人生に目的なんかいらないのか

 ひろゆき氏が「人生暇つぶしっすよ!」って言っていて、なるほどそう思う人もいるんだと知った。その一方で、ある公認心理士の方(仮にA氏としよう)が「人生暇つぶしなんて言う人は、精神的におかしい」的なことを言っていた。

 しかし、ひろゆき氏を見ている限り精神的な闇を抱えているようには見えないし、人生に悲観している訳でもないし、今でも精力的に活動しているから、自暴自棄になってる訳では決してない。若い内に成功して資産と時間を持て余しているから、物思いにふける時間もできて、そこから出た結論が「暇つぶし」だったとういうだけだと思う。

 岡田斗司夫氏の4タイプによると、ひろゆき氏は学者タイプで、分析するのが好きなのだそうだ。こういうタイプは、どこか達観したところがあって、考えたり発言したりする際に、私的な感情を挟まない傾向がある。その点からしても、A氏のように精神的な側面で発言をとらえるのはお門違いだろう。

 その一方でA氏は、毒親に育てられアダルトチルドレンを抱え、その関係から心理学に興味を持ちスピリチュアルに傾倒した経歴があると言っていた。普通に考えたら精神的な問題や認知の歪みを抱えるのはA氏の方だし、わざわざ「人生暇つぶし」という言葉を持ち出して怒りを露わにしている所を見ると、そこに執着があって、本当はアダルトチルドレンを克服しきってないのではと勘ぐってしまう。

 でも、A氏の話をしても仕方ないし、ひろゆき氏の言葉と似たようなことで、「人生に目的なんかいらない」と精神科医の樺沢紫苑氏も言っていたので、これについて取り上げる。

生まれた時って
 まず皆さんに聞きたい。生まれた時の記憶を持っているだろうか?稀にいるらしいが、多くの人はNOだろう。正直、私も覚えていない。仮に子供の頃は覚えていたとしても、大人になるにつれて忘れていく。生まれた瞬間のことなど誰にもわからないし、そもそも母体の中で育ったタイミングで生まれてくるので、自分の意思で生まれたとは言い難い。ゆえに、生まれた瞬間は目的があった訳ではないだろう。

育つ過程で目的は生まれるのか
 その後、家庭、保育園、学校などで学ぶにつれて知識や経験が身につき、知恵もついてくる。その中でやりたいことが芽生えてくるだろう。スポーツ選手になりたいとか、会社の経営者になりたいとか、お医者さんになりたいとか。その内、これが生きる目的になる人もいるだろう。だが、大半の人はそうではないだろうし、成り行きで今の人生になった人が多数ではないだろうか。

目的が無かったら生きていてはダメなのか?
 そう考えると、目的を見出せずに生きている人は数えきれないほど多くいるが、この人たちに人生は無いのだろうか?そんなことは無い。生きてきた歴史があり、それが人生である以上目的が無くても人生が存在する。つまり、目的から人生が生まれるのではなく、各々に人生があってその中から偶に目的が生まれることがあるという順序なのだ。なので、人生に目的の有無は関係ないのだ。

目的は個人の自由
 このことから、目的を持ちたい人は好きに持てばいいし、無くても勝手に人生は生まれていくだけの話なのだ。あくまで目的を持つ持たないは個人の自由なのだ。そう考えると、冒頭のA氏の反応はどちらかというと「目的が無ければ人生じゃない」という考えに寄っていて視野の狭さがあるし、そこにわだかまりとかトラウマとかがあるように思える。本当は本人の心理セラピーが未完了なのではないか?

 そして、何を目的にしたらいいのかわからない人にとっては、終わりの無い苦悩を抱えることになるので、精神的なストレスを抱えることになりかねない。これは公認心理士としてあるまじき行為ではないだろうか?やはり、幼少期の生育環境に問題があった人の方が、客観的に物事を見る力が弱い分、相手の立場で考えられないのか。

目的より謳歌することが大切
 それはともかく、人生に目的は絶対条件ではない。目的が無くても、楽しくエンジョイできていれば幸せが得られるのだから、いいではないか。目的の無い旅なんかいい例だ。目的にこだわらずに、謳歌することがだいじではないか?


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