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2025年11月9日日曜日

部分最適の左派、全体最適の右派

 社会を良くするアプローチの仕方が、結構左派と右派では違いが現れる。左派は近視眼的な人が多いため、目の前の人の救済に目がいきがちなことから、無意識に部分最適なアプローチになる。反対に右派はちょっと冷めた目で見ているので、物事を俯瞰していることから全体に目がいきがちなため、効率とバランス配分を考える全体最適に重点を置く。お互いに欠かせず、どちらも利点と欠点があるため、甲乙つけられるものではない。

 ただ、どちらか一方だけに染まるとバランスを欠いて社会が回らないため、両方を上手く使い分けないとならない。そのためには、双方の要素を理解しておかねばならない。


 部分最適は現場・実働部隊向き 司令塔には不向き


 先ほど触れたように、部分最適の左派は目の前のことに注意が行きがちなので、現場での活動に関心を示す。つまり今目の前にいる人に全力を注ぐ。その献身的な行動は素晴らしいし、現場で活躍する実働部隊として向いている。情熱を燃やせるから、満足感や達成感も得られるだろう。

 しかし、それ故に他のことに注意を払うことができなくなるため、その他の助けを必要としている人が視界に入らなくなって、見殺しにするということを気がつかずにやらかしてしまう。0か100かでしか行動できないのと、引いて考える能力が欠如しているため視界が狭いのがあって、配分を考えるのが不得手なのだ。例えるなら、一人の急患に消防署の全職員を向かわせるというやり方をとってしまうようなもので、そこが部分最適の欠点なのだ。

 なので配分や効率を考えることが不得意で、それが主要任務となる管理者やマネージャーなどの司令塔には全く向かない。


 部分最適はコストが無限に膨らみ、いつかは破綻し、犠牲者が増える


 さらに問題なのは、部分最適でいるとどうしても一人一人に手厚い支援を求めてしまうため、一人当たりのコストが無制限に増大する。時間も人手も経費も増えるため、全体のコストが計り知れないことになる。

 しかし、リソースは常に限度があるため、その全てをまかなうことは残念ながらできない。よって、一度一人に支援を手厚くするとその分過大にリソースを食い潰してしまうから、早く余剰がなくなってキャパオーバーになる。結果、助けられる人の数はどうしても減ってしまうし、破綻してしまう。


 全体最適は司令塔向き きめ細やかさはない


 これに対して右派は全体が如何にバランスよく回るか、最終的に成果をどれだけ最大化できるかに重点を置くため、全体最適を前提に考える。そのため配分を計算するし、結果予測から逆算もする。それを基に合理的かつ効率的な判断をするので大概的確で、成果も上がりやすい。司令塔を務めるにはこの全体最適の視点と判断力は欠かせないから、司令塔に必要な要素を持っているのは右派のほうだと言える。

 ただ全体最適な判断は、個々の事例に対しては効率の悪いきめ細やかな対応を省きがちである。どうしても採算も考慮に入れるので、薄く必要最低限な対応になってしまう。混雑丁寧を求める人にとっては、事務的で満足いかないものにならざるをえない。


 全体最適はパイ全体が増えるが、左派からは受けが悪い


 とはいえバランスを考えないと継続できないことをちゃんと考えるのが全体最適なので、早々に破綻するという事態は避けられる。それどころか効率合理性重視なので成果が上がり、全体のパイを大きくすることも考えているのが全体最適のいいところだ。

 ただこの戦略は長期戦になることも織り込んでいるため、きめ細やかさに欠けるのも相まって、左派の今を何とかしたい、せっかちな傾向との相性が悪い。この部分が左派には見えず理解ができないので、どうしても冷たいととられがちなのが残念である。


 住み分けと役割分担が重要


 結局のところ見えているものが違うので、得意とする分野も異なってしまう。にもかかわらず、お互いの分野に口出ししてもできるできないの話にしかならないので、住み分けが必要である。それぞれの分野には口出しせずお任せしたほうがケンカにならないし、効率も良くなる。つまり役割分担をはっきりさせて、お互いに立ち入らないほうが上手くやれるのではないか。




2025年11月8日土曜日

左翼が嫌われるのは、採算と限度を考えないから

 ここ近年、左翼への反発が強まっている。欧米では右派政党が躍進したり、右派候補が大統領や首相に当選したりする一方、左派政党が急速に支持率を落とす結果になっている。日本でも右派政党が議席を伸ばし、左派政党が議席を激減して国政政党の地位から陥落する党まで出現した。

 SNSの普及に伴って、オールドメディアが報じない左翼の愚行(不適切発言の謝罪拒否やしばき隊との接点)がリークされるようになったのも一因としてあるが、それだけではなく長年左翼が求めてきた政策にも反感を買っている部分が多い。


 採算を考えていない


 まず左翼共通の政策の中心にあるのが、手厚い福祉だ。福祉を手厚くすれば多くの人が生きられ、幸福になると考えていて、これをいかに拡大するかを政策としている。

 だがこの福祉というのは曲者である。というのも、拡大しようと思えばいくらでも拡大でき、際限がないからだ。しかも、左翼の場合はありとあらゆる人を対象とするので、適用範囲は無限に増えてしまう。その上、マイノリティに寄り添うと言えば聞こえはいいが、要は本人の気持ちの満足感を基準としているため、要求が尽きることはない(そもそも人間は欲望を抱く生き物だから)。よって、必要な予算も人材も無限に膨らんでしまう。

 こうなると採算が合わなくなるのは必定だ。何よりも人間は欲深いので、福祉で何もかもが保護されるとなると、働かずに福祉に頼るほうが得になってしまうので、支える人よりも支えてもらう人のほうが増えてしまう。そうなれば需給バランスが崩れてしまい、予算が足りない、人手も足りないということになるので、いつかは首が回らなくなって破綻する。左翼はそこを考えていない。


 限度を理解していない


 ではなぜ左翼は採算の合わないことを要求するかというと、限度を考えていなからだ。どんな物にも限りがあるのが世の中で、予算も人材も決まっている。それどころか、福祉以外にも必要としている分野は山ほどある(産業振興、出生率向上、育児、科学技術開発、文化財保護、教育学術、インフラ整備維持、外交、治安維持、自然保護・・・)。福祉にばかり資源を割いてしまうと、他が手薄になり立ち行かなくなる。

 そればかりか人口減少に伴ってリソースが減っているし、売上高も下げざるをえないから一般市民の生活水準も下降している。その中でマイノリティだけ生活水準を一定にするばかりか、文化的な生活の名の下で水準を上げようとすればどうなるだろう。一般市民からしたら、自分たちが払ったお金でのうのうと暮らしており、こいつらのためにお金を搾り取られていると写るので、裏切りに他ならない。

 だが左翼は自分のことにしか興味がないがゆえに、他のことが眼中にないので独り占めしてしまう。だから反感を買うのだ。


 原因は「受け身」の姿勢


 ところで、どうしてこのような考えになるのか不思議にに思う人もいるだろう。それは社会に対する姿勢が、

 「受け身」

だからだ。自分で自分の人生を切り開く自信がなく、誰かに全て支えてもらわないと何もできないと思っているのだ。

 自立すれば社会保障に頼らなくてよくなるから支出が減り、採算を合わせることができるのだが、世の中が怖いものだと思い込んでいるから足がすくんで躊躇する。そうなると生きる糧を得られないから、欲しいものがあると全て福祉に頼らざるをえなくなる。だから要求が無制限に膨らみ、そのツケを一般市民に払わせることになるので反感を買うのだ。

 左翼に今必要なのは、

 「節度と自立」

である。




2025年11月6日木曜日

結果の平等はかえって反感を生む ー差をつけないと人は納得しないー

 近頃、「平等」のあり方について議論や口論の火種になることが多い。おおむね左翼は結果の平等、右翼は機会の平等という異なるスタンスをとっていることで、対立に発展する。その根底には、左翼の場合

世の中には弱者がいる → 負けるのはいつも弱者 → 弱者ばかりが損をする → 弱者も得したい → 正攻法では勝てない → 特例で結果を補正 → 得を享受 → 平等

というのがある。一見良さげに見えるし、みんなが利益を享受できる良い考えに感じることだろう。

 これに対し右翼は、

特例を設ける → 結果を補正 → 過程を無視した不公平 → 倫理違反 → 結果の補正に反対 → 公平なルールを → スタートラインをそろえる → 平等

といったロジックを持っている。これだけ見るとどちらにもそれなりの正当性があり、甲乙つけがたい感はある。


 結果の平等は不公平なルールを押し付ける


 これだけではどちらがいいかイメージできないと思うので、わかりやすくするために100m走にたとえる。左翼は、自分は脚が遅いから自分だけ50m先からスタートさせてくれと主張していて、右翼はそれだと100m走ではないからズルい、スタートを合わせてちゃんと100m走れと言っている構図だ。

 脚が遅いのであればトレーニングするなり、シューズの開発をするなりが真っ当なのだが、その意欲がないから自分だけ特例を設けさせて競技自体を変えようとする。いかに左翼が自分勝手で卑怯な要求をしているかがわかるだろう。

 本来差ができて当然、差ができることが醍醐味である分野に結果の平等を求めると、こういう不公平なルールを適用することになる。もっと言えば、その不公平なルール自体がプレイヤーごとの差を生み出しており、平等から遠ざかっている。

 そうなると真っ当にトレーニングして実力をつけてきた人からしたら、その期間が無駄になるので理不尽極まりなく、怒りを覚えるのは当然だろう。


 仕事ではこれがさらに反感を生む


 一般人に身近な仕事においては、これがもっと顕著な軋轢を生む。仕事の量や重さが違うにもかかわらず報酬が同じだったら、多く仕事をした人がその労力が報われなくて怒るのも当然だろう。給与に差をつけないと反感を買って辞められてしまったり、やる気を失って何もしなくなったりして、職場は戦力ダウンしてしまう。これが製造業で起こった場合は、イノベーションが起きないし、生産スピードが落ちて納期が遅れるしで、売り上げも立たなくなる。

 それどころか一人頭の仕事量がその分増えるので過重労働になっていくし、それを回避すべく皆こぞって退職するようになる。そして一旦退職ドミノが起こると、もう止めることができず職場は崩壊する。なので、報酬の格差を設けることで頑張った人に満足してもらい、戦力でい続けてもらえるよう計らう必要がある。


 結果の平等=頑張るほど損なシステム=怠惰になる


 結局のところ結果の平等を求めると、頑張った人ほど報われないから実力者は立ち去ってしまう。実力者がいなくなって目の上のたんこぶがとれるから一瞬胸がスカッとはするが、残るのは有象無象ばかりだし、余計な仕事を引き受けても損なだけだから、押し付け合いばかりするようになる。そのうちそれも疲れて職務放棄をするようになり、怠惰になるだろう。

 実際にこれをやって見事に失敗したのが、冷戦期の東側共産主義諸国である。案の定国民の労働意欲を奪い、イノベーションも大して起こせず、貧困におちいって例外なく自滅した。東ドイツの乗用車トラバントは33年間たいしてモデルチェンジをしなかったどころか、そんな時代遅れの車でありながら納車まで年単位でかかるという体たらくだった。

 車以外でも、市場に行っても食料品は常に品薄だったし、コルホーズやソフホーズといった集団農場経営もことごとく失敗に終わった。結局、誰もが人よりも苦労を背負うのが嫌だったし、個人の功績関係なく何でもみんなで分け与えるシステムだったばかりに、働かなくても等しくおこぼれをもらえるので、働かない方が得になってしまった結果だった。


 格差こそが意欲を掻き立てる


 結果の平等を強いた共産主義が見落としていた点は、人間の欲求だ。そして人間には様々な欲求があり、それが行動を起こす動機になるのだが、その中で最も見落としていたのが承認欲求だ。結果の平等は個人の頑張りを評価しないので、この承認欲求を満たせない。だから意欲を奪ってしまう。

 これに対して個人の頑張りを評価するために他者と格差を設けることで承認欲求を満たし、労働意欲を掻き立てようと図るのが資本主義だ。今や全世界で資本主義に転換してしまったのも、多くの人にとって格差あることで自分を満足させられ、自発的に仕事に励むようになるからだ。これによって経済活動が活発化し、より多くのお金を循環させることができる。

 この格差が人を納得させ、意欲を掻き立てる原動力になるのだ。




2025年11月4日火曜日

庶民が知らない、多数派のお金持ちの真実

 ここ近年、貧富の差を問題にするのをよく目にする。そして、富裕層へのバッシングが酷くなっている。その内容を見ると、実は自分の想像や憶測で叫んでいるものが多く、実態を全く知らないで悪者扱いしている(事実無根の非難は名誉棄損にあたるので犯罪である)。

 そこで、ここでは真のお金持ちの実態とはどんなものかを紹介する。意外なことが多いので、刮目していただきたい。


 意外と贅沢には興味がない


 テレビで紹介されるような金持ちには高級ブランドや高級車、高級マンションを所有している人が多いので、贅沢を極めまくっているイメージを持っている人が多いが、実際にはそういう人は少数派である。富裕層(総資産1億円以上)の半分以上は贅沢を好まない。なぜかというと、
 
 ①資産が目減りするから
 ②贅沢をした分だけ、金融商品を買えなくなるから
 ③お金を持っているのをバレたくないから
 ④高級品に興味がないから
 ⑤陰キャだから
 ⑥そもそも欲がないから

である。なので、意外とタワーマンションには住まない。見栄の張り合いになるところなんて余計な出費がかさむので、資産形成に支障が出るから損と判断する。だから、結構地味な人が多い。

 全米一の投資家とされるウォーレン・バフェット氏は若い頃に買った安い一軒家に未だに住んでいるし、食事はマクドナルドにコカ・コーラ(大好物らしい)、来客にもマクドナルドというから驚きだ。


 人当たりがいい


 これも世間で言われていることと真逆である。お金持ちというと金の亡者のイメージを持つ人が多いため、意地汚いとか、ケチとか、ずる賢いとか言われるが、大抵の人はそんなことをしない。それどころか実際に会うと、お人よしの人が多いものだ。

 それもそのはずで、投資家は赤の他人が事業を起こすのに本人に代わって大金を投じてくれるのだ。経営者なら人が良くないと従業員が定着しないし、固定客も得られない。
そもそもお金は人の縁が運んでくるものなので、人格は非常に重要な要素なのだ。格言に「金持ち喧嘩せず」というのがあるが、正にその通りなのである。

 反対に生活保護の窓口を担当している職員の話を聞くと、受給者には態度の悪い人が多いというのはあるあるだそうだ。自分勝手だったり、人の話を聞かなかったり、横柄だったり、何かあるとすぐ怒鳴りつけたりと、人としての最低限のマナーがない人は珍しくないという。この点でも、やはり人格によって所得や資産に差が出るのがわかる。


 資産に占める現金が少ない


 これはリテラシーがないとわかりずらいのだが、意外と彼らは現金を持っていない。むしろ、現金を持つ方が損だと考えている。なので、銀行口座には生活するのに最低限必要な額しか入れておらず、大半は証券などの金融商品が占めている。

 さらに彼らが増やした資産にも、ほとんど現金は含まれていない。金融商品の相場が上がることによって、自身が
保有している資産の仮の金額も加算されているだけなので、現金を得ているわけではないのだ。

 実際、総資産ランキングに名前が挙がるような海外のCEOは、総じて紙切れでしかない自社株を報酬として受け取っている。この自社株の価格上昇がほぼ資産増に比例しているので、会社の売上金を資産にしている訳ではない。その上、株の売買は社外の人間相手にするものなので、自社のお金を流用するものではない。


 ギャンブルをしない


 ラスベガスやシンガポールのカジノでお金持ちがギャンブルするイメージを持っている人もいるだろう。そういう人もいないわけではないが、大多数のお金持ちは基本的にギャンブルには手を出さない。

 お金持ちはお金のことに関してはシビアなので、年利換算をする癖がついている。ギャンブルは胴元が儲かるシステムなのでマイナスサムゲームであることを知っているから、年利がマイナスで資産減する危険な投資対象という見方をするので、手を出さないのだ。金持ちでギャンブルに手を出すのは、見栄と承認欲求に囚われた人でしかない。

 それに、公営ギャンブル(競馬、競艇、競輪、オートレース)で富裕層と低所得層、ギャンブル依存で富裕層と低所得層、どちらが多いだろうか?圧倒的に低所得層だろう。周囲を見渡しても金持ちがギャンブルに手を出していないのがわかる。


 結構100均が好き


 意外とお金持ちは100均を利用する。実際オイルマネーや高級リゾートで潤うドバイでも、日本の100均は盛況だ(中東で売ると230円~300円くらいの価格にはなるそうだが、それでも安い)。

 お金持ちというのは、長く使うものは丈夫でしっかりとしたものを好む一方、消耗品にはあまりお金をかけたくないと考える人が多いため、100均で十分と割り切る傾向にある。日用品やキッチン用品、ツケマなどの使い捨てコスメなんかは100均でいいという人が珍しくない。

 意外とこういう細かいお金をケチるタイプが多いというのは、お金持ちの間ではあるあるな話らしい。



 そんなわけで、世間で言われているお金持ちのイメージがいかに虚構なのがわかるだろう。そして、これらに共通するのが、地味で物欲や気分の波が少ないというところだ。そのためにお金を残しやすく、その残ったお金を運用してしまうから余計に資産が膨らんでしまう。

 つまり、自分で自分の気分をコントロールができるかが、お金持ちになるためのカギということだ。




2025年11月1日土曜日

達成するためのヒント 一覧

 目標達成や成果を上げるためには、マインドを身につけることがとても重要です。マインドを持っていないと意思がブレてしまい、失敗を修正できなかったり、続かなかったりするからです。

 そこでここでは今まで書いてきた記事の中で、達成のために必要なものをリストアップ。一つ一つ読んで、自己改善につなげましょう。






2025年10月31日金曜日

行政手続きはなぜ複雑なのか?

 年末調整の時期になって、年が明けたら確定申告の時期になる。非常に複雑で、どこの項目に何を書いたらいいのかわからないなんてことが頻発する。これは申告だけに限らず、健康保険、住民票、税務、年金などなど、様々な場所で発生する。

 そこでよく多くの人が言うのが、

 「なんで行政手続きはいつも面倒なんだ!」

というセリフだ。まあ、言いたくなる気持ちは重々わかる。わかりづらく、量も多く、複雑だから。

 そして次に出てくるセリフはこれだろう。

 「なんでシンプルにしないんだ!」

何十年経っても簡素化しない。行政の怠慢ではないかという意見もよく聞く。そうなれば都合がいいから。

 もちろん簡素化できた方がいいに決まっている。行政だって業務の効率化になって仕事がはかどるし、人員不足を解消できるし、経費も削減できる。なので、行政だってしたくてあんなに煩雑にしている訳ではない。

 中には複雑化して役人が国民からお金を巻き上げるためだとか、お金の流れをわかりにくくして使用目的をブラックボックスにするためだという陰謀論にはまっている人も、チラホラ見かけるがそれは荒唐無稽である。あんな書類でブラックボックスにはできないし、むしろ市民が手続きをすることによって証拠が残るのだから、むしろ不正ができない。

 では、なぜ煩雑なのか?それは・・・

 市民が無作為にサービスを望んだから

である。

 例えば確定申告なんかは税額を割り出すために行っているのだが、全員に同じ税率を課せばシンプルになるところを、貧富の差の軽減のために所得税の累進課税を導入したり、保険やローンの控除を適用したり、配当収入は別途計算したり、相続は条件の範囲内で非課税にしたりと、それぞれ要望に従って多種多様なオプションを付け足している。その付け足したオプションの分だけ手続きが複雑になっているのだ。

 そしてその要望を出したのは、他でもない

 市民

である。中には俺は出した覚えはないという人もいるが、古今の他の誰かが複数人出しているのである。なので、市民が各々己の都合で要求を続ける限り、行政手続きは複雑化の一途をたどらざるをえない。

 よって行政手続きの単純化を進めるなら、行政サービスの削減は不可避である。果たしてこれを受け入れられる市民はいるだろうか?




2025年10月24日金曜日

今の生活保護制度では就労意欲がなくなる

 何かと生活保護は問題化されることが多い。ここ数年生活保護の受給者数が上がっており、自治体によってはかなりの財政負担になっているところも出てきている。生活保護受給者は生産活動をしていないため消費しかしない層なのでお金を生み出さず、経済の縮小に拍車をかけることになる。ただでさえ人口減少に伴う生産人口の減少という問題を抱えているのに、生活保護受給者が増え続けるのは衰退の加速につながる。

 なので、生活保護受給者(特に若年の)を減らすのが急務であるが、どうもこの制度の中身が給与所得者との関係で就職に不安を与え、足を引っ張る原因を作っている。

 そこでここでは生活保護と就労意欲を焦点に、問題点を洗い出す。


 受給ライン≧生活必要最低限ライン


 無期限に働く必要がなくなってしまう給付額

 生活保護の受給額であるが、基本的に各都道府県の最低限必要とされる生活費ないしは所得に合わせて決定される。なので、生活保護受給者は最低限生活に必要なお金を「満額」給付されることになる。この「満額」というところが、一つ目の問題点である。というのも「満額」もらえるがゆえに一切働かなくても生活できてしまうため、労働の必要性がなくなってしまうのだ。

 しかも、期限が決められていないため、受給者の言い様で無期限に受給できてしまう。


 行政が全額肩代わりする医療費

 問題二つ目は、医療費である。というのも生活保護受給者の場合、医療費は「全額」行政が負担しているため自己負担がない。しかも、「無制限」に。

 なぜこうなっているかというと、現在の制度では生活保護受給者は所得がないので(生活保護費は給付なので、法的には所得にあたらない)、所得がある人のみが対象となる健康保険には加入できない(国保ですら打ち切られる)。代わりに社会保険事務所が医療券を発行し、かかりつけ医に送付することで、全額国費で医療を受けている。なので、本人は無料なのだ。しかも、回数に制限がない。

 そうなると、働いて健康保険で受診すると自己負担が生じて生活費が減ってしまうが、生活保護ならその心配がなくなるので、生活保護のほうが裕福になるのだ。

 医療に関してはもう一つ問題がある。一部の受給者はこの制度を悪用して多くの薬を処方してもらい、それを闇で転売して違法に稼いでいるのだ。その違法取引で有名になっている場所が、釜ヶ崎と呼ばれる阪堺電軌新今宮電停近くのエリアだ。

 なぜこれが違法かというと、まず処方薬は医師にしか販売の権限がなく、個人の販売が禁止されているからだ(医薬品医療機器等法違反)。さらに、生活保護受給者は10万円までしか貯蓄を認められていないので、それ以上のお金を隠し持っていることも違法である(生活保護法違反)。

 生活保護はこの犯罪の温床になっているのだ。


 負担なき手取り

 問題三つ目は、保険料の支払いや医療費の自己負担がないばかりか、税負担までもがないこと。給与の場合は健康保険料や年金保険料、それに税金が課されるが、生活保護の場合はこれらが課されないので給付金を丸々手取りにすることができる。つまり、手取り額は生活保護費のほうが高くなるのだ。これでは就職すると生活を切り詰めなくてはならなくなるので、生活保護を選ばざるをえない。


 年金の補てんに充てられる

 それと就労意欲の問題からは少し遠いが、年金の受給額不足を補うために生活保護が代用されている問題にも触れておく。

 現役時代にしっかり働いてより良い報酬をもらい、厚生年金や国民年金基金、付加年金などの二階建ての年金を払っていた人はある程度まとまった金額を受給することができる。しかし、国民基礎年金しか払っていない、それどころか未納がある人の場合はどうしても生活に必要な額に達しない。その足らない分の穴埋めに生活保護が充てられている。

 これでは納付しなくても生活保護で代替できるから支払しなくていいし、なんなら一生就労しないで暮らせてしまうので、就労に意義を見出せなくなる。


 解決策は


 期限の設定

 問題なのは無制限の部分が多すぎるので、まず受給期限を設けることだ。精神疾患をベースに考えると5年が一つの区切りで、長期療養か否か、自ら自立に踏み出せるかどうかの分かれ道となる。5年を過ぎると疾患よりも勇気のなさからくる依存が理由となるので、自立を促す意味でも打ち切ることが必要だ。


 健康保険への加入

 これは給与所得者との均衡を図るためと、過剰な受診を防ぐために必要だ。自己負担分を作ることで生活費との兼ね合いが発生するから、無制限な受診を控えざるをえなくなる。その結果、無節操な処方も防げるし、ドクターショッピングも阻止できるので、薬の転売やオーバードーズもできにくくなるだろう。

 さらに、保険料の徴収が増えるので赤字問題で揺れる健康保険の助けにもなる。


 年金と一体化

 今現在は税収から生活保護費が給付されているのを、年金からの給付に変えるのだ。あらかじめ年金として年金機構へ納めておいて、必要になったら自分の納付金の中から給付を受けるのだ。これなら他人が納めた税金を使うことがないので文句が出ないし、年金なので所得として扱われるから課税され、国保に加入できるので給与所得者と条件が同じになる。

 しかも生活保護費として年金に納める代わりに税率を引き下げれば、±0円で給与所得者の場合は手取り額が変わらないから負担は増えない。

 その上、あらかじめ生活保護費の分のお金も工面しなくてはならなくなるから、就労する必要性が生じるので自立につながる。




自分を卑下しているからこそ特例を欲しがる -フェアプレーを恐れる人たち-

 数日前に、高市早苗氏が史上初めて女性として自民党総裁に当選した。女性枠などが作られることなく、男性と同じルールの中で実力とフェアプレーで当選を決めた。これは政治家として当然かつ立派な姿勢であり、褒めたたえるべき結果である。

 しかし、これに祝意を示すどころかケチをつける政治家や活動家が多くいるのは、非常に幼稚で残念で他ならない。しかも、このケチをつけている者たちに共通しているのが、以前から女性やマイノリティに下駄を履かせることを求めていたという点だ。つまり、女性やマイノリティだけは違うルールで戦わせろというアンフェアな考えを持っているということだ。

 ところが、今回高市氏は下駄を履かないで正々堂々当選してしまった。優遇や特例措置がなくても当選できるということを身をもって証明してしまったのだ。このことから、自民党内で女性が阻害されていると言えないばかりか、実力さえあれば総裁になれるということを示した。その結果、下駄を求める正当性がなくなってしまったので、自分の言い分や立場がなくなってしまった。下駄なんてなくてもできるよねと。


 自分の劣等感を認められない


 ここまで強く特別扱いに固執する人の根底には、絶対に何かがあるはずだ。大抵の人ならアンフェアな条件をつけろなんてことは、良心の呵責にさいなまれるので拒否するし、そんな方法で何かを手にしても評価につながらないし、実力を認められたわけではないからお飾りとしてしか扱われないことが容易に想像つくからだ。絶対自分のためにならないのがわかっているにもかかわらず、それでも特別扱いに執着するのは、彼女らの根底に

 「劣等感」

があるからに他ならない。女性は劣るもの、マイノリティは卑下されるものという固定観念が最初からあるのだ。だから彼女らは実績やスキルの話は決してせず、劣等グループというポジショントークしか展開しない。それはひいては女性=無能と自分で言っているようなもので、自らを卑下している。

 そして、そういうネガティブポジションをとる者を人間は本能的に拒絶する。いい印象を受けないし、他人にすがって生きようとする姿勢に未熟さ自立心のなさを見出すからだ。さらに、そういう人間は束縛が強いことも感じ取るので、身の危険を察知するのも避ける要因となる。

 よって、このネガティブポジションを採る限り、彼女らの心が満たされ平穏になることは永遠にない。


 可哀そうな自分を止めないと何も変わらない


 この手の者たちは、とかく自分の力では何もできないと過小評価している。だから特例や人の手を借りないと生きていけないと主張し、他人へすがらざるをえなくなる。

 だが、その姿は物乞いそのものであるし、後ろ向きの姿勢に人々は嫌気がさすので必ず捨てられる。結果、欲しいものは何一つ手に入らないし、幸せになることもない。それどころか、負の連鎖におちいり、社会との溝を深め、孤立して行き場を無くしてしまうだろう。

 ここから抜け出すには、

 「自分の力による実績を積み重ねる」

ことが欠かせない。

 とにかくいつまでも他力本願過ぎるのが問題でこれを止めなければ始まらないし、自分にもできるかもしれないという確証がないことには足を踏み出せないだろう。そのために、小さいものから少しずつ自分の実績を作ることが必要だ。実績を作ることによって自信や能力に証拠ができるので、自分に対して不信感を抱かなくて済む。

 さらに、実績が増えることによって実力がつくので、社会的にも劣等ではなくなる。その成れの果てが、高市早苗氏だ。彼女の能力は持って生まれたものではなく、そうやって積み上げられてきたものだろう。経歴を見るとかなりの苦労人であることがうかがえるが、そこにめげず前に進む姿は好感をもてる。

 そして、そういうフェアなやり方を守れる誠実な人間が活躍できるクリーンな社会ができることを願わんばかりだ。




投資をやらない人が言いがちなこと

 ここ近年、物価の上昇や老後資金の対策として投資の重要性が高まっている。日本政府もその重要性と景気刺激策の一環として投資への税制優遇を行っており、NISAやiDeCoの制度を創設した。この制度は既存の投資家にも適用されるので、そういう人たちは早々に反応して活用している。

 その一方で、新規参入をする人たちは一応増えてはいるものの、人口比で見た場合の投資比率は未だ欧米並みには及ばず伸び悩んでいるのが現状だ。正直、年々物価上昇についてこれる金融資産の種類が減っているにもかかわらず、やらないという選択をするのはリスクにしかなりえない。しかも、大手ネット証券を中心に小額投資サービスを行っているところも今はあるので、初期投資を低額から始められるようになってきた。今や庶民の小遣いでもできる時代なのに、それでもやらないという人のほうが多いのだ。

 そういった人たちの話を聞くと、出てくる台詞は面白いことにいつも決まっている。そこで、そういった投資をやらない人の台詞とその背後にある心理を読み解いていく。


 お金がない


 一番聞かれがちな理由はこれだろう。だが、先ほど言った小額投資があるし、中流家庭であれば生活費ですら捻出できないというほど資金難なわけではないので、お金がないというのは真実ではないだろう。

 考えられるのは、無駄使いが多くて本当にお金がないか、失敗を恐れているのを隠すための詭弁のどちらかであろう。大抵の人は後者で、無一文になる怖さが先立って踏み出せないというのが本音だろう。

 ただ本当にお金がないのだとしたら、まず考えねばならないことがある。家計の見直しだ。生活になくてはならないものしか買ってないのにお金がないのなら仕方がないが、嗜好品や遊興費、食べ過ぎ飲み過ぎ、多数の100円グッズがあるのなら、それらは無駄使いなので節約することで資金を作ることが容易に可能だ。


 怖い


 これは正直な感情だと思う。それはすごくわかるし、私も最初怖かった。特に人間は得ることよりも失うことのほうを多く見積もるバイアスがあるので、尚のこと当然の反応だと思う。

 私自身も最初口座を作るのも、初めて注文を入れるのも、かなり怖くて躊躇した。だが、やらないと始まらないのでそこは勇気を出してやっているうちに、段々と当たり前になって、今はむしろワクワクしている。その恐怖心の半分はバイアスであるとわかれば、ハードルが低くなるのではなかろうか。


 難しそう


 これもよく聞くワードだ。もちろん無勉強で挑むのは無謀なので、決してやってはならない。特に投資は自己責任が絶対のルールなので、ある程度の勉強はあらかじめしておかなくてはならない。

 とはいえ、難易度の低いインデックス投資であれば基本的なことさえわかっていれば十分なので、そんなに覚えることはない。投資詐欺に引っかからないように手口を知ることと、投資信託の仕組みと手数料、金融機関の営業マンの口車に乗らないことさえ知っていれば、それなりに利益は出せる。難しい経済用語とか英文字の略語とかは余程のプロでないと使い処がないので、覚えても仕方がない。


 自分で責任をとれない


 投資の世界では口が酸っぱくなるほど、「投資は自己責任で」と言われる(テレビ東京のビジネス系ニュース番組では毎日言っている)。日本人は臆病で責任逃れをしたがる傾向が、世界で最も高いゆえ、自分の責任すらとりたがらない人が実に多い。そのため、全て自分の責任ですと言われると、尻込みしてしまう。

 だが、そもそも自分の人生は自分で切り開くものなので、大人になった時点でありとあらゆることが最初から自己責任である。自分では気づいていないが、普段から多くのことに自己責任を負っている。投資もその一つに他ならず、将来人のすねをかじる生き方にならないようにするための対策だと考えれば、むしろ危機感が芽生えるだろう。


 政府がおススメしているものは信用ならない


 この感情を持っている人は、一定数いる。日本政府がおススメしているものは、最初から全て悪い物とレッテルを貼っているタイプだ。かなりの偏見持ちだし、よく考えず感情だけで決めつけている。

 大体こういう人は、物事を0か100で考える人が多い(ネガティブな完璧主義)。ぼちぼちというのがなく、100%思い通りになるよう勝手に期待する(しかも相手は100%保証しますなんて言ってない)。

 しかし、世の中100%上手くいくなんてことは絶対にないから、1%でも気に入らないことがあると裏切られた、ダマされたと言って罪なき相手を一方的に悪者に仕立ててしまう。そして勝手に不信感を抱いて、心を閉ざす。まあ、まともな人間関係を作れない子供おじさんタイプだ。

 そしてこのタイプの矛先が政府に向くことはよくある。政府は国民の面倒を見るためにあると勝手に決めつけているから、自分の代わりに尻を拭いてくれないとへそを曲げる。でも、いい大人だから代わりに尻を拭くれるなんてことはないので、自分の言うことを聞かない政府に対しても身勝手な反感を持っている。

 こういうタイプはどうしようもない。




2025年10月17日金曜日

生きづらいという人は、問題の細分化が苦手

 ここのところ「生きづらい」という言葉が一般化してきている。特に、精神障害、発達障害、貧困、引きこもり、素行不良、家出、依存、機能不全家族、孤立など、社会の暗部とされている人たちの間で頻繁に使われている。こういった人たちは、結構問題が重複していることが多く、共通点も多く見られる。

 その本人たちの共通点はいくつかあると思うが、その中で一つ挙げられるのが、

問題の細分化が苦手

というのがある。本当は複数の問題が重複していたり、別々の問題が同時発生していたりするのが理解できておらず、漠然と一つの大きな問題として誤認してしまうことが多い。あとよくあるのが、複数のタスクを一度にやろうとしてキャパオーバーになって潰れるとか。どうも、細かく見るという視点そのものが欠落しているのだ。

 原因を探る時にもワンパターンで社会のせいとか、政治のせいなどという大きな括りで片付けてしまう人が多く、具体的なところまで探れている人を見たことがない。


 生きづらい人はイメージ先行が多い


 生きづらいという人の反応やコメントなんかを見ていると、先入観や印象といった漠然としたイメージで捉える人が多いように思う。ただイメージはあくまで感想でしかなく、ボヤッとしたものでしかないから掴みどころがない。我々は現実世界に生きており、現実は具体で成り立っているから、具体的でないと判断や実行ができない。ボヤッとしたままでは何をしていいかわからないからだ。

 この具体化をするために細分化が必要である。


 細分化しないとタスクが大きすぎて難易度を下げられない


 それに生きづらいという人は、世界を180度一斉に変えようとか、いきなりダイレクトにゴールしようとか、欲しいもの全部一度に手に入れようとかしたがるが、それは土台不可能で案の定失敗する。なぜなら、タスクがあまりに大きすぎて自分のキャパを越えているからだ。

 これを自分はキャパが小さく弱いからだと思い込んでいるがとんだ勘違いで、本当はタスクが大きいまま立ち向かうからだ。そんなのは誰がやっても無理に決まっているのに。それは例えば小学生が東京大学を受験するようなものだ。当然落ちるに決まっているのに、それを社会が悪い仕組みが悪いとほざくので質が悪い。

 こういう大きいことは、細分化して一つ当たりの難易度を下げないと一向に実現しない。東京大学の例で言うなら、小学校→中学校→高校と学年順に細かく段階を踏んでいかないと、学習を積み上げられないので永遠に合格できない。

 細分化して難易度を下げないと、一向にできるようにはならないのだ。


 細分化しないと解像度が低くて、何も見えてこない


 それとビジョンという点においても、細分化は必須のスキルである。先ほども言った通り、どうしても生きづらいという人はボヤッとした印象で物事を語りがちだ。それはまるでモザイク処理の入った映像のようで、ハッキリとしていない。そのため現実味が薄く、リアリティが乏しいゆえに、絵に描いた餅になりやすい。

 しかし、解決しない限り悩みは終わらないわけで、そのためには問題をはっきりさせる必要がある。つまり解像度を上げるということ。解像度を上げるためにはドットを小さくしなければならないので、ここでも細分化が必須スキルである。

 ビジョンをクリアにさせるのにも、細分化が欠かせない。

 細分化はハードルを下げる必須スキル


 このことから、細分化は生きること問題を乗り越えることの難易度や解像度を上げるために欠かせないスキルである。ちまちましたことは面倒でしゃらくさいという人もいようが、それを言ってるうちは一歩も前に進めない。

 しかし、ちまちましていようが小さかろうが難易度が低いほうが踏み出しやすいし、失敗もしにくく成功を積み上げられるから、結果として前に進んでいける。そのために、細分化することを一つの手段として用いるのが得策である。




2025年10月14日火曜日

貧富も学力も精神も、若い内の仕込みで決まる

 どんな世界に行っても格差や成否がある。生まれたばかりの赤ん坊の頃はみんな真っ裸で何も持っていない状態なのに、時がたつにつれて明暗が生じてくる。そこそこ裕福な家に生まれたにもかかわらず親のすねをかじり続けて没落しニートになる者がいれば、低所得層であったにもかかわらず試行錯誤の末に飛躍して富を築く者もいる。そうかといえば、貧困家庭に生まれてそのまま親と同じ運命をたどった者もいれば、エリートの両親に支えられて自身も高い地位に就く者もいる。

 どんな人間も裸一貫からスタートしているにもかかわらず、どうして明暗が分かれてしまうのだろうか?


 後悔先に立たず


 昔からある格言として、「後悔先に立たず」というのがある。何か失敗をして不利益を被ったり、あらかじめやっておけば良かったのにやらずに万事休すになったりしないように、教訓として言われるのがこの言葉である。後悔は失敗をした後にしか起こらないから、そうならないために前もって考えろ、対策しろというわけだ。

 このことからいい結果も悪い結果も、それまでにしてきた自分の行いがもたらしたものだということになる。


 これまでの日々の積み重ねが結果をもたらす


 例えば子供の学力なんかはよく親の年収で決まるなどと言われるが、いくら親の年収が高くても子供自身が勉強に打ち込まなければ落ちこぼれにしかならない。スポーツ選手になりたいと思っても、練習をしなければ補欠にすらなれない。収入だってそうで、高収入のポジションへ行くにはそれにふさわしいスキルを磨かなくてはならない。どんなことでも、全く労力なしに手に入るものなどないのだ。

 しかもその多くは、若い内にしたことが巡り巡って結果に反映されている。


 アクシデントが起こった時も結果に差が出る


 そうなると、いかに若い内に準備していたかがその後の結果を左右するかわかるだろう。しかも、体力や頭脳を考えると最もタフなのは30才前半くらいまでで、それ以降は徐々に衰えていくから、それまでの期間にどれだけのことができるかがその後の結果に大きな影響を与える。

 もちろん人生の途中で挫折を経験することもあろうが、若い内から取り組んできた人はアドバンテージがあるからリカバリーできて、立ち直ることもできる。しかし、何もしてこなかった人は手の打ちようがないから、没落するしかなくなる。


 やらない・先延ばしは失敗の元


 だからやらない、もしくはその内やるという考えは命取りである。林修先生ではないが、「いつやるの?今でしょ!」は正にそうで、若い内から仕込んでおかないと望む生活は手に入らない。勉強にしても、スポーツにしても、お金にしても、どれをとってもかけた時間がものをいう。そしてそれが一番効果的で効率のいい時期が若い時なのだ。

 明るい未来を見たいなら、若い内に様々なことに取り組んで種を蒔いておくことが肝要である。




2025年10月7日火曜日

【祝】 流動資産、大台の1000万円達成!

 遂についに、私の流動資産の総額が大台の

 1000万円💴

を達成しました!🎊

 時間はそれなりにかかりましたが、ついにこの日がやってきました。

 本格的に投資を始めてから、転職も何度か経験し、給与収入も減ったこともありました。コロナやインフルエンザにかかって、数日間自宅待機した時も何度かありました。

 しかし、トランプ大統領就任による株価高騰を経て、トランプ関税ショックによる株価下落で安く買い増しすることに成功し、順調に資産増加しました。そして今回、高市早苗氏の自民党総裁当選にともなって株価と金先物価格高騰があって、また一気に上昇。ついに大台突破となりました。

 裸一貫で挑戦しましたが、なんとか成功しました。

 これに当たって日本の偉人の和歌を思い出したので、ご紹介します。


なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり」
米沢藩主 上杉鷹山

なせばなる なさねばならぬ なる業を ならぬと捨つる 人のはかなさ」
甲斐国守護 武田信玄


 いずれも偉業を成し遂げた名門君主として有名ですが、二人とも言いたいのは、「何かを成し遂げようと思ったら、踏み出さないことには始まらないし、たどり着けない」ということです。とりあえず、言い訳はいいから始めなさいと。まさにこれに尽きるなと思います。

 そして、この富をもたらしてくれた方々と神仏に感謝申し上げます。

9割の買い物は不要なのか?

 かつてヒットした本に、「9割の買い物は不要である」というものがある。なかなか意外性を持たせつつも、現代人の消費行動を断罪するかのような強いインパクトを持ったタイトルだ。一方で非常に興味深く、お金の使い方を改めるきっかけとなりそうで、意義深さを匂わせるところもある。

 そこで、この「9割の買い物は不要」というテーマをもとに、お金の使い方についてどう考えたらいいのか、いかに資金や貯蓄、老後の生活費をまかなうことにつなげるのか、掘り下げていく。


本当にそんなに不要な買い物はあるのだろうか?


 本のタイトルにある9割という数字についてだが、恐らくは著者による誇張であろうとは思う。正直、家計アドバイザーやファイナンシャルプランナーが集計して選別したとしても、そこまで無駄を見つけるのは至難の業だし、ミニマリストでもそこまで無駄を省けるとは到底思えない。なので、真意はそこでなないだろう。 むしろ著者が言いたいことは、それくらいの感覚で意外と自分では気づかないほど無駄使いをしているということではないだろうか。

 実際、これだけスマホが普及しているのに、未だに実家に家電があるという家庭はないだろうか?我が実家もかつてそうで、無駄だし、耳が遠くて着信に気付かないんだから解約すればと言って撤去した(しかも、FAX付だった)。

 私自身は神社仏閣へ行くのが趣味なのだが、その際にご当地御守を買うのを楽しみにしていたのを止めた(単純にかさ張るからというのもあった)し、趣味系の雑誌やムックも今となっては全く買っていない。

 もっと生活に密着したものだと、お掃除シートなんかはトイレ用とキッチン用の2種類しか買わない。特にキッチン用は何にでも使うので(電子レンジも洗面台もテーブルもこれで済ます)、他のシートを買わない。

 市販品の基礎化粧品なんかは薬事法で医薬部外品に分類されている関係上、効能が規制されているから実はどれも効果に差異がなく、オールインワンか最も安いもの以外はお金の無駄でしかない。なので、コストパフォーマンスで選ぶのが正解なのだ。(日焼け止めだけは効果のレベルに違いがある)

 ギャンブルやお酒、タバコなんかは言うまでもないが、そうでなくても結構日常生活の中にも気付かない無駄にあふれていいるのがわかるだろう。実は人間は気づかないところで多くの無駄使いをしてしまっているのだ。それの比喩として、9割の買い物は不要と言っているのだろう。


なぜ不要な買い物を防げないのか?


 人間は自分の失敗を正当化して見ぬふりをする


 まず問題点から見ていき、改善すべきポイントを洗い出す。

 人間というものは、なかなか自分の汚点を直視できないものだ。自分のメンタルを守るために防衛機制が働くためだ。なので、自分の失敗や不手際を認めることがなかなかできない。その結果、無駄使いや衝動買いといった失敗にも防衛機制が働き、失敗ではない、必要なものだと強引に正当化して思い込もうとしてしまう。これが無駄使いを直視できず、出費が増え続けてしまう理由だ。


 人間はトータルを把握するのが苦手


 もう一つ人間が忘れがちな点としては、トータルの把握だ。個別の出費は体験を経ているので覚えているが、それが全体でどれくらいあるのかは計算してみないと可視化できないので想像できない。

 しかも、人間はストレスや後悔などのネガティブな感情によって落ち込むのを防ぐために正常性バイアスを働かせるので、暗算だと合計額を小さく見積もってしまう。これでは事の重大さにつまで経っても気づくことができず、無駄な出費を認識できないからお金の垂れ流しが止まらなくなる。


 全て思い通りにしたい→ストレス過多→浪費で発散のルーティン


 さらに、これは買い物依存レベルにまでおちいっている人に多いパターンだが、この世の全てを自分の思い通りでないと気が済まない、都合通りいかないと許せないというネガティブな完璧主義を持っている人は、無駄使いを加速させてしまう。

 この世の中は思い通りにいかないことは日常的にあるもので(その中には自分の生活に影響しないものも山ほどあるが)、自分の思いと違ったというだけで許せないと単純に感情だけで憤ってしまう人がいる。こういう人は否が応にもストレスが溜まりやすい。しかも本当は自分でストレスの種を生んでいるにもかかわらず、周りの人が悪い環境が悪いといつもの他責思考のルーティンに入るから、さらに対人関係を悪化させて自分でストレスを増やしてしまう。

 そうなると、自分を止められなくなるので、衝動的に金遣いが荒くなってしまい散在してしまう。しかも、自分のストレス発散の手段になっているから生活必需という認識になってしまっていて、ルーティン化してしまっている。





不要な買い物を防ぐには?


 では、このステルス無駄使いともいうべき出費を防ぐためにはどうしたらいいのだろうか。具体的な手段なども含めて例を挙げていく。


 ちゃんと失敗を認めて、ちゃんと後悔する


 まず必要なのが、ちゃんと失敗を認める勇気を持つことと、もう一つが後悔をちゃんとするということ。

 人間の意識を自分で変えるのは至難の業なので、ちょっとやそっとのことでは変わらない。むしろ、ストレス回避をするために正当化しようと脳が仕向けてくるので、これに惑わされないようにしないとまた同じ失敗の繰り返しになる。そこで重要になるのが、ちゃんと後悔するということなのだ。

 ここでしっかりと後悔することによって、同じ失敗を繰り返すことが損であるという刷り込みをするのだ。人間は成功よりも失敗のほうが、命の危険に関わるので忘れにくいし、大きく見積もる習性がある。これを逆手にとって後悔を心底することによって、同じ失敗は命取りであると脳に認識させ、危機意識を植え付けるのだ。


 帳簿をつける


 これは全体把握、トータルの意識を持たせるためのツールだ。トータルというのは計算しないとわからないし、頭の中ではどうしても小さく見積もる癖があるがゆえに自己認識は必ず間違っているので、決して自分を信じてはならない。

 自分に嘘をつかないために必須のアイテムが、「帳簿」なのだ。私も日々のお金の動きや資産の増減など、いくつかの金額を帳簿につけて管理している。だから、ちゃんと実際の金額を把握でき、いち早く正確にタイミングや限度などを量ることができているので、間違いが起きなくなっている。


 自分も不完全なのだから、他人に完璧を求めない


 人生上手くいかない、生きづらいという人ほど他人に完璧を求める。しかし、人間完璧にできる人はいないので、それは絶対に叶わない。にもかかわらず、そこに固執すると当然対人トラブルになり、自分はクレーマーに成り下がってしまう。結果、余計なトラブルを抱え、よりストレスを増大させることになる。そうおなると、人間はストレス発散のためにより衝動的な行動に出やすくなり、散財のリスクを負う。

 そもそも、他人に完璧を求める以前に自分が完璧ではないのだから、人のことは言えないという意識がないのも問題である(要は自分のことを棚に上げている)。

 それに、技術がない、まだ未解明、お金がない、時間が合わないなど、自分の都合通りにいかないのは自然なことである。むしろ、自分の思い通りになるなんてのは相当確率が低く、奇跡でしかない。これがわかっていれば、思い通りにならなくても何らおかしいことと思わなくなるので、ストレスやトラブルを減らせるし、その分発散やうっぷん晴らししなくてよくなる。


 お金をかけなくてもできることを探す


 とはいえ、ストレスが全くかからないというのも無理があるので、たまに発散する必要があるだろう。そんな時にこれまでと同じ方法に頼っていたら、元の木阿弥である。

 なので、発散方法も変える必要があろう。散歩やジョギングなんかは体も動かすので健康に良いし、そこからさらに体力がついて一人でできる歩き仕事なんかに転職すれば、経費削減どころか収入を得ながらストレス発散ができる。

 他にも家庭菜園なんかだと、野菜や果物が得られるのでお得だ。


本質的に大事なのは自分をカスタムすること


 ただ、何においても言えるのは、自分を変えること。カスタマイズすることが重要である。これをしないことには始まらないからだ。人生は困難の連続ではあるものの、人間には工夫することで乗り切ってきた歴史があるので、それをしさえすればほとんどのことは対処できてしまう。

 反対に何も変えない内は何も変化が起きないから、いつまで経っても不本意のままなのでお金は増えない。時代が変わっても、変え続けられたものだけが未来を手にするのだ。