「共感」とは
まずは共感の本当の意味を知らないと話にならないので記しておくと、「他人の考えや感情に対して、立場や生き方の違う人が同じように感じること。同感。」(旺文社国語辞典)ということである。
「共感」の問題点
ここで問題となるのは、「同じように感じる」の部分。ここが非常に曲者で、ここの解釈が全ての問題の発火点になっている。さらにこの問題は三種類存在することも、意味を取り違える切っ掛けとなっている。
①単語の意味を何となくでしか知らないケース
そもそも多くの人は、単語の意味を正確に把握することなく何となくで覚えて、使っていることが多い。単語を覚えるのにいちいち辞書を引くのは面倒なので、日常会話の中で使われた際に推測し、こんなもんだろうとしていることが大半だ。
なので、推測がズレていれば当然間違って使うことになるし、何なら周囲の人が間違って使っていたら自分も間違って覚えることになる。
②今現在同じように感じようとしているか問題
意識の部分においても問題点は潜んでいる。お世辞、口裏合わせ、建前、その場しのぎのケースだ。このケースでは口では共感してることを装っているが、内心は全く別のことを思っているわけで、明らかに同じようには感じていない。
だがこのケースであっても共感という単語を用いている人が散見される。何なら医療福祉の現場ほど見られるかもしれない。患者や障害者が激高して癇癪を起したり、反対に消沈して無気力になることを防いだりする際の一時しのぎとして発生しやすい。
③そもそも人間の能力的に同じ感覚を得るのは可能なのか問題
全ての人間は他人と同じ人生を歩むことはできないし、双子であっても寸分違いなく同じ経験をすることはできないので、同じ話を聞いても解釈や想像するものに必ず差異が生じてしまう。このベースがある以上、同じように感じるのは不可能であるにもかかわらず、共感と言われても誰もできやしない。仮にできたとしても、他人の頭の中を覗くことはできないから、合っているかどうか確認ができない。
実際に勘違いしているケース
では実際にどのような状況でこの共感の誤用が見られるのか見ていく。
①医療福祉の場で言う「君はそう思ったんだね」の返答
これを共感という医師や福祉支援者が多いが、間違いなく誤用である。その証拠にこの後に続く内容が、「でも、それでは上手くいかないよ」「それはわかるけど、相手には相手の思うところがあるからね」というように同意をしていないし、反論が待っているからである。つまり、腹の中では「そうじゃないんだけどな・・・」という思いがあるので、同じようには感じていないことになる。
ただし、「君はそう思った」という事実は受け止めているので、この場合は事実「確認」をしているというのが正しい。
ただし、「君はそう思った」という事実は受け止めているので、この場合は事実「確認」をしているというのが正しい。
②SNSや友人からの「いいね」
この「いいね」も共感と勘違いしやすいケースだ。というのも、相手が自分のことをどれだけ把握しているかわからないし、何より相手は相手の尺度で判断してるからだ。それは自分の尺度とは異なるので、見ているもの想像しているものも異なっており、同じ感覚とはとても言えない。
このケースの場合は話の趣旨に「賛同」しているのであって、同じ感覚を得ているわけではないから共感と言うのは誤用である。
言葉を間違って使うと、存在しないものに期待が生じ人生が詰む
大体ここ近年、共感と言う単語を乱用し過ぎていて、相対的に価値が下がっている。しかも単純思考の人間は単語の本来の意味を考えずただ流行に乗ろうとするので、誤用に気付かずに鵜呑みにしてしまう。結果現実的には矛盾を含んでいて存在しないものに期待してしまい、ダブルバインドにおちいって身動きが取れなくなるか、永遠に無い物探しをしてしまいざま様なものを棒に振る。
それは青い鳥症候群の始まりであり、これで人間関係や仕事でトラブルを生じさせたり、精神疾患におちいったりする人が如何に多いことか。多くの人が「共感」という言葉の本質を理解しておらず、存在しないことに気付いていない。そこには他人への幻想と依存も含まれていて危険な要素が満載だ。それを望み続ける限り、人生が詰んでしまうのは避けられない。人生を好転させたいなら、共感を手放し自分で自分を満足させる方法を見出さなければならない。
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