2025年4月29日火曜日

すねかじり根性の国民

 ここのところ、よく年金が少ないから金をくれ、高額医療を受けたいから金をくれ、障害者だから金をくれ、仕事できないから金をくれ、資産運用やる気がないから金をくれ、年寄でデジタル化に消極的だから金をかけろなど、実にたくさんの理由で多くの人が公金を欲しがる姿を見る。

 私からしたら、「他人のお金なのに、よくもまあこんなにたかるもんだ」「こんなに多くの人がたかったら、限りあるお金が尽きるのがわからないのだろうか?」と思うのだが、これらの人はそんなのお構いなしだ。

 実は所得に関係なく、年老いて死ぬまでの生活資金を自分で工面するのは経済的にそんなに難しいことではない。それどころか方法論も確立していて、その通りにやればまず失敗も避けることができる。

 にもかかわらず、多くの国民がそこには目もくれず、公金のみを当てにし浪費している。その姿はまるで芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のようだ。

 ではなぜこの人達のように、人間はこういった情けない行為をしてしまうのだろうか?その謎について紐解いていく。

細かい無駄使いが多く無計画

 前提としてお金に余裕があれば、他人にたかる必要はない。逆にお金をくれということは、貯蓄がないというのを自分で暴露しているわけだ。

 で、お金が貯まらない理由でありがちなのが、単価の安い無駄使いが多いというもの。タバコ、お酒、ギャンブルはあるあるで、菓子、自販機の飲料、服、おもちゃ、外食、ビニール傘、買い食い、グッズ代もあるし、最近だとネトゲの課金、スパチャ、投げ銭のようなネット系の出費もある。これが一つだけならまだしも、気付かぬうちに複数やっていることがしばしばなため、お金が貯まらない。

 そしてなぜこういった出費に気付かないかというと、お金の使い方に計画性が無く、衝動的に物を買ったり、課金したりしているからだ。つまり、お金の使い方に制限やルールを決めていないのです。そうなると出費に対してルーズになり、細かい無駄使いほど気付かなくなってしまうのだ。

依存的なマインド

 この手の人達は、自分の面倒は行政が見るべきと考えている。子供の頃は親が面倒を見てくれていたが、そこから親離れし自立して自分で生活基盤を整えるのではなく、親から行政へ依存相手を変えることで子供時代のマインドを引きずってしまう。

 漠然と誰かが何とかしてくれるだろうというバイアスにはまっていて、将来について具体的かつ真剣に考えておらず、漫然としているからどうしても財布の紐もゆるくなりがちで、先述の無駄な出費も増えてしまう。

ネガティブなものから目を逸らす

 それどころか将来のことを考えてネガティブになるのを嫌がって、見ないようにすらする。そしてそこから逃げるべく行政に泣きつくのだが、さすがに行政だって全員は救えない。行政へ救いを求めるのは泥船である。

 もちろんネガティブなことを考えるのはストレスを感じるし、億劫ではある。しかしこれは自分の将来にとって大事なことで、やらなくていいことではない。そこに目を向けた人はきちんと整えてられているので、できないことではない。ネガティブなことから目を逸らすのは、将来の生活の放棄である。

自分本位で、全体を見ていない

 基本、この手の人は全体を俯瞰してみることがない。自分以外に同じように行政を当てにしている人はいるのか、それが人口のほとんどだったらどうなのか、それを合計したらいくらになるのか、自分の考えは本当に成り立つのか、という視点がまずない。自分にお金がない→行政が建て替えろ、という自分都合の枠内だけで考えてしまっている。

 行政だって金のなる木ではないし、無限にお金を持っているわけではない。さらに言うと、振り分けねばならない先は多岐にわたり、教育、育児、医療介護、インフラ、産業育成、科学学術、技術開発、外交、防災、国防、通信、公安など、例を挙げればキリがない。なので国民の生活費まで面倒を見るなど、普通に考えてあまりに経費が膨大になりすぎて不可能である。このことがわからないというのが実におかしい。

要は甘く見るな、自立しろということ

 結論、安定した生活を送るのはそんなに簡単ではないということだ。人生は常にサバイバルで甘い考えに囚われると、途端に立ち行かなくかる。そのためにも用心と事前準備が必要だし、それは一日二日でできるものではないから、計画的に少しずつコツコツ貯えるしかない。

 他人は自分の思い通りにはならないので、本当に頼れるのは自分しかいない。よって甘さを捨て、自立するのが一番確実で、安全策である。そのために、いかに目先の誘惑に惑わされないよう対策を練るか、自分でできることを増やすか、自分の取り分ではなく皆のことも考えられるか、自分改革が今求められている。

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