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2023年3月17日金曜日

世界遺産検定・2級と3級の違い

 最近私は世界遺産検定2級の試験を受けた。数年前に試しに3級と4級の試験を受けて合格したのだけれど、手前味噌ながらかなり高得点が取れたので、もしかしたら2級も取れるのではないかと思い今回挑戦した。

 正直、難しいかどうかは言及したくない。それは細かなことまで勉強していれば、どんな試験であっても合格できるものだからだ。それに難しいと言ってしまえば、自分の勉強不足の言い訳になってしまう。

 なので今回は難易度という観点ではなく、フラットな視点で前回との違いを見ていきたい。

英語の文章題

 まず大きく違ったのは、英文の問題が出題されたこと。私が3級、4級の試験を受けた時は全く出題されなかったが、今回や直近の過去問題集でも一問出題されている。世界遺産検定のHPを見たら2級に限らず、3級、4級でも出題されるようなので、これは級による違いではなく、ここ近年の傾向らしい。性質上、観光運輸産業との関連が強いため、検定保有者は外国人観光客と話す機会は多い。それを見越しての出題だろう。

 出題のし方としては、英語で書かれた説明文から当てはまる世界遺産の物件を選ぶ設問か、空欄に当てはまる英単語を選ぶ設問だ。実際のところ、英文自体が読めなくても固有名詞や数詞が入っていれば、それに該当する物件は自ずと特定できるので、正解を導き出すのはそれほど難しくない。

登録基準の番号と内容

 2級になって出題されるようになった顕著なものが、登録基準だ。屋久島は何番の登録基準が適用されているかとか、姫路城はこの番号の登録基準が適用されているが、その内容とは何かといった設問だ。どういった価値が評価され、それがどの番号の基準に当てはまるのかというところまで知っていないと、なかなか解けない。3級までなら時代背景や大まかな性質だけで対処できたが、2級になるとそこまで具体的になるので、より細かいところまで知っておく必要がある。

外国の物件からの出題範囲が拡大

 基本的に日本の世界遺産は指折り数えられるほどしかないので、出題範囲は変わらない。問題は海外の物件からの出題が増えるということだ。3級なら100件なのだが、2級になると一気に300件まで拡大する。その中には日本人には馴染みの薄い物件も大量に含まれる。

 ヨーロッパだとギリシャ・ローマ文明の遺跡やキリスト教の教会群が多いし、近年だと産業革命遺産の登録数も多い。中東・中央アジア・北アフリカだとイスラム教やキャラバンの主教施設や古代文明の都市遺跡が多い。アフリカ中南部は自然遺産、南アジアと東南アジアは仏教遺跡とインド諸王朝の建築がメインとなろう。東アジアは中国の史跡と景勝地が選ばれがちなので、ターゲットは絞りやすい。南北アメリカの自然遺産は氷河が関係する山岳地帯が多く、文化遺産はアステカ、マヤ、インカが主だ。特にマヤ遺跡の登録件数は多い。

 そしてこれらの物件は各々特徴が共通しているので、数珠繋ぎ式に覚えると簡単だし、あとは個別の特徴をつぎ足しつぎ足しで学べば、広くカバーできるので点を取りやすいだろう。

世界遺産の創設に至るまでの経緯

 3級までだったら、エジプトのナイル川にアスワンハイダム建設に伴う、ヌビア遺跡の水没がきっかけとなったことと、これによりアブシンベル神殿の移設工事や保護の活動くらいを覚えていれば解ける。

 しかし、2級となると第2次世界大戦で教訓や戦時における文化財の保護の在り方などにまつわる条約も出題される。さらに、これによって組織された団体やその後締結された条約なども出題される。加えてそれぞれの年代順も把握しておかないと解けない。

日本の世界遺産は登録までの経緯も出題

 日本の世界遺産は2023年現在文化遺産が20件、自然遺産が5件ある。裏を返せば25件しかない。なので、特徴や評価基準だけではネタが尽きてしまう。なので、登録までのすったもんだも出題される。例えば、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産では一度登録延期勧告を受けたことで、諮問機関であるICOMOSとアドバイザー契約を結び登録名とコンセプトの変更を行ったことが出題されたことがある。

人類の進化の痕跡

 ここ近年出題されることが多いのが、人類の化石の出土地域だ。アウストラロピテクスやジャワ原人などの遺跡について触れられることがあるので、頭の片隅には置いておきたい。


 以上のようにかなり専門性の高い出題が多くなることがわかる。ただ、文化遺産に関しては歴史と時代背景と地域性をセットにして覚えれば、複数の物件をまとめて覚えられる。自然遺産は地形・資質系か生物学系かに大別できるので、その分類をした上で特徴を学べば整理しやすいだろう。



2023年3月16日木曜日

差別に関する被害者側の問題点

 ここのところ差別について度々取り沙汰されている。人種、宗教、部落、民族、ジェンダー、学歴、所得、地位、地方などそれは多種多様だ。正直多様過ぎて、こんなの全部守れる人などいないだろうし、故に全部無くせというのも無理な押し付けになるので、違うと思う。なので、いつまでも各々ポジションだけ見て要求するのは大人げないし、ある程度は不都合も分かち合わないと社会としてまとまらないと思う。

 ただ残念なことに、差別反対と唱える人の中には人の言うことに過剰に反応して、あれもダメ、これもダメと指摘し続ける人がいる。それどころか、誰も気にしてないのに差別されたと訴えたり、赤の他人の話なのに自分に向けられたと非難したりする人もいる。究極は私が差別と言ったら差別と、常軌を逸した発言をする者までいた。あまりにも主観的で、それだと何でもありの言ったもの勝ちになってしまい、倫理のかけらもないし、もはや法治国家ではなくなってしまう。

 この異常な被差別意識の裏には、何があるのだろうか?

差別の基準

 そもそも同じセリフを聞いたとしても、腹を立てる人もいれば、そうでない人もいる。なので差別されたと訴える人もいれば、冷静にやり過ごす人もいるということになる。大体、他人の心を100%読み取ることは誰にも不可能だから、発言者がどういった真意で言ったかはわからないし、それを確かめる方法もない。ゆえに差別したのかどうかなど、神様でない限り誰にも判断できないはずだ。

 つまり、誰が見ても差別だと言い切れるものはないと言え、聞き手の主観次第であるということだ。ということは、多くの場合聞き手が差別と思うか思わないかが決め手なので、聞き手であっても差別と思わない人がいることを考えると、一概に発言者の問題ではないことになる。

差別の本来の原因

 上記のことから差別の本来の原因は、受け手のほうにあることがわかる。では何が被差別意識の原因なのだろうか。それは、自分の中に触れられたくない部分があるからだ。もっと言えば、普段から自分の恥と思っている部分、疑心暗鬼になっている部分と、相手の発言内容のジャンルが被っていて、反射的に防衛機制が働いているからではないだろうか。

 つまり、発言は怒りを爆発させるトリガーで、根本の起爆剤は自分に対して羞恥心や疑心暗鬼の感情などがあり、自己肯定感を持っていないということだ。そして、そこを自分が一番見たくない触れたくないと思っていてるからこそ、過剰に反応している。

自己肯定感が無い人は他人基準

 ところで自己肯定感を持っている人にとって、基準はあくまで自分にあると思っている。生きてさえいればこの世に肉体はあり続けるのだから、それだけで自分は存在しうると思っている。実際に他人が「同性愛者は嫌いなんだ」と言ったとしても、自分自身が消えて無くなるわけではないから、自己肯定感を持っている人なら怒りを持たない。何より自分が同性愛者であっても恥ずかしいと思っていないから、「まあ、そういう思考の人もいるよね」と思うだけのことだ。

 しかし自己肯定感が無い人は自分の存在に不安感があるので、他人の評価や態度に基準を置いている。なので、他人の一挙手一投足が気になって仕方なくなる。だから他人がヨイショしてくれることを望むし、相手から拒否されたり図星を突かれたりすると、「あの人がこう言ったからムカつく」「この人がこんなことしたから許せない」といって、ヒステリックに怒りだす。場合によっては、文脈的に拒否されてなくても、特定のワードを聞いただけで反応してしまう。こうやって些細なことでも過剰に反応してしまうのだ。

自己肯定感が無い人のパターン

 では実際、自己肯定感が無い人がどういった行動パターンを取ることが多いのだろうか?

周囲にいるのはイエスマン
 自己肯定感が無い人は自分の周りにイエスマンしか置かない。自分の弱いところを突かれるのではという不安がいつも付きまとうので、怖くて仕方がないから、肯定意見しか言わない人としか付き合えない。こうやって私みたいに深層心理を深堀りし本当の自分を暴こうとする人や、自分の考えと異なっていたり間違いを指摘したりする人を遠ざけようとする。

間違いを認めない
 間違いを認めてしまうと、今までの自分さえも否定する癖が付いているので、本人にとっては決してできない。相手は間違った事柄のみを指摘しているのだが、自己肯定感が無い人は、全てにおいて「指摘=否定=自分」という図式を当てはめるので、耐えられない事態になってしまう。

0↔100思考・完璧主義
 精神が不安定な人に多い思考パターンだが、自己肯定感が無い人にもあてはまる。大抵の人は60%とか70%の及第点がとれていれば、まずまず良かったととらえるのだが、自己肯定感が無い人は取れてない部分があるからと悲観的な評価を下す。なので、一つでも上手くいかなかったことがあると、全て投げ出してしまうことが多い。

譲歩できない
 さらに問題なのが、人間関係でも完璧主義をやってしまうことだ。自分の願望が100%叶わないと気が済まないので、相手に譲歩したり妥協したりができない。結果50%50%の関係がわからず、損をしたくないからと100%自分の取り分として要求してしまう。

 しかも、願望を叶えることに盲目的になっているから周囲のことが眼中に無く、相手の取り分が0%でになっていることにも気付かないし、そのせいで相手が悲しんでいることにも気付かない。それどころかこれを指摘すると、自分の取り分を奪う酷いヤツといって罵ってくる。

シングルフォーカス
 もう一つ特徴的なのが、このシングルフォーカスだ。物事を個別に捉えてばかりで、全体を見ようとしない習性だ。例えば、相手が自分にないもを持っていたとして、それが欲しいからねだる。別の人がまだ他にないもを持っていたらねだる。また別の人を見かけたら欲するを繰り返していく。

 もちろん個別に見たら平等なのだが、全体としては自分ばかりが3つも4つも所持していて、むしろ不公平を生んでいる。だが、シングルフォーカスのために個別の事例しか見ていないから全体を見ることができず、総合的におかしいことに気付かない。

 以上のことから結果的にわがままな人という印象を与え、周りから人が去って行ってしまう。そして、一番残念なのがこれに自分が一番気付かないということだ。なので、「いつも私の周りから人がいなくなる」とぼやくことになる。

自己肯定感が無い理由

 では、なぜこんな心理状態になるのだろうか?個々の事例に関しては、本人と会って話をしないと判断できないが、考えうるパターンを列挙する。

遺伝
 身もふたもない話だが、これはかなり確率が高いパターンかと思われる。海外の性格分析の研究で、子供の性格形成に親からの遺伝の影響が平均50%を占めていることがわかった。となれば先天的に自己肯定感が無い可能性も考えうるだろう。

育て方
 育てられ方が影響している可能性もなくはないだろう。先の性格形成の研究によると、通常親の育て方の影響は0~11%という結果が出たので、この影響は軽微と見るのが妥当だが、毒親やネグレクト、虐待の場合は異なるとされているため、不健全な家庭で育った場合は考慮すべきだろう。

友達
 以外に思われるが、性格形成の研究で40%は友達の影響を受けているという結果が出た。具体的には、親しい友達5人の平均に自分の性格が近づいていくという。ということは、自己肯定感が無い友達と付き合っていると、自分も知らないうちに肯定感が無くなっていくということが考えられる。

成育環境
 自分が育った環境が影響しているかどうかだが、育て方や友達付き合いもここに含まれてしまうので、客観的に環境のみをピックアップして評価するのは難しい。余程すさんだ環境だったらあるかもしれないが、研究によるとこの点に関して欄外だった。

幸せになるには

 このように、他人が差別したから怒りを露わにしているのではなく、元々過去の人生の中で特定の思考パターンに陥り、そのせいで鬱屈としたものがあって、それを差別という形で噴出していることがわかる。では、これをどうしたらいいのだろうか。

自分を見つめることから
 これは自分の問題なので、まずは自分を見つめないと始まりません。その中には先ほども言った、恥ずかしいさや疑心暗鬼になっている心情、あとは自分の卑しいところなどの黒い部分も見る必要があります。これは非常につらいし怖いと思う。特に意地張っている人や負けず嫌いの人、正義感の強い人は、かなり抵抗感があると思う。完璧を装っている自分像とは、真逆のことを認めなけれならないからだ。

 でもそれだけ強い抵抗感があるということは、そこに大きくて未解決の問題があるということです。これを解決しなければ平行線どころかもっと軋轢が生まれ、幸せを逃すことになる。

抵抗感があるのは今の自分を守りたいから
 そしてこの黒い部分を、最初は見ないように見ないようにすると思う。それは長年かけて築き上げた自分像が壊れるのではないかという危機感が出てくるので、自分にとって怖いことで、恥を感じるから。何より見ないほうが楽だし、気分が落ち込まなくて済む。自分の不都合や失敗を認めなければ、体裁のいい自分や正常な自分、普通の自分の体でいられるから、自尊心が傷つかないで済むので。これが心理セラピーでいう利得だ。

 しかし、完璧な人などいないし、できやしない。できないことをやると無理が生じるので、確実に心身に支障が出る。その上、その場の体裁(エゴやメンツとも言うが)ばかり気にいていると、自己防衛ばかりになるので対人トラブルが増え、周りが愛想を尽かして離れていく。それが今の状態なのだ。

不完全でも悪くはないと思うこと
 そのため必要になるのが、本来の自分を認めることだ。それが不完全であってもいいのだ。それは皆も不完全だから。不完全なのは自分だけではないので、おかしなことではないし、恥じることでもなく、極々普通のことだ。

 そして、自分のことを自分が一番否定していたことに気付く。「世の中で一番の大失敗をしてるのは自分じゃないか」「人のこと言えた立場ではないじゃないか」ということが見えてくる。

羞恥心が出てくる
 これがわかってくると、急に羞恥心が襲ってくると思う。「自分はあの人になんて失礼なことをしてしまったんだろう」とか、「あの時なんでもっと冷静になれなかったんだろう」とか、「あの人は自分のことを思って言ってくれてたのに、なんで素直になれなかったんだろう」とか。

 でもこれに気付けたら、切っ掛けを掴んでいる証拠だ。自分に向き合っているということだし、失敗を認めているし、問題点が見えているので、一つ一つ改善すればいいのだ。

立場の違う人へも慮ることができるように
 そうすると、今まで自分のこと、自分の立場でしか見えていなかったものが、他の立場でも見えてくるようになりる。そうなると、一概に自分の考えが正しいわけではないことがわかってくる。

 それどころかどんなものにも良し悪し両面あることに気付き、どっちかの考えに傾倒するのではなく、バランスが大事だということがわかってくる。すると相手の発言に腹が立たなくなったり、譲歩したりすることができるようになる。しかも譲歩したことでその恩義として見返りを得ることができるようになり、良好な人間関係を築けるようになる。


注意点

 しかし、これは小手先のテクニックとしてやっただけでは、上手くいかない。これだと結果や見返りを自ら求めてしまい、欲求を見透かされるので、人から嫌われる。なので、自分を見つめ直すところからやらないと上手くいかないのである。

 それともう一つは、我流でやると失敗しやすい。よく言われることだが、自分のことは自分が一番見えていないからだ。それだけ自分で自分を見るというのは難しい。だから、専門の臨床心理士や精神科医に見てもらうのが一番だ。赤の他人はしがらみや個人的な利害関係がないから、客観的に見てもらえやすい。ただその分だけ忖度が無いので本質を突いてくる可能性はあるが、そこは耐えなければならない。その先に幸せがあるから。

 さあ、あなたはどうする?



2023年3月12日日曜日

気が付かない副業のメリット

 ここ最近、副業始める人が増えているらしい。給与が上がらないので、少しでも収入の足しにしようと始めているようだ。その種類も多種多様で、デリバリーの配達員とか、投資とか、ポスティングとか、せどりとか、まあいろいろある。

 そんな私も副業をやっているのだけど、確定申告をしてあることに気付いたので書いておきたい。それは、

自宅でできるものが得

 ということ。というのも、自宅で副業をするということは、仕事をするために家のガス、電気や通信設備などを使用するということなので、光熱費や通信費などの生活費を経費として計上できる。そしてその分を控除されるので、所得税を納めるどころか還付金をもらえるのだ。

 これが配達員やポスティングだと外回りの仕事なので、在宅していないから経費としては認められず、申告書に記載することができない。経費として申告できるのは、せいぜい仕事用に購入した自転車代くらいだろうから、それも一時的なものだ。

 これが在宅ワークだと仕事をしている限り延々生活費はかかるのだから、毎年経費として申告できるからお得である。特に近年は個人でも数多くのネットビジネスができるようになったので、在宅ワークの幅が広がった。これは非常に好都合である。イラスト制作、アフィリエイト、ユーチューバー、ライター、ティックトッカー、データ入力など、収入には開きがあるものの種類は多い。

根気との勝負

 ただ、最低でも数十万単位で収益が得られないと、経費申告しても控除の恩恵を得られないと思うので、それだったらまだ確実に報酬が手に入る配達のほうが手取りは多いかもしれない。特にコンテンツビジネスの場合は、コンテンツ数とクオリティとニーズ(または人気)が足りてないと中々稼げないので、根気や時世を読む能力が必要になろう。その代わり、当たれば化ける可能性もないとは言えない。

 そんな博打みたいなことやる勇気ないし体力もないという方は、データ入力から始めるのがいいだろう。データ入力だったらこなした分だけ報酬をいただける契約なので、単価は低いが確実に収入はある。事務作業が得意でコツコツやるのが苦にならないのなら向いているし、慣れて仕事のスピードが上がってくれば数をこなせるようになるから、報酬も増えるだろう。

 あとはライターも最初はデータ入力みたいな形で始められるし、一記事いくらという感じで報酬がもらえるので悪くはない。人気が出てくれば単価をアップしてくれるし、実力が付けばフリーライターとして独立する人もいるので、そこそこの収入になる可能性もある。

 どちらにしても、数をこなして信頼や人気を得ることが必須となるので、根気との勝負である。検討を祈る!



2023年3月11日土曜日

「許せない!」という感情の裏には

 SNSなんかでは時々見られるが、いつも同じことで誰彼構わず目くじら立てて罵っている人がいる。「あんなこと言うなんて!」とか「あの発言は許せない!」とか言ったコメントばかり繰り返していて、私は「バカらしっ!そんな暇あったら、他のことやったら?」と思ってしまうが、本人は至って大真面目だ。世のため人のためと本気で思っているので、周囲から浮いていて、反って煙たがられていることに気付いていない。

 しかも面白いのが、それだけ他人を批判する割に、自分が一番できていないということが多々ある。そのことに本人が一番気付いておらず(気付いてはいても見てみぬふりをしている)、なんとも滑稽だ。

正義感への執着

 それだけ何度も繰り返しているということは、そこに執着があるということだ。それが周囲からのひんしゅくを買うレベルであるということは、異常な執念を持つほどの強烈な執着であり、通常ではありえないことだ。そしてその執着によって引き起こされる行動が批判コメントであることから、正義感への執着であろう。

 だが、なぜこんなにも異常な正義感への執着を示すのだろうか。実際こういった異常なまでの正義感を持っている人の話を聞くと、その背後には必ずと言っていいほど過去の不幸、乃至は他者への嫉妬の話が出てくる。そこには強い劣等感やコンプレックスがあり、そこへ触れようとすると強烈な拒否反応を示す。

表出の2タイプ

 もちろん大なり小なりコンプレックスは、誰しも持っているものだ。それ自体は一般的で、何もおかしいことではない。ただ、このコンプレックスの表出のし方に、その人の内面が出てくるのだ。

 一つは相手を見返してやろうと自分を磨いて高めようとするタイプ。ナルシストなんかはこのタイプで、マウントを取ってくることもあるのでその時は鬱陶しい。

 ただ、自己成長に勤しむことでコンプレックスを解消しようとする傾向があるので、能力が高くなり社会で活躍する人も多い。何より問題点としてはマウントくらいなので、相手への実害がそこまでではない。それよりも自己の成長のために努力しているところが賞賛できる。

 もう一つが、相手を貶めるタイプだ。相手を非難することによって、相対的に自分の地位が上がったように感じて、コンプレックスからくる空虚感を埋めようとするのが、このタイプの特徴である。

 しかしよく考えてほしい。相手をいくら貶めても、相手をいくら非難しても、自分自身は成長していない。なので、コンプレックスから目を背けることにしかなっておらず、解決はしていない。解決していないから、空虚感を埋めるためにまた新たなターゲットを探さざるを得なくなってくる。

 しかもこの方法だと努力しなくてよいので、誰でも簡単にできる。簡単にできるだけに中毒性もあるから、止められなくなる。結果負のスパイラルに陥る。

不健全な自我

 こんなことをやっても永遠に何も生まないし、空虚感が埋まることが無い。それがわかってて、なぜやるのだろうか?それは不健全な自我が存在するからではないだろうか。

 不健全な自我があると自己肯定感(自信とは違うので注意)が薄いため、コンプレックスそのものを認められない。そのために目を背けるほうへ走りやすい。だから自己成長へ意識が向かず逃げてばかりの人生になるため、自信も下がり空虚感が広がるばかりだ。こんな人が相手と同等になるには、他人の足を引っ張り引きずりおろすしかない。

 でも本当は本人も気付いているかもしれない。こんなことをやっても何の役にも立たず、虚しいことを。他の手立てに切り替えられれば良いが、自信が無いので自分にはこれくらいしかできないという感覚になってしまっている。そこにはアダルトチルドレンがあるのかもしれない。

 その上、この手の人は自我が成長していないから、自分自身を小さく感じている。自我が大きければ、何か言われても芯の部分にまで到達しないので平気でいられるが、小さいとちょっとしたことでも芯に触れてしまうので大きく反応してしまう。なので過剰な防衛反応を示してしまう。

自己受容

 以上のことから批判を繰り返す行動において、他人の発言は切っ掛けに過ぎず、根本的には自分の内面にある自我が脆く、全てが敵に見えてしまっている心理状態が作り出しているのです。

 ではこの状態を止めるにはどうしたらいいでしょうか?それは今の小さな自分を受け入れることです。弱いところ、ダメなところがあるのはしょうがないと、まず割り切るのです。そもそも欠点が無い人などいないのだから、当たり前の話です。これができないと、自分のダメなところが許せなくなりコンプレックスになっていきます。結果いつも怯えていなければならなくなります。

 しかし、これが一番難しい。特に正義感への執着を持っている、脆い自我がある人にはかなりきついと言います。自分のダメなところを認めることは正義ではいられなくなることを意味し、原動力という利徳を失ってしまうから。そして、ただでさえ小さな自我が無くなってしまう感じがするから。

 でも、安心してください。また新たな健全な自我を作ればいいのです。

過去の自分を見つめ直す

 自己受容をする上で肝心なのが、過去の自分に向き合うことです。これも多くの人にとって目を背けたくなる作業ですが、昔の不遇だった出来事を見つめ、自分の中に溜まっているわだかまりが何なのかを明らかにします。そして、その原因を探ることによって、不健全な自我を作っている理由がわかります。この部分がコンプレックスの根本原因で、これを否定することが執着への原動力になっているので、長い時間かかりますが受け入れることに慣れていきます。そうすれば、こんなダメな自分でも居ていいんだと思えるようになります。

あとは小さな成功を積み上げるだけ

 ここまでくれば後は簡単です。少し頑張れば達成できそうな小さなチャレンジをすることです。大きなチャレンジでないところがポイントです。大きいと失敗したり未達成に終わったりする可能性が高くなるので、達成できない数が増えていき自信を失うからです。仮に達成できたとしても、この場合は実力ではなく運が良かっただけの可能性が高いので、一時的なもので終わるし、気が大きくなって運と実力を勘違いするのでよくありません。

 なので面倒でも小さなチャレンジを繰り返すのです。そうすると実力が身についてくるので下手な失敗はしないですし、失敗が少ない分自信も付き、健全な自我が育っていきます。

無理にポジティブ思考しない

 あと大事なのは、何でもポジティブに考えようとしないことです。何でもポジティブに考えるということは、ネガティブな出来事もポジティブにとらえようとすることです。そこに無理が生じるので、ストレスがかかります。加えて、ネガティブに考えている自分が許せなくなりますから、また自己否定が始まって元に戻ってしまいます。

 これはアメリカの研究ですが、ポジティブシンキングに向いている人は全米の内、30%くらいとの結果が出ました。ポジティブと思われがちのアメリカですら、向いている人は半分もいないのです。増してや日本人の性格を考えるとポジティブシンキング向いているのは10%いるかどうかでしょう。

 この結果から、人間はネガティブなほうが精神が安定しやすいのです。なので、ダメな自分を認めたほうが上手くいきやすいので、無理にポジティブシンキングになる必要はありません。

 あとは、実践あるのみ。幸せになりましょう。



2023年3月10日金曜日

行政と富裕層は本当に守銭奴なのか?

  税金ばかり取るくせに行政サービスが悪い、もしくは追い付いていないみたいな話を時々聞く。行政サービスが充実すれば生活が楽になるのだが、そもそもそんなに不十分なのだろうか?

多くの人が税金以上のサービスを受けている!?

 実際のところ、市民はどれだけ行政サービスを受けているのだろうか?受けた行政サービスの金額と支払った税金の比率を比べた時に、ちょうどトントンになるのは年収600万円くらいなのだそうだ。これを超えると、税額のほうが高くなって元が取れないという。

 ということは、年収600万円を下回る人は支払った額以上のサービスを受けているということだ。現時点の日本の平均所得が600万円なので、単純計算でも半数の人がこれにあたる。中央値で見たら300万円くらいと目されているので、8割くらいの人が税金以上のサービスを受け取っていることになる。

 つまり、少数の富裕層によって庶民の生活が支えられているという訳だ。

なぜ多くの庶民は知らないのか

 しかし、多くの庶民はお釣りがくるくらいサービスを受けていること知らないだろう。なぜか。一つはマスコミがあまり報じないからではないか。低単価の商売である以上、収入の多くは庶民から得ている。そのため、顧客である庶民に都合の悪い情報は、客離れを引き起こす可能性があり報道しにくい。行政を叩く大義名分も薄れてしまうため、見てみぬふりをするだろう。

 二つ目に政治家の問題もあろう。我が国は民主主義を採っているため、選挙制度がある。投票によって議員が決まる訳だが、庶民の受けが悪い情報は得票数に影響するので、声のボリュームを下げざるを得ない。特に大衆迎合主義の議員や政党には、都合が悪いだろう。

庶民への迎合の末路

 このまま庶民へ迎合して未来は良くなるのだろうか。言われるがままに行政サービスを拡充すれば、当然税収が足りなくなる。もうすでに我が国は多くの借金を抱えている。地方債だけでも合計約200兆円あり、国債に至っては約1000兆円にも達する。合計で約1,200兆円もの借金を抱えているのに、どうやって拡充しろというのだ。

 MMT側の人は、債券の多くは日本国民が買っているのだから、外国へ流出していないので社会は回ると主張しているが、これに反して夕張市はデフォルトを起こし、多くの行政サービスの停止に追い込まれてしまった。皮肉なことに、MMTでは回らないことを夕張市が証明してしまった。

緊縮財政への覚悟

 夕張市が財政破綻した最大の原因は人口減少だ。そしてこれは、日本全体でも起こっている。

 さらに、過度の大衆迎合で財政破綻しかけたギリシャも大きな問題となった。一度緊縮財政を敷いたものの、国民の反発から緩和政策を唱える政権が樹立されたが、ドイツからの鶴の一声によって結局緊縮財政に戻さざるを得なくなった。

 上記の事例を見てわかる通り、大衆は将来のことなど考えてもいないのだ。今しか見ていない者の話など聞いていても、将来の行政の在り方など見えてこない。本音では自分の懐が痛まずにサービスを受けたいのだから、人間の欲とは果てしないものだ。でも、それでは採算が合わないので破綻するのは確実だ。

 どうしても存続を図るなら、サービスの拡大ではなく少しずつ緊縮していき、慣れていくことを覚悟しなければならない。



2023年3月8日水曜日

富裕層が増えると、庶民が生活が楽になる!?

 時々収入の格差が問題として取り上げられることがある。特定の人ばかりが得して良くないとか、庶民の生活が一向に良くならないとか言われる。だから、みな平等がいいと言っている人が世の中にはいる。マスコミのステレオタイプな報道を鵜呑みにするのは客観性に欠けるので、シミュレーションしてみよう。

均等な報酬の末路

 仮に収入格差を無くしたとしよう。国民全員収入が同額です。どうなるか?これは既に10カ国以上で試みてみた。そう、共産主義国だ。ソ連を筆頭に東ドイツやユーゴスラビアなどの東ヨーロッパ諸国や、中国、ベトナム、北朝鮮などの東アジア諸国、あとはキューバなんかがそうだ。

 全員同額の賃金で同じ分量だけ生活必需品や食料を配給される。実に公平であると言いたいところだが、実際は違った。このやり方では個人の評価がなされないので、他の人より頑張っても収入は一緒だし、どんなに勉強して高い能力を身に着けたとしても配給は変わらない。そのため本人の感覚としては、本来自分が得るはずだった報酬が他人に吸い取られている格好になるので、損な気分になる。損になることは誰もしたがらないので、みんな手を抜くようになる。結果、生産性が落ち、国民総貧乏の状態に陥り、国家は破綻した。

 東ヨーロッパ諸国はみな共産主義体制を止めてしまったし、中国やベトナムはそうなることを察して資本主義制度導入に大きく舵を切った。共産主義体制を未だに続けているのは、北朝鮮とキューバくらいだが、世界の最貧国レベルにまで衰退し、お世辞にも上手くいっているとは言えない状況だ。みな平等を進めるということは、国民全員を貧乏にさせるということだ。これは誰もが反発するだろう。

みな平等の真意

 結局のところ、みな平等がいいと言っている人は、「隣の芝生は青く見える」だけだ。富裕層をみて相対的な貧困を感じ、不平等に見えているだけで、そのバックボーンが見えていない。富裕層は多額のお金を得るために人よりも勉強しているし、多くのリスクも冒している(資産家の家に生まれただけの人もいるが)。その見返りとして多額の報酬があるのだが、金額だけ見ているので全体としての公平さが考慮されていないのだ。つまり、富裕層に対する嫉妬である。

富裕層は独占しているのか?

 富裕層は富を独占しているという話も聞くが果たしてそうだろうか?欧米の富裕層に多いのが寄付だ。キリスト教文化では寄付の習慣がある。日本もそうだが、先進国では寄付をすると税制優遇される国が多いので、欧米の富裕層は税金対策としてする人も多い。ゲイツ&メリンダ財団なんかはその最たるものだ。結果として大きなお金が貧困層へと配られるので、救われる人の数は計り知れない。

累進課税によって成り立つ行政

 さらに日本には累進課税制度がある。収入額によって税率を変える制度だ。その税率は以下の表の通りだ。

課税される所得金額 税率 控除額
1,000円~194万9,000円 5% 0円
195万円~329万9,000円 10% 9万7,500円
330万円~694万9,000円 20% 42万7,500円
695万円~899万9,000円 23% 63万6,000円
900万円~1,799万9,000円 33% 153万6,000円
1,800万円~3,999万9,000円 40% 279万6,000円
4,000万円以上 45% 479万6,000円

 下は5%から上は45%までとかなり開きがある。ということは富裕層が増えれば増えるほど、税率が高い分税収が増えることになる。そして現在税収の多くが社会保障費に充てられているので、相対的にこの費用も増えることになる。結果、年金、健康保険、生活保護の額や範囲を広げられるので、実は富裕層が増えたほうが庶民の暮らしに余裕ができるのだ。

 一応貧富の差を無くした場合のことも言っておくが、今の所得の中央値が195万円~329万9,000円のクラスになると思われるので、税率は全員10%ということになる。それより上のクラスがごっそりいなくなるのだから、税収が減るのは明らかだ。

まとめ

 格差が無いのは理想ではあるが、平等にすると総量が減るので、一人当たりの分け前も減り全員貧乏になる。むしろ貧富の差があったほうが貧困層へ回ってくるお金も増えるので、得るものが大きい。なので富裕層をいかに増やすかが、貧困救済へのカギではなかろうか。




非難され続ける理由は、ダブルスタンダードを止めないから

 昨今、LGBT関連の報道や記事を目にする機会が増えた。そのなかで、LGBTへの非難が止まないことが問題視されている。非難の内容は様々だと思うのだが、LGBT側は一括りに差別と言って反論している。感情的になっているせいか、冷静かつ個別に見ることができなくなっている様に、同類として残念でならない。何より多様性を叫びながら、LGBT自身が多様な対応ができていないことに矛盾していて、自分が見えておらず、人間の欲の深さと愚かさが垣間見えてしまう。

 もちろん心無いことを言う人もいるが、それはごく一部の人で、ほとんどは好意的か無関心な方であろう。そして、多くの方はLGBTに対して何らかの配慮してくれているのではなかろうか。

 非難する人の中にも、人権や防犯、公平性や法の下の平等など社会的な側面から客観的に述べている方も大勢いるし、我々LGBT側に気づきを与えてくれる方もいよう。そういった理性を持って考えている方まで差別扱いしたら、賛同者が離れるどころか反感を買うのは当然である。

 私の感覚ではあるが、社会に溶け込めていて割と上手くやっているLGBTの方は、理性的で礼儀正しく、謙虚で向上心がある方が多いような気がする。当然、人当たりがいいので好感持てるから人が集まってくるし、良くしてあげたくなるので黙っていても周囲から気遣ってもらえ、差別なく幸せに暮らせる。

 反対に、いわゆる運動家と呼ばれる方やSNSなどで正義中毒となっている方(私は差別警察と呼んでいる)は、私が接した限り感情的で言葉遣いが悪く、横柄で頑固で無礼な人が多かった。自分が傷ついたことには激しく非難する癖に、自ら他人を傷つけていることには無頓着で、酷い場合自分の都合が悪かったり、責任が及びそうになったりすると平気で人を切り捨てる、損得勘定でしか判断できない無責任な人物も何人かいた。これで理解してくれと言われても、多くの方は理解したくなくなるであろう。しかし、そのことがわからないので、また攻撃して嫌われるを繰り返す。

 そもそも理解とは押し付けるものではないし、押し付けたところで相手がその気になってくれない限り理解してもらえない。なのにわざわざ嫌われる状況を作っておいて理解してもらおうとしても、拒まれるのは当たり前で自業自得である。このダブルスタンダードを止めない限り、LGBTへの非難が無くなることはないだろう。そして、残念ながらその日は来ない気がする。




2023年3月4日土曜日

荒井元秘書官の発言について思うこと

 荒井元秘書官の発言が物議を起こしている。LGBTの人達(一部だけかもしれないが・・・)の非難がヒートアップしていて、自民党が火消しを図らんと理解増進法案を提出する動きになっている。火消しのために法案提出するというのは本末転倒だと思うので、私は賛同いたしかねるし、焦って作ってもいいものはできないので、頭を冷ました上でしっかりと時間をかけて練り上げて欲しいと思うのだが。

 実は先の荒井元秘書官の発言に関しては、私自身はあまり不快には思わなかった。私は性別適合手術をし、戸籍変更までしたトランスジェンダーなので思いっきりLGBT側なのだが、荒井氏の発言はそもそも、「これも恋愛対象の話だから、そりゃあ、そういう趣向の人もいるでしょ」という話でしかない。「見るのも嫌だ」とも言ったそうだが、それも誰だって見たくもない物はあるのだから、人のことを言えた立場ではない。荒井氏の場合、それがたまたまLGBTだったというだけだし、「存在してはいけない」とは言っていないので、それ以上の意味はない。

 それを「自分の存在を全否定された」と取るのは、言ってもないことをさも言ったかのように発言する虚偽に他ならない。加えて個人的な解釈や憶測など不確かな要素持って話をするのは机上の空論でしかないし、客観的事実ではないのでそれを持って相手を非難するのも決めつけ・レッテル貼りでしかない。その点ではLGBT側も社会人としてのマナーが無いし、そこまで行くと言いがかりがでしかないので、倫理の観点からやっていいことではない。

 元来、存在とは自分が認めるもので、他人に認めてもらうものではない。他人が何を言おうとも、生まれた以上は存在しているわけで、その事実は変えようがない。なので、他人が何を言ったかなんて関係ない話で、「自分の存在を全否定された」と捉えることは論理の飛躍でしかない。そしてそこに他人へ依存していて精神的に自立と自律ができていない様子がうかがえ、健全な自我が形成されておらず、幼さを感じる。

 大体、LGBTだから正しいことを言っているという、所属グループを善悪の判断基準にしていることが、おかしいことにいい加減気付かないのだろうか。私の知人のLGBT運動家K氏はこんなことを言っていた。

「気持ちが全て。私が思ったものは、全部正しい」

 あまりの独善的かつ他責思考に極端なわがままさと無責任さが見え、人としての品性の無さに幻滅した。「人には言っていいことと悪いことがある」と本人が常々言っておきながら、それはLGBTにも言えることだというモラルはこの人にはないらしい。

 以前、私が医師の診断についてツイートした際に、「医者は患者の望み通り、その場で診断書をかけばそれでいい。検査なんて必要ない」と医者でもないのに豪語していたし、「それが誤診だったらどうするのか」「体まで変えた後だったら取り返しがつかないので、医師の責任だって発生する」と私が言うと、「誤診があっても構わない。医者の責任なんて関係ない」などと言っていた。余りにも医師の人権を無視した発言だ。しかし、所属グループを判断基準にすると、これも正しいことになる。

 実際には、多くの人は「自分の言うことは全て正しい」なんて言う人に賛同はしないし、主観的な人は好まれないし、自分は大事にされたいが他人は粗末に扱う人に好感を抱かない。そこにLGBTかどうかは関係ない。一人の人間として理性的かどうかが問われている。にもかかわらず、その己の素行の悪さに対する指摘まで差別だと言って責任を擦り付けてる様では、LGBTへの反感が増すばかりでいつまで経っても溝は埋まらない。

 今回法律が制定されようとしているが、そもそもモラルにかかわることなので一方にだけ要求するのはフェアでない。双方が守って初めて社会と法の下の平等が成り立つのだから、LGBT側にも規定を設けないと不公平が生じる。今の状況を見ているとLGBTばかりが要求を100%叶えようとしていて、リスクの分かち合いの姿勢が見られない。これではただの依怙贔屓だと言われるのは当然である。LGBTにも善悪の判断ができない人や被害妄想をする人がいるのだから、双方に適用されないと意味がないし、お互いに譲り合わないと話はまとまらない。お互い大人の視点で見れるようになってもらいたいものだ。




2023年3月3日金曜日

どうせ国民年金払うなら、付加年金もつけよう!

  年金の話で、昭和50年代以降の生まれの場合、納めた額よりも給付額のほうが少なくなるという試算が一時期話題になったことがある。正直、赤字ということになるので、投資の観点から言ってやらないほうがいい投資案件である。

 とはいえ、なんとなくもしくは少ないながらももらえるからと納めている人もいることだろう。ならば、国民年金で唯一と言っていいほど、元が取れる可能性が大のものがある。それは、「付加年金」だ。

付加年金とは

 付加年金というのは、月額400円プラスして支払うだけで、受給年齢に達した時に支払った年数×200円毎月死ぬまで支給される制度である。支給開始から2年以上生存できれば、付加年金分に限って元を取れることになる。仮に4年間支払ったとしたら、

【納入時】 4(年)×12(ヵ月)×400(円)=19200(円:総納入額)
【受給時】 4(年)×200(円)=800(円:毎月の付加支給額)

 19200(円)÷800(円)÷12(ヵ月)=2(年)

という計算なので、2年生きれば回収できるのだ。

 しかも、3年目以降も同額が支給されるからお得である。納入月額400円と少額で負担が少なく、尚且つ金額も一定でわかりやすいので、始めやすいのではないだろうか。どうせ年金を納めるなら、一緒に加入したほうが採算を合わせやすいので、検討してみてはいかがだろうか。




2023年3月2日木曜日

資格検定はわかりやすい能力指標

 なかなか他人が、相手の能力を見極めるのは難しい。ましてや初めて会った人が測るのは、至難の業でしょう。それは目に見えないから。学歴がよく人柄も悪くないと思ったけれど、いざ雇ってみたらスキルがないとかよくある話だと思います。

 そんな中で大なり小なり能力を可視化することができるのが、資格・検定ではないでしょうか。特にLGBTや障害者の場合、就職で不利になりやすいので、この差を埋める手段が欲しいものです。そこで、資格・検定のメリットをまとめてみます。

選考の段階で一定の能力を証明できる

 まず職場において資格・検定というのは、自分のためというより会社側が従業員の能力を把握するためにあります。というのも、試験は全員一定の基準内で行われるので、合格すればそこまでの専門知識と能力があると客観的に確認されたことになるからです。

 なので職場によっては従業員のスキルアップを図るために、資格手当を設けていたり、資格取得のためのサポートをしてくれたりする会社もあります。

 さらに、資格や検定を持っていることで、即戦力として期待されます。特に転職市場や中小企業では、人材育成に時間をかけていられなかったり、ノウハウを持っていなかったりするので、即戦力を求められることが多いです。そういった点でも資格はわかりやすいアピールポイントになるので、就職に結びつきやすくなります。

収入UPが期待できる

 前項でも触れましたが、資格手当をもらえれば収入がアップします。そうでなくても、資格を持っている分、給与査定で評価されてベースアップされることもあります。さらに資格がないと出来ない仕事もあるので、そういった仕事は独占市場となり、概ね基本給が高くなります。有資格者数にもよりますが、レアな資格であればあるほど給与の大幅アップが見込まれます。

 ただし、検定はあるものの資格が無くてもできる職種の場合は、給与に反映されないこともあります。その場合は、実際の業務で成果を上げるしかないでしょう。

希少価値が高い→欲しい人材

 資格や検定を得るには、試験に合格しなければなりません。それが叶う人は、全人口から見たらほんの一握りであることも少なくありません。なので資格保有者は希少価値が高く、企業からしたら喉から手が出るほど欲しい人材です。

 しかも企業にとって人材育成は永遠の課題で、最もコストがかかる業務の一つです。研修費用もかかりますし、新人が一人前になる間も給与を払い続けなくてはなりません。しかし、資格や検定を持っていればその分の教育をしなくて済むので、手当てを払ったとしてもコストは安く済みます。なので、企業に安上りな美味しい人材として売り込むこともできます。

 もっと言えば、運よく就職できた場合、次にまた同じ資格を持っている人材を獲得できる保証はないので、企業は手放したがりません。そのため、待遇を良くする必要が出てくるため、自分にとって有利になります。つまり、売り手市場です。


 という訳で、資格を持っていることで就職しやすくなりますし、スカウトを集めることもできます。仮にマイノリティであったり、障害による人事コストがあったとしても、会社側にも見返りが期待できるので、メリット・デメリットが相殺されるのに一役買いますから、マジョリティと対等になることができます。なので、マイノリティの方は資格取得を目指すのがおススメです。




2023年2月25日土曜日

仕事の高度化と就職

  ITやテクノロジーが進歩しつつある昨今、これまで人間が行ってきた職種の多くが人間以外のものに置き換わると予想されています。そうなると求人就職も大きく様変わりするでしょう。実際にどうなるでしょうか?


労働力の流動化


 まず自動化がもっと進むので、単純労働から人間が排除されます。事務も画一的な部分がある上、PCの導入が進んできているので、効率化が進みこれまでよりも人員が必要なくなるでしょう。自動運転の研究もなされているので、ドライバーや運転士も必要なくなるでしょう。

 こうして見ていくと、従来型職種に就いている人がかなりリストラされる可能性が高くなることが分かります。そうなると失業者が増加し、他の職種へシフトせざるを得なくなります。


仕事の高度化とその後


 単純労働が減ることにより、必然的にIT系のシステムを制作する仕事か、デジタル化できない職人系の仕事が残るでしょう
。これらの職種はある程度のスキルがないと活躍できないため、ハードルは自ずと高くなります。この中から再就職先を探さざるを得ないことになるので、再就職の難易度が上がること必至です。

 それでも一定数は一生懸命勉強してスキルを身に着け、これらの職種へ転職するでしょうが、ついていけない人は少ないパイの取り合いになるでしょう。結果、これまでそこそこいい会社で働いていた人まで末端の会社へなだれ込むことになるので、ピストン式に人が押し出されることが考えられます。


結果


 一部のスキルのある人は引っ張り凧になるから、ハイクラス転職が活況になるでしょう。そうでない人は失業者となり、その一部は生活のために非正規労働者になるでしょうから、アルバイトの求人も多少需要があることでしょう。それにも引っかからない人は、職業訓練しないと上手くいかないかなと思われます。まあ、今後は買い手市場に変わるのではないかと予想します。




2023年1月2日月曜日

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2022年10月10日月曜日

10月1日から社会保険が変わりました!

以前、後期高齢者の医療費の自己負担率が10月1日から変わることを書きましたが、今回は失業保険などにかかわる社会保険も変更になることを書きます。


パート・アルバイトの社会保険の加入義務を拡大


今回見直されるのは、パート・アルバイトなどの時間給労働者の健康保険・厚生年金保険です。適用範囲を拡大することで、時間給労働者の加入者を増やすのが目的です。というのも、団塊の世代が一気に後期高齢者になったおかげで、保険料収入よりも給付額のほうが多くなり、まかないきれなくなってきたからです。なので、給付を削減すると同時に収入を増やそうということで、加入枠を増やすことになりました。

時間給労働者からしたら社会保険料の半分を会社や法人が負担してくれるので、その点ではありがたいのですが、意外とそうでもない部分もあるようなので、見てみたいと思います。


社会保険の加入義務条件


厚生年金の被保険者数が101人以上の企業


2022年9月までは、厚生年金の被保険者数が常時501人以上と規定されていましたが、10月からは101人に変更となります。この中にはフルタイムの従業員だけでなく、週労働時間がフルタイム3/4以上の従業員も含みます。さらに雇用形態も正社員だけでなく、パート・アルバイトも含みます。なので、より小規模な事業者であっても厚生年金の加入義務が生じ、負担額がアップします。


1週間の所定労働時間が20時間以上


まず前提として、ここでいう労働時間は残業時間は含まず、労働契約上の週の所定労働時間を言います。その労働時間が、従来通り20時間を超える従業員が対象となります。

ただし、契約上の週の所定労働時間が20時間に満たない場合であっても、実労働時間(残業を含めた労働時間)が2ヵ月連続で週20時間以上となっており、この先もその状態が続くと見込まれる場合は保険適用となります。


月額賃金が88,000円以上


この点も従来通りで、基本給および諸手当の合計が88,000円を超える場合は適用となります。この諸手当に、残業手当、賞与、臨時の賃金、精皆勤手当、通勤手当、家族手当は含みません。


継続して2ヵ月を越える雇用見込み



学生ではない



高校生、専門学校生、大学生などの昼間学生は保険加入の対象外です。ただし、休学中や夜間学生は対象となるので、注意が必要です。


掛け持ちの場合は個別に判断


掛け持ちで2つ以上の職場で働いている方の場合、合算して用件を満たすか判断するのではななく、それぞれの事業所の分だけで加入要件を満たしているか、個別に判断します。

令和4年9月30日まで 令和4年10月1日から
事業所規模 厚生年金の被保険者数
常時501人以上
常時101人以上
労働時間 所定労働時20時間以上 変更なし
月額賃金 88,000円以上 変更なし
雇用期間 継続1年以上の雇用見込み 継続して2ヵ月超の雇用見込み
除外項目 学生ではないこと 変更なし


従業員負担が増える場合も


負担軽減される例


フルタイムのパート従業員で以前から国保と国民年金に加入している人のケース
月130,000円の収入を得ていたと仮定すると

社会保険加入前の自己負担額 社会保険加入後の自己負担額
国保6,000~9,000円ほど
+国民年金16,590円
=22,590~25,590円ほど
健保6,573円
+厚生年金12,261円
=18,834円
毎月3,756~6,756円の負担減

さらに国保や国民年金の場合、手取りから保険料を支払うのに対して、社会保険は給与をもらう前に差し引くので、手取りから支払うことはありません。加えて社会保険は労使折半なので、半額会社が支払ってくれます。結果この場合、仮に社会保険加入前より手取りが減ったとしても、保険料支払い後で比べたら加入後のほうが自由に使えるお金は多くなります。

なので、元々国保と国民年金に加入していた人は、社会保険に切り替えたほうがお得になります。


負担が増加する例


配偶者の扶養に入っていたパートの人のケース
月88,000円の収入を得ていたと仮定すると

社会保険加入前の自己負担額社会保険加入後の自己負担額
0円健保4,316円
+厚生年金8,052円
=12,368円
毎月12,368円の負担増

扶養に入っている人の場合、配偶者が社会保険料を支払ってくれているので、自己負担はありません。なので手取りを丸々手にすることができました。

しかし社保に切り替わることによって、自己負担分が発生し手取りが減るのに伴って自由に使えるお金も減少します。なので、合計労働時間20時間の壁が発生することになります。

このケースは、シフトを含め検討したほうがよさそうです。