「許せない!」という感情の裏には

 SNSなんかでは時々見られるが、いつも同じことで誰彼構わず目くじら立てて罵っている人がいる。「あんなこと言うなんて!」とか「あの発言は許せない!」とか言ったコメントばかり繰り返していて、私は「バカらしっ!そんな暇あったら、他のことやったら?」と思ってしまうが、本人は至って大真面目だ。世のため人のためと本気で思っているので、周囲から浮いていて、反って煙たがられていることに気付いていない。

 しかも面白いのが、それだけ他人を批判する割に、自分が一番できていないということが多々ある。そのことに本人が一番気付いておらず(気付いてはいても見てみぬふりをしている)、なんとも滑稽だ。

正義感への執着

 それだけ何度も繰り返しているということは、そこに執着があるということだ。それが周囲からのひんしゅくを買うレベルであるということは、異常な執念を持つほどの強烈な執着であり、通常ではありえないことだ。そしてその執着によって引き起こされる行動が批判コメントであることから、正義感への執着であろう。

 だが、なぜこんなにも異常な正義感への執着を示すのだろうか。実際こういった異常なまでの正義感を持っている人の話を聞くと、その背後には必ずと言っていいほど過去の不幸、乃至は他者への嫉妬の話が出てくる。そこには強い劣等感やコンプレックスがあり、そこへ触れようとすると強烈な拒否反応を示す。

表出の2タイプ

 もちろん大なり小なりコンプレックスは、誰しも持っているものだ。それ自体は一般的で、何もおかしいことではない。ただ、このコンプレックスの表出のし方に、その人の内面が出てくるのだ。

 一つは相手を見返してやろうと自分を磨いて高めようとするタイプ。ナルシストなんかはこのタイプで、マウントを取ってくることもあるのでその時は鬱陶しい。

 ただ、自己成長に勤しむことでコンプレックスを解消しようとする傾向があるので、能力が高くなり社会で活躍する人も多い。何より問題点としてはマウントくらいなので、相手への実害がそこまでではない。それよりも自己の成長のために努力しているところが賞賛できる。

 もう一つが、相手を貶めるタイプだ。相手を非難することによって、相対的に自分の地位が上がったように感じて、コンプレックスからくる空虚感を埋めようとするのが、このタイプの特徴である。

 しかしよく考えてほしい。相手をいくら貶めても、相手をいくら非難しても、自分自身は成長していない。なので、コンプレックスから目を背けることにしかなっておらず、解決はしていない。解決していないから、空虚感を埋めるためにまた新たなターゲットを探さざるを得なくなってくる。

 しかもこの方法だと努力しなくてよいので、誰でも簡単にできる。簡単にできるだけに中毒性もあるから、止められなくなる。結果負のスパイラルに陥る。

不健全な自我

 こんなことをやっても永遠に何も生まないし、空虚感が埋まることが無い。それがわかってて、なぜやるのだろうか?それは不健全な自我が存在するからではないだろうか。

 不健全な自我があると自己肯定感(自信とは違うので注意)が薄いため、コンプレックスそのものを認められない。そのために目を背けるほうへ走りやすい。だから自己成長へ意識が向かず逃げてばかりの人生になるため、自信も下がり空虚感が広がるばかりだ。こんな人が相手と同等になるには、他人の足を引っ張り引きずりおろすしかない。

 でも本当は本人も気付いているかもしれない。こんなことをやっても何の役にも立たず、虚しいことを。他の手立てに切り替えられれば良いが、自信が無いので自分にはこれくらいしかできないという感覚になってしまっている。そこにはアダルトチルドレンがあるのかもしれない。

 その上、この手の人は自我が成長していないから、自分自身を小さく感じている。自我が大きければ、何か言われても芯の部分にまで到達しないので平気でいられるが、小さいとちょっとしたことでも芯に触れてしまうので大きく反応してしまう。なので過剰な防衛反応を示してしまう。

自己受容

 以上のことから批判を繰り返す行動において、他人の発言は切っ掛けに過ぎず、根本的には自分の内面にある自我が脆く、全てが敵に見えてしまっている心理状態が作り出しているのです。

 ではこの状態を止めるにはどうしたらいいでしょうか?それは今の小さな自分を受け入れることです。弱いところ、ダメなところがあるのはしょうがないと、まず割り切るのです。そもそも欠点が無い人などいないのだから、当たり前の話です。これができないと、自分のダメなところが許せなくなりコンプレックスになっていきます。結果いつも怯えていなければならなくなります。

 しかし、これが一番難しい。特に正義感への執着を持っている、脆い自我がある人にはかなりきついと言います。自分のダメなところを認めることは正義ではいられなくなることを意味し、原動力という利徳を失ってしまうから。そして、ただでさえ小さな自我が無くなってしまう感じがするから。

 でも、安心してください。また新たな健全な自我を作ればいいのです。

過去の自分を見つめ直す

 自己受容をする上で肝心なのが、過去の自分に向き合うことです。これも多くの人にとって目を背けたくなる作業ですが、昔の不遇だった出来事を見つめ、自分の中に溜まっているわだかまりが何なのかを明らかにします。そして、その原因を探ることによって、不健全な自我を作っている理由がわかります。この部分がコンプレックスの根本原因で、これを否定することが執着への原動力になっているので、長い時間かかりますが受け入れることに慣れていきます。そうすれば、こんなダメな自分でも居ていいんだと思えるようになります。

あとは小さな成功を積み上げるだけ

 ここまでくれば後は簡単です。少し頑張れば達成できそうな小さなチャレンジをすることです。大きなチャレンジでないところがポイントです。大きいと失敗したり未達成に終わったりする可能性が高くなるので、達成できない数が増えていき自信を失うからです。仮に達成できたとしても、この場合は実力ではなく運が良かっただけの可能性が高いので、一時的なもので終わるし、気が大きくなって運と実力を勘違いするのでよくありません。

 なので面倒でも小さなチャレンジを繰り返すのです。そうすると実力が身についてくるので下手な失敗はしないですし、失敗が少ない分自信も付き、健全な自我が育っていきます。

無理にポジティブ思考しない

 あと大事なのは、何でもポジティブに考えようとしないことです。何でもポジティブに考えるということは、ネガティブな出来事もポジティブにとらえようとすることです。そこに無理が生じるので、ストレスがかかります。加えて、ネガティブに考えている自分が許せなくなりますから、また自己否定が始まって元に戻ってしまいます。

 これはアメリカの研究ですが、ポジティブシンキングに向いている人は全米の内、30%くらいとの結果が出ました。ポジティブと思われがちのアメリカですら、向いている人は半分もいないのです。増してや日本人の性格を考えるとポジティブシンキング向いているのは10%いるかどうかでしょう。

 この結果から、人間はネガティブなほうが精神が安定しやすいのです。なので、ダメな自分を認めたほうが上手くいきやすいので、無理にポジティブシンキングになる必要はありません。

 あとは、実践あるのみ。幸せになりましょう。

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