2025年8月24日日曜日

失われた30年の真の正体

 バブル崩壊後、日本は長く低迷した時代が続いている。これを差して失われた30年とよく揶揄されている。その矛先として政治家や財務省、官僚、自民党、大企業、富裕層などへ怒りが向けられているが、これはほとんど衝動的にターゲットとしているだけで、まずメカニズムを紐解くという面倒くさいことして出た結論ではないだろう。となると、これは単なる当てつけにしかなっておらず、これら人々を攻撃するのはとんだ的外れで、自分には何のメリットもない無駄な行為になってしまいかなねない。

 そこで、本当にこれら上流階級のせいなのか、実際に上流階級だけで社会を操ることができるのか、庶民は世の中の情勢と関係ないのか、民衆の影響力はそんなに小さいものなのか、検証してみる。


 上流階級は庶民の御用聞き


 多くの人は上流階級というと、お金持ちとか権力者というイメージを持っているだろう。そして、これらの力を駆使して世の中を半ば強引に動かして、自分の意のままに操っていると思っていることだろう。陰謀論にはまっている人にありがちな発想だが、果たして本当にそうだろうか?

 例えば政治行政はシステム上、有権者や市民からの陳情や要望を吸い上げることによって初めて仕事が発生する。企業や富裕層なら必ず顧客がいるわけで、その顧客のニーズを汲むことで利益が発生する。つまり、政治行政もビジネスも御用聞きなわけで、彼ら自身に意思はなく、背後に彼らを動かしている人がいてそのニーズに応えているだけなのだ。

 そして、そのニーズを上げているのは、実は庶民自身に他ならない。年金では生活費が足りないというので、生活保護を転用するのを求めたのは庶民だし、資金力に見合わないくらい医療費の保険適用を求めたのも庶民だ。企業に安売りを求めたのも庶民だし、低価格・無料を良心的だとして祭り上げたのも庶民だ。所詮、上流階級は庶民の操り人形に過ぎない。


 人間は根本的に怠惰


 ここでちゃんとわかっておかなくてはならないのが、人間の本質についてだ。それは、「怠惰」であること。誰しもできれば面倒なことはしたくないし、手間やコストもかけたくない。自分の自由時間を失いたくないし、楽して得をしたいと思っている。

 多くの人は先のことよりの今のことにしか関心がないから、目先の利益しか考えていない。長期計画で老後の資金を工面しようなどという人は奇特だし、行政が保護してくれるなら自分は何もやらないというほうへ気持ちが流れてしまいがちだ。だから、どうしても行政や政治、企業努力への期待が大きくなるし、それが誘惑となって頼ろうとしてしまう。


 数の論理で庶民には勝てない


 しかし、多くのサービスは一部の人間の要望だけでは通らない。少なくとも、まとまった数の人から要望がないと実現しない。それは、世の中多数決で決まるからだ。そして、数の論理から言ったら上流階級など極少数なので、庶民の票には勝てない。なので、庶民の要望ほど通りやすいことがわかる。

 自分はそんな要望出した覚えはないという人もいるだろうが、それはあなたとは別の多数派グループの庶民が出しているからだ。

 さらに一人当たりのコストは低くとも、とかく人数が多いので合算すると相当なものになる。数百人が食うのと、数百万人、数千万人が食い尽くすのでは、額が半端なく違う。どうしたって庶民の方が圧倒的に影響は大きい。


 庶民の要望を聞いた結果の失われた30年


 このことからわかる通り、表面上は政治や富裕層が今の世の中を操っているように見える、もしくは操っていると思いたいのだろうが、数の論理で多数派には勝てないから庶民の言いなりにならざるをえない。なので、庶民の要望を聞いてきた結果が今であるということなのだ。このことから、失われた30年になったのは、将来を考えないアホな庶民のいうことを聞いてきたからに他ならない。

 大体、自分の面倒もまともに見れない、将来のことも考えていないような庶民のいうことを聞いていて上手くいくはずがない。各々自分勝手にまとまりなく無制限に要望を訴えるのだから、採算が合わず破綻するのは当然である。締めるところを締めず蛇口の栓を緩めたままでいたら、そこにおんぶにだっこしようとするのが人間の性なので、自ら重い腰を上げようなんて人は現れない。

 そのやる気のなさ、危機感の無さが失われた30年を作ったのだ。




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