先日、中野信子先生の対談動画を見て、運について語っていた。「この世に運は存在するか?」「運で人生が左右されるか?」「運は変えられるのか?」など、運に関わることを他の大学の研究結果を交えて解説していた。
中野先生いわく、運は存在するとのことだ。ただ、ここで気をつけたいのは、一般人(中でも占いを信じやすい人やメンタル疾患の患者など、思い込みが強い人)は運=運命と定義しがちだが、この動画でいう運は全く異なるものを差している。こういうアカデミックな人の言う運というのは、大抵傾向や確率を差すことが多い。恐らく中野先生のいう運も、傾向や確率のことを言っているだろう。アカデミック、特に理系の場合、数学的に考える癖から数値化する傾向が強いので、%で量るのだ。
運は勝手に降ってくると思っている一般人
前置きはこの辺にしておいて、確率論的な運は確かに存在をする。入学や資格試験の合格率とか、万馬券や1等宝くじの的中率とか、病気や障害の罹患率とか、%提示されているものは無限にある。
ただ問題なのは、これを数字として捉えるのではなく、自分で勝手に解釈を加える人が多い。極端に単純化して確率10%しかないなら当たるわけがないと言ってパスしたり、偶然運が悪いせいで病気や障害になるのだから何も対策しようがないといって、今の生活スタイルを続けたりする。
そして、こういう人は運は外部要因によって勝手に降りかかってくると思っている。なので自分では動かず、ただ幸運が訪れるのを受け身の姿勢で待っている。その一方で他人が上手くいっているのを見ると途端に嫉妬心を燃やして、「アイツは運が良かっただけだ!」といってけなす。
大抵は、重い腰を上げないことで自ら確率0%にしている
だが、実際のところ一般人のいう運が悪いというのは本当なのだろうか?答えは、NOである。というのも、大抵の物事は参入や対策をしないと得られない。投資をするなら証券口座を作って株を買わない限り確率は0にしかならないし、生活スタイルだって改善しない限り病気や障害のリスクは高いままだ。
それは運が悪いのではなく、自ら運が良くなるほうを捨て、不利益にしかならないほうを選択しているので、なるべくしてなったのである。
運のいい人は、どうやって確率を変えるかを考えている
これに対して運のいい人は、どういう人なのだろうか?それは、どうやったら確率を変えることができるか考え、実行する人だ。何もしないというのは確率0%にしかならず最低であるから、彼らに待つという姿勢はない。少しでも確率を増やしたほうがいいから、あの手この手を繰り出して試行錯誤する。
しかも、数打ちゃ当たる戦法を採ることも辞さない。だから、1回やってダメだったからあきらめるということをせず、むしろ確率10%だったら10回やれば1回当たるから、そこまでやらないと結果を判断できないと考える。
病気に関してもただ手をこまねいていては悪化するだけだから、何らかの手を打つ。それもスピリチュアルに全振りすることはなく、もっと実用的な方法を試す。お酒を止めるといったらスパッと止めるし、バナナが快便によいとなれば取り入れる(実際、私は朝食をバナナに切り替えてから便通がよくなった)。
運は待つな、拾え!
だからこそ言えるのが、中野先生の「運は待つな、拾え!」なのである。運というのはただ待っているだけではやってこない。自分から拾いに行かない限り手にすることができないものなのだ。
だが残念ながら、多くの人は待つほうを選ぶ。それで自ら運を手放してふいにしてしまうことが、どれだけ多いことか。そして、自ら招いたことなのに運が悪いと嘆いていたり、世の中のせいにしたりして、実に進歩がない。
だから待っていてはいけないし、自分から拾いに行かないといけない。運は待つな、拾え!

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