2025年8月26日火曜日

困ってから動くので詰む!普段、危機感もって動いてるかが運命の分かれ目

 生活困窮者や精神障害者なんかを見ていて、「急に身内に災難が発生して」「勢いで仕事を辞めてしまって」「突然精神障害を発症して」など、突発的に不幸が起こってしまったがゆえに、なす術なくなってしまったと発言する人が多い。こんなことが起こるとは予想だにせず、運悪く詰んでしまったと。

 しかし、こういった人たちの普段の行動や発言を見ていくと、いくつかおかしな点や矛盾点に気づく。突発的な不幸はきっかけに過ぎず、生活困窮の本当の原因はもっと根源的なところにあるのではないか?精神障害についても本人が気づいていないだけで、本当はもっと前から予兆があったのではないか?となると果たして本当に、自分の力では一つも防げなかったのか?その点を丸裸にしたい。


 人生は必ずしも計画通りにはいかないもの


 まず当たり前の話をするが、人生とは自分のであれ他人のであれ、大抵計画通りにはいかない。必ずイレギュラーやミスが発生するもので、全て計画通りにいっている人など一人もいないのは誰もがわかるだろう。困難なことやハイレベルなことに挑んでいる人ほど、これを嫌というほど痛感しているのではないだろうか?

 なので、突発的に予想外のことが起こるなんてのはそもそも当たり前の話であるし、誰の身にも起こっているのでここが運命の分かれ道になっているわけではない。では、何が成否を分けているのか?それはイレギュラーへの向き合い方ではなかろうか。

 実は成功者と困窮者では、決定的にこのイレギュラーへの向き合い方が違う。成功者は、イレギュラーは必ずあるものとわきまえているから、初めからイレギュラー有りきで計画を立てる。時間も資金も余裕を持たせ、いざとなったら困らないように事前に出来うる準備をしておく。だから、スタートも早い。

 反対に困窮者は、普段イレギュラーのことなど考えもしない。今の満足にしか目がいってないから、誘惑に負けて時間もお金も体力も使い果たしてしまう。なので、イレギュラーが発生しても余裕がないから切り抜ける手段がなく、窮地におちいって詰むしかなくなる。明らかに目測が甘いのだが、困窮者は普段の対策の重要さがわかってないし、関連性づけする能力が弱いので
(本当は事前に回避する手段がたくさんあっても)運が悪かったという認識にしかならない。


 困窮者に決定的に足りないものは、普段の危機感


 そもそも、人間いざ窮地におちいった際にできることというのは、結構限られているものである。パニックになって頭も働きずらくなるので、そんなときに全ての作業をやるのは土台無理である。だからこそ、成功者は前もってやる、先んじてやるというのを心得ているので、いざとなっても余裕があるので困らない。

 しかし、困窮者はいざとなったらやればいいと高をくくっている。そして、いざ窮地におちいった時に全てをこなさなくてはならなくなるから、キャパオーバーになって詰んでしまう。明らかに自分の落ち度である。

 さらに問題なのは、困窮者は責任の所在を間違うので対人トラブルも同時に起こす。こういう時に自己責任論の話がよく持ち上がるが、ここでいう自己責任論は事前準備を怠ったことを差している。

 しかし、困窮者はイレギュラーが発生したことに対する責任の有無しか連想しないので(普段から心の視野狭窄でその場しか見ていないのもある)、自分には責任がないと誤認する。結果、無責任、責任放棄の常習となり、対処の杜撰さも相まって人から信用を失い、孤立していく。これは自業自得でしかない。

 こうなってしまうのは、ひとえに普段から「危機感」がない、もしくは弱いことにある。そもそも人間は遠い未来の危機より、近くの利益のほうが大きく認識する習性がある。そのため誘惑が起こり、流されやすくなってしまう。

 困窮者の場合は、境界知能や発達障害、自閉スペクトラムなどを抱えている人が多いため、よりこの明暗が極端になりがちで、誘惑のほうが勝りやすい。先延ばし癖があるのもこのためで、余裕を持つ、前もってやるというのを苦手とする人が多い。だから、いつでも場当たり、その場しのぎになってしまい、手段が限られて詰んでしまう。


 普段から「危機感」を意識しよう!


 なので、こういった人こそ普段からどれだけ「危機感」を持てるか、意識できるかが将来の分かれ目となる。自分のヤバさに気づき、「危機感」を普段から意識的に大きく見積もる習慣をつけることが、今のどん底の人生から抜け出す第一歩となる。




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