だが、こういった主張をする人はいくつか誤認をしている。その誤認を信じているために判断を間違えて失敗を繰り返し、よりこの考えに傾倒して負の無限ループにはまってしまっている。
そこでここでは、本当に運だけで決まるのか、運は変えられないのか、努力は効果がないのかを検証する。
人生は運が全てなのか?
まずは全ては運「だけ」で決まるのかということだが、社会的なものに100%はないし、人間には意思があるので、運だけというのはありえない。その証拠に運だけで決まるのなら、何も決断せず、何も行動せず、何も努力しなくても、運を持っている人ならただ待っているだけで何でも手に入るということになる。そんな人いるか、それで生活できるかといったら不可能なので、運だけで決まるというのはありえない。
このことから、運だけでなく、己の行動によって運命が変わることがわかる。実際、富裕層と呼ばれる人で親がそもそもお金持ちだった割合は約50%しかいないとのこと。残りの半数は裸一貫から資産を作ったわけで、決して親ガチャで貧富が決まるわけではない。裏を返せば、富裕層の子の半数は没落しているということでもあるので、貧富に関しては個人の行動次第であると断言できる。
運は不変なのか?
二つ目に運は変えることができないのかということだが、変えられるものは全くないというのは当然言えない。
例を挙げよう。ネットコンテンツ販売のビジネスを立ち上げたとする。コンテンツ一つだけだったら、ダウンロードされる確率は当然低い。仮に0.1%だとして、もし1000個作ったら確率はその1000個分だから合計で100%になり、何かしら1個は必ず売れることになる。よって確率は人為的に変更できるので、運は変えられるといえる。
そもそも人は一日に小さいものも含めて約200回自分で決断をしており、それだけの回数自分で将来の変更をしている。つまり、知らず知らずのうちに自分の意思で将来を変えまくっているので、運を変えられないというのは明らかに嘘である。
そもそも人は一日に小さいものも含めて約200回自分で決断をしており、それだけの回数自分で将来の変更をしている。つまり、知らず知らずのうちに自分の意思で将来を変えまくっているので、運を変えられないというのは明らかに嘘である。
努力は効果ないのか?
運とセットで議論に上がるのが「努力」だ。人生は運で決まる派は、とかく努力は無関係で無意味、意味がないし結果に結びつかないという主張をする。果たして、本当にそうだろうか?
例えば、入学試験なんぞはいくら知能が高くても日々勉強をしていなければ身につかないので、決して合格できない。それどころか、スポーツのトッププレイヤーなんかは最初はグループの中で最も下手だったという人は多い。つまり、生まれガチャよりもその後の練習によって身につけたということで、後天的な要素が大きい。
そもそも、生まれたばかりの赤ちゃんは当然のことだが、母乳を飲むことと泣き叫ぶこと以外、何もできない。ということは、全ての人はその後の生活や勉強、トレーニングによってほとんどのことを身につけているわけで、努力の結果でしかない。つまり、多くの場合努力が結果を左右する。
そもそも、生まれたばかりの赤ちゃんは当然のことだが、母乳を飲むことと泣き叫ぶこと以外、何もできない。ということは、全ての人はその後の生活や勉強、トレーニングによってほとんどのことを身につけているわけで、努力の結果でしかない。つまり、多くの場合努力が結果を左右する。
成功は何で決まるのか?
では、成功は何で決まるのだろうか?それは、「決断」であろう。何を選択するのか、いつ始めるのか、その自分の決断が将来を左右する。
そして、その決断を間違えないようにするためには、知識が必要だ。それも、今自分がやっていることの正しさを裏付けるための知識ではなく、何をしたらどういう結果になるか、どういう方法が効果的かを判断するため、自分をチェックするのに必要な知識だ。その知識がないと、思惑が逸れた時に素早く軌道修正の決断ができない。
そして何よりも意思がないと決断自体もできない。それくらい、決断というのはより良い人生を送る上で重要である。
しかし、多くの人は決断を先送りする。人間は遠い未来のことを小さく見積もる癖があるからだ。そして気づいた時には問題が大きくなっていて、手遅れになったり、損失が大きくなったりする。そこで懲りて軌道修正すればいいが、これまたほとんどの人は修正せず、また同じ過ちを繰り返す。
だからこそ、「決断」は非常に重要で、人生を大きく左右する。成功は自分の「決断」で決まることを肝に銘じよう。
だからこそ、「決断」は非常に重要で、人生を大きく左右する。成功は自分の「決断」で決まることを肝に銘じよう。
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