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2026年6月5日金曜日

日本の学校の最大の欠点は、○○させないこと






 日本ではよく学歴で評価されやすいと言われる。新卒の場合、示せる経歴がそれしかないというのがあるから仕方ないところもある。大卒なのか高卒なのか、どこの大学を出たのかが、その後の人生で門戸の広さにつながりやすい。ただ、この辺のクラスは人並みの水準に入れはするので、マシなほうではある。

 その一方で公立学校、もっというと小学校中学校の勉強ですらついてこれず、落ちこぼれてしまったまま社会へ放り出される子もいる。義務教育では結構定番のつまづきやすいポイントがあって、そこの学習ができなかったばかりにその後の授業の理解が進まず、そのまま脱落するパターンが常態化している。

 こういった落ちこぼれた子に関する議論となると、先生の教え方とか、きめ細やかさとか、1クラス当たりの人数とかに議論が行きやすい。主語が大きくなると、指導要領が~とか、文科省のあり方が~とか、横並びを良しとする社会が~とかの話に飛びやすい。ただ正直前者は小手先の手段に過ぎないし、後者は話の解像度が荒すぎて具体性がない。

 もっというと、どちらも問題の核心をあえて見て見ぬふりをしていると思う。本当はその核心を認めて”ある決断”をしたほうが得策なのはわかってはいるが、それを認めらないばかりに無理に他の手段を模索することで気を逸らし、誤魔化そうとしているのではないかと。


 そもそも○○すれば済む話


 そうまでして誰もが見て見ぬふりをしたいということは、余程都合や体裁が悪く、プライドを傷つけられることを意味している。それは、

 「留年」

だ。大学の場合はそうでもないが、高校で留年となるとあまりいい顔されない。それどころか小中学校だと落ちこぼれていても、まず留年させない。その結果、学習の積み重ねが破綻して、学力が止まったままで学年だけが上がることになる。

 そうなると無理矢理その子を引き上げようとしなくてはならなくなり、子供にも教員にも負担が爆増する。そんな状況で授業してもお互い苦しくなるだけだし、成果なんて出るわけがない。これが現在の公立校の現状だろう。

 初めから留年ありきの方針であれば、この状況は発生しない。教員の労力は変わらないし、生徒もつまづいているところをわかるまで繰り返し授業を受けることができるから、学力が止まることがない。基礎が身についているから、その後進級しても授業についてこれるわけだ。


 体裁を気にしていては、子供の未来が潰える


 ここで一番ネックになるのが、体裁、見栄、プライド、メンツといったものだ。人間はどうしても自分に汚点がつくことを嫌う。特に精神発達が未熟で、まだ感情論でしか考えられないタイプの人にとっては、留年が大きな汚点に思えてしまう。そのため、学習よりもメンツを優先し、形だけでも進学した体にしたがる。

 だがこれをやると社会へ出た時に無学が障害となって、日常生活に支障が出ることも多い。物事の加減がわからない、良し悪しの判断を間違う、お金の管理ができない、上司の意図を読み間違えてミスを連発するなど、想定しうる生きづらさは計り知れない。このような生きづらさを一生抱えるくらいなら、留年してでも必要不可欠な学力を身につけたほうがどんなに子供のためになるかと考える。

 どの学年であっても留年をさせて、そのかわりしっかり学習機会を与える方が子供のためである。





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