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2025年11月28日金曜日

運や才能というのは、とことんやった人だけが言える言葉

 「あの人が富を得たのは運が良かったからだ」「あの人がスターになれたのは才能があるからだ」といった言説、ここのところよく見聞きするだろう。こういうワードを口にするのは、決まって成功者に対して何も成せなかった人が負け惜しみで言う時だ。まあ、傍で聞いていてあまり格好のいいものではない。

 大体、敗者の捨て台詞というのはどんなものであっても負け惜しみにしかならず、大人げない印象にしかならない。特に「運」や「才能」といったワードを持ち出すのは、相手に対して非常に失礼極まりない。


 運や才能といって切り捨てるのは、相手の苦労を知らないからこそ


 なぜ運や才能というのが失礼かというと、このワードがたまたま得たタイミングや生まれつきのものだけで手に入れただけだと断じているからだ。つまり相手がそれを得るまでにした血のにじむような「苦労」を全否定しているのだ。

 イチロー氏や大谷翔平氏が何の苦労もなくあの成績を上げたかというと、そんなことは決してない。凡人の何倍もの練習の末にあの能力と成績を手にしている。藤井聡太七冠にしたって才能だけで制覇したわけではなく、たくさんの詰将棋と将棋ソフトを用いた練習を積んであの地位についている。

 そして敗者が成功者と同じだけの苦労をしたかといったら、まずしていないだろう。大抵はその前に諦めて、早々に止めてしまっているのが大半であろう。同じ苦労をしていないにもかかわらず、こともあろうに上から目線で運だことの才能だことの言うのはおこがましいことこの上ない。


 運や才能という言葉はとことんやって初めて言える


 結局、運や才能という言葉は使う人を選ぶのだ。成功者が使えば謙虚さにつながるし、敗者であってもかなりギリギリまで張り合ってしのぎを削った人ならば、成功者を讃える言葉となる。それくらい使う人の立場によって意味が変わる言葉なのだ。

 ただ、この両者に共通するのは、トコトンまでやり尽くした人だということだ。そういう人でないと運や才能という言葉は途端に相手を侮辱するものとなる。運や才能という言葉は、簡単に諦めた人やそもそも挑戦すらしなかった人が使っていいものではないのだ。

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