こういう人はなぜドクターショッピングをしてしまうのか。それは、
自分にとって常に都合のいい対応をしてほしいから
そしてそれを叶えるためには、必然的にこういう医者を選ぶことになる。それは、
自分の言いなりになる人
である。別の言い方をするとイエスマンで、自分の要望を何でも思い通りに聞いてくれて、逆らわない人である。確かにこの手の人は患者にとって安心安全を提供してくれるので、楽ではある。
だが、言いなりになる医者は一見自分の言うことを聞いてくれる理解者のように思えるが、決して良い医者ではない。では、なぜ良くないかを説明する。
だが、言いなりになる医者は一見自分の言うことを聞いてくれる理解者のように思えるが、決して良い医者ではない。では、なぜ良くないかを説明する。
①素人である患者に権限を明け渡す
治療について法律上、権限を持つのは唯一医者である。例え患者でも、ここに立ち入ることは認められていない。それは医学的知識の有無を試験によって公的に証明されているのが医者だけで、だからこそ医者にしか信用がないからである。
にもかかわらず言いなりになるということは、実質的に患者へ権限を明け渡すこととなり、法律上医者にしか認められていない決定を無資格者が行うという違法行為と立場の逆転につながる。
②治療にならない
さらに素人であるがゆえに、患者の求めが医学的に正しくなかったり、節度を越えていたりすることも多々あり、患者のためにならないのも問題である。制止しなければならない所でも黙認したり、患者にとって良くない結果を招くとわかっていても止めなかったりすることで、事態を悪化させうるので危険である。
③精神的成長がない
疾患や障害を克服するためには、精神的成長が欠かせない。年齢を積み重ねるにしたがって自立していかないと生活できないし、社会の中で立ち回るのに適した処世術が必要になるからだ。それらは勝手には身につかないので、心構えやトレーニングが必要である。
しかも人生は常に山あり谷ありで良いことばかりではなく、楽なほうを選ぶと手にできないもの、苦難を経ないと手に入らないものが必ずある。だからこそ自分にとって痛いことも受け入れていかないと思い描く方向へ進んでいかないので、自分の人生が上手くいかなくなり八方塞がりになる。
しかし自分が苦しまない楽で安心できる居心地いい、いわゆる言いなりになる医者を好んでいると、必ず乗り越えなくてはならない自分の課題から目を逸らすことができてしまうので、課題解決が先延ばしになり精神的成長が遅れてしまう。それは社会との認知の差が拡大して生活を困難にするばかりか、疾患や障害の固着を招き治療不可能になったり、症状がさらに悪化して隔離せざるを得なくなる。
そんな医者はむしろ火に油を注いでいるので、患者にとっても家族にとっても、まして社会にとっても害悪でしかない。
良薬は口に苦しの通り、良い医者ほど厳しい一面を持つ
昔の人はよく言ったもので、「良薬は口に苦し」の通り甘く優しいものが必ずしも良いとは限らない。むしろ苦く苦しいものでも良いことなら受け入れないと改善しない。それがわかっているからこそ、良い医者ほど厳しい一面を持つ。
例えば胃痛を起こしている患者に胃薬(大抵苦みがある)を飲ませなかったら、胃痛が治まらないばかりか胃炎から胃潰瘍に発展し病状が悪化してしまうだろう。下手したら入院、手術も必要になる場合もある。ならば胃薬の苦みを我慢しないといけない。
このように解決を図ろうと思えば、何か他の苦しみと引き換えにしないと手に入らない。精神の患者にはどんな苦しみも受け入れたくない、苦労をしないで欲しいものを手に入れたいというダブルバインドやる人が非常に多い。でもそんな矛盾した都合のいいものは論理的に成立しないので、この世に永久に存在しないし、作り出せない。なので、必然的に選択肢は、
A 厳しさを受け入れて自分を改め、目的を果たす
B 楽を得る代わりに目的をあきらめ、取り残される
B 楽を得る代わりに目的をあきらめ、取り残される
の二択になる。
Cの楽しながら目的を果たし、しかも取り残されないは間違ってもない。人間は元来怠惰なもので、そんな甘い条件だと簡単に挫折するからだ。しかも知識も経験もスキルも不十分で、実践で役に立たない。だからこそ上手くいっている人ほど、あえて厳しさの方を選ぶのだ。
結論、自分にとって優しいだけの言いなりになる医者を選んではいけない。厳しいことも言える医者こそ実績があるし、名医である。
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