だがこの対立構図をよくよく見ると、左派と右派での甘えの定義自体の認識に差異があることに気付く。今回は甘えか否かとか、甘えの良し悪しは横に置いといて、左派と右派で何を見ているのか、それぞれ何をもって甘えといっているのかについて紐解いていこうと思う。
左派が見ているもの
右派について解説するのは少々心理的に抵抗を持つ人が多いため、まずは左派について見ていくとする。左派の人達が最も大切にしているのは、「自分」の感情や気持ちだ。なので感情を表に出すことを良しとしているので、TPOに応じてコントロールする練習を積んでいない。結果、感情の振れ幅が大きくなりやすく、精神疾患として診断される人も少なくない。
さらに、判断も感情ベースとなるから、嫌なもの、不都合なもの、印象の悪いもの、プライドに係わるものはストレートに拒否し排除する。そのため、自分の印象が悪くなる「甘え」と判断されることには著しく抵抗する。
そう、左派が見ているのは自分から見た自分の「評価」である。
右派が見ているもの
一方、右派はどうだろう?右派は社会性重視である。他者との関係性で自分が成り立つことを知っている。そのため戦略的だし、相手の出方に応じて自分はどういう選択肢を持っているのかを考えている。そして、その選択肢はまず例外なく複数あることを理解しており、その一つを自分で選択した以上自分の意思が働いているから、その点に関しては自分の責任であると考える。
さらにそれが上手くいかなかった場合は自分の選択が間違っていたわけだから、自分に落ち度があると判断して、さっさと切り替える。
右派が見ているのは、自分の「選択」の正誤なのだ。
右派が見ているのは、自分の「選択」の正誤なのだ。
右派は目標を持った未来志向
では、なぜ右派はこのような思考になるのだろうか?それは、
「目標達成」
を最重要視しているからだ。人生は大小無数の選択の連続と、その結果でできていることを右派の人達は熟知している。自分がした一つ一つの選択が今の状況を生み出しているし、自分が今までに一度も選択していないというのはありえないと理解している。
そして自分がした選択(無意識にした選択も含む)は必ず結果に反映されるので、いい加減な選択はしないし、衝動に任せることもしない。例え衝動的にした選択であったとしても落ち度を認め、二度と同じ間違いをしないよう選択を変える。自分の人生を自分でコントロールしないと目標にたどり着けないし、どうしても目標にたどり着きたいから自分で選択する。だから右派は、「選択」を他人事に考えないのだ。
それゆえ通るべき道を通らず、目標から外れる選択を自らしたにもかかわらず、恩恵にあずかろうとするのはルール違反で卑怯であるとして、「甘い」と言うのだ。
それゆえ通るべき道を通らず、目標から外れる選択を自らしたにもかかわらず、恩恵にあずかろうとするのはルール違反で卑怯であるとして、「甘い」と言うのだ。
左派は安心安全が第一
反対に左派はどうだろう?左派にとって最重要課題は、
「安心安全」
である。とにかく傷つきたくない、落ち込みたくない、損したくない、不安でしょうがない、という心理が先行する。そのため回避行動をとりやすい。
しかし、安心安全を最重視し回避ばかりを続けていても、何も手に入らない。かといって正攻法で進むのは、不安で気が進まない。なので、自分だけの特別な方法を通すしかないと考える。
だが、そうなると正攻法ではないので、非難を浴びるのは必至だ。またもや安心安全が脅かされることになる。そこですがるのが、お墨付きである。診断であるとか、マイノリティの一員であるとかを盾にして、正当性を担保しようとする。そうすることで、仕方ないんだ、特例なんだという形にすることで、これは「甘え」からくるものではないという方向へ持っていく。
このことから、左派は「甘え」など存在しないとすら考えているだろう。
しかし、安心安全を最重視し回避ばかりを続けていても、何も手に入らない。かといって正攻法で進むのは、不安で気が進まない。なので、自分だけの特別な方法を通すしかないと考える。
だが、そうなると正攻法ではないので、非難を浴びるのは必至だ。またもや安心安全が脅かされることになる。そこですがるのが、お墨付きである。診断であるとか、マイノリティの一員であるとかを盾にして、正当性を担保しようとする。そうすることで、仕方ないんだ、特例なんだという形にすることで、これは「甘え」からくるものではないという方向へ持っていく。
このことから、左派は「甘え」など存在しないとすら考えているだろう。
ハードルを下げるのではなく、乗り越える手助けをすべき
正直ここ近年の左派は、特定の人だけハードルを下げるという手法に固執している。しかし、この手法は外から見たら不公平にしか映らない。そうではなくハードルの高さは一律を保つことで公平性を保ち、それをどうやって乗り越えるか?そのトレーニングや学習をするほうが人々の納得を得られやすい。
周囲はそのサポートをすべきで、ルール変更に手を出すのはタブーでしかない。昔から「無理が通れば、道理が引っ込む」と言われるように、人々の納得が得られない無理なやり方は争いの元である。
どういう「選択」をすれば「甘え」と言われないのか。それを今までは決められたルールの外に求めていたが、中で見出せるかが「甘え」か否かの分かれ目になる。
周囲はそのサポートをすべきで、ルール変更に手を出すのはタブーでしかない。昔から「無理が通れば、道理が引っ込む」と言われるように、人々の納得が得られない無理なやり方は争いの元である。
どういう「選択」をすれば「甘え」と言われないのか。それを今までは決められたルールの外に求めていたが、中で見出せるかが「甘え」か否かの分かれ目になる。
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