2025年6月13日金曜日

精神障害者は真面目?

 よく精神科やカウンセリングの業界で、精神障害者には真面目な人が多いと言う人がいる。最近はこの言説が独り歩きして、自分を正当化するのに使う人もいる。

 だが実際に精神科へ通っている、もしくは何らかの診断を受けているという人を見ると、社会的に問題のある発言をしたり、自己本位な考えをしていたりするのをよく見る。そのせいで人から嫌われて孤立している、度々対人トラブルを起こして騒動になる、生活がすさんで引きこもっているなんてことを見聞きすることが少なくない。

 はたして精神障害者が真面目とは本当なのだろうか?それにしては実態が真逆ではないか。ならば真実を解き明かしたい。


精神科における診断基準とは


 内科で扱う疾患、例えばインフルエンザとか麻疹などの感染症では、検体を採取して検査機器にかけて特定の印が現れるかどうかで判定する。外科の場合は、骨が折れているかどうかレントゲン写真やMRI画像に写っているかで判定される。このように一般的な診療科の場合、問診やだけに頼らず、検査や目視などの物理もしくは数値を判定基準とする。

 それはなぜかというと、一つに患者がわかるのは症状のみで、原因まで自分ではわからないから。二つ目に同じような症状を表す疾患や怪我が複数存在しているので、問診だけでは特定できないから。三つ目に研究によって原因を突き止められるようになり(いわゆるエビデンスが存在する)、それを視覚的に判別できる検査方法を編み出したから。

 なので、内科や外科などの一般的な診療科の診断は、大抵原因に対して診断を下す。だからインフルエンザも麻疹も骨折も神経断裂も原因を表しているし、反対に発熱、咳、痛み、外傷などは症状なので、この症状に診断を下すことはシステム上ない。

 しかし精神科においてはそうではない。脳の研究がほとんど進んでおらず、症状の原因が脳のどこにあるのか全く特定できていないため、検査法すらないから問診だけに頼るしかない。
もっというと、患者の発言や思考、行動パターンを分類して疾患名をつけたので、要は症状に対して診断を下しているのだ。

 なのでよく精神障害者で、これができないのは発達障害が原因だとか、気分障害があるから落ち込みやすいという言い方をする人がよくいるが、発達障害も気分障害も症状であって原因は未解明なので言語的におかしいとわかる。


精神障害は過剰な行為に対して診断を下す


 ただ何をもって障害とするのかだが、これは約2%に入るくらい症状(極端または異常な思考、発言、行動)や社会との乖離、摩擦が強いかで決まる。というか、その比率になるように精神医学界が設定している。

 そこには社会的に問題ある行為に及ぶケースも含まれるし、その場合はより症状が重いとして診断が下りやすくなる。


性格と症状とを明確には分けられない


 そしてこういう精神の話となると性格も問われるが、正直性格がどうであろうと異常があれば診断されるのが精神科である。性格と症状を明確に分ける手段がないし、支障があれば診断を下すのがセオリーだからだ。なので、極端だったり、問題があったりするれば、性格から来ていたとしても診断されうるし、診断された時点で精神障害者である。


トラブルになっているから精神障害と診断される


 ここで一旦、逆説を考えてみる。真面目で異常がない人だったら、診断は下りるだろうか?真面目だったら人間関係に恵まれるし、極端な考えにはならないし、問題は起こさない。これは問題ない状態なので、精神障害とはならない。

 そもそも問題やトラブルが起こっているから診断されるので、診断されているということは何らかの問題があるということだ。素直になれない、好き嫌いが激しい、強烈な執着がある、承認欲求が強い、融通が利かない、自分本位、計画性がない、感情をコントロールしない、協調性がない、ルールや指示を守らない、ご都合主義、目先の損得に惑わされる、ゼロ百思考、忍耐力がない、他者依存、他責思考などなど精神障害によく見られる傾向を挙げればキリがないが、およそ真面目とは真逆の社会的に問題視される要素ばかりである。

 これらの要素を持っていながら真面目とはとても言えず、むしろその有無を加味して診断を下しているので、少なくとも当てはまる≒精神障害傾向ありと判断される。なので当てはまるものが無ければ無いほど健常および定型発達という判断になるので、健常者、定型発達のほうが真面目であると言える。


対人トラブルを起こしやすい精神障害


 精神障害の中には、双極性障害、統合失調症、素行障害、反社会性パーソナリティ障害など、他人に対して何らかの行為に及ぶものもある。しかもこれらは他の障害と併存していることもしばしばあり、寛解率も他のと比べると低いのも難しいところである。

 それどころか受診率が低い、否認してしまうという問題もあり、なかなか医療に結び付けられていない問題もある。

 その他、極端な行為に及ぶ者もおり、ここまで行くと確実に健常者として扱えず、障害者の診断になってしまう。


未診断=健常者とは限らない


 診断されていないから健常というふうに考える人もよく見るが、そもそも精神科を受診していない人がほとんどなので、確認をとっていないだけで潜在的には精神障害者であるケースも存在しうる。というか、このケースの方が実際には多いのではないかと思われる。


精神障害=真面目はどこから来たか


 となると、精神障害者は真面目という言説はどこから来たのかというのが気になるところだ。考えられるところは、こんなところだろう。


① 精神障害者のメンツ・防衛機制から


 まず可能性が高いのは、精神障害者が自身のメンツを守るために防衛機制が働いて、叫んでいるケースだ。特に精神障害者は自身のメンツやイメージ悪化に対して非常に敏感で、反論したがる人が多い。加えて支援者がそれに同調し発信するため、ロビー活動などによって拡散される。

 さらにそのためなら手段を選ばない人も一部いるため、周囲を委縮させて反論できなくさせ、言論統制を図って流布するケースも見られなくない。


② 語彙・ボキャブラリーの不足および誤用


 日常生活において語彙の不足や誤用は頻繁に発生するので、この件においても起こっても何ら不思議はない。しかも精神障害者だけでなく、医師自身も人間である以上、気付かずに起こしていることも少なくない。

 実際、精神障害において真面目と言われる要素は、むしろ鵜呑み、直情的、形式的、一義的、頑固、意固地、一面的、表面的、馬鹿正直、向こう見ずな面を持っており、社会的に褒められる要素はあまりない。それからすると真面目という言葉の本意からはずれており、誤用であると言える。


まとめ


 以上のことから、真面目で素行がよく社会適応できているなら、社会的に問題がないので健常者である。そこから外れれば外れるほど障害者として診断される。よって精神障害者は真面目とは言えず、むしろその逆で問題があるからこそ精神障害者として診断されている。ゆえに精神障害者は真面目だというのは嘘であるというのが真実だ。



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