2025年7月27日日曜日

みんながやらないほうを選ぶと、人生上手くいく

 どうも一般の人々というか日本の人々というか、みんなが選んでいるから自分も同じものを選ぶという人が多いと感じる。こういった事例をよく同調圧力とみなす人が多いが、この場合はそうではなくて同じものを選んだ方が安心できるという帰属バイアスから来ている。

 人間は孤立したり少数派だったりすると心細くなるので、本能的に多数派グループに所属したいという欲求に駆られる。そうすることで多くの人が選んでいるのだから大丈夫であろうという安心感を得たいのだ。それはテレビ朝日の芸能人格付チェックという番組で、出演者たちの反応を見ると明らかだ。

 しかし、社会というのは面白いもので、多くの人が好むものを選択すると失敗することが結構ある。例えば仕事終わりの居酒屋とか、気晴らしのパチンコとか、ストレス解消と称してのやけ食いとか、やる人はかなり多いがお財布にも、メンタルにも、健康にも悪いことこの上ないのは誰でもわかるはずだ。

 反対に少数派ではあるが勉強して資格を取って転職や昇進につなげたり、ストレスを運動で晴らせば筋力や体力がついて健康にいいし、仕事の能力もアップする。どちらが明るい未来を得られるか明白だろう。つまり大抵の場合は、みんながやらないことのほうが上手くいく可能性が高いのだ。

 投資なんかはこの傾向が顕著で、少数派ながらやっている人のほうが明らかに資産が増えるペースが早くて、生活に余裕が生まれ、精神的にもストレスを軽減させることができる。というのも、お金の心配は生き死にに直結するから人生において大きなウエイトを占めており、ここが取り除かれることによって悩みの半分は消えてなくなるからだ。しかも、お金に余裕があれば労働時間を減らすことだって可能になるので、無理な働き方をしなくて済むメリットもある。

 だが、ほとんどの人はやらない。投資=ギャンブルという先入観を疑おうとせず、怖いものとしているからだ。どうしても人間は、利益よりも損失のほうを心理的に大きく見積もる習性があって、これにより委縮してリスクを取れなくなってしまう。だから、まだお金が減る危険性がない貯金のほうが最善という間違った判断をしてしまう。貯金では物価上昇に対応できないのに。

 それは知ってはいるけど、どうしても目先の憂さ晴らしやリスクのないほうにお金も時間も使ってしまうという人が多いだろう。だが、多くの人が採る選択には今の安心や憂さ晴らしには効果があっても、将来の利益にはつながらない。大切なのは将来困らないようにすることなので、そのためにはみんなと同じ道ではなく、違う選択をするようにしないと叶わない。そのために、みんなと違う道=明るい未来ということを心得るのがよい。




2025年7月26日土曜日

上手くいかないひとの共通点は、「一方的」であること

 何をやっても上手くいかないという人はしばしばいる。もちろん人生は上手くいかないことの連続ですべて順調なんて人は全くいないから、どんなに成功者であったとしても(むしろそんな人こそ)困難にあえいでいる時期を持っている。なので、厳密にはどんな人も上手くいっていないところがあるものだ。

 ただここ近年、特に精神や対人関係の問題を持っている人、生活困窮者、左派活動家など、しきりに何をやっても上手くいかないと悲観する人をしばしば目にするようになってきた。なぜこの手に人々は上手くいかなくなるのだろうか?

 それは、アプローチの仕方が・・・

 「一方的」

だから。

 この世の中はギブアンドテイク、日本的な言い方だとお互い様、近年の言い方だと返報性の定理ともいうが、要はあげたりもらったり、聞いたり話したり、理解したり教えたりと、相互通行で社会は成り立っている。

 しかし、上手くいかないという人はこの相互関係を理解せず、自分にとって美味しいことにしか目がいってなかったり、言葉のキャッチボールをせず一方的に話してばかりで会話が成り立たなかったりする。そんな人の相手をさせられたら、周りの良識ある人々はさぞかしうんざりするだろう。

 うんざりさせられた人からしたら二度と優しくしたくないと思うだろうし、何か差し上げようという気持ちにならないものだ。だから交友関係を切られてしまうし、金銭の融通もしてもらえなくなる。

 そう、なんでも一方的な思考とアプローチをするから上手くいかないのだ。


実際に起こりうるシチュエーション


 とはいえ自分はそんなんじゃない、自分は当てはまらないと言って否定してしまう人や、それって実際にはどういう行為のことなのかわからないという人も多いことだろう。そこで実例を挙げて、具体的にこういう行為が該当するというの提示する。自分が普段やっていないかどうか確認しよう。


 ① 相手に要求する時

 複数の人間がいる時に何か要求するシーンがあるだろう。家族や極親しい友人関係なら、ただやってと要求だけしても程々なら問題にならない(度が過ぎればさすがに嫌がられるが)。そこには暗黙の了解として無礼講があるからだ。

 しかし、そこから関係が遠のくと、この無礼講がなくなってくる。職場や社会なんてその最たるものだ。そういったパブリックな関係で一方的に要求するのは、タブーにしかならない。なぜなら、不特定多数の利害が絡むので、自分一人の要求だけを一方的に要求するのは、相手や不特定多数にとって不利益や不公平を生むからだ。

 それどころか一方的に要求するというのは、相手から不躾な印象を受けるので無礼と思われてしまう。こうなると相手から「常識のないヤツ」「社会のルールを知らない、非常識なヤツ」という評価を受けてしまい、拒否されて、要求は通らなくなってしまう。


 ② 話をする時

 話をする時に、気持ちや悩み、思っていることを一方的に話してばかりで、相手にはしゃべる機会をなかなか与えないというのも、社会的には煙たがられる。相手にだって言い分はあるだろうに、その機会がなくなったら言葉のキャッチボールにならないので、誰だって不満が溜まる。

 野球に例えると、3アウトになっても攻守交替せずバッターボックスに立ち続けたり、一回表の攻撃を終えてそそくさと帰ってしまったりするようなもので、社会一般からしたら明らかなルール違反でいい気しない。


 ③ 意見の対立があった時

 人間同士のことなので、時には意見の対立が起こることがある。すると、自分の意見を聞いてもらいたいと思うあまり相手に寛容さを求める。その一方で相手の意見には耳を傾けず全否定する。

 これは自分の意見しか認めないということを示しており、ギブアンドテイクが成り立っておらず不公平である。当然周囲から反感を招くのは当然で、全員を敵に回しかえって自分の意見が通らなくなる状況を自ら作っていることになる。


 ④ お金に困った時

 お金がなくて困る場合もある。その際に他人からお金をもらうばかりでは、相手はうんざりして関係を断ち切らざるをえなくなる。相手からしたら自分が使ったわけではないのに、出費がかさむからだ。もっといえば、相手からしたら金づる扱いされており不当に扱われていると感じるので、腹が立ってくる。

 これは公的なお金であってもそうで、公費を工面しているのも人なので、そこにすがり続けられたら一般の人々のお財布にも影響するので、顔をしかめたくもなるものだ。

少しでも上手くなるためのアプローチ

 では、どうしたらこの一方的なアプローチを止めて、人生を好転させられるのだろうか?これを解決する方法がない限り、上手くいかない状況を脱することができない。その解決法を列挙するのでチャレンジすることをおススメする。


 ① 要求を飲ませたいなら、交換条件にする

 自分の要求だけを飲ませることは相手にとって損失にしかならないので、全体に受け入れてもらえない。ギブアンドテイクにしてお互いに関係が±0もしくはイーブンにならないと、なかなか通らない。

 なので交換条件を提示することで、イーブンの条件になるように調整しなくてはならない。ある程度自分が妥協しなければならない場合も出てくるが、それは相手も同じなので受け入れないといけないし、これをしないと永久に自分の要求が実現しない。


 ② 相手に質問し、聞くだけは聞く

 人の話を聞かないというのは内容の如何にかかわらず、そもそも好ましい態度ではないのでやってはならない。社会では相互関係が成り立たないと不満に感じるものだし、自分だけ話をするのは相手の話す機会を奪うから怒らせる原因になる。

 そこで重要になってくるのが質問だ。これは相手に話す機会を与えるので、不満解消になる。その際に、選り好みをせず話だけは聞くことが大切だ。気に入らない内容だからと聞くのを拒否するのは、態度が表に出てしまっていて相手にバレてしまうから関係もメンタルも悪化する。聞くだけ聞いて、納得できないなら心の中で保留にするか捨てるかすればいいのだ。


 ③ 少しずつ自分でできることを増やしていく

 いつも他人をあてにしていたら常に依存することになるから、相手の負担が増えるばかりになるので、いつかは堪忍袋の緒が切れて縁を切られてしまう。そうならないために自分でできることを増やさなくてはならない。

 さらにできることが増えれば自分が助ける側へ回ることもできるので、ギブアンドテイクが成り立ってイーブンな関係を築くことができる。そうするとお互いに持ちつ持たれつを維持することも可能になるので、人間関係も良好になる。





2025年7月22日火曜日

いくら批判しても、代替策がなければ見殺しにするだけ

 参議院議員選挙があったので、それにちなんだ論評をしようかと。

 こういう政治にまつわる話題となると、批判合戦になることがしばしば見られる。批判は問題の洗い出しになるので、論点の提供という役目はある。

 しかしだ。

 批判の応酬をしているだけでは解決には繋がらないので、全く生産的ではないし、いつまでたっても問題は解決しない。加えて、批判をしている最中というのは、自分の中で正義感に浸っているので快楽を感じている。それだけに、批判をしているだけで何か成し遂げたかのような快感を得てしまって、何も成し得ていないのに満足してしまう。

 なので、批判ばかりしていてはダメで、代替策を講じなければならない。

 が!

 批判にばかり終始していて、代替策を持ち合わせていない人がいかに多いことか。特に左派・リベラル層はこの傾向が出やすい。


右派は解決策を出しやすい


 右派は実力成果主義、現実主義、小さな政府、身の丈に合った行政など、コンパクトと妥協を容認するから立案の難易度が低い。それゆえ、厳しく冷徹ではあるものの代替策を提示しやすいし、実効性も高くなりやすい。

 そしてなぜこの判断になるのかというと、いつまでも理想を追い求めていると話がまとまらず、合意に至れず、永久に実行に踏み切ることができないからだ。その結果として成果を出せないこと知っているので、枝葉末節はあきらめてぱっぱと決断し、結果にコミットすることが重要だと考えているからだ。

 さらにアドラーではないが、右派は嫌われる勇気を持たないとこういった決断ができないことも、よく心得ている。それは全ての人が満足する玉虫色の解決策などないことを、重々理解しているからだ。


左派が解決策を出せない理由


 これに対し左派・リベラルは全く逆だ。利益の等配分、理想主義、大きな政府、採算度外視を標榜している。これらすべてに当てはなるのが、社会的矛盾や両立不可能なことをはらんでいたり、非現実的なことを求めていたりすることだ。

 特に理想というのは際限がなく、求め始めると無限に膨らんでいく。しかし現実的には、資源にしても、人材にしても、資金にしても限りがあり、無限に理想を叶えることは不可能である。よって絶対に妥協をせざるをえなくなるのだが、それは理想の世界ではなくなるため、左派にとっては敗北でしかない。だから妥協もできないジレンマにおちいって堂々巡りになり、解決策を見出すことができなくなる。

 だから左派は常に解決策を提示することができず、そこを突っ込まれるのを避けるためにただただ理想と人道への訴求に逃げてしまう。


解決策を出せない者は、結果的に全員を見殺しにする


 そしてこの左派が解決策を見出せないことの最大の問題点は、事態が進展しないことで多くの人を見殺しにすることだ。策がないということは何もしないということになるので、「全員」を見殺しにせざるをえなくなる。結果として最も被害者を増やすことにつながるので、最大の加害者になってしまう。なので左派は社会に貢献することはなく、むしろ被害を拡大するしかなくなるので世の中にとって不利益でしかない。

 理想論では世の中の問題を絶対に解決できないことを、よく肝に銘じることだ。




2025年7月19日土曜日

今月に入って増々資産の増加率が上がっている

 ここ数カ月メンタリティの記事ばかり書いているので、時にはお金の話でもしようかと。

 私の場合、インデックス投資と純金積立を組み合わせて運用しているのだが、今月に入って有動資産の増加のペースが早まっている。今月中ごろに、アメリカのトランプ大統領が再び関税を20~25%かけると言ってディールを迫っていたが、前回の時と違って市場があまり反応を示さず、通常の株価上昇を続けている。

 それどころか、私の保有している銘柄の内いくつかは過去最高値を更新しており、頭打ちになる気配があまり見受けられない。お陰で最近は成績好調で私の総資産額も過去最高を更新しており、大台も見えてきた。それはそれは嬉しい限りだが、買い時がなかなか訪れないのでじれったい気分でもある。

 とはいえ、トランプ大統領のことだから唐突に何かを仕掛けて、株価を乱高下させる恐れはあるので、その時に仕込みができるように備えたいものだ。そのため、買い付け余力を確保すべく少ないながら資金調達をしておいた。

 さあ、トランプ大統領!いつでも来い!

2025年7月18日金曜日

二兎を追う者は一兎をも得ず(理想がいつも叶わないという人)

 精神疾患を抱えている人や社会運動に勤しんでいる人、左よりの考え方の人は特にそうだが、いつも何やっても上手くいかないということをよく言う人がいる。やってみたけど挫折したとか、手や首が回らなくなって止めてしまったとか、仲間とケンカして出ていかざるをえなかったとかよくある話だ。酷いとそもそも優柔不断によって、決断行動すらしてないというのも珍しくない。

 ではなぜこの人達は、いつも上手くいかなくなってしまうのだろうか?この手の人達に共通するのは、

「ダブルバインド」

である。つまり、ことわざでいうところの「二兎追うものは一兎をも得ず」を、やってしまっているのだ。

 さらに問題なのが、このことに本人が全く気づいていないことだ。そこでここでは具体的な事例を挙げて、それはどういう状況のことを指しているのか解説する。


① 理想の条件が多すぎる


 これはよくありがちのケースだ。特に結婚相談所とか就職活動とかで発生しやすい。

 結婚相談所だったら、若く、高身長、高学歴、高収入、イケメン、地位の高い職業などなど、欲張って条件をつける人ほど成婚率が低いというのは、業界では典型的な失敗事例として指摘される。就職活動だったら、上場企業(できればプライム市場)、高基本給、フレックスタイム残業なし、リモートワークOK、希望職種、雑用下積みなし、転勤出張なしなんて求めていては、むしろ企業のほうからお断りされることだろう。

 なぜこれが上手くいかないかというと、条件が多すぎて合致するものが少なくなってしまうのと、仮に見つかっても好条件すぎるので他者との取り合いになったり、相手の審美眼が厳しくなって受かる確率が低くなってしまったりするからだ。

 なので、いくつか条件をあきらめない限り、永遠に結果には結びつかない。


② 絶対的な理想を掲げている


 この失敗をやりがちなのは、メンタルに問題を抱えている人々や社会活動家に多いように思う。

 例えば、絶対に傷つかない社会とか、全ての不安材料がない世の中とか、完全に納得して満足することとか、いい大人だったらそんなのあるわけないと思うことだろう。むしろそういった葛藤が人間として成長させたり、将来に備えて計画を立てたり、行動意欲につながったりと、いい方向へ向けるきっかけとなることを知っているに違いない。


③ 両立しない相反する複数の願望を抱いている


 これが厳密な意味でのダブルバインドの状態だ。二つ以上の願望があって、それが反比例していたり、両立不可能だったりして、両方とも叶えることがどうあがいてもできない状況にあるケースだ。

 例えば、保険料の納付額の減少と保険適用疾患の拡大とかは、無理なのをわかるだろうか?保険組合からしたら収入を減らされた上で出費を増やされるから、収支が悪化することになるからだ。

 減税+福祉の充実とかもそうだ。福祉というのはとかくお金がかかるものだし、それにもかかわらずお金をまず生まないので出費がかさむ。そこへきて減税をしたらさらに収入が減るので、財政は破綻せざるをえなくなる。

 こういった願望は矛盾を含んでいるため、絶対に叶うことはない。


ではどうすればいいか?


 では上手く成し遂げるためには、我々はどうしたらいいのだろうか?そのために必要な要素は・・・

「選択と集中」

である。全部を条件に加えていては永遠に何も得られないので、ターゲットを一つに絞らなければならない。

 先の結婚相手の条件でいえば、将来の生活が不安と言うなら収入は外せないので、それ以外の条件を切り捨てる決断をすれば、成功確率は格段にアップする。福祉の拡充を望むなら増税を受け入れる、社会保険料を納付するために就職するなどして切り替えれば達成できる。

 何度も言うが、両立しないものはいくら求めても叶えるのは永久的かつ論理的に不可能なので、ただの無駄足にしかならない。これは根性論ややる気の話ではなく、現実論の話だ。命には限りがあり、時間は有限なので、不可能なことに割く時間ほど勿体ないものはない。そんなことをばかリやっているから、いつも何も叶わないという結果に終わるのだ。

 そんな自分でいたくなければ、選択と集中、そして決断を今すぐにでもしなくてはならない。




2025年7月5日土曜日

読まなくてもわかるという人

 「トランスジェンダーになりたい少女たち」という本でもそうだったが、左翼や活動家、LGBT界隈が出版差し止めせんとして暴力的、威圧的、破壊的な悪しき行動をとることがしばしばある。

 その際、出版賛成派から筋を通させるためにまず読むことを求められると、「読まなくてもわかる」というお前は神様か!?と言いたくなるような返しをすることが多々ある。傍から聞いていて非常に見苦しいのだが、そんなことを本人は全く意に介さず、周囲の冷ややかな目や冷笑も視界に入らないくらい否定することに必死だ。

 そんな滑稽なことをどうしてしてしまうのか?この者たちの心理はどうなっているのか?今回はこれをテーマに考察する。


否定的な先入観と強烈な恐れ


 まず読まないという選択をしている時点で、強烈に否定的な先入観を持っているとわかる。肯定的な先入観を持っている場合は積極的に読むし、中立的な考えだったら気分次第の判断になるのでそこまで強く拒絶はしない。

 例え否定的な先入観を持ったとしても、不安に思う程度であれば筋を通すほうのが礼儀にかなうし、読まない限り真偽を語る資格はないので、読む選択をするだろう。そうまでして頑なに読みたくないということは、つまり強烈に否定的な先入観を持っているということに他ならないのだ。

 ではなぜ彼らはそのような先入観を抱くのだろうか?それはその背後に、強い

「恐怖心」

があるからだ。読んだら自分にとって良からぬことが起きると思っている。それもただ良くないというレベルではなく、自分が崩壊するくらいに思っているのだ。

 では実際に彼らはこの時、どんなことを想像しているのだろうか?可能性があるものを列挙する。


① 自分の主義主張の論破


 彼らが恐れるものの一つに、自分が信じてすがっている主義主張が論破されることが挙げられる。彼らにとって主義主張は唯一の生存戦術でもあるので(戦略ではないのがポイント)、これを論破されると打つ手がなくなると思っていること(本当はいくらでも戦術はあるのだが)から、強い否定を抱くことが考えられる。


② 悪態の暴露


 打つ手が少ないと思っている人間が何かを手にせんと思うと、よりブラックな手段への誘惑に負けてしまい、禁じ手を侵してしまいやすくなる。それが時に暴露本として不特定多数へ公開され、白日の下にさらされる危険性がある。当然それは責任問題になるため、必死に隠ぺいを図るだろう。

 さらに自分が犯した罪を再確認させられるから、決して心中穏やかではいられず、目を背けるべく見ないでおこうと拒否をする。


③ 受け入れられない結末


 現実というのは必ずしも自分に都合のいいようにはできていないし、他人も自分の都合に合わせて動いてはくれはしない。そのため現実の世界では、自分の思惑とは反対の結末や結論になることが多々ある。彼らにとってそれは望まないものであるため、直視したくないという衝動に駆られる。


こうならないためには


 行為いう事態になると閉塞感から人生や生活に行き詰ってしまうし、下手すると無敵の人にもなりかねないため、軌道修正しなくてはならない。では具体的に何をしたら良いのだろうか?


① 複数の術を身につけておく


 彼らはとかく一つの物事にこだわる習性がある。しかしそれでは、殊近年の変化の激しい社会の中ですぐに不適応を起こして、渡っていけなくなる。そうなれば窮鼠猫を嚙むの如く無敵の人にならざるをえなくなり、人生を一生棒に振ることにもなりかねない。

 そのため人生の保険として、複数の生きる術を持つことが自分にとって助けとなる。というのも、もしプランAが論破されたとしてもプランBを持っていたら切り替えることができるので回避できる。そうすればプランAにしがみつく必要がないので執着を手放せるし、争いごとにも発展しない。すると精神面でも余裕が出てくるので、どんな内容であってもただの一例として受け止められるようになる。


② 結果的に悪態が減少し、怯えることが減る


 ①を実践し余裕が出てくると、悪態をつく必要がなくなるので自然と素行改善へと向かう。そうなると暴露されたら困ることが減っていくので、自分の中の恐怖の種がなくなり、いちいち怯えなくて済むようになる。

 そうなると嫌われ者でなくなるので強がる必要もなくなり、段々と良好な人間関係を築けるようになるし、敵味方の判断をしなくて済むようになる。それがさらなる平穏を与え、本に対しても恐怖心や敵愾心を抱かなくていいようになる。


まとめ


 まあ、彼らにとっては自分を変えるという行為自体に抵抗感を強烈に持つので、この第一歩を踏み出すことがそもそも難しいといいかねないだろう。しかし、変わることを拒否し続けても今の状態をさらに悪化させるだけなので、決していい手立てではない。

 自分を変えるというのは敗北でも隷属でもなく自分自身の進歩と成長だし、早ければ早いほどその効果は計り知れない。強烈に否定的な先入観を抱く癖を持ち続け、常に恐怖心にさいなまれる人生を止めたくはないのか?




2025年7月2日水曜日

収入アップを望みながら給与以外の方法を選ばない日本人

 ここ近年、物価上昇や社会保障費の増加などによって、手取り額や貯蓄の減少の話が持ちきりである。これにより収入アップを図らなければ家計が立ち行かなくなるので、給与のベースアップの話が出てくるのは当然だろう。

 しかし!不思議なのは、収入減を複数持つとか、ポジションアップによって役員報酬をもらうとか、運用して複利の力で増やすとかを考える人は稀だ。これらの施策でも収入は増えるのに、実行しようという人はとんと見ない。お金がない、生活が厳しいと言いながら、結局今までと同じことを繰り返している。

 正直、今現在私も給与のみだったら収入は最下層並みだ。しかし、副業によって不労収入を作ったおかげで副収入を得られているし、そこで余ったお金をインデックス投資と純金積立に回しているので、複利までついてより資産増加に拍車がかかっている。しかも、仕組化しているのでまず失敗には至らない。この方策は根気はいるかもしれないが、一個一個の労力は小さなものでそんなにハードルは高くない。

 それでもやらないというのは、人生無駄にしていると感じる。恐らくは一応は困っているものの、緊急性を感じるほど切迫感がないのだろう。

 そもそも人間は、目の前の小事より遠くの大事のほうを小さく見積もる心理的習性がある。しかも習性なので無意識に働いているから、自分ではなかなか気づけない。ここに気づける力がつけば遠くの大事に目が行くようになり、危機感を感じて重い腰を上げるきっかけになるかもしれない。

 それともう一つ最近の人々を見て思うのが、フロンティア精神やハングリー精神を持っている人をあまり見なくなった。その結果、現状のままで何とかならないかと頭が固くなっているようにも見える。一定の経済の頂点を迎え、社会サービスも充実させてきた結果、自分が頑張らなくても誰かに肩代わりさせられる社会ができてしまった。そうなればおんぶにだっこができてしまうし、そこそこの生活が保障されている以上失うものもできてしまうので、自分で冒険するのはリスクに感じるだろう。

 とはいえ今のままでは生活は成り立たないのは確かだ。その殻を破って新しい試みをしない限り、収入は増えない。もう給与のみに頼る時代ではないのだ。




2025年7月1日火曜日

上手くいかないのは運がないのではなく、自分から運を手放しているから

 成功者のほとんどは運がよかったからとか、精神疾患にかかったのは運の悪さが重なったからとか、運を論拠にする言説がここのところよく目にする。親ガチャ、遺伝ガチャ、環境ガチャなんかもこの類に入るだろう。

 だが正直、なんでも運のせいにするのは卑屈すぎるし、なんでも運で決まってしまうと考えるのは希望が無さすぎる。それに全く自分の意思が関わっていないかというと、そんなことはないので全て運で決まるとはいえない。

 なら運を掴む人と運を掴めない人では、何が違うのだろうか?


実は多くの人にチャンスは訪れている


 まず9割方の人が気づいていないのが、意外とチャンスは巡ってきているということだ。転職サイトに登録するのもそうだし、自分の市場価値を高めるために資格を取るのもそうだ。入学試験を受けること自体特に制限はないし、副業やネットビジネスもいつでも始めることができる。

 私は投資をやっているのでこれを例に出すが、投資なんかもIT化が進んだおかげで口座開設は24時間365日できるようになったし、いちいち証券会社の窓口へ行かなくても自分の端末から売買できるようになった。30年前、40年前と比べたら、相当ハードルが低くなった。
それに加えて今現在、政府の政策としてNISAやiDeCoの税制優遇制度も誕生したので、より利益率が高くなっている。

 他にも現在リスキリングを後押しする政策を推し進めていて、その支援を受けることができるので、スキルアップしたり、新たなスキルを身につけたりするには格好の機会だ。そしてそのスキルによって、よりハイクラスへの転職も可能になるだろう。


9割の人は目の前のチャンスをスルーしている


 だが残念なことに、これらのチャンスが目の前にありながら、9割の人はこれをスルーしている。それも1回だけでなく、”何度も”だ。成功者や経験者からしたら目に見えてチャンスだとわかることでも、9割の人はいとも簡単にスルーしてしまう。なんともったいないことだろう。

 ではなぜ9割の人は、チャンスを逃してばかりいるのだろう?


① 関心がなく、気付いていない


 そもそもの話、チャンスに気付いていないと運をつかみようがない。そのためには普段から関心を持ち、アンテナを張っておく必要がある。

 が、多くの人は自分には関係ない別の世界の話だと思っていて、最初から関わろうとしない。これではせっかくチャンスが巡ってきても、気付かずにスルーしてしまう。


② 知識や知恵がない


 せっかくチャンスが巡ってきて、気付いていても逃してしまうケースもあるだろう。その一つとして、知識や知恵がないケースだ。

 例えば株式投資をするにあたって、資金がないからできないという人が結構いる。そこでミニ株の取り扱いがある証券会社を知っていれば、小額からでも始めることができるだろう。これは知識不足からくる運を逃す典型例だ。


③ 勇気がない


 これもよくありがちなパターンだ。確かに何かを新たに始めるのは、恐怖心が湧くものだ。失敗して損失を被るリスクがあるし、そうでなかったとしても先の展開が読めないので不安感に襲われるというのもある。その結果優柔不断になり、決断を先送りをしてしまうのはよくあることだ。

 しかし世の中は諸行無常であり常に進み続けているので、怖いからといって現状に留まっていると、どんどん取り残されてしまう。


 こうやって多くの人が自ら運を手放していることがわかるだろう。成功者が上手くいった理由は運である一面があるかもしれないが、それはその運を自ら掴みに行ったというところが大きい。反対に上手くいっていない人は、そもそも運を掴もうと第一歩を踏み出すことすらしていないのが本当ではなかろうか。

 ビジネスの成功者にフットワークが軽い人が多いのは正にこれが理由で、1回あたりの確率が低くてもそのフットワークを使って試技を増やすことで、数打ちゃ当たる戦法をやっているのだ。

 つまり自らやらないという選択をすることが、運を逃している一番の理由なのだ。