LINE STORE

2025年5月3日土曜日

「経験」だけに頼っていては頭打ちになる

 世の中には他人のアドバイスを一切受け付けず、一向に我流や経験しか重んじない人がいる。好ましくない結果や損失を招いていても、頑なに方法を変えようとせず、さらに事態を悪化させてしまう。それは本人にとっても決して望ましいことではないはずなのに、それでも必死に我流を通そうとする。

 そんな態度では当然人が離れるから、どんどん協力や支援が得られなくなる。あまりの融通の利かなさに最後には孤立して、万事休するのがオチだ。

 大体、我流にしても経験にしても、様々な限界があることに本人は気づいていない、もしくはそれすら受け入れようとしない。なぜ経験のみに頼ると限界を迎えるのか?それによってどんな弊害が起こるのかを紹介する。

①時間がかかり、経験できることの数に限界がある

 当たり前のことだが、人間は永遠には生きられない。必ず寿命があるし、それどころか年を取ると体にガタが来るから、もっと早い段階でリタイアをせざるを得なくなる。20歳前後で社会へ出て、60代で引退するところを見ると、経験を積める期間は半世紀もない。

 しかも、経験して身をもって確認し、そこから何のためらいもなく自然にできるようになるまでには、かなりの時間と労力がかかる。これを毎回やっていたら、一生のうちにマスターできることなんて指折り数えきれるほどしかない。

②選択肢や手段が限られて、臨機応変にできなくなる

 ①の理由で、当然できることが少なくなってしまうので、いかなる場面でも自分が採れる選択肢や手段が限られてしまい、臨機応変に動けなくなる。そりゃそうだ、引き出しが少なすぎて、事態に相応しい解決手段を持っていないのだから。

 人生において常に必要となるのが臨機応変さなのだが、そのためには引き出しが多くないと対処する術を見つけることができないから、ゲームオーバーになってしまう。

③経験は所詮過去にしか基づいていないので、未経験の事態に対処できない

 経験というのは「過去」に自分が体験したことなので、経験を判断基準にするとなると、過去に自分が体験したことと同じ物事にしか対処できないということになる。

 ということは、未経験の事態に関しては手段を持たないから、何もできずに終わることを意味し、その結果損失を被ってしまう。

勉強をし、アドバイスを受け入れる器がある人が上手くいく

 実際に人と上手くやれたり、仕事で実績を残せたり、試験の成績がよかったりする人は、ちゃんと勉強して他人から知識を吸収しているし、アドバイスも素直に聞くから他人からの受けが良く贔屓してもらいやすい。

 さらに、回り道をしないで済むから効率が良く、早く大量にいろいろなことを身につけることができるから、選択肢が多くなって引き出しが増える。その結果、臨機応変さもおのずと出てくるし、できることも増えるから未来を狭めなくて済む。

 経験のみにしがみつかないで、他人の知恵を借りることがいかに人生で重要か、再考できたら未来が開けるだろう。



患者や当事者は所詮専門家ではないし、真実を言わない

 日本において、患者の家族だったり、福祉に関わる初心者だっただりする人が、話を伺う相手としてよく他の患者や家族を選ぶ。本人に聞くのが一番だろう、当事者が一番知っているはずだという考えからの選択だと思うが、ちょっと立ち止まって考えて欲しい。本当に本人だった詳しいのだろうか?果たして本当に、当事者は包み隠さず洗いざらい話しているだろうか?そこに矛盾はないだろうか?

患者や当事者も医者ではないから素人考え

 まず前提の話として、患者や当事者家族に専門知識はない。それは当然である。なぜならほとんどの人は、「専門医」の認定はおろか「医師免許」すら持っていないから。それゆえに彼らの考えは主観や感覚、憶測が中心で、的を射ない素人考えにしかならない。

 もっと言えば、自分は何がわかってないのかすら自分で解明できていないからこそ障害とされているわけだから、本人だってわかりませんと答えるか、当てずっぽうで答えるかにしかならない。ゆえに、こっちが欲しい適切な情報を提供することはできないので参考にならないどころか、間違ったことやデマを伝えられてしまう危険性のほうが圧倒的に高い。

 そもそも医学的な知識を踏まえているという確証はないし、それに納得できているかもわからないし、専門知識を学習するだけの能力を持っているとも限らない。つまり、地雷の要素が山ほどあるのだ。場合によっては、医者とは真逆のことを言う可能性もあるので、話を聞く相手としては適切ではない。

患者や当事者であるがゆえに利害がある

 この利害という点についても見逃せないだろう。医師であれば本人でも家族でもない第三者なので、自分の人生やメンツ、プライド、体裁に係わらないから、どんな知識や情報でも提供することに抵抗がない。

 しかし、こと患者や家族となれば話は別である。メンツ、プライド、体裁、利害に直接係わるので、自分の都合の悪いことは話さなかったり、嘘をついたり、話を逸らしたりする。人間には回避行動と言って自分が不利になる行為を避けようとする習性があるので、都合の悪いことまで素直に話す人は稀である。

 それゆえに患者や当事者、家族は、最も真実を語らない部類の人間といえる。彼らにとって真実を語るのは、危険極まりないことだからだ。

深刻な問題ほど綺麗事では語れない

 だが本当のところ、精神疾患や発達障害、知能のような複雑で深刻な問題については、綺麗事で語れないことのほうが圧倒的に多い。「個性」で片付くものでもないし、「みんな違って、みんないい」と言うならなんで生活や仕事に支障があるのかって話にもなる。もっと言うなら改善しないで生活できるなら、障害とは言わないし。

 そういう活動家や自助グループがよく使う聞こえのいい当たり障りのないキャッチフレーズは、問題から目を逸らすわ、具体性がなくて実際にどうしたらいいという問いの答えになってないし、気休めにしかならないしで、実用的ではない。障害者にも才能があるだの、できることを伸ばしていこうだの、というのもよくセリフだが、それだけで済むんだったらとっくに社会に溶け込んでいるはずだ。

 実際にはトラブルメーカーとなりうる部分が人よりも多いからこういう状態になっているわけで、そこをいかに制御するかも考えないと社会ではどうしてもやっていけない。歯の浮くことばかり言う人は心理的安全性を与えてくれるが、そういう人は相手にショックを与えまいとして耳の痛いことを言うのを避けるために、一番大事なことを教えてくれないので要注意である。

そもそも医学に関係することは医師と研究者にしか決定権がない

 そしてこれはそもそも論の話になるが、医学に関係する物事は医師にしか決定権がないということについても知っておかなくてはならない。というのも、医師法という法律があって、医師以外の人が断定することを固く禁じている。これは患者であってもそうで、だからこそ患者や当事者も勝手な憶測や医科学に乗っ取らない主観のみの物言いというのも推奨されない。

 特に障害受容ができていないと医師の判断に反したことを言うので、うっかり当事者の話だからといって聞いて信じてしまうとキケンである。

矛盾や論理の破綻がないかを疑うことが大事

 なので本当に情報が欲しいと思ったら、患者、当事者や家族に話を聞いてはならない。所詮素人だし、利害に応じて話を変えてしまったり、医師や研究者の指導に従っておらず勝手なことをやっている場合が多々あるからだ。

 さらにその話が真実かどうか見極めるには、綺麗事ばかり言っていないかと、矛盾や論理の破綻がないかで判断できる。つまり消去法で判断するのだ。なぜ消去法かというと、真実かどうかを判断するのは難しいからだ。高度な実験を伴うエビデンスが必要だったり、人間誰でも主観が混ざって完全に客観的な判断をくだすことができなかったりするからだ。

 これに対して、嘘や綺麗事、デマ、勘違いを見破るのは簡単である。相手の矛盾点や論理の破綻があれば証明できるからだ。

 患者や当事者から話を聞きたいというのは、自分の中の決めつけ、固定観念であるし、単なる自己満足でしかなく、本人のためではないということに気付かねばならない。

正しい知識は、免許を持っている人か科学者に聞くしかない

 結局のところ医学が関わる以上、余程のインテリでない限り、素人ごときが医学に即したまともな情報や知識を提供することはない。それは患者や当事者も例外ではなく、当人だからと言って正しいという証拠にはならない。

 むしろ障害であるがゆえ、利害が絡むゆえ、所詮素人であるがゆえ、医学に乗っ取らない間違った情報を伝える可能性のほうが大である。ちゃんと知識を得たいのなら、

 ①医師、研究者を頼ること
 ②患者や当事者の話を聞きたがるのは、自己満足であると心得ること
 ③情報に矛盾や論理の破綻がないか確認すること

を守ることが必須である。



2025年4月29日火曜日

すねかじり根性の国民

 ここのところ、よく年金が少ないから金をくれ、高額医療を受けたいから金をくれ、障害者だから金をくれ、仕事できないから金をくれ、資産運用やる気がないから金をくれ、年寄でデジタル化に消極的だから金をかけろなど、実にたくさんの理由で多くの人が公金を欲しがる姿を見る。

 私からしたら、「他人のお金なのに、よくもまあこんなにたかるもんだ」「こんなに多くの人がたかったら、限りあるお金が尽きるのがわからないのだろうか?」と思うのだが、これらの人はそんなのお構いなしだ。

 実は所得に関係なく、年老いて死ぬまでの生活資金を自分で工面するのは経済的にそんなに難しいことではない。それどころか方法論も確立していて、その通りにやればまず失敗も避けることができる。

 にもかかわらず、多くの国民がそこには目もくれず、公金のみを当てにし浪費している。その姿はまるで芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のようだ。

 ではなぜこの人達のように、人間はこういった情けない行為をしてしまうのだろうか?その謎について紐解いていく。

細かい無駄使いが多く無計画

 前提としてお金に余裕があれば、他人にたかる必要はない。逆にお金をくれということは、貯蓄がないというのを自分で暴露しているわけだ。

 で、お金が貯まらない理由でありがちなのが、単価の安い無駄使いが多いというもの。タバコ、お酒、ギャンブルはあるあるで、菓子、自販機の飲料、服、おもちゃ、外食、ビニール傘、買い食い、グッズ代もあるし、最近だとネトゲの課金、スパチャ、投げ銭のようなネット系の出費もある。これが一つだけならまだしも、気付かぬうちに複数やっていることがしばしばなため、お金が貯まらない。

 そしてなぜこういった出費に気付かないかというと、お金の使い方に計画性が無く、衝動的に物を買ったり、課金したりしているからだ。つまり、お金の使い方に制限やルールを決めていないのです。そうなると出費に対してルーズになり、細かい無駄使いほど気付かなくなってしまうのだ。

依存的なマインド

 この手の人達は、自分の面倒は行政が見るべきと考えている。子供の頃は親が面倒を見てくれていたが、そこから親離れし自立して自分で生活基盤を整えるのではなく、親から行政へ依存相手を変えることで子供時代のマインドを引きずってしまう。

 漠然と誰かが何とかしてくれるだろうというバイアスにはまっていて、将来について具体的かつ真剣に考えておらず、漫然としているからどうしても財布の紐もゆるくなりがちで、先述の無駄な出費も増えてしまう。

ネガティブなものから目を逸らす

 それどころか将来のことを考えてネガティブになるのを嫌がって、見ないようにすらする。そしてそこから逃げるべく行政に泣きつくのだが、さすがに行政だって全員は救えない。行政へ救いを求めるのは泥船である。

 もちろんネガティブなことを考えるのはストレスを感じるし、億劫ではある。しかしこれは自分の将来にとって大事なことで、やらなくていいことではない。そこに目を向けた人はきちんと整えてられているので、できないことではない。ネガティブなことから目を逸らすのは、将来の生活の放棄である。

自分本位で、全体を見ていない

 基本、この手の人は全体を俯瞰してみることがない。自分以外に同じように行政を当てにしている人はいるのか、それが人口のほとんどだったらどうなのか、それを合計したらいくらになるのか、自分の考えは本当に成り立つのか、という視点がまずない。自分にお金がない→行政が建て替えろ、という自分都合の枠内だけで考えてしまっている。

 行政だって金のなる木ではないし、無限にお金を持っているわけではない。さらに言うと、振り分けねばならない先は多岐にわたり、教育、育児、医療介護、インフラ、産業育成、科学学術、技術開発、外交、防災、国防、通信、公安など、例を挙げればキリがない。なので国民の生活費まで面倒を見るなど、普通に考えてあまりに経費が膨大になりすぎて不可能である。このことがわからないというのが実におかしい。

要は甘く見るな、自立しろということ

 結論、安定した生活を送るのはそんなに簡単ではないということだ。人生は常にサバイバルで甘い考えに囚われると、途端に立ち行かなくかる。そのためにも用心と事前準備が必要だし、それは一日二日でできるものではないから、計画的に少しずつコツコツ貯えるしかない。

 他人は自分の思い通りにはならないので、本当に頼れるのは自分しかいない。よって甘さを捨て、自立するのが一番確実で、安全策である。そのために、いかに目先の誘惑に惑わされないよう対策を練るか、自分でできることを増やすか、自分の取り分ではなく皆のことも考えられるか、自分改革が今求められている。



2025年4月22日火曜日

失敗する人=耳の痛い話や不都合な真実を受けつけない人

 世の中には失敗を繰り返す人がいる。転職を繰り返したり、精神疾患の再発を繰り返したり、友達関係が長続きしなかったり、ギャンブル・お酒・たばこ・薬物・ODを止められなかったりなどなど・・・。酷い人だと、夜逃げを繰り返したり、浪費を繰り返して貧困におちいったり、素行が悪くて人々から見放されたりして、自ら身を落として荒んだ人生になってしまう人も少なくない。

逃げ癖のある人が失敗を繰り返す

 こういった人の傾向や共通点はいくつかあるが、その一つに耳の痛い話や不都合な真実など自分にとってネガティブなことを、嫌だという感情だけで拒否してしまうという点が挙げられる。具体的には、本人には必要な厳しいアドバイスや忠告であったり、変えようのない科学的エビデンスのある事実であったり、自分が犯した罪や責任であったり。

 人間、堕落せず、日陰者にならず、自立した大人になる上で欠かせないハードルが必ずいくつか現れ、そのハードルは苦しかったり恥ずかしかったり面倒だったりと楽ではなく厳しいのもだが、失敗を繰り返してしまう人は自分にかかる労力や恥や厳しさから逃避することを選んでしまう。

 その癖欲求は人一倍あるので、楽だが確率がほぼ0%の手段or手っ取り早いが悪どい手段or計計画性のない刹那的な浪費に手を染めてしまう。

逃げた分に応じて不幸が待っている

 それで実際に得をしているかというと、そうはなっていない。その場の恐怖やストレス、プレッシャーからは逃れられはしたが、その代償を大きく受けている。貯えが無くて生活苦におちいり食事すらままならなくなっていたり、信用を失い誰からも見放されて孤独死していたり、警察のお世話になり精神科へ措置入院させられ出られなくなったりする人までいる。

「良薬は口に苦し」と「上手い話には裏がある」

 結局、社会へ出て無事に生活しようと思ったら、耳の痛い話は聞けるようにならないといけないのだ。いつまでもイヤイヤ期の幼児と同じ状態をいい大人が続けるのは見ていて痛いし、周囲から呆れられて距離を置かれるだけだ。

 昔の人は良くいったもので、「良薬は口に苦し」の通り自分のためになることというのは、苦痛を伴うものである。だがその苦痛は乗り越えれば消える一時的なもので、避ければ避けるほど永続的に苦痛が大きくなる。反対に上手い話や都合のいい話など存在せず、その代償は一生ものになることが多い。

 だからこそ素直に人のアドバイスや忠告を聞く器の大きさを持たなければならないし、不都合な真実をもみ消すようなことはしてはならない。むしろそこから自己改善のヒントを得て、人として成長するのがあるべき姿だ。



2025年4月19日土曜日

無力感の強い人の要望を聞いてはいけない



 世の中には他人への要求が多い人がいる。しかも一回言うことを聞いてあげると恩義や遠慮というものを知らないから、尚のこと要求がエスカレートして他人がキャパオーバーになるほど迷惑をかける。

 それでいてそういう人に限ってこちらの要求は一切拒絶する。それどころか簡単に人を裏切り、白を切って人を捨て去り、自分の欲求を満たすためなら恩を仇で返すことをいとわない。こういう厚顔無恥な人は何を考えているのだろうか?

要求が増えるのは、相手が従順だと思っているから

 まずは表面的な部分の話をしよう。この手のタイプの人は、何でも他人にやってもらうことを前提で考えている。そう、非常に依存的なのだ。だから、相手が自分の要求を飲むタイプなのかどうか、従順になるのかどうかを判断基準としている。そうやって常に値踏みしているので、いざ相手が要求を飲むとこの人ならばとあれもこれもと要求する。

 その際、相手のキャパシティーやスケジュールなど考えておらず、以前要求が通ったことを踏み台にして強硬に押し通そうとするだけだ。あまりに自己中心的でわがままであるばかりか、相手を奴隷か使用人のようにしか扱っていないので、倫理から逸脱している。

根底にあるのは無力感

 ではなぜ次から次へと要求をエスカレートさせるほど、他人へ依存するのだろうか?それは本人の根底に無力感があるからだ。自分は何もできない、自分には能力がない、自分に才能がない、自分には体力がないなどと言って、自分は無能であると信じ込んでいる。

 しかもこういった人は固定マインドも持っているから、自分は変わらない、運命は変えられない、能力は先天的なもので伸びない、体力は身につかないと決めつけている。実際は多くの物事が自分の選択次第でいかようにも変わるのだが。

 だから他人を当てにせざるを得ず、その一方で相手の要求には自信がないから応えられず、自分ばかり要求する不公平な関係になってしまう。これでは当然周囲は不満を募らせ、怒るに決まっている。

人や環境のせいにするとチャンスを逃す

 さらにこの手の人は固定マインドから責任が自分にはないということにしたがり、相手、環境、親、社会に責任を負わせようとする。それ故に成長やスキルアップ、就職、自活のチャンスを自ら手放してしまう。

 どんな親の元に生まれようが、どんな環境で育とうが、何のチャンスもない人間などいないし(科学的なもの以外、
この世に確率0%ということはありえないから)、大人であれば選択権は本人にあるのでチャンスを逃したのは紛れもなく本人の選択ミスであり、本人の責任である。

無価値感の強い人の要望に限度がない

 以上のことからこういった人の要望を聞くことは、かなりのリスクである。特に人口減少・少子高齢化している以上、金銭と人手の両方が減少をしていっているし、個人レベルで考えても割けるリソースに限りがあるので、全てを聞いてあげるのは無理でいつかは破綻する。

 なので早い段階で相手の要求を断ることが大事で、「仏の顔も三度まで」というのを経験させ、依存関係をこちらから断ち切ることが重要である。



2025年4月18日金曜日

価値がないといけないと思うから苦しい

 よく精神、発達、知的の障害者や生活困窮者が、自分に存在価値がないとか社会貢献できてなくて価値がないと言う。ここで見えるのは、「価値」というものに物凄くこだわりを持っていること。この価値に囚われ過ぎて、より自分のメンタルを悪化させている人すらいる。価値を求めることは、本当は良いことではないのではないか?

価値はTPOによって異なる

 人間を量る際に価値を基準にしがちだが、TPOによって異なる基準が適用される。実績、資産、経歴、親密さ、血縁、ルール、人柄など、その時々で基準は異なり一様ではない。価値を求めるということはこれらで常に良い評価をもらわなくてはならないという発想だし、そのそれぞれが狭き門である。

 このことから多くの人はそれぞれのシチュエーションにおいて、何かしらの無価値・低評価をされることになる。全てのカテゴリーで価値ある人間は存在しないし、そんなことは無理ゲーである。ここに一つ矛盾がある。

生まれたことに意味付けできない

 根本的な話として人間も動物の一つに過ぎないから、受精しさえすれば生まれる。どんな親か、どんな環境か、どんな家庭かは関係なく。この受精に関しては、早い者勝ちで卵子にたどり着いた何万という精子の内の一つと結合するわけで、運でしかない。そしてその卵子と精子には親の遺伝子が入っているので、子供の特性は両親の範疇から出ることはない。つまり何か外的要因や神の思し召しなどが働く余地はないし、人間の意図を汲み取って子供を生むことも不可能なので、出生自体に特段の意味は無い。

 しかし、こういった自然科学に乗っ取った事実に対して、身も蓋もないと思ったりロマンが無く無機質に感じられたりする人には抵抗感が半端なく、出生に価値や意味付けをしたがる傾向が見られる。ただそういった意味付けは現実とは一切関係なく、全て後付けであり、空想・ファンタジーの中でしか成立しない。

 それ故現実とのギャップが生まれて失望の原因となるし、永遠に答えが出ないので悩みが終わることが無く、脳疲労が悪化しメンタルに障害をもたらしてしまうので不健康である。なので「生まれたことに価値がある」という意味付けも、健康上得策ではない。

価値の有無を基準にすると、無価値感がある人の否定につながる

 もう一つの問題として、価値の有無で人を量ることは、自己否定感を持っている人や無価値感を抱えている人は存在してはいけないことになってしまう側面がある。「どんな人にも価値がある」とか「生まれたことに価値がある」とかのような、よくある慰めや耳触りのいいセリフを言われても自分はそうは思えないし虚しいという人もいるので、そういう人にとっては存在否定になってしまう。

価値で考えること自体が無意味で必要がない

 そもそも価値という一つの括りで量っている点で型に囚われているし、視野が狭くなっている。価値などシチュエーションによって高くもなるし、低くもなる。人生は常に一定ではないので、後天的に価値を創造することもできる。このことから一人の中に複数の価値が存在するので、価値のあるなしで考えること自体無理がある。

 人間が生まれるというのは生物学的に受精したという以外に事実は存在しないし、その結果生まれただけで生存しうる。それ以上の意味付けは必要がなく、意味や価値が無くてもご飯は食べれるし、仕事もできるし、遊ぶこともできる。だから価値など無くていいし、価値がないと考えたほうが余計なプレッシャーを掛けなくて済むからメンタルには良い。実際そういったことを手放せた人ほど悟りを開いて、人生を好転させている。

 人生で大切なのは害にならないことであって、価値があるかどうかではない。無価値でも構わないというスタンスをベースにして、何か叶えたいことがあった時に自分が成長することで積み上げていけばいいのだ。価値に関係なく、人生は自分で作れるというのをまずは知ろう!



2025年4月15日火曜日

確認、賛同を「共感」と勘違いする人が多い件

 最近、精神科医療にしても社会福祉にしても「共感」という単語が多用されている。しかし文脈を考えると、明らかに共感とは違うものを指していると気付くケースがよく見られる。つまり共感という単語の意味をよくわかっておらず、取り違えているのだ。これではコミュニケーションの齟齬が生まれてしまい、新たなトラブルの火種となりかねない。そこで今回はこの共感という単語における勘違いについて解説する。

「共感」とは

 まずは共感の本当の意味を知らないと話にならないので記しておくと、「他人の考えや感情に対して、立場や生き方の違う人が同じように感じること。同感。」(旺文社国語辞典)ということである。

「共感」の問題点

 ここで問題となるのは、「同じように感じる」の部分。ここが非常に曲者で、ここの解釈が全ての問題の発火点になっている。さらにこの問題は三種類存在することも、意味を取り違える切っ掛けとなっている。

①単語の意味を何となくでしか知らないケース

 そもそも多くの人は、単語の意味を正確に把握することなく何となくで覚えて、使っていることが多い。単語を覚えるのにいちいち辞書を引くのは面倒なので、日常会話の中で使われた際に推測し、こんなもんだろうとしていることが大半だ。

 なので、推測がズレていれば当然間違って使うことになるし、何なら周囲の人が間違って使っていたら自分も間違って覚えることになる。

②今現在同じように感じようとしているか問題

 意識の部分においても問題点は潜んでいる。お世辞、口裏合わせ、建前、その場しのぎのケースだ。このケースでは口では共感してることを装っているが、内心は全く別のことを思っているわけで、明らかに同じようには感じていない。

 だがこのケースであっても共感という単語を用いている人が散見される。何なら医療福祉の現場ほど見られるかもしれない。患者や障害者が激高して癇癪を起したり、反対に消沈して無気力になることを防いだりする際の一時しのぎとして発生しやすい。

③そもそも人間の能力的に同じ感覚を得るのは可能なのか問題

 全ての人間は他人と同じ人生を歩むことはできないし、双子であっても寸分違いなく同じ経験をすることはできないので、同じ話を聞いても解釈や想像するものに必ず差異が生じてしまう。このベースがある以上、同じように感じるのは不可能であるにもかかわらず、共感と言われても誰もできやしない。仮にできたとしても、他人の頭の中を覗くことはできないから、合っているかどうか確認ができない。

実際に勘違いしているケース

 では実際にどのような状況でこの共感の誤用が見られるのか見ていく。

①医療福祉の場で言う「君はそう思ったんだね」の返答

 これを共感という医師や福祉支援者が多いが、間違いなく誤用である。その証拠にこの後に続く内容が、「でも、それでは上手くいかないよ」「それはわかるけど、相手には相手の思うところがあるからね」というように同意をしていないし、反論が待っているからである。つまり、腹の中では「そうじゃないんだけどな・・・」という思いがあるので、同じようには感じていないことになる。

 ただし、「君はそう思った」という事実は受け止めているので、この場合は事実「確認」をしているというのが正しい。

②SNSや友人からの「いいね」

 この「いいね」も共感と勘違いしやすいケースだ。というのも、相手が自分のことをどれだけ把握しているかわからないし、何より相手は相手の尺度で判断してるからだ。それは自分の尺度とは異なるので、見ているもの想像しているものも異なっており、同じ感覚とはとても言えない。

 このケースの場合は話の趣旨に「賛同」しているのであって、同じ感覚を得ているわけではないから共感と言うのは誤用である。

言葉を間違って使うと、存在しないものに期待が生じ人生が詰む

 大体ここ近年、共感と言う単語を乱用し過ぎていて、相対的に価値が下がっている。しかも単純思考の人間は単語の本来の意味を考えずただ流行に乗ろうとするので、誤用に気付かずに鵜呑みにしてしまう。結果現実的には矛盾を含んでいて存在しないものに期待してしまい、ダブルバインドにおちいって身動きが取れなくなるか、永遠に無い物探しをしてしまいざま様なものを棒に振る。

 それは青い鳥症候群の始まりであり、これで人間関係や仕事でトラブルを生じさせたり、精神疾患におちいったりする人が如何に多いことか。多くの人が「共感」という言葉の本質を理解しておらず、存在しないことに気付いていない。そこには他人への幻想と依存も含まれていて危険な要素が満載だ。それを望み続ける限り、人生が詰んでしまうのは避けられない。人生を好転させたいなら、共感を手放し自分で自分を満足させる方法を見出さなければならない。



2025年4月4日金曜日

恐れ守りに入ると行き詰まる

 ここのところ現状に不満があり社会に対して文句を言いながらも、自分に対しては何もしない人々が多いと感じる。例えば年金なんかは支給額が少なく、それだけでは生活費が足りないのが何十年も前からわかっているのに、何もしていない人がどれだけ多いことか。それを政府のせいだとか政治家のせいだといったところでお金が増えるわけではないので、ただの負け犬の遠吠えにしかならないし、だったらその足りない分をどうやって穴埋めしようか手を打てばいいのにそれはしない。数多くの人が同様の失敗を無数にしているのに、なぜそれを反面教師として行動しないのか。

遠くの損益を過小評価する性質

 年金を納め始めるのが20歳前後で通常65歳で受給し始めるので、その間が約40年ある。40年もあると、人間はかなり先の話だと考えやすい。それどころか10年でも先の話と考える人も少なくないだろう。この先の話という感覚は人間の危機感を鈍らせ、先延ばしを誘発させやすい。そのためまだ大丈夫、どうにかなるだろうと現状維持へ流れてしまう。これは遠くの損益はイメージしにくいために過小評価してしまう人間の性質から来ている。

 この性質に流されると直近になるまで危機に鈍感で、気づい時にはタイムオーバーで手遅れになってしまう。これが今の多くのお年寄りや労働者に起こっていることなのだが、時すでに遅しな上、そんな前の選択が今の状況を作ったと思っていない、もしくは思いたくないから政府や政治家のせいにしているのが本質だろう。

お年寄りがやらずに後悔していること

 お年寄りが若い内にやらずに後悔していることを色々なアンケートで目にするが、その中で必ず見かけるのが「もっと挑戦すればよかった」というものだ。勉強すればよかった、投資をすればよかった、独立開業すればよかったなどなど・・・。私からすればやればいいじゃんと思うだけなのだが、日本人の口からよく聞かれるのが「そういう時代じゃなかった」「親の権限が強かった」「みんながそうしてたから」という台詞だ。従わずに挑戦すればいいんでないの?自分の人生は自分にしか決定権はないので他人がどう言おうが関係ないと思うのだけど、口をそろえてこれを持ち出す。さも、私の責任ではないと言いたげに。

 でも実際は本人もわかっていて、だからこそ出たのが「もっと挑戦すればよかった」なのだ。結局失敗への恐れからどうしても人間は守りの姿勢を取りがちで、危険回避のために周りと歩調を合わせてしまう。歩調を合わせた結末は周囲を見ると
イメージしやすく、大外れしてなさそうだからと安心できるので、心理的安全の本能に従って選択してしまうのだ。

 しかし実際はそんなに人生は容易ではなく、予想に反してシビアだった。生活費が足りない、養育費が足りない、医療介護費が足りないなどの事態に見舞われ、挑戦して収入を増やしていればという後悔の念にさいなまれている。

恐れの感情に従うことこそ最大の損失

 正直失敗はリカバリーすることで対処できるので、いくらでも対処挽回できる。しかし恐怖から何もしない、挑戦しないというのはアクションがないので勇気以外に対処しようがないし、何も生まないため100%損失しか出さない。それどころか恐怖心に囚われるのは思考力の低下やそれによる判断力の低下を招くので、衝動的になったり下策な行動をとったりして、対人関係も含めてより悪い結果を招くこともわかっている。こうなっては人生が行き詰まってしまう。

 だったらいっそのこと挑戦したほうがやらぬ恐怖や後悔を感じなくて済むし、失敗させまいとガムシャラになるので自ずと結果もついてきて精神の安定までもが得られる可能がある。恐怖心を抱くのは本能なので仕方がないが、それに従って守りに入るのは選択ミスであり、新たな恐怖の始まりであることを納得しないといけない。恐怖心から抜け出せるのは挑戦だけなのだ。

南米の旺盛な実行力

 あまり知られていないが、実は最も挑戦心が強いのは南米だそうだ。起業する人の割合が非常に高く、スキルアップのための学習意欲も高い傾向にある。その背景にはラテン気質で楽天的なのと、発展途上で経済が盤石ではない上に社会保障も十分ではないため、自分で稼がないとどうにもならない事情もあるだろう。とはいえその実行力は大いに手本にしたいところだ。

 それに引き替え日本は下手に経済基盤と社会保障があるため、挑戦するほうがデメリットに感じられやすく、意義を見出しずらい。しかし物価高と少子高齢化している以上、今までのような生活は維持できない。なので自分で収入源を確保しなければ、生活苦は必至である。そのためにも収入確保するべく、いざ挑戦を!



2025年4月1日火曜日

社会運動・リベラルがいつも失敗する理由

 ここ近年SNSやニュース、評論などを見ていて、DEI、LGBT、WOKE、BLMなど、様々なリベラル派社会運動が後退・縮小・撤廃を余儀なくさせられている。全ての人を受け入れるという大層なお題目に反して、多くの人から反目され、退場させられてしまっている。なぜこのような運動は、ことごとく拒絶されたり頓挫したりして失敗に終わるのだろうか?こうも同様に失敗するということは、何か共通する理由があるのだろう。

リベラル運動の建前

 失敗理由を探る前に、ここ近年のリベラル運動とはどういうものか、概要を説明する。多様性(diversity)、公平性(equity)、包括性(inclusion)の理念の下、性的マイノリティや異人種、異宗教などを一つのコミュニティで共存させるのを理想とする考えで、非常に理想主義的で、「こうでなければならない」とか「こうあるべきだ」というべき思考や完璧主義の性格が強い。

 ただここ最近はこの中の公平性の部分が平等性(equality)に置き換わっていることが多い。特にこれまでは機会の平等に視点を置いていたのが、結果の平等を欲するようになった。これにより、建前と活動実態に乖離が生じていることが否めない。

失敗する理由

 ではここから失敗する理由について挙げていく。ここには彼らならではの失敗理由が多く含まれるので注目だ。

①なんでも「限界」があるということがわかっていない

 その一つがお金と人員の計算ができないことだ。正確には、彼らの願望は採算を一切度外視しているということ。国民だけでなく移民や外国人にも手厚い福祉を望んでいたり、どのようなマイノリティにも懇切丁寧なサポートを要求している。そのためには無限にお金と人員確保が必要となるが、いずれも有限であり遅かれ早かれ尽きてしまう。

 殊、福祉に関しては膨大なお金がかかる。しかも福祉は製造業でもなければ金融業でもなく逆に消費しか生まない分野なので、お金が減る一方で循環しないから経済は縮小して、余計に資金繰りが悪化する。そこに無制限にお金を要求していてはいくらお金があっても足らず、いつかはショートして破綻せざるを得ない。

 特にここ近年の日本は少子高齢化で年々人員確保が困難になるのは必至である。どんなに給与を上げたとしても、求職者自体が減っていくのだから人員は枯渇する。彼らの言う通りのサービスを提供しようものなら職場のブラック化をせざるを得なくなり、退職ドミノが発生して(既に起こっている業種もある)人員面での需要と供給のバランスが崩壊してしまい、むしろ見殺しになる人が増えてしまう。

 つまり彼らの望むことは、無限にお金と人が生まれる非現実的な世界でないと成り立たないので、努力に関係なく最初から実現不可能なのだ。

②多様性によるカオス化とジレンマ

 彼らの重要な主義の一つに多様性があるが、正確には「全て」を内包しようとしている。この「全て」というのが曲者で、人となりを考慮せず無制限に加えているから内実は玉石混交である。その中には決して褒められたものではない人物を含んでおり、評判を落とす原因になっている。

 しかも主義に反するためそれらの人を切り捨てることができず、むしろ重点的に保護すべしとしている。それならそれできっちり処断して監督してくれなければ困るのだが、弱者を盾にされると事なかれ主義に逃げて、腫れ物に触る対応をし、断罪できず野放しにしてしまう。その他大勢からしたら、はなはだ迷惑且つ無責任でしかない。

③主義の押し付け

 本来主義にしてもポリシーにしても、自分個人の問題なので他人には関係なく、自分の中だけに留めておくものなのだが、彼らはこれを他人にも押し付ける。他人も自分とお内容に考えて従ってほしい、そうしてくれないと不安だからと。

 ここに彼らの矛盾があって、主義というのは自分がどうありたいか問うものなので、自分の価値観の問題であって他人は無関係で必要ないのに、勝手に介在させてしまって勝手に不安になっている。さらに危害が及ばない限り他人がどうしようと他人の勝手にもかかわらず、不安解消のためだけに他人の思考や行動をコントロールしようとしていて、他人の自由を奪っている。

 これは相手からしたら束縛でしかなく嫌悪するのは当然だし、リベラルが主張する個人の自由とは真逆の行為だ。内容如何にかかわらず、そのような押し付ける態度や行動をとられたら、人は離れたくなるものだ。

④テイカー気質

 彼らの主張の共通点として、何かの要求に終始しているというのが挙げられる。つまり常に受け身で、もらうことばかり考えていて、お返しがない。ギブアンドテイクが成り立たないテイカー(クレクレ星人とも言うが)であるということだ。しかしそんな関係は平等・公平を欠くので、いつか相手から断たれる。当然あげてばかりの人からしたら損でしかないので、自分を守るために手を切らざるを得ないからだ。

⑤耳の痛い話から逃げる

 中にはそんな彼らに対して忠告する人もいるだろうが、まず耳を貸さない。彼らにとって耳の痛い話だからだ。そこに耳を傾けることは自分の過ちを認めたり、嫌いな自分像を見たりする必要があるので未熟な彼らにとって恐怖でしかなく、受け入れがたいからだ。

 すると周囲の人は彼らの不誠実な態度に幻滅するから、善意ある人まで呆れさせて離れていってしまう。

失敗の否認→責任転嫁→嫌われる

 その結果社会的孤立がどんどん加速し、望んだ方向とは真逆に進んでしまい、ついには
失敗する。しかし前述の耳の痛い話から背ける気質があるので、それも認めようとしない。なので彼らはどこにやり場を求めるかと言ったら、またしても他人や社会や政治なのだ。つまり責任転嫁を永遠に繰り返すのだ。

 多くの人はそうだろうが、責任転嫁されたら腹が立つ。当然彼らのファンになるどころか敵とみなすだろう。こうやって彼らはまた今日も懲りずに失敗から逃げ、嫌う人を順調に自分の手で増やしていくのだ。



2025年3月29日土曜日

非正規雇用でも資産は作れる!ミニマル編

 ここ近年自己啓発やら起業セミナーやらが流行っている。それが成功して一財産作れたらさぞかし生活にゆとりが生まれて、一定の労力は必要だろうが精神的にも安定し充実した人生を送れることだろう。しかし現実的にそれを成し遂げられるのは、1割にも満たないのではないだろうか?

 これは正直多くの庶民にはかなりの勇気が必要で、本当に足を踏み出せる人なんてそうそういないだろう。そこでもっと気軽に、何なら安全性を保った状態で、起業ほどではないにせよ資産を作れる方法があったらこれに越したことはない。そんな方法を考えてみる。

ミニマリストを目指す

 感情任せに判断していたら、その場の誘惑につられて衝動買いをしてしまう。皆さんも一目惚れして買ったはいいが、その後使わなくなり引き出しやタンスの肥やしにしてしまった経験が何度もあるはずだ。その他にも、その場では使うと思って買ったけど使い勝手が悪かったり、合わなかったり、もっとひどいとすでに家にあってダブってしまったりして放置しているものもあるだろう。そういった無駄使いは自分が思っている以上に多く、家計を圧迫する一番の原因になっている。

 なぜこういうことが起こるかというと、自宅のことをちゃんと自分で把握できていないからだ。そして物が多ければ多いほど把握しきれないので、必要の有無や在庫数もわからず、無かったらどうしようという不安を抱くため、買っておくという選択を採ってしまい、お金を無駄に失ってしまうのだ。

 そのため、極力物を減らし自分が把握・管理できる量しか持たないようにすることで、買い物の量を減らし出費を減らすことができる。つまりミニマリストを目指すのだ。

 さらに物量を減らすことで空気の循環効率が良くなったり、ほこりが貯まるスペースを減らしたりできるので、換気ができて感染症のリスクを減らせます。結果欠勤を防止したり、医療費を削減できたりと収支の改善が見込めます。
加えて障害物が無くなることで室内が早くエアコンの設定温度に到達できるので、電気代を減らす効果があることもわかっています。

まずは身近なところ「だけ」片付けしてみる

 しかし中々決断できないという方もいるかと思います。そんな方におススメなのが、身近な所だけ、もしくは今目についた物だけ片付けてみるという方法です。このだけというところがポイントで、人間の行動で最もネックとなるのは初動で、面倒くさがって中々第一歩を踏み出せないというところが障壁となっている場合がほとんどです。

 そこでその障壁を思いっきり下げるために、手を付ける範囲を大幅に絞ってしまうのです。そうするとこれだけやればいいやと思えるので、だったら今チャチャッとやってしまったほうが楽だと判断できます。

 さらに面白いのは人間は一度行動し始めると現状維持バイアスが働くので、その行動が一カ所に留まらず他の場所へも波及したくなります。すると当初予定してよりも多く片付けしてしまいます。これは仕事やビジネスでもそうで、最初は極力小さい目標から手を付けたほうが継続しやすいという心理を利用しています。しかも小さいながらも成功体験を積めるので自信につながり、より一段上のステップを踏むための意欲にもなります。

 なので資産形成への第一歩として、無駄をなくすために片付けから始めませんか?



2025年3月28日金曜日

いつも感情のみを重んじるから上手くいかない

 SNSが普及したお陰でここ近年は、お金持ちから庶民、生活困窮者まで、様々な人の生活実態がオープンになってきた。他にも事業が上手くいっている人orいない人、新しいことに挑戦している人or現状維持の人、メンタルが安定していて着実に物事に取り組めている人or精神が不安定で家に引きこもり生活保護で食いつないでいる人など、対照的な境遇の人達も目にすることが増えた。

 特に日本の場合、社会システムの整備が進んでいるので、大方の人には機会が均等に与えられている。にもかかわらず大人になった時の有り様が、天と地に分かれてしまっているのはなぜなのだろうか?上手くいかない人の根本の原因は何だろうかと突き詰めると、私はやはり「感情」の取り扱い方にあると結論付ける。

感情に支配されるというが・・・

 感情的な人は上手くいかないというのは、多くの媒体で言われていることなので今さら感があるくらい多くの人が知るところだろう。なぜよくないかというと、感情的になると冷静さを失いその場の勢いだけで後先考えず実行して墓穴を掘るからだ。

 そしてこのような状況に対して「感情に支配される」という表現を用いられることもよくあるが、この説明は正確ではないと思う。というのも、この説明だと感情をあらわにするのは自分の本意ではないというニュアンスを含むが、実際には積極的に感情を出しており、何なら感情を手放すのは人生の楽しみを失うとすら本人は思っているからだ。つまり本当は「感情を重視」し、時として頼っているわけだ。

感情を重視するとリスク回避してしまう

 ただ感情を重視していると、何か新しいことを始めようとする際に伴う困難やリスクに対して恐怖心が生じ、回避することになる。結果何もしないという選択を常にとるため、社会は変化しているのに自分は一切進歩がなく取り残されていく。最終的に収入が増えないばかりか、物価上昇に伴って出費は増える一方になるので困窮する。それは正に今の日本の庶民の姿そのものである。

 そしてこういう話でよく勘違いされるのが、恐怖心の有無が論点だと考えることだ。つまり富裕層は恐怖心が無いからできるんだ、庶民にはそんなの怖くてできないのが当たり前だと。これはとんだ決めつけである。富裕層だって所詮人間なので恐怖心あるし、何ならつぎ込んでいるものが大きいのでより大きな恐怖を背負っている。が、ここで庶民と違うのは、恐怖心を抱く方をあえて選択していることだ。富裕層は恐怖心を抱く方を選択しないと、利益が手に入らないのを知っているからだ。むしろ無変化=損失とすら捉えている。

感情 VS 実益

 なのでその恐怖心を感じないようにするのではなく、あえて庶民とは逆ハリをし、恐怖心を感じるけれども試行錯誤することで成功へと近づけるのである。そうすることで成功体験と攻略法を増やし、収入アップにつなげているのだ。つまり感情を二の次にし、実益を優先させているだけなのである。

 別な見方をすれば、失敗するかもしれないという恐怖を先に感じた後に大きな利益を得るのか、失敗を回避して一時に恐怖心から逃れた後に困窮という大きな不安を永続的に抱えるかの差とも言える。果たしてどちらが未来にとって良い選択だろうか?



2025年3月25日火曜日

私がLINEスタンプの販売で上位1%に入る訳

 私がこのブログでお金とマインドの話をつらつらと書いている訳だが、全く何も実績が無く素人考えの机上の空論と思われるのも何なので一応白状すると、LINEスタンプ、絵文字、着せ替えの販売で上位1%には入っている。ビジネスの世界ではほとんど売り上げの作れていない泡沫の人々が無数にいて、売上が高くなるほどピラミッドが小さくなっていく。かなりの狭き門だ。このランクにまで行くにはそんじょそこらの施策では到達できない。

 そこで今回は、どうやったらネットコンテンツで売り上げを作れるかその一端をご紹介したい。そしてここに書いてあることはLINEに限らず、他のビジネスにも応用できるので参考にして欲しい。

① コンテンツ1000個以上

 まず絶対的にマストなのが、必須コンテンツ数=1000個だ。1000個となると途方もないと思う方がほとんどだろうが、このくらいないとまとまった金額になりずらい。実際私が作ったコンテンツは1500は下らない。

 そもそも単価の安い商売なので、多くのお客様にダウンロードしてもらわないと売り上げは伸びない。1000個作ったあたりからようやく毎日何かしら売れるフェーズに入るので、この数字が一つの成否をわけるラインになる。ちなみにこれはYouTube動画でもそうだし、イラスト販売でも同じことが言える。

 ただ、なかなか1000個は厳しいものだ。なので最低でも半分の500個は目指してほしいので、頑張ってみてもらいたい。その証拠に私も500個を超えたあたりから売り上げが伸び始めた。さらにその間にはヒットする作品もちらほら出てくるから、そこを糸口として増やしていくのもいいだろう。



② ニッチトップ戦略

 二つ目に私が採った戦略が、ニッチトップ戦略だ。これはどういうものかというと、オーソドックスな分野は市場が大きいものの、多くのライバルが集中するのでレッドオーシャンになりやすい。結果トップを狙いにくい上、一人当たりの分け前も少なくなってしまう。

 特にネットビジネスの場合、検索順位が売り上げを左右するので最低でも1ページ目、できればトップに表示されないとほとんど見向きもされない。なので、人気のモチーフやよくある文面だとライバルが多すぎて検索下位になってしまうので、アクセス数すらほとんど稼げないのが実情だ。

 そこで目をつけるのがニッチな分野だ。マニアックであったり、オタク的だったりする分野は専門性が高いので、作り手の深い知識が必要なため手を出しずらい。マーケットはあまり広くはないかもしれないが、その代わりライバルが少ないのでトップを取りやすく、確実に販売につなげられる。隙間産業と捉えることもできるだろう。

 中にはニッチだけどファンが多い分野(鉄オタ、スピ系、ミリタリー、歴史ものなど)もあるので、その中でもかなりマニアックなものを取り上げるとファンのツボにはまって、希少価値を作ることができる。

③ 続編でリピーター獲得

 ネットコンテンツだと最初の1週間が最も露出が多いので、結構早い内に売れ行きがわかる。その中で抜きんでて売れるものが時々出てくる。そしたらすかさず続編を作る。前作でかなり多くの方のツボにはまるテイストがわかっているので、続編をリリースすればまた刺さる可能性が高い。

 さらに関連商品のリストにも表示されるので回遊性が高まり、アクセス数も伸びる。そうすれば前作との相乗効果で、両方とも数字が上昇する可能性も出てくる。

④ SEO対策

 ネットコンテンツでもそうだが、いかに人目に触れさせるかが重要である。それにあたってSNSでの発信を重視する人も多いだろうが、LINEのコンテンツに関してはSNSでの効果はあまり期待できない。なぜかというと、LINE以外のSNSではそのコンテンツを使えないからだ。

 以前はクリエイターが作ったスタンプを紹介するサイトが複数あったが、ほとんど効果がないことが周知されたせいか次第に閉鎖して、今はどこも見られなくなってしまった。

 それとは対照的に効果が期待できるのが、SEO対策だ。検索をかけた際にいかに自身のコンテンツを表示させ、さらに上位へ食い込ませるか施策するのだが、そこで重要になるのが名前と説明文だ。ネット通販でもそうなのだが、検索をかける際にサイトごとに検索対象の範囲が決まっている。LINEならタイトルと説明文、楽天なら商品名とキャッチコピー(楽天の場合、商品説明文は検索対象外)というふうに。なのでここに検索に使われそうなワードが含まれていないと弾かれてしまう。

 しかしLINEのタイトルは30文字と大変制限がきついので、代わりに説明文にどんなワードを持ってくるかを考えなくてはならない。そのためにコンテンツの説明をするというよりも、必要なワードをまずピックアップしてそれが入る不自然にならない文章を作るという発想でいく。ちなみにLINEの場合、文章になっていないただの単語の羅列はあからさまなSEO対策として審査が通らないので要注意だ。

⑤ 寡占独占状態を作る

 これらの手立てを施して順調にコンテンツ数、アクセス数、ダウンロード数を増やすことができれば、最終仕上げの寡占状態へ持って行くことができる。特定のテーマ、モチーフなら検索1位どころかどのページを見ても自分のコンテンツで占められていて、他者の入り込む余地がないという状態にすることも不可能ではない。

 実際私の場合、LINEスタンプで「方向幕」と検索をかけると、どのページを見ても9割がた私の作品しか表示されない。※方向幕とは電車の行き先を表示する部品のこと。こうなるとお客は否が応でも私の作品を買うしかなくなるし、ライバルはこちらの圧倒的な物量に対抗できなくなるのであきらめさせることになる。ここまで来ると売り上げが安定し、まとまった金額になるだろう。

まとめ

 とはいえ、⑤の段階へ行くまでには相当な年数がかかるため、その前に挫折する人が多いだろう。もちろん私も当初は売り上げが伸びず数カ月間放置していた時期もある。ただその間にアイデアが湧いてめげずにリベンジを繰り返した結果、その内のいくつかが実を結んで売り上げを作ることができた。そういう意味では、あきらめないこと、リベンジを繰り返すことが一番の秘訣と言えるかもしれない。

 志高く勢い勇んで一発勝負の感覚で挑むと、上手くいかなかった時の挫折感が大きくなるのであきらめやすい。それなら、気長にまだ道半ばくらいの感覚で長期的な視点で挑んだほうが、長く続けられるだろう。どのみち数が増えて売り上げが立つようになったらモチベーションが上がるのだから。



2025年3月21日金曜日

壊滅的に勉強しない日本人

 人間生きていくためには、たくさんのことを学ぶ必要がある。学校での勉強の他、免許や資格を得る際にも学科試験のために学習が必要だし、転職や昇進をする際にもスキルアップが望まれるので学習が必要になる。そして、その学習量に応じてポジションや収入に格差が生まれるので、学習しないのは得策ではない。

 しかし残念なことに今現在、日本の成人の学習時間は世界と比べると最低レベルにあることが判明した。そこで今回は日本人の学習時間について取り上げる。

日本の社会人の平均学習時間はたったの13分

 まず見ていきたいのは、成人の1日平均学習時間だが総務省統計局の調べで2022年の段階では、なんとたったの13分だった。これではテキストをちょっとめくって目を通したくらいの時間でしかなく、勉強した内に入らないのは子供でもわかるだろう。

 それどころか2016年はたったの6分だった。一応最近は2倍に伸びてはいるので、改善はしている。恐らく元岸田首相をはじめとしてリスキリングが叫ばれるようになったために、一部の人が意識転換をしたのもあるだろう。とはいえこの時間の短さは尋常ではなく、実際はわずかな層が学習時間を割いていて、多くの人が無勉強であると言える。

 その証拠にパーソル総合研究所の調査によると、特に何もしていない人の割合が世界平均では18%だったのに対し、日本は52.6%と過半数を超えてしまっているのだ。さらにアジア・欧米の18カ国・地域(日本、中国、韓国、台湾、香港、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ベトナム、インド、オーストラリア、アメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデン)を対象とした同研究所の調査では、社外学習や自己啓発活動を行っている人の割合が日本は最下位だった。

 このことから外国の人々は自分の人生に危機感を持って少しでもスキルアップをして生活をよくしようと考えていることがうかがえるが、日本人の多くが自分の人生に危機感を持っておらず、スキルを磨いていないことが見えてくる。これでは諸外国に追い抜かれ没落していくのもわかるし、果たして日本人のどこが真面目で勤勉だというのか問いたくなる。

大学生の学習時間も最少レベル

 もう一つ問題なのが、大学生の学習時間だ。大学では専門分野を学習したり、資格を得たりできるため、就職に最もコミットメントした学習ができる期間だ。にもかかわらず日本の大学生の平均学習時間もさほど多くはない。下のグラフをご覧いただきたい。


 これは一週間当たりの大学生の学習時間ごとにカテゴリー分けして人口比率を算出したものだ。アメリカは6~10時間と11~15時間の層が割と同じくらいいるので、1日平均1~2時間くらいキチンと勉強していることがわかる。その一方で日本は1~5時間の層が過半数を占めており、1日平均すると多くの学生が1時間に達していないことがわかる。

 それどころか全く勉強しない0時間の学生はアメリカではほぼ皆無なのに対して、日本はなんと1割もいるのだ。いかに日本の成人の学習時間が少ないかわかるだろう。

怠惰で現状維持に甘んじていては未来はない

 だが世の中は刻一刻と変化している。特にここ近年はグローバル化が進み、日本も世界競争の中で生き残りを図らなければならなくなった。そんな中で現状維持を続けていては、諸外国の経済成長に伴う物価高のあおりを受けて、生活費が家計を圧迫するのは当然の成り行きである。

 しかも現在の物価高が好景気に伴う利益率アップのものではなく、コスト高によるスタグフレーションによるものなので利益をあまり出しておらず、企業に賃上げを求めたところでない袖は振れぬから応じられないのが現状だ。

 なので副業や不労収入といった別の収入減を持っていないと、これからの日本での生活は厳しい。そしてその原資となるのが成人してからの学習なので、是非ともわずかな時間でも学習に費やして、貧困という失敗をしないでほしい。