2025年8月13日水曜日

努力しても実らない人は、努力するところを間違えている

 よく巷で、「努力してきたのに何も得られなかった」とか、「俺だって努力してきたんだよ。努力してないって言うな!」といった台詞をよく目にする。「努力したからって、必ずしも目が出るわけではないんだよ!」というのもあるだろう。こういった努力を否定する人たちをつぶさに見ていくと、面白いことに共通点が浮かび上がってくる。それは・・・

 「努力するところを間違えている」

という点だ。どうもこの手の人は導入の時点で、何でも思いつきで手当たり次第に努力しても結果が出ると勘違いしている。下手すると、勘だけを頼りに物事に取り組んでも結果が出ると、安易に判断している。正直、

 そんなわけあるかい!

 それだったら全ての人が億万長者になっていないと、おかしいではないか。結局、この手の人の問題点は努力する能力がないのではなくて、取捨選択をする能力に欠けているのだ。別の言い方をすると。努力の量や質ではなく、努力の方向を間違えているのだ。

 例えば、社会保障と財政逼迫の問題で、間違う人は一生懸命財政破綻しない理屈(それも決まってMMTや通貨発行権の話ばかり)を探してしまう。そんなのは金融全体から見たらほんの一部分のシステムでしかないし、現実世界で実証されていないから憶測の域を出ないので絶対そうなるとは言えないし、何よりその通り行ったからといってそのお金が自分にまで分配されるという約束は誰もしていないのに、ひたすらこの分野だけ聞きかじって知った風な口を利く。自分のお金は一切増えないのに。

 自分の生活や収入の保障が目的なのに、小利口になるだけで自分の生活の足しにならないことに貴重な時間を使ってしまうのは、目的適っていないので時間の無駄使いあり、完全に努力の方向を間違っている。その間にも物価上昇が続き、永遠に自分の生活は苦しくなる一方で、その努力は失敗にしかならない。この場合の正解は、自分の収入を増やす方法を見つけてチャレンジすることだ。

 もっとシンプルで身近な例を挙げると、勉強でいったら英会話のレッスンのために英単語帳を見て覚えるとか(発音記号通りにネイティブは発音するわけではないので、リスニングには全く役立たないから)、会社で評価されるために1人でたくさんの業務を抱えるとか(体力や健康に限界があるので、業務の量にも限度があるから)もよくありがちだ。こういった成果の出ない努力を重ねている時点で、方向を間違えているのだ。

 さらにこういったことに時間を使ってしまうと、成果の出ることに使う時間が無くなってしまうという、更なる悪影響も生じる。しかもその成果の出ることに時間を使っていないことで、他人から努力していない、行動していない、チャレンジしていないと見られてしまうのだ。これはせっかく努力ができるのにその能力を適切に使えていないので、実にもったいない。

 このことから、この手の人の欠点は何かというと、

 最終目的を見失うこと

である。これをいつもやっているから、無駄な努力で終わって結果に結びつかないのだ。これを防ぐために、定期的にそもそもの目的は何だったか立ち返る必要がある。そのために必要となるのが、

 自分のやることを疑う癖をつける

ことだ。そしてその判断基準として重要なのが、

 間違いがないかではなく、実りがあるかどうか

である。これを間違うと方向がくるってしまい、せっかくの努力が水の泡になってしまう。なので、常日頃から自分のやることに疑いの目を持ち、それがやるだけの成果が得られるのかを検討する癖をつけることが生存に欠かせないのだ。




2025年8月11日月曜日

社会で取り残されるのは、自己変革しないから

 いつの時代にも取り残される人がいる。もしかしたら9割がこの部類かも知れない。この取り残される人とは根本的にどういう人かを知ることによって、自分がそうならないようにするための切っ掛けになるので読んでほしい。

 では言わせてもらう。取り残される人とは、

 「変わらない人」

だ。自己変革をしない人と言い換えてもいい。

 頑固な人、優柔不断な人、臆病な人、保身的な人。何でも、変わらない人は取り残される。当たり前といえば当たり前だが、ほとんどの人は思い当たる節があるのではないだろうか?そしてこれの傾向が強ければ強いほど、落ちこぼれる度合いも大きくなる。

 ここで考えてほしいのが、こんなにわかり切っているのに、なぜそれでも多くの人が変わらない選択をしてしまうのかだ。それは・・・

 「脳の働き」

に、従順になっているからだ。別の言い方をすると、

 「現状維持バイアス」

だ。人間は基本的に、予測のつかないことに不安を感じ、予測できることに安心感を持つ。変化は予測がつかないので不安を感じるが、現状維持は予測しやすいので(それが的確とは限らないが)安心感を生みやすい。だから、自然と変わらない方が無難であるように思ってしまうのだ。

 さらに、人間の脳はフル稼働をすることを避けようとする性質がある。疲れてストレスが溜まることを防ぐためだ。そのために、サボりたいという欲求を感じさせて、サボらせたり、手を抜かせたり、飽きさせたりする。この脳の性質にどう立ち向かうかで運命が決まってしまうので、現状維持への誘惑が芽生えたら脳が邪魔しようとしていると考えていい。

 この脳の特性を理解して変われる自分になれば、取り残されることはなくなるだろう。

2025年8月10日日曜日

これからの時代は収入源を複数持つことが生存戦略

 物価上昇、税率、社会保険料の増加などによって、実質賃金や手取りが少ないという昨今。そんな中で、老後の生活まで見越して収入を得るハードルがどんどん高まっています。正直年金に関しても少子高齢化に伴って支給額のほうが上回ってしまっているから、このままでは破綻するでしょう。

 かといって生活保護に頼ろうとすると、税金から支給されることから受給者が増えれば増えるほど予算が足りなくなるので、さらなる増税につながってしまう。しかも、増税も無限にできるわけではないから、結局保護費に制限を設けざるをえなくなるものと思われます。

 となれば、自分の生活費を削るしかなくなるわけで、それを受け入れるのはなかなか困難だと思います。

 こうなると解決策としては、収入減を作るしかない。しかも、高齢になると体の自由も利きづらくなるので、できれば不労収入が望ましい。そこで、老後の生活資金確保に役立つ収入源をピックアップしてみます。これを若い内に作っておけば、老後どころか今の生活も楽になるのでおススメです。


 ① インデックス投資


 今現在、一番無難な方法と言われているのが、このインデックス投資です。複数の投資先を一つにパッケージにまとめたものを投資信託(投信)と言うのですが、これを株式市場内で売買しているものをETF(上場投資信託)と呼びます。このETFの中で、東証株価指数やナスダック総合指数などのインデックスに連動して値動きするものに投資するのが、インデックス投資です。

 複数の銘柄が一つのパッケージになっているので、値動きが相殺されて大きなアップダウンをしにくく、安定しているのが特徴です。以前はオールカントリー(オルカン・全世界株)と呼ばれる最も広くカバーしたものが安パイだとして持てはやされていましたが、最近は米国株系なんかが将来性があるとして人気が移ってきているような気がします。

 しかも、値上がり益だけでなく分配金も入ってくるので、その分収益を上げやすいのがメリットです。


 ② 純金積立


 これは以前、テレビCMで盛んに宣伝されていましたが、これも不労収入にできます。株価の値動きとは相反関係を持つことがあるため、リスクヘッジとして併用する人もいます。

 現物投資なので分配金や配当金はなく、値上がり益でしか儲けることはできませんが、現物であることの安心感と、ここ最近のハイテク需要の増加に伴う金の使用量増加が値上がりに拍車をかけているので、安パイな投資先ではあります。


 ③ 家賃収入


 昔からある不労収入の代表例です。ただ難点なのは、初期投資の額が大きすぎて庶民には手を出しづらいのと、手を出したとしてもその資金を回収して収益が出るようになるには子供の代になるというのがあります。

 それを解消するために、共同出資をするファンド型の不動産投資サービスが現在は登場しています。ただ、借り手が見つからないと収益が上げられないので、個人的にはおススメできません。


 ④ ネットビジネス


 コンテンツ販売系のネットビジネスは不労収入にできます。スモールビジネスとして展開するのにも向いていて、コツコツやれる人であればチャンスがあるかもしれません。ダウンロードをもって手続きするので、売買においてはお客さんのほうが手間を負担してくれます。なので、コンテンツをそろえてしまえば、あまりやることも無くなります。

 決め手はどれだけ多くコンテンツを早期に用意できるかです。最低でも500、できれば1000は欲しいところです。


 これらを複数併用することで、まとまった金額にする


 ただ、これらの中から一つ大当たりさせるのは至難の業です。なので、採るべき手段は、それぞれスモールビジネスとして展開して、複数持つという戦略です。そうすることで大当たりはなくても、まとまった金額になります。難易度もぐっと下がるので、成功させやすくなります。

 しかも複数収入源を持つことで、一つが頓挫しても他でカバーすることが可能となり、リスクヘッジにもなります。これが将来の生存戦略ではないでしょうか?




2025年8月9日土曜日

尊重は強要するのではなく、自分がするもの

 最近、左派陣営やLGBTQ活動家がしきりに他人へ尊重を要求する。面白いことに尊重を叫べば叫ぶほど嫌われていくどころか、自分の矛盾を突かれてダブスタが露見してしまっている。その結果、いつまで経っても自分の思惑通りにことが進まず、苛立ちから周囲へ当たり散らすようになり、余計に尊重とは真逆の方向に突き進んでしまっている。

 しかも、その結果が自分の間違いに起因しているというのを認めたがらないから、他責しかせず加害してしまい、余計に周囲との軋轢を増やしてどんどん孤立してしまっている。実に愚かとしか言いようがない。

 そもそも左派の連中は大きな間違いを犯している。それは、

 「尊重を他人へ強要すること」

だ。これがどうして間違いなのか左派は全く理解できていないから、間違ったまま突っ走り続けて墓穴を掘る結果になってしまっている。それは2025年の衆院選での開票結果を見れば明らかだ。

 まず一つは、強要という手段をお願いする側がしているというところだ。強要するというのは受けから目線の態度であるが、お願いする側である左派が上からものを言うというのは当たり前の話だが失礼である。あまりに横柄だし、お願いする側がとっていいたいどではないので、周囲が嫌悪感を抱くのは当前のことである。

 もう一つ良くない点は、明らかに他人からしたら心象悪いというのが理解できていないところだ。左派の傾向として思考パターンが主観的、感情的、自閉的で、対人スキルや論理的推論を苦手とする人が多い。これは支持者に障害者を多く含むもしくは取り込んできたため、発達障害や精神障害の有病率が高いからだ。この手の人々は客観視点の理解と習得ができておらず、常に主観でしか(つまり自分視点、自分都合)考えられない。だから、相手の反応を予測することができず、相手に受け入れてもらいやすいよう振る舞うという発想自体がないので、一方的な物言いに終始してしまう。

 しかし、相手からしたら気分のいいものではないから、主張の良し悪しにかかわらず拒絶されるのは当然の結果だ。

 そして何より悪いのは、「尊重は強要するものではなく、自分がするもの」というのがわかっていない点だ。尊重を相手に強要しても、その強要という行為が攻撃性をはらみ敵意を感じるので、決して応じてはくれない。これは悪手でしかない。

 しかし、自分のほうが尊重する、厳密にはお願いする側が最初に相手を尊重するほうはどうだろうか?礼儀に叶っているし、自分のほうから態度を軟化させたことになるので、相手は嫌悪感を抱くどころか好感を持つので、話を聞いてもらうハードルが下がることになる。

 しかも、自分から譲歩しているので、返報性の定理から相手は気を使わせたことに負い目を感じる。ゆえに、こちらの要求を飲むことで50%50%の関係を作ろうとする心理が働くので、快く応じてもらえることが多くなる。

 なので、何か自分の要求を通したいなら、自分のほうが相手を尊重しなければ上手くいかないのだ。

 だからこそ、「尊重は自分がするもの」なのだ。




2025年8月8日金曜日

賢者は最悪に備え想定の範囲内に収める、愚者は最良を夢見て備えず最悪になって絶望する

 私はここで何かと人間は2パターンに分かれるという話をよくしているが、結局根本の違いはここなのではないかというところを今回は突き詰めていく。それは、将来やこれから取り組もうとしていることについてどう見積もっているかだ。ここは結構両極端に出るところで、得られる結果も天と地の差になってしまう。


 愚者は最良を夢見る


 まず愚者から見ていくが、愚者は何かと最も上手くいった場合を想定する傾向にある。少ない労力で、誰からも批判されず、運よく、都合のいいタイミングで、最大の利益を獲得することを望む。傍から見たら、そんな都合のいい話普通あるわけないだろとツッコみたくなるだろうが、いざ自分が当事者になると意外にこれを期待する。

 だが当然のことながら、期待通りにいかない部分が必ず出てくるわけだが、当人はそんなこと想定していないから対策をとっておらず、詰んでしまう。結果、当人としては完璧だったはずの計画が倒れ、立ち行かなくなって頓挫することになる。

 さらに問題なのが、当人としては完璧な計画(周りからしたら杜撰でしかないのだが)を立てたつもりでいるから、自分に間違いがあるとは思っておらず認めたがらない。だから、原因は自分以外にあると考えてしまい、反省なく自己改善に至れない。それゆえ、同じ過ちを繰り返し、挫折の連続になり、ついには自分は何もできないと自己卑下におちいって、人生すらも棒に振ってしまう。


 愚者の間違いは何か?


 ではどこが間違っているのだろうか?一番の根本原因は、「利益の最大化」を狙っているという点だ。

 利益の最大化を達成しようとすると、手間やコストは損失という判断にならざるをえない。なので、少しでも楽したいという衝動に駆られる。そして、楽した分だけ対策が疎かになり、想定外が増え、対処ができず、損失を招いてしまう。

 しかも、より大きな利益を望むとその分だけ成功確率は下がりリスクが高くなるので、大失敗につながりやすい。そこへ無策で挑むと当然リカバリーできず、損失はより大きいものになる。結果、自ら最悪の事態を引き起こして絶望してしまうのだ。


 賢者ほど自分の無能さと運の無さを熟知している


 では反対に賢者はどうなのだろうか?実は以外にも、賢い人ほど自分の能力の限界や無能さをわきまえている。強運など引き寄せる力もないことを重々知っているので、己の勘や運、能力など端から信じていない。だから何事も用心して対策を立て、とかく安全策をとろうとする。

 だから賢者は利益の最大化なんぞ望まないし、そんなものは最初からないものと考えている。その前提だから、ある程度の損失は織り込み済みだし、あらかじめ想定しているから対策も立てるのが当然と思っている。なので、上手くいかない事態におちいっても、あらかじめ立てておいた対策を使うことでリカバリーし、再び進行することができる。


 勘、運、能力をあてにしないこと


 なので、最悪の事態を避けないのなら、勘、運、能力など、不確定要素を盛り込んではならない。それよりも、最悪の事態をシミュレーションし、前もって対策を練ることが後になって効果を表す。災害対策などもそうだが、被害が最少のケースなんぞ想定しないだろう。

 人生においても一緒で、最良のケースよりも最悪のケースを想定しておいた方が、無駄は生まれるかもしれないが、困ることはなくなるだろう。労を惜しまず、最悪に備えることこそが人生を好転させる秘訣である。




2025年8月3日日曜日

メンタルを病む人ほど普通を気にする

 メンタルの疾患や障害を持っている人の発言で、「普通は~と言われた」とか「普通になろうと頑張ってきた」とか「普通の人生を歩みたい」とかというのをしばしば見かける。公の場所では「一人一人の個性を認めよう」とか、「本当の自分」とか、「自分らしさ」とか言っておきながら、実社会では普通を気にしていて、普通にこだわり、普通になりたがり、普通の枠に入りたがろうとする。

 大体人間というものは、本音と建前を持っている。公の場では誰しも自分を取り繕うものだから、本音は言わず建前やいい格好しいをしてしまう。だから、そこでの発言は本音ではなく、カムフラージュするための仮面でしかない。だから本当は個性など出したくないし、自分らしさなどよくわからないし、むしろ控えたいとすら感じているだろう。むしろふとした時や負の感情を伴った時に出た「普通になりたい」「普通がいい」が、本音なのだろう。

 そもそも障害を持っていること自体普通から逸脱しており、かなり特殊な状態である。彼らにとってはそんな特殊な状況のほうがデフォルトになっているので、特性の強い今のほうが日常過ぎてもううんざりなのかもしれない。そんな人にとって「普通」は、高嶺の花に見えてしまうだろう。

 ただ中には薬や心理療法の力で障害を低減させた人が、世間一般の「普通」を体験してあまりのつまらなさとドラマ性の無さに辟易して、障害の有る状態へ戻りたがるケースもあるという。「普通」であるがゆえに没個性的になるのは必然でわかり切っているのだが、どうも障害者はデメリットを考慮できずいいとこしか目に入らないから、「普通」に対するイメージが都合のいい幻想におちいりがちだ。

 その結果、彼らの思う「普通」も世間一般の「普通」とはかけ離れたものになり、ズレた行動として現れ、「普通」になれないジレンマが再燃する。

 結局、「普通」を追いかけること自体が無意味で、自分にとって何ももたらさないのだ。それよりも「普通でない」自分をどう扱うかのほうが重要だ。「普通でない」自分の取説を作り、それを愚直にこなすほうが生産的である。なぜなら、「普通」には実体がないのだから。


2025年8月2日土曜日

勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。

 人生の教訓として私が大切にしている言葉として、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」というのがある。これは野球ファンなら知っている人が多いだろうが、野村克也氏の言葉である。

 野村克也氏といえば、現役時代には南海ホークスの捕手・強打者として活躍し、引退後はヤクルトスワローズの監督としてID野球を武器に捕手の古田敦也氏を育て優勝に導き、楽天イーグルスへ移籍後も田中将大投手を育てた名手として知られる。まあ、沙知代夫人との掛け合いやボヤキでも有名になり、バラエティー番組でも引っ張りだこだったが、選手としても監督としても実績を作っただけに確信めいたものがあったのだろう。

 そんな勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」という言葉だが、これは野球に限らず、仕事、人間関係、メンタル、家計、勉強、生活など、恐らく全てのことに言えるのではないだろうか。


 仕事や商売では


 例えば、販売業なんかでもたまにバズって特定の商品がバカ売れすることがあるが、そういうのはなかなか売れた原因を特定するのは難しく、偶然のケースも多々見られる。徐々に売り上げを伸ばした場合でも、複数のアプローチをしているせいでどれが売り上げに貢献しているのかは判然とせず、結果的に複数のアプローチの相乗効果という漠然とした論拠のない結論に終わることが多い(しかも、その結論が正しいとは証明されていないので、違っていることが結構ある)。

 これに対し売れない原因を特定するのは可能である。例えば、商品の互換形式を書いてないとか、従来品との比較がないとか、そもそも商品知識がないとか、ITに消極的とか、具体的に列挙することができる。

 さらに、具体的に列挙することで精神論ではない現実的かつ具体的な施策を打つことができるため、結果に結びつきやすく、施策前後のデータも取れるので、成果を数字で追うこともできる。




 健康やメンタルの面では


 健康やメンタルなんかもそうだ。健康な時というのは、誰も何も要因なんぞ考えもせず、のんきに暮らしているだろう。ふと考えたとしても、結果的にアレが健康につながっているのかもなと結果論で推測しているだけで、本当のところどうなのか特定しようがない。

 反対に病気の時やメンタルが悪化した時は、まず要因を特定できる。夜更かししている、SNSばかり見ている、食事に気を使っていない、生活のサイクルが不規則、薄着だった、人ごみの多いところへ行った、偏った認知をしている、無いものねだり(ダブルバインド)をしている・・・などなど、特定の具体的な行動に起因するからだ。

 そこをちゃんと決断して、止めないといけないものは止める、直さなければならないものは直すことで、健康やメンタルの安定を取り戻すことができる。


 成功より、同じ失敗をしないことが大事


 このことから、成功を目指すのは雲をつかむようなものなので、何をしてよいのか誰にもわからない。それよりも、同じ失敗をしないようにするのは確実にできる。失敗を減らせばその分損失が減るので、相対的に得する割合が増え、結果的に成功したのと同じ状態になる。

 しかも、成功には特定の要因はないので再現性がないからノウハウに結びつかず、一時の栄華で終わってしまうが、失敗を修正するのはノウハウやスキルに結びつくので再現性があり、永続的に好循環を生み出すことができる。

 ゆえに失敗した原因を特定し修正する能力を身につけることが、人生最大の秘訣と言えよう。


#精神 #メンタル #仕事 #ビジネス #投資 #野球





2025年8月1日金曜日

成功者と落伍者 ー 明暗の差は?

 世の中には、上手く社会の中でやっている人とトラブルが絶えない人、成功している人と落ちこぼれている人、好かれている人と嫌われている人など、明暗の分かれた二つのタイプの人がいる。この両者には、どういった差があるのだろうか?そして、明暗がどうしてついてしまうのだろうか?


 両者の考え方・マインドの違い


 さて両者の違いだが、そもそもベースとなる考え方、いわゆるマインドに明確な違いがある。結構正反対の関係になっているので、表にしてみる。


成功者落伍者
性格
自主的・自発的
行動
受動的・追随的
意欲的・積極的
チャレンジ
消極的・回避的
計画的
人生設計
衝動的
安定型
精神
激情型or不安型
幅広い・好奇心旺盛
興味
狭い・興味が薄い
複雑なもの
好み
単純なもの
フラット
マインド
極端なポジティブorネガティブ
しない
嫉妬
する
自立的
自立性
依存的
受容
アドバイス
拒否
あまりしない
期待
過剰にする
適切・肯定的
自己評価
低い・卑下
少ない
こだわり
多い
柔軟
融通
頑固
続く・地道
根気
飽き性
一旦考える
誘惑
すぐ負ける
頭脳
深い
思考力
浅い
論理的
思考パターン
好き嫌い
多角的・客観的
視点
自閉的・主観的
未来志向
志向性
今のことしか視野にない
重視
科学への信頼
信じない
入れない
不確定要素
入れる
現実論
論派
理想論
する・好き
勉強
しない・嫌い
仕事
高い・自責
責任感
低い・他責
主体的・精力的
取り組み姿勢
嫌々・渋々
高い
労働意欲
低い
臨機応変
対処・対策
ワンパターン
少ない・こだわらない
求職条件
多い・こだわる
頭脳労働
好みの職種
単純労働
挑戦的
スタンス
守備的
何もしないこと
恐れの対象
失敗を恐れる
前もってやる
面倒ごと
先延ばしする
総合的
判断の基準
自分の経験しか信じない
金銭
稼ぐ・運用する
お金を得る方法
恵んでもらう・たかる
几帳面
管理
杜撰
投資
使う目的
消費
節約・計画的
買い物
派手・衝動的
とる
リスク
とらない

 ざっとこんな感じで挙げてみた。まだまだあるだろうがキリがないので、この辺にしておく。


 総合すると


 さてこれを見てどんなことに気付くだろうか。総合すると成功者は現実的に将来を考えてキチンと「自己管理」をしているのに対して、落伍者は今にしか目がなく衝動と回避行動に終始していることから「感情優位」なのがわかる。

 ただ、これだけ様々な面で差が出てしまうと貧富や精神年齢の差が大きくなるのも当然だろう。しかも、それを自分の判断で行っているのだから、自分に「100%」責任はないとは決して言えない。自分で選択できたり変えられたりできた部分が皆無ではないし、その点に関してちゃんと自分で改善していれば違った結果になっていたわけだから、きちんと取り組んでいかなくては明るい未来はない。


 では何をどうすればいいのか


 改善が必要なのはわかった。なら、何をすればいいんだということだが、大局的なことをいうとたくさんの経験を積んでできることを増やしていくことだ。

 そうなると、上手くいかない人に限って極端な行動に出がちなので、あれもこれもと欲張って手を出して、結局どれも中途半端になって経験にならないという結果におちいりやすい。しかも、発達障害などを持っている人も結構いるだろうから、尚のことそれは上手くいかないだろう。

 なので、必ず心得ておかなければならないのが、「千里の道も一歩より」だ。つまり、一つずつやるということだ。地道過ぎて飽きてしまうという人が多いだろうが、そうしないと身につかない。

 それに、これには目的がある。それは、

 習慣化だ!

 習慣化してしまうと、最善の方法を意識せずできるようになるので、負担が少なくなってストレスもたまりにくくなる。脳や精神にも余裕が生まれるので安定するし、余裕がある分だけ他のことにも取り組むことができるようになるので、経験やスキルを積み重ねることができるようになる。

 そうやってできることが増えてくれば自信がついて自己肯定もできるようになるので、随分と生きやすくなるだろう。そうすればさらに新たなことにも目を向けられるようになるから、人生が楽しく豊かになるはずだ。

 そのためにも、何か改善しようと思ったら一つに絞ったほうがいい。そうすればハードルも下がるし、負担も小さいから達成しやすくなるだろう。自然にできるようになったら次へ移るを繰り返せば、気付いた時にはいろいろなことがすでにできるようになっているだろうし、より大きなことにも取り組めるようになっているはずだ。

 なので、一つずつ習慣化していくことが成功と改善の秘訣としてやってみよう。




2025年7月27日日曜日

みんながやらないほうを選ぶと、人生上手くいく

 どうも一般の人々というか日本の人々というか、みんなが選んでいるから自分も同じものを選ぶという人が多いと感じる。こういった事例をよく同調圧力とみなす人が多いが、この場合はそうではなくて同じものを選んだ方が安心できるという帰属バイアスから来ている。

 人間は孤立したり少数派だったりすると心細くなるので、本能的に多数派グループに所属したいという欲求に駆られる。そうすることで多くの人が選んでいるのだから大丈夫であろうという安心感を得たいのだ。それはテレビ朝日の芸能人格付チェックという番組で、出演者たちの反応を見ると明らかだ。

 しかし、社会というのは面白いもので、多くの人が好むものを選択すると失敗することが結構ある。例えば仕事終わりの居酒屋とか、気晴らしのパチンコとか、ストレス解消と称してのやけ食いとか、やる人はかなり多いがお財布にも、メンタルにも、健康にも悪いことこの上ないのは誰でもわかるはずだ。

 反対に少数派ではあるが勉強して資格を取って転職や昇進につなげたり、ストレスを運動で晴らせば筋力や体力がついて健康にいいし、仕事の能力もアップする。どちらが明るい未来を得られるか明白だろう。つまり大抵の場合は、みんながやらないことのほうが上手くいく可能性が高いのだ。

 投資なんかはこの傾向が顕著で、少数派ながらやっている人のほうが明らかに資産が増えるペースが早くて、生活に余裕が生まれ、精神的にもストレスを軽減させることができる。というのも、お金の心配は生き死にに直結するから人生において大きなウエイトを占めており、ここが取り除かれることによって悩みの半分は消えてなくなるからだ。しかも、お金に余裕があれば労働時間を減らすことだって可能になるので、無理な働き方をしなくて済むメリットもある。

 だが、ほとんどの人はやらない。投資=ギャンブルという先入観を疑おうとせず、怖いものとしているからだ。どうしても人間は、利益よりも損失のほうを心理的に大きく見積もる習性があって、これにより委縮してリスクを取れなくなってしまう。だから、まだお金が減る危険性がない貯金のほうが最善という間違った判断をしてしまう。貯金では物価上昇に対応できないのに。

 それは知ってはいるけど、どうしても目先の憂さ晴らしやリスクのないほうにお金も時間も使ってしまうという人が多いだろう。だが、多くの人が採る選択には今の安心や憂さ晴らしには効果があっても、将来の利益にはつながらない。大切なのは将来困らないようにすることなので、そのためにはみんなと同じ道ではなく、違う選択をするようにしないと叶わない。そのために、みんなと違う道=明るい未来ということを心得るのがよい。




2025年7月26日土曜日

上手くいかないひとの共通点は、「一方的」であること

 何をやっても上手くいかないという人はしばしばいる。もちろん人生は上手くいかないことの連続ですべて順調なんて人は全くいないから、どんなに成功者であったとしても(むしろそんな人こそ)困難にあえいでいる時期を持っている。なので、厳密にはどんな人も上手くいっていないところがあるものだ。

 ただここ近年、特に精神や対人関係の問題を持っている人、生活困窮者、左派活動家など、しきりに何をやっても上手くいかないと悲観する人をしばしば目にするようになってきた。なぜこの手に人々は上手くいかなくなるのだろうか?

 それは、アプローチの仕方が・・・

 「一方的」

だから。

 この世の中はギブアンドテイク、日本的な言い方だとお互い様、近年の言い方だと返報性の定理ともいうが、要はあげたりもらったり、聞いたり話したり、理解したり教えたりと、相互通行で社会は成り立っている。

 しかし、上手くいかないという人はこの相互関係を理解せず、自分にとって美味しいことにしか目がいってなかったり、言葉のキャッチボールをせず一方的に話してばかりで会話が成り立たなかったりする。そんな人の相手をさせられたら、周りの良識ある人々はさぞかしうんざりするだろう。

 うんざりさせられた人からしたら二度と優しくしたくないと思うだろうし、何か差し上げようという気持ちにならないものだ。だから交友関係を切られてしまうし、金銭の融通もしてもらえなくなる。

 そう、なんでも一方的な思考とアプローチをするから上手くいかないのだ。


実際に起こりうるシチュエーション


 とはいえ自分はそんなんじゃない、自分は当てはまらないと言って否定してしまう人や、それって実際にはどういう行為のことなのかわからないという人も多いことだろう。そこで実例を挙げて、具体的にこういう行為が該当するというの提示する。自分が普段やっていないかどうか確認しよう。


 ① 相手に要求する時

 複数の人間がいる時に何か要求するシーンがあるだろう。家族や極親しい友人関係なら、ただやってと要求だけしても程々なら問題にならない(度が過ぎればさすがに嫌がられるが)。そこには暗黙の了解として無礼講があるからだ。

 しかし、そこから関係が遠のくと、この無礼講がなくなってくる。職場や社会なんてその最たるものだ。そういったパブリックな関係で一方的に要求するのは、タブーにしかならない。なぜなら、不特定多数の利害が絡むので、自分一人の要求だけを一方的に要求するのは、相手や不特定多数にとって不利益や不公平を生むからだ。

 それどころか一方的に要求するというのは、相手から不躾な印象を受けるので無礼と思われてしまう。こうなると相手から「常識のないヤツ」「社会のルールを知らない、非常識なヤツ」という評価を受けてしまい、拒否されて、要求は通らなくなってしまう。


 ② 話をする時

 話をする時に、気持ちや悩み、思っていることを一方的に話してばかりで、相手にはしゃべる機会をなかなか与えないというのも、社会的には煙たがられる。相手にだって言い分はあるだろうに、その機会がなくなったら言葉のキャッチボールにならないので、誰だって不満が溜まる。

 野球に例えると、3アウトになっても攻守交替せずバッターボックスに立ち続けたり、一回表の攻撃を終えてそそくさと帰ってしまったりするようなもので、社会一般からしたら明らかなルール違反でいい気しない。


 ③ 意見の対立があった時

 人間同士のことなので、時には意見の対立が起こることがある。すると、自分の意見を聞いてもらいたいと思うあまり相手に寛容さを求める。その一方で相手の意見には耳を傾けず全否定する。

 これは自分の意見しか認めないということを示しており、ギブアンドテイクが成り立っておらず不公平である。当然周囲から反感を招くのは当然で、全員を敵に回しかえって自分の意見が通らなくなる状況を自ら作っていることになる。


 ④ お金に困った時

 お金がなくて困る場合もある。その際に他人からお金をもらうばかりでは、相手はうんざりして関係を断ち切らざるをえなくなる。相手からしたら自分が使ったわけではないのに、出費がかさむからだ。もっといえば、相手からしたら金づる扱いされており不当に扱われていると感じるので、腹が立ってくる。

 これは公的なお金であってもそうで、公費を工面しているのも人なので、そこにすがり続けられたら一般の人々のお財布にも影響するので、顔をしかめたくもなるものだ。

少しでも上手くなるためのアプローチ

 では、どうしたらこの一方的なアプローチを止めて、人生を好転させられるのだろうか?これを解決する方法がない限り、上手くいかない状況を脱することができない。その解決法を列挙するのでチャレンジすることをおススメする。


 ① 要求を飲ませたいなら、交換条件にする

 自分の要求だけを飲ませることは相手にとって損失にしかならないので、全体に受け入れてもらえない。ギブアンドテイクにしてお互いに関係が±0もしくはイーブンにならないと、なかなか通らない。

 なので交換条件を提示することで、イーブンの条件になるように調整しなくてはならない。ある程度自分が妥協しなければならない場合も出てくるが、それは相手も同じなので受け入れないといけないし、これをしないと永久に自分の要求が実現しない。


 ② 相手に質問し、聞くだけは聞く

 人の話を聞かないというのは内容の如何にかかわらず、そもそも好ましい態度ではないのでやってはならない。社会では相互関係が成り立たないと不満に感じるものだし、自分だけ話をするのは相手の話す機会を奪うから怒らせる原因になる。

 そこで重要になってくるのが質問だ。これは相手に話す機会を与えるので、不満解消になる。その際に、選り好みをせず話だけは聞くことが大切だ。気に入らない内容だからと聞くのを拒否するのは、態度が表に出てしまっていて相手にバレてしまうから関係もメンタルも悪化する。聞くだけ聞いて、納得できないなら心の中で保留にするか捨てるかすればいいのだ。


 ③ 少しずつ自分でできることを増やしていく

 いつも他人をあてにしていたら常に依存することになるから、相手の負担が増えるばかりになるので、いつかは堪忍袋の緒が切れて縁を切られてしまう。そうならないために自分でできることを増やさなくてはならない。

 さらにできることが増えれば自分が助ける側へ回ることもできるので、ギブアンドテイクが成り立ってイーブンな関係を築くことができる。そうするとお互いに持ちつ持たれつを維持することも可能になるので、人間関係も良好になる。





2025年7月22日火曜日

いくら批判しても、代替策がなければ見殺しにするだけ

 参議院議員選挙があったので、それにちなんだ論評をしようかと。

 こういう政治にまつわる話題となると、批判合戦になることがしばしば見られる。批判は問題の洗い出しになるので、論点の提供という役目はある。

 しかしだ。

 批判の応酬をしているだけでは解決には繋がらないので、全く生産的ではないし、いつまでたっても問題は解決しない。加えて、批判をしている最中というのは、自分の中で正義感に浸っているので快楽を感じている。それだけに、批判をしているだけで何か成し遂げたかのような快感を得てしまって、何も成し得ていないのに満足してしまう。

 なので、批判ばかりしていてはダメで、代替策を講じなければならない。

 が!

 批判にばかり終始していて、代替策を持ち合わせていない人がいかに多いことか。特に左派・リベラル層はこの傾向が出やすい。


右派は解決策を出しやすい


 右派は実力成果主義、現実主義、小さな政府、身の丈に合った行政など、コンパクトと妥協を容認するから立案の難易度が低い。それゆえ、厳しく冷徹ではあるものの代替策を提示しやすいし、実効性も高くなりやすい。

 そしてなぜこの判断になるのかというと、いつまでも理想を追い求めていると話がまとまらず、合意に至れず、永久に実行に踏み切ることができないからだ。その結果として成果を出せないこと知っているので、枝葉末節はあきらめてぱっぱと決断し、結果にコミットすることが重要だと考えているからだ。

 さらにアドラーではないが、右派は嫌われる勇気を持たないとこういった決断ができないことも、よく心得ている。それは全ての人が満足する玉虫色の解決策などないことを、重々理解しているからだ。


左派が解決策を出せない理由


 これに対し左派・リベラルは全く逆だ。利益の等配分、理想主義、大きな政府、採算度外視を標榜している。これらすべてに当てはなるのが、社会的矛盾や両立不可能なことをはらんでいたり、非現実的なことを求めていたりすることだ。

 特に理想というのは際限がなく、求め始めると無限に膨らんでいく。しかし現実的には、資源にしても、人材にしても、資金にしても限りがあり、無限に理想を叶えることは不可能である。よって絶対に妥協をせざるをえなくなるのだが、それは理想の世界ではなくなるため、左派にとっては敗北でしかない。だから妥協もできないジレンマにおちいって堂々巡りになり、解決策を見出すことができなくなる。

 だから左派は常に解決策を提示することができず、そこを突っ込まれるのを避けるためにただただ理想と人道への訴求に逃げてしまう。


解決策を出せない者は、結果的に全員を見殺しにする


 そしてこの左派が解決策を見出せないことの最大の問題点は、事態が進展しないことで多くの人を見殺しにすることだ。策がないということは何もしないということになるので、「全員」を見殺しにせざるをえなくなる。結果として最も被害者を増やすことにつながるので、最大の加害者になってしまう。なので左派は社会に貢献することはなく、むしろ被害を拡大するしかなくなるので世の中にとって不利益でしかない。

 理想論では世の中の問題を絶対に解決できないことを、よく肝に銘じることだ。




2025年7月19日土曜日

今月に入って増々資産の増加率が上がっている

 ここ数カ月メンタリティの記事ばかり書いているので、時にはお金の話でもしようかと。

 私の場合、インデックス投資と純金積立を組み合わせて運用しているのだが、今月に入って有動資産の増加のペースが早まっている。今月中ごろに、アメリカのトランプ大統領が再び関税を20~25%かけると言ってディールを迫っていたが、前回の時と違って市場があまり反応を示さず、通常の株価上昇を続けている。

 それどころか、私の保有している銘柄の内いくつかは過去最高値を更新しており、頭打ちになる気配があまり見受けられない。お陰で最近は成績好調で私の総資産額も過去最高を更新しており、大台も見えてきた。それはそれは嬉しい限りだが、買い時がなかなか訪れないのでじれったい気分でもある。

 とはいえ、トランプ大統領のことだから唐突に何かを仕掛けて、株価を乱高下させる恐れはあるので、その時に仕込みができるように備えたいものだ。そのため、買い付け余力を確保すべく少ないながら資金調達をしておいた。

 さあ、トランプ大統領!いつでも来い!

2025年7月18日金曜日

二兎を追う者は一兎をも得ず(理想がいつも叶わないという人)

 精神疾患を抱えている人や社会運動に勤しんでいる人、左よりの考え方の人は特にそうだが、いつも何やっても上手くいかないということをよく言う人がいる。やってみたけど挫折したとか、手や首が回らなくなって止めてしまったとか、仲間とケンカして出ていかざるをえなかったとかよくある話だ。酷いとそもそも優柔不断によって、決断行動すらしてないというのも珍しくない。

 ではなぜこの人達は、いつも上手くいかなくなってしまうのだろうか?この手の人達に共通するのは、

「ダブルバインド」

である。つまり、ことわざでいうところの「二兎追うものは一兎をも得ず」を、やってしまっているのだ。

 さらに問題なのが、このことに本人が全く気づいていないことだ。そこでここでは具体的な事例を挙げて、それはどういう状況のことを指しているのか解説する。


① 理想の条件が多すぎる


 これはよくありがちのケースだ。特に結婚相談所とか就職活動とかで発生しやすい。

 結婚相談所だったら、若く、高身長、高学歴、高収入、イケメン、地位の高い職業などなど、欲張って条件をつける人ほど成婚率が低いというのは、業界では典型的な失敗事例として指摘される。就職活動だったら、上場企業(できればプライム市場)、高基本給、フレックスタイム残業なし、リモートワークOK、希望職種、雑用下積みなし、転勤出張なしなんて求めていては、むしろ企業のほうからお断りされることだろう。

 なぜこれが上手くいかないかというと、条件が多すぎて合致するものが少なくなってしまうのと、仮に見つかっても好条件すぎるので他者との取り合いになったり、相手の審美眼が厳しくなって受かる確率が低くなってしまったりするからだ。

 なので、いくつか条件をあきらめない限り、永遠に結果には結びつかない。


② 絶対的な理想を掲げている


 この失敗をやりがちなのは、メンタルに問題を抱えている人々や社会活動家に多いように思う。

 例えば、絶対に傷つかない社会とか、全ての不安材料がない世の中とか、完全に納得して満足することとか、いい大人だったらそんなのあるわけないと思うことだろう。むしろそういった葛藤が人間として成長させたり、将来に備えて計画を立てたり、行動意欲につながったりと、いい方向へ向けるきっかけとなることを知っているに違いない。


③ 両立しない相反する複数の願望を抱いている


 これが厳密な意味でのダブルバインドの状態だ。二つ以上の願望があって、それが反比例していたり、両立不可能だったりして、両方とも叶えることがどうあがいてもできない状況にあるケースだ。

 例えば、保険料の納付額の減少と保険適用疾患の拡大とかは、無理なのをわかるだろうか?保険組合からしたら収入を減らされた上で出費を増やされるから、収支が悪化することになるからだ。

 減税+福祉の充実とかもそうだ。福祉というのはとかくお金がかかるものだし、それにもかかわらずお金をまず生まないので出費がかさむ。そこへきて減税をしたらさらに収入が減るので、財政は破綻せざるをえなくなる。

 こういった願望は矛盾を含んでいるため、絶対に叶うことはない。


ではどうすればいいか?


 では上手く成し遂げるためには、我々はどうしたらいいのだろうか?そのために必要な要素は・・・

「選択と集中」

である。全部を条件に加えていては永遠に何も得られないので、ターゲットを一つに絞らなければならない。

 先の結婚相手の条件でいえば、将来の生活が不安と言うなら収入は外せないので、それ以外の条件を切り捨てる決断をすれば、成功確率は格段にアップする。福祉の拡充を望むなら増税を受け入れる、社会保険料を納付するために就職するなどして切り替えれば達成できる。

 何度も言うが、両立しないものはいくら求めても叶えるのは永久的かつ論理的に不可能なので、ただの無駄足にしかならない。これは根性論ややる気の話ではなく、現実論の話だ。命には限りがあり、時間は有限なので、不可能なことに割く時間ほど勿体ないものはない。そんなことをばかリやっているから、いつも何も叶わないという結果に終わるのだ。

 そんな自分でいたくなければ、選択と集中、そして決断を今すぐにでもしなくてはならない。