LINE STORE

2025年11月28日金曜日

運や才能というのは、とことんやった人だけが言える言葉



 「あの人が富を得たのは運が良かったからだ」「あの人がスターになれたのは才能があるからだ」といった言説、ここのところよく見聞きするだろう。こういうワードを口にするのは、決まって成功者に対して何も成せなかった人が負け惜しみで言う時だ。まあ、傍で聞いていてあまり格好のいいものではない。

 大体、敗者の捨て台詞というのはどんなものであっても負け惜しみにしかならず、大人げない印象にしかならない。特に「運」や「才能」といったワードを持ち出すのは、相手に対して非常に失礼極まりない。


 運や才能といって切り捨てるのは、相手の苦労を知らないからこそ


 なぜ運や才能というのが失礼かというと、このワードがたまたま得たタイミングや生まれつきのものだけで手に入れただけだと断じているからだ。つまり相手がそれを得るまでにした血のにじむような「苦労」を全否定しているのだ。

 イチロー氏や大谷翔平氏が何の苦労もなくあの成績を上げたかというと、そんなことは決してない。凡人の何倍もの練習の末にあの能力と成績を手にしている。藤井聡太七冠にしたって才能だけで制覇したわけではなく、たくさんの詰将棋と将棋ソフトを用いた練習を積んであの地位についている。

 そして敗者が成功者と同じだけの苦労をしたかといったら、まずしていないだろう。大抵はその前に諦めて、早々に止めてしまっているのが大半であろう。同じ苦労をしていないにもかかわらず、こともあろうに上から目線で運だことの才能だことの言うのはおこがましいことこの上ない。


 運や才能という言葉はとことんやって初めて言える


 結局、運や才能という言葉は使う人を選ぶのだ。成功者が使えば謙虚さにつながるし、敗者であってもかなりギリギリまで張り合ってしのぎを削った人ならば、成功者を讃える言葉となる。それくらい使う人の立場によって意味が変わる言葉なのだ。

 ただ、この両者に共通するのは、トコトンまでやり尽くした人だということだ。そういう人でないと運や才能という言葉は途端に相手を侮辱するものとなる。運や才能という言葉は、簡単に諦めた人やそもそも挑戦すらしなかった人が使っていいものではないのだ。




2025年11月25日火曜日

貧しい人、精神を病む人、生きづらいという人は無知すぎる

 世の中には貧困におちいっていたり、精神障害を発症したり、何か上手くいかなくて生きづらいと思っていたりして、どん底であえいでる人が少なからずいる。そして、こういう困難を抱えている人がいることを知ってほしいとか、世の中の人は我々のことを知らなさすぎるからもっと学んでほしいとかいうのを、活動家を中心にメディア等で発信し、目にする機会が増えた。

 しかし、こういった人の話を聞くと、どこかボヤっとしたつかみどころのない内容に終始することが多く、釈然としない。特にそういう事態におちいった要因を聞いても、どの人も突然前触れもなくアクシデントが起こったと言うばかりで、キチンと前後関係を分析できている人がいない。富裕層やインテリ層からしたら結構要因を突き止められるわかり切ったことでも、どん底におちる人は理解できていないことが多い。

 そのことから、本当は一番知識・リテラシーがなく、学習が必要なのは底流のほうであろう。その中でも以下の知識が決定的に欠けているのをよく見る。

 ①心理・対人関係
 ②お金・経済
 ③科学・医学リテラシー
 ④論理的説明・思考
 ⑤マナー・モラル・ルール
 ⑥算数(とくに確率・割合の概念)
 ⑦行政手続き
 ⑧世の中の仕組み

など、具体的なことを挙げればキリがないが、これらの知識や思考の習得ができていない人を多く見かける。そのために、自分が人生の選択を誤っている認識がなかったり、人生の岐路でどん底に落ちる方を選んでしまったりする。はたまた大人であれば当然知っていなければならない暗黙のルールが身についていないばかりに、場違いなことをして顰蹙を買ってしまったり、それでも気付かずに自分は悪くないのに叩かれていると言って加害者であるにもかかわらず被害者だと誤認したり、それゆえに対人トラブルを連発し社会から弾かれたりするパターンも明るみになっている。

 こういった底流層の人達を見ていると本当にびっくりするくらい、もういい大人なのになんでそんなことも知らないの、なんでそんなこともわからないのというのをよく見る。本当に大人として社会人として基本的な部分が欠落していて、習得に失敗していることが多い。それは人生が上手くいかないのも当然である。


 暗黙知の習得困難


 この底流層の人達の知識不足に問題は何かと考えると多くの人は、虐待だの貧困だの格差だのとありきたりなテンプレートでいうだろうが、それはあくまで表面上の問題で根本原因ではない。では、この底流層に潜む共通する根本原因は何なのか?それは、

 ”暗黙知”に気づいていない

だと分析する。実は先ほど挙げた実例のほとんどに関係するのは、暗黙知である。そしてこの暗黙知の習得なくしては活用できない分野である。生育途中で培った経験から自分で習得するものが多い。学校教育で扱うものでも、分野ごとの暗黙のルールや理屈がわかっていないと解けないものや、実生活でどう関連するか自分で判断できないと活用できないものが含まれている。

 この暗黙知を習得できていないままその先にある問題に直面しているので、当然本人は解けないし、何がわかっていないのかもわからないという状態にすらおちいる。本人からしたら訳がわからないまま、気付いたら落ちこぼれていたというまるで浦島太郎のような状況だろう。

 しかし、暗黙知の習得困難を放置されたままで社会へ放り出されているので、軋轢が生まれて上手くいかなくなるのは当然だ。つまり底流層が社会へ出るのが早すぎるのだ。各々習得スピードが異なるのに、年齢や学年で画一的に進級させるのは個々の能力に見合っていない。無理矢理社会へ出すのはエゴでしかなく、困るのは本人だ。

 だから底流層の自由にさせず、しっかりと学習をして一定のリテラシーを身につけさせてから世に出すべきである。




2025年11月22日土曜日

弱者を盾にすると幸せになれない むしろ捨てることで幸福になる



 ここ数年の傾向として、弱者や生きづらさをもって自己主張する人が増えている。発達障害、精神障害、貧困家庭、LGBT、機能不全家族、虐待、引きこもり、氷河期世代、低学歴、非正規労働者など、その類とされるものは枚挙にいとまがない。これらの境遇にあって権利や養護を求めているが、あまり成功した例を見ない。いつまでも不幸を訴え続けるばかりで進展しないばかりか、ここ最近はイメージの低下で賛同者を減らしていっているのが現状だ。

 中には成功し何かを手に入れたケースもあるが、かえって敵を多く作って反感を買っていたり、反撃を受けて厳しい引き締めを招いてしまったり、結果的に独り占めになって理想とは真逆の結末を迎えたりしている。そのため、さらに苦しい状況へ追い込まれて自らより不幸へ落ちていってさえしており、こういう姿を見ていると実に滑稽でしかない。


 弱者を盾にするのは、下から人を操作する方式


 弱者を盾にするという行為は、そもそもどういうものか?

 まず自分が弱者であると人々に認識してもらわないといけないので、自ら自分を格下認定してそれを世間へ明らかにする必要がある。そう、黙っていれば相手は何も知らないから対等な関係でいられるのだが、弱者を盾にするためにはわざわざ自分を格下扱いしなければならないのだ。

 そして格下であるがために不幸である、被害を受けているとアピールする。そんな不幸な私を助けないのは人の道に反しますよね、だから私の言うことを聞かないのはおかしいですよねと言って、自分の要求を飲ませる方式である。

 こういう下から人を操作する行為は、数多くの心理士やカウンセラーによって本能的に人間は嫌悪するようにできているし、出会ったら避けるようにと解説している。それはこの後双方に不幸が待っているから、それを避けるために事前に察知するようにできているからだ。ではどんな不幸が待っているのか?


 欲しいのもがある限り不幸でいる必要が出てくる


 弱者を盾にすることで問題なのは、一つは自分がいつも不幸でいることが条件になっている点だ。不幸が解消されると相手を揺するための名目がなくなってしまうため、欲しいものが手に入らなくなる。だから常に自分が不幸である必要が生じるので、欲しいものがある限り不幸でい続けなくてはならず、幸せを自ら手放さなくてはならなくなる。

 結果、何を手に入れても満足できない欲求モンスターになり、要求がエスカレートし、社会に害悪を与える存在になり、ついには多くの人々の堪忍袋の緒が切れて追い出されてしまう。しかも本人がこれに気付かないのが、もっと問題である。

 二つ目にただで利得を引き出す行為である点だ。弱者を盾にするのは本人は要求が通って利益があるが、相手は何も得ていないので利益がない。つまりギブアンドテイクが成り立っていない。アダム・グラント氏のギブアンドテイクという本によると、人間の7割はマッチャ―という五分五分の関係を望むタイプのため、ギブアンドテイクが成り立たないと腹を立てる。その結果、賛同を得るばかりか反感を買って7割の人は離れて行ってしまう。

 三つ目に問題なのは他人へ依存を強めて、自立ができなくなる点だ。こういう人達であっても助けようとするギバーと呼ばれるタイプの人がいる。このギバーはアダム・グラント氏によると1割しかいないそうだが、この貴重なギバーへ依存せざるをえなくなる。ギバーは数が少ないのでそこに要求が集中し、骨の髄まで吸われることになるのでギバーは神経をすり減らしやせ細ってしまい、ついには潰れてしまう。こんな関係はいつか破綻するのだ。


 弱者の肩書きを捨てることが幸せへの第一歩


 その一方で、同じ境遇でありながらも弱者を盾にせず、自分の腕でつかもうとする人もいる。そういう人は紆余曲折ありながらも概して欲しいものをつかんでいるばかりか、それをさらに拡大して自分の予想だにしなかった結果を残している。そうやってつかんだものは誰かが奪おうとしても尽きることがなく、確固たるものとなっている。

 そこにはギブアンドテイクが成り立っているから誰も損をしていなし、不幸なポジションに身を置くこともないからしっかり幸福を感じ、満足することもできる。モンスターになることもないから人間関係も良好で依存することもない。

 弱者の肩書きを捨て、自分自身を育て、むしろ自分のほうが人々に与えることが、幸せになるための条件なのだ。




2025年11月20日木曜日

成功者は成功率を、敗者は一攫千金を狙う

 以前このブログ内で努力以前に判断力がその後の人生を決めるという話をした。それにあたって、成功者と敗者で判断基準が同じなら判断を間違うことはないはずだ。しかし、結果が二分しているということは、この基準が両者では異なっているということだろう。

 では、成功者と敗者では何を基に判断しているのか?


 成功者 成功率や利率などの比率で判断


 成功者は非常に計算高いので、成功率や年利などの比率や確率を見て概ね成功しそうな方法を選ぶ。確実に結果を出すことを重視しているので物事の見方がシビアで、甘い判断はしない。そのため、プラスサムげーむかどうか、成功率がある程度高いかどうかを最も重視している。

 反対に、勝率が低いものやマイナスサムゲームのように全体のパイが小さくなるものは危険な投資先と判断して手を出さない。当たらない確率が高いし、連勝できなければ意味がないと自覚しているからだ。


 成功者 ハイスコアは狙わない


 しかも成功率の高さを重視するにあたって、成功者は一攫千金を狙わないという特徴もある。これは成功率がとてつもなく低いのと、マイナスサムげーむであること、何よりそんな甘い話はないのを重々承知しているからだ。

 成功者にとって重要なのは必ず結果を出すことであって、手っ取り早さに基準を置いていない。むしろ、確実な結果を手にするには手間がかかるのを熟知しているので、労することをいとわない。だから一つ一つの成功は小さくとも、しっかり確実に積み上げるほうを選ぶ。


 敗者 手軽さが何より大事


 敗者の価値観の特徴として楽を好み、面倒を避けるというのがある。人間誰しも感情があり楽をしたい、面倒なことはやりたくないという欲求を持っている。敗者は感情をストレートに出す人が多いので楽さを重視しがちであり、手軽なものに飛びつきやすいという特徴をもつ。宝くじに飛びつくのもこのためだ。


 敗者 一攫千金を狙う


 そのため敗者の基本戦術は、一攫千金になってしまう。手間が少ないので楽だし、一回当たりの最高賞金の額が〇億円となればローコストハイリターンに映るので、つい手を出してしまう。

 しかし結果はどうだろうか?当選確率なんて微々たるものだから、大抵はハズレである。しかもマイナスサムゲームなので、なけなしのお金を胴元に取られて終わりだろう。昔からギャンブルは胴元が儲かるといわれるのはこのためだ。

 さらにマズいのが、敗者はトータルのコスト計算をしていないから、収支がマイナスになっていることにも気付かないことだ。このせいで成功者との間に、どんどん差が生まれていることもわかっていない。


 成功率を重視し、着実に稼ぐのが真の勝者


 結局、一攫千金、一発逆転というのは確率的に難しい。しかも、こういうのは自分で操作することができないので、確率や利率を上げることができない。なので成功したいのなら、自分で操ることができるもので確率の高いもの、そしてあまり欲をかかずほどほどに達成できるものを選んだほうが、結果として最も大きな利益となりやすい。

 敗者の基準を持っている人は、危険信号なので今すぐ変更をおすすめする。判断基準の修正は成功への必須スキルだ!




2025年11月18日火曜日

賛否は主義主張よりも、素行や態度が決め手

 世の中には真っ当な正論や高い理想を言っているにもかかわらず反感を買ってばかりの人がいれば、強権的で現実主義で情を挟まない一見取っつきにくいタイプでありながら多くの支持を集める人もいる。もし言っている内容の正しさで支持/不支持が決まるなら、正論や理想論を叫ぶ人に支持が集中するはずだが、現実はあまりそうはならない。

 特にここ近年、左派系活動家に対する反発や左派系政党の支持率急落が顕著になっており、投票結果や世論調査でも数字に表れている。左派がよく口にする「差別反対」「みんな仲良く」「貧困撲滅」「思いやり」「寄り添い」といったワードは誰も異論がなく同意できることであるので、支持率が上がらないとおかしい。

 しかし結果は惨敗で、社民党に至っては国政政党となるのに必要な当選者数を満たせなかったばかりか離党者も出る始末で、存続の危機に立たされている。

 ということは、人間の賛否は主義主張によって動かされているわけではないというのがわかる。では、実際には何を理由に賛否を決めているのだろうか?


 自分の素行と態度 → 評価 → 賛否


 実は人間というのは相手の主義主張など、あまり聞いていない。よほどその件に関心がある人なら主義主張を聞くが、多くの人にとっては無関係なので対して興味がない。それどころか、難しい複雑な問題になればなるほど、ややこしくなるので避けてしまうのが人間の性というものだ。

 それよりも、本能的に人間が評価を下してしまうのが、素行や態度だ。それは当然で、生存本能に関わるからだ。暴力的な行動や暴言、TPOに相応しくない行動、不誠実な態度などは、余程の異常者でない限りは迷惑だし不快感を覚えるので、一気に賛同を失う。

 特にここ近年の左派の発言や行動は目に余るものがあり、それがSNSによって拡散されたことで多くの人々が目にし、実態を知ることとなった。とりわけしばき隊と呼ばれる素行の悪い一団による騒動や、しばき隊とのツーショットを載せるという政治家の自爆的行為が波紋を広げ、支持を失ったのは当然の成り行きだ。素行の悪い人物と関わるのは、傍から見ていて普通はいい気しないからだ。

 さらに問題なのは、そんな最低限のモラルすらないのが他人に見られたらという客観的視点が無いことと、これをしたら自分の評価が下がるというのがわからないことである。明らかに逸脱している自分の行動に気付かないというのは狂気でしかない。

 左派コミュニティを見ていると非常に閉鎖的で、外部との関わりをシャットダウンしたがるため、外からの目が入りにくい。しかも、同類だけで集まる性質をもつため同調圧力があり、外へ目を向けることもなく、内輪に興味が集中してしまう。そのため、一種鎖国をしているかのような心理になり、外からの評価に鈍感になってしまう。そうなると、支持を失うほどに大衆との乖離が生まれていることに気付かない。


 自分自身の改革ができないと消えるしかなくなる


 このままでは一生危険分子のイメージしか持たれないから、今の路線で左派が生き残るのは不可能であろう。これまでの在り方を刷新して全くの別人にならない限り、わずかな可能性すら作れない。特に一度ついたネガティブなイメージほど、覆すのが困難なものはない。あまりに人間関係をお粗末にしてきたツケがここで来ているのだ。

 ここで自分を徹底的に内省して、自己改革と左派コミュニティの解体をしないと生存すらないだろう。




2025年11月9日日曜日

部分最適の左派、全体最適の右派

 社会を良くするアプローチの仕方が、結構左派と右派では違いが現れる。左派は近視眼的な人が多いため、目の前の人の救済に目がいきがちなことから、無意識に部分最適なアプローチになる。反対に右派はちょっと冷めた目で見ているので、物事を俯瞰していることから全体に目がいきがちなため、効率とバランス配分を考える全体最適に重点を置く。お互いに欠かせず、どちらも利点と欠点があるため、甲乙つけられるものではない。

 ただ、どちらか一方だけに染まるとバランスを欠いて社会が回らないため、両方を上手く使い分けないとならない。そのためには、双方の要素を理解しておかねばならない。


 部分最適は現場・実働部隊向き 司令塔には不向き


 先ほど触れたように、部分最適の左派は目の前のことに注意が行きがちなので、現場での活動に関心を示す。つまり今目の前にいる人に全力を注ぐ。その献身的な行動は素晴らしいし、現場で活躍する実働部隊として向いている。情熱を燃やせるから、満足感や達成感も得られるだろう。

 しかし、それ故に他のことに注意を払うことができなくなるため、その他の助けを必要としている人が視界に入らなくなって、見殺しにするということを気がつかずにやらかしてしまう。0か100かでしか行動できないのと、引いて考える能力が欠如しているため視界が狭いのがあって、配分を考えるのが不得手なのだ。例えるなら、一人の急患に消防署の全職員を向かわせるというやり方をとってしまうようなもので、そこが部分最適の欠点なのだ。

 なので配分や効率を考えることが不得意で、それが主要任務となる管理者やマネージャーなどの司令塔には全く向かない。


 部分最適はコストが無限に膨らみ、いつかは破綻し、犠牲者が増える


 さらに問題なのは、部分最適でいるとどうしても一人一人に手厚い支援を求めてしまうため、一人当たりのコストが無制限に増大する。時間も人手も経費も増えるため、全体のコストが計り知れないことになる。

 しかし、リソースは常に限度があるため、その全てをまかなうことは残念ながらできない。よって、一度一人に支援を手厚くするとその分過大にリソースを食い潰してしまうから、早く余剰がなくなってキャパオーバーになる。結果、助けられる人の数はどうしても減ってしまうし、破綻してしまう。


 全体最適は司令塔向き きめ細やかさはない


 これに対して右派は全体が如何にバランスよく回るか、最終的に成果をどれだけ最大化できるかに重点を置くため、全体最適を前提に考える。そのため配分を計算するし、結果予測から逆算もする。それを基に合理的かつ効率的な判断をするので大概的確で、成果も上がりやすい。司令塔を務めるにはこの全体最適の視点と判断力は欠かせないから、司令塔に必要な要素を持っているのは右派のほうだと言える。

 ただ全体最適な判断は、個々の事例に対しては効率の悪いきめ細やかな対応を省きがちである。どうしても採算も考慮に入れるので、薄く必要最低限な対応になってしまう。混雑丁寧を求める人にとっては、事務的で満足いかないものにならざるをえない。


 全体最適はパイ全体が増えるが、左派からは受けが悪い


 とはいえバランスを考えないと継続できないことをちゃんと考えるのが全体最適なので、早々に破綻するという事態は避けられる。それどころか効率合理性重視なので成果が上がり、全体のパイを大きくすることも考えているのが全体最適のいいところだ。

 ただこの戦略は長期戦になることも織り込んでいるため、きめ細やかさに欠けるのも相まって、左派の今を何とかしたい、せっかちな傾向との相性が悪い。この部分が左派には見えず理解ができないので、どうしても冷たいととられがちなのが残念である。


 住み分けと役割分担が重要


 結局のところ見えているものが違うので、得意とする分野も異なってしまう。にもかかわらず、お互いの分野に口出ししてもできるできないの話にしかならないので、住み分けが必要である。それぞれの分野には口出しせずお任せしたほうがケンカにならないし、効率も良くなる。つまり役割分担をはっきりさせて、お互いに立ち入らないほうが上手くやれるのではないか。




2025年11月8日土曜日

左翼が嫌われるのは、採算と限度を考えないから

 ここ近年、左翼への反発が強まっている。欧米では右派政党が躍進したり、右派候補が大統領や首相に当選したりする一方、左派政党が急速に支持率を落とす結果になっている。日本でも右派政党が議席を伸ばし、左派政党が議席を激減して国政政党の地位から陥落する党まで出現した。

 SNSの普及に伴って、オールドメディアが報じない左翼の愚行(不適切発言の謝罪拒否やしばき隊との接点)がリークされるようになったのも一因としてあるが、それだけではなく長年左翼が求めてきた政策にも反感を買っている部分が多い。


 採算を考えていない


 まず左翼共通の政策の中心にあるのが、手厚い福祉だ。福祉を手厚くすれば多くの人が生きられ、幸福になると考えていて、これをいかに拡大するかを政策としている。

 だがこの福祉というのは曲者である。というのも、拡大しようと思えばいくらでも拡大でき、際限がないからだ。しかも、左翼の場合はありとあらゆる人を対象とするので、適用範囲は無限に増えてしまう。その上、マイノリティに寄り添うと言えば聞こえはいいが、要は本人の気持ちの満足感を基準としているため、要求が尽きることはない(そもそも人間は欲望を抱く生き物だから)。よって、必要な予算も人材も無限に膨らんでしまう。

 こうなると採算が合わなくなるのは必定だ。何よりも人間は欲深いので、福祉で何もかもが保護されるとなると、働かずに福祉に頼るほうが得になってしまうので、支える人よりも支えてもらう人のほうが増えてしまう。そうなれば需給バランスが崩れてしまい、予算が足りない、人手も足りないということになるので、いつかは首が回らなくなって破綻する。左翼はそこを考えていない。


 限度を理解していない


 ではなぜ左翼は採算の合わないことを要求するかというと、限度を考えていなからだ。どんな物にも限りがあるのが世の中で、予算も人材も決まっている。それどころか、福祉以外にも必要としている分野は山ほどある(産業振興、出生率向上、育児、科学技術開発、文化財保護、教育学術、インフラ整備維持、外交、治安維持、自然保護・・・)。福祉にばかり資源を割いてしまうと、他が手薄になり立ち行かなくなる。

 そればかりか人口減少に伴ってリソースが減っているし、売上高も下げざるをえないから一般市民の生活水準も下降している。その中でマイノリティだけ生活水準を一定にするばかりか、文化的な生活の名の下で水準を上げようとすればどうなるだろう。一般市民からしたら、自分たちが払ったお金でのうのうと暮らしており、こいつらのためにお金を搾り取られていると写るので、裏切りに他ならない。

 だが左翼は自分のことにしか興味がないがゆえに、他のことが眼中にないので独り占めしてしまう。だから反感を買うのだ。


 原因は「受け身」の姿勢


 ところで、どうしてこのような考えになるのか不思議にに思う人もいるだろう。それは社会に対する姿勢が、

 「受け身」

だからだ。自分で自分の人生を切り開く自信がなく、誰かに全て支えてもらわないと何もできないと思っているのだ。

 自立すれば社会保障に頼らなくてよくなるから支出が減り、採算を合わせることができるのだが、世の中が怖いものだと思い込んでいるから足がすくんで躊躇する。そうなると生きる糧を得られないから、欲しいものがあると全て福祉に頼らざるをえなくなる。だから要求が無制限に膨らみ、そのツケを一般市民に払わせることになるので反感を買うのだ。

 左翼に今必要なのは、

 「節度と自立」

である。




2025年11月6日木曜日

結果の平等はかえって反感を生む ー差をつけないと人は納得しないー

 近頃、「平等」のあり方について議論や口論の火種になることが多い。おおむね左翼は結果の平等、右翼は機会の平等という異なるスタンスをとっていることで、対立に発展する。その根底には、左翼の場合

世の中には弱者がいる → 負けるのはいつも弱者 → 弱者ばかりが損をする → 弱者も得したい → 正攻法では勝てない → 特例で結果を補正 → 得を享受 → 平等

というのがある。一見良さげに見えるし、みんなが利益を享受できる良い考えに感じることだろう。

 これに対し右翼は、

特例を設ける → 結果を補正 → 過程を無視した不公平 → 倫理違反 → 結果の補正に反対 → 公平なルールを → スタートラインをそろえる → 平等

といったロジックを持っている。これだけ見るとどちらにもそれなりの正当性があり、甲乙つけがたい感はある。


 結果の平等は不公平なルールを押し付ける


 これだけではどちらがいいかイメージできないと思うので、わかりやすくするために100m走にたとえる。左翼は、自分は脚が遅いから自分だけ50m先からスタートさせてくれと主張していて、右翼はそれだと100m走ではないからズルい、スタートを合わせてちゃんと100m走れと言っている構図だ。

 脚が遅いのであればトレーニングするなり、シューズの開発をするなりが真っ当なのだが、その意欲がないから自分だけ特例を設けさせて競技自体を変えようとする。いかに左翼が自分勝手で卑怯な要求をしているかがわかるだろう。

 本来差ができて当然、差ができることが醍醐味である分野に結果の平等を求めると、こういう不公平なルールを適用することになる。もっと言えば、その不公平なルール自体がプレイヤーごとの差を生み出しており、平等から遠ざかっている。

 そうなると真っ当にトレーニングして実力をつけてきた人からしたら、その期間が無駄になるので理不尽極まりなく、怒りを覚えるのは当然だろう。


 仕事ではこれがさらに反感を生む


 一般人に身近な仕事においては、これがもっと顕著な軋轢を生む。仕事の量や重さが違うにもかかわらず報酬が同じだったら、多く仕事をした人がその労力が報われなくて怒るのも当然だろう。給与に差をつけないと反感を買って辞められてしまったり、やる気を失って何もしなくなったりして、職場は戦力ダウンしてしまう。これが製造業で起こった場合は、イノベーションが起きないし、生産スピードが落ちて納期が遅れるしで、売り上げも立たなくなる。

 それどころか一人頭の仕事量がその分増えるので過重労働になっていくし、それを回避すべく皆こぞって退職するようになる。そして一旦退職ドミノが起こると、もう止めることができず職場は崩壊する。なので、報酬の格差を設けることで頑張った人に満足してもらい、戦力でい続けてもらえるよう計らう必要がある。


 結果の平等=頑張るほど損なシステム=怠惰になる


 結局のところ結果の平等を求めると、頑張った人ほど報われないから実力者は立ち去ってしまう。実力者がいなくなって目の上のたんこぶがとれるから一瞬胸がスカッとはするが、残るのは有象無象ばかりだし、余計な仕事を引き受けても損なだけだから、押し付け合いばかりするようになる。そのうちそれも疲れて職務放棄をするようになり、怠惰になるだろう。

 実際にこれをやって見事に失敗したのが、冷戦期の東側共産主義諸国である。案の定国民の労働意欲を奪い、イノベーションも大して起こせず、貧困におちいって例外なく自滅した。東ドイツの乗用車トラバントは33年間たいしてモデルチェンジをしなかったどころか、そんな時代遅れの車でありながら納車まで年単位でかかるという体たらくだった。

 車以外でも、市場に行っても食料品は常に品薄だったし、コルホーズやソフホーズといった集団農場経営もことごとく失敗に終わった。結局、誰もが人よりも苦労を背負うのが嫌だったし、個人の功績関係なく何でもみんなで分け与えるシステムだったばかりに、働かなくても等しくおこぼれをもらえるので、働かない方が得になってしまった結果だった。


 格差こそが意欲を掻き立てる


 結果の平等を強いた共産主義が見落としていた点は、人間の欲求だ。そして人間には様々な欲求があり、それが行動を起こす動機になるのだが、その中で最も見落としていたのが承認欲求だ。結果の平等は個人の頑張りを評価しないので、この承認欲求を満たせない。だから意欲を奪ってしまう。

 これに対して個人の頑張りを評価するために他者と格差を設けることで承認欲求を満たし、労働意欲を掻き立てようと図るのが資本主義だ。今や全世界で資本主義に転換してしまったのも、多くの人にとって格差あることで自分を満足させられ、自発的に仕事に励むようになるからだ。これによって経済活動が活発化し、より多くのお金を循環させることができる。

 この格差が人を納得させ、意欲を掻き立てる原動力になるのだ。




2025年11月4日火曜日

庶民が知らない、多数派のお金持ちの真実

 ここ近年、貧富の差を問題にするのをよく目にする。そして、富裕層へのバッシングが酷くなっている。その内容を見ると、実は自分の想像や憶測で叫んでいるものが多く、実態を全く知らないで悪者扱いしている(事実無根の非難は名誉棄損にあたるので犯罪である)。

 そこで、ここでは真のお金持ちの実態とはどんなものかを紹介する。意外なことが多いので、刮目していただきたい。


 意外と贅沢には興味がない


 テレビで紹介されるような金持ちには高級ブランドや高級車、高級マンションを所有している人が多いので、贅沢を極めまくっているイメージを持っている人が多いが、実際にはそういう人は少数派である。富裕層(総資産1億円以上)の半分以上は贅沢を好まない。なぜかというと、
 
 ①資産が目減りするから
 ②贅沢をした分だけ、金融商品を買えなくなるから
 ③お金を持っているのをバレたくないから
 ④高級品に興味がないから
 ⑤陰キャだから
 ⑥そもそも欲がないから

である。なので、意外とタワーマンションには住まない。見栄の張り合いになるところなんて余計な出費がかさむので、資産形成に支障が出るから損と判断する。だから、結構地味な人が多い。

 全米一の投資家とされるウォーレン・バフェット氏は若い頃に買った安い一軒家に未だに住んでいるし、食事はマクドナルドにコカ・コーラ(大好物らしい)、来客にもマクドナルドというから驚きだ。


 人当たりがいい


 これも世間で言われていることと真逆である。お金持ちというと金の亡者のイメージを持つ人が多いため、意地汚いとか、ケチとか、ずる賢いとか言われるが、大抵の人はそんなことをしない。それどころか実際に会うと、お人よしの人が多いものだ。

 それもそのはずで、投資家は赤の他人が事業を起こすのに本人に代わって大金を投じてくれるのだ。経営者なら人が良くないと従業員が定着しないし、固定客も得られない。
そもそもお金は人の縁が運んでくるものなので、人格は非常に重要な要素なのだ。格言に「金持ち喧嘩せず」というのがあるが、正にその通りなのである。

 反対に生活保護の窓口を担当している職員の話を聞くと、受給者には態度の悪い人が多いというのはあるあるだそうだ。自分勝手だったり、人の話を聞かなかったり、横柄だったり、何かあるとすぐ怒鳴りつけたりと、人としての最低限のマナーがない人は珍しくないという。この点でも、やはり人格によって所得や資産に差が出るのがわかる。


 資産に占める現金が少ない


 これはリテラシーがないとわかりずらいのだが、意外と彼らは現金を持っていない。むしろ、現金を持つ方が損だと考えている。なので、銀行口座には生活するのに最低限必要な額しか入れておらず、大半は証券などの金融商品が占めている。

 さらに彼らが増やした資産にも、ほとんど現金は含まれていない。金融商品の相場が上がることによって、自身が
保有している資産の仮の金額も加算されているだけなので、現金を得ているわけではないのだ。

 実際、総資産ランキングに名前が挙がるような海外のCEOは、総じて紙切れでしかない自社株を報酬として受け取っている。この自社株の価格上昇がほぼ資産増に比例しているので、会社の売上金を資産にしている訳ではない。その上、株の売買は社外の人間相手にするものなので、自社のお金を流用するものではない。


 ギャンブルをしない


 ラスベガスやシンガポールのカジノでお金持ちがギャンブルするイメージを持っている人もいるだろう。そういう人もいないわけではないが、大多数のお金持ちは基本的にギャンブルには手を出さない。

 お金持ちはお金のことに関してはシビアなので、年利換算をする癖がついている。ギャンブルは胴元が儲かるシステムなのでマイナスサムゲームであることを知っているから、年利がマイナスで資産減する危険な投資対象という見方をするので、手を出さないのだ。金持ちでギャンブルに手を出すのは、見栄と承認欲求に囚われた人でしかない。

 それに、公営ギャンブル(競馬、競艇、競輪、オートレース)で富裕層と低所得層、ギャンブル依存で富裕層と低所得層、どちらが多いだろうか?圧倒的に低所得層だろう。周囲を見渡しても金持ちがギャンブルに手を出していないのがわかる。


 結構100均が好き


 意外とお金持ちは100均を利用する。実際オイルマネーや高級リゾートで潤うドバイでも、日本の100均は盛況だ(中東で売ると230円~300円くらいの価格にはなるそうだが、それでも安い)。

 お金持ちというのは、長く使うものは丈夫でしっかりとしたものを好む一方、消耗品にはあまりお金をかけたくないと考える人が多いため、100均で十分と割り切る傾向にある。日用品やキッチン用品、ツケマなどの使い捨てコスメなんかは100均でいいという人が珍しくない。

 意外とこういう細かいお金をケチるタイプが多いというのは、お金持ちの間ではあるあるな話らしい。



 そんなわけで、世間で言われているお金持ちのイメージがいかに虚構なのがわかるだろう。そして、これらに共通するのが、地味で物欲や気分の波が少ないというところだ。そのためにお金を残しやすく、その残ったお金を運用してしまうから余計に資産が膨らんでしまう。

 つまり、自分で自分の気分をコントロールができるかが、お金持ちになるためのカギということだ。




2025年11月1日土曜日

達成するためのヒント 一覧


 目標達成や成果を上げるためには、マインドを身につけることがとても重要です。マインドを持っていないと意思がブレてしまい、失敗を修正できなかったり、続かなかったりするからです。

 そこでここでは今まで書いてきた記事の中で、達成のために必要なものをリストアップ。一つ一つ読んで、自己改善につなげましょう。






2025年10月31日金曜日

行政手続きはなぜ複雑なのか?

 年末調整の時期になって、年が明けたら確定申告の時期になる。非常に複雑で、どこの項目に何を書いたらいいのかわからないなんてことが頻発する。これは申告だけに限らず、健康保険、住民票、税務、年金などなど、様々な場所で発生する。

 そこでよく多くの人が言うのが、

 「なんで行政手続きはいつも面倒なんだ!」

というセリフだ。まあ、言いたくなる気持ちは重々わかる。わかりづらく、量も多く、複雑だから。

 そして次に出てくるセリフはこれだろう。

 「なんでシンプルにしないんだ!」

何十年経っても簡素化しない。行政の怠慢ではないかという意見もよく聞く。そうなれば都合がいいから。

 もちろん簡素化できた方がいいに決まっている。行政だって業務の効率化になって仕事がはかどるし、人員不足を解消できるし、経費も削減できる。なので、行政だってしたくてあんなに煩雑にしている訳ではない。

 中には複雑化して役人が国民からお金を巻き上げるためだとか、お金の流れをわかりにくくして使用目的をブラックボックスにするためだという陰謀論にはまっている人も、チラホラ見かけるがそれは荒唐無稽である。あんな書類でブラックボックスにはできないし、むしろ市民が手続きをすることによって証拠が残るのだから、むしろ不正ができない。

 では、なぜ煩雑なのか?それは・・・

 市民が無作為にサービスを望んだから

である。

 例えば確定申告なんかは税額を割り出すために行っているのだが、全員に同じ税率を課せばシンプルになるところを、貧富の差の軽減のために所得税の累進課税を導入したり、保険やローンの控除を適用したり、配当収入は別途計算したり、相続は条件の範囲内で非課税にしたりと、それぞれ要望に従って多種多様なオプションを付け足している。その付け足したオプションの分だけ手続きが複雑になっているのだ。

 そしてその要望を出したのは、他でもない

 市民

である。中には俺は出した覚えはないという人もいるが、古今の他の誰かが複数人出しているのである。なので、市民が各々己の都合で要求を続ける限り、行政手続きは複雑化の一途をたどらざるをえない。

 よって行政手続きの単純化を進めるなら、行政サービスの削減は不可避である。果たしてこれを受け入れられる市民はいるだろうか?




2025年10月24日金曜日

今の生活保護制度では就労意欲がなくなる

 何かと生活保護は問題化されることが多い。ここ数年生活保護の受給者数が上がっており、自治体によってはかなりの財政負担になっているところも出てきている。生活保護受給者は生産活動をしていないため消費しかしない層なのでお金を生み出さず、経済の縮小に拍車をかけることになる。ただでさえ人口減少に伴う生産人口の減少という問題を抱えているのに、生活保護受給者が増え続けるのは衰退の加速につながる。

 なので、生活保護受給者(特に若年の)を減らすのが急務であるが、どうもこの制度の中身が給与所得者との関係で就職に不安を与え、足を引っ張る原因を作っている。

 そこでここでは生活保護と就労意欲を焦点に、問題点を洗い出す。


 受給ライン≧生活必要最低限ライン


 無期限に働く必要がなくなってしまう給付額

 生活保護の受給額であるが、基本的に各都道府県の最低限必要とされる生活費ないしは所得に合わせて決定される。なので、生活保護受給者は最低限生活に必要なお金を「満額」給付されることになる。この「満額」というところが、一つ目の問題点である。というのも「満額」もらえるがゆえに一切働かなくても生活できてしまうため、労働の必要性がなくなってしまうのだ。

 しかも、期限が決められていないため、受給者の言い様で無期限に受給できてしまう。


 行政が全額肩代わりする医療費

 問題二つ目は、医療費である。というのも生活保護受給者の場合、医療費は「全額」行政が負担しているため自己負担がない。しかも、「無制限」に。

 なぜこうなっているかというと、現在の制度では生活保護受給者は所得がないので(生活保護費は給付なので、法的には所得にあたらない)、所得がある人のみが対象となる健康保険には加入できない(国保ですら打ち切られる)。代わりに社会保険事務所が医療券を発行し、かかりつけ医に送付することで、全額国費で医療を受けている。なので、本人は無料なのだ。しかも、回数に制限がない。

 そうなると、働いて健康保険で受診すると自己負担が生じて生活費が減ってしまうが、生活保護ならその心配がなくなるので、生活保護のほうが裕福になるのだ。

 医療に関してはもう一つ問題がある。一部の受給者はこの制度を悪用して多くの薬を処方してもらい、それを闇で転売して違法に稼いでいるのだ。その違法取引で有名になっている場所が、釜ヶ崎と呼ばれる阪堺電軌新今宮電停近くのエリアだ。

 なぜこれが違法かというと、まず処方薬は医師にしか販売の権限がなく、個人の販売が禁止されているからだ(医薬品医療機器等法違反)。さらに、生活保護受給者は10万円までしか貯蓄を認められていないので、それ以上のお金を隠し持っていることも違法である(生活保護法違反)。

 生活保護はこの犯罪の温床になっているのだ。


 負担なき手取り

 問題三つ目は、保険料の支払いや医療費の自己負担がないばかりか、税負担までもがないこと。給与の場合は健康保険料や年金保険料、それに税金が課されるが、生活保護の場合はこれらが課されないので給付金を丸々手取りにすることができる。つまり、手取り額は生活保護費のほうが高くなるのだ。これでは就職すると生活を切り詰めなくてはならなくなるので、生活保護を選ばざるをえない。


 年金の補てんに充てられる

 それと就労意欲の問題からは少し遠いが、年金の受給額不足を補うために生活保護が代用されている問題にも触れておく。

 現役時代にしっかり働いてより良い報酬をもらい、厚生年金や国民年金基金、付加年金などの二階建ての年金を払っていた人はある程度まとまった金額を受給することができる。しかし、国民基礎年金しか払っていない、それどころか未納がある人の場合はどうしても生活に必要な額に達しない。その足らない分の穴埋めに生活保護が充てられている。

 これでは納付しなくても生活保護で代替できるから支払しなくていいし、なんなら一生就労しないで暮らせてしまうので、就労に意義を見出せなくなる。


 解決策は


 期限の設定

 問題なのは無制限の部分が多すぎるので、まず受給期限を設けることだ。精神疾患をベースに考えると5年が一つの区切りで、長期療養か否か、自ら自立に踏み出せるかどうかの分かれ道となる。5年を過ぎると疾患よりも勇気のなさからくる依存が理由となるので、自立を促す意味でも打ち切ることが必要だ。


 健康保険への加入

 これは給与所得者との均衡を図るためと、過剰な受診を防ぐために必要だ。自己負担分を作ることで生活費との兼ね合いが発生するから、無制限な受診を控えざるをえなくなる。その結果、無節操な処方も防げるし、ドクターショッピングも阻止できるので、薬の転売やオーバードーズもできにくくなるだろう。

 さらに、保険料の徴収が増えるので赤字問題で揺れる健康保険の助けにもなる。


 年金と一体化

 今現在は税収から生活保護費が給付されているのを、年金からの給付に変えるのだ。あらかじめ年金として年金機構へ納めておいて、必要になったら自分の納付金の中から給付を受けるのだ。これなら他人が納めた税金を使うことがないので文句が出ないし、年金なので所得として扱われるから課税され、国保に加入できるので給与所得者と条件が同じになる。

 しかも生活保護費として年金に納める代わりに税率を引き下げれば、±0円で給与所得者の場合は手取り額が変わらないから負担は増えない。

 その上、あらかじめ生活保護費の分のお金も工面しなくてはならなくなるから、就労する必要性が生じるので自立につながる。




自分を卑下しているからこそ特例を欲しがる -フェアプレーを恐れる人たち-



 数日前に、高市早苗氏が史上初めて女性として自民党総裁に当選した。女性枠などが作られることなく、男性と同じルールの中で実力とフェアプレーで当選を決めた。これは政治家として当然かつ立派な姿勢であり、褒めたたえるべき結果である。

 しかし、これに祝意を示すどころかケチをつける政治家や活動家が多くいるのは、非常に幼稚で残念で他ならない。しかも、このケチをつけている者たちに共通しているのが、以前から女性やマイノリティに下駄を履かせることを求めていたという点だ。つまり、女性やマイノリティだけは違うルールで戦わせろというアンフェアな考えを持っているということだ。

 ところが、今回高市氏は下駄を履かないで正々堂々当選してしまった。優遇や特例措置がなくても当選できるということを身をもって証明してしまったのだ。このことから、自民党内で女性が阻害されていると言えないばかりか、実力さえあれば総裁になれるということを示した。その結果、下駄を求める正当性がなくなってしまったので、自分の言い分や立場がなくなってしまった。下駄なんてなくてもできるよねと。


 自分の劣等感を認められない


 ここまで強く特別扱いに固執する人の根底には、絶対に何かがあるはずだ。大抵の人ならアンフェアな条件をつけろなんてことは、良心の呵責にさいなまれるので拒否するし、そんな方法で何かを手にしても評価につながらないし、実力を認められたわけではないからお飾りとしてしか扱われないことが容易に想像つくからだ。絶対自分のためにならないのがわかっているにもかかわらず、それでも特別扱いに執着するのは、彼女らの根底に

 「劣等感」

があるからに他ならない。女性は劣るもの、マイノリティは卑下されるものという固定観念が最初からあるのだ。だから彼女らは実績やスキルの話は決してせず、劣等グループというポジショントークしか展開しない。それはひいては女性=無能と自分で言っているようなもので、自らを卑下している。

 そして、そういうネガティブポジションをとる者を人間は本能的に拒絶する。いい印象を受けないし、他人にすがって生きようとする姿勢に未熟さ自立心のなさを見出すからだ。さらに、そういう人間は束縛が強いことも感じ取るので、身の危険を察知するのも避ける要因となる。

 よって、このネガティブポジションを採る限り、彼女らの心が満たされ平穏になることは永遠にない。


 可哀そうな自分を止めないと何も変わらない


 この手の者たちは、とかく自分の力では何もできないと過小評価している。だから特例や人の手を借りないと生きていけないと主張し、他人へすがらざるをえなくなる。

 だが、その姿は物乞いそのものであるし、後ろ向きの姿勢に人々は嫌気がさすので必ず捨てられる。結果、欲しいものは何一つ手に入らないし、幸せになることもない。それどころか、負の連鎖におちいり、社会との溝を深め、孤立して行き場を無くしてしまうだろう。

 ここから抜け出すには、

 「自分の力による実績を積み重ねる」

ことが欠かせない。

 とにかくいつまでも他力本願過ぎるのが問題でこれを止めなければ始まらないし、自分にもできるかもしれないという確証がないことには足を踏み出せないだろう。そのために、小さいものから少しずつ自分の実績を作ることが必要だ。実績を作ることによって自信や能力に証拠ができるので、自分に対して不信感を抱かなくて済む。

 さらに、実績が増えることによって実力がつくので、社会的にも劣等ではなくなる。その成れの果てが、高市早苗氏だ。彼女の能力は持って生まれたものではなく、そうやって積み上げられてきたものだろう。経歴を見るとかなりの苦労人であることがうかがえるが、そこにめげず前に進む姿は好感をもてる。

 そして、そういうフェアなやり方を守れる誠実な人間が活躍できるクリーンな社会ができることを願わんばかりだ。