2025年8月8日金曜日

賢者は最悪に備え想定の範囲内に収める、愚者は最良を夢見て備えず最悪になって絶望する

 私はここで何かと人間は2パターンに分かれるという話をよくしているが、結局根本の違いはここなのではないかというところを今回は突き詰めていく。それは、将来やこれから取り組もうとしていることについてどう見積もっているかだ。ここは結構両極端に出るところで、得られる結果も天と地の差になってしまう。


 愚者は最良を夢見る


 まず愚者から見ていくが、愚者は何かと最も上手くいった場合を想定する傾向にある。少ない労力で、誰からも批判されず、運よく、都合のいいタイミングで、最大の利益を獲得することを望む。傍から見たら、そんな都合のいい話普通あるわけないだろとツッコみたくなるだろうが、いざ自分が当事者になると意外にこれを期待する。

 だが当然のことながら、期待通りにいかない部分が必ず出てくるわけだが、当人はそんなこと想定していないから対策をとっておらず、詰んでしまう。結果、当人としては完璧だったはずの計画が倒れ、立ち行かなくなって頓挫することになる。

 さらに問題なのが、当人としては完璧な計画(周りからしたら杜撰でしかないのだが)を立てたつもりでいるから、自分に間違いがあるとは思っておらず認めたがらない。だから、原因は自分以外にあると考えてしまい、反省なく自己改善に至れない。それゆえ、同じ過ちを繰り返し、挫折の連続になり、ついには自分は何もできないと自己卑下におちいって、人生すらも棒に振ってしまう。


 愚者の間違いは何か?


 ではどこが間違っているのだろうか?一番の根本原因は、「利益の最大化」を狙っているという点だ。

 利益の最大化を達成しようとすると、手間やコストは損失という判断にならざるをえない。なので、少しでも楽したいという衝動に駆られる。そして、楽した分だけ対策が疎かになり、想定外が増え、対処ができず、損失を招いてしまう。

 しかも、より大きな利益を望むとその分だけ成功確率は下がりリスクが高くなるので、大失敗につながりやすい。そこへ無策で挑むと当然リカバリーできず、損失はより大きいものになる。結果、自ら最悪の事態を引き起こして絶望してしまうのだ。


 賢者ほど自分の無能さと運の無さを熟知している


 では反対に賢者はどうなのだろうか?実は以外にも、賢い人ほど自分の能力の限界や無能さをわきまえている。強運など引き寄せる力もないことを重々知っているので、己の勘や運、能力など端から信じていない。だから何事も用心して対策を立て、とかく安全策をとろうとする。

 だから賢者は利益の最大化なんぞ望まないし、そんなものは最初からないものと考えている。その前提だから、ある程度の損失は織り込み済みだし、あらかじめ想定しているから対策も立てるのが当然と思っている。なので、上手くいかない事態におちいっても、あらかじめ立てておいた対策を使うことでリカバリーし、再び進行することができる。


 勘、運、能力をあてにしないこと


 なので、最悪の事態を避けないのなら、勘、運、能力など、不確定要素を盛り込んではならない。それよりも、最悪の事態をシミュレーションし、前もって対策を練ることが後になって効果を表す。災害対策などもそうだが、被害が最少のケースなんぞ想定しないだろう。

 人生においても一緒で、最良のケースよりも最悪のケースを想定しておいた方が、無駄は生まれるかもしれないが、困ることはなくなるだろう。労を惜しまず、最悪に備えることこそが人生を好転させる秘訣である。




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