お陰で生きずらいというワードがカジュアル化してしまい、やらなければならないことを避けるための恰好の言い訳に使われ、陳腐なものに感じるようになってしまった。
ただそうやって何でも生きづらい生きづらいばかり言っているだけでは何も変わらないし、それを人に吐露して聞いてもらって慰めてもらっても一時の気休めにしかならず、一人になった時にはまた元に戻り、悲観に終始するだけである。大体こういうタイプの人は不幸だという割に前へ進む気が一切なく、常にこのサイクルを繰り返しているだけで、いつまで経っても進展がない。
挙句の果てには社会が悪い、政治が悪い、会社が悪いと、他者批判ばかりするようになってしまう。私からすれば、そんな巨大コミュニティを批判できるほど大それたことをあなたは成し遂げてきたのかと言いたくなるのだが、本人はそんなこと考えもせず、本気で環境や境遇が悪いと思い込んでいる。
だが、実際にはそこに逃げ込んでいるというのが正しいだろう。ハッキリ言うが、そんなことをしていても自分の人生には一片の変化もないので良くならない。むしろ落ちこぼれていくだけで、事態は悪化の一途をたどる。そして、その選択をしているのは社会ではなく、紛れもなく自分自身に他ならない。
なので、どうしてこういう思考におちいるのか。そして、いかにしてこの不幸のサイクルから抜け出すか、考察する。
そもそも物事の捉え方が間違っている
何かにつけ生きづらいと言う人は、物事の捉え方にいくつか共通した傾向がある。それが典型的なドツボにはまるパターンであることが多いのだが、知識や経験、推理力の欠如から本人は気づいていないどころか、それが正攻法だと信じてしまっている。
だが、ちゃんと結果を出せている人やメンタルヘルスの職種に就いている人からすると、明らかに上手くいかないとわかるパターンは存在する。そんな生きづらいという人にありがちなパターンを紹介する。
だが、ちゃんと結果を出せている人やメンタルヘルスの職種に就いている人からすると、明らかに上手くいかないとわかるパターンは存在する。そんな生きづらいという人にありがちなパターンを紹介する。
① 予測や目標に期待値や不確定要素を入れ、都合のいいケースを前提とする
これ結構やりがちだと思う。例えば、宝くじの一等があたったらとか、あの人が助けてくれたらとか、不安材料が無くなったらとか、自分にとって都合のいいことを列挙して、それが全て叶うのを前提にしたり、絶対視したりするなどだ。全て自分に都合よく順風満帆にことが運ぶパーフェクトな状況なんてのは、万に一つも無いのに。
ちょっと計算すればわかるが、大概のことは二択なので確率は大体50%だろう(概算の話なので細かいことは省く)。分岐点が二か所だったら、パーフェクトの確立は25%になります。三か所だったら12.5%、四カ所だったら6.25%・・・。このように自分に都合よく全て上手くいく確率はどんどん低くなり、限りなく0%に近づく。
ちょっと計算すればわかるが、大概のことは二択なので確率は大体50%だろう(概算の話なので細かいことは省く)。分岐点が二か所だったら、パーフェクトの確立は25%になります。三か所だったら12.5%、四カ所だったら6.25%・・・。このように自分に都合よく全て上手くいく確率はどんどん低くなり、限りなく0%に近づく。
なので、パーフェクトに行くことはまずないし、必ず思い通りにいかないことは出てくる。しかし、パーフェクトを前提にしているから、対策をとっていない。結果行き詰まってしまい、上手くいかない事例がどんどん増え、自己評価が下がり続け、貧することになる。
② 表面的なこと(肩書、所属、人物など)にこだわって、内容の確認や計算をしない
もしかしたら本人は気づいていないかもしれないが、何かの確認や論拠として肩書きや所属、人物に基準を置いているタイプの人がいる。これも上手くいかないという人がやる、典型的なパターンだ。例えば、○○大学の○○教授が言っていたとか、○○省の官僚がとか、有名な○○さんが断言してたとかだ。
これがなぜ生きずらくなるかというと、内容の検証をしていないからだ。いくら立派な肩書きを持っていようと、有名な会社や役所に所属していようと、相手も所詮人間なので専門外の部分や思慮が及んでいない部分が存在する。ケアレスミスをしていることもあるだろうし、知識が豊富ではあるものの机上の空論である場合も考えうる。それゆえにつじつまが合っていなかったり、論理的に成り立っていなかったりする場合も多々ある。
しかし、肩書きや所属、人物を論拠にするとその人に対する先入観や雰囲気というテーマとは無関係のところで判断してしまうため、内容の検証がなされないまま鵜呑みにしてしまう。加えて内容そのものを聞いていないので知識も深まらず、騙されやすくなってしまう。
しかし、肩書きや所属、人物を論拠にするとその人に対する先入観や雰囲気というテーマとは無関係のところで判断してしまうため、内容の検証がなされないまま鵜呑みにしてしまう。加えて内容そのものを聞いていないので知識も深まらず、騙されやすくなってしまう。
結果こういう人は、「こういってたのに、騙された」だの、「アイツを信じてたのに、全然言った通りになってない」だのと騒ぐことになる。
③ うまい話や詐欺に引っかかりやすくなったり、甘い誘惑に負けやすくなったりする
先の①②が原因で起こるさらなる副産物として、うまい話や詐欺に引っかかりやすいという傾向が見られる。というのも、こういう話は自分にとって理想的で、リスクや負担がなく欲しいものが最大限手に入ることを装うからだ。これは生きづらいと言う人の価値観であるノーリスク・ハイリターンに合致するため、魅力的かつ安全に見えてしまう。
しかも、誰が言ったか、どの団体が証明したかというところに判断基準を置いていて、内容の整合性を自分で検証しないもしくは最初からあきらめているから、簡単に信じてしまう。
しかし、そんなうまい話はない。というのも、そういうものは収支バランスがとれておらず採算が合っていなかったり、未来予測において確率論的に100%なものは無いため断言はできないはずなのに相手は断言していたりと、嘘や矛盾が含まれているからだ。もしあったら、みんなやって、みんな得して、ウィンウィンになっているはずである。
④ 困難や都合の悪い時の考え方が悲観的→思考停止
人間生きていると無数に困難や壁が立ちはだかる。この時にそれをどう捉えるかでその後の展開は変わるのだが、生きづらいと言う人はこの時の物事の捉え方に不得手さが目立つ。自分は頭が悪いからわからないとか、不器用だから自分にはできないとかならまだかわいいが、周りが悪い、社会が悪い、政治が悪いとかまでいくと申し訳ないが痛い人である。
現実では困難がその後の人生の糧になることが多々あるし、壁を乗り越えないと得られないものも多数ある。資格、スキル、学力、経歴、信用、資産、障害の克服、実績など枚挙にいとまがない。これらのものは勉強やトレーニングが必要だったり、長年かかったりするものばかりだが、生きづらいと言う人はそれをネガティブに捉えて、邪魔なもの無駄なもの出来ないものと判断してあきらめたり、切り捨てたりする。
それだけならまだしも、人生にいいことなんて何もないと考え、生ける屍になる者すらいる。そうやって悲観的になり、思考も行動止めてしまう。それは自分で生きづらくしていると言える。
⑤ 興味を持てるかどうかではなく、柄に合うかどうかで捉えがち
この手の人は自分に対してネガティブなイメージを描いており、その上そのイメージ通りに振る舞おうとする。そのため、アカデミックな物事やインテリジェンスな世界は自分の柄に合わないと思っている節があり、周りが快く迎え入れようと思っても避けてしまう。自分が浮いていないかが最大の関心事なので、ネガティブな自分像を持っている人からしたらどこへ行っても場違いな感じがしてならないし、そのことで頭がいっぱいで興味関心に割くリソースがないのだろう。
⑥ 失敗続きなのに、自分の感覚を絶対視する
そうやって好ましくない判断や失敗続きの行動をとり続けているにもかかわらず、それを改善すべく軌道修正することにはしつこく反発する。失敗を認めてネガティブな感情に襲われるのが怖いのもあるだろうし、敗北感を抱きたくないのもあるだろう。
とかくこの手の人は感情のウエイトが大きすぎるのと、ネガティブな感情の受け流し方が上手くないため、それを感じたくないために自分を絶対視してしまう。その結果、より失敗が大きくなり、さらなる大きな挫折になってしまうのも生きづらさにつながるだろう。
生きやすくなる秘訣は?結構自分次第でどうにでもなる
ならどうすればいいか?簡単に言えばこの逆をやればいいということだが、もう少しちゃんと言うと、
①予測や目標に不確定要素は入れない。むしろ最悪を想定し、あらかじめ対策をとる。
②誰が言ったかではなく、つじつまが合うか、抜け落ちがないか内容で判断する。
③上手い話はないということを、いい加減受け入れる。それは誘惑だと気づけ。
④困難は悪いものとは限らない。むしろそれを乗り越えたところにご褒美がある。
⑤柄に合うか気にしてもメリットはない。むしろ興味があるか、必要かのほうが大切。
②誰が言ったかではなく、つじつまが合うか、抜け落ちがないか内容で判断する。
③上手い話はないということを、いい加減受け入れる。それは誘惑だと気づけ。
④困難は悪いものとは限らない。むしろそれを乗り越えたところにご褒美がある。
⑤柄に合うか気にしてもメリットはない。むしろ興味があるか、必要かのほうが大切。
⑥失敗続きの状態で判断しても同じ結果になる。素直に相手のアドバイスに従う。
ということになる。もっと簡単に言えば、背伸びをせず、困難から逃げるのを止め、素直になることである。
すべてを一気にできるようになるのは難しいので、一つ一つ習慣化して無意識にでもできるようになると、生きづらさが段階的に減っていき辛さが無くなるだろう。
すべてを一気にできるようになるのは難しいので、一つ一つ習慣化して無意識にでもできるようになると、生きづらさが段階的に減っていき辛さが無くなるだろう。
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