2025年10月24日金曜日

自分を卑下しているからこそ特例を欲しがる -フェアプレーを恐れる人たち-

 数日前に、高市早苗氏が史上初めて女性として自民党総裁に当選した。女性枠などが作られることなく、男性と同じルールの中で実力とフェアプレーで当選を決めた。これは政治家として当然かつ立派な姿勢であり、褒めたたえるべき結果である。

 しかし、これに祝意を示すどころかケチをつける政治家や活動家が多くいるのは、非常に幼稚で残念で他ならない。しかも、このケチをつけている者たちに共通しているのが、以前から女性やマイノリティに下駄を履かせることを求めていたという点だ。つまり、女性やマイノリティだけは違うルールで戦わせろというアンフェアな考えを持っているということだ。

 ところが、今回高市氏は下駄を履かないで正々堂々当選してしまった。優遇や特例措置がなくても当選できるということを身をもって証明してしまったのだ。このことから、自民党内で女性が阻害されていると言えないばかりか、実力さえあれば総裁になれるということを示した。その結果、下駄を求める正当性がなくなってしまったので、自分の言い分や立場がなくなってしまった。下駄なんてなくてもできるよねと。


 自分の劣等感を認められない


 ここまで強く特別扱いに固執する人の根底には、絶対に何かがあるはずだ。大抵の人ならアンフェアな条件をつけろなんてことは、良心の呵責にさいなまれるので拒否するし、そんな方法で何かを手にしても評価につながらないし、実力を認められたわけではないからお飾りとしてしか扱われないことが容易に想像つくからだ。絶対自分のためにならないのがわかっているにもかかわらず、それでも特別扱いに執着するのは、彼女らの根底に

 「劣等感」

があるからに他ならない。女性は劣るもの、マイノリティは卑下されるものという固定観念が最初からあるのだ。だから彼女らは実績やスキルの話は決してせず、劣等グループというポジショントークしか展開しない。それはひいては女性=無能と自分で言っているようなもので、自らを卑下している。

 そして、そういうネガティブポジションをとる者を人間は本能的に拒絶する。いい印象を受けないし、他人にすがって生きようとする姿勢に未熟さ自立心のなさを見出すからだ。さらに、そういう人間は束縛が強いことも感じ取るので、身の危険を察知するのも避ける要因となる。

 よって、このネガティブポジションを採る限り、彼女らの心が満たされ平穏になることは永遠にない。


 可哀そうな自分を止めないと何も変わらない


 この手の者たちは、とかく自分の力では何もできないと過小評価している。だから特例や人の手を借りないと生きていけないと主張し、他人へすがらざるをえなくなる。

 だが、その姿は物乞いそのものであるし、後ろ向きの姿勢に人々は嫌気がさすので必ず捨てられる。結果、欲しいものは何一つ手に入らないし、幸せになることもない。それどころか、負の連鎖におちいり、社会との溝を深め、孤立して行き場を無くしてしまうだろう。

 ここから抜け出すには、

 「自分の力による実績を積み重ねる」

ことが欠かせない。

 とにかくいつまでも他力本願過ぎるのが問題でこれを止めなければ始まらないし、自分にもできるかもしれないという確証がないことには足を踏み出せないだろう。そのために、小さいものから少しずつ自分の実績を作ることが必要だ。実績を作ることによって自信や能力に証拠ができるので、自分に対して不信感を抱かなくて済む。

 さらに、実績が増えることによって実力がつくので、社会的にも劣等ではなくなる。その成れの果てが、高市早苗氏だ。彼女の能力は持って生まれたものではなく、そうやって積み上げられてきたものだろう。経歴を見るとかなりの苦労人であることがうかがえるが、そこにめげず前に進む姿は好感をもてる。

 そして、そういうフェアなやり方を守れる誠実な人間が活躍できるクリーンな社会ができることを願わんばかりだ。




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