選挙でNO!を叩きつける。その代わりとして担ぎ上げられているのがトランプ氏というわけだ。
これによって不遇を買ったと思っている層や民主主義を大切に思っている層はこれに真っ向から反発して、民主主義の最たるシステムである大統領選挙でNO!を叩きつける。その代わりとして担ぎ上げられているのがトランプ氏というわけだ。
本来の目的の喪失
しばしばこういったポリコレにおいて見られるのが、手段の目的化です。これは目的を叶えるために講じた手段に固執するあまり、本来の目的に実害が出ていてもその手段を採り続けてしまう現象です。
先ほどの例で言うと、大学入試の目的はより学力の高い学生を選抜することのはずが、それを低下させてまでマイノリティを入学させてしまったり、業績を上げるために優秀な人材をポストに就けるはずが、比率にこだわり過ぎてそうでない人物まで昇進させるのがそうです。これでは本末転倒と言わざるを得ず、目標が達成できなくなってしまいます。
問題の根底にあるもの
さてここまでつらつらと問題点を書き連ねてきたが、シンプルに考えるとその問題点を修正したり、対立陣営との話し合いの場について落としどころを模索したりすれば解決するはずである。しかし、問題は深まるばかりで混迷の一途を辿っている。それはなぜだろうか?
こだわりと執着
DEI陣営の傾向として強いこだわりや執着がある。その証拠に先に示した例は全てグループの中に入るという共通点があり、そこに譲れないほどの執着が見て取れます。周囲の反応には目もくれず、必ず入るの一点張りなのは通常の精神発達を遂げた人には有り得ない常軌を逸した反応です。
自分しか見えない主観のみの世界
ちょっと難しい表現をしましたが、要は他人と関わる時に自分の都合や利益しか視界に入っていないということです。通常人間は何かを融通してもらおうとする際に、自分の利益だけを一方的に押し付けると相手から拒絶されて叶わなくなることがわかるから、ギブアンドテイクを意識して相手の都合も聞いて代償を払います。
しかし一部の人は人間関係で相手のことが視界に入っておらず、ギブアンドテイクのルールがわからないのです。結果、先のMTFの女子スポーツ参加のように明文化されたルールや規則には従うものの、それによって起こる他人の弊害には無関心で、周囲からは常軌を逸した行動であることに気付かない、いわゆる空気の読めない人になるのです。
おそらくこれはシングルフォーカスの特性と、相手の立場に立って考えることの障害を持っているものと思われます。
おそらくこれはシングルフォーカスの特性と、相手の立場に立って考えることの障害を持っているものと思われます。
感情処理の未熟さ
多くの人は、世の中には自分の思い通りにはならないものがあることを知っています。だからこそ折り合いをつけたり、妥協したりして、感情の処理を上手くやりトラブルを起こすことを回避します。
しかし一定数このネガティブな感情の処理がきちんとできない人がいます。そういう人が先ほどのこだわりに固執して押し切ろうとしたり、損することを嫌って妥協できなかったりします。反対意見を聞き入れられないのも、現実的には多様性を認められないのも、異論を排除するのもこのためで、YESしか聞き入れられない性質上、本来DEIに最も向いていない人達なのです。
そしてそれが対人トラブルになり、自らの立場をおとしめる結果になり、最終的に多くの人や支援から手を引かれてしまい孤立してしまうのです。まあ、自業自得ですが。
無責任・他責思考にはまる
このようにDEIのトラブルの多くは自分で招いたものなのですが、これをいつまでも責任転嫁して責任をとらないのも、周りからの評価を下げた一因でしょう。そういう不誠実な態度は人間の怒りを買う最大の要因となりますし、そのような人間は都合が悪くなると簡単に人を裏切りますから、信頼関係を築くことはできません。特に企業はビジネスなのでこの点を非常に重要視します。
それに精神医学においても他責思考は推奨していません。罪を他人へ擦り付ける行為なので、対人関係が破綻して精神状態が悪化することが目に見えているからです。倫理的にもやって良い行為ではなく、まともな人なら他責はしないものです。
まとめ
こうして見てみると、DEIは人として踏み外してはならないことを多くやっており、それによって信用と評判を失い、企業にとってリスクになっていることがわかります。このままDEIを続けていても、野蛮な連中としか見られず、企業イメージは失墜するでしょう。
そもそもDEI自体が曖昧なもので、そこに本来の目的をよく理解しなかったり、メリットだけ見て利用しようと企む人物にまで侵入を許したことが、何よりの失敗と言えるでしょう。折角高い理想を持ってDEIの目標を掲げたとしても、疑うことを知らず、性善説に乗っ取っていては、簡単に利用され変容してしまいます。そういう意味でも多様性と包括性には脆弱性があり、自浄作用を受け持つ機構を設けないとどんどん間違った方向へ行きます。
つまりDEIもまた完璧ではなく、妥協が必須なのです。
そもそもDEI自体が曖昧なもので、そこに本来の目的をよく理解しなかったり、メリットだけ見て利用しようと企む人物にまで侵入を許したことが、何よりの失敗と言えるでしょう。折角高い理想を持ってDEIの目標を掲げたとしても、疑うことを知らず、性善説に乗っ取っていては、簡単に利用され変容してしまいます。そういう意味でも多様性と包括性には脆弱性があり、自浄作用を受け持つ機構を設けないとどんどん間違った方向へ行きます。
つまりDEIもまた完璧ではなく、妥協が必須なのです。
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