2022年7月31日日曜日

やったことに応じて得や報いが降りかかる

世の中にはいろいろな人がいるもので、幅広い知見と深い考察を持って、時には急がば回れに従い着実に何かを成し遂げる立派な人もいます。その一方で、いつも浅はかな考えをして周囲に迷惑をかけたり、安易な行動に出たせいで罰が当たったりして、多くのものを失ってばかりいる人もいます。この違いを考えます。

人は多くの誘惑にさらされている

同じゴールを目指すのであっても、いろいろな道や手段があるものです。一つは確実な道。王道とかセオリーとかと言われるものがこれにあたる。この確実な道というのは、なだらかで舗装されているから無難ではあるが、得てして遠回りになる事が多い。そのため、ゴールが遥か先にあると感じられてしまう。

ここで人間の浅はかさが見えてしまう。そう、安易な裏道がないか探してしまうのだ。そして、大概いくつかの裏道を発見するもので、その「誘惑」にさらされることになる。

目先の利益と遠くの利益

さらにもう一つ困った問題がある。人間は遠くの利益よりも、目先の利益のほうが大きく見えてしまうという現象だ。先のことになればなるほど確実に手に入る保証がないと、捉えがちになる。そのため、目先の利益のほうが大きく確実と思ってしまうのだ。これは海外の先行研究で有名になったので、知っている人も多いだろう。

だがその利益は、人間の習性によって作られた虚像を含んでいる。実際はもっと小さい。しかし人間は欲深いものでそのことに気づかず、どうしても安易なほうに傾いてしまいがちになる。これがさらなる誘惑となってしまうのだ。

裏道は本当に利益なのか

裏道が安易だとしても、ゴールしさえすればいいではないかと言う人もいる。ならば問おう。陸上競技のマラソンで裏道を通ったとしても、ゴールしたと認められるだろうか?間違いなく「NO」だ。それはルールで決められている42.195kmに、走行距離が足らないからだ。さらに同じルートを通るのは、不公平を無くし、選手間での争いが起きないようにするためであるが、これにも違反しているからだ。

このマラソンの例でもわかる通り、安易な手段をとると争いを招く。さらに仮に一番先にゴールしたとしても正式なものとは認められないから、メダルや賞状はもらえない。それどころか信用を失って出場停止処分や資格はく奪となり、排除されることになるだろう。

結局、裏道を通って表面上ゴールしたとしても、利益は得られないし、制裁を受けるし、その後もいばらに道にしかならないのだ。つまり、ゴールしさえすればいいというわけではない。むしろ、人生においてそこに至る過程が重視されているし、最短だたどり着く道もないし、順風満帆にはいかないのだ。

もっと悪いのは正当化すること

だが恐ろしいことに、浅はかな手段に出たことを正当化する者もいる。なんだかんだと屁理屈をこねて、間違っていないと主張する。

しかし、もともと道を外れた行為をしているのだから、つじつまが合うわけがない。100%立証は不可能である。

にもかかわらず、この手の人物は自分が正しいと思い込んで疑わない。完全に自分の作り上げた虚構を信じ込んでいるのだ。だから延々自分の正当性を主張し続け、クレーマーやトラブルメーカーへと変異する。これはナルシスト、もしくは自己愛性パーソナリティ障害の傾向である。

どんな人が誘惑に負けやすいのか

ただ、実際のところ誘惑に負ける人と打ち勝つ人、両方いる。打ち勝てる人は良いが、誘惑に負ける人は人生で失敗続きになるだろう。そうならないためには、どういう人が誘惑に負けやすいのか知る必要がある。それは、こんな人だ。

貪欲な人

「貧すれば鈍する」という言葉があるように、貪欲な人は目先の利益に惑わされやすい。貧しているから今をどうにかすることにばかり気をとられてしまい、将来の大きな利益よりも、今すぐ手に入る小さな利益に飛びつきがちになる。

さらに欲が深いと利己的になる。自分さえよければいいという考えを持つようになり、周囲の人をないがしろにする。多くの人がそんな人とは関りを持ちたくないから、遠ざけるようになる。その後に待つのは、「孤立」だ。

シングルフォーカスの人

シングルフォーカスとは、一点のみ凝視するような見方をすることである。よく例えられるのは、世界を顕微鏡を使って見るような感覚と言われる。

この特性を持っている人は、目先の利益に目が行くとそれしか視界に入らないから、周囲の人の気持ちやモラルに対する配慮が無くなる。それどころかその道しか見えなくなり、それ以外の道は一切目に入らなくなる。

結果、その道、そのやり方で自分の欲求を満たすことにこだわってしまい、わがままな人と見られてしまう

考えが浅い人

考えが浅い人も誘惑にそそのかされる可能性が高い。先のそのまた先の展開を読まないからだ。しかもそのことに本人が気づいていないことが多い。

これは将棋で例えるとわかりやすい。素人だったらせいぜい読むのは、10手先くらいだろうか。10手とはいえ、一応先を読んだことにはなる。だがプロ棋士は300~400手先を読むという。これでは勝ち目がないのは明らかだろう。

人生でも言える。一歩先を考える人と百歩先を考える人では、確実性やトラブルの数が違ってくる。考えの浅い人は直近のことしか考えていないから、その先に待ち受けているトラブルに気づかない。だから、安易な手段を選んだ報いであるにもかかわらず、予想だにしないことが起こったとパニックになる。

天邪鬼

人の忠告に素直に耳を貸せない人、いわゆる天邪鬼もこれに仲間入りするケースがあろう。もともとアンチテーゼな性質を持っているから、王道を嫌う。脇道に逸れて、足をすくわれる場合が考えられる。

特にここ近年、自分軸で生きようみたいな自己啓発が流行っているせいで、むやみやたらに他人の言うことを遠ざける人が増えているのではないか。本を読み、よく解釈した上でやるなら間違えないだろうが、恐らく多くの人はタイトルを見ただけで知った気になり、それを自分の都合のいいように解釈して、人の忠告を聞かない言い訳にしているのが実態だろう。

すぐくじける人

くじけやすい人も安易な手段にはまりやすいだろう。そしてこういう人は「忍耐力がない」「我慢ができない」ことを理由に挙げるが、忍耐も我慢も精神の問題と捉えるから苦しくなるのである。

最近の心理学の研究では、忍耐力をアップさせるのに我慢は必要ないことが言われているし、テクニックの問題であるとする研究もある。そのような書籍は多く出版されているので、一度熟読するといい。

ちなみに、我慢が必要ない=何をしても良いと考えるのは曲解で、間違いであるのは言わなくてもわかるだろう。

誘惑に負けないために

では誘惑に負けないようにするにはどうしたらいいかだが、上記の人物と逆のことをすれば良い。

・いつもギリギリの生活ではなく、金銭的にも精神的にも余裕を持つ。
・ほどほどをわきまえ、自分さえよければいいという考えを捨てること。
・周囲を見渡し、配慮を怠らぬこと。
・上には上がいることを知り、奢らず、過信しないこと。
・目先ではなく、さらにその先を読むことを心がけること。
・素直に人の話に耳を貸せるようになること。
・忍耐力はテクニック、その方法を学ぼう。

まあ、人として基本的なことばかりなので、これさえ押さえておけば誘惑に負けにくくなるのなら安いものだろう。これを心がければ、トラブルを減らせて無駄なあがきをしないで済むし、信用が高まるからこちらの願いを聞いてもらいやすくなる。そして無事にゴールにたどり着けるようになる。

反対に安易な手段は信用を失墜させ、周囲から孤立し、ゴールすらできなくなるので、全然得にならないどころか、大きな代償という報いを受けることになる。

「ウサギと亀」の話のように、実直で地道な人物がいつも得をするのだ。

2022年7月30日土曜日

民間保険のクーリングオフの注意点

生命保険や医療保険など、民間の保険への加入を検討されている方は多いかと思います。この民間保険は、クーリングオフの対象となっているので、一定期間、条件で取り消すことができます。条件さえ当てはまれば良いので、都合が悪くなった、気が変わったなど、いかなる理由でも構いません。

ただし、条件によってはクーリングオフが使えないケースがありますので、今回はその注意点をご紹介します。


クーリングオフのポイント

申し出の方法 書面で通達しなくてはならない
適用期間 当日*を含めて8日以内(保険会社によって異なる)
契約者 個人
適用外となる
ケース
・契約にあたって医師による診査を受けた場合
電話や口頭など、記録に残らない方法で告げた場合
・保険期間が1年以内の契約の場合
契約者が法人である場合
・法律上、加入が義務付けられている場合(自賠責保険
・既に加入している保険の更新や特約付加の場合
*契約申し込みの撤回について記載した書面を受け取った日、もしくは保険契約の申し込みをした日いずれか遅い日のこと。


書面での通達

保険契約でクーリングオフをする際には、必ず書面で通達しなければなりません。電話や口頭では記録が残らないためです。ただし、将来的にはメールでのクーリングオフの受け付けをできるようにするようです。


保険期間

最低でも8日以内には本店または支店へ通達しなければなりません。これを過ぎると、契約したものとみなされます。ただし、保険会社によっては10日、15日など、より長い期間を設けている場合があります。


医師による診査を受けたら不可

診査まで受けるということは、余程その保険を契約する意欲があるとみなされるため、クーリングオフを適用できなくなります。なので期間内であっても診査を受けた時点でクーリングオフを使えなくなりますので、注意が必要です。


保険期間が1年以内の場合は不可

極短期間の契約の場合契約者の負担が小さい分支払い能力が普通あるだろうと思われるのと、短期の契約まで撤回されると保険会社の利益にならないので。


契約者が法人場合は不可

クーリングオフは個人の契約者を保護するための制度なので、法人は適用されない。そもそも個人は、一般人なので保険制度についてあまりご存じでない方が多く、保険業者の言いなりになってしまうケースが予想されるため、保護されています。反対に法人は業務の都合上、常日頃会計業務を行っていることと、組織として加入申請するので保険についてある程度は知識を持っているであろうと思われることから、対象外となっています。


自賠責保険は不可

自動車賠償責任保険(自賠責)は法律で加入が義務付けられているため、未加入を防ぐためにクーリングオフの適用外となっています。

2022年7月29日金曜日

そもそも行動力の「行動」の真意

行動しなければ変わらない、行動力が大切と最近よく耳にする。自分でもTwitterで書いたことがあるが、そもそも論としてここで言う「行動」の意味を、世の中の人はわかっているのか気になっている。

なぜ気になっているのかというと、私の顔見知りにアクティブに動き活動している人がいるのだが、目的を果たせる行動をとらずに、結果につながらない行動を延々と繰り返しているからだ。どうも行動の意味をはき違えているか、もしくは本当は臆病で必要な一歩を踏み出せずに別な行動で誤魔化している可能性がある。

なので今回は言葉の真意について深堀する。

多くの人は言葉の真意をはき違えている

先日ABEMA NEWSで、自己肯定感の意味を9割5分くらいの人が間違った解釈をしているのではないかという発言があって、やっぱりなと思った。特にここ近年は字面だけで判断する人が、増えたように感じる。正確には表面化してきたと言ったほうがいいか。

以前は何か訴えたり評論したりするには、新聞や雑誌、書籍など紙面に活字で表現するしかなかったので、評論する人も寄稿する人もある程度の肩書きと知見を持った人でなければできなかった。当然そういう人達は普段から専門および関連分野の研究や読書を重ねているから、原文を読んでいたり、原文を読まずとも複数の文章を読むことで平均化されたりして、ここで言わんとしているものが何なのかを、字面に騙されることなく理解できるようになる。そして、こういった人しかメディアに出てこられなかったから、言葉の齟齬が表面化しにくかった。

しかし、ここ近年ブログ、掲示板、SNSなどネット上に、誰でも利用できるオープンなソースが登場したことで、タイトルや目についたワードしか見ていない人の存在があらわになった。

先に言った自己肯定感もそうだ。私もそうだが、自己肯定感に関する原著を読んだ人など、ほとんどいないだろう。結果何が起こるかというと、意味を自己肯定感という字面だけで判断せざるを得なくなる。これだと手掛かりがほとんどないから、真意をはき違えるだろう。だから多くの人は自己肯定感の意味を、自信やポジティブシンキングだと勘違いしている。実際の意味は、現在のありのままの自分でも良いと否定せず受け入れることだ。

はき違えたまま行動することの愚

そして言葉の真意をはき違えたまま行動したらどうなるだろうか。当然目的とはズレた方向に走り続けることになる。しかもそれを頑なに信じ込んでいたら目も当てられないだろう。永久に目的地にたどり着くことはない。

さらに厄介なのが、こういう人物に限ってこのことを指摘すると、激しく反発する。恥の性質が強いから、自分が誤ったことを認められず、今度はその恥を隠すために間違った理解をあえて続けようとする。この段階になると、周囲をも巻き込むことになるから、なお厄介である。

冒頭の顔見知りなんかが正にこの例だった。社会運動をするのであれば政府や政治家に掛け合わないと変わらないし、場合によっては法律制定も必要になってくるので、陳情書を提出しないと始まらない。しかもその陳情書の信用を高め、自身の身分を保証するには、非営利団体や財団法人など何らかの法人格を持った団体の設立をすることが好まれる。

しかしその人はこういった行動は一切していない。それどころか、有象無象の跋扈するSNSで誹謗中傷を繰り返したり、そこに自分の動画を載せることに終始していた。こんなことばかりせず、具体的な行動をしないと世の中は変わらないのに。

行動する前にやること

結局、いきなり行動しても目的にはたどり着けない。つまり行動すること以上に、もっとやらなければならないことがあるのだ。それは何か。

学びと見定めだ。

間違った方向に行っては目的地にたどり着けないのだから、見定めることが欠かせないだろう。しかし何の手掛かりもなく見定めるのは不可能である。そのための判断材料として学びが必要なのだ。

だが得てして行動偏重や承認欲求が強い人は、自己アピールに一生懸命な分、学びを疎かにする傾向がある。そのため言う割には、知識が浅く薄っぺらい議論になりがちである。そして発言内容に具体性が乏しく、実現するためのプロセスやアイデアが出てこないケースを多く見かける。結果、大言壮語の割にいつも絵空事で、結果を出せずに終わる。

もっと残念なのが、そのことに本人が一番気づいていないことだ。ちょっと勉強しただけですごく勉強した気になるので、いつまで経っても知識が深まらないし、周囲との差が埋まらない。むしろ自分のほうがリードしているくらいに思っているから、痛いとしか言いようがない。こういう人物は、自分を謙虚に受け止める能力がないので問題である。

行間を読む力

以前ネットでの対談動画で堀江貴文氏が言っていた、行間を読む力がこういうところでも問われるのであろう。一言で行動力と言っても、実際にはそれ以外に必要になってくるものが必ずある。これを考えずに、字面だけで判断すると誤った方向に行くことになる。ご注意されたい。

2022年7月28日木曜日

ソルベンシー・マージン比率って二度手間?

金融系の用語って外来語が結構多くてちょっと気になってしまうんだけど、保険の勉強してて何だこれはと思ったワードが、ソルベンシー・マージン比率。地震や水害など通常の予測を超えるリスクに対して、どれだけ保険金の支払い能力があるかを数字で表したものです。

その計算式はこうなっています。

ソルベンシー・マージン総額÷(通常の予測を超えるリスクに対する額×0.5)×100

ソルベンシー・マージン総額とは、保険会社の自己資本の額のことで、下記のものを含みます。

資本金(基金)
価格変動準備金
危険準備金
一般貸倒引当金
有価証券の評価差額×90%(含み損の場合は100%)
土地の含み損益×85%(含み損の場合は100%)
解約返戻金相当額超過部分
負債性資本調達手段等

となっているわけですが、今回の話題には関係ないのでスルーします。


で、このソルベンシー・マージン比率が200%を下回ると、金融庁による早期是正措置の対象となって、経営改善するよう促されます。ここで私は、

「んっ!?」

と思ったわけです。

これ計算式に当てはめると、

ソ:ソルベンシー・マージン総額 リ:通常の予測を超えるリスクに対する額

ソ÷(リ×0.5)×100=200

これを展開すると、

ソ÷リ×2×100=200

ソ÷リ×100=100

ソ=リ

となるわけで、単純に通常の予測を超えるリスクに対する額に対してソルベンシー・マージン総額が同額以上(100%以上)であったらいいって話なんです。

なのに×0.5の部分を加えて200%と表示する意味がないし、同額という感覚がなくなるので返ってわかりずらい。周りくどいことをするところが、お役所仕事だなと思った次第でした。

2022年7月26日火曜日

銀行に預けるよりも増し!「日本国債」

ここ何十年も銀行預金の利率が低い状況が続いています。何百万円か預けていても、数十円、数百円しか利子が付かないなんて、淋しいことです。なので、を少しでも増やすためには、運用する必要がある訳です。

ただ、運用するというのは失敗するリスクを考えると、なかなか勇気がいるものです。特に今流行りの仮想通貨なんかは未知数のところが大きいので、金融や経済に詳しい人でも動向が読めないというのが現状です。(その分、大化けする可能性もあるのですが・・・)

そんな怖い金融商品は買えない、もしくは極力リスクをとりたくない、額はともかく確実に利益が欲しいという方に向いているのが、「債券」です。


債券とは

そもそも債券とは何ぞやということですが、国や地方自治体、もしくは一般企業(会社)の借金です。特に国や自治体の場合は、税金以外にほとんど収入がないので(公共施設の使用料はあるが)、まかないきれない分を補填しているのが国債と地方債です。

ちなみに、会社の場合は株式の発行で補う手もありますが、株式と社債何が違うのかというと、株式は会社側がお金を返さなくてよい、社債は返済義務があるというのが一番大きな違いです。

そんなわけで、債券は返済義務がありますから、大抵の場合満期になったらお金が戻ってくるという安心感があります。さらに利子も入ってきますから、ちょっとお得感があります。

ただ、大抵の場合としたのには理由があって、債務不履行(デフォルト)に陥るケースがまれにあるからです。債務超過に陥って期限が来てもお金を用意できず返済できなくなってしまうので、債権者にお金が返ってこないという事態になります。かつてギリシャがこのデフォルトの危機に陥って、EUを混乱させたのは有名です。

なので、債券には格付けがあって、一定ランク以上の債券だとお金が返ってくる可能性が高いというのを示しています。それが下の表です。

ランク AAA AA A BBB BB B CCC CC C D
評価 投資適格 投資不適格(ジャンク債)
信用度 高い ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ 低い
利回り 低い ◀ ◀ ◀ ◀ ◀ ◀ ◀ 高い

このようにAAAからBBBまでのランクであれば、まず返済されるであろうということで、投資適格とされています。ただし安心できることから買い手がつきやすくなり、利回りは低くくなります。

反対に投資不適格の債券は財務に不安があるため、お金が戻ってこない可能性があります。その結果人気がないので、買い手を増やすために利回りを上げています。ただでさえ財務に不安があるのに利回りを良くしたら、余計に支出が増えて財政不安を高めることにしかならないので、買う価値はないです。


どの債券がいいのか

以上のことから、どの債券がいいのかということですが、いくつか条件を上げてみたいと思います。

・社債より国債
・発展途上国国債より先進国国債
・経済規模が大きい
・国の信用
・なじみがある
など

社債より国債
会社の場合、業績によって返済能力が左右されるので、国債よりも不安定要素があります(トヨタやファーストリテイリングのような会社なら別ですが)。

反対に国の場合、税金が主な収入源です。この税金は確実に入ってくるお金ですから、返済の見込みが立てられます。しかも国の場合は財税規模が大きいので、その分返済に充てる資金を用意できますから信用度は高いです。

ちなみに地方債は微妙です。夕張市のようにデフォルトした自治体もあるので、人口減少の激しい地域の地方債は止めたほうがいいです。

発展途上国国債より先進国国債
これはわかりやすいですね。発展途上国の場合、政情不安を抱えているケースもあり、確実に返済されるとは言えません。例えば、内戦最中のシリアの国債が、返済されるとはとても思えません。

これに引き替え先進国は政情不安が少ないので、踏み倒される可能性は低いです。さらに下記の経済規模とも比例する部分があるので、返済能力の面でも先進国のほうが有利です。

経済規模が大きい
発展途上国には経済規模の小さい国が多いので、税収が少なく財政が弱いのがネックです。そのため返済能力に不安があります。実際、アルゼンチンのように何回もデフォルト起こしてる国もあります。

先進国は経済規模の大きい国が多いので税収が多く、その分返済能力があります。そのため、先進国国債はおおむね評価が高いです。

国の信用
これを推し量るのは難しいところですが、例えばいくらGDP世界第二位とはいえ中国の国債を買いたいかと言われると、二の足を踏みたくなりませんか。経済規模が大きいので返済能力はあると思いますが、一党独裁を敷いている以上中国政府のさじ加減で何でも決まるので、確実性に疑問符がつきます。これを考えると、政治体制も考慮しなければならないでしょう。

国の信用
これは信用度とは関係ないですが、初心者にとってはなじみがある方が始めやすいでしょうから、ここも一応ふまえたいと思います。

これらのことを考慮すると、「日本国債」が無難でいいかと思います。


個人向け日本国債

その日本国債って一般人が買えるのかというと・・・

買えます

個人向け国債という、一般人向けに発行しているものがあります。3種類あるのですが、それぞれ違いがあるのでまとめてみたのが下の表です。

変動10 固定5 固定3
金利 変動金利型 固定金利型
償還期間 10年 5年 3年
最低保証金利 年率0.05%
利払い 年2回(半年ごとに1回)
購入単位 額面1万円から1万円単位で購入可能
中途換金 発行から1年経過していれば、いつでも可能
※10年国債だけ変動金利型を採用しているのは、長い間に市場金利が大きく変動し、投資家が他の金融商品に乗り換えてしまうのを防ぐため。

詳細は下記のリンク先にてご覧いただけます。
個人向け国債のサイトへ


まとめ

日本の個人向け国債は1万円単位で始められるので、タンス預金やへそくり、お小遣いを使ってできると思います。なにより日本国債は信用度が高いし、そうそうデフォルトを起こすとは思えないので、投資家の間でもベーシックな投資先として人気であることも、安心材料です。

それだけに他の金融商品よりは金利が低めなので大きな利益につながりにくいですが、最低保証金利0.05%は大手都市銀行の定期預金金利0.002%(2022年7月4日時点)と比べると25倍とはるかに高いので、銀行に預けておくよりはずっといいでしょう。

あとこれは余談ですが、外国債だと米国債(アメリカ国債)がいいかと思います。米国債は日本国債よりも金利が高く、この先もアメリカは経済が発展することが予想される上、税収も大きく信用度も高いのでより効率がいいかと思います。

ただし、投資はあくまで自己責任ですので、そこだけはご注意ください。

2022年7月24日日曜日

正社員・公務員の健康保険と国民健康保険の比較

健康保険には正社員・公務員の健康保険(社保)と国民健康保険(国保)の2種類があるのは、ご存じの方は多いかと思います。

しかし、具体的に何が違うのかまで把握していない方も、いるのではないでしょうか。そんな方のために、二つの違いを表にまとめました。
  
会社員・公務員の健康保険 国民健康保険
対象者 ・正社員
・公務員
・上記二つの被扶養者★(扶養家族)
・会社の制度によっては、非正規労働者でも加入できる場合がある
・アルバイト・パートタイマーなどの非正規労働者
(会社の保険に加入している非正規労働者は省く)
・自営業者
・定年退職者
・左の健康保険に加入できない人
保険料 労使折半
(会社・役所と被保険者である労働者で半分ずつ負担)
・全額被保険者が負担
給付
内容
・療養の給付(家族療養費)
(業務災害は含まない)
高額医療費
傷病手当金
出産手当金
・出産育児一時金
(家族出産育児一時金)
・埋葬料(家族埋葬料)
・療養の給付(家族療養費)
(業務災害は含む)
高額医療費
・出産育児一時金
(家族出産育児一時金)
・埋葬料(家族埋葬料)
 ※一般的に傷病手当金と出産手当金の給付はない

★被扶養者の規定
1.日本国内に住所を有していること
2.被保険者に扶養されていること
3.年収130万円未満(60歳以上または障害者は180万円未満)
4.被扶養者の年収が、被保険者の1/2未満
※勤め先の従業員が501人以上(令和4年10月からは101人以上、令和6年10月からは従業員51人以上)などの一定の要件に当てはまる場合は、年収106万円以上あれば被保険者となる。この場合年収130万円未満であっても、扶養者とはならないケースもある。

なお、会社の健康保険についての概要はこちらに記載してますので、ご覧ください。
会社の健康保険について

2022年7月21日木曜日

論理的に考える人とそうでない人

世の中には何か一つのテーマが与えられたときに、論理的に考える人(理論派)とそうでない人(非理論派)がいる。論破王のひろゆきさんやメンタリストDaiGoさん、オタキングの岡田斗司夫さんなどもこれについて論じているが、私はこう考えるというのを書いてみる(こういうところが、理論派のうざいところなのはわかってる)。

そもそも論理的とは


論理的とは何ぞやということなんだけど、これを理論派の人に説明するのは非常に簡単である。ひろゆきさんやDaiGoさんが使ってる、

A=B
B=C
ならば、
A=Cである。

という説明でこと足りる。

ただ、この説明は典型的な三段論法過ぎて、説明不足な気もする。もっと細かく突き詰める必要がある。

論拠の確証

まず論理に必要なのは、前提となる論拠だ。ここが成り立っていなければ、論理が破綻してしまう。そのため、論拠に客観性のある確証を持たせる必要がある。そこに個人的な思惑が入ってしまっては、客観ではなく主観になってしまい、自分次第でどうとでも言える話になってしまうからだ。

そこで理論派は、データや論文などを論拠とする。データは数値で表されるので、そこに自他ともに思惑を挟む余地が無いから、客観性が担保されている。論文は実験することによって仮説が正しいか実証したりデータ化したりして、そこから結論を導き出したものなので、これも確証が高い。だから理論派は、データや論文を重視し、多く活用する。

ゴールは法則を見つけること

そしてこれらの論拠を駆使して理論派は何をしたいのかというと、新たな法則や傾向を見出したいのだ。そしてこれ見出すために必要なのが「論理的説明」なのだ。

A・B二つの実験結果が出た時、Aのほうが多数だったらAの傾向があると結論付けるし、アとイで比べてアでは病気の改善が見られたとなれば、アは効果があったと発表する。これが法則を見つけるということだ。

自分を抜きにして語る世界

ただ、ここまでの説明で論理の話の中に、自分のことが一切入っていないことにお気づきだろうか。そう、自分については一切語っていない。全て他人基準である。しかも多人数の。だから論理の世界では自分個人のことは挟みずらいのだ。これは話の持っていき方の都合上しょうがない。自分のことを挟んだ時点で自分本位となってしまうから、客観性を維持するために守らなければならないルールなのだ。

理論派の特徴


自分が無いと言われる理論派

今までの論理の説明からわかる通り、話の中に自分の気持ちや思惑を入れると客観性がなくなり、論理が破綻してしまうので、理論派は話の中に自分自身のことを一切入れない。むしろ、排除する。だから、論理的説明をしているときは全て基準が、大衆や被験者や国民など、赤の他人ばかりである。

このことから理論派は自分が無いとか、感情が無いとか言われるが、それとはちょっと違う。自分も一人の人間である以上、情や欲に流されるかもしれないと認識しているから、それを恐れて自分を出さずにコントロールしているのだ。結果として、大人びた印象を受ける人は多いだろう。

真逆の評価を受ける理論派

あまり感情を表に出さないから、理論派は一部の人から冷たいと思われがちだ。しかし自分を考慮に入れないから、その視点は第三者目線であることが多い。しかも分析するのが得意なので、本当は人間をよく見ているし、その分相手の気持ちを理解していることが多い。

ただその分析が行き過ぎて、相手の深層心理や核心にまで行きつくことも度々ある。相手からすれば痛いところを突かれた形になるので嫌がられ、気持ちを理解してないと言われてしまう。

合理主義で現実主義

理論派の人は自分とは別の次元で物を考えるので、欲が無いのかというとそうでもない。投資をする者もいれば、会社経営する者もいる。

でも、そこは理論派である。自分が何が好きか以前に、失敗や損失は最小限に、利益は最大にするほうを優先する。そのために勉強し、研究し、最も失敗確率が高いものを消去する。

そもそも彼らは、どんな物事でもやっているうちにはまってくるので、興味なんて後から湧いてくるものだということを知っている。だから特定のジャンルや業種にこだわらない。好きなことでも成功率が低ければ余程のことがない限り手を出さないし、最初興味の無いことでも成功率が高そうであれば果敢に手を出す。

無情と言えば無情だが、要は合理主義者で現実主義者なのである。

非論理派から見たら


では反対に、非論理派を見てみたいのだが、大きく分けると2パターンある。理論が理解できていないパターンと、論理的になりたくないパターンだ。

まずは理論が理解できていないほうから見ていこう。

論理が理解できないパターン


代数がわからない

先ほどの式

A=B
B=C
ならば、
A=Cである。

は中学で習う代数の知識を基にしているが、まず代数の知識と理論を理解していないと難しい。しかも、このケースだと「AはAでしかないから、Bであるはずがない。だって別の文字じゃん。」って思っている人もいる。

なので、この手の人には何かに置き換えて説明する必要がある。例えばこんなのはどうだろう。

ニワトリは卵を産む
卵からヒヨコが生まれる
だからニワトリの子はヒヨコだ

初めの例題に当てはめると、ニワトリがAで、卵がBで、ヒヨコがCなので、

ニワトリ=卵
卵=ヒヨコ
ニワトリ=ヒヨコ

論法としては同じなのがわかるだろうが、身近な生活に基づいているのもあって、このほうがわかりやすいことと思う。しかも、意外と実生活でも無意識に論理的思考をやっているのがわかるだろう。

なぜその結論になるかがわからない

あともう一パターンあるのが、アルファベットが代数なのはわかるけど、なぜ先の前提条件でA=Cと言えるのかがわからないというパターン。学生時代、数学の証明問題でつまづいていた人は、これに当てはまるのではないだろうか。

このパターンは1を聞いても1しかわからないケースと思われる。なので、式と式の間の説明も細かくしないとわからないのだ。例えばこんな感じだ。

A=B
B=C
ならば、
A=B=Cが成り立つので、
間のBを抜いて、
A=Cであるとも言える。

なかなか回りくどくて、理論派からしたら面倒くさいと思われてしまうが、そこまでしないとわからない場合もあることだろう。

ただ、上記二つのパターンは経験不足や説明不足が原因なので、トレーニングしたり工夫したりして慣れていけば、改善の見込みはあるかと思う。

論理的になれないパターン

これは厄介である。そもそも論理的に話をする気がないからだ。大体、なれないと言う時点で対立しやすいし、感情論になっているからどうにもならない。

ただ理由については分析できるので、書き出してみる。

欲望タイプ

先の説明にもあるように、論理で語ると大多数を基準にしがちなので、個人的なことを挟みずらくなる。つまり、多数決の論理になりやすい。なので個人や少数派の願望を叶えようとすると、論理は邪魔になる。

そこを理性や社会倫理で考える人もいるだろうが、全員が全員そうではないので、そこを無視してゴリ押しする人もいるだろう。そうなると、より多くの人が利益を得られるようにと考える理論派と、対立することになる。このタイプの人からしたら理論派を大衆迎合主義と映るだろうし、理論派からしたら大多数を犠牲にしてまで自分を優先するわがままなヤツと映るだろう。

しかも少数の立場である以上、まともに正面から立ち向かったら負けるのは必定なので、卑怯な手段に出ざるを得ない。なので、理論は無視、モラルも無視、矛盾があっても知らん顔ということになりかねず、トラブルメーカーのレッテルを貼られる人もいるだろう。

ただ一つ言えるのは、いかなる理由も人に迷惑をかけていいことにはならない。

感情的なタイプ

このタイプは感情のほうが反射的に先走ってしまって、論理以前に話し合いにすらならないケースが多い。理性が効かないパターンだ。

理性を司るのは、脳の主に前頭前野という部分だ。ちょうどおでこのすぐ内側にある。実はこの前頭前野、脳の中でも最も成長が最後になる部分で、成長が遅いとその分理性が効かないということになる。

なので何でもないようなことでも激高しやすく、論理的、建設的な話ができない。欲望タイプもそうだが、傍から見たら駄々っ子としか映らないだろう。

先入観タイプ

これは最初の印象や思い込みで、なんでも判断してしまうタイプだ。面倒、小難しそう、肌に合わないなど、何かにつけて曖昧な理由をつけて避ける。

このタイプは根底に自信の無さや恐怖感があるから、やったことが無いこと、新しいこと、あまり良い印象が無いことには抵抗しやすい。

ただ、感情的なタイプとコンボになると厄介だが、先入観のみの場合は慣れの問題なので、それが当たり前の状況になると徐々に話ができるようになってくる。そういう点では、打ち解ける見込みはありそうだ。

完璧主義タイプ

全てを自分の思い描いた通りにしないと気が済まない完璧主義タイプも、論理を嫌うだろう。現実には有り得ない、あったとしてもかなり成功率が低く非効率だからだ。理論上最も上手くいくやり方を提示しても、細部にわたるまで自分の思い描いた通りでないと納得しないから、却下してしまう。

理論派は物事が100%思い通りにいくなんてことはない、あっても確率が低いことを知っているから、意外と完璧は求めない。だから、自分の中の「ベスト」にこだわるくらいだったら、「ベター」な選択でいいと考える。

しかし、完璧主義者はそこを押してでも自分のベストにこだわる。その点で論理的ではない。

非現実的理想主義タイプ

誰しもこうなったらいいなと思うものはあるだろうが、これが行き過ぎると非現実的になる。そしてこうなった人には、論理は通じない。非現実な理想はあくまで空想で、この世には存在しないからだ。

論理は現実に起こったことを基にして筋道を立てる作業なので、良いところばかりを見せるとは限らない。時には残酷な結果、不都合な真実まで明るみに晒してしまう。これは非現実的な理想を抱いている人にとって、非常に都合が悪いから論理を無視する方向に走らざるを得なくなる。

こういうタイプは新興宗教にはまりやすい。新興宗教は非現実的な理想を、さも存在するかのように語って勧誘するからだ。彼らにとっては唯一の理解者となるから妄信する。

ただ、皆さんも知っての通り新興宗教の話は非科学的な何とでも言えるものだし、傍から見てちょっとヤバいなと思われる人が多いので、論理とはかけ離れた存在である。しかも幸せを目指そうとして、かえって苦しくなっている人も多い。その点でも矛盾がある。

認知の歪みタイプ

これはもうどうにもならない。何かにつけ真っ向から否定したり、言ってないことを言ったと思い込んでいたりするので、非常に対処に苦慮する。

このタイプは認知能力に異常があるので、論理的に説明しても極端もしくは論理上有り得ない理解のし方をする。しかも、心理学の研究でこういうタイプの人の中には、無意識に記憶の改ざんまで行い、しかもそれを妄信している人までいる。こういう人に限って記憶は絶対正しいと主張するし、どうして改ざんまでしていてそう思えるのか不思議だ。

ただこういう人はパーソナリティ障害を抱えているケースも多々あるので、取り扱いは困難を極める。離れる以外ないだろう。

結局のところ


論理的思考とは最適解を見出すための合理的な手段ではあるが、不都合な部分まで明るみに晒すかもしれない特性上、裏表の激しい人にとっては煙たいものになるだろう。上手く表に変換して活用しようとする人にはいいが、裏の部分を押し通したい、引きずっている人には相容れないだろう。

さらに精神と脳の発達に比例している感もあるので、全員が全員身につくものではないような気がする。

ただ論理的思考ができるようになると、感情や欲求との使い分けもできるようになるので、より要領よく世渡りできるとは思う。逆にこれが無いと感情と欲が丸出しになるので、世間で言う痛い人になる。

その辺賢く生きて行っていただければと思う。

2022年7月20日水曜日

会社の健康保険

 会社の健康保険は、主に中小企業向けの協会けんぽ(全国健康保険協会管掌健康保険)と、主に大企業向けの組合健保(組合管掌健康保険)があるのですが、正社員なら大概どちらかの保険に加入し、利用しているかと思います。

ですが、一定の要件を満たせばアルバイターやパートタイマーであっても加入できるケースがあります。結構国保にはないメリットがありますので、もし希望するなら上司に相談してみましょう。

ちなみに私もフリーターだった頃、アルバイトであったにもかかわらず人事部課長から出版健保への加入を勧められたことがあります。(事情があって、泣く泣く断りました・・・)

健保の特典

1.労使折半
これは結構メリット大きいです。なにせ保険料の半額を会社が支払ってくれます。国保だと全額自己負担なので、健保のほうが労働者側の懐に余裕ができます。

ちなみに保険料は、被保険者である労働者の月収(標準報酬月額)と賞与(標準賞与額)に保険料率を掛けて計算します。それを被保険者(労働者)と会社で半々で負担します。組合健保の場合は、この保険料率を一定の範囲内で組合で決めることができます。

2.自己負担割合
この自己負担割合については健保も国保も同じです。

0歳~就学前 2割
小学生~70歳未満 3割
70歳~75歳未満 2割(現役並みに収入ある人は3割)

※75歳以上は後期高齢者医療制度へ移行するので、健保の資格を失います。基本的には自己負担割合は1割ですが、収入額によっては2割、現役並みの収入の場合は3割負担となります。

3.高額医療費
これも、国保と同じ基準が適用されます。

同一月に同一の医療機関での医療費の自己負担額が、一定の金額を超えた場合に申告すると、超過分の高額医療費が支給されます。事前に保険者から「所得区分」の認定証を発行してもらうと、医療機関での支払いを自己負担の上限額までで制限することもできます。

ただし、差額ベッド代などの保険適用外の料金は対象外となります。

詳細はこちらをご覧ください。

4.傷病手当金
これは国保では支給されないので、協会けんぽ、組合健保のみの保障です。(コロナ感染に限り、令和5年3月31日まで国保でも支給)

被保険者が病気やケガで働けず、給与をもらうことができない、もしくは傷病手当金を下回る場合に支給されます。

条件は会社を連続する3日間を含み4日以上休んだ際に欠勤4日目から通算1年6ヶ月までの間支給されます。給与が傷病手当金に満たない場合は、差額分が支給されます。

詳細はこちらをご覧ください。

5.出産手当金
これも国保では支給されません。協会けんぽ、組合健保のみの保障です。

被保険者が出産で働けず給与がもらえない場合、出産前の42日間と産後56日間のうち、仕事を休んだ日数分の金額が支給されます。

詳細はこちらをご覧ください。

6.出産育児一時金(家族出産育児一時金)
こちらは健保も国保も支給されます。条件や支給額は同じです。

要件は被保険者または被扶養者が妊娠4ヶ月以上で出産すること。さらに産科医療補償制度に加入している病院、医院などで出産することです。

この要件を満たすと。1児につき42万円が支給されます。しかも、死産、流産、婚外子であっても支給されます。

7.埋葬料(家族埋葬料)
こちらも健保・国保共通です。

被保険者または被扶養者が死亡し、遺族が葬儀を行った場合に、一律5万円が支給されます。
一部市区町村ではこれより多い額が支給されるところもあるようです。

2022年7月19日火曜日

出産手当金

出産一時金とは、被保険者が出産のために働けず、給与がもらえない場合に支給されるお金です。育児費用もかかるのに、給与が無かったら共倒れになりかねません。それを支えるのがこの制度です。

出産手当金支払い範囲

出産前の42日間 ~ 出産後の56日間の範囲のうち、
仕事を休んだ日数分(最大98日間)
   

1日当たりの支給額は、下記の計算式で決定します。

出産手当金支給額計算

支給開始日以前の連続した12ヶ月間の各月の標準報酬月額の平均÷30×2/3    

要は、給与を日割り計算して1日当たりの額を算出し、その1日当たりの給与の2/3の額を支給するということです。

わかりずらいと思うので、例を出します。

出産手当金支給額の計算例

支給開始日以前の連続した12ヶ月間の各月の標準報酬月額平均27万円の人が、出産前30日間、出産後1年間仕事を休んだ場合

支給対象期間の日数・・・・・30日+56日※=86日
※1年間=出産後最大日数56日を適用
一日当たりの傷病手当金・・・270,000円÷30×2/3=6,000円
支給総額・・・・・・・・・・6,000円×86日=516,000円
   

となります。

収入が無いとなると、お金の不安やら心配で産後の肥立ちや子育てに影響しそうです。結構育児からくるうつ病とかもありますし。出産手当金が支給されれば収入の問題が解決できるので、育児に専念でき、ストレスを軽減できる見込みも出てきます。ぜひ活用しましょう。

#健康保険 #お金 #マネー #医療費

2022年7月18日月曜日

頭が良い人の考え方、悪い人の考え方

最近はネットやSNSの普及で、いろいろな人を見たり触れ合ったりする機会が増えた。その中で、奥の深いことを言う頭がいいと思われる人もいれば、もっともらしいことを言っているようで底の浅さを感じる残念な人もいるだろう。そして、そこにはそれぞれ共通点があるのではないか。

そこで今回は、そんな頭がいい人と悪い人ではどんな特徴があるのか分析してみる。

スイッチかチューナーか


何か選択肢を与えられたときの判断のし方に特徴がある。それは、どれか一つにしぼってしまって他は全部捨ててしまうのか、それともその時々で配分を変えながらも複数の選択肢を残しているのかだ。

頭が悪い人は一つにしぼりたがる


一見どれか一つにしぼるのは、退路を断ち覚悟を決めているようで恰好はいいし、もしそれが当たれば大化けして大きな利益を得ることができるかもしれない。しかし、その一つが失敗したら代替手段が一切ないので、損失を補てんできず負債を全て背負うことになる。頭の悪い人たちはこれをやりがちである。

メンタルにおいてもそうだ。よく巷ではポジティブになれとか、ポジティブな言葉を口にすると人生好転するとか言われるが、頭の悪い人はこれを曲解して全ての物事をポジティブシンキングという一つの考え方で捉え固執してしまう。

するとどうなるだろうか、慎重にならなくてはいけない時でも安易に考えて墓穴を掘るなんてことになるし、全てをポジティブに考えようとすることでネガティブな感情の行き場が無くなるから、ストレスが蓄積されていって結果的に抑うつ病や双極性障害などを発症する。

このように頭の悪い人は、まるでスイッチのON/OFFの切り替えのような判断をする傾向が見て取れる。これを世間ではゼロ百思考とか白黒思考とかいうが、これダメだと言われるゆえんはここである。

頭がいい人はいろいろなことに広くかかわる


反対に、頭がいい人はこの辺がわかっているから、しぼるということをしない。全力を傾けない状態で「複数」のことに足を突っ込むから、大化けすることはないけれど、どれか一つがダメになってもダメージを抑えることができるし、他の選択肢が残っているからそちらで損失を補てんし、リカバリーすることもできる。

大体、どんな物事でも一つ一つの成功率はごく少数だから、1個にしぼってしまうのはリスクがあり過ぎる。だが、それぞれに傾ける力は微量であっても、複数の物事に手を出しておけば数打ちゃ当たるの論理で一つくらいは上手くいくものが出てくる。その段階でそれぞれのウエイトのバランスを調整するのだ(それでも一つに全力を傾けることはせず、保険として他の選択肢も少し残している)。それは、楽器のチューニングをするかのようである。

メンタルにおいてもこれが言える。ポジティブシンキングとネガティブシンキングでは、ポジティブシンキングのほうがパフォーマンスが高いのは言うまでもないが、新たな学説によると、ポジティブ80%、ネガティブ20%と両方の要素を持っている人が一番パフォーマンスが高かったそうだ。つまり、頭のいい人はここでもチューニングしていたわけだ。

ネガティブな感情というのはとかく嫌われがちだが、実は生活に必要な要素でもある。書類に不備が無いか確認するのはネガティブ思考が働くからだし、安全運転を心がけるのもネガティブな事態を想定するからである。ネガティブな要素のお陰で生きながらえている部分も多いのだ。

つまり、どれか一つ選択するのではなく、どのくらいの「配分」にするかが重要なのである。

比較するか否か


シングルフォーカスだからかもしれないが、決まって頭の悪い人は比較をしない。自分の最初のやり方に固執して、他の上手いやり方を探そうとしない。他人から他の上手いやり方をアドバイスされても、比較検討をするどころか、意地でも最初のやり方にこだわる。

マネーの世界でもそうだ。宝くじは数ある金融商品の中でトップクラスで成功率が低いことが、金融の世界では知られている。それはそうだろう、当選金よりも多く宝くじを売らないと経営が成り立たないからだ。仮に当選金が10億円なら、10億円+諸経費分のハズレ券を売らないといけない。それを300円で割ればハズレ券の数が340万枚ほどと概算が出る。つまり、当選確率は0.00029%というわけだ。

それに引き替え国債なら、大化けはしないが元本保証があるのでまず失敗しないから、確実にお金が増える。他の投資は多少リスクがあるが、長期投資とリスクヘッジを行うことで、50%以上の確率(年利換算だったら2%程度)で資産は増える。

そもそも、証券会社は手数料商売だから、顧客が儲かっても経営が成り立つ。顧客を損させる必要がないのだ。そのことを踏まえても投資のほうが成功率が高い。だから、頭がいい人は宝くじなんぞ買わずに、投資をする。

だが、頭が悪い人は比較をしないから、宝くじ単品でしか考えず、他の効率の良いやり方を見ない。根底に二極思考があるから宝くじの成否しか頭にないので、当たり/ハズレの二極で考え、確率を考えられない。しかも、自分の考えを曲げるのはメンツにかかわるようで、自分の選択が愚かであることを認めたくないから、やり方を変えない。だから、事実頭が悪い人のほうが、宝くじを買う割合が高く、散財する人が多い。

頭が悪い人の判断基準は好き嫌い


頭が悪い人は、多くのことを好みで選ぶ。上記のことにも通ずるが、判断基準が効率や成功率ではなく、好き嫌いである。例え成功率が高くても嫌いと思ったらやらないし、成功率が低くても一度手を出したら固執する。割り切ることができなくて、素直さや臨機応変さがない。

反対に頭のいい人は感情を切り離して考えるから、好みをそれほど重視しない。それよりも上手くいくほうに切り替えて、ちゃんと結果を出すほうを選ぶ。望む未来を手に入れるのに、こだわりがないのだ。だから、臨機応変に対応して、要領がいい。

一方頭が悪い人は、手段にこだわる。例え結果を出したとしても、それが他人のやり方だった場合は、激しい屈辱を感じるようだ。そうなるくらいだったら、いっそ結果が出なくても自分のやり方のほうがいいとすら思っている。他人の指図を受けることのほうが、ずっと嫌なのだろう。だから、他人のやり方で結果が出ても自分の望んだものではないから、屈辱に感じる。

さらに始末が悪いのは、要領の良い人を悔しさのあまり非難する。地団太である。これでは永遠に望みは叶わないだろう。

調べてからにするか即断するか


この辺も、頭がいいか悪いか傾向がわかれるところだろう。

例えば友人を助けようと借金の連帯保証人を引き受けてしまったり、怪しい投資話に引っかかって大損してしまったりなんて話はよく聞くが、これは頭が悪いタイプだろう。第三者に相談したり、事前に財務状況や素性について調べたり、それでもわからないものには手を出さないと普段から決めておいたりすれば防げることだろう。

だがなぜか頭が悪い人というのはこれらのことをせず、今持ってる知識の中だけで独りよがりにその場で判断してしまう。大体、現場にいるときは頭の中で情報が整理されていないし、頭が熱くなっているから客観的な視点が持てない。そのため感情的になっていて、普段はしないような決断をしがちである。これは、オレオレ詐欺に引っかかるお年寄りにも通ずるところがある。

しかし、頭がいい人はこういう時にその場で決断するということをしない。その場での判断は危ういことを知っているから、一時保留して頭を冷ましてからにする。そうするとちゃんと調べたり人に聞いたりしてからのほうがいいことに気づくし、冷静な判断が下せるようになる。

行動するだけでは変わらない


「行動しなければ変わらない」という言葉をよく耳にするが、これも頭が悪い人は勘違いしている。

例えば、普段から取材活動のために全国を飛び回っている人が、また取材のために移動することは、ここで言う行動しなければ変わらないという言葉に当てはまるだろうか?こたえはNOだ。

頭の悪い人は、取材活動をしているのだから、新幹線や飛行機に乗って移動しているのだから行動しているではないかと言うだろうが、それは体を動かすという辞書通りの理解をしたに過ぎず、真意ではない。ここで言う行動しなければ変わらないとは、ルーティーンから抜け出すとか、新しいことを始めるとか、負のスパイラルを止めるといった、今までとは違う行動をせよという意味だ。

普段から取材をしている人が、また取材でどこか別の地へ飛んでも同じことの繰り返しだから、ルーティーンでしかない。だが全国を飛び回っていたのをネットを介して取材すれば、移動はしていないので体を動かすという意味での行動はしていないが、移動時間を削減した分編集に割く時間が確保できたり、もう一人取材できたりと新たな産物が生まれる。

「行動しなければ変わらない」という言葉に足らないもの


実は前々から思っていたが、「行動しなければ変わらない」という言葉に足らないものがあると思っている。それは、普段から勉強していることだ。

頭の悪い人は行動しなければ変わらないという言葉を聞くと、行動さえすればいいと誤解する。しかし行動は、勉強とセットでないと上手く機能しない。何も勉強しないでいきなり行動しても、手掛かりがないから闇雲な行動にしかならない。それは例えるなら、海図もコンパスもなく太平洋のど真ん中で船を漕ぐようなものだし、仮に持っていたとしてもその使い方を知らなかったら遭難する。行動しながら勉強すればいいでは遅いし、それすらしないのはもっての外だ。

「まずはやってみろ」という人もいるが、そういう人も実は普段から事前に勉強している。そのベースがあるから、あとは行動するだけだよという意味で言っているのである。でも本人からすれば勉強なんて当たり前すぎるし、そんな前提すら忘れているからいちいち言わない。だから普段勉強すらしない人が「まずはやってみろ」という言葉を聞くと、予備知識がないからただの無鉄砲になる。ここに頭のいい人と悪い人ととの前提条件の乖離がある。

ちなみに、頭のいい人は普段から勉強を欠かさない。世界一の投資家ウォーレン・バフェット氏は、一日に500ページ本を読むという。小説家の村上春樹氏は、執筆活動は午前中の4時間ほどで、残りは読書や散歩に充てるという。優れた人は実務より勉強の時間のほうが多いのだ。

真の頭のいい人とは


ここで古代中国の思想家老子の言葉を紹介しよう。

「知る者は言わず、言う者は知らず」(知者不言、言者不知)

意味は、知恵のある者は言葉が少なく、言葉の多い者は知恵が少ない
もしくは、真によく知っている者はあまり多くは語らないが、よく知らない者はかえって口に出して言うものである、ということだ。

欧米にも「口数の一番多い者が一番の知恵者とは限らない」という、似たようなことわざがあるようだ。
これらの言葉からも、頭のいい人と悪い人の違いが見えてこよう。

頭が悪い人は言いたいという欲求にとらわれ、しゃべる時間を作っている分、勉強に割く時間が削られる。頭のいい人はしゃべる時間を削って勉強に勤しむ分、知恵が身につき賢くなる。はたして、どちらが大成するだろうか?頭がいい人ならばわかるだろう。

2022年7月17日日曜日

傷病手当金

傷病手当金とは、被保険者が病気やケガで働けないために、給与がもらえない、もしくは大幅に減額された場合に支給されるお金です。不労所得があればいいのですが、無い方がほとんどでしょうし、給与は命綱であるにもかかわらずそれが断たれてしまうのは、療養中の生活に直結します。そんな危機から救うのが、この制度です。

支給条件は下記の通りです。

傷病手当金支給条件

・欠勤理由が病気やケガであること
・会社を4日以上休んでいること
・うち、3日間連続して休んでいること
   

実際にどのように支払われるかですが、欠勤4日目~通算1年6ヶ月まで支給されます。

給与が傷病手当金額未満の場合は、差額分が支給されます。この他、障害厚生年金、障害手当金、老齢退職年金、労災保険の休業補償給付を日割り計算して傷病手当金に満たない場合にも、差額分が支給されます。
ただし、上記の申告をせず傷病手当金を受け取ったことが後に判明した場合は、返金しなければなりませんのでご注意ください。

1日当たりの支給額は、下記の計算式で決定します。

傷病手当金支給額計算

支給開始日以前の連続した12ヶ月間の各月の標準報酬月額の平均÷30×2/3    

要は、給与を日割り計算して1日当たりの額を算出し、その1日当たりの給与の2/3の額を支給するということです。一部給与が支払われている方は、そこから今の1日当たりの給与分を差し引いた額が支給されます。

わかりずらいと思うので、例を出します。

傷病手当金支給額の計算例

支給開始日以前の連続した12ヶ月間の各月の標準報酬月額の平均が27万円の人がケガで8日間仕事を休んだ場合

支給対象期間の日数・・・・・8日-3日=5日
一日当たりの傷病手当金・・・270,000円÷30×2/3=6,000円
支給総額・・・・・・・・・・6,000円×5日=30,000円
   

となります。

収入が無いと、お金の不安や心配で落ち着いて療養できないから、回復に影響しそうです。傷病手当金が支給されれば収入の問題が解決できるので、療養に専念でき、早く回復できる見込みも出てきます。ぜひ活用しましょう。

#健康保険 #お金 #マネー #医療費

2022年7月16日土曜日

健康保険における高額医療費

国民健康保険(国保)、会社の健康保険にかかわらず支給されるものとして、高額医療費があります。条件や支給額は国保、健保ともに同一ですが、年齢や年収によって自己負担限度額が分けられています。そんな高額医療費についてまとめてみます。

概要は下記の通りです。

同一月に同一の医療機関での医療費の自己負担額が、一定の金額を超えた場合に申告すると、超過分の高額医療費が支給されます。事前に保険者から「所得区分」の認定証を発行してもらうと、医療機関での支払いを自己負担の上限額までで制限することもできます。

ただし、差額ベッド代などの保険適用外の料金は対象外となります。

そして自己負担限度額ですが、70歳未満と70歳以上~75歳未満で区分けされます。75歳以上は後期高齢者医療制度へ移行し、健保や国保の資格を喪失するため、対象外となります。

さらに所得に応じて限度額も変化します。詳細は下記の表の通りです。

70歳未満の方
所得区分 自己負担限度額
標準報酬月額83万円~
(年収約1,160万円~)
252,600円+(医療費*-842,000円)×1%
標準報酬月額53万円~79万円
(年収約770万円~1,160万円)
167,400円+(医療費*-558,000円)×1%
標準報酬月額28万円~50万円
(年収約370万円~770万円)
80,100円+(医療費*-267,000円)×1%
標準報酬月額26万円以下
(年収約370万円未満)
57,600円
住民税非課税世帯
(低所得者)
35,400円
*医療費:保険補てん分+自己負担分の医療費の総額(10割分の金額)。ただし、保険適用分のみ。

多数該当高額療養費
療養を受けた月以前の1年間に、3ヵ月以上の高額療養費の支給を受けた(限度額適用認定証を使用し、自己負担限度額を負担した場合も含む)場合には、4ヵ月目から「多数該当」となります。
自己負担限度額がさらに軽減されます。

70歳未満の方
所得区分 自己負担限度額
標準報酬月額83万円~
(年収約1,160万円~)
252,600円+(医療費*-842,000円)×1%
標準報酬月額53万円~79万円
(年収約770万円~1,160万円)
167,400円+(医療費*-558,000円)×1%
標準報酬月額28万円~50万円
(年収約370万円~770万円)
80,100円+(医療費*-267,000円)×1%
標準報酬月額26万円以下
(年収約370万円未満)
外来(個人ごと) 外来・入院(世帯)
18,000円
(年間上限14.4万円)
57,600円
住民税非課税世帯
(低所得者)★2
8,000円 24,600円
住民税非課税世帯
(低所得者)★1
8,000円 15,000円
*医療費:保険補てん分+自己負担分の医療費の総額(10割分の金額)。ただし、保険適用分のみ。
★1被保険者とその扶養家族全ての方の収入から必要経費・控除額を除いた後の所得がない場合。
★2被保険者が市区町村民税の非課税者等である場合。
ただし、現役並み所得者に該当する場合は、市区町村民税が非課税等であっても現役並み所得者となります。

70歳以上の外来療養にかかる年間の高額療養費
基準日(7月31日)時点の所得区分が、一般区分または低所得区分に該当する場合は、計算期間(前年8月1日~7月31日までの期間)のうち、一般区分または低所得区分であった月の1年間の外来療養の自己負担限度額の合計が144,000円を超えた場合に、その超えた金額を支給します。

2022年7月15日金曜日

読解力のレベルの無自覚

以前Twitterで私の文章の書き方や文章力について、2人から指摘もしくは罵倒されたことがある。もちろん私も人間なので、誤解を与えるケースもあろうとその時は思った。

しかし、後になって考えてみると腑に落ちない点が湧き上がってきた。特に相手の読解力のことを考慮してなかったなと。その点について、考えてみる。

未熟な読解力

読解力を問う上で、一つ問題を出してみよう。

例題
花子さんはお母さんから、大根1本と豚肉200gを買うよう、お使いを頼まれました。スーパーに来ると、大根は1本80円、豚肉は100g120円でした。しかも今日は大根の特売日で、3割引きでした。花子さんはそこで100ポイント使って会計しました。実際に支払った金額はいくらですか?ポイントは1ポイント1円として計算しなさい。※消費税は考慮しないものとする。

こんな問題だ。日常生活でありそうなシチュエーションだろう。答えは196円である。
計算式は、

80×(1-0.3)+120×(200÷100)-100=196

となるのだが、思ったよりも解けない成人がいるらしい。

こうやって書くとこの式の計算ができないのかと捉えられがちだが、実はそうではない。そもそも、この計算式自体を導き出すことができない人が潜在的にいるのだ。

文章題というのは複数の能力を要求される。

1.文章を読んで、何を問われているのかを導く能力。
2.一旦それぞれを分解してカテゴリー分けし、個別に考える能力。
3.それを最終的に合体させて式に仕立てる能力。
4.その式を正確に計算する能力。
など

数学の問題なので単純思考の人は数学の能力が問われていると思いがちだが、この1と2の部分で読解力が問われている。つまり文章題というのは、国語数学二つの能力を持っていないと解けないのだ。

そういうお前はどうなんだと言われかねないので一応断っておくが、実は私は学生時代県内の模試で必ず上位3位以内に入っていた。1位を獲得したこともあるし、その時の偏差値は70を超えていただろう。

しかも私は数学の文章題を最も得意とし、先述のように式も立てられ最終的な答えにまでたどり着くことができている時点で、一定レベルの読解力はあるだろう。

だが、みんながみんな同じレベルであるとは限らない。中にはこの読解力が欠落していたり、遅れを生じていたりして、できないひともいる。しかもその状態のまま、社会に放り出された人は実生活でどういう目に遭うだろうか。

要求される読解力レベル

ここで先のTwitterの話に戻る。Twitterは140字というかなり少ない文字数で書かなくてはならない。当然要約して書かなければ収まらないし、それでも書ききれない場合ははしょらざるを得ないケースもあることだろう。

そうなると、先の文章題以上の読解力が必要になってくる。文章題なら書いてあることが全てだから、それさえ読めればまだ問題は解けるが、字数制限がありはしょって書いてある文章の場合は、行間を読む力(推理力まで要求される。つまり、Twitterは読解力と推理力が必要な実にかなり高度なツールなのだ。

もちろん書かれていない行間の部分というのは、様々なパターンが想定されるだろう。なのでどれが当たりかわからないから、賢い人は一つにしぼることはせず、その中で最も万人受けする無難な選択をする。だから誰にでも謙虚で腰が低く、丁寧な言葉を使い、時には言葉を控える。それは誰が相手であっても、角が立たないからだ。

だが、読解力と推理力が無い人間はここを間違える。読解力がないから論理的に成り立たない有り得ない解釈をし、それを前提にして推理するからこれも間違える。千差万別という言葉は一応知ってはいるものの、目の前にしている人が一人だと推理を一つにしぼろうとするので、読みが外れる。結果、人によって態度が異なる上、読みが外れるから場に相応しくない態度となり、嫌な奴のレッテルを貼られる。

ダニング・クルーガー効果

この背景には一つ厄介な問題が潜んでいる。ダニング・クルーガー効果だ。能力の高い者ほど自分の能力をそれと同等かもしくはそれよりも低いと評価し、能力の低い者ほど自分を能力以上に高く評価するという心理効果だ。

そもそも能力の高い者は模試の結果や入試の合否など数字を拠り所にする。数字だから誰にも変えようがないし、他人が判定したものなのでシビアである。

反対に能力が低い者は自分の感覚を拠り所にする。少しでも良く見せたいから、自分に甘い評価になりがちだ。しかもそれをなぜか、論拠もなく間違いないと確信している。

このように能力の低い者は自信家で有能であると勘違いしているから、上には上がいるということを知らない。仮に知っていたとしても、確率は低いし、そもそも低姿勢になりたくないから、上から目線になってもいいだろうと判断する。なので、落第生が教師に向かって講釈を垂れるような、実に恥ずかしい愚行をする。これも自分のことを読み間違えていることがなせる業だ。

賢い人はこうなって自分の評価を落とすのが嫌だから、誰に対しても低姿勢だし、言葉を選ぶ。これを心理学の世界で知的謙遜(ちてきけんそん)と言う。

だが、賢い人が首を垂れる姿を見て、愚か者は卑屈だと罵る。メンツを重んじる愚か者にとっては、首を垂れるなんて有能であるはずの自分が情けなく映るから、格好悪くてしょうがないのだ。

とはいえ、この点に関しては誰にでも起こりうるケースなので気をつけたいところだ。

まとめ

文章というのは、なかなか難解である。実際海外の研究で文字だけで書かれた情報は、平均すると人間は30%ほどしか理解できていないという結果も出ている。それほどまでに文章は理解するのが難しいし、それだけ読解力が必要になるのだ。

ましてや、書かれていることが全てだなどというのは、とんでもない思い上がりだろう。しかも、相手の素性も考えずに発言するのは、あまりに愚かである。

常に謙虚でいることを心に留めておきたいものだ。

2022年7月14日木曜日

よくいう完璧主義の問題点はココ!

心理カウンセリングやメンタルヘルスの世界で、「完璧主義」は良くないということがよく言われる。

完璧主義というと一般的には、書類が完成してからでないと提出できないとか、頭の先から爪先まで完全コーディネートしてから外出するといった様を思い浮かべる方が多いと思う。これはこれで心配性からくる不都合はあるが、より良くしたいというポジティブな方向に向かっているし、何かを生み出してはいるので救いがある。

しかし、メンタルの世界で問題になる完璧主義はこれとは異なる。

問題になりやすい完璧主義

よく取りざたされている完璧主義とは、こういうタイプである。

「一つでも違ったところがあると許せない」

私のツイートに完全に同調し些細な異論すら許さない、リモコンの配置が少しでもずれていると許せない、帰宅時間に遅れるのが許せないなど・・・。
共通するのは、「許せない」というネガティブな感情をはらんでいることだ。

前記の事例を一つ一つ見ていくと、人の考えなど千差万別なのだから、完全一致などそもそも有り得ない。これを要求されても叶えてあげられる人など、どこにもいないのは誰でもわかるだろう。

リモコンの位置が数㎜ズレたり、順番が逆になったりしたところで、テレビやエアコンを操作するのに支障はない。

帰宅時間にしても、残業すれば遅くなるし、電車の遅れや学校行事の準備など、自分ではどうにもならない事情は山ほどある。にもかかわらず、1分たりとも遅刻は許さないと言われても不可能である。

どれを見てもそうだが、初めから「不可能」な事案ばかりなので、約束事として成立してないし、社会的常識から大きく逸脱している。
それを許せないと言われても、相手からしたら言いがかりや揚げ足取りとしか受け取れないだろう。

無自覚な認知の歪み

毎回同じパターンでトラブルを起こしているのと、自分との間でしか問題が起こっていないので気づきそうなものだが、不思議とこういうタイプは自覚が無い。認知に歪みがあるのと、長年その状態で過ごしているので自分の中で当たり前になっていて、それがおかしいということを自覚できないのだ。

さらに言うならば、このタイプは非常に自閉的である。自分の中の世界が全てで、それ以外の世界の存在が完全に頭の中から欠落している。

しかも、自分の頭の中に作り上げた有り得ない虚構と現実の区別がつかず、虚構の世界でしかなしえないことを現実世界でもできると誤解している。

なので、このタイプは理想主義者であることが多いように見受けられる。

一生願いが叶わない悲劇

ただ、非現実的で不可能な理想を追っているので、その願いが叶うことは残念ながら一生ない。そのため、常に欲求不満を抱くことになり、他人を問い詰めたり、身勝手な怒りを爆発させたりして、対人トラブルが絶えない人生を送らざるを得ない。

結果、いつまで経っても幸せにはなれない。自業自得といえば自業自得だが、これは悲劇としか言いようがない。

どうにかできないのかと言われても、恐らく多くの精神科医やカウンセラーも無理と言うだろう。自覚できないから、本人に直す意思がないのが一番のネックになるためだ。しかも、自閉傾向を持つとなると自分の築いた虚構の世界を壊されることを極度に嫌がるので、余計に反発するだろう。

なので、こういう人は社会に出さない、こちらも関わらないというのが、できる精一杯の方策とならざるを得ない。

2022年7月13日水曜日

フランスの大学入学について思うこと

フランスでの学生のデモ

フランス在住のひろゆきさんの話で、フランスではどの学力の学生でも好きな大学へ入学させるべきだし、権利があるはずだというデモが行われているらしい。一見すると学習機会の平等を叫んでいるようで聞こえはいい。好きな大学へ行けるのだから、その学生はさぞかし満足だろう。

が、果たしてすべての学生がそうだろうか?もっと言えば、教授、助教授らにとってはどうなのだろうか?

学力差がある学生がいるとどうなるか

好きな大学へ行けるとなると、実際どうなるのだろうか?例えばこういうことになる。

日本の最高学府といえば東京大学で、そこには全国から優秀な学生が集まってくる。好きな大学へ入れるとなると、高校1年レベルの学力しか持たない学生であっても入学できるわけである。


そんな学生が東京大学の授業を受けたところで、ついてこれるだろうか?答えはわかり切っている「NO」だ。

授業を理解できないこの学生は、落ちこぼれていき、次第につまらなく感じるだろう。単位も取れないから、留年、退学も頭をよぎるに違いない。周りとの実力差を見せつけられることにもなるから、疎外感も感じることだろう。そのような学生生活に満足するのだろうか?幸せに思うのだろうか?


ならば、この学生のために基礎学習から授業したらどうだろうか?学力の低い学生からしたらありがたい話で、授業についてこられるから満足するだろう。単位も取れるようになるし、進級も叶うし、東大卒の経歴も手に入る。

だが、ここは東京大学。学力の高い学生が大勢いる。とうの昔に基礎学習を終えて、より高度な知識を身に着けたいと思っている学生がいることを忘れてはならない。授業時間は決まっているのに、そこに基礎学習の時間を設けられたら、応用や高度な知識を学ぶ時間が減ることになる。これは大学全体の学力の低下を招きかねない。最も優秀な人材を育てるべく存在する大学でそれができなくなったら、本末転倒だし、教授陣も不本意であろう。

教える側の立場

教授陣から見たらどうだろうか?

そもそも大学は研究が第一の目的とされていて、世界共通の認識である。授業は付帯業務に過ぎない。つまり教授=研究者なので、研究に最も労力を割きたいというのが本音である。

その研究を達成するためには、より優秀な学生の手助けが必要であろう。

そこに学力に遅れのある学生が来たらどうだろうか?その扱いに四苦八苦することになる。


授業でもそうだ。差がある分、ダブルスタンダードな講義を強いられる。教材作成もより基礎的な部分まで扱わなくてはならないから、今まで以上に手間がかかるだろう。その分、本業である研究に割く時間が限られてしまう。

この件の根本の問題点

学力関係なくだれでも好きな大学に入れるというのは、一部の学生の一時の快楽しかもたらさず、最終的には全員悲劇的な結果にしかならない。


とすると、どこに問題があるのだろうか?

それは入学することばかり考えていて、その後のことを考えていないことでなないだろうか。いわゆる「手段の目的化」である。

そもそも大学とは研究、学習をする機関であり、学歴を得るための場所ではない。入学してからが本番であるにもかかわらず、入学自体をゴールとするからとんちんかんになるのだ。


だが、問題を起こす人というのは往々にしてこのことが理解できない。先読みができないのだ。目の前のことが全てで、目の前のことさえ達成すればことが終わると思っている。つまり、時系列の感覚や、出来事や時間の関連性が理解できていないのだ。わかりやすく言うと、物事をぶつ切りにして各々別件として認識しているのだ。

しかし、物事というのは必ず原因があり連動している。例えば、今国民生活が厳しいのは物価高だからだがなぜ物価高かというと、ロシアからの石油や天然ガスの輸入を控えたり、ロシアが輸出制限をしたりして流通量が減っているからだろう。では、なぜそんなのことになったかといえば、ロシアとウクライナが戦闘しているからで、更にその理由はウクライナのNATO加盟表明が原因となっている。

といった具合に、物事というのは全てつながっているもので、ぶつ切りになっていないのだが、これがどうもわからないようだ。だから相手が連続性を持った話をすると、想像上のこととしか受け止められないらしい。そして、これをやったらどうなるという予測が立てられず、目先にとらわれた、はたから見たら利己的な判断しかできなくなる。

知能との関連

実はこの点に関しては知能や脳の発達との関連があるように思う。医療少年院に収監されている子供を調査した広島大学の研究で、知能指数80台~70台、いわゆる境界知能と呼ばれる子たちが多いことがわかったそうだが、少年院に入るくらいの犯罪を犯した子だから後先考えられないのは明白なのだけれど、それが数字でも表れた格好だ。

実際、丸いホールケーキを人数分なるべく均等に切るという実験で、縦にスライスする、明らかな不ぞろいなど、一般的には有り得ない切り方をする様が見られたそうである。一見何の変哲もない実験に思われるが、完成形を想定しないとできない作業なので、予測力が試される。

これが未就学児ならわからなくはないが、16~18歳くらいの子がやっているとなると考えざるを得ない。詳しくは宮口幸治氏著のケーキを切れない非行少年たち(新潮新書)をご覧いただきたい。

どう納得させるか

学力が低い学生でも自由に入学させるのは、お互いのためにならないので不可であろう。ただ、これを先読みする力のない学生にどう説明し納得させるかは至難の業である。昨今の社会情勢を考えると、差別と曲解されかねない。しかもこういった問題は、本人に自覚が無いことが多い。さて、どうしたものか・・・