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2025年3月18日火曜日

納めた税金より、使った行政サービスの額のほうが多いのを知らない庶民

 財務省解体デモが一部の界隈で大騒ぎになっていますが、こういったデモでよくある台詞で税金返せというのをよく聞く。税金をたくさん取られるから厳しいと思っているみたいだが、こういった人は大事なことに気付いていない。それは・・・

納めた税金 < 受けた行政サービス


 実は年収600万円以下の人の場合、納めた税金よりも受けた行政サービスの総額のほうが多い。しかも年収600万円以下なんて国民の過半数が当てはまるから、お金を搾り取っているのは庶民の方ということになる。日本の人口は1億2300万人いて内庶民が1億人程度いるわけだが、この1億人が1円多く使っただけで1億円の赤字になる。実際には一人当たり万単位で資金超過しているので、軽く1兆円を超えるのが容易に計算できる。つまり多くの庶民が

税金 > サービス


と思っているが、それはちゃんと調べていない自分の勝手な主観で、実際には

税金 < サービス


なのだ。

 一方で財務省職員の報酬なんて庶民にかかる金額と比べたら1%にも満たないので、これをを削ったところで焼け石に水で、庶民一人一人が収入源と出費の在り方を変えないことにはどうにもならない。つまり財務省解体を叫ぶのは、自分の問題から目を逸らす口実にしかなっておらず、実態としては現実逃避でしかない。

 にもかかわらず、多くの庶民は自身の現状を変えようとしない。デモをやる行動力があるのなら、規模や自由意志の点から自身の生活を改革するほうが造作もないのにだ。ここに日本人の相対的貧困と凋落の原因がある。結局その深層にあるのは、

失敗への恐怖心と億劫さ


だろう。何か新しい事業を始めたはいいが、もし失敗したら借金を背負ってしまうかもしれない。投資に手を出したはいいが、株価が下がって損失を出してしまうかもしれない。資格の勉強をするのはいいが、合格できなかったり就職できなかったりしたら無駄になってしまうかもしれない。新しいことを始めるときはそういった恐怖心が湧くので、勇気が出ず躊躇してしまう人間の性がでてしまう。

 その他にもそもそも面倒くさい、現状のまま収入が増えたら楽なのにと思ってしまっている部分もある。最も手間がかからず、リスクや責任をとることもなく、安心安全な環境は気楽だし理想的なので、苦労したり恐怖心に抗ったりしなくてよい。

 だが現実は理想通りにはできていないし、自分の都合に合わせてはくれない。なぜかというと、無数の人間がいる以上無数の都合があり、それをまとめるために各人が妥協し合った結果が現状なので、自分一人損得の比率を0:100にすることはできないからだ。なので、収入を増やしたいならそれ相応のリスクを受け入れないといけない。貧者と富裕層の差は、リスクを取れるか取れないかの差なのだ。

 あともう一つ税金を返せという主張だが、ここにも当人たちがわかっていないことがある。それは、

返済を迫る権利は相手にもある


ということだ。つまり税金を返せというなら、憲法に定める権利の平等の観点から行政も行政で国民へサービスにかかったお金を返すよう要求することができることになる。そして先ほど言ったように庶民の場合は税金<サービスなのだから、相殺すると庶民の方が財務省へお金を返さなくてはならなくなるのだ。つまり税金を返せという主張は自分の首を絞めることにしかならない。

 特に財務省職員はその職にある限り帳簿を見ることができるし、その上学のある人達の集まりなのでそんなことは恐らく知っているだろうから、デモを見聞きしたころで鼻で笑うかため息を吐いて終わりだ。

 結局この財務省解体デモは庶民の自業自得という話でしかなく、ちゃんと自分の人生くらい自分で作りなさいよと言うことを神様が指し示しているということだ。



2025年3月14日金曜日

ギャンブルで儲からないのは、運がないからではない

 一般的にあまり自覚されていないが、日本は意外とギャンブル天国である。公営では競馬、競輪、競艇、オートレースがあり、個人資本ではパチンコと宝くじとtotoがある。お客は一攫千金を夢見てチケットを買うのだが、まず儲かっている人はいないし、おかしなことに1等が当たっても自己破産している人の率も高い。なぜこんなにもギャンブルは儲からないのだろうか?そして儲からないにもかかわらず、なぜ止められないのだろうか?

マイナスサムゲーム

 まず知っておかなければならないのは、お金の世界には3つのゲームがあるということだ。プラスサムゲーム、ゼロサムゲーム、マイナスサムゲームだ。プラスサムゲームの代表が投資で、株価上昇や配当金が手数料を上回るので社会全体のお金を増やすことができる。ゼロサムゲームと言ったら給与。働いた分しかお金をもらえないので、等価交換ルールが適用されている。

 ではギャンブルはどうかというと、マイナスサムゲームだ。胴元がいて、その胴元がチケットを販売することで一定のお金をあらかじめ奪ってしまうし、お客の勝率も低い。そもそもギャンブルは胴元が儲かるようにしないと営業を継続できないから、必ずお客に損をさせないといけない。実際、宝くじなんかはみずほ銀行の取り分が50%と非常に高く、お客が極めて儲けにくいように設定されている。しかもチケット制なので一回きりしかチャンスがなく、リカバリーが効かないのも致命的だ。

当たったら当たったで散財する

 でも当たったら大金持ちになれるじゃないかと思っている人もいるだろう。だが実際には自己破産している人が多いという、悲しい事実がある。というのも、一瞬にして大金を手にしてしまうとお金の扱い方を習得していないから、散財してしまうのだ。臨時収入であるにもかかわらずお金が無限にあるような感覚に襲われて生活レベルを上げてしまい、出費を増やしてしまうのだ。

 そもそもギャンブルに興じていることから、刹那的なお金の使い方をする人格を持っていることがわかる。そんな人がお金の扱いなどわかる訳もなく、増してや計画的に運用するほうへ自分の意思で舵を切れるほど理知的なタイプでもなかろう。そんな人が大金を手にしたら、無制限に消費すると考えるのは想像に難くない。

にもかかわらず、なんでハマるか

 こうして見ると、買っても負けてもすっぽんぽんになるのが目に見えているのに、なぜはまり、止められないのだろうか?そこには、人間の本能に基づく心理が働いている。それは一つではなく複数の要因が絡み合っていることが多い。

①単純かつ一瞬で判別

 ギャンブルのシステムは非常にシンプルだ。当たったか外れたか、そろったかそろわなかったかというYES/NOの二項で成り立っているので、どんな人でも成功と失敗が判別できる。その上、一瞬で結果が判明するので上手くいっているのか失敗したのかわからない悩ましい期間がないので、頭を使う必要が無く気が楽である。

②成功の再現への期待

 人間は一度成功するとそれが有効手段であると錯覚し、更なる利益を欲して再現を試みようと期待する。なので同じ手段を用いるべく何度も繰り返してしまう。結果、どんどんのめり込んでしまう。

③損失を取り戻したい願望

 しかし成功というのは再現性が低く、同じ手で再度上手くいく確率は極わずかだ。それは手が良かったというよりたまたま運が良かったケースのほうが多いのと、同じ条件がそろうことがまずないからだ。

 なので続ければ続けるほど失敗と損失が嵩むことになる。そうなると人間はストレスと不安感に駆られ、必然的にその損失を穴埋める行動を採ろうとする。つまりリベンジを試みるのだ。これによってさらに泥沼にはまってお金が尽きるまで抜け出せなくなる。

精神障害や境界知能とギャンブル

 近年医学界で問題視されているのが、精神障害や境界知能とギャンブル依存の関連性だ。発達障害や境界知能の衝動性の高さ、無計画さ、想像力の低さ、手軽さからギャンブルに手を出してしまい、依存性、興味関心の狭さ、切り替えの困難から抜け出せなくなり、依存症へと発展するケースも多々見られる。そのために借金まで抱えるケースも珍しくなく、生活に支障をきたすため脱ギャンブルプログラムが必要である。

ギャンブルが趣味と言うのは・・・

 趣味だからいいじゃねぇかという台詞もよく聞くが、それって結局他人に対してではなく自分への言い訳なのだろう。人間はどうしても自分を守ろうとするために、無意識に自己正当化しようと発言や行動をとる。この心理のことを防衛機制と言うのだが、ギャンブルを止められない時にもこの防衛機制が働く。ギャンブルの誘惑に負けたことを認めると、自分の不甲斐なさからプライドに傷がつきストレスとなり、精神が落ち込むからだ。

 それを防ぐためにはギャンブルは趣味という言い訳は都合がよいので必要ではあるが、止められないジレンマを抱えることになるので厄介である。

ギャンブルをしなければ老後の資金が貯まったかも

 長年にわたってギャンブルにお金を投じているとなると、失ったお金の総額は100万円単位どころか人によっては1000万円単位に及ぶだろう。それだけのお金があったら老後の生活にかなり余裕が生まれるだろうから、困窮しなくて済むはずだ。

 それを知ってか知らずかギャンブルへお金をつぎ込むのは上策ではない。そのお金を投資へ回して運用していれば、さらに憂いのない生活ができるかもしれない。ギャンブル程年利の悪い金融商品はないと、つくづく思う。



2025年3月12日水曜日

珍しい神棚

 神社で頂いた御札。それを納めるのが神棚ですが、最近はいろんなのがありまして面白いなと。我が家にも以前から御札があるのですが、これまでは簡易式のを用いていました。ただそれだと一枚しか納められないのでよろしくないと思いまして新調しました。

 とはいえそんなタイプにしようか悩みました。大体私は珍しもの好きなので、オーソドックスなものがあまり心に刺さらない。そこで選んだのが・・・


財運アップを兼ねた三社式稲荷社タイプ。稲荷社なので神棚では珍しい朱塗りです。しかも、御狐様、灯篭、神器、神鏡、幟旗まで付いてます。いや~、大奮発しました。こんだけのセットですからね。手前にある灯篭なんか、リモコンのスイッチ一つで瞬きながら光りますし。商売繫盛、仕事運向上のご利益があればと思います。

 中に天照大神と氏子域の馬橋稲荷神社、あとは故郷にある身曾岐神社の御札を入れています。馬橋稲荷神社は、一対の龍が絡みついた東京三鳥居の一つがあることで有名です。身曾岐神社は、ゆずの北川悠仁とアナウンサーの高島彩の結婚式を執り行ったり、auの三太郎CMのロケ地として使われた神社です。

 ちなみに背後にチラッと熊手が写り込んでいますが、あれは浅草鷲神社で酉の市にて買ったものです。

 それはそうと、こういう古典的な宗教アイテムって結構メンタルにもいいと個人的に思っています。祈りをささげる対象があるのと、気を引き締める切っ掛けになるので。やはり神様の前でやたらなことはできないですし、身を改めようという気持ちにさせてくれます。成功している経営者は神社へ行くのを好む人が多いとも言われますし、キチンとしておくのはよりよい生活を手に入れるために必要なマナーかなと思います。



2025年3月11日火曜日

確定申告の時期ですね

 2月、3月は確定申告の時期ですね。会社員などの多くの勤め人の場合は、収入減が一つで、しかも会社が代理で申告してくれるので必要ないですが、私の場合は給与所得の他にLINEスタンプの販売も行っているので、毎年しなくてはなりません。

 ちなみに確定申告の対象者に当たるのは、

①自営業者
②複数の会社に勤めている人(バイトの掛け持ちも含む)
③本業の他に副業があり、その収入が年間20万円を超える人
④特定口座を用いず、株式や債券、投資信託などの売買を行った人
⑤相続や譲渡を受けた人

などがあります。

 私の場合はLINEスタンプの売り上げが副収入で③にあたるので、確定申告しなくてはならないんですね。まあ、正直面倒くさい。しかも以前はわざわざ税務署まで行って特設会場で申告書類作ってましたから、時間がかかってましたよ。1回ご記入したことがあって、再度足を運んで。徒歩圏内だったからまだ良かったですが。それが今はネットのe‐Tax使えば自宅でできますから、大分楽になりましたよ。

 それはそうとLINEスタンプですが、LINEヤフー株式会社のほうで源泉徴収されているので、確定申告しなくても違法ではありません。でもなんで毎年面倒くさい思いをして確定申告しているのかというと、還付金が返ってくるからです。しかも万単位で。これはメリット大きいので、我慢してでもやりますよ。そんだけ還付金があれば、またETF買えますしね。加えて家のPC使って事業を行っているので、自宅の光熱費や通信費、水道代などを経費として申告できます。これが還付金に繋がるんですね。

 これやらないと、下手すると追加で納税しなくてはならなくなるため、確定申告しない手はないですよね。まあ、まとめると副業やってて良かったなということですね。



2025年3月4日火曜日

負ったリスクに応じて収入が増えることを理解しない日本人


 
 最近、物価高と低収入に加え増税のトリプルパンチで、懐事情が厳しくなっている人が多い。なので対策が必要なのだが、物価高は外的要因なのでコントロールできないし、税率も他人が決めるので自分ではどうにもならない。政府を非難したり、減税を訴えたり、はたまた賃上げを叫んだりはするものの、多くの人が不思議としないことがある。それは収入アップにつながる自発的な行為だ。もっと言えば、現状維持のまま生活が楽になることを望んでいる人があまりにも多い。

とったリスクに応じて収入が増える法則

 人間は元来怠けるもので、こと日本人は臆病なせいもあってかリスクを取ることを極力嫌う。ここで言うリスクとは、責任、労力、勉強、失敗、時間、勇気、覚悟、自己改善などのいわゆる面倒くさいと言われるものだ。コストと言い換えることもできるだろう。確かにこれらのリスクは疲れるし、怖くてストレスを感じるし、自分の時間を奪われるし、ネガティブ要素満載で回避したくなるものではある。

 しかし金融の世界ではよく、このリスクの幅に応じて利益があると説かれる。なので利幅を大きくしたければ、大きなリスクを取らなければならない。実際、ほぼ確実に元本保証される先進国国債なんかは非常に信用ランクが高いために人気が高く、借り手優位なので金利がかなり低く利幅が小さい。反対に発展途上国は債務不履行を起こす可能性があるので、人気が低いから貸し手が見つかりにくく金利が高い。株式なんかは元本保証なんてものがシステム上ないから、先進国国債よりも年利が高い。

 他にも会社の経営者は経営責任を負うのでその代償として役員報酬がもらえるし、管理職もその責任から手当てがつく。副業も二足の草鞋の手間がかかるものの、それにコミットメントした労力に応じて報酬が得られるので、どこの世界へ行ってもリスクに応じて収入が増えることがわかる。この法則をわかっているから資産家たちは進んでリスクを取りにいき、お金が急速に増えるのだ。

都合のいい考えを捨てられない人は失敗する

 だが多くの人は大抵リスクに対して良いイメージを持っていないから、これを大きく見積もって恐怖心を倍増させ二の足を踏んでしまう。それどころかリスクを取らずに現状維持したまま収入が増えないか、などという都合のいい考えをしてしまっている。そんな上手い話はないし、昔から上手い話には落ちがあると言うのに。そうやってただただ時間を浪費している間にもどんどん没落していく。

 政府批判をするのも賢いとは言えない。まず言っておくが、お前は政治に興味がないという批判は論点のすり替えだし、興味が無かったらこの記事は書かない。お門違いであることを理解しなければならない。

 という注意をした上で、政府批判をしたところでそこで発生するお金自体が全体から見たら数%に過ぎないし、仮に政治が動いたとしてもそのもとからあったパイの再分配をしているだけだし、しかも1億2千万人で割るので一人当たりの恩恵は微々たるものにしかならない。そして最も問題なのが、究極的に効率と成功率が低い。あまりに費用対効果が低く、結局現状維持をしているのと一緒である。

 さらに良くないのは生産的な行動ではないことだ。要は奪い合いをしているだけで、何も生みだしていない。サービス、商品、資源、技術、資金などを提供するほうへシフトすれば経済活動を生み出すのでお金が増えるが、政府批判はこれらを生まないので一時しのぎにしかならず、必ず尻すぼみになる。永遠に続く臨時収入などないからだ。

 大体行政のお金だって無限にある訳ではない。行政は金のなる木ではないので、ない袖は振れない。にもかかわらず行政に頼り続ければ、財政規模に見合わない出費をすることになり破綻する。それを実際にやってしまったのがギリシアで、財政健全化のために行政サービスの縮小をせざるを得なくなってしまった。日本では夕張市が当てはまるが、今では夕張市は行政サービスの9割を止めて、かえって見捨てる人を増やしてしまった。

 これがご都合主義の末路で、自分は何もトライすることなく行政に依存すると自らの首を絞めることになる。都合のいい考えは、どうしても収入よりも支出が上回るので放漫経営になり、
採算が合わずいつまでも続けられるものではない。何もせず、ただで得ることを望むと失敗すること肝に銘じなければならない。

安心安全は全ての失敗の元

 とはいえ、多くの人はそれでも決断できないでしょう。何しろ未知の大海原に乗り出す感覚に襲われるので、恐怖心に襲われて二の足を踏んでしまうからだ。それだったらまだ何もしない方が安心安全だからいいという判断になるものです。

 しかしその判断は今の安心安全にしかなっておらず、将来に対しては不安にしかならない。実際、安心安全を採り現状維持を図った結果、今になって資金繰りに困って政府批判をしている。世の中は日々刻々と変化しているというのに。安心安全を手放して行動を起こしていれば、収入が増えて慌てることもなかった可能性はある。にもかかわらず安心安全を選択したのは誰だろう?他ならぬ自分である。自分で選択した以上その結果は自分の責任であり、政府批判をするのは責任転嫁で、行政に依存した人間が批判をするのは恩を仇で返す行いである。

 ただこの安心安全という心理は非常に厄介で、リトリーブサイコセラピー代表で心理カウンセラーの大鶴和江氏も、手放せと常々仰っている。
判断や行動が鈍るし、不安の根本原因の解消を先延ばしにするので心理的ストレスを高めてしまい、対人トラブルやメンタルの不調をきたすからだ。

 しかし人間は遠く未来の不安よりも近く現在の不安のほうを大きく見積もる習性があるので、どうしても現在の不安から目を逸らしてしまい、将来的な損失の大きい安心安全を優先してしまう。この心理に気づけないと、なかなか勇気をもって自発的に行動するのは難しい。恐怖心に襲われ二の足を踏まんとしていたら、今自分は安心安全を採ろうとしていると自覚して、一歩踏み出す決断をしてほしい。

自分は自分の人生の経営者

 最近、「世界は経営でできている」(岩尾俊兵著)という本を基にした記事が気になっている。岩尾氏の自分の人生の経営者は自分であるという考えは、非常に端的かつ的を射たものだと思う。経営者であれば自分の会社が赤字にならないよう収支を見直したり、新規事業や新店舗を立ち上げたりするのが当たり前で、他人のお金にすがるだけなどという行為はしない。

 しかし個人(庶民?)となるとなぜかこの感覚がなく、甘い考えに流される人が多い。実際には個人であってもお金のやり繰りは漏れなく出てくるのだから、経営しているのと一緒である。貧困になりたくなければ、脱するだけの手を打たなければ変わらない。誰かが何とかしくれるのを期待するだけでは、何も良くならない。政府批判も結局は他人を動かそうという行為なので、依存に他ならない。自分は「株式会社自分の経営者」なのだから、勇気をもって英断し自活しないと困るのは自分だ。パイの取り合いをしても将来はないので、自分でパイを大きくする勇気を持ってほしいものだ。




2025年3月1日土曜日

生活苦になる人と上手くいく人

 人間には二つのタイプがいて、生活苦になる人とならない人がいます。それは同じ境遇であってもです。そこにはどんな違いがあるのでしょうか?生活苦にならないようにするためにも、その傾向を分析します。

①依存的か自立的か

 生活苦になる人に多いのが依存です。とにかく他人に頼ることばかり考えていて、自分でやるというのがとことん無い。その上、助けてもらうのが当たり前で、それが愛情だと勘違いしています。

 反対に上手くいく人は、自分でできるようになろうと努めます。助けが得られない場合に、自分でできなかったら人生が詰んでしまうことを重々承知しているからです。

②受け身か自発的か

 生活苦になる人は姿勢が受け身な人が多いです。他人にやってもらうことばかり期待しているので、自分から動くことがありません。それに引き替え上手くいく人は自発的です。待っているだけでは事態が変化しないことを知っているし、それだけでは試技が少な過ぎてヒットしないことをわかっているからです。

③他責か自責か

 上手くいかない理由の一つに、他責思考があります。他責すれば責任を放棄することができますが、自分の問題点から目を逸らすので現状維持に終始し、人も離れていきます。実際、あいつが悪い、政府が悪い、経営者が悪いと言っている人で、上手くいっている人はいますか?まずいません。ホームレスや貧困家庭になっています。なぜこうなるかというと、自分の人生を自分で作るという意識と責任感がないからです。

 しかし逆の人は自責することで問題点を見つけ改善を重ねるので成長するし、良好な人間関係を作れます。それは自分の人生は自分のものだからこそ自分で作る責任があり、自分で作ったものしか手にできないのを知っているからです。そのため変化が生まれ、実際に生活や収入を手にすることができています。

④感情的か論理的か

 上手くいかないと嘆いている人の多くに、感情的という特徴があります。というかむしろ感情こそ大事だと思っています。しかし感情優位の状態だと人間は行動のコントロールが効かず、浅はかな判断をすることがわかっています。そもそも赤ちゃんの内は感情しかなく、未だに感情優位ということは大人になっていない証拠です。

 上手くいっている人ほど大人になるにつれて論理的に考えることを身につけるため、相対的に感情のウエイトが減っていきます。それは冷たいのではなく、長期的客観的に最善の判断をするためにするために冷静になる必要があるからです。

⑤極端か中庸か

 損してばかりの人というのは、大概極端な思考の持ち主です。感情の振れ幅が大きいのもそうですし、評価基準が0か100かになるのもそうです。人に頼る時、自分は労力を使わず全部やってもらおうとします。結果、スキルが身につかず自己コントロールも失うし、周りを振り回すので嫌悪されます。

 それに対して上手くいく人は、振れ幅が少なく一定を保とうとします。気分のブレも少ないのでいちいち動じないですし、淡々と物事をこなすことができます。そのため他者との信頼関係を築きやすく、仕事でも夫婦関係でも円滑に進みます。

⑥行き当たりばったりか計画的か

 上手くいかない人は感情的で極端な反応を示すことから、欲求や誘惑に流されやすいです。その結果、行き当たりばったりな判断を重ねてしまい、計画や目標を見失って物事を成し遂げられない人が多いです。特に直近のネガティブ感情から逃れたい願望が強い人は尚更です。さらに最悪の事態を想定しないので、リスクに対応できず他人に泣きついてばかりになります。

 一方で上手くいく人は、何事も計画的です。しかも、一度目標を立て計画したらストイックに実行します。1回くらいいいだろうという考えが計画を狂わせることも理解しているので、いかに誘惑を寄せ付けないかも含めて手を打ちます。そうやってリスクヘッジまで行うからこそ結果が出るのです。

⑦固定マインドか成長マインドか

 上手くいかない人によく見られるのが、固定マインドです。つまり、自分の能力は変わらないとか、人間は生まれや才能で決まるとか、努力してもしょうがないとか、とかく変化しないことに固執します。そのため何事も億劫で動こうとしないため、変化が無く悪い状況が続き、落ちこぼれていきます。

 しかし上手くいく人は、例外なく成長マインドです。というか変化しない限り自分の状況も変わらないことを理解しています。なので人生を生き抜くために常に吸収し、できることを増やすよう努めます。

⑧悲観的か建設的か

 上手くいかない人は悲観的です。事実に対していちいち悲観的な感情を抱き、できない理由を作り上げ、やらない言い訳をします。酷い場合は、自分を悲劇のヒロイン、被害者ポジションに置き、相手に罪悪感を与えることで操ろうとします。サッドフィッシャーやボーダーの心理を持つ人に多く見られます。これは悪いことなので即刻止めましょう。

 反対に上手くいく人は、事実はただの事象としてしかとらえません。そこにいちいち感情を挟まず、どう対処・修正するかに集中します。そのため考えていることが建設的で合理的なので実用性が高く、故に実行に移しやすくなって成功率が上がるのです。

⑨視野や興味が狭いか広いか

 上手くいかない人はとにかく認知における視野が狭いです。興味も限定的な上に自分の気に入るものしか受け入れないため、知識やスキルの偏りが著しいです。これでは世の中を臨機応変に渡っていくことはできません。

 これに対し上手くいく人は、視野も興味も広いため幅広い知識やスキルを持っています。それ故に応用が利き、アクシデントが起こってもそのスキルを用いて対処することができます。

⑩学習やトレーニングをしないorする

 上手くいかない人は学習やトレーニングを疎かにします。今にしかフォーカスしない人が多いため、今必要なことしか取り組みません。故に先々のために必要なるものを軽視してしまい、学習やトレーニングに価値を見出せず放棄してしまいます。

 一方上手くいく人は長期目線で考えているため、学習やトレーニングを前もってやっていくことの重要性を知っています。なので成長マインドも相まって常に学習して知識を増やしたり、トレーニングを続けて習慣化しいざという時のために動けるようにしています。

⑪オンリーテイクかギブアンドテイクか

 そしてこれが最も重要なのですが、上手くいかない人はオンリーテイク、つまり受け取るばかりでお返しやお礼が無いということです。というか、世の中がギブアンドテイクで成り立っているということをわかっていません。最近では返報性の法則とも言いますが、もらう一方ではダメでちゃんとお返しをする、何かお願いをする時はこちらから先に譲歩するという、人付き合いの基本を守らない人が多いです。これでは見捨てられて当然です。

 反対に上手くいく人は、こういうところを物凄く大事にします。なので他人から好印象を持たれやすく周囲に恩義も与えるので、この人なら助けてあげたいと思われ想像以上の謝礼を手にできるのです。

根底の違いは

 とここまで見てきましたが、そもそもの根本的な違いは何だろうというのが気になります。解像度の問題とか、未来志向だとか、成熟度だとか、考えようによっていろいろ思い浮かぶでしょうが、私としてはこれかなと思います。

  危機感の有無

 現状や今の自分に対して、このままではいけないと思えるかどうか。そしてそれをどの程度重く考えられるか、その差が考え方や傾向の差として色々出てくるのではなかろうかと推察します。特に将来への危機感が強いほど何とかしなければという心理になるので、人間は何か手を打つことを考えます。

 元来人間は怠惰なもので、現状なんとかなっている状況だと動こうとは思いません。切羽詰まらないとどうしても腰を上げられないもので、いざとなって初めて困るものの時既に遅しで万事休すとなる経験は誰しもあるのではないでしょうか。なので危機感を強く持てる人ほど初動が早いため危機を乗り切ることができますが、危機感を持てない人はその場になるまで気にも留めないので対処が遅れて上手くいかないのです。その証拠に上手くいかなかった人はよく「こうなるとは思わなかった」というのを口にします。

 こうならないためにも度々自分の在り方を見直し、改めたり将来に備えたりすることが必須です。自分を変えることこそが人生を乗り切る条件なのです。



2025年2月25日火曜日

トランスジェンダーのスポーツ(身長)

 近年トランスジェンダーの公式スポーツ参加が問題となっている。参加することに意義があるとの考えから強行したいリベラルと、公式記録の計測とフェアプレイ精神から拒否したい女子アスリートの間で揉めている。

 そもそもスポーツはフェアプレーや公平性が担保されるのを前提としてしているため(不公平な条件でプレイするのは卑怯で、誰も腹が立つから)、これが損なわれるのは大会開催の意義に関わる問題である。

 ここで取りざたされるのは男→女へのトランスジェンダー(MTF)の身体である。元男性ということで生物学的には男性の身体を持ち、成人の全てのMTFは男性型の二次性徴を遂げている。当然一旦は100%男性化を果たしている訳で、性別移行をした後もそのアドバンテージが残るのか検証したい。その1回目として今回は身長について取り上げる。

ホルモンを投与しても身長は低くならない

 その前にトランスジェンダーの場合、ホルモン投与をするのが一般的である。特にスポーツの場合、大会規定により男性ホルモンの量に制限があるため、トランスジェンダーのホルモン投与は必須である。これにより大なり小なり身体に影響が出る。例えば乳房の発達や皮下脂肪の増量などがそうだ(年齢差や個人差がある)。

 しかし変わらないものも多数ある。その最たるものが身長だ。身長が伸びるのは成長ホルモンだけでなく、男性ホルモンの影響も大きい。相対的に女性の身長が低いのは精巣が無く、男性ホルモンの分泌量が格段に少ないからだ。

 しかも第二次性徴は遺伝子と細胞の分裂回数が一定数を越えることで終了することがわかっているので、その後女性が男性ホルモンを打っても背は伸びず、追い付くことはできない。反対に一度身長が伸びてしまうと骨の硬さから高齢になるまで縮まないので、背の高さは維持される。女性ホルモンを投与したところで低くなることは無い。

 ということは、MTFトランスジェンダーのほうが身長が高いので有利である可能性が見えてくる。

男女での平均身長の比較

 大体、男女でどれほど身長は違うものだろうか?文部科学省の学校保健統計調査によると、男性は171.5cm、女性は157.5cmとのことで、14cm差がある。世界で最も身長が高いオランダでは、男性が184cm、女性が171cmで、オランダをもってしても女性は日本人男性よりも低い。さらに同国男性と13cm差があることから日本のケースと同程度で生物学的な法則性が見られる故、男女の身長差は個体差とは言えない。

身長差が有利に働く競技

 これを挙げたらキリがないとは思う。バレーボール、バスケットボール、走り高跳び、サッカーなんかは多くの人が思い浮かぶだろう。バレーボールはスパイクやブロックの高さが勝敗を分けるし、バスケットボールは身長が高いとダンクシュートができるので確実に得点できる。身長が高いと相対的に足も長くなるから高飛びも楽になるし、サッカーはヘディングの都合上背の高さは重要である。

 ただここでは別の切り口を持って、他の競技でも意外に身長が有利に働く事例を紹介する。

①競泳

 まず考えるのは競泳である。近年MTFのリア・トーマス選手に関して揉めに揉めている競技だが、この競泳も高身長ほど有利である。

 理由の一つは、後ろにかく水の量が多い分速くなるからだ。高身長であればそれに応じて手足も長くなるから、かける水の量が増える。元男性であるがゆえに高身長というだけで努力せずかく水が増えるのだから不公平である。

 さらに実質的な泳ぐ距離が、高身長ほど短くなるのもある。スタート時は水上にあって、そこからジャンプして飛び込むことから、背が高いとより遠くへ飛べる。当然水中より空中のほうが抵抗が少なく速度が速いので、より遠くへ飛べた方が有利である。さらにターンとゴールの際には腕と脚の長さ分リーチがあるので、泳ぐ距離を減らせるのだ。

②陸上(長距離)

 長距離種目はスタミナの問題だから関係ないと言い張るのもいそうだが、近年は様相が変化しているので別な理由で考え物だ。というのも、特にマラソンはここ近年高速化が進んでいて、世界記録の更新が続いている。その大きな理由が黒人選手特有の走行スタイルだ。

 かつては日本や南米など比較的低身長の国の選手がマラソン界をリードしていた。その背の低さをカバーする走り方がピッチ走法だった。足の動きをあえて小さくすることで疲れにくくし、歩数を増やすことで勝負する方法だ。

 しかし近年はアフリカの黒人選手が台頭するようになった。その彼らの走り方がストライド走法だ。脚を大きく蹴り出し、歩幅を広げることでスピードアップを図る方法だ。この方法は一般的には疲れやすいと言われるが、それを覆す活躍ぶりである。

 しかもこの方法は脚の長い選手に有利に働く。背の高さと脚の長さは比例するので、男性も有利に働くのは必然だ。元男性選手がストライド走法を取り入れたら、高速化するのは明らかである。

結局、努力や個体差以外で得たもので戦うのは良くない

 結論これに尽きるのではないかと思う。一生懸命努力したにもかかわらず、生来の物で勝負されたらたまったものではない。アンフェアな条件を押し付けられたら、怒るのも当然だ。LGBT側のモラルの無さが問われている。



2025年2月21日金曜日

老後の生活を「全て年金で」まかなうのは、元から不可能です

   ある程度年齢が高くなると、老後の生活が気になってくると思います。その中で年金がいくらもらえるか懸念する人も多いかと思います。と思いつつも実際には老後の生活について具体的な対策を何も取っておらず、ただただ年金を当てにしているという人がほとんどではないでしょうか?

 ですが、ハッキリ言います。年金だけで老後の生活を全て賄うのは「不可能」です。

 ここではその理由と対策を説明します。

年金だけでは生活できない理由

 巷のお年寄りへのインタビューでもよく言われるように、年金だけでは暮らせないという話はよく聞きます。そこで政府が悪い、政治家が悪い、行政が悪いと言って簡単に片づけるのは、思考の放棄に他なりません。将来のためにもちゃんと考えないと、困るのは自分です。なのでまずその前段階として、年金では生活できない原因を解析します。

①現金積立方式ゆえに物価上昇に適応できない

 まず最も理解しておかなければならないのは、年金は「現金」積立であるということです。なので10万円積み立てたとして、それが10年後であろうが20年後であろうが現金である以上、額面の数字で価値が決まるので当たり前ですが10万円で変わりません。

 しかし歴史を見ると物の価格(物価)は総じて上がります。例えば昭和31年の物価を見ると、

  キャベツ1玉 20円
  ラーメン1杯 40円
  タクシー初乗り 120円
  都内地下鉄初乗り 20円
  床屋散髪代 100円

などとなっています。現在はどうでしょう?大体5倍~10倍くらいの物価になっているのではないでしょうか?ラーメンに至っては20倍にもなっています。

 ただ、年金というのは現役の時代の収入を基にして納付額を決定しているので、初任給1万円の時代(昭和30年代後半)に納めた年金なんて雀の泪ほどしかなく、現金である以上額面通りの価値しかないため、40年後物価が5倍10倍にもなって足らなくなるのは必然です。

 かといって将来の物価上昇にあわせて納付額を増額すると、今の生活が成り立たなくなるのでそれもできない。ここにパラドックスがあります。

②上記のパラドックスを無視して超過給付

 にもかかわらず今の高齢者の生活を維持するために支払った額以上の給付を行っていたのも問題があります。年金機構の収支は赤字になるので、その赤字を埋めるためにより若い世代が納めたお金を流用しています。つまり自転車操業です。

 それでも人口が増えていた時代はまだ問題が矮小化できていましたが、人口減少が始まると穴埋めが追いつかなくなり、ついには給付縮小へ舵を切らざるを得なくなっています。

③少子高齢化

 ②でも触れましたが、少子化に伴う人口減少で加入者が減っていく問題もあります。そのために年金機構に入ってくるお金が減るので、まかなえなくなってきます。

 その一方で日本の平均寿命が延びる一方なので、その分支給期間も伸びて給付額が増えているのも支出超過におちいっています。

④将来性の矮小化するバイアス

 さらにこれらとは別に心理的な問題もはらんでいます。人間は直近の心配事には関心を持つが、遠くの心配事は小さく見積もるというバイアスがあります。そのため今起きている物事には対処するものの、将来のための対策は何もとらないことで40年後にしっぺ返しをくらって路頭に迷うことになります。そして、このことを指摘する人がかなり少ないのも問題です。

最大の原因は人間の度を超えた願望

 ここまで見てきましたが、果たしてこれは政府のせいでしょうか?よく考えてみてください。これらを望んだのは誰ですか?国民一人一人ですよね。物価が上がったのは国民が昇給を望んだからだし、払えもしないのに納めた額以上の給付を望んだのも国民で、死ぬのを恐れて延命を望んだのも国民で、子供を産まないことを選んだのも国民。

 つまり本当は自分自身が犯したことなのに、政府や行政など他者へ責任を擦り付けているという訳です。そのような国民の愚かな願望が年金に対する過度の期待と、行き詰まりをもたらしているのです。

年金に頼らずに資金を得るには

 以上のことから年金に頼るというのはいかに幻想であり、現実逃避なのかがわかります。では将来生活に困らないようにするには、今何をしなければならないのでしょうか?

①家計の見直し

 まず取り組むべきは、家計の見直しでしょう。無駄遣いしていないか、使ってないものにお金を払っていないかチェックします。マーケティング&ブランディングディレクターである橋本之克氏の著書で「9割の買い物は不要である」という本があるように、結構探すと無駄な出費があるものです。

 しかし多くの人は無駄遣いをしたということを認めるとネガティブな感情やストレスにさいなまれるので、買い物を正当化して見てみぬふりをしてしまします。これはストレスを避けるための防衛反応で、人間の本能でもあります。ただ、これに流されてしまうと出費が止まらなくなるので、いち早く気づいてストップをかけなければなりません。そのためにしっかり記録をつけて、見直しする必要があります。

②余剰金を投資

 家計を見直し、無駄な出費をカットすると余剰金が生まれます。この余剰金を貯金するというのはありがちな手段ですが、賢いとは言えません。なぜかというと、貯めてるだけで増えていないから。これでは年金と変わらないので、物価上昇に対応できていません。そこで採るべき手段は、「投資」です。

 投資対象である金融商品は、物価上昇に合わせて価格が上がります。といいうのも、金融商品は価値が一定でなく、相場で決まるからです。そして相場は需給バランスで決まるので、物価が上がれば連動して金融商品の価格も上がります。結果、資産が膨らむ速度が早まるので、40年後も同じ生活水準を維持できます。

まとめ

 年金では暮らせない理由は挙げればキリがないですが、それを穴埋めする方法は意外とシンプルで、「家計の見直し」と「投資」の2点だけで十分と考えます。裏を返せばこれ以外にないということでもあるので、やらない手はないです。しかもこのどちらの手法も時間を味方につける方法なので、遅くなればなるほど効果が低いです。なので思い立ったが吉日で、手遅れにならない内に早速始めましょう。



2025年2月8日土曜日

キチンと収入が得られて、貯蓄を増やせる人の特徴10選

 
 一般庶民の会話でよくある話として、「お金がない」というのがあります。まあどこへ行ってもよく聞くし、なんなら居酒屋での定番ネタと言っても過言ではないでしょう。その一方で特に収入が多いようにも思えないのに、お金に困っていないという人も中にはいます。この違いは何なのでしょうか。今回はメンタルにフォーカスして理由を探りたいと思います。

お金に余裕がある人

 さてお金に余裕がある人というとどんな人を思い浮かべるでしょうか?収入が多くて、ブランド物を多く持っていて、ぎらついている人でしょうか?そういう人は羽振りはいいかもしれませんが、出費が多いので必ずしも余裕があるとは限りません。実際に余裕がある人というのは、少ない収入でもコツコツ貯めてしっかりと貯えがある人ではないでしょうか?そう考えるとかなりイメージは変化しそうです。では実際に余裕のある人にありがちな共通点を見ていきます。

①計画に忠実

 まず挙げられるのが、物事の進め方が計画的だということです。近年MBTI性格診断が流行っており、その中で最も人生が上手くいきやすいタイプと言われているのがINTJ建築家タイプなのですが、なぜINTJが順調に行きやすいと言われるのかというと計画的な行動をとるからです。そう、計画的であることは人生において最も重要な要素なのです。

 例えば貯蓄をするには計画性が必須ですし、仕事で成果を上げるのも計画が重要です。受験に合格するには学習計画を立て忠実に実行したほうが上手くいきやすいですし、健康維持をするにも規則正しい生活が求められます。それだけ計画的であることと、それに忠実に従うことが余裕のある生活には欠かせないのです。それができる人が人生で困らないというわけです。

②感情に流されない

 この感情というのが厄介で、これをコントロールするかしないかで人生は大きく変わります。感情コントロールをしなければ、計画がブレてしまって失敗に繋がりますし、果ては散財することもしばしばです。さらには人間関係でのトラブルも多くなるため、人が寄りつかなくなって助けて欲しい時に助けを得られなくなります。

 反対に余裕のある人は感情コントロールをしっかりしています。感情の波がないため、常に冷静でブレがありません。感情的な人からは冷たいと言われがちですが、起伏がない分反って感情的な人みたいに極端に冷酷になることはありません。常に精神が安定しているので、人生も安定し上手くいきます。

③成長マインド

 人生順調に行く人は、大人になろうとします。そのために成長を追い求めます。これを成長マインドと言います。大人になったほうが他人から受け入れてもらいやすいし、上手くいくことを知っているのです。

 ただどんな人も最初は子供です。初めから大人だった人はいないため、大人になるには是が非でも成長をしなくてはなりません。だから成長することが不可決なのを理解しているし、自分を変化させることに躊躇しません。

④他責<自責

 基本的に余裕のある人は、責任の所在を自分に置きます。正確に言うと、何か自分に改善点がないかを探っています。それは成長のネタを探しているからです。なので何かトラブルが生じても全ての責任を他人へ擦り付けることをせず、自分にも落ち度がないか探ります。そして修正を加えてより良いものへと進化させます。

⑤ロジカル

 ロジカルを日本語に訳すと論理的となりますが、余裕を持つにはこの思考法が欠かせません。勘にばかり頼っていては、いつまでもあたりを引くことができないからです。物事が上手くいく確率を高めるには知恵が必要です。その知恵を導き出すのがロジックなのです。

⑥勉強熱心

 順調な人生を送っている人は勉強熱心です。ロジックを組み立てるには知識が必要ですし、計画を立てるには情報が必要だからです。なので暇さえあれば勉強をして知識や情報を集めます。

⑦積極的

 人生で何かを得ようと思っても、勝手に機会が降ってくることはありません。自分で取りに行かない限りやってこないことを、余裕のある人はよくわかっています。だから積極的に動くし、手数も多くすることで下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると考えるのが特徴です。

⑧地道にコツコツ

 これも重要で共通する要素です。せっかく何か始めたり計画を立てたりしても、続かなければ意味がありません。そもそも多くのことは地道にコツコツやらないと結果が出ないものです(仕事、商売、勉強、貯蓄、投資、健康維持、スポーツ、音楽、美術などなど、例を挙げればキリがない)。一発逆転は確率が低すぎてまず起きないし、起きても長続きしないことを賢い人は知っています。なにより一発逆転してもメンタルが追いつかないので、コントロールを失うというリスクをちゃんと考えています。

⑨都合のいい考えを持たない

 ちゃんと地道に生きている人は、ご都合主義な考えを持ちません。確率の低い不確定要素なので、計画が合わなくなることを理解しているからです。

 むしろこの手の人はリスクや不都合なことに対して目を背けません。それがもし起こった時にちゃんと対処法を考えておかないと、損失を丸々被ることになるからです。そもそも人生で最も重要なのは上手くいくことではなく、リスクをどれだけ小さくできるかにかかっているのを熟知しています。なのでリスクに目をやるのは重要なのです。

⑩承認欲求がない

 貯蓄がきちんとできる人は、概して地味です。それは節約して貯蓄の資金を捻出する為でもありますが、そもそも自分を着飾ることに消極的です。誰かに見て欲しい、ちやほやされたいという承認欲求がないので、着飾る必要がないです。むしろそういう行動にはリスクがあることを知っているので避けます。

まとめ

 さあ、いかがだったでしょうか?全部できている人はなかなかいないでしょうが、これを身につけることができたらかなり人生が変わると思います。特に日々の生活や老後の資金を考えるとこのメンタルは身につけておく必要はあります。すぐにはできないものばかりではありますので、少しづつでも早めに始めておきたいものです。




2025年1月28日火曜日

読むのと違う「読解力」

 ネットの普及に伴ってより文章に触れる機会が増えています。SNS、ニュースサイト、HP、ネット動画など、数多くの媒体が作られています。さらにそこへレビューやポストを書き込めるようになったことで、相手の受け取り方や反応が可視化されるようになりました。これによって露わになったのが、読解力の差だ。

 この読解力のレベルによって、文脈を読み取れなかったり、筆者の意図を汲み取れず誤解を招いたり、真意が見えず勝手に決めつけたりします。その結果、人とまともに関係を築けない人、言葉がわからない頭の悪い人、説明に手間がかかる面倒くさい人という印象を与えてしまい、自分にとってかなりのデメリットを被ることになります。

 そこで読解とはどういう状態か、読解力が無いと困ること、読解力が無い人がやりがちなこと、読解に必要なものは何なのかについて解説します。

読解と読書と感想は違う

 さて読解ですが、そもそもこの意味をご存じでしょうか?辞書を引くと「文章を読んで内容を理解すること。」(旺文社国語辞典参照)とあります。ということは、文章を読んだだけではダメなんです。読んだだけというのは、ただの読書です。

 加えて内容の理解が必要で、内容のジャッジや決めつけをしてもいけないのです。あなたがどう思ったか、どう感じたかは感想であって、読解ではありません。大体感想の場合、目線が自分にチェンジしてしまっていることからも、違うのがわかります。

 さらに言うと、読解を大和言葉にすると読み解くと言います。つまり読んで解き明かすということ。書かれている文章を読み、尚且つ自分がどう思ったかではなく、著者がその文章の中で何を言わんとしているのかを解明するのが読解なのです。

読解力がないと困ること

 読解力が無いと困るのは誰でもわかると思いますが、実際にどういうシチュエーションで問題を発生させるのでしょうか。

①人間関係のすれ違いが起きる

 まず挙げられるのは、人間関係のすれ違いでしょう。読解ができないと相手の言っていることを正確に理解できないため、間違った認識をしてしまいます。時間を間違えるのも良くないですが、人間関係ともなれば一生の仲違いにだってなりかねません。人の気持ちがわからないヤツ、空気の読めないヤツ、相手の立場に立って考えられないヤツといって、レッテルを貼られるかもしれません。そうなると周囲から孤立し、グループ内にいずらくなってしまいます。

②生活で困る

 物語や随筆なら登場人物の行動から心情や理由などを読み取れないことになります。そうなると物語の真相や登場人物の表の顔とは裏腹な心情がわからなくて、あまり面白みを感じないかもしれません。

 実社会では、説明書の内容がわからなくて上手く操作できない、契約書の注意事項がわからなくて不利な条件で契約してしまうといったことが起こりえます。試験問題がわからなくて問題が解けないなんてのも、あるあるだと思います。

③浅い関係しか作れない

 読解ができないことで相手の真意を理解することができないため、上辺だけの理解に留まってしまいます。その結果、当たり障りのない人付き合いに終始してしまい、相手と深く親密な関係を築くことができません。しかもそのような浅い関係は切ったり切られたりが容易なため、関係を持ったとしても短期間で終わったり、自然消滅しやすかったりします。

④騙されやすい・振り回されやすい

 読解ができないということは相手の意図が読めないわけで、そうなると相手の言うことを鵜呑みにしてしまい騙されたり、裏切られたりすることが多くなります。

 人間関係においても、読解力がないと相手の行動や言葉尻にしか目が行かないので、その奥にある相手の本心に気づくことができず、相手の反応への対処に終始するばかりで翻弄されることになります。

読解力がない人の特徴

 とはいえ自分に読解力があるかどうかわからないと、改善のしようがありません。そこで読解力のない人にありがちな行為を挙げてみました。どの点が自分にあてはまっているかチェックしてみてください。

①早とちりが癖になっている(一部の単語しか見ていない)

 まず一つ考えられるのが、早とちりが多いという点です。このタイプは全文を読む前に、一部の単語だけを見てわかった気になってしまっています。これでは誤読が頻発し、読解以前の問題になります。

 実際私の母がこのタイプで、回転寿司のポップの「ふり塩鮪一貫盛り」の「ふり」だけを見て、「ぶり」だと勝手に判断しておりました(写真まで載っていたにもかかわらず)。こうなると魚の種類まで異なってしまうので、思っていたものと違う商品が届くことになります。

 他にも精神科診療で除外診断(他の疾患や障害を併発していないか確認するための診察)と言われる診療行為があるのですが、その「除外」の字だけを見て患者を排除している差別的だと勝手に判断して、口論になり関係悪化を招いている人もいました。

 恐らく根底に、特定の物に注意が向くと他のことに目が行かなくなるシングルフォーカスの特性があるものと考えられます。これは脳の特性とも絡む問題なので、結構複雑です。

②文法理解が不十分

 結構見過ごされがちだと考えられるのが、文法理解の度合いです。特に接続詞や代名詞の扱いが意外とズレていたり、見逃したりする人が散見されます。

 例えば逆説の接続詞(が、しかし、だが、にもかかわらずなど)が使われているにもかかわらず、順接としてとってしまい、辻褄の合わない理解をしてしまう人を見たことがあります。

 あと一定数いると言われているのが、代名詞やこそあど言葉(これ、それ、あれ、どれ、ここ、そこ、あそこ、どこなど)の差している物事がどれなのかがよくわからないという人です。日常の会話で
差してるものがわからないのは、相手の説明不足のケースも多々あるので問題にはしませんが、文章の場合は前文が必ずあるので、事前に差しているものが書いてあります。そう、事前に説明した上で代名詞が使われているにもかかわらず、差しているものがわからないという人がいるのです。このケースは発達障害者によく見られるとのことです。

③文脈が読み取れていない

 文脈というのは辞書によると、「文章の筋道。文章の続きぐあい。」(旺文社国語辞典参照)とあります。ちょっとわかりにくいので説明すると、その文章から傾向やプロセスを見出すことと考えられます。なのでこの傾向やプロセスから逸脱していると、間違った解釈になるので読解力がないことになります。

④自分視点しか持てない

 自分視点しか持てないというのは、読解する上でかなりハンデになります。というのも読解というのは、著者の考えを文章から推し量り理解する行為なので、まず著者の視点に立たねばなりません。しかし自分視点しか持てないとなると、そのスタート地点にすら立てないことを意味するからです。

 というのも自分視点で見たものというのはあくまで自分から見た場合の話であって、著者から見たものとは異なるからです。なので一旦自分目線や自分の考えを捨てる必要があるのですが、これができないと間違った視点で見てしまうので見ているものが異なってしまい、間違った解釈をすることになります。

⑤自分の考えや解釈を勝手に入れてしまう

 読解では著者の意図を問われているのに、「自分はこう思ったから」とか「自分はこう判断したから」と言って、勝手に自分の都合で解釈を変えてしまう人もいます。常に自分視点しかなく、先入観にとらわれやすい人にありがちです。ただそれは読者であるあなたの考えであって、著者の考えではありません。これは考えのすり替えが起こっており、もはや読解ではありません。

 読解の主体はあくまで著者であって、自分ではありません。なので書かれた文章の範囲内で言えることを理解しなければならず、自分の考えを盛り込むのは言語道断でNGです。これは著者が言ってないことを言ったように見せかける行為で、デマ・虚偽になるので止めましょう。

⑥学習障害の可能性

 最後に注目したいのが学習障害です。近年発達障害の一形態として、学習障害があることがわかってきました。その学習障害にもいくつかのパターンが存在し、その一つとして読字障害があります。これは文章を読むのに困難を抱える障害で、

①一個一個の単語の意味はわかるが、文章になるとわからない。
②文を端から順番に読むことができず、いくつかの行を飛ばしてしまう。
③文字や語彙の習得が困難で、わからない言葉が出てきても調べずに飛ばしてしまう。

などの症状があります。

読解力を高めるには

 では実際に読解力を高めるにはどうしたらよいのでしょうか?以下の点を注意、トレーニングをしてみましょう。

①すぐに反応せず、落ち着いて全部を読む

 早とちりの人はとにかく反応や結論を焦り過ぎです。まずは落ち悔いて冷静になることが必要です。加えて確認する癖がついていないので、最初は面倒に感じるでしょうが失敗するほうがもっと痛いので、いちいち確認を挟むトレーニングをしましょう。1カ月程度続ければ習慣化して面倒くささも無くなり、落ち着いて読めるようになります。

②文法を厳密に守る

 文法に従わず自己流の読み方をしていると、当然著者の真意とは異なった解釈になってしまいます。そうならないためには文法をちゃんと守る必要があります。これをできるようになるには、接続詞や助詞、助動詞を見逃さないこと、代名詞の差しているものが何かわかること、文章になった時にどんな意味になるかを考えることが必要です。

③背景事情を推理しながら読む

 文章を書く上で、必ず背景が存在します。この背景を基にして著者は思考を巡らして文章を書き、文脈が形成されて行きます。その登場人物の行動の裏には何があったのか、著者の言論のベースには何があるのかなどです。そしてこれは決めつけではなく、文章から理屈で導き出す能力が必要です。

④自分視点を一旦捨てる

 常に自分本位の見方をしていると、相手も自分と同じように考えて当然などと思ってしまいます。しかし人間は十人十色、必ず相手の考えていることは自分とは異なります。同じことなどありえないので、自分視点では絶対に読解できません。

 著者の視点を持つには、一旦自分視点を捨てなくてはなりません。中には自分視点を捨てたら自分でなくなる、相手に折れたことになるから嫌と考える方がいますが、読解とは別な言い方をすれば相手の出方をうかがう行為なので、決して自分を失う行為ではありません。例えばサッカーのフォーメーションを決める際に、一旦相手陣営の身になってシミュレーションしますがこの時点では決して相手に負けたわけではないですよね。むしろまだ、試合すら始まっていない。かつ、このシミュレーションをしないと勝てる試合ができない。これを読解でもするのです。

⑤自分の考えは脇に置き、書いてあることのみに集中する

 人によっては自分の中のポリシーや思想を人生の柱にしている場合があります。それは大いに結構ですが、それと著者の言いたいことは違います。拡大解釈したり、曲解したりするのは自分が勝手に加えた部分であって、著者の言った事ではありません。

 確実に著者が言ったと断言できるのは、文章の中に書かれていることのみです。「これはこうに違いない」とか「こういう解釈があってもいいだろう」というのはあなたの好みであって、著者の発言ではありません。このタイプの人は自他の境界が曖昧なので、これは自分の考えなのか、著者はそこまで書いていたのかちゃんと確認して、自分と他人の考えをはっきり分ける習慣をつけましょう。

⑥語彙を増やす

 読解力が低い人の中には、語彙のバリエーションが少ない人もいます。これだと文章を読もうとしても知らない単語が度々出てきて、意味がわからないという事態になりやすいです。そうならないためにも普段から意識的に知らない単語を調べたり、自分から使ってみたりして語彙を増やす必要があります。

まとめ

 読解力は一朝一夕に身につくものではありません。長い時間をかけて地道にトレーニングしなければならず、根気が必要な作業ではあります。しかし読解は文章を読むうえで必須のスキルですし、生活でも趣味でも影響は多岐にわたるので身についていないと本当に苦労します。なので少しづつトレーニングしてできるようになっていけば、生きづらさが解消していきますよ。



2025年1月25日土曜日

トラブルメーカーのトランスジェンダーと精神

 LGBTQの人がクローズアップされるようなって久しいものの、その間に様々な問題が噴出されてきた。特にトランスジェンダーの公式スポーツ参加は度々問題視されてきた。他にも公衆浴場、トイレ、女子校など、枚挙にいとまがない。これによって実害を被る人(主に女性)も次々と現れて、アメリカでは議会でも議論が紛糾。ついにはトランプ大統領までもがこの件に言及し、政策転換の方針を掲げるなどしている。

 ただよく考えると、ほとんどの人達はこういった問題を引き起こすことを快く思っておらず、止めて欲しいと願っているにもかかわらず、なぜ一定数のトランスジェンダーはそれでも行動に移してしまうのだろうか?今回はLGBTQの是非や政治の話ではなく、問題の渦中にあるトランスジェンダーの精神について分析する。

LGBTQだから問題を起こすというわけではないが・・・

 そもそもLGBTQ全員が問題になるかというと、もちろんそうではない。その属性故に一度ことが起きれば大きく報道されてしまうので、かなりのリスクでしかなから穏便にすましたいと思っている人が大半であろう。そしてその感覚は多数派に属する人も同様であろう。

 とはいえ、世界を見渡すとトランスジェンダーが関わって騒動になる事件が度々発生している。特にスポーツについてはかなり揉めに揉めている。生来男女では身体に違いがあるからだ。とりわけ第二次性徴を境にその差は歴然となる。身長、骨格、骨密度、筋肉量、肺活量、持久力、ホルモン値など、数値的に差が判明するものだけでもこんなにある。これをもって元男性のMTFが女子スポーツに参戦するのは、通常の思考では良心の呵責が生じて躊躇するものだ。

 しかし一部のトランスジェンダーが、参加を強行する事態が止まない。ということは、この手のトランスジェンダーは通常とは異なる思考形態を持っていることになる。

強行する人の心理傾向


①自分視点・主観的で、他者視点が欠如

 まず言えるのが、とことんまで自分のことで頭がいっぱいであるということだ。それは発言を見聞きしても明らかで、自分を主語にした発言ばかりで、他人を攻撃する時以外に他者を主語にすることがない。話の内容が、自分がどうしたいかという願望や主張ばかりで自分の世界の中だけに終始しており、他者からどう見られるかとか、他人に対してどう思うかといった自分以外の人との相互関係の話が一切出てこないのだ。

 つまり話の内容が自分の事ばかりで、他人への思いやりに関心がない。結果、自分がやりたいかやりたくないかという単純な損得だけで判断してしまい、相手が傷つくとか周りの迷惑とかを考えない傾向がある。


②暗黙のルールやモラルの欠如

 明文化されたものだけがルールだと考えているのも、この手の人に共通する傾向だ。実社会では、こんなの「いい大人だったら、言われなくてもわかるだろう」というものは、無意識に書かないことも多い。もっと言うと、マナーやモラルなんて実生活と密着しており、どこの地域に行っても当たり前すぎていちいち明文化していない。

 しかし明文化されていないとルールと認識できない人にとっては、文字やあらかじめ口伝されていないとルールはないものと判断する。なぜかというと周りの人の挙動に関心がないため、他人のやり方を真似たり確認したりという処世術が無いのと、基本姿勢が受け身で誰かが教えてくれるものと考えているので、自分から教わりに行くことがないからだ。その結果、年齢相応のマナーやモラル、ルールの知識に乏しくトラブルを起こす。

 さらに困るのは「ルールがない=やっていい」という勝手な解釈をするため、独断で強行してしまう。自分に世間一般のルールの知識が乏しいという認識も持っていないため、自分の判断は正しいと解釈してしまう。明文化されたルールに関しては確かに守っているのだが、それ以外の部分に意識が向いていないので、いわゆる「空気が読めない人」と判断されてしまう。

 もっと根源的なところまで突っ込むと、このタイプの人はルールとは誰のために、何のためにあるのかというところが年齢の割に理解できていない。ルールとは、他人と上手くやるためにお互いに配慮したり、折り合いをつけたりする必要から生まれたものというのがわかっていない。それどころか折り合いをつけたくないという願望から、ルールは自分を縛るものだと勝手に決めつけている。ただ明文化されたルールは文書という証拠があるから従う(都合が悪いとそれも破るが)が、勝手に振る舞いたいから文書になっていないものは逆手にとって従わない。あまりに自分勝手である。


③将来予測の機能不全

 一般的に多くの人は不特定多数の人との相互関係の中で生きていることを無意識に理解しているから、相手に不快な思いをさせる恐れがあると事前に察知することができ、その場合は自分のほうから身を引いて危機を回避する機能が備わっている。

 しかし問題となる人は先の展開を予測する機能が弱いのと、相手の立場に立って相手の心情を推測する能力が弱いため、後先を考えない衝動的な判断になりがちである。そのため今自分を満足させることに終始してしまい、その行為で顰蹙を買い多くの人から非難を浴び、周りまで巻き込んで自他ともに害を与えてしまう。周囲の人からしたらいい迷惑で危険人物として見ざるを得ず、結果自分で自分の立場を失墜させるという残念な末路を迎える。


④異常な執着と我慢の弱さ

 さらに問題なのは、異常な執着を見せることだ。一般の人なら例え衝動的に動いたとしても、その後自分の行為が社会的なトラブルになり良くないことだと気づけたなら、そこで身を引くことができる。

 しかしこういった人は自分の欲求に対して異常な執着を見せるため、そこで引くことができない。なぜなら損得勘定が強く、諦められないからだ。そのため一般人と比べると、極度に我慢ができない。さらに是が非でも欲しいばかりに強引な手段に出てしまい、対人摩擦を大きくしてしまう。それどころか自分の欲しものを手に入れられなかったからと周囲の人々を逆恨みし、逆切れまでしてしまう。いわゆる癇癪だ。

 その結果欲しいものがあると手段を選ばない、わがままで素行の悪い人と判断されてしまい、人々から遠ざけられ余計に自分の願望が叶わないという一番願っていいない結末に陥ってしまう。


⑤責任感がない・他責思考

 そしてこの手の人に共通してある考え方が、他責思考だ。何かトラブルが発生した時に常に他人や環境や境遇のせいであって、自分には一切原因や責任がないという考え方だ。これは非常に危うい思考だ。

 なぜなら一つに、無数にある出来事の全てに自分には原因がないなどということは有り得ない。なので、その内のいくつかは必ず責任転嫁をすることになる。当然責任転嫁された人は不当な不利益を被るので怒るから、人間関係が絶対に悪化する。これにより本人の精神も安定しなくなり、疾患の発症や悪化も招くだろう。

 二つ目に自分が精神的に成長しないということだ。人間は自分の問題点を改善することでスキルを高めて、生きる力をつけていく。しかし常に他人のせいにしていては、改善すべきところがいつまでも先送りになるので成長しない。そもそも人間は全てを身につけて生まれてくることはできない。生きていく中で少しずつ修正を加えながら生きる術を身につけていくしかないのだから、それを回避していては社会との乖離が大きくなり、自ら社会不適応を起こしてしまう。

ある障害との類似

 ただここまで見てきて気付くのは、これらの傾向は発達障害の特性と共通しているという点だ。特に自閉スペクトラム(ASD)との相関がみられる点が興味深い。ASDの特徴として、

①シングルフォーカス・他者視点で考えることが苦手
②明文化されたルールには従うが、暗黙のルールやマナーの習得困難
③知覚推論(物事を推理する能力)の低さ
④特定の物事への強いこだわりと我慢の欠如
⑤嫌なことから逃げてしまいがち

が挙げられるが、どれも上記の傾向と合致している。つまり問題となっているトランスジェンダーの根本原因は性的マイノリティという属性と社会の問題ではなく、その人固有の発達特性が協調性のない行動をとらせることによって発生していると考えたほうが辻褄が合う。

 そもそも性的マイノリティであることが原因であるなら、ほとんどのトランスジェンダーが問題を引き起こしていなければ理屈に合わない。しかし実際にはそういった事件は極限られた者のみで、大半のトランスジェンダーはこの範疇ではない。このことから性的マイノリティであることが原因と考えるのは妥当でなく、神経発達の問題と見たほうが余程一致率が高く、合点がいく。

 実際精神科医の間でもトランスジェンダーと発達障害の並存率が高いことは知られている。YouTuberの精神科医益田裕介氏も指摘していて、発達障害学会でもその話が出たという。他にも発達障害の当事者でカウンセラーのかずき氏もこのことに触れていて、併発している発達特性ゆえにトランスジェンダーの認識を持ってしまうという見方を示している。通常性別違和の人口比率は多く見積もっても0.96%程度とされている(2022年6月15日岡山大学発表)が、益田医師によると精神科医の間では肌感覚ベースではあるものの発達障害者に占める30%程と5,6倍もいるとのことだ。

参考:精神科医益田裕介「一問一答」(🐹リョーハム🐹)精神科医がこころの病気を解説するChの切り抜き動画


 ゆえに発達障害を併発させているトランスジェンダーが、その発達特性によって問題を起こしていると見れば一部の人しか起こしていないのも説明つくし、行動パターンにも辻褄が合う。

 ということは、こういうトラブルを起こすトランスジェンダーについては発達障害を考慮する必要があるし、障害ゆえに社会性が身についていないから、ソーシャルスキルトレーニング(SST)や認知行動療法などの医療や福祉につなげないと根本的な問題解決にはならない。彼らに与えるべきは権利ではなく、社会性・協調性を身につけさせる育て直しである。



2025年1月21日火曜日

企業の撤退相次ぐDEI

 ここ最近相次いでいることに、世界的に有名な企業・コングロマリットのDEIの縮小、撤退がある。縮小撤退を発表した企業には、小売最大手のウォルマート、アメリカンバイクメーカー最大手のハーレーダビッドソン、ハンバーガーチェーン最大手のマクドナルド、ネット通販最大手のアマゾン、最近ではメジャーSNSのフェイスブックを運営するメタも縮小を発表した。日本でも世界最大手の自動車メーカーであるトヨタも今後DEIには参加しないことを発表し、この潮流に乗っている。

 では、ここにきてなぜ一転反旗を翻すようになったのだろうか。

DEIとは?

 その前にDEIについてわからないといけないので、解説しておきます。DEIとは、Diversity(ダイバーシティ、多様性)、Equity(エクイティ、公平性)、Inclusion(インクルージョン、包括性)の頭文字を採ったもので、これによって格差解消、機会平等を進めようとしたものです。

 正直お題目としては良さげに見えますが、結果が伴うかどうかは別の話になるので、そう単純にはいきません。そもそもこれだけでは大雑把な姿勢を示しただけで具体的ではないため、どういった取り組みをするのかが重要です。その取り組みのことをアファーマティブアクションと言います。

トランプ大統領のせい?

 で、よくトランプ氏が当選したからこれに媚びを売るために同調しているという見方をする人がいるが、それは表面的でしかない。あくまでトランプ氏は現状を見た後で述べているので、時系列からして原因とはなりえない。というのも、現状は現在を表しトランプ氏の政策は将来を表しているので、将来から現在に時間が逆行することは有り得ないからだ。

 もっと言うなら、政策は現状を基にして立案されるものなので、現状に問題がないとこういった話は出てこない。つまり、トランプ氏に問題があるのではなく、現在のDEIの取り組みに問題があることを示しており、そのことにトランプ氏は言及しているにすぎないのだ。

DEIの名の下で行われている取り組み

 なら実際にDEI推進のためにどのようなアファーマティブアクションが行われているのだろうか?実例を見ていくとする。


大学入試の合格点

 まず見ていきたいのは大学入試だ。アメリカは長らく黒人を労働力として使い、解放後も黒人差別が続いてきたとされている。そのため黒人は冷遇されており、入学を制限されているとの見方から、大学によっては黒人の合格点を下げて合格しやすくするという取り組みが行われている。

 だがこれは矛盾している。この大学入試において、合格点を採れているにもかかわらず入学を拒絶されたのなら差別に当たるが、そもそも合格点を採れてない故に入学できないというのは本人の学力不足の問題だろう。そう、問題のすり替えが行われ、黒人が実力ではない方法で入学できるようになってしまっているのだ。

 しかも、学力が伴わない状態で授業を受けても学習には繋がらないし、卒業できたとしてもその状態で就職されたら企業としては戦力として満足ではないだろう。結果として大学の名を毀損することにもなりかねない。

 結局のところこの措置は、黒人であるというだけで有利となる特例を設けている訳で、DEIの柱の一つである公平性に真っ向から逆らっている。特権階級が白人から黒人に入れ替わっただけで、やっていることは前時代的で新たな差別を作ったに過ぎない。

 この場合、合格点は同じにすることが公平を意味する。合格点に格差をつけるのは掟破りだ。


会社での昇格人事

 多くの企業が問題視しているのはここだろう。あらかじめ女性や黒人、LGBTQなどのマイノリティに枠をあてがってしまうことで起こる弊害だ。枠を作ることで是が非でもその枠を埋めなくてはならなくなり、実績に見合わない人事を下さなくてはならないリスクを負うからだ。

 人間というのはロボットではないので、能力や実績に個人差がある。なので、いつも定期的に同じクオリティの人材が定数生まれるかというと、そんなことは有り得ないし不可能である。しかし、枠が決められているとそれを埋める義務が発生するので、昇格見送りができなくなる。結果、実力や実績に乏しい人でも昇格させなくてはならなくなる。

 実力のない人物を管理職にした暁には、組織運営は大変なものになる。決断ができず先送りになる、判断がブレて部下が振り回される、後手後手に回って業務がはかどらないなどの弊害は、会社ではよくある話だ。正直これでは顧客からの信頼は得られないし、部下もついてこないから業績が上がらず、遅かれ早かれチームは崩壊する。これは経営者にとって最も望ましくない状況だ。
だから経営者としては枠にとらわれず、その時の情勢に応じて人事を決定できるほうが望ましい。

 さらに複雑なのは枠内で昇進した本人の評価だ。枠がある以上実力で昇進したとは断言できないし、下駄を履いていることは否めないので不公平さが生まれる。そういう土壌の上で昇進しているから周りも良くは思わないだろう。こうなると当然だが、チームワークは生まれない。仕事とはチームで如何に成果を上げるかが勝負なのに、チームワークを築けない環境をわざわざ作ってしまっては成果は出ないし、本末転倒だ。

 やはりここも枠ではなく、実績を基準にしないと誰も納得しないし、成果も出せない。


LGBTQの公式スポーツ参加

 これに関しては企業との関係性はスポンサーになること以外あまりないが、DEIのイメージをかなり色濃く作ってしまっていて、企業がイメージ戦略上考慮せざるを得なくなっているので触れておきます。それは女子公式スポーツに元男性(MTF)のトランスジェンダーが参加する問題だ。

 皆当然ご存じだと思いますが、男女では身体的能力や性質に差異があります。それは学生時代にやった体力測定でもよくわかることでしょう。しかも体力測定のデータは学校を通じて収集され平均値が算出されていますので、感覚ではなく数値でも立証されています。そんな生来の優位性をもって女子公式大会に参加するのは、公平性が何より必須条件となるスポーツにおいて相反するものです。

 にもかかわらず医学エビデンスと倫理に反し、ルールの範囲内だから(大人だったら通常言われなくてもわかるから、単に規定を設けていないだけなのだが)と拡大解釈して参加する不届き者が後を絶たない。当然女子アスリートの何人かは公聴会にて非難声明を出したり、訴訟を起こしたりしているが、当のMTF本人は差別を盾にして逆に訴えるなどの傍若無人な振る舞いに出ている。

 企業としてはイメージダウンになることは避けたいものだから、騒動となっていることには首を突っ込みたがらない。トランプ氏もこのスポーツの件に関してはかねてから言及しており、紛糾の的となっていたからイメージは相当悪い。企業としてはこれに賛同するのはリスキーと言わざるを得ない。

 ただこれに関しては各競技団体や州によって規定変更が行われ、MTFの参加は公平性を欠くとして厳しい措置に変更されつつある。特に12歳まで(第二次性徴規定)に性別移行を終えることというMTFにはまず実現不可能な新ルールが導入され始めており、実質的には参加不可となっている。これに一部の活動家が人権を盾に訴訟を起こしたが、これまでのポリコレ偏重から一転して敗訴、新ルールを認める判決を出したことで、アメリカの裁判所もこの問題を抑制する方向へ舵を切った。

DEIによって生まれた問題点

 ここまでいろいろな事例を紹介したが、本来理想的な社会の実現を目指して立ち上げたはずのDEIが、実際のところ何が敬遠され失敗に至ったのだろうか。


公平性の欠如

 始めに述べた通り、DEIの要素として公平性というのがあります。この公平性を掲げながら、自ら毀損するという愚行に走ったことです。

 DEI推進派は格差是正を掲げ、これを解消するためにアファーマティブアクションの導入を進めます。しかし、その中身が自分たちだけ合格ラインを下げたり、実績が乏しくても昇進できるようにしたりと、人から褒められないような不公平な行為に手を染めてしまった。当然これを快く思う人は自分だけなので、敬遠されてしまった訳です。


閉鎖的

 実はDEIに賛同している人達のコミュニティは、閉鎖的傾向がしばしば見られる。本来人間というものは多種多様で、考えや指向、価値観、目的などは十人十色。当然重視するものや判断軸も人によって異なるものです。

 しかし、DEIに賛同している人達には異論を認めない傾向が強い。多様性を自ら謳いながら多様な考えは一切認めず、むしろ攻撃して黙らせ、統制するという真逆の行為に出てしまっている。


排他性

 そして、異論を認めたくないばかりかそれを聞きたくないばかりに彼らが採る手段が、排除だ。どんな人でも排除せず受け入れようというスローガンの元で始まったはずなのに、実際には気に入らないものを排除するという本末転倒な行為を行っている。

 結局のところ多様性、公平性、包括性を謳いながら実際には真逆の行為を行っており、本音と建前の違いが出てしまっていて、二枚舌になっているのだ。これでは人からの信用は得られないし、むしろ自分も同類と思われたくない心理から手を引くのは当然の成り行きだろう。


独断と反社会性

 さらに加えるなら、このDEI推進派の人の差別の見極めが独断でしかないということだ。つまり主観のみで判断されるという自分勝手で傲慢な基準なのだ。それは気に入る気に入らないの判断でしかなく、おおよそ大人の考え方とは言えない。

 そしてこれを認めないとなると、是が非でも通そうとして手段を選ばない。素直に引き下がろうとせず、ルール違反や倫理違反もいとわない。多くの善良な市民は皆と上手くやっていくために、ルールや倫理が重要であり自分も守ろうとする。が、これを私利私欲のために侵す人から離れるのは人間の生存本能からして当たり前で、企業が手を引くのも自然な判断と言える。


民主主義の破壊

 そしてここが大統領選に絡むところだが、彼らDEI推進派が常套手段として用いてきたのが圧力だ。政府や議会、企業などへ押しかけたり、ロビー活動などを通じて力で通すという手段は話し合いの場を設けていないし、恐怖心を与えることで支配的な立場を作って相手を操作しているので民主主義に最もふさわしくない行為だ。

 これによって不遇を買ったと思っている層や民主主義を大切に思っている層はこれに真っ向から反発して、民主主義の最たるシステムである大統領選挙でNO!を叩きつける。その代わりとして担ぎ上げられているのがトランプ氏というわけだ。


本来の目的の喪失

 しばしばこういったポリコレにおいて見られるのが、手段の目的化です。これは目的を叶えるために講じた手段に固執するあまり、本来の目的に実害が出ていてもその手段を採り続けてしまう現象です。

 先ほどの例で言うと、大学入試の目的はより学力の高い学生を選抜することのはずが、それを低下させてまでマイノリティを入学させてしまったり、業績を上げるために優秀な人材をポストに就けるはずが、比率にこだわり過ぎてそうでない人物まで昇進させるのがそうです。これでは本末転倒と言わざるを得ず、目標が達成できなくなってしまいます。

問題の根底にあるもの

 さてここまでつらつらと問題点を書き連ねてきたが、シンプルに考えるとその問題点を修正したり、対立陣営との話し合いの場について落としどころを模索したりすれば解決するはずである。しかし、問題は深まるばかりで混迷の一途を辿っている。それはなぜだろうか?


こだわりと執着

 DEI陣営の傾向として強いこだわりや執着がある。その証拠に先に示した例は全てグループの中に入るという共通点があり、そこに譲れないほどの執着が見て取れます。周囲の反応には目もくれず、必ず入るの一点張りなのは通常の精神発達を遂げた人には有り得ない常軌を逸した反応です。


自分しか見えない主観のみの世界

 ちょっと難しい表現をしましたが、要は他人と関わる時に自分の都合や利益しか視界に入っていないということです。通常人間は何かを融通してもらおうとする際に、自分の利益だけを一方的に押し付けると相手から拒絶されて叶わなくなることがわかるから、ギブアンドテイクを意識して相手の都合も聞いて代償を払います。

 しかし一部の人は人間関係で相手のことが視界に入っておらず、ギブアンドテイクのルールがわからないのです。結果、先のMTFの女子スポーツ参加のように明文化されたルールや規則には従うものの、それによって起こる他人の弊害には無関心で、周囲からは常軌を逸した行動であることに気付かない、いわゆる空気の読めない人になるのです。

 おそらくこれはシングルフォーカスの特性と、相手の立場に立って考えることの障害を持っているものと思われます。


感情処理の未熟さ

 多くの人は、世の中には自分の思い通りにはならないものがあることを知っています。だからこそ折り合いをつけたり、妥協したりして、感情の処理を上手くやりトラブルを起こすことを回避します。

 しかし一定数このネガティブな感情の処理がきちんとできない人がいます。そういう人が先ほどのこだわりに固執して押し切ろうとしたり、損することを嫌って妥協できなかったりします。反対意見を聞き入れられないのも、現実的には多様性を認められないのも、異論を排除するのもこのためで、YESしか聞き入れられない性質上、本来DEIに最も向いていない人達なのです。

 そしてそれが対人トラブルになり、自らの立場をおとしめる結果になり、最終的に多くの人や支援から手を引かれてしまい孤立してしまうのです。まあ、自業自得ですが。


無責任・他責思考にはまる

 このようにDEIのトラブルの多くは自分で招いたものなのですが、これをいつまでも責任転嫁して責任をとらないのも、周りからの評価を下げた一因でしょう。そういう不誠実な態度は人間の怒りを買う最大の要因となりますし、そのような人間は都合が悪くなると簡単に人を裏切りますから、信頼関係を築くことはできません。特に企業はビジネスなのでこの点を非常に重要視します。

 それに精神医学においても他責思考は推奨していません。罪を他人へ擦り付ける行為なので、対人関係が破綻して精神状態が悪化することが目に見えているからです。倫理的にもやって良い行為ではなく、まともな人なら他責はしないものです。

まとめ

 こうして見てみると、DEIは人として踏み外してはならないことを多くやっており、それによって信用と評判を失い、企業にとってリスクになっていることがわかります。このままDEIを続けていても、野蛮な連中としか見られず、企業イメージは失墜するでしょう。

 そもそもDEI自体が曖昧なもので、そこに本来の目的をよく理解しなかったり、メリットだけ見て利用しようと企む人物にまで侵入を許したことが、何よりの失敗と言えるでしょう。折角高い理想を持ってDEIの目標を掲げたとしても、
疑うことを知らず、性善説に乗っ取っていては、簡単に利用され変容してしまいます。そういう意味でも多様性と包括性には脆弱性があり、自浄作用を受け持つ機構を設けないとどんどん間違った方向へ行きます。

 つまりDEIもまた完璧ではなく、妥協が必須なのです。



2025年1月17日金曜日

今年は巳年、金運の年

 2025年(令和七年)の干支は巳です。つまり、蛇の年です。なので蛇にまつわるところが、今年のパワースポットになります。しかも、蛇は金運財運をもたらすと言われているので、今年はお金に関する運勢に変化がありそうです。

なぜ蛇=お金なのか

 そもそもなぜ蛇がお金をもたらすと考えられているのでしょうか?

弁財天の使い

 まず一つ挙げられるのは、弁財天です。本来弁財天は、弁才天と「才」の字で書いていました。後年これを「財」の字を充てるようになり、財運も持たせるようにしたのですが、その弁財天の使いとされる動物が蛇なのです。実際、弁財天のモデルとなったインドの神様サラスヴァティは川の神様であり、その川と蛇の形態が似ていることから使いとされています。

蛇の皮

 かなり年上の世代で蛇の皮を好む人がいます。金運アップのお財布で蛇革のものも多いです。というのも、蛇革は使い込むと油脂が入り込んで白色から黄色へと変化します。そして古来より陰陽五行の世界では黄色は金運を司る色とされており、蛇革はこれに通ずるということで金運をもたらすと考えられています。

へび年のパワースポット

 では、蛇のパワーを得られるスポットをご紹介します。

蛇窪神社

 品川区の戸越エリアにある神社です。正式名称は上神明天祖神社と言います。なのでメインの御祭神は天照大神です。にもかかわらず、どうして蛇のパワーを得られるのかというと、境内社に白蛇辨財天社があるからです。近年改修工事が完了しリニューアルしたため、より一層パワーアップしています。


吉原神社

 台東区の浅草を北へ行った旧吉原遊郭のあったエリアに建つ神社です。元々は四角形の吉原の敷地の四隅にあったお宮を現在地に集めて合祀したものです。道を挟んだ斜向かいには吉原弁天池の名残があり、ここも管理していることから蛇にちなんだ神社となっています。


 蛇の像はありませんが、弁財天を祭り幟もいっぱい掲げています。何よりここの御朱印が思いっきり蛇です。


 弁財天の字を囲むように蛇の絵が描かれるのが特徴で、御朱印からも蛇のご利益を得ることができます。


不忍池辯天堂

 上野公園の不忍池といえば有名で人気の観光スポットですが、その中央に小島があってお堂が建っているのはご存じでしょうか?実はこの島に弁財天が祭られています。それが不忍池辯天堂です。その辯天堂の目の前に蛇をモチーフにした石像が立っています。


 頭が老人で胴体が蛇という不思議な神様の像です。