2025年5月13日火曜日

左派と右派の対照表

 最近、左派と右派の対立が大きくなってきているが、そもそも両者は何が違うのか。漠然としたイメージだとわかりずらいと思うので、主な「傾向」を分析し表にしてみた。


左派右派
政治・経済
スタンスリベラル保守
経済の主義共産主義資本主義
政治の主義社会主義民主主義
思想の主義理想主義現実主義
異論への対応異論を認めず異論も自由に
理想の政府大きい政府小さい政府
最重要政策福祉経済
異論認めないあるのは当然
排他対象異なる主義主張秩序を乱す人
権利強く欲する
無条件で得られる
資格やリテラシーが必要
義務とセット
最適化個別最適全体最適
採算度外視身の丈に合わせる
目標設定実数度外視実数の最大化
目的のブレ手段の目的化を起こす目的がブレない
ダブスタ頻発矛盾を嫌う
アカデミー
テクノロジーうとい得意
理科学うとい得意
知識欲低い高い
勉強苦手得意
リテラシー情弱インテリ
論拠思ったかどうかエビデンス
興味の幅狭い広い
分析苦手得意
性格
マインド固定成長
態度感情的理性的
思考パターン先入観論理的
不都合に対して嫌悪・悲観的課題・対策を練る
忍耐力ない強い
義理軽薄堅い
メンタル不安定安定
柔軟性ないある
誘惑簡単に負ける対策をとる
精神の成熟度幼い大人
他人を見てレッテルを貼る分析する
本心臆病平常
欲求欲深い質素
思考力浅い深い
欲望のディテール完璧主義未完成でもよい
大きく見せるが本当は小さい小さいように見えて内心は大きい
陰謀論信じる信じない
ウソウソも方便ウソが嫌い
話の筋嫌い通す
人間に対する価値観素晴らしいもの不完全
フォーカスシングルフォーカスマルチ
メンツ・体面重要どうでもいい
他人への興味ないある
物事の捉え方ネガティブフラット
判断軸
優先基準安心・楽・省力合理性・成功率重視
判断間違う的確
決断力優柔不断ある
他者の介在独断了解を取り付け
目標設定短期的長期的
視野目先広い
判断基準損得勘定秩序
妥協できずに固執できる
スピリチュアル信じやすい信じてない
社会性
責任感ないある
責任の所在他責・多罰自己責任
協調性低い高い
ルール・約束破る守る
一般社会常識知らない身につける
基本姿勢防衛・威嚇温和
対人関係受け身使い分ける
議論苦手得意
コミュニティでの姿勢閉鎖的・支配的ある程度は放任
自己変容自己変容を嫌うから
他人を変えようとする
自身で柔軟に対応
獲得手法タダでもらう・奪うギブアンドテイク
タイプテイカーマッチャ―
視点主観しかない俯瞰的
TPO考えない合わせる
自他境界ないある
自他の優先度自己都合重視調和重視
将来シミュレーション後先考えられない重視
シミュレーション精度よく外す的中率高い
悪評の取り扱い隠蔽改善につなげる
集団つるみたがる一匹狼
因果関係理解できないすぐ理解
自分の世界観自分しかいない他人やコミュニティがある
周囲視野に入らない視野に入れる
仕事
労働意欲嫌々高い
仕事とプライベート不明確クッキリ分ける
仕事のスタイル好み重視効率重視
仕事の価値観楽しさ成果主義
評価軸過程重視結果重視
仕事内容選り好みする選ばない
積極性消極的積極的
応用力あまりないある
対応後手先手
取り組みサボる何としてでもやる
苦手・嫌いな仕事避けるあるのは当然
準備しない前もってやる
スピード遅い速い
スキル高めないアップさせる
向上心低い高い
面倒ごと匙を投げるコツコツと継続
利益への観念少ないリスク<利益の最大化応分のリスク=利益の等価交換
結果大きいリスク>少ない利益一定のリスク<利益の増加
昇進・評価低いままアップする
ストイック自分に甘いストイック
アドバイス拒否活用
些細なこといちいち気にして止まる進行優先で気にしてられない
判断基準経験知恵
仕事のし方我流を通す工夫する
生活・収入
生活スタンス依存自立
貧富貧困層が多い安定収入
収入に対する観念もらうもの稼ぐもの
行動パターン衝動的計画的
手間面倒くさがるまめ
消費浪費無駄づかいしない
家計綱渡り堅実
貯蓄ほぼない貯蓄・運用
自己管理しないちゃんとする
生活スタイル不健康健康的
時間不規則・守れない規則的・守る
生活保護取得者多い少ない
将来悲観するだけ前もって対策

 こうして表にすると、左派は人として痛いと思われるタイプが多い。それは受け入れられるどころか、むしろ警戒される。

 まだまだありそうだが、随時加筆する。

2025年5月10日土曜日

MMTは日本にとって命取り

 ここ近年、MMT(Modern Monetary Theory 現代貨幣理論)を押す人々が多く目につく。これを押しているのは、福祉拡充や生活保障など大きな政府を求める左派の人に多い。たとえ一人一人のコストは高くなかったとしても、福祉や生活保障は庶民を対象とするため人数が多く、合算するととてつもない金額になってしまう。当然、どうやって多額の資金を工面するかという問題が出てくるので、その策としてMMTを主張するのだ。

 しかし普通に考えたら、そんな上手い話あるか?と疑問に思うだろう。そこで今回は、MMTの中身と実体、成否について解説する。


MMTとは何か


 そこでMMTとは何かを知らないと始まらないので、これについてまずは説明する。これは現代とは名が付いているものの、それほど新しい概念ではない。前からあったと言えばあった。それが、近年また掘り起こされたというのが経緯だ。

 で、その中身だが、これは政策ではなく債券をどう解釈するかという楽観的予測のようなものだ。つまりこれ自体が何か対策になるというものではなく、むしろ現状維持をするための方便と捉えるのが正しい。

 詳しく説明すると、MMTの理屈では日本のような国の場合、国立印刷局や造幣局があるのだから、国債の返済に税金を充てるのではなく、新たに発行(印刷・製造)した貨幣で返済すればいくらでも無限に借金できるし、財政破綻も起きないという理論だ。そう、財政破綻は起きないという楽観的な推察を説明しているだけで、何か新たに政策を実施するという話ではないのだ。

 これをちょっと小難しく熱を込めて力説するので、マネーリテラシーのない将来を考えない怠惰な庶民がまんまと引っかかってしまって、もっと国債を発行することを安易に支持してしまっている。


MMTの問題点


 ではこのMMTにおいて、問題点や見逃している点はないのだろうか?実はこれが、山ほどある。一つ一つ見ていこう。


①実体経済が伴わない


 MMTの場合、お金を増やす方法が造幣局での貨幣の製造なので、市場経済から生み出されたものではない。さらにそのお金を国債の返済に充てるのだから、そのお金は市場には流れない。

 結果、何の経済波及効果ももたらさないので、市民生活に好循環は生まれず、停滞の一途をこのまま辿るだけである。


②通貨の信用が下がり、国際取引で使用できなくなる


 経済活動によって生み出されたお金ではなく、ただ製造しただけで流通させたとなれば、日本円に経済実態が伴わないことになるので、世界三大通貨と言われるほどの高い信用と価値を一気に失う。

 そうなれば、価値のない円建てで決済するのは危険だと市場は判断するので、おのずと円の使用は敬遠され、国際取引で用いられなくなる。結果、国際市場での円の流通量は減ってしまう。


③円の国際的信用が落ちることで輸出業が打撃を受ける


 そして、日本円の国際的信用が落ちることで一番打撃を受けるのが、日本の主要産業である輸出製造業だ。トヨタ、ホンダ、任天堂、日立、川崎重工業など、海外にも販路を持つ主要企業が決算する際に、円に換金するのをためらわざるをえなくなり、ひいてはこれらの企業の経済活動の足を引っ張ることになる。

 そうなれば、業績にも多大に影響を及ぼし、さらなる不景気と大幅な税収減少を引き起こすのは馬鹿でもわかるはずだ。


④税収減少を補てんするために、さらに増税+国債発行


 税収が減るとなると、その足りない分をどうにかして補てんしないと社会システムを維持できない。そのためには、さらなる増税なり新たな国債発行なりしなくてはならない。増税すれば市民生活が危ぶまれるし、国債発行だと悪循環におちいる。


国債の発行数が増えるので信用格付が落ち、金利が上がる


 結局MMTは、今まで通り大量に国債を発行しましょうという話なので、発行数は増える一方である。上記のことも考えると、むしろそのペースは増加することも考えうる。

 そうなると格付会社はその点を査定するので、ただでさえ下げ止まりしない日本国債のランクがさらに下がることになる。ランクが下がった分、信用を失うので国債の買い手がつかなくなり、投資家の気を引くためにさらに金利を上げざるをえなくなる。

 金利を上げるとその分、利子の支払いが増えるので何の行政サービスにもつながらないただの支出も増えることになり、財政を圧迫することにつながる。


⑥BBBランクを下回ると、買い手がまずつかない


 今現在日本国債の信用格付は、海外の格付会社の場合AAもしくはA+で、G7中イタリアに次いで低い水準にまで達している。金融市場において債権の信用格付はBBBまでが安全とされているが、A+まできているとなるとAの次はいよいよBBBなので、これはもはや危険水域でしかない。

 そしてBBBを下回ると、市場のルールとして投資対象として不適格との判定がなされるので、国債の買い手がつかなくなる。結果、国債を発行しても現金化できず、国家予算に組み込めないということになる。


⑦遂には債務不履行(デフォルト)を起こし、全ての行政サービスが停止する


 この行く末だが、国債を発行しても現金化できない以上、資金がショートするので、返済ができなくなる。つまり、債務不履行いわゆるデフォルトになるのだ。

 そうなると大変で、債権者からの取り立てによって借金の返済を最優先にしなくてはならなくなるので、多くの行政サービスに配分していた予算をカットせざるをえない。当然予算カットされるからサービスを維持できず、停止や廃止を余儀なくされる。いわゆる緊縮財政を義務付けられるのだ。


⑧最後、世界経済まで混乱させて世界中のお金が消える


 まだあるのかと思うだろうが、最後の話をする。日本ほどの人口と経済規模を持つ国がデフォルトを起こせば、世界経済にも大打撃を与えるのは想像に難くない。以前ギリシャ危機があったが、あの時にも相当世界経済は混乱し、記録的な株価下落も発生して多くのお金が消失した。G7でもなく、日本より人口も、経済規模も、国家予算も小さい国であるにもかかわらずだ。

 これがほぼ全ての数値で上回る日本でデフォルトが発生したらどうなるだろうか。少なくとも世界において、ギリシャ危機以上の経済損失を招くことは間違いない。そうなると、世界における日本のポジションは失墜し、先進国としての扱いもされず、失われた30年どころの話ではなくなるだろう。


結論:MMTは空想で、高福祉の大きい政府は自滅する


 こうして見るとわかる通り、MMTは一時的に逃げ切れる人が一部だけ生まれはするが、遠からず自滅の道を歩むだけなのだ。とある試算によると、日本は今のペースで行ったら10年後にはデフォルトするとの結果が出ており、もはや新たな借金を作れる国ではないのだ。

 すでに日本でも夕張市がデフォルトを起こしているし、海外を見てもギリシャ危機によって世界経済に大打撃を与えた。これは他人事ではないし、いい加減先延ばしするわけにはいかない喫緊の課題である。

 だからこそ国民一丸となって、経費削減に励み、政府および公費に頼らない自立した生活と収入を早急に作らなければならない。

 手厚い福祉など、言語道断である!

国のお金を食い潰しているのは、政治家、官僚、政党以上に、国民自身

 血税を食い潰すことに対する矛先として政治家、官僚、政党へ向かうというのは、昔からよく見られる。政治資金や報酬、政党助成金として持っていかれていると。もちろん、国家予算の中にそれらの支出が含まれていて帳簿にも記載されているから、支払われていること自体はは事実だ。

 しかしよく考えると、日本の人口1億2300万人に対して政治家や官僚の人数、政党の数を考えると、あまりに微々たるもので、0.1%にも満たない。官僚の年収は2300万円だそうで確かに庶民の10倍ももらっているが、それでも人数分合算したとしても日本の借金の総額1323兆円には遠く足元にも及ばない。

 この1323兆円というとんでもない額をそんな少数の人だけで作るのは、まず不可能である。というか、使いきれない。ということは、この天文学的な額の借金を作ったのは政治家、官僚、政党だというのは素人考えで、明らかに的外れである。この主張に矛盾がある以上、それは間違いである。

 ではこの多額の借金を作った真犯人は誰なのか?

 が問題なのだが、1323兆円を達成しうる条件をピックアップすると見えてくるだろう。

①大人数である
②大票田
③不可侵の立場
④長期間一定の頻度と金額で受け取れる
⑤公費で受けられる行政サービスの額が大きい

といったところだが、この条件をすべて満たすのは誰かというと、

 高齢者

である。

①については、2024年9月15日現在65歳以上の人口は3625万人で総人口の29.3%を占め過去最多。2042年まで増える予想。
②については、その人口ゆえに大票田で政治家も無視できない。
③高齢者福祉はセンシティブな一面を持つので迂闊に批判できないことと、有権者における最大のグループであるので不可侵。
④払った以上の年金を受給。年金受給額が少ない高齢者は、不足分を生活保護で一生補てん。
⑤医療費はほとんどの高齢者が1割ないし2割負担。透析治療者は実質1割以下に。生活保護受給者は医療費全額公費負担。その他、公共交通や公共施設での割引などのサービスもある自治体も。

 これだけ支出が多かったら、それは借金が増えるわなとなる。

 ここに一般庶民への医療福祉にかかるお金もプラスされるわけだが、庶民は最多数な上に、年収600万円以下の人は納税額よりも受け取るサービスの額のほうが高いので、合算するととんでもない額の赤字となる。

 実際、国家予算の4割が社会保障に使われているし、国民の内9割は庶民なので、高齢者や庶民にかかる医療介護福祉の合計金額は相当なものになる。
このことからわかる通り、1323兆円もの借金を作ったのは、高齢者を中心とした庶民以外にありえないのである。

 なので、庶民に応分の負担を強いらざるをえない。なので各自自分の家計を早急に見直し、キャリアアップや副収入を作らないと生活がもっと立ち行かなくなる。自立しない人に将来はない。

2025年5月9日金曜日

患者に好まれる医者は言いなりになる人で、良い医者ではない

 精神科の分野では特にあるあるだが、ドクターショッピングといって、よく自分の気に入る医者に出会えるまで病院を転々と変え、渡り歩く人がいる。主治医が定まらないし、その度に仕切り直しをしなくてはならないし、治療方針が一貫しなくて継続できないし、その間には精神疾患がどんどん悪化するしで、良い事は何もないのだが、どうしても一定数こういう人は生じてしまう。

 こういう人はなぜドクターショッピングをしてしまうのか。それは、

 自分にとって常に都合のいい対応をしてほしいから

 そしてそれを叶えるためには、必然的にこういう医者を選ぶことになる。それは、

 自分の言いなりになる人

である。別の言い方をするとイエスマンで、自分の要望を何でも思い通りに聞いてくれて、逆らわない人である。確かにこの手の人は患者にとって安心安全を提供してくれるので、楽ではある。

 だが、言いなりになる医者は一見自分の言うことを聞いてくれる理解者のように思えるが、決して良い医者ではない。では、なぜ良くないかを説明する。


①素人である患者に権限を明け渡す


 治療について法律上、権限を持つのは唯一医者である。例え患者でも、ここに立ち入ることは認められていない。それは医学的知識の有無を試験によって公的に証明されているのが医者だけで、だからこそ医者にしか信用がないからである。

 にもかかわらず言いなりになるということは、実質的に患者へ権限を明け渡すこととなり、法律上医者にしか認められていない決定を無資格者が行うという違法行為と立場の逆転につながる。


②治療にならない


 さらに素人であるがゆえに、患者の求めが医学的に正しくなかったり、節度を越えていたりすることも多々あり、患者のためにならないのも問題である。制止しなければならない所でも黙認したり、患者にとって良くない結果を招くとわかっていても止めなかったりすることで、事態を悪化させうるので危険である。


③精神的成長がない


 疾患や障害を克服するためには、精神的成長が欠かせない。年齢を積み重ねるにしたがって自立していかないと生活できないし、社会の中で立ち回るのに適した処世術が必要になるからだ。それらは勝手には身につかないので、心構えやトレーニングが必要である。

 しかも人生は常に山あり谷ありで良いことばかりではなく、楽なほうを選ぶと手にできないもの、苦難を経ないと手に入らないものが必ずある。だからこそ自分にとって痛いことも受け入れていかないと思い描く方向へ進んでいかないので、自分の人生が上手くいかなくなり八方塞がりになる。

 しかし自分が苦しまない楽で安心できる居心地いい、いわゆる言いなりになる医者を好んでいると、必ず乗り越えなくてはならない自分の課題から目を逸らすことができてしまうので、課題解決が先延ばしになり精神的成長が遅れてしまう。それは社会との認知の差が拡大して生活を困難にするばかりか、疾患や障害の固着を招き治療不可能になったり、症状がさらに悪化して隔離せざるを得なくなる。

 そんな医者はむしろ火に油を注いでいるので、患者にとっても家族にとっても、まして社会にとっても害悪でしかない。


良薬は口に苦しの通り、良い医者ほど厳しい一面を持つ


 昔の人はよく言ったもので、「良薬は口に苦し」の通り甘く優しいものが必ずしも良いとは限らない。むしろ苦く苦しいものでも良いことなら受け入れないと改善しない。それがわかっているからこそ、良い医者ほど厳しい一面を持つ。

 例えば胃痛を起こしている患者に胃薬(大抵苦みがある)を飲ませなかったら、胃痛が治まらないばかりか胃炎から胃潰瘍に発展し病状が悪化してしまうだろう。下手したら入院、手術も必要になる場合もある。ならば胃薬の苦みを我慢しないといけない。

 このように解決を図ろうと思えば、何か他の苦しみと引き換えにしないと手に入らない。精神の患者にはどんな苦しみも受け入れたくない、苦労をしないで欲しいものを手に入れたいというダブルバインドやる人が非常に多い。でもそんな矛盾した都合のいいものは論理的に成立しないので、この世に永久に存在しないし、作り出せない。なので、必然的に選択肢は、

 A 厳しさを受け入れて自分を改め、目的を果たす
 B 楽を得る代わりに目的をあきらめ、取り残される

の二択になる。

 Cの楽しながら目的を果たし、しかも取り残されないは間違ってもない。人間は元来怠惰なもので、そんな甘い条件だと簡単に挫折するからだ。しかも知識も経験もスキルも不十分で、実践で役に立たない。だからこそ上手くいっている人ほど、あえて厳しさの方を選ぶのだ。

 結論、自分にとって優しいだけの言いなりになる医者を選んではいけない。厳しいことも言える医者こそ実績があるし、名医である。

2025年5月6日火曜日

権利=タダという意味ではない

 よく左翼的価値観を持っている人は、権利はただで手に入るもので、平等の観点からそうあるべきと主張する。大人としての良識を持つ成熟した人からしたら、あまりに単純で無責任で安易な思慮の浅い幼い考え方だというのがわかるのだが、左翼は学習とシミュレーション能力が弱いせいか権利の意味とそれが持つ責任がわからないようだ。

 そこでここでは、権利について詳しく説明する。


権利とは何か?


 大体、何かにつけ権利、権利と叫ぶくせに、権利の意味がわからないというのはおかしな話だ。明らかに自分の利害という一側面だけでしか捉えていないし、自分視点、つまり主観しか頭にないという点で人格形成における未成熟さを露わにしている。あまりに視野と見識が狭く、閉鎖的で利己的である。

 まず前提として、権利とは社会や人間関係の中でしか生まれない概念である。なぜなら自分一人の世界なら権利を主張する必要がないからで、自分や仲間の利害だけでは権利は成り立たない。異なる利害を持つその他大勢との兼ね合いや、社会全体の効率や採算など様々な調整が必要になるので、一人の人間や一つのグループのみの価値観だけで決めていいものでは決してない。

 さらに、権利という語彙上の意味としては、

①権勢と利益。
②【法】一定の利益を主張し、受けることを法律が一定の資格者に認めた力。
③ある事をしてよい、またはしなくてよいという資格。↔義務
(参照:旺文社国語辞典改定新版)

とある。


②【法】一定の利益を主張し、受けることを法律が一定の資格者に認めた力。


 まず重要なのが、②である。【法】とある通り、法律上の規定があるということだ。なので、これを踏み越える行為や主張はしてはならないことを意味する。

 さらに、一定という言葉が2回も使われている通り、無制限ではなく、制約や限度があるということが明記されている。

 そして資格者とある。つまり、社会との関係から誰でもいいというわけではなく、ちゃんと必要なルールを理解し、それに即した行動をとれると認められた人でないといけないと規定している。そしてルールを問われる際には責任をとれるかどうかも問われるので、自分の利害を求めるだけではだめで、伴って発生したトラブルに対して責任を果せるかどうかも義務付けている。


③ある事をしてよい、またはしなくてよいという資格。↔義務


 もう一つ考えなくてはならないのは、③の末尾にある「資格。↔義務」の部分である。↔の記号は対義語を表しているので、義務とは反対の意味を持つことを示している。

 ということは、義務と引き換えであることを意味しており、資格を喪失した場合は義務を果たさなくてはならない。

 つまり、

権利はタダではなくて、権利=ルール+責任⇔義務と引き換え


 である。


なぜ左翼は権利=タダと考えてしまうのか?


 ここで疑問になるのが、なぜ左翼は権利をタダで手に入れるものと考えてしまうかだ。そこで確認しないといけないのが、支持層だ。

 左翼の支持層は主に、障害者、不法滞在者、生活保護受給者、LGBTなどのいわゆるマイノリティとされている人々、その中でも特に極端な思考を持っている人が中心だ。この極端な考え方をする性質があるため、シングルフォーカスの特性が出てしまい自分の利害しか目が行かないという現象を引き起こしてしまう。

 さらにこれらの人々は、同時に精神疾患や神経発達の遅れ(いわゆる発達障害)を抱えていることも多いことが知られている。

 それゆえに考え方が幼く、年相応ではない(精神科において、発達障害者は実年齢に対し精神の成熟度が2/3~1/2程度と目している)ため、大人としての考え方やモラルが身についておらず、自己中心的な発言や行動、態度に出やすい。これは自他の境界線が大人になっても出来上がっていないのと、他者視点を持てないことによって他人の権利や利害を侵害していることに興味がなく、わからないからである。

 これによって他者との関わりがあって初めて成り立つルールやモラルというものにも関心も理解もなく、自分の利害しか目に入らないから、「権利=タダ」という世間一般の社会倫理から逸脱した思考を持ってしまう。

 彼らが手にするべきは権利ではなく、

 年相応の社会規範である


2025年5月3日土曜日

「経験が全て」は頭打ちになる

 世の中には他人のアドバイスを一切受け付けず、一向に我流や経験しか重んじない人がいる。好ましくない結果や損失を招いていても、頑なに方法を変えようとせず、さらに事態を悪化させてしまう。それは本人にとっても決して望ましいことではないはずなのに、それでも必死に我流を通そうとする。

 そんな態度では当然人が離れるから、どんどん協力や支援が得られなくなる。あまりの融通の利かなさに最後には孤立して、万事休するのがオチだ。

 大体、我流にしても経験にしても、様々な限界があることに本人は気づいていない、もしくはそれすら受け入れようとしない。なぜ経験のみに頼ると限界を迎えるのか?それによってどんな弊害が起こるのかを紹介する。

①時間がかかり、経験できることの数に限界がある

 当たり前のことだが、人間は永遠には生きられない。必ず寿命があるし、それどころか年を取ると体にガタが来るから、もっと早い段階でリタイアをせざるを得なくなる。20歳前後で社会へ出て、60代で引退するところを見ると、経験を積める期間は半世紀もない。

 しかも、経験して身をもって確認し、そこから何のためらいもなく自然にできるようになるまでには、かなりの時間と労力がかかる。これを毎回やっていたら、一生のうちにマスターできることなんて指折り数えきれるほどしかない。

②選択肢や手段が限られて、臨機応変にできなくなる

 ①の理由で、当然できることが少なくなってしまうので、いかなる場面でも自分が採れる選択肢や手段が限られてしまい、臨機応変に動けなくなる。そりゃそうだ、引き出しが少なすぎて、事態に相応しい解決手段を持っていないのだから。

 人生において常に必要となるのが臨機応変さなのだが、そのためには引き出しが多くないと対処する術を見つけることができないから、ゲームオーバーになってしまう。

③経験は所詮過去にしか基づいていないので、未経験の事態に対処できない

 経験というのは「過去」に自分が体験したことなので、経験を判断基準にするとなると、過去に自分が体験したことと同じ物事にしか対処できないということになる。

 ということは、未経験の事態に関しては手段を持たないから、何もできずに終わることを意味し、その結果損失を被ってしまう。

勉強をし、アドバイスを受け入れる器がある人が上手くいく

 実際に人と上手くやれたり、仕事で実績を残せたり、試験の成績がよかったりする人は、ちゃんと勉強して他人から知識を吸収しているし、アドバイスも素直に聞くから他人からの受けが良く贔屓してもらいやすい。

 さらに、回り道をしないで済むから効率が良く、早く大量にいろいろなことを身につけることができるから、選択肢が多くなって引き出しが増える。その結果、臨機応変さもおのずと出てくるし、できることも増えるから未来を狭めなくて済む。

 経験のみにしがみつかないで、他人の知恵を借りることがいかに人生で重要か、再考できたら未来が開けるだろう。

患者や当事者は所詮専門家ではないし、真実を言わない

 日本において、患者の家族だったり、福祉に関わる初心者だっただりする人が、話を伺う相手としてよく他の患者や家族を選ぶ。本人に聞くのが一番だろう、当事者が一番知っているはずだという考えからの選択だと思うが、ちょっと立ち止まって考えて欲しい。本当に本人だった詳しいのだろうか?果たして本当に、当事者は包み隠さず洗いざらい話しているだろうか?そこに矛盾はないだろうか?

患者や当事者も医者ではないから素人考え

 まず前提の話として、患者や当事者家族に専門知識はない。それは当然である。なぜならほとんどの人は、「専門医」の認定はおろか「医師免許」すら持っていないから。それゆえに彼らの考えは主観や感覚、憶測が中心で、的を射ない素人考えにしかならない。

 もっと言えば、自分は何がわかってないのかすら自分で解明できていないからこそ障害とされているわけだから、本人だってわかりませんと答えるか、当てずっぽうで答えるかにしかならない。ゆえに、こっちが欲しい適切な情報を提供することはできないので参考にならないどころか、間違ったことやデマを伝えられてしまう危険性のほうが圧倒的に高い。

 そもそも医学的な知識を踏まえているという確証はないし、それに納得できているかもわからないし、専門知識を学習するだけの能力を持っているとも限らない。つまり、地雷の要素が山ほどあるのだ。場合によっては、医者とは真逆のことを言う可能性もあるので、話を聞く相手としては適切ではない。

患者や当事者であるがゆえに利害がある

 この利害という点についても見逃せないだろう。医師であれば本人でも家族でもない第三者なので、自分の人生やメンツ、プライド、体裁に係わらないから、どんな知識や情報でも提供することに抵抗がない。

 しかし、こと患者や家族となれば話は別である。メンツ、プライド、体裁、利害に直接係わるので、自分の都合の悪いことは話さなかったり、嘘をついたり、話を逸らしたりする。人間には回避行動と言って自分が不利になる行為を避けようとする習性があるので、都合の悪いことまで素直に話す人は稀である。

 それゆえに患者や当事者、家族は、最も真実を語らない部類の人間といえる。彼らにとって真実を語るのは、危険極まりないことだからだ。

深刻な問題ほど綺麗事では語れない

 だが本当のところ、精神疾患や発達障害、知能のような複雑で深刻な問題については、綺麗事で語れないことのほうが圧倒的に多い。「個性」で片付くものでもないし、「みんな違って、みんないい」と言うならなんで生活や仕事に支障があるのかって話にもなる。もっと言うなら改善しないで生活できるなら、障害とは言わないし。

 そういう活動家や自助グループがよく使う聞こえのいい当たり障りのないキャッチフレーズは、問題から目を逸らすわ、具体性がなくて実際にどうしたらいいという問いの答えになってないし、気休めにしかならないしで、実用的ではない。障害者にも才能があるだの、できることを伸ばしていこうだの、というのもよくセリフだが、それだけで済むんだったらとっくに社会に溶け込んでいるはずだ。

 実際にはトラブルメーカーとなりうる部分が人よりも多いからこういう状態になっているわけで、そこをいかに制御するかも考えないと社会ではどうしてもやっていけない。歯の浮くことばかり言う人は心理的安全性を与えてくれるが、そういう人は相手にショックを与えまいとして耳の痛いことを言うのを避けるために、一番大事なことを教えてくれないので要注意である。

そもそも医学に関係することは医師と研究者にしか決定権がない

 そしてこれはそもそも論の話になるが、医学に関係する物事は医師にしか決定権がないということについても知っておかなくてはならない。というのも、医師法という法律があって、医師以外の人が断定することを固く禁じている。これは患者であってもそうで、だからこそ患者や当事者も勝手な憶測や医科学に乗っ取らない主観のみの物言いというのも推奨されない。

 特に障害受容ができていないと医師の判断に反したことを言うので、うっかり当事者の話だからといって聞いて信じてしまうとキケンである。

矛盾や論理の破綻がないかを疑うことが大事

 なので本当に情報が欲しいと思ったら、患者、当事者や家族に話を聞いてはならない。所詮素人だし、利害に応じて話を変えてしまったり、医師や研究者の指導に従っておらず勝手なことをやっている場合が多々あるからだ。

 さらにその話が真実かどうか見極めるには、綺麗事ばかり言っていないかと、矛盾や論理の破綻がないかで判断できる。つまり消去法で判断するのだ。なぜ消去法かというと、真実かどうかを判断するのは難しいからだ。高度な実験を伴うエビデンスが必要だったり、人間誰でも主観が混ざって完全に客観的な判断をくだすことができなかったりするからだ。

 これに対して、嘘や綺麗事、デマ、勘違いを見破るのは簡単である。相手の矛盾点や論理の破綻があれば証明できるからだ。

 患者や当事者から話を聞きたいというのは、自分の中の決めつけ、固定観念であるし、単なる自己満足でしかなく、本人のためではないということに気付かねばならない。

正しい知識は、免許を持っている人か科学者に聞くしかない

 結局のところ医学が関わる以上、余程のインテリでない限り、素人ごときが医学に即したまともな情報や知識を提供することはない。それは患者や当事者も例外ではなく、当人だからと言って正しいという証拠にはならない。

 むしろ障害であるがゆえ、利害が絡むゆえ、所詮素人であるがゆえ、医学に乗っ取らない間違った情報を伝える可能性のほうが大である。ちゃんと知識を得たいのなら、

 ①医師、研究者を頼ること
 ②患者や当事者の話を聞きたがるのは、自己満足であると心得ること
 ③情報に矛盾や論理の破綻がないか確認すること

を守ることが必須である。