2025年9月16日火曜日

助け「合い」の意味を理解しない人々

 リベラル・左翼・弱者を標榜する人がよく使うワードに、「助け合い」がある。弱者のために助け合うのは当然でしょとか、助け合わないと生活できないとか言って、助け合いを殊更強調する。

 そう言いつつこういう人達は、いつも社会のどん底でもがいている。本当に助け合いが大切だと思っているなら、誰かが引き上げてくれるからどん底には行かないはずなのに。ということは、どこか間違いを犯しているのだ。それは、

 助け合いの「合い」の部分の理解と実践を省いている

からだ。


 助けと助け合いは別物


 左翼の者たちは常々、弱者に配慮をとか、マイノリティに思いやりをとか言っている。その関係性を図式にするとこうだ。

  相手  自分

 このように市民からマイノリティへ「一方向」の流れとなっている。市民は常に提供する側で、マイノリティは享受するだけという構図だ。

 これに対して、助け合いには「合い」という言葉が入っているので、

  相手  自分

というように、相手から自分へだけでなく、自分から相手への助けも含む。そのため助け合いは「双方向」の助けを意味し、この言葉を使う以上受け取るだけではなく自分も相手のために手助けしなくてはならない。


 文字通りに助け合いをする気はない左翼


 以上のことから、左翼は助け合いといいつつも自分は助ける気はなく、相手の好意や配慮を受け取ることのみを渇望しているため、そこには嘘があり言行不一致している。とかく左翼の者たちはちゃんと意味を考えず、しばしば物や言葉を適当に扱い、混同する傾向がある。そのため、助け合いという言葉を頻繁に使っていながら雰囲気だけで捉えていて、その意味を正しく理解していない。

 もっとも自分の利益のために使っているだけのパターンもないではないが、そうであっても言行不一致を起こしているので誤用であることに変わりはないが。


 なぜ自分は助ける気がないのか?


 あれだけ偉そうに助け合いが~と言いながら、なぜ自分は人々を助ける気がないのか?本人たちが思わず吐露したところによると、

 「自分は何も持ってない、何もできることがない。だから何も提供できないから、受け取ることしかできない。」

からだそうだ。できもしないんだったら助け合いなどと言わなければいいものを、あまりに思慮が浅い。

 酷いと、「持っていない人にやらせるのは、おかしい」と言う者までいる。あまりに礼を欠くし、不誠実極まりない。人付き合い助け合いというものは、損得や能力でするものではない。相互関係で成り立つものなので、やってもらってばかりでお返ししないと相手は怒るのは当たり前だし、何もせずに好感を持ってもらうのは不可能だ。

 それどころか、自分は実行する気が無いのに言葉の誤用で援助を引き出そうとするのは、相手をだましているので悪い。助けが欲しいなら、口八丁手八丁ではなく誠実さを身につけ、自分の行為をもって証明することで引き出さなければ、永久に得られない。




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