最近、物価高と低収入に加え増税のトリプルパンチで、懐事情が厳しくなっている人が多い。なので対策が必要なのだが、物価高は外的要因なのでコントロールできないし、税率も他人が決めるので自分ではどうにもならない。政府を非難したり、減税を訴えたり、はたまた賃上げを叫んだりはするものの、多くの人が不思議としないことがある。それは収入アップにつながる自発的な行為だ。もっと言えば、現状維持のまま生活が楽になることを望んでいる人があまりにも多い。
とったリスクに応じて収入が増える法則
人間は元来怠けるもので、こと日本人は臆病なせいもあってかリスクを取ることを極力嫌う。ここで言うリスクとは、責任、労力、勉強、失敗、時間、勇気、覚悟、自己改善などのいわゆる面倒くさいと言われるものだ。コストと言い換えることもできるだろう。確かにこれらのリスクは疲れるし、怖くてストレスを感じるし、自分の時間を奪われるし、ネガティブ要素満載で回避したくなるものではある。
しかし金融の世界ではよく、このリスクの幅に応じて利益があると説かれる。なので利幅を大きくしたければ、大きなリスクを取らなければならない。実際、ほぼ確実に元本保証される先進国国債なんかは非常に信用ランクが高いために人気が高く、借り手優位なので金利がかなり低く利幅が小さい。反対に発展途上国は債務不履行を起こす可能性があるので、人気が低いから貸し手が見つかりにくく金利が高い。株式なんかは元本保証なんてものがシステム上ないから、先進国国債よりも年利が高い。
他にも会社の経営者は経営責任を負うのでその代償として役員報酬がもらえるし、管理職もその責任から手当てがつく。副業も二足の草鞋の手間がかかるものの、それにコミットメントした労力に応じて報酬が得られるので、どこの世界へ行ってもリスクに応じて収入が増えることがわかる。この法則をわかっているから資産家たちは進んでリスクを取りにいき、お金が急速に増えるのだ。
都合のいい考えを捨てられない人は失敗する
だが多くの人は大抵リスクに対して良いイメージを持っていないから、これを大きく見積もって恐怖心を倍増させ二の足を踏んでしまう。それどころかリスクを取らずに現状維持したまま収入が増えないか、などという都合のいい考えをしてしまっている。そんな上手い話はないし、昔から上手い話には落ちがあると言うのに。そうやってただただ時間を浪費している間にもどんどん没落していく。
政府批判をするのも賢いとは言えない。まず言っておくが、お前は政治に興味がないという批判は論点のすり替えだし、興味が無かったらこの記事は書かない。お門違いであることを理解しなければならない。
という注意をした上で、政府批判をしたところでそこで発生するお金自体が全体から見たら数%に過ぎないし、仮に政治が動いたとしてもそのもとからあったパイの再分配をしているだけだし、しかも1億2千万人で割るので一人当たりの恩恵は微々たるものにしかならない。そして最も問題なのが、究極的に効率と成功率が低い。あまりに費用対効果が低く、結局現状維持をしているのと一緒である。
さらに良くないのは生産的な行動ではないことだ。要は奪い合いをしているだけで、何も生みだしていない。サービス、商品、資源、技術、資金などを提供するほうへシフトすれば経済活動を生み出すのでお金が増えるが、政府批判はこれらを生まないので一時しのぎにしかならず、必ず尻すぼみになる。永遠に続く臨時収入などないからだ。
大体行政のお金だって無限にある訳ではない。行政は金のなる木ではないので、ない袖は振れない。にもかかわらず行政に頼り続ければ、財政規模に見合わない出費をすることになり破綻する。それを実際にやってしまったのがギリシアで、財政健全化のために行政サービスの縮小をせざるを得なくなってしまった。日本では夕張市が当てはまるが、今では夕張市は行政サービスの9割を止めて、かえって見捨てる人を増やしてしまった。
これがご都合主義の末路で、自分は何もトライすることなく行政に依存すると自らの首を絞めることになる。都合のいい考えは、どうしても収入よりも支出が上回るので放漫経営になり、採算が合わずいつまでも続けられるものではない。何もせず、ただで得ることを望むと失敗すること肝に銘じなければならない。
さらに良くないのは生産的な行動ではないことだ。要は奪い合いをしているだけで、何も生みだしていない。サービス、商品、資源、技術、資金などを提供するほうへシフトすれば経済活動を生み出すのでお金が増えるが、政府批判はこれらを生まないので一時しのぎにしかならず、必ず尻すぼみになる。永遠に続く臨時収入などないからだ。
大体行政のお金だって無限にある訳ではない。行政は金のなる木ではないので、ない袖は振れない。にもかかわらず行政に頼り続ければ、財政規模に見合わない出費をすることになり破綻する。それを実際にやってしまったのがギリシアで、財政健全化のために行政サービスの縮小をせざるを得なくなってしまった。日本では夕張市が当てはまるが、今では夕張市は行政サービスの9割を止めて、かえって見捨てる人を増やしてしまった。
これがご都合主義の末路で、自分は何もトライすることなく行政に依存すると自らの首を絞めることになる。都合のいい考えは、どうしても収入よりも支出が上回るので放漫経営になり、採算が合わずいつまでも続けられるものではない。何もせず、ただで得ることを望むと失敗すること肝に銘じなければならない。
安心安全は全ての失敗の元
とはいえ、多くの人はそれでも決断できないでしょう。何しろ未知の大海原に乗り出す感覚に襲われるので、恐怖心に襲われて二の足を踏んでしまうからだ。それだったらまだ何もしない方が安心安全だからいいという判断になるものです。
しかしその判断は今の安心安全にしかなっておらず、将来に対しては不安にしかならない。実際、安心安全を採り現状維持を図った結果、今になって資金繰りに困って政府批判をしている。世の中は日々刻々と変化しているというのに。安心安全を手放して行動を起こしていれば、収入が増えて慌てることもなかった可能性はある。にもかかわらず安心安全を選択したのは誰だろう?他ならぬ自分である。自分で選択した以上その結果は自分の責任であり、政府批判をするのは責任転嫁で、行政に依存した人間が批判をするのは恩を仇で返す行いである。
ただこの安心安全という心理は非常に厄介で、リトリーブサイコセラピー代表で心理カウンセラーの大鶴和江氏も、手放せと常々仰っている。判断や行動が鈍るし、不安の根本原因の解消を先延ばしにするので心理的ストレスを高めてしまい、対人トラブルやメンタルの不調をきたすからだ。
ただこの安心安全という心理は非常に厄介で、リトリーブサイコセラピー代表で心理カウンセラーの大鶴和江氏も、手放せと常々仰っている。判断や行動が鈍るし、不安の根本原因の解消を先延ばしにするので心理的ストレスを高めてしまい、対人トラブルやメンタルの不調をきたすからだ。
しかし人間は遠く未来の不安よりも近く現在の不安のほうを大きく見積もる習性があるので、どうしても現在の不安から目を逸らしてしまい、将来的な損失の大きい安心安全を優先してしまう。この心理に気づけないと、なかなか勇気をもって自発的に行動するのは難しい。恐怖心に襲われ二の足を踏まんとしていたら、今自分は安心安全を採ろうとしていると自覚して、一歩踏み出す決断をしてほしい。
自分は自分の人生の経営者
最近、「世界は経営でできている」(岩尾俊兵著)という本を基にした記事が気になっている。岩尾氏の自分の人生の経営者は自分であるという考えは、非常に端的かつ的を射たものだと思う。経営者であれば自分の会社が赤字にならないよう収支を見直したり、新規事業や新店舗を立ち上げたりするのが当たり前で、他人のお金にすがるだけなどという行為はしない。
しかし個人(庶民?)となるとなぜかこの感覚がなく、甘い考えに流される人が多い。実際には個人であってもお金のやり繰りは漏れなく出てくるのだから、経営しているのと一緒である。貧困になりたくなければ、脱するだけの手を打たなければ変わらない。誰かが何とかしくれるのを期待するだけでは、何も良くならない。政府批判も結局は他人を動かそうという行為なので、依存に他ならない。自分は「株式会社自分の経営者」なのだから、勇気をもって英断し自活しないと困るのは自分だ。パイの取り合いをしても将来はないので、自分でパイを大きくする勇気を持ってほしいものだ。
しかし個人(庶民?)となるとなぜかこの感覚がなく、甘い考えに流される人が多い。実際には個人であってもお金のやり繰りは漏れなく出てくるのだから、経営しているのと一緒である。貧困になりたくなければ、脱するだけの手を打たなければ変わらない。誰かが何とかしくれるのを期待するだけでは、何も良くならない。政府批判も結局は他人を動かそうという行為なので、依存に他ならない。自分は「株式会社自分の経営者」なのだから、勇気をもって英断し自活しないと困るのは自分だ。パイの取り合いをしても将来はないので、自分でパイを大きくする勇気を持ってほしいものだ。
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