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2025年12月26日金曜日

発達障害者や精神障害者が多くの敵を作る訳 <自分の気分にしか関心がない人>

 友人関係であれ職場であれ、人付き合いをしていると対立することはままある。友達だったら、好みの違いやコミュニケーションの齟齬から発生しやすい。職場であれば、評価や負担、方針の違いから起きるだろう。

 ただ多くの場合は対立こそしても、ある程度関係は修復されるので元の鞘に収まる。しかし、発達障害や精神障害を持っている人だとそうはいかないことが多い。関係をこじらせて最悪なパターンを招き、完全に敵対関係にさせてしまう人が珍しくない。

 なぜ障害者はここまで対人問題になりやすく、自分にとってもデメリットでしかないのに敵を量産してしまうのだろうか。


 障害者の自閉性からくる問題


 よく障害者は、わがままとか自己中とかが敵を作ってしまう理由に挙げられる。自分の願望を是が非でも押し通そうとすることからこう言われるので、願望を持つことが悪いように思われがちだが、それは50%程度しか当たっていない。というのも、願望を持つのは定型発達も同じだからだ。もちろん不純な動機は論外なので、それは問題であるが。

 本質的な理由はそれ以外にあるというか、善悪の対立になった時に障害者の判断基準や視野の狭さが根本にある。というのも、障害者には特有かつ共通するシンプルな思考パターンをとるからだ。それは、

 「自分」の気分を害したものは、「全て」

という思考パターンだ。障害者はどんな状況であってもこの判断基準1本で全てを判断していることが多く、トラブルの原因となりやすい。結果として無駄に敵対関係を作ってしまい、最終的に敵認定されることになってしまう。

 これが定型発達だと状況に寄りけりなのと、相手あっての自分という前提条件を周知しているので、自分の前に相手の気分を考える。だから相手が全て悪いとは考えず、むしろ相手に気を使いながら自分が立ち回るので、対立そのものが起きにくい。

 どうしても障害者はその自閉性から相手との関係に関心を持ちずらいのと、自分の気分を害されること=悪とダイレクトに考えているために、他人を疎かにしやすく反感を買ってしまうのだ。


 障害者の善悪の判断基準に欠損がある


 では定型発達と障害者では、具体的にどこに視野の違いがあるのか見ていく。わかりやすいように、表にしてみた。

定型発達障害者
項目
 大切 ○
自分の気分
◎ 絶対
大切 ○
相手の気分
× 視界にない
応分負担 ○
自分の責任
× 逃避
応分負担 ○
相手の責任
◎ 他責傾向
譲歩も可 ○
自分の願望
◎ 妥協許さない
関係維持のため ○
相手の願望
× 無視

 これを見て明らかなように、定型発達の場合は相手の協力がないと願望が叶わないことを知っているから、相手のご機嫌をとる。そのため、五分五分になるよう努めているのがわかる。そうすることで相手が不満を抱くことを防ぎ、敵対しないようにしているのだ。

 これに対して障害者は、相手のことを何も気にかけていないのが見てとれる。明らかに自分しか視界に入っていないのだ。自分の気分が害され、不快になるのを避けることに重きを置いているから、自分のことに100%になってしまうのだ。

 その上、自分の生活に他人の協力が必要で、その他人も人間だから機嫌を取らないと協力してくれないというのがわかっていないのも、ここに表れている。

 このことから判断基準が定型発達と障害者では、

 【定型発達】 相手の気分を害した  ▶ だから悪
 【障害者】  自分の気分を害された ▶ だから悪

という、真逆になる。

 そうなると相手には一切のメリットがないばかりか損をさせてばかりになるので、怒りを抱かせてしまう。そればかりか定型発達は相手に媚びを売っていて卑怯ととって、余計に火に油を注ぐ障害者までいる。これは由々しき問題だ。


 対人関係の理屈を理解できない問題


 結局障害者の問題の大本は、対人関係の理屈を全く理解していないというところにある。特に対人関係は連鎖するというのがわかっていない。巡り巡ってやってくるとはよく言うが、どういうルートをたどって自分のところに結果が降りかかるのかをシミュレーションできていないのだ。だから、それをやると自分も困るというのがわからないのだ。

 こういうのをEQ(Emotional Intelligence Quotient)というが、これが著しく低いことから起こっている。そのために、自分の価値に対して相手の価値が低くなってしまい、相手をないがしろにしてしまう。これだと他人から嫌われるのは必定であるが、EQが低いからその原因が自分にあるということにも気づけないし、認められない。

 解決策なく、万事休すなのだろうか?




2025年12月23日火曜日

左派は絶対に罪を認めない ー統制の所在ー

 政治活動やSNSなどで炎上したり不適切な行為をしたりして、糾弾されることが最近は多くなった。

 その際に、左派の人達はそろいもそろって謝罪を拒否することが多い。稀に謝罪することもあるかもしれないが、それは大分後になって事が大きくなりすぎて、自分が窮地におちいり切羽詰まってからSOSのために行うのが本当のところだろう。実際にはそんな危機におちいっても白を切るばかりか被害者アピールをして、周囲を言いくるめることで火消しをしようとするのが大半だ。

 そんな態度はメリットがないばかりか損失にしかならないにもかかわらず、ここまで自分の罪を決して認めないのは異常である。なぜ、左派は罪を認めることをこれほどまでに抵抗するのだろうか?


 左派の思考パターン


 この左派の態度を解き明かす上で必要なのが、左派の思考だ。左派の思考のベースにあるのが理想主義である。この理想主義、目標に向かって精進・切磋琢磨して、高みを目指すポジティブタイプだと思われがちだが、左派のものは全く異なる。

 左派の理想主義はこれとは真逆で、自分は非の打ち所がなく完璧な存在でなければ許さない、別な言い方をすると自分を汚されたりケチをつけられたりするのが気に入らないという、ネガティブな理由からくるものだ。要はわずかでも自分が不快でブルーな気分にさせられるのが嫌いで、常に心地よい安心できる状態しか認められないがゆえに、不快にならない理想的な状態を目指すというのが目的なのだ。

 こういう心理をはらんでいるから、当然彼らは自己責任を一切認めない。自己責任を認めてしまったら不快になる要素を受け入れざるをえないからだ。よって彼らは必ず他責にするし、被害者ポジションを取ろうとする。何かあったら他人のせい、政治のせい、環境のせいと言って、自分にはどうすることもできなかったというストーリーを作り上げる。


 左派にとって謝罪は恐怖


 こういう人間にとって罪を認めるのは、あまりに屈辱的な状況に思えることから強烈に不快感を感じざるをえず、そのことへの恐怖感から忌避の対象となってしまう。つまり謝罪は最大の恐怖なのだ。

 恐怖を感じることをわざわざするのは自分の生死にかかわるので、当然人間は避ける。だから彼らは謝罪を拒んだり、隠ぺいに走ったり、責任転嫁してしまったりするのだ。


 謝罪拒否で逃げることはできても、損にしかならない


 だがこんな行為をとっていてメリットは何もない。あまりにも不誠実にしか映らないし、何より周囲の怒りを買い、関わった人全員から拒絶されてしまう。特に離れるのは善人で、利益をもたらしてくれる人だ。

 幸福にしても幸運にしてもお金にしても、人との良縁が運んでくるものだ。だから幸運という。しかし、自分が謝罪せず不誠実な態度を示せば人との関係は悪くなり、良縁ではなくなってしまう。だから運んでくるものも来なくなり、自分に運ばれてくるのは損だけになってしまう。それは悪運である。





 恥を恐れ、不完全さを認める勇気がない


 こういう話をすると言われがちなのが、ガラスのハートを持っているとか、精神が弱くて脆いとかといったことだ。だがこれは弱いのとは違うし、弱いと言ってしまうとそこから脱却しなくていい理由を与えることになるので、本人のためにならない。実際には自分もまた不完全な人間のひとりであるという事実を認める勇気がないのだ。

 彼らは恥を恐れる傾向が強い。恥をかくことの恥ずかしさや罰の悪さを過大に見積もり過ぎており、それゆえ高い壁があるように見えているのだ。


 左派に必要なのは「統制の所在」の理


 正直左派にとっても今の評判は好ましくないだろうし、今のスタンスのまま続けていても嫌われる一方でしかない。だから改善が必須だ。そのために左派がどうしても身につけなくてはならない社会の理屈は「統制の所在」だ。

 これは何かというと、その一件において自分で変えられる余地があったかどうか、自分に選択肢が複数あったかどうか、自分の決断によるものだったかどうかを検証するというものだ。

 例えば、引きこもりの人で40代で働き口が限られるという現状は確かにある。しかし、就職の可能性は0かと言われればそんなことは言い切れず、わずかとはいえ存在する。である以上、働き口がないせいでこうなったとは言い切れないし、数撃ちゃ当たるというのもあるので自分次第の部分も残されている。なので採用されにくいという点では外部に要因があるが、数をこなしていない、もしくは当たりやすくなるような工夫をしていないという点においては自分に非があるので、一部は自分の責任であると認めるのだ。

 どうしても左派は何か外部要因があると嫌なことから逃げたいがために、全ての責任をその一点に押し付けてしまうという欠点がある。しかし、全ての責任を丸投げされたら周囲からしたら責任転嫁にしかならないから、かえって集中砲火を浴びる。だからちゃんと自分の責任の部分と他人の責任の部分を分けて考えなくてはならない。

 さらにこれをできるようになるためには、100%完全無欠理想の自分ではなく、不完全なところがあっても大丈夫と考えを切り替えることだ。そもそも自然界が不完全なもので成り立っているのに、人間が完全であるなどありえない。だから100%のものなど存在しえないので、自分も他人も世の中も不完全にしかなりえないのだ。そういう不完全なものを受け入れる器こそが必要なのだ。



2025年12月19日金曜日

システムさえ作れば、お金は勝手に増える!

 先進国は総じて言えるが、特に日本の傾向として中流階級が没落し始めている。その一方で資産を増やし富裕層に転じた人も増えており、天国と地獄の様相を呈している。

 そしてここ近年富裕層へ転じたグループを見てみると、決して会社経営ばかりとは限らず、むしろ会社勤めをしながら資産を増やしたとか、庶民的な生活を送っていながら着実に資産を積み上げてきたという人が結構な割合でいる。そう、資産額は収入に比例するとは言えないのだ。


 運に頼ってもお金は増えない


 で、こういう話をすると貧困層はすぐに運やガチャの話に帰結するが、全く的外れである。こういう会社員でありながら資産を増やした人というのは、宝くじに当たったわけではないし、何かサイドビジネスをやって一発当てたというわけでもない。

 そもそも、そういう一発的な発想自体が貧困層が貧困たる理由で、これを止めない限り貧困から抜け出せない。運だと言い切る経済学者もいるが、意外に実践を積まず机上の空論だけを語る学者も多いので、そういう裏打ちのない学者は素人といえる。これは没落する中流層にも言えることなので忠告しておく。


 「システム」こそが自動的にお金を増やしている


 ならこういった元庶民がどうやってお金を増やしているのか?共通しているのは、

 「システム」

である。お金が自動的に増えるシステムを作り、活用することで増やしているのだ。そしてそれをできる限りたくさんの回数と長い期間ぶん回すことで、複利の効果を最大化して資産を作ったのだ。

 システム化しているので基本的に当たりハズレの世界とは無関係であり、誰がやっても一定の収益が得られる(情勢によって年利の変化はある)。そしてそれは不労収入化しているので、本業をやりながらでもできるというのがポイントだ。

 しかも現代は官民が様々なサービスを提供しており、このシステムを作りやすく、代行してもらうこともできる。例えば、積立NISA、iDeCo、純金積立なんかはその代表だ。税制優遇なんかもついてくるものもあるので、ダブルでお得だ。その点で現代は最もシステムを構築しやすい時代ともいえるだろう。

 システム化してしまえばそれに則ってぶん回すだけなので、以後は頭も労力もいらない。能力差は関係なくなるので、いかなる人でも恩恵を手にすることができてしまう。今の状況に甘んじたくない、将来の生活が心配と言うならば、ぜひ「システム」を作ろう!




2025年12月16日火曜日

自分で責任をとる者に人も富も集まる <自己責任の拒絶は縁の断絶>

 昔から人間が集まって暮らしていく上で、「責任」というのは否が応でも発生する。殊、悪い結果に対しては、この責任を誰がとるのか、責任の所在は誰にあるのかが非常に問題となる。誰も責任をとらないとなるとお互いに不信感が増幅し、協力関係を築けなくなり、社会が分裂して存続できなくなるからだ。

 しかし、ここ最近「自己責任」という言葉に激しく反応して、ヒステリックに非難の応酬をするシーンをよく見るようになった。中には町会議員という責任ある職務に就きながら自己責任を批判する者まで現れて、炎上を起こす事態になっている。

 ただこういった自己責任を強く拒絶する者で、一定の生活水準や心身の健康を保っているのを見たことがない。貧困だったり、感情のコントロールができておらず何らかの精神障害の診断を受けている者を多く見かける。

 反対に着実に資産を増やしている人や、地位や名誉を得ていて多くの称賛を浴びている人で、自身の責任を全うしていない人はまずいない。この差は結構大きく、結果に関係していそうだ。

 ここでは責任がその後の結果に及ぼす影響について考える。


 自己責任を否定することで起こること


 ではまず、自己責任を否定するとどんな結果になるのか考えてみる。

 ①評判が悪くなり、人が離れて行く
 責任をとらない人と付き合う人なんていない。責任を押し付けられたり、転嫁されたりする恐れがあるから。

 ②お金を融通してもらえず、困窮する
 お金のやり取りは、信用があって初めて成り立つもの。責任をとらない人は信用ならないので、お金を手渡すことは危険でしかない。なので自分で責任をとらない人には、お金の話すら来ない。

 ③困っていても助けてもらえない
 責任感のない人に恩を売っても仇で返される恐れがあるため、リスクを感じてしまう。例え困っていたとしても、そのリスクから助けるのを躊躇されてしまう。

 ④失敗が増え、運も逃す
 ありとあらゆる災難をリカバリーできなくなり、失敗したまま終わってしまう。その結果、どんどん運を逃す無限ループにおちいってしまう。困窮者の出来上がり。


 困窮者は責任の捉え方を間違えている


 とにかく人は責任をとりたくないものだ。これは成功者も同様であるが、困窮者の場合この責任のとの向き合い方というか捉え方を間違えている。

 というのも、困窮者は基本的に固定マインドである。それゆえに

 人間は変えられない → つまり選択肢がない → だから自己責任ではない

と考えている。しかし、困窮者の深層心理は、

 責任から逃げたい → 選択肢がなかったことにしたい → 固定マインドは都合がいい

の順であろう。ただ、この思考プロセスで人生転落している人は山ほどいるが、好転している人はいない。





 成功者は責任を引き受けるからこそ対価を得ている


 では反対に、成功者はどのように考えているのだろうか?成功者の思考は至ってシンプルだ。

 「必要なら、やるしかない」

が基本なので、嫌でもちゃんと責任を引き受ける。「自分の人生は自分の責任。だからやる」と考えるのだ。だからこそ困窮者とは真逆の印象評価になり、人が集まってくる。それは、信用に足る人物であるからだ。

 しかも、人が集まることによって失敗してもカバーやサポートをしてもらえるから、失敗がリカバリーされて成功に転じてしまうケースも増える。そうやって成功の回数も増えるから、おのずと富も増える。結果、人も富も自然と増えるサイクルが出来上がる。だから自分で責任を引き受ける人間になる必要があるのだ。


 なりたいものがあるなら「積極的に」責任をとれ!


 かの名経営者である稲盛和夫氏(京セラの創業者で、日本航空の再建を託された人)の台詞で、「郵便ポストが赤いのも俺の責任、信号機が3色なのも俺の責任」というのがある。いずれも京セラの製品ではないのだが、よそ様のことまで責任をとるつもりで経営にあたっているという覚悟を示した言葉だ。

 一般人がそこまで責任を負う必要はないが、せめて自分の責任くらいは自分で負い、わずかでも自分に変えられる部分があるなら変える行動をしないと、永遠になりたいものになれない。

 責任を自分で積極的にとる姿勢こそが、目標を叶え、成功を引き寄せるのだ。




2025年12月13日土曜日

御朱印巡りもやってる!日本の神社仏閣をめぐる旅のメモリー

 私はこのブログでは、少しでも資産を増やすためのマインドや、メンタル不調を改善するための思考転換について書いています。

 ですが、普段は御朱印巡りで行った神社仏閣の情報を発信しています。


 関東甲信エリアを主に巡っており、時には京都にまで足を延ばしています。世界遺産検定保有者ならではの着眼点をもって、数々のパワースポットをご紹介!二つとない個性ある御朱印もご覧いただけます。

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2025年12月12日金曜日

生産と与える発想がないと、他人から奪うだけの人間になる

 近年のSNSやらネット動画やらで、左派系の政治家や活動家の主張を見ていると、決まって気に入らない人を叩いて嫌悪するものか、他人に何かを要求し奪おうとするものばかりだ。その様は年端もいかぬ子供とやっていることが同じで、幼さ全開なことに呆れる。

 とはいっても、感情論的に非難してもただの愚痴にしかならないので、今回は奪うことしか考えない人間になるメカニズムについて探っていく。


 パイを大きくするという発想がない左派


 そもそも人から奪わなくても分け前を手に入れる方法はある。それは、パイ自体を大きくすることだ。大きくした分を自分の取り分とすれば、他人の取り分に手を付ける必要はない。つまり、生産である。生産をし続ければ取り合いをしなくてよいから、争いにもならず非難もされない。

 それどころか、その余剰分を他人へ分け与えれば、自分の株や評判が上がる。その結果人間関係も円滑良好になるので好循環が生まれ、お互いにwinwinになって協力関係も生まれるからより豊かになれる。

 だが残念なことに左派にこの考えが一切ない。パイの大きさは決まっているものと始めから決めつけている。だから余剰分がないので、他人から奪うしかないという発想に至ってしまう。


 常に受け身の左派


 私はよく左派は受け身なのが問題というのを指摘しているが、この姿勢がここでもトラブルの元凶になっている。もっというと、左派はハッキリ役割分担をさせようとしていて、自分らは受け取る専門というポジションでいようとしている。

 その姿勢は様々なところで見えている。何でも補助金を要求するのもそうだし、何でも権利権利と主張してタダで奪取する方法ばかり選ぶし、サービスや手続きに関しても誰かが代わりにやってくれるのを期待してばかりいる。これらの行為で動いているのは周囲ばかりで、自分では何もしていない。どれも受け身である。


 パイを大きくするのに消極的な理由


 ではなぜ左派はこういう考えになるのかというと、左派は損やリスク、苦労、格差といったネガティブな要素を受け入れる器が全くなく、あまりに潔癖だからだ。というのも、彼らは精神的な幼さを持っていて感情のコントロールが不得手であるために、不快感を避けるべくネガティブなことを排除してしまうからだ。

 なのでとにかく労を惜しむ。嫌なことは一切存在してはならない、不快なことは損でしかないと安易に考えているから、結果や利益が出るとわかっていても苦労をしなければならないという時点で苦痛なものというレッテルを貼ってしまう。

 このことから左派にとってパイを大きくするという行為は、現実には利益が出ていて得してしたとしても、彼らの頭の中では苦労させられたから損としか認識されない。


 奪う一方なのは需給バランスが取れないから崩壊する


 ただこれも私が度々言ってきたことだが、奪う一方の関係はこの世の中で持続しない。生産者1人に対して消費しかしない人が1人という関係は、バランスが取れないからだ。というのも、生産者もひとりの消費者であるから、生産1に対して消費が2になるので絶対的に足りなくなるからだ。これを成り立たせるためには生産者1人で2人分を作らなくてはならなくなるので、過労におちいってしまう。この非人道的なことを、左派は他人へ課そうとしているのだ。


 生産にかかわる苦労は応分負担でないと回らない


 結局、苦労しないで生きていくなどというのは土台不可能である。それこそ嫌なことの押し付け合いになるだけで、誰も得しない。左派はいい加減堪忍して、自分の愚かさ、甘さ、未熟さを受け入れ、精神的に成長しないと食えなくなる。

 特にここ近年、社会変化が加速しているのでマイペースを保っているとドンドン取り残される。もう、一刻も早く重い腰を上げ社会参加し生産的なことをしないと、自らの首を絞めることになるだろう。




2025年12月9日火曜日

自己流にこだわると失敗する 徹底した○○が成功の必勝法

 面白いことに、自分のやり方に固執している人ほど上手くいっていない、失敗し続けている人が多いものだ。自分のやっていることは正しいはずなのに増々嫌われるとか、自分にはこれが合っていると言いながら何も成果を上げていないとか言っている人を見かけたことがあるだろう。傍から見ていてそれではいつまで経っても成果は出ないから、いい加減諦めて折れろよと思った人は多いはずだ。

 そこでなぜ自己流に固執すると失敗するのか、そのループにはまる人はどういう人か、成功したければ何をすればいいのか解説する。


 自己流への固執が失敗する理由


 さてまず初めに自己流への固執が失敗につながる理由だが、ここには大きく分けて二つの問題をはらんでいる。一つは「自己流」、もう一つは「固執」だ。

 まずは自己流の問題点を列挙していく。

 ①玉石混交(失敗する方法を多く含む可能性が多い)
 ②ノウハウが少ない(参考にできるものが自分の経験と知識に限定)
 ③二番煎じ(多くのことは万人がやり尽くして、他人の失敗のコピーにしかならない)
 ④自他の価値観の相違(自分の良いと思うものが、他人も良いと思うとは限らない)

主にこういったことがあるだろう。どの点においても成功率の低下を招く要素であり、尚且つ意図的に避けたり減らしたりできる失敗を多く含む。それをわざわざするのは時間とお金と労力の無駄使いであり、自ら失敗するよう仕向けているようなものだ。

 続いて、固執することの問題点を列挙する。

 ①トラブルの未解決(問題の放置と悪化を招く)
 ②同じ失敗の繰り返し(損失や債務の拡大)
 ③学習量の低下(知識や経験、ノウハウ、リテラシーを増やせない)
 ④信用の喪失(人間関係の悪化と断絶、顧客喪失、社会的孤立)
 ⑤メンタルの悪化(精神疾患の発症と体力の喪失)

などが挙げられよう。こちらは一つの失敗から芋づる式に連鎖して問題が拡大し、その後の生活や人間関係、人生にまで影響が出ることがわかる。酷い場合には健康にまで影響を及ぼし、自身の人生を棒に振ることまで起こりうる。





 自己流に固執する人の特徴


 ではどういう人がこのパターンにおちいりやすいのか?もし該当していたら自分もはまるかもしれないので、注意が必要だ。

 ①メンツを重んじる人(恥を極端に恐れる人)
 ②素直でない人(他人から吸収するつもりがない)
 ③猜疑心が強い人(疑り深くて二の足を踏んでしまう)
 ④気持ちを優先する人(論理的に正しくても、意地や先入観で断ってしまう)
 ⑤自己保身が強い人(恐怖心が強くて変化を恐れる)

 いずれも精神的にマイナスの要因が挙げられる。軽い程度だったら誰もが一つや二つ当てはまる要素とも言える。が、これが極端になると他者や変化を受け入れない傾向が強まるので、気をつけたいところだ。

 特にこれらの要素は、ASD(自閉スペクトラム)やその傾向をもつ人は強化されやすい。それゆえに健常者と比べ自己流にこだわり過ぎて他者や組織と対立してしまい、人間関係の悪化から居場所を失う経験を繰り返している人が多い。それを認めるのは屈辱感があろうが、ここを認めることで初めて先へ進めるので、重要である。


 徹底したマネが成功への近道


 では最後に何をしたらいいのかということだ。それは、徹底した「マネ」だ!猿真似と言ってもいいくらい、徹底して他人のマネをすることだ。なぜマネがいいのかというと、

 ①自分の頭をフル回転しなくていい
 ②他人の経験やノウハウまで手に入るから楽だし時短
 ③問題解決が早く、失敗を減らせる
 ④人受けが良くなるので、コネができる

というのが挙げられる。どれも大きなメリットであり、自分を好転させる要素だ。

 そもそもマネをしないと自分の中に物差しもできないので、何をベースに考えていいかもわからなくなる。その上、何もないところに一から作り上げるのはしんどいし、労力が最大化するにもかかわらず大外しする確率が格段に上がるので効率が悪い。

 だからちゃんと上手くいくように軌道に乗せるには、マネするのが最も成功率が高い。たくさんマネして、たくさん吸収して、上手くいかなかった時に修正するという方式が、一番多くの成功者が採っている方法なのだ。




2025年12月6日土曜日

データが相関関係が因果関係かを見分けられない人

 ここのところ大衆を誘導したり、相手を論破したりする際に、データや実験結果を引用することが多くなった。もちろデータや実験自体は事実なので、あたかも自論も事実であると説明できているように見える。

 だが残念ながら実際には、用いられているデータが相関関係を示しているだけで、因果関係まで証明できていないことに気付かない人がかなりいる。もっと言うと、データには相関係数を示しただけのものと、因果関係まで突き止めているものの2種類あることすら知らない人も多くいる。要はデータサイエンスのリテラシーがない人がいるのだ。


 有名な貧富と学力の関連を調べた研究


 この相関関係と因果関係の取り違いが起きた例として有名な研究がある。学力格差を計る研究で、親の所得に応じて子供の学力が比例するという例のやつだ。格差批判の材料としてよく使われるが、実はこのよく聞く研究に疑問を抱いた研究者がいて、反証研究を行っている。というのも、貧困層の中にも一定数の高学力の子がどこにでも存在し、100%貧富の差が原因とするとこの子たちの説明ができなくなるからだ。

 そこで改めて裕福な家の子と貧しくも高学力の子の共通点を調べたところ、お互い家の中に蔵書が多いということがわかった。つまり家に本が多いからたくさん読書をしているうちに読解力や知識が身につき、学力が高くなったというのが真実なのだ。

 この研究結果で頭の悪い人は貧富の差=学力の差と解釈してしまうから、これは因果関係でありエビデンスであると誤認する。実際には貧富の差≠学力の差であり、蔵書の差=学力の差こそが因果関係でありエビデンスとして使える研究結果である。

 貧富の差 = 学力の差 → ×誤り ×因果関係
---------------------------------------------------------------------------------------
 貧富の差 ≠ 学力の差 → 〇正解 〇相関関係
 蔵書の差 = 学力の差 → 〇正解 〇因果関係


 なぜ貧富の差と誤解されたのか


 そこでもう一つ疑問が生まれる。どうして貧富の差が関係していると誤解されたかだ。それは富裕層ならお金に余裕があるので、どんな親でもいくらでも本が買えるからだ。反対に貧困層は本に割くお金も多くはないので、蔵書も少なくなりがちで子供の学力に影響した。

 ただし貧困層でも親が本好きだったり、子供の本だけにはお金を惜しまなかったりした場合には蔵書が増えるから、この場合にのみ子供の学力が上がったのだ。つまり、

 富裕層 → お金が多い → 本が増える → 読書量が増える → 学力↑

 貧困層 → お金が少ない → 本が少ない → 読書量が増えない → 学力↓

とい流れがあるのだが、ここでは例外がないのは本の数についてだけなので、因果関係を示せるのは本だけである。しかし、この流れを見ずに頭の貧富と結果の学力しか見ていないから、相関関係と因果関係を取り違えデマを拡散してしまうのだ。


 この間違いを犯しやすい人


 最後に問うのは、どういう人がこの間違いを犯しやすいのかだ。主だった条件を列挙していく。

 ①データを疑わずに、鵜呑みにする人
 ②論理的思考ができない人
 ③結論ありきで語る人
 ④リテラシーの低い人
 ⑤雰囲気だけで捉える人

ありがちではあるが、こういった人は相関関係と因果関係の違いをわかっていないから、うかつに何でも因果関係と判断してしまいやすい。そのデータだけでは他の要因も考えうるということに気付かないので、安易に結論付けて結果的に間違った決めつけをしてしまう。当然判断ミスが増えるから失敗を積み重ねてしまい、たくさん損をすることになる。

 なので、鵜呑みにしないで一旦調べる癖をつけるのと、結論や自分の願望を一旦置いといて論理的に整合性がとれるのかを考えることによって、この間違いを減らせるはずだ。




2025年12月5日金曜日

社会に依存する左翼 ー搾取している自覚がない人々ー

 最近左翼団体や活動家がいろいろな騒動を起こして取り沙汰されている。自分らの理想を叶えんがために手段を選ばないので、目立ってしまっている。そんな彼らの要望をといえば、補助金の増額と手厚い行政サービスだ。


 全ての負担を行政に求める左翼


 さてさて、そんな至れり尽くせりの行政サービスなんぞできるのかといえば、ノーである。そんなのはありとあらゆるリソースを消費してしまい使い果たすどころか、既に足りなくなってきて行き詰まりを見せている。

 にもかかわらず、さらに行政に頼ろうとし、負担を強いろうと必死だ。学校では、ただでさえ教師の過重労働が問題になっているのに、自分らの利益のためにさらに課題や講演を追加しようと躍起になっているし、健康保険組合の半数以上が赤字経営であるにもかかわらず、適用疾患を増やそうとしている。国民の収入が伸びない中で税負担が増しているのに、出費にしかならない生活保護を増やそうとしているし、人手の足りない介護士やケースワーカーへ頼りきりの人も少なくない。まるで骨の髄まで吸いつくすかのようで、これは労働者からの搾取に他ならない。


 依存は他人にばかり無理を強いるので破綻する


 こういったお金や労働力の一方的な流れは消費にしかならず、いつかは限界が来る。経済も生産活動が伴わないために縮小しかしないので、税収も減ってしまう。なので、福祉に回す予算や人材などのリソースも段々縮小せざるをえなくなる。長期的には行き詰まるのが明らかだ。こういうところを想像できていないところが、左翼の最大の欠点である。

 社会へ依存してばかりでも上手くいかない。特にほとんどの人はマッチャ―で、五分五分、ギブアンドテイクを望むので、もらうばかりでお返しがないと嫌悪してしまう。左翼の人間関係が上手くいかないのもこれが理由だ。いい加減搾取していることを自覚し、依存を手放さないと、本当に窮地におちいった時に真っ先に縁を切られてしまう。社会への依存を断ち切ろう!

2025年12月2日火曜日

付き合ったらダメな人の特徴が、発達障害や精神障害にも当てはまる問題

 SNSや動画サイトの普及とメンタルの知識の一般化に伴って、「こんな人と付き合うと危険」「こういう人から逃げないと危ない」といった情報が多く出回るようになった。日本では特にこういったメンタルや人間関係のネタに興味関心が深く、話題に上ることが多いという国民性もあるだろう。かねてからお気持ち主義と揶揄されるくらい相手の感情に重きを置きすぎる傾向があるので、こういうテーマは刺さりやすい。


 付き合ったらダメな人とは


 ところで「付き合ったらダメな人」という条件には、どんなものがよく挙がっているだろうか?

 ①テイカー・クレクレ星人
 ②被害者ポジションをとる人
 ③常に自分視点でしか考えられない人
 ④0or100思考の人
 ⑤謝れない、間違いを認められない人
 ⑥自己否定が強い人
 ⑦依存心のある人、自立しない人
 ⑧すぐ誘惑に負ける、衝動的で自制できない人
 ⑨怒りっぽい、癇癪を起こす人
 ⑩境界線があいまいな人(区別がつけられない人)
 ⑪感情優位な人
 ⑫こだわりが強く、融通が利かない人
 ⑬面倒くさがりで、楽したがる人
 ⑭認知に偏りがある人
 ⑮他責思考の人
 ⑯支配的な人

などなど・・・

これらの条件を複数の人達が声をそろえて言っている。それもYouTuber、カウンセラー、セミナー講師、占い師といった一般人から、公認心理士や精神科医といった専門家まで幅広く取り上げている。

 ただ不思議なのが、これらの条件が精神障害の特徴に当てはまっていることを指摘しているのを、あまり見ていない。まあ、公認心理士や精神科医の場合は気づいてはいるものの、言わないでいる可能性もあるが。




 障害との適合


 では具体的に何がどう適合しているのだろうか?例えば発達障害だと、③④⑤⑦⑧⑨⑩⑫⑭⑮なんかが特徴と一致している部分だ。自己愛の問題を抱えている人だと、①②③④⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑭⑮⑯が発露することで知られる。依存の問題を持っている人では、ほぼ全てが当てはまるだろう。こうしてみると、付き合ってはいけない人というのは発達障害や精神障害とリンクすることが多く、敬遠されやすい要素を多く持っていることがわかる。

 しかもこれらの敬遠されやすい要素は、実害や精神的苦痛を相手に与えるものが多く、誰もが本能的かつ当たり前に嫌うものである。


 差別と捉えるのは障害者側の一方的なエゴ


 ただ、これを差別と捉えるのはお門違いである。相手は苦痛や被害を受けているわけで、実際に嫌な目に遭っているのである。それを非難するのは差別だというのは被害者のことを考えておらず、あまりに身勝手で自己保身のためにエゴでしかない。被害者のことをまず考えないのは人の心が無く、利己的で、道理が通らない。


 障害者自身が自分のヤバさを受け入れないと何も変わらない


 この問題を社会に丸投げしても、丸く収まるどころか、さらに反感を買って排除されるのがオチだろう。被害者側のほうが変革を求められるのは泣き面に蜂であり、理不尽にしかならないからだ。

 なので障害者側がまず変革しないと、協力どころか理解すらされず、見放されてしまう。発達障害者や精神障害者は防衛機制が強く自分を変えることを極端に嫌がる特性をもった人が多いが、ここを乗り切らないと増々孤立を深めることになるだろう。